2017年10月08日

銀塩写真にさようなら

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東チベット、カム地方「甘孜(Ganzi)」にて


僕はフィルム、銀塩写真で写真を始めたから、当初デジタル・カメラの写真には懐疑的でいた。初期のデジカメはほんとひどくて、まず解像度がとても低く、印刷原稿用に使うとスミ(シャドー部)が抜けメリハリがなかったり、また製版時にはモアレが発生しシャープネスが全然なかったりして、そうしたいろいろな悪印象がずっと残っていた。そのおかげでデジカメに移るのがやや遅れた。しばらくの間はフィルム・カメラの持つノスタルジーから抜けれず、そうしている内に、もうすっかり印刷機械もデジカメ対応になっていて、フィルムで撮ったとしてもデジタル・データにしなければいけなくなっていたりと、ある時期を境にして、一気にフィルムが片隅に追いやられてしまったように見えた。

このBLOGで書いていた「光と影の遠近法」というくくりでは、自分なりに写真についての考えをまとめようとはしていたけれども、フィルムの時代に形成されていた、いわゆる写真論的なものは、デジタルに以降してからは、何の意味ももたなくなってしまったように思う。スマホのボタンを一つ押せば、すごく綺麗な写真が、誰でも、何の工夫もなく撮れてしまうようになって、それは技術の進化でいいことなんだけれども、反面、時間をかけ失敗を繰り返し、そして試行錯誤しながら技術を習得して、その末にでき上がったものが持つ「何か」というのは、デジタルのビット上ではほとんど再現はできない。またそんなわずかな違いは、もう誰も気にしやしないし、求めてもいないだろうとは思う。

「写真を撮る」という行為が非日常だった頃と比べると、今は全く逆で、「写真を撮らないこと」の方が非日常だったりする。カメラと被写体の間にあった関係性や距離について考えをめぐらせるというのは、セルフィーなんかが当たり前になると一切必要なくなって、そういったものはかえってわずらわしくなってしまう。それでも、粒子が光に反応し画像を形成する銀塩のプロセスというのは、何か思考の層、そしてそのズレを生む要素があって、反転したネガの世界を透かし見ると写真には写ってはいないある含みが、それを見る人の心の中でふっと湧き上がる、そういう楽しみがあるような気もする。

デジカメで撮った写真はフォトショップなんかを使えば、けっこう自由自在に何もかもが調整できるんだけれども、フィルムで撮った写真というのは物理的に変えられないところがあって、撮り手のイメージするヴィジョンに近づけるには、限定的な方法しかない。プリント作業というのは、とても面白く、自分の撮った写真(ネガ)ではあるが、いざプリントをする際にはそれらを客観的に見るようになる(あるいは客観的に見れるようにならないといけない)ために、撮った瞬間の勢いや熱というものを取り除いて冷静に(撮影した)写真を見ることができる。たしか写真家のエドワード・ウェストンだったと思うが、銀塩プリントのことをうまく言い表した言葉がある。「ネガは楽譜で、プリントをする人はその演奏者だ」みたいなことを言っていた。今回は、銀塩写真のプリントをどうやって作っていったかということを、一枚の写真を例にし、ちょっとマニアックに書いてみたいと思う。僕自身、もう引伸ばし機やプリントの道具は手元になく、この先こういったこともきっと書かないだろうし。そっと思い出深い箱をこうして閉じる。


上の写真は、東チベットの甘孜(カンゼ)という街で撮ったもの。「雅龍江(ニャクチュ)」沿いに川蔵公路(北路)が走り、ここはこの街のいいロケーションの一つだった。右手に見える崖の先あたりで、鳥の群れが旋回しながら飛んでいたので、僕はここの川沿い風景の中で鳥たちが一斉に飛び立っていく、そういったシーンが撮れるんじゃないかと期待して、小一時間ほどこの場所に立ちカメラを構えていた。しかし鳥の群れは同じ場所で延々と、のんびりと鳴き声を聞かせるだけで、一向にそこから離れる気配がなかった。しびれを切らした頃、ふっと一羽の鳥が背後から飛び抜けていった。そこで思わずシャッターを切った。いつでも撮れるようにと、構図だけは決めていたのでファインダーの中では鳥の位置だけをしっかり見ていればよかった。本当は一羽のあと数羽続いているような絵が理想的だったけれども、フィルム現像後にとったコンタクト・プリントを見ていると、一羽だけで十分に良かったように思えた。


フィルム現像
フィルムはKODAK社のPLUS-X。現像液は同じくKODAKのD-76、1:1の希釈。ブロニフィルムを4本処理した500mlに、新しいD-76を200ml、そして水200mlを加えた計900mlで2本処理している。液温は19.6C、現像時間は11分。フィルムの現像液はやや疲労している方がシャープネスが増し、かつハイライト濃度が上がらず、シャドー部の描写も良くなるので、PLUS-Xのように粒子の細かいフィルムの場合は、ネガの粒状性が荒れず、さらに階調が柔らかになる。ただ、あまり疲労し過ぎた現像液を使うとネガにカブリが生じるので、このあたりは、何度もデータを取った上で、常に同じような状態で仕上がるようにしている。もひとつ、撮影時の露出状況なども関係するので、オーバー気味で撮ったフィルムの場合は軟調気味に、やや露出不足になったフィルムの場合は現像液の希釈を低くし、ネガの濃度を上げるなどの調整はしていた。


コンタクト・プリント
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色シールは、引き伸ばしプリントする度に貼っていた。納得いくプリントに仕上がるまでの回数みたいなもので、シールの数が多いほどこだわりがあったのだと思う。コンタクトプリントに使った印画紙はフォルテ社のポリウォームトーンRCタイプ。コンタクトプリントに使うにはもったいない位クオリティのいいRCペーパーだった。この後フォルテ社がなくなったか印画紙製造をやめたため、コンタクトプリントにはオリエンタルかイルフォードのRCペーパーを使うことになった。


プリントの指示メモ
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コンタクト・プリントのトーンを基準に、まずテストプリントを作成し、それを見ながら焼き込みや覆い焼きなどの露光時間を決めてゆく。上画像の一番左にある「N」の文字はネガの濃度がノーマルという意味で、「19.8」はネガキャリアの高さ。ネガ濃度によって(基準となる)露光時間が変わってくるため、ネガのコンディションは露光時間とセットにして記入していた。右側の「2.5号」はマルチコントラスト・フィルターの号数。「38秒」は露光時間。撮影した時点でほぼ光の具合はよく、遠景にかすむ山並を覆い焼きで少し濃くし、上部分の雲の濃度をやや強めている。


Print Data & Process:

引伸ばし機_ USA製の集散光式(機種名忘れたんで、調べて追加修正しときます)
引伸ばしレンズ_ ドイツ・シュナイダー社製「コンポノン-S F5.6/100mm」をF11で使用。開放値から2段絞った数値が、最もレンズの性能が発揮される(と言われていた)。
*このレンズ、すごく描写がいいんだけど、一般的な引伸ばしレンズよりも高かったのと、確か当時(大阪では)取り扱い店がなかったので、輸入元だった本庄株式会社へ直接買いに行った記憶がある。

印画紙_ ハンガリー・フォルテ社製「ポリ・ウォームトーン・プラス(グロッシー)」の11 X 14 inch(大四切)。バライタ紙。エマルジョン・ナンバーは 610511。フォルテ社の印画紙は銀の量が多く黒の階調が豊かだったので、お気に入りの印画紙だった。ウォームトーンは印画紙ベースがアイボリーがかって上品な仕上がりになる。ただ、けっこうクセのある印画紙で、乳剤番号によってバラつきがあったり、感度が低い為ハイライト部の焼きこみにやや苦労した。

印画紙用現像液_ KODAK社「デクトール」800ml に水 1,750mlを加え、総量 2,550mlで使用。通常の1:2の比率よりやや希釈している。多分、現像のスピードをほんの少し落とすためにそうしたのだと思う。現像時間は2分30秒。
印画紙用停止液_ 90%酢酸50mlに、水を2,750ml加え、総量 2,800ml で使用。
印画紙用定着液_ B.J.P 2浴式。第一浴・第二浴、各2700ml。定着液は自分で処方したものを使っていた。この定着液は「酸性非硬膜」タイプ。市販のコダックやフジのものは、酸性硬膜タイプだったので使わなかった。イルフォードの定着液が硬膜剤を添加するタイプだったので、このB.J.P.と近い感じだが、それやとなにせ高くつくので自家処方になった。硬膜なしの定着液にはいくつか利点がある。それは、定着後印画紙に残る残留ハイポの水洗がすみやかに出来ること(印画紙劣化の原因になる=時間がたつとセピア色に変色するモノクロ写真は、このハイポがきちんと水洗できてないために起こる)、そして、印画紙表面のゼラチン層とその下のバライタ層が硬膜されず、固くならないので画像を形成している銀がヴィヴィッドな状態であること。気をつけなければならない点は、硬膜処理されていないため、ゼラチン層が柔らかく水洗中に傷がつきやすくなる。と言われていたが、実際はさほど水洗に気を使う必要もなかった。処理時間は第一浴が4〜4分30秒、第二浴が4分30秒〜5分。
* バライタ紙で印画紙の面積が大きくなると定着ムラや定着不足が起こりやすくなるので、2浴式というやり方でしっかりと定着を行っていた。
水洗促進剤_ FUJIのQW。1500ml。
水洗_ 水道水

* 水道水以外の液温は20-21度。

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2017年10月06日

カズオ・イシグロの短編「戦争のすんだ夏」がネットで読める



ノーベル文学賞、今年はカズオ・イシグロなのか。
生まれと育った国が違って、オリジンの方ではない言葉で
生きていくってどんな感覚になるのか気になるところだけど、去年のディランといい、いわゆる典型的な「文学的」なものから、ちょっとずつ選考基準のなかにグローバルな今の社会状況なんかを反映させようとしているのかな、とか思ったり。


"Summer after the War" Kazuo Ishiguro
https://granta.com/summer-after-the-war/

(たまにのぞいてた)イギリスの文芸サイト?「GRANTA」に、カズオ・イシグロの短編が3つくらいアップされている。このサイト、有料じゃないと見れないのもあるけど、けっこういい作家の(収録されてないような)小説やレビューがあって、充実している。New Yorker にあると思ったんだけど、そっちにはなかった。


短編 "Summer after the War" は、小野寺健さん訳による「戦争のすんだ夏」という邦題がついて、1990年12月号の「エスクァイア(Esquire)」に掲載されていたみたいだ。多分、この短編小説、日本ではこの雑誌だけでしか収録されなかった作品だと思う。

カズオ・イシグロ
(翻訳タイトル・リスト)
http://ameqlist.com/sfi/ishiguro.htm



Kazuo Ishiguro, The Art of Fiction No. 196 (the Paris Review)
https://theparisreview.org/interviews/5829/kazuo-ishiguro-the-art-of-fiction-no-196-kazuo-ishiguro?_ga=2.37159971.202434243.1507214976-1146833179.1504634603
つっこんだインタビュー記事で知られる「パリ・レヴュー」のインタビュー。バックナンバーは途中まで読めるが続きは有料だったりする場合が多い。

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2017年10月04日

世界の鉄道:洪水のあと、一面水世界となった平野を走る列車(タイ)

ThailandRail-AfterFlood-2011.jpg
* 下動画からのキャプチャー画像

今年の 8/29、インドを襲った豪雨により大都市ムンバイは冠水し、ニュースサイトなどではこのときの街の様子が大きく取り上げられていた。インドの人たちは大きな災害に見舞われた、というよりも、いつもよりちょっと雨が多いね、みたいな感じで、さほど驚いているでもなく、水に沈んだ街の中を行き来していて、バスやトラックなんかも半分くらい浸かりながらも平気で走っていた。このあたりのたくましさというか、感覚の違いって、ちょっとしたことで大騒ぎする日本とは正反対で、都市インフラの精度の高さと快適な安全性に守られることは、人間的というか、人が本来持っている野生性を蝕んでいるように感じてしまう。

下動画は、2011年、タイで洪水が起きたときのもの。進出していた日本企業の工場などが大きな被害を受けたので、日本でも大きなニュースとして取り上げられていたので、この話題、覚えてる人もきっと多いだろうと思う。つい2、3年前のことだとばかり思っていたけど、もう6年も経っていたんだ。この洪水によってタイ平野部は広範囲で水没し、線路だってもちろん水の中。しかし、そういった中でもタイの列車は関係なく運行するもんなんだなと、あまり見慣れないこの類の映像を見ながら思ったり。もしかしたら当時の報道のときに、この動画が少し流れてたような記憶もしつつ、どうやったかはすっかり忘れてしまった。まぁただ、明るい太陽の下、緑がちらほらと見える中で、しぶきをあげながら静まった水面を走る鉄道の映像は「千と千尋の神隠し」の後半シーンを思わせるものがあって、ちょっと異世界っぽく見える。



SRT : Thailand Big Flood 2011 HD , รถไฟไทยลุยน้ำท่วม 19.10.2011
posted by J at 12:00| Comment(0) | 世界の鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする