2017年11月14日

Pink Curly Hair

PinkCurlyHair-Nov.2017.png
Pink Curly Hair
(Nov. 2017 / 210 x 297mm) Ink and Digital Effects


画像大きめ版: (PNG - 1.3MB) http://tagong-boy.tumblr.com/post/167439560116/

Draft-PinkCurlyHair.jpg
下絵。




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2017年11月07日

ナボコフ「青白い炎」とブレードランナー2049

nabokov-palefire.jpg
ナボコフ「青白い炎」(富士川義之訳)岩波文庫


先日アップした「ブレードランナー2049とナボコフ」の続き、というよりも補足です。

ブレードランナー2049とナボコフ(2017年11月02日)
http://tavola-world.seesaa.net/article/454596898.html


映画の中で小道具の一つとして登場し、映画全体のテーマを示唆する重要なキーワードになっていたのがナボコフの小説「青白い炎」だった。主人公 K が「post-traumatic baseline test」を受けるシーンで使われている言葉が、「青白い炎」からの引用だったことは上リンクで書いた。じゃ、具体的に本のどの部分から取られたんだろう? というのを探して(最初から読んでいったが見つからず、途中で wiki (英語版の方)に書いてあるかも、と気付いて飛んでいったらあってあっさりと判明)、関連した部分を下に書き出してみた。以下グレーの文字は岩波文庫「青白い炎」からのもの。




■ シェイドによる詩 (line:704-707 / p138-139 より)

一個の主要細胞内で連結した細胞同士を
さらに連結した細胞内でさらにそれらを連結した
細胞組織を。そして暗黒を背景に
恐ろしいほど鮮明に、高く白く噴水が戯れていた。
A system of cells interlinked within
Cells interlinked within cells interlinked
Within one stem. And, dreadfully distinct
Against the dark, a tall white fountain played.




■ キンボートによる注釈 (「注釈」の章・p465 より)

・七〇四−七〇七行目 一個の主要細胞、等々

 三度にわたる「連結した細胞」の挿入はすこぶる巧妙に扱われており、「組織(システム)」と「主要細胞(ステム)」の相互作用から論理的な充足感が得られよう。





この小説は4つのパートからなっている。ナボコフが作り出した架空の詩人シェイドによる詩自体は全体の約16%弱ほどしかなく、残り約84%を占めるのは同じく架空の人物、文学教授キンボートによる「青白い炎」の注釈兼学術的な解説という形式をとっている。予備知識なく読むと、ほんとにこういう人たちがいたのかと錯覚するぐらい、本物の詩研究本としての体裁が整っていて、緻密な文章の詰まった実験的な作品だ。

1) チャールズ・キンボートによる前書き:28ページ(p9-36)
2) ジョン・フランシス・シェイドによる4章構成の詩「青白い炎」:148ページ(p37-184)
*英語原文と訳詩が交互に載っているので、日本語訳部分は実質72ページ。
3) チャールズ・キンボートによる詩の注釈:356ページ(p185-540)
4) 牽引:17ページ(p542-558)


僕は「詩」という表現形態にはやや懐疑的な目を持っているので、この先に書いてあることが的外れなものになっているかもしれないが、ちょっといい機会なので自分の見方を少しまとめてみようと思った。僕の全く個人的な考え方なんだけど、「詩」というものは、言葉で作者のイメージを完全には説明できずに終わっている未完成な表現手法だと思っている。ことば数をそぎ落としているために、読み手の想像力を大いに借りなければ作者の意図を正確に伝えきれないところ、あるいは、読み手のそういった力に依存しなければ制作の意図が結像しないといった部分は、読み手の想像力を決して縛ることなく自由であるという一面はあるかもしれないが、やっかいにもこれは作者の想像力の弱さをごまかすこともまたできてしまうものでもあって、ちゃんと考えて作られたものなのか、たんに読み手が深読みしすぎているだけなのかの判断がつきかねない。少ない言葉ゆえに解釈幅が大きすぎて曖昧になりがちで、意図やテーマが十分には伝わらないし、読み解きにくいように感じる。結果「詩」単独で見ると、常に滲みとぼやけた色をした、あやふやな存在なんじゃないかと。だからこそ、音楽という別な表現手法と組み合わさると「歌」というものに変化して強いまとまりが生まれたり、絵や映像、あるいはタイポグラフィといったものとリンクすることで、また違った強いイメージが完成する。「詩」というものは、どんなものでも迎え入れ、変化自在に姿を変えることの出来る、一種の触媒的な素材としてあるんじゃないかというふうに常々思っていたりもする。
オノ・ヨーコは、詩を読んだ人の想像力の方が大きくなることを逆手にとって1960年代に「grapefruit」という詩、というよりも詩を用いたアート作品を発表している。ジョン・レノンの名曲「Imagine」の元になった作品として有名なので知っている人も多いだろう。簡単に説明すると、ギャラリーの壁にタイプライターで打った自作の詩を展示しているのだが、絵や何かしらのイメージが飾られているわけではない。観客は展示されているオノ・ヨーコの短い詩を読んで、頭のなかでその言葉から連想する世界を想像し、その瞬間、その人の脳の中だけにしか存在しないたった一つの、そして他の人からは見えないヴィジュアル作品が生まれるという、コンセプチュアル・アート。これは、詩による表現力というものを非常に客観的に、冷めて見ていたから出来たのだろうが、まさに本質を射抜いているように思える。

さて、言葉の意味を曖昧にすることで自由度が増え、感性をダイレクトに言葉へと変換できるのは「詩作」の強みだろうし、言葉の数が限定される分、より技巧的な表現を探求することもできる。一方、批評・評論というのは冷静・客観的な分析が必要だから文章に余計な装飾は不要だ。そのため文章表現としての面白さに欠けたものになってしまうのは仕方のないことで、その点では「詩」という表現とは対極の位置にあるものだと思う。
言葉の「表現」としてみた場合に、「詩」「批評」この二つにはどちらも互いに何かが足りない、欠けているんじゃないかという気がしてしまう。「詩」には感受性が必要だが「批評」にそういったものはさほど求められない。「批評」には論理性が必要だが「詩」にはさほど必要でもない。ナボコフはこの小説の中で、詩に対する批評・解釈をふんだんに盛り込むことによって、互いに欠けているものを補ってより二つを強く結びつけ、より奥の深い言葉の世界を作りだしたように思う。詩に対する解釈を、5倍以上の文章量で読者にみせているのは、ナボコフが詩の行間に込めていた本来は読者が想像しなければならなかった一面を優しく補っている。
小説のタイトル「青白い炎(Pale Fire)」は、感性を全面に出した詩の部分を熱い「炎(Fire)」と言い表し、徹底的に論理性を求めた注釈(批評)の部分を「青白い(Pale)」と言い表し、この二つを組み合わせたんじゃないかとふと思った。

「ブレードランナー2049」でこの小説が出てきたことは、映画のテーマの一つにもなっている二面性をさらにストーリーの中に組み込み、それが入れ子の状態になって、観客を無限の合わせ鏡の世界へと誘い込んでいるかのようだ。人間に対し従順で忠実なしもべとなるように設計されたアンドロイドに感性というものは不要だ。だから彼らに感情の起伏・変化が起きていないかをチェックするために「post-traumatic baseline test」を行い、異常がないかを調べる。その「post-traumatic baseline test」のフレーズに「青白い炎」の一節が引用されていることは、感情、そして論理性という相反する性質のものが一つの中に同居する小説の構造を踏まえたうえで、使ったものだろうと思うし、また詩の中にある「Cells interlinked...」という言葉の意味合いも映画にぴったりとリンクする。
また、K が幼少の記憶として持っていたおもちゃの「木の馬」も、映画の中では重要な小道具として扱われているが、これもひとつ意味合いがこめられているようにも思う。手彫りの「木の馬」は、トロイの木馬を連想させる。そして、トロイの木馬は外観と中身が違うもののメタファーとしての意味を持つもので、K が握り締める木の馬は、幼い頃の記憶の象徴、そしてそれは、二重性があり、また入れ子の状態でもあることを暗に示している。アンドロイドの身体(外観)の中には、本物ではない、埋め込まれた記憶(中身)があるのだよと。


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2017年11月02日

ブレードランナー2049とナボコフ


すんごい期待して観た「ブレードランナー2049」
これ、期待以上というか予想をはるかに超える素晴らしい作品で、すっかり映画の世界にはまってしまった。とにかく映像の美しいこと、美しいこと。多分、読み解いていくとすごい膨大な見方ができる深いテーマと、別にそんなことを気にしなくても十分に楽しめるエンターテインメント性の両方が高いクオリティとしてあるので、きっと何度みても面白い発見があるだろうな。

それで、観ていたときにすごく気になったのが、ナボコフの小説「青白い炎」。この本が前半のシーンで3度ほど登場していたことだった。主人公のK(カフカを連想させる名前だ。それと原作のフィリップ・K・ディックのミドル・ネーム頭文字Kも絡めていそう)が自分のアパートで、ホログラム映像の恋人ジョイ(演じてるアナ・デ・アルマスがめっちゃカワイイ)と一緒に過ごすシーンの中、部屋のすみに置かれた小さなテーブルの上でその本を手にとる場面がある。話が進んでいくなかで、架空の存在である恋人ジョイがすっかりKの心の中に存在して、架空の存在(データで存在するだけ)であるはずのジョイもKに対して心を寄せていくようになる。この現実と非現実の入れ替わり、逆転する点は、ナボコフ「青白い炎」の設定と同じ構図がある。小説の中では、ナボコフが作り出した架空の詩人の書いた詩と架空の批評家の書いた批評が、交互に並びあたかも現実にこの二人が存在しているかのような錯覚に陥る。
ああ、きっと監督はこの本を小道具として使い、それを観客に見せることで、現実と架空の世界のパララックスがストーリーの中にあることを示唆しているんだろうな、と思って調べてみると、実はもひとつ「青白い炎」が大事な場面で関係していた。映画では「post-traumatic baseline test」という感情の振幅を測るレプリカント用の尋問テストがあって、レプリカントのKが仕事を終えた後、このテストを受けているシーンが出てくる( 何度も "Interlinked, Interlinked... " と答える殺伐としたシチュエーション)。映画のなかでも非常に印象に残る場面だ。そのテストに使われる言葉が「青白い炎」の一節から引用されているということらしく、ちょっとこれすごく面白そうなんで、も少し調べて書いてみたいと思った。
映画がすごく長かったんで、ちょっとしばらく濃い映像はいいや、みたいになっていて、いまは簡単なメモだけでも。


映画の中で出てきたナボコフの「Pale Fire / 青白い炎」
nabokov-pale-fire.jpg
Wideview / Perigee Books (Putnam Publishing Group)
画像は右リンクより: https://www.therpf.com/showthread.php?t=276755&page=3


Blade Runner 2049 - Baseline Scene

*0:30からpost-traumatic baseline testのシーンがある。
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