2017年05月06日

モリッシーのマトリックス・メッセージ、2017

TheSmiths-BoyThorn-ep-Matrix-2017.jpg
* 画像は右リンクから:http://tagong-boy.tumblr.com/post/160302523301/


ザ・スミスは4月22日の今年のレコード・ストア・デイに未発表トラック2曲を収録した7インチをリリースしている。

この7インチはUKのみでのリリースとなっているが、レコードの盤面には「Trump Will Kill America(トランプがアメリカを殺す)」とエッチングされているという。



ザ・スミス、新発売の7インチに「トランプがアメリカを殺す」と記されていることが明らかに
(NME.jpより)http://nme-jp.com/news/37182/


レコードを大雑把に外周から見ていくと、音の刻まれているギザギザした細い溝(グルーヴ)があって、その次に「デッドワックス」と呼ばれる黒い平坦な部分があり、そして紙の貼られたレーベル面、最後に盤の中心の穴「センターホール」とおおよそこの4つのパートに分けられる。その中の余黒部分「デッドワックス」のわずかな隙間にはレコード盤に関する色々な情報が刻まれていて、たいてい暗号のようなアルファベットや数字が並んでいる。この記号・数字の配列は「マトリックス・ナンバー」と呼ばれるもので、解読すると、そのレコードがどの工場で製造され、どの型(スタンパー)を使って何回目にプレスされたものなのか? またさらに、誰がカッティングしたかという事までがわかるようになっている(カッティング・エンジニアの腕によって音質が変わるため、ここにあるエンジニア名サインを重要視しこだわるマニアやコレクターは多い。当然レコードの取引価格にも影響してくる)。レコードの出生証明書みたいなもの。本でいえば、版や刷、編集者や印刷所等々の情報が記されている奥付にあたるところだ。

ザ・スミスのレコードは、デッドワックス部のマトリックス・ナンバーのすぐ近くに、モリッシーによる短い英文がいつも刻まれていて、この隠れたメッセージを読むのがファンの間ではちょっとした楽しみだったりした(ザ・スミス以外にも、レコードにこのマトリックス・メッセージを刻んでいるミュージシャンはわりといる)。例えば、ザ・スミスの「Shakespeare's Sister」という曲の12インチでは "HOME IS WHERE THE ART IS(home is where the heart is のもじり。安らげる場所は自分の中にある、の意。誰かの引用なのかな?)" だったりと、直接曲と関連しているのかいないのか良くわからない意味深なものや、初期シングル「William, It Was Really Nothing」のマトリックス・メッセージのように、ちょっとここで書けない類の英国人らしいきついジョークもあったりする。

さて、先月4/22に「レコード・ストア・デイ」という全世界同時開催のレコードの祭典的なイベントがあった(2007年に創設、2008年からスタートし以来毎年やってる)。毎年4月の第三土曜日がその日らしく、この日に限定のシングルやアルバムなどが一斉に発売され、年を追うごとに知れ渡り賑わってきているみたいだ。


レコード・ストア・デイで販売されたアイテムの中には既にネット・オークションに出品されているものがあり、なかには200ポンド(約28000円)の値を付けているものもあるという。


と、上記事の中にもあるように、この日発売されたレコードたちはさっそく売りに出され、プレミアが付いてより大きく話題になるなど、今の時代だなぁなんて思ったりする(もちろん大部分はファンたちのレコード棚にちゃんと収まっているのだろう)。ザ・スミスは1985年にリリースしたシングル「The Boy With the Thorn in His Side」に収録していた2曲の未発表音源を、レコード・ストア・デイ限定盤として発売。これもすぐさまネット・オークションに出ているものがあって、直後は50ドル前後まで値が付いていたが、今は落ち着いて30-40ドル前後の間で取引されている。元の販売価格は8.99ポンド(約1,300円)だった。わずかながらのプレミア価格があることは、未だ根強いファンがいる確かな証拠だし、プレス枚数が求める人の数に追いついていない表れでもあって、オークションでのせめぎ合い(入札数)を見ていると、ファンの熱量みたいなものが冷静に数値化されているようで面白いものがある。こうして売り買いしていくうちに、変動幅が少なくなって適正な価格帯に収斂し、最もふさわしい値段として定着していく。そういう瞬間を目の当たりにできるのもまた貴重に思えたり。
ザ・スミスは、オフィシャル・リリースとしての未発表音源が少なく、彼らはリミックス・ヴァージョンなども嫌っていたため、レコード・アイテム的に極端なレア物というのがあまりない。なので今回のリリースはファンにとってはすごく嬉しいもので、僕もちょっと反応してしまった。A面タイトル曲のデモ・ヴァージョンは、さほど違いのないものだったが、B面収録の「Rubber Ring」(Early Drone Studios Version)は、ストリングスが少し生々しく(ラフで)けっこう良かった。
今回ザ・スミスが話題になっていたのはプレミア化したレコードじゃなく、シングル盤に刻まれたモリッシーのトランプ大統領に関するマトリックス・メッセージだった。モリッシーは、以前にも「Margaret on the Guillotine(マーガレット・サッチャーをギロチン台に)」というような曲をいくつか書いているから、さほど驚くこともないが、こうした姿勢の変わらなさの方にかえって驚異を感じてしまったり、若干僕の方が変わってしまったのかな? なんて風に思った。僕も若いときは、モリッシーのメッセージやインタビューなんかを読んでずいぶんと共感したし、きっと若い人は同じように自分の好きなアーティストやミュージシャンたちから無条件的に影響を受けるんだろうとは思うが、政治や経済の仕組みを少しづつ理解していくほどに、世の中そう単純に二元化し、切り分けて考えていいものなんだろうかと思うようにもなる。塩化ヴィニールに彫られた短いメッセージは、前世代のツイートみたいなもので、トランプのやっているTweeterといい勝負かも。


レコード鑑定の基礎知識「How to identify vinyl records?」
http://zauberflote.squares.net/record/record.html


The Smiths - Rubber Ring (Early Drone Studios Version 7" Rip)
posted by J at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | fav. - sound | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

きっかけは社会の先生のひと言だった



『ストップ・メイキング・センス』ほど、不気味な始まりかたをする映画はない。


この作品に対する賞賛の多くは、もちろんトーキング・ヘッズに向けられたものである。彼らは当時、アルバム「スピーキング・イン・タンズ」と、ヒットシングルである「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」の成功が高く評価されていた。

しかし、その映像の素晴らしさの大部分はデミに由来するものだ。彼がバーンとつくりあげたライヴ映像は、それまでのものとはまったく違っていた。そして、それ以降のものとも。



追悼、ジョナサン・デミ──ライヴ映画『ストップ・メイキング・センス』の“魔術”が残したもの
http://wired.jp/2017/05/02/jonathan-demme-stop-making-sense/


先月末、映画監督のジョナサン・デミが亡くなった。僕は数日経ってこのニュースを知る。それも、ネットで調べものをしていたときにヒットした、全く知らない人のBLOG記事をいくつか見ていたときだった。ネット時代の偶然だなぁとか思いながら、デミが監督したライヴ・ドキュメンタリー映画「STOP MAKING SENCE」を初めて観たときのことを思い出した。
映画はリアルタイムで見たものではなかった。学校でたまたま社会の先生と音楽の話をしていたときに、話の流れで先生が「いい映画があるから今度ビデオを貸してあげるよ」といって渡されたのがこのトーキング・ヘッズの「STOP MAKING SENCE」だった。数日後だったか、一週間後だったかは忘れたけれど、先生は意外と早くにビデオを持ってきてくれた。そして、この映像作品の素晴らしさを熱っぽく語りながら、でも、このビデオは永久保存版やから大事に扱ってくれよと、いかに自分がこのマテリアルを大切にしているかということも最後に忘れなかった。このひと言は先生の思い入れの強さを表しているようで、何か僕の中でひっかかるものがあって、ああ相当ヘッズが好きなんだろうな、と思った。当時僕はトーキング・ヘッズにあまり興味がなく、せっかく貸してくれたのはいいんだけど、どうも積極的に観よう! なんて気にはならず、でも借りた以上は返すときに感想を言わなきゃいけないから、ちゃんと観ないといけないよなぁ、困った。なんて少し気の重さを感じつつ家に持ち帰る。
そんなわけで、夕食後、全く期待もせずにビデオを再生する。僕は、自分の聴きたいレコードがあったので、まぁさらっと観て終わらせよう、だいたいライブの映像なんて、ステージにミュージシャンが写って演奏している姿を撮っているだけだから、どれも同じだろうし。そういう先入観があった。半信半疑、気持ちの中では四信六疑ぐらいだった。だから、いざこの映画が静かに始まると、映像の持つ緊張感というか(それがデミ作品の特徴なのだと数年後に観た「羊たちの沈黙」で分かった)独特のライブ映像世界に、何か今までに無い異質なものを感じ、一気に引き込まれていった。先生が熱く語っていたとおり、いい意味で予想を覆された。
はじめはヴォーカルのデヴィッド・バーンだけがステージに登場し、ラジカセのリズムに合わせて初期の代表曲「サイコ・キラー」を歌う。それが終わると、ベースのティナ・ウェイマスが現れ、今度は二人でアコースティックなバラードをしっとりと歌う。僕はヘッズの曲をほとんど知らなかったので、このきれいなメロディにすっかり聴きいってしまった。そして、次はドラムスのクリス・フランツがやってきてハイテンポでパワフルなビートの「Thank You for Sending Me an Angel」の演奏。これが終わると、ギタリストのジェリー・ハリスンが入りクールなファンク曲「Found a Job」を演奏。ここでメンバーの4人が揃った。こうして次に、コーラス、パーカッション、キーボード等々、バンドの人数がどんどん膨れていき、それに従って演奏も熱く、曲が続く毎にステージが盛り上がってゆく。もちろん観ているほうも、それに合わせて高揚し、あっというまに時間が過ぎてしまう。ほんと一瞬も見逃せない。映像編集の上手さが際立っているのと、斬新な構成に見事にやられてしまい、全部を観終わったあと、もう僕はすっかりとヘッズ・ファンになっていた。



"Life During Wartime" Talking Heads LIVE
7曲目の「ライフ・デュアリング・ウォータイム」。この映画で最初に訪れる山場の曲。みんなが一斉にランニングする姿は、単独で見るとへんてこりんだけど、最初から通してみているとめちゃくちゃカッコイイ。
この曲の歌詞はすごくいいので、年内には訳もしてみたい。


posted by J at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | fav. - sound | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

歌詞和訳:"Carbrain" by The Wake


The Wake - Carbrain (Audio)
サラ・レコーズ移籍後初のシングル "Crush The Flowers" のB面曲が "Carbrain"。この曲は、A面よりも力みないメロディが心地よく、The Wake の曲の中では一番好きな歌だった。動画コメント欄にも「This song is so much better than the A side...」(by C. Hulsey)なんて書き込みがあったりする。B面がタイトル曲よりも良かったりすると、さほど期待していない分何か得した気分になる。


ザ・ウェイクについては、以前に少し書いていた。今回は歌詞訳と追加分を少し。

The Wake "Talk About The Past" FAC 88 ( 02 Apr. 2014 )
http://tavola-world.seesaa.net/article/381936032.html
けっこう地味なバンドやったんで、メディアで取り上げられることも、またインタビューなどの情報もなく、ゆえエピソードらしいエピソードが生まれるということもほとんどなかった。なもんで、目新しい話がこの先出てくることは多分ないだろうな。そうしたものを望んでいる人も、ほんのわずかにいるだけだろうし。プライマル・スクリームのボビーが一時在籍していた、という話やドゥルッテイ・コラムのヴィニ・ライリーが楽曲に参加といったことが一番の話題やったりして。




ザ・ウェイクの簡単なプロフィール:
wiki や "Shadowplayers: The Rise and Fall of Factory Records" を見ると、ザ・ウェイクは1981年の4月グラスゴーで結成。ザ・ウェイク結成の少し前、リーダーのジェラルド・マクイナルティ(Gerard McInulty)は、ノートルダム・ハイスクール(Notre Dame High School)に通っていて、在学中の1979年に学友クレア・グローガンらとバンドを始めた。そのバンド名はオルタード・イメージズ。ジェラルドはこのバンドの初期メンバーだった(彼は、彼女らの最初の2枚のシングル "Dead Pop Stars" と "A Day's Wait" を作曲している)。オルタードを辞めたあと、すぐにザ・ウェイクを結成する。そしてオルタード・イメージズは1981年秋にリリスしたデビュー・アルバムがヒットしてしまった(バンシーズの Steven Severin によるプロデュース)。ジェラルド在籍時のオルタード・イメージズの演奏は、1980年10月7日("Dead Pop Stars"他を演奏)と1981年3月2日(""A Day's Wait"他を演奏)のジョン・ピール・セッションで聴くことができる。

ザ・ウェイクは1983年から1987年までの間、ファクトリー・レコーズから2枚のアルバムとシングルを何枚かリリースするも、レーベル側はまともなプロモーションもせず、バンドに興味を示す様子が全くなかった。その態度に彼らメンバーは不満を抱き、やがて自分たちが契約したレコード会社に幻滅してゆく。そして1988年、彼らは所属するファクトリーを離れることした。そして、次に移った場所がブリストルを拠点にしたサラ・レコーズという小さなインディ・レーベルだった。ここで2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースするのだが、1995年8月にサラ・レコーズは解散。これによってザ・ウェイクも事実上、活動を停止する。

サラ・レコーズに移籍し、最初にリリースしたのが「Crush The Flowers」というシングルで、この曲のB面に収録されていたのが「Carbrain」という曲だった。A面曲よりもメロディが素直で、それを引き立てるさわやかなアレンジ。なんでこっちをA面にしなかったんだろうと僕は不思議に思いながら、A面をかけずこの曲をよく聴いていた。どこかプリファブ・スプラウトを思わせるキラキラとしたキーボードの音色と、甘く寄り添う女性コーラスは、木漏れ日の中で小鳥がさえずり戯れているようで、耳がくすぐられるような感覚になる。さほど印象に残る曲のないザ・ウェイクだけれども(と言ったら怒られそう)、「Carbrain」は彼らの楽曲の中でも一つ飛びぬけていい曲だと思うし、数あるネオアコ・ソング達の中でも決して他に負けない魅力があるように思うが、これは僕の贔屓目が幾分入っているかも。


TheWake-2EPs-Sarah.jpg
* 画像は右リンクより: http://tagong-boy.tumblr.com/post/159978150691/
"Crush The Flowers" (1989) / "Major John" (1991)
サラ・レコーズからリリースした2枚のシングル。ファクトリー・レコーズ時代のデザインを少し意識したレイアウト。所属する他のバンドは手描きイラストと手書き風の文字の組み合わせが多かったので、ザ・ウェイクのジャケット・デザインはサラではちょっとだけ浮いていたように思う。サラ・レコーズのレコジャケは、予算を抑える為にほとんどが一色刷り、多くても2色刷りだった。写真もコントラストを付け、階調を飛ばしているためプリントごっこで刷ったようなトーンになってしまい、それがまた手づくり感をより印象付けていた。レーベル初期の頃は、オマケのポストカードがリリース毎のシングルそれぞれに封入されていて、どんなのが入っているか楽しみだった(バンドによっては、封入ポストカードの絵柄が異なっていて、何枚かを集め、組み合わせてゆくとミニポスターになるような工夫もあったりした)。サラはあるとき突然ブームのようなものが起きて、最初期のシングル(カタログ番号が一桁台)いくつかは一万円近くの値が付いていた。それがさらにネオアコ・ファンを惹きつける結果になったのだろう、さほどプレス枚数があったわけでもないのに、熱心なリスナーがつくようになって、未だにこのレーベルは人気がある。



ザ・ウェイク「 カーブレイン 」歌詞和訳

The Wake "Carbrain" - Lyrics ( songtexte.com )
http://www.songtexte.com/songtext/the-wake/carbrain-7396f609.html
* 歌詞は「 Songtexte.com 」から。
メロディに合わせた詞の改行・分断はせず、なるべく意味の通る一つの文になるようにした。
またコーラス・パートやサビのリフレイン等で歌詞が重複する箇所は省いてます。



A stream from your mouth of filth gave me dog's abuse and I was so indifferent. I was set apart and I was so ungrateful, had to change my voice just to get a part.
Once you had the taste of cold lemonade, in those days you were made

君の口からとめどなく放たれる悪態は、犬の虐待を受けている気分だったよ。だから僕はまったく知らんぷりだった。僕は距離を置いていたし、ほんと恩知らずだった。歌のパートを得るためにも、声を変えなきゃならなかった。昔、君は冷えたレモネードの味見をしたね。君がうまくいってたあの頃の話さ。



I used to climb that tree, you got the better of me with your Carbrain
あの木によく登っていたね。君の町「カーブレイン」で、君は僕を打ち負かした。



Fell from a stool in a pub where they played punk rock.
The floor in the punk rock club always flattens your hair.
The floor in the friendly club, like revolving doors, fake cheap flashing lights and a new wave track spins in your sore head, that's the best of things

パンク・ロックを演奏してたパブのスツールから落っこちてさ。そのパンク・ロック・クラブの床で、君の髪はいつもぺちゃんこになってたわけだ。気さくなクラブの床は、回転ドアみたいで、偽物っぽい安物のフラッシュの光とニューウェーヴの曲が、君のひどい頭の中でぐるぐると回り続ける。あれは最高だった。




* 歌詞の中に登場する「レモネード」について:
レモネードという飲み物は、ノスタルジーと結びつきやすいんだろうか? 子供の頃にそんなものを飲んでいた記憶なんてないけれど(日本ではカルピスがこれにあたるのかも)、なぜか僕でも少年時代を思い出させる響きを感じてしまう。ザ・ウェイクと同じネオアコ系グループに入る、ドリーム・アカデミーの「Life in a Northern Town (1985)」という曲の冒頭にも「レモネード」という言葉が登場し、曲名どおり「北国の町での暮らし」を回想するように歌詞は続いてゆく。

" A Salvation Army band played and children drunk lemonade, and the morning lasted all day. "

( Lyrics from "Life in a northern town" The Dream Academy )

この曲を書いたニック・レアード=クルーズの幼少時代が歌詞に反映されているのか、あるいは全くの想像によるものなのかはわからないが(彼はロンドン生まれ)、この歌の詩は、どことなくスコットランドのうらぶれた地方都市の光景を想像させる。それともMVの映像が潜在的に残っていて、ただそういう風に思わせているだけなのかも。下記事によると、「Life in a Northern Town」は早逝した英国のフォーク・シンガー、ニック・ドレイクに捧げたものだったそう。ただ、直接ニック・ドレイクについてのものではない。
Pop: Apprentice to the stars (Independent / March 1999)

http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/pop-apprentice-to-the-stars-1083050.html
http://www.songfacts.com/detail.php?id=6790



「カーブレイン」

曲名にもなっている「カーブレイン」は、スコットランドのほぼ中央、ノース・ラナークシャーの「カンバーノールド」というニュータウンの中にある町のひとつ。グラスゴーとエジンバラのちょうど中間あたりにある。この曲が出た当時は、そんな事わからないので「Car - Brain」って、車の脳みそ(重要な部分)? なんて思っていた。
「カンバーノールド」は、1955年にニュータウンに指定され(スコットランドでは3番目)、翌年に建設が始まり、1958年に最初の住宅が販売となった。1996年まで開発と管理(プロモーション等)が続く。「カーブレイン」地区の住宅は1960年代に多くが設計され、1963年に建設が始まり1970年代初期にはほとんどのエリアで入居完了。もしザ・ウェイクのリーダー、ジェラルドがこの町で生まれ育っていたのなら、おそらく第二世代にあたるんじゃないかと思う。

SnakeBridge-CumbernauldTownCentre.jpg
カンバーノールドにある Snake Bridge とカンバーノールド・タウン・センター。(画像は下記wikiより)
整地された景観の中に建てられた"新しい"スタイルの建造物は新興住宅地特有のにおいがする。


CDからデジタル、そしてダウンロードの時代になってもうずいぶんと経つ。レコードにはA面とB面という表裏があり、その二つはそれぞれに意味を持っていて役割があったということなんて、もうすっかり忘れられ、意識すらしなくなってしまった。A面はセールスへとつながる期待がかかるため、作る方も力が入るし、その他営業的な思惑やいろんな要素が絡んでくる。一方B面はというと、そうした条件や制約をさほど気にすることなく、わりと自由に作った曲を並べることができる。なもんで、実験的なことや、何か曲作りで試行錯誤している様が出ていたり、あるいは作りこまれていない分、本来の実力が垣間見えたりと、ファンにとってはミュージシャンの素の部分に近いものを感じることができた。CD時代のカップリング曲には、まだそうした名残が少しあった気はするが、曲のばら売りの時代になると、もうそうした要素は一切見えなくなってしまった。その分を Web や blog などから出てくる情報が補完しているとは思うが、あまり多くを知ってしまうのもまたリスナーの想像力が開かない。


ここからは「カーブレイン」を書いたきっかけって何だったんだろう? という事から巡った推察になる。
「カーブレイン」の歌詞を見ていると、ジェラルドが自分の育った町、そして青春時代(多分、バンドの結成前後)を回想しているようにしか思えない。実際どんな店で、誰のことを歌っているのか全くわからないけれど。ハイスクール時代にバンドを結成した彼、ひとつ当ててやろうという意気込みはそれほど大きくはなかったかもしれないが、やはりミュージシャンをやっているくらいだから、そうした期待を少しくらいは持っていたようには思う。ニュー・オーダーのマネージャーの口利きで、ファクトリー・レコーズと契約しレコードを出したところまでは順調だった。しかし、自分が初めの頃に在籍していたバンドが有名になり、また短い期間だけれども自分のバンドで演奏をしていた仲間(プライマル・スクリームのボビー)もまた別のバンドで売れていくのを見て、何か焦りのようなものを感じはじめていただろうとは思う。スコットランドにある人口約7万人弱のニュータウンで若い日を過ごし、やがてイギリス第二の都市マンチェスターでインディ・レーベルとは言え、名の知られたレコード会社に属するまでになった。しかし、バンドの現在はといえばどうだろう、所属レーベル、ファクトリーを支えている先輩格にあたるバンド(ニュー・オーダー等)を越えることはどうにもできない。レーベルも彼らにはお構いなし(もともとそういう無関心な傾向のある会社だった)。いろんなものが積もってゆく中、彼らはファクトリーを去ると決め、新しいレーベル「サラ・レコーズ」へと移った。振り返ってみると、このあたりがバンドとしてのピークだったように見える。
サラでの移籍後第一弾シングル、そのB面曲のタイトルを、誰も知らないようなローカルな地名から取り、その場所での良き日々を振り返るような歌詞を書いたということは、無意識だったのかもしれないが、何か象徴的なものがあるようにも思えてくる。ここで、B面のセオリーというものを考えてみる。ミュージシャンの素の一面が見えるB面曲というあれ。"Crush The Flowers" をリリースした1989年あたりから、英国ではのちに「Madchester」と呼ばれるようになる、マンチェスター・ブームの兆しが始まっていた。自分が見切りを付けたレーベル、ファクトリーがその渦の中心だった。彼はザ・ウェイクを結成し間もない頃のことを、また思い出す。自分から離れていったものが、なぜかうまくいってしまうという不思議。同じことが二度起こっているような錯覚を、サラでの日々で受け止める。そして、サラから出した最初のアルバム「Make It Loud(1990)」は、マッドチェスター・ブームを意識し、そのダンス・サウンドを思いっきり取り入れた音だった。愛想を尽かし自ら去った、かつての古巣、ファクトリー・レコーズ時代の音を再び演じているようなレコード。決して新しいタイプの音ではなかった。
1990年、ザ・タイムスというバンドが「Manchester」という、ほとんどマッドチェスター賛歌といっても過言じゃないくらいの街名を冠した歌をリリースする。ザ・ウェイクの「カーブレイン」とはまた違ったアプローチの音と歌詞だが、何かが細くつながっているような感じがある。


Carbrain - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/Carbrain
https://en.wikipedia.org/wiki/Cumbernauld



posted by J at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋楽の歌詞和訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする