2012年09月03日

ジョソールからコルカタへ(1)

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夜だけれども、昼のような明るい街灯。

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ホテル・マグパイ(Hotel Magpie)を南に下ったKashoblal Rd.沿いにある揚げ物屋。薪と炭の強い火力で揚げているので、皮はかりっと香ばしく具はしっとり柔らかくて美味しい。

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街には花屋が多い。国境のベナポールの周辺には花畑が広がっていて、生花の生産地になっている。

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ホテル・マグパイ(Hotel Magpie)前。

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ドラタナ・モール(Doratana Mall)はけっこう遅くまで賑わっている。

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早朝の街。

ジョソールは今回の旅でバングラデシュ最後の滞在となった街だった。地理的に見ると、ジョソールはバングラデシュの南西部にあり、同国の首都ダッカよりもインドに近い場所にある。また、インドとの国境であるベナポール(Benapole)へのアクセスが容易で、中継地として賑わっている。


この街に立ち寄ったのは、ビザの期限が翌日に迫っていた為、明日中に必ずバングラデシュを出国しなければならなかった。なので、インドとの国境に近いこの街で、荷物と若干の気持ちを整えるため、ゆっくり一日を過ごしたかった。わざわざこの街で一泊せずとも、ここに来るまでに滞在していた(遠方の)街からはるばる移動し、せわしなく国境を越えインドへ行くというのも悪くはないが、バングラとはまた違った文化圏に移動するのだから、気持ちをいったん切り替えるためにも時間の区切りが必要に思えた。ま、ようやくバングラデシュの勝手に慣れてきた頃だったので、これまでの思い出深いバングラDAYSを、ここジョソールで一日かけて反すうしようということです。

ビザの期限の日の朝がやってきた。いつもより幾分早くに目が覚めた。すでに胃が半分ほどくっつきそうで、お腹の中でぺしゃんこに潰れたパン袋がぶら下がっているような感じだった。朝食をとるために勇んで外へ出てみるが、街にひと気はなくリキシャがまばらに走っているだけで、しんと静まり返っている。まるでこの日僕が街を去ってしまうのを悲しんでくれているような静けさが漂っていた、というわけはなく、ただ単に時間帯が少し早かっただけだ。ホテルの近くには開いている食堂はなかったので、仕方なく、ドラタナ・モール(Doratana Mall)の北、ボイロブ川(Bhairab River)を越えたあたりまで足を伸ばした。橋を渡るとエコタ病院(Ekota Hospital)というちょっと目立つ建物があり、この病院のすぐ隣で一軒の食堂が営業していた。朝早くからありがたい。エコタ病院の外観だけを見ていると、三軒茶屋にある古い映画館の前に立っているかのような、どこか懐かしい感覚がした。

バングラ・スタイルでの朝食は今日で最後になるなのだから、たらふく食べようと決め、店に入った。夕方にはきっとコルカタに無事着いて、インド料理を味わっているだろう。ここが本当に食べ納めの店だ。店奥のテーブルにつくと、若いウェイターがやって来て注文をとる。ダルとルティ、そして入口で美味そうに焼いていたスクランブル・エッグを頼んだ。間もなくしてテーブルに3品が運ばれてくる。熱々のルティを傷だらけの皿に押さえ、右手の指先でちぎりながら、スパイスの効いたダルに付けて口に放り込む。一皿平らげるごとに、お代わりのもう一皿を頼んで、というのを何度か繰り返すと、5皿目以降からは僕が手をちょっと上げただけで焼きたてのルティがテーブルに届くようになった。テーブルに皿が積み重なるのを見て、「わんこそば・ザ・ルティ大会」のような食べ方になっているぞ、と思うも、なかなか手を止めることが出来ない。もしも、そんな世界大会があったなら、日本代表として是非とも参加してみたい。きっといい成績が残せるだろうと思いながら、10皿目に手をつけた。ルティはこれぐらいにして、最後はショーケースに並んだミスティ(バングラデシュのデザート)をいくつか注文した。11枚目を期待していたウェイターはやや残念そうに、ルティの空き皿を片付けにやってきた。ミルクとココナッツと砂糖の練り物のような甘いデザートを頬張ったところで、胃袋から満足したというサインが届く。最後の最後に、チャーを頼んで一息ついたあと店を出て、宿へと戻った。


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ベナポール国境へ向かうトラックの列。積載超過!

■ ジョソールからベナポールへ

泊まっていた「ホテル・マグパイ」をチェックアウトし、入口付近でリキシャを拾う。そして、ベナポール行きのバスが発着している「ベナポール・バス・スタンド」へと向かった。ベナポール・バス・スタンドは、ジョソールの中心街から南西に約3kmの場所にある。リキシャはジョソール駅のある南の方角に向けて軽やかに進み、線路を横切ったあと緩やかな弧を描くように道なりに走る。20分弱ほど経ったところでペダルが止まった。目的のベナポール・バス・スタンドに到着だ。運賃20タカを渡し、リキシャを降りる。ここは、バス・スタンドといっても、三差路の一角に空き地と売店が数軒、リキシャワラがたむろしているだけのもので、もし、ここにバスが停まっていなければただの交差点ぐらいにしか思わないような場所だった。すでにベナポール行きのバスが一台停車していて、間もなく発車するところだった。バスの呼び子は一人でも多く乗客を集めるために、バスに近づいた人を見つけるや腕をつかんでバスの中に押し込めようとする。まるで海底のイソギンチャクが手当たり次第に動くものを、その触手にからめとっているような様相だ。つかまった人がバスに乗るかどうかの確認などせず、強引に乗せようとするものだから、バスの入口では双方の罵声の応酬があり、とにかくうるさい。僕も半ば無理やり押し込まれたのだけれど、満席で座れなかったので一旦降りて次のバスを待つことにした。ベナポール行きのバスは、わりと頻発している様子で30分毎にあるとのことだった。

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ベナポール行きバスのチケット


次のバスはすぐにやってきた。そこそこに乗客が揃ったところでバスは発車した。
時刻は9時20分。
・9時30分、ニュー・マーケットと呼ばれる場所を通過。
・9時35分、ジゴロ・カサール・ポリシャル・マーケット。左手に華やかな装飾をした美味しそうなレストランが見えた。ここから10分ほどを走ると、今度は右手に「GOLD BRICK」という名のレンガ工場が見える。入口付近にはレンガの側面に、工場名の「GOLD」という文字が刻印されたレンガ・ブロックが積んであり、レンガなのに金塊みたいな刻印をしているのがおかしく思えた。このレンガをインテリアにしたら、すごく人気が出るんじゃないかと思う。ひとつ、持って帰りたい衝動にかられるが、ここでバスを降りるわけにもいかずあきらめた。
・9時54分、ゴッダリボール。稲の畑の中に赤・白・黄の花が点在していてとても綺麗な車窓景。ところどころでポテトを収穫している風景も目に入った。
・10時05分、シャッティガ・バスステーション(多分、シャトキラの聞き間違いです)。ここは、ベナポールの約40km南にあるもう一つのインドとの国境「シャトキラ」との分岐点になっている場所だそうだ。
・10時15分、ナヴァランズ・マーケット(Navaran's Market)。このバス・スタンドを境にベンチや屋根のついた、ちゃんとしたバス停が続く。それまでは、バス・スタンドと言っても名ばかりで、集落の中にバスが停車しているだけだった。インドに近づくほどに、設備がしっかりとしてくるのがひと目でわかる。
・10時21分、シャルシャ・マーケット(Sharsha Market)。ナヴァランズ・マーケットからこのバス・スタンドまでの区間は、遠くに花畑が広がっていて彩りがとてもいい。この一帯は花の生産地で知られているとのこと。ジョソールの街に花屋が多かったのはこういうことだったのかと気づいた。
隣席の男が、ここまでの通過した地名などを教えてくれていた。元はと言えばバスが停車するたびに、僕がここはどこだ?と尋ねていたからで、そのうちに向こうから勝手に説明してくれるようになった。男は「もうすぐでベナポールだよ」と言い残してここで降りていった。

10時30分、道がぐんと広くなりトラックの数が増えはじめる。国境に近づいてきただろうという気配。そして、10時35分、ベナポール着。バスは路肩に寄り停車した。トラックの往来だけが激しい。ここから国境まではまだ少し距離があるようで、バスの運転手は「あれに乗っていけ」と一台のバンガリを指さした。僕は荷を担ぎ、バスを背に歩き始めた。行く先を望むも、ただトラックが連なっているだけで国境まではまだまだありそうだった。すぐに徒歩をあきらめバンガリを探すことにした。そこへ、ちょうど一台のバンガリが通りかかったので、停まってもらった。誰も乗っていない広い荷台の上にバックパックを乗せたあと、飛び乗った。荷台の隅に腰かけ、カラコロと回る車輪の音を聞きながら、少しづつバングラデシュの端っこへと近づいているのだと感じる。時間にしてそれほどでもなかったけれど、国境地点まではそれなりの距離を走った。トラックの渋滞が続き、もうこれ以上進めないところになると、バンガリの運転手はペダルを漕ぐのを止め、国境についたことを僕に知らせる。僕は荷台からひょいと降り、再び荷物を担ぐ。運賃5タカ(けっこう走ったので10タカ渡す)。そして、トラックの隙間を歩きながら国境のゲートに向かった。ここに並んでいるトラックのほとんど(8割程)はTATA社の車両で、あとはASHOK社のものだった。もうすでにインド製のものが占めている。

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インド側から来ると、イミグレ入口に「Welcome Bangladesh」の歓迎のモニュメントが見える。

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バングラデシュの国境モニュメント裏にある大きな木。ゲートの先はもうインド。


■ ベナポール・バングラデシュ出国

トラックの長い列を抜けると、正面に国境のモニュメントが現れた。バングラデシュの国旗を模したタイル張りの小さな塔が国境ゲートの正面中央に建っている。モニュメントの裏には大きな菩提樹が空に向かって伸びている。木々は等間隔に植えられていてインド側へと続き、立派な並木道になっている。上を見上げると、なんというか、無尽に広がった枝葉がまるで根っこのように見えた。大きな木が空から落ちてきて大地に突き刺さったかのようで面白い。国境という事務的で整然とした場所だけに、普段あまり気にとめないようなところに目がいってしまう。

緑の屋根のつくる木陰に入り少し涼みながら、バングラデシュ側、インド側を交互に見る。あまり長くここに突っ立っていると警備兵らの視線がやや気になるので、ほどほどにして、出国の手続きだけでも先に済ませることにした。インド側に向かった右手に、バングラデシュのイミグレ(白い建物)があり、建物へと足を向ける。入口から建物に入ろうとすると、係員に「レシートを見せるように」と言われ手前で止められた。「持ってない」と答えると、男は自分の左背後方を親指でさして、この建物の裏で「出国税」の支払いを済ませるようにと言った。そして、その支払い証明書(レシート)を提示してくれとのことだ。男が示した建物裏からは、黄色い小さな証書のようなものを持った人が現れて、入口でそれを見せたあと中へと入っていった。バングラデシュを陸路で出国する際には、出国税というものを払わなければならない、というのは漠然と知っていた。「やっぱりいるのか」と、2008年にバングラデシュ北部のブリマリ国境を通過したときに出国税を払ったことを思い出した。このときは良くわからないまま、手数料を上乗せさせられ支払ってしまったので、印象が悪い。少し、ここを通る人たちの様子を見ていると、バングラの人もインド人も皆一様に支払っていたので、そういう決まりがちゃんとあるんだと分かった。

(この出国税は、僕がバングラで不思議に思うことのひとつです。何年か前までは、旅行者の間で、出国税を払ったという人や払う必要はなかったという人、あるいは外国人がその対象だとか、などという話があったりしてその真偽がよくわからないものだった。以前、在日バングラデシュ大使館の人にこの出国税について尋ねたことがあるのだけれど、そのときは「何それ?」といわれ、大使館の人でも知らないのかとびっくりした。なので、法律上の規定があるものかわからないままでいた。)

出国税を支払う前に、ひとつ忘れていたことを思い出した。手持ちのバングラデシュ・タカをインド・ルピーに両替すること。この先ではもう、バングラの通貨は使えない。一度イミグレを離れ、その隣にある両替商に向かった。いくつかの店でレートを確認し、一番レートの良い店でバングラデシュ・タカをルピーに替える。レートは100 TAKA = 60.10Rsだった。もちろん、出国税で必要な300タカだけは残しておいた。バングラデシュの通貨は隣国インドでも評価はそう高くはない。外貨に替える場合に少しハンディがある。なるべく手持ちがなくなるよううまく使いきっていて正解だった。両替を終え、またイミグレへと戻る。そして、建物脇にある窓口に行って、出国税の支払いを済ませレシートを受け取った。レシートといってもただの紙切れではなく、偽造がされないように印刷されたしっかりとしたものだった。なんで、建物の中でなくこんな隅っこでやるのだろう、まるでパチンコの景品交換所みたいだ、と思いつつ入口へと向かい係員にレシートを見せる。男は軽く首をひねって、行っていいよと言った。レシートを右手に持ち、ひらひらとさせてイミグレの中へと入る。膝丈ほどのテーブルが並んでいて、そこへ荷物を置いた。テーブルと事務用品しかない殺風景な空間だ。簡単な荷物の検査が終わり、出国手続きの書類を書いたあとパスポートと合わせて職員に手渡す。が、職員はパスポーのビザのあるページを念入りに見つめたままで、すんなりとスタンプを押してくれない。何か問題でもあるのか、と内心あせりはじめた。僕は唇をとじたまま平然の顔を装うが、皮膚の裏側ではひんやりとした汗が流れていた。入国審査が厳しいのはわかるが、出国がシビアになるなんて思ってもいなかった。

男はパスポートのページをめくりながら何度も何度もビザと出入国スタンプのあるページで手を止め見比べる。僕は、じりじりと追いつめられているような感覚になっていた。一秒が長く感じられる。男の口元がにやりと緩み、僕の緊張もふっと降りた。「今日でぎりぎり最後の日だな」と、ふくみのある笑みを浮かべたあと、パスポートにスタンプが押された。もしかして、えらく時間をかけて有効日数を数えていたのか?と拍子抜けしたが無事に出国完了。受け取ったパスポートのスタンプを改めて確認する。楕円のスタンプの中にくっきりと「DEPARTURE - BENAPOLE CHECK POST」の文字と、当日の日付の刻印が記されていた。そしてイミグレを出て、インド側のゲートへと向かった。

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インドの門扉。国境という国の玄関で、国の顔ともいうべき国旗の看板なはずなのに、、雑すぎる。

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入国手続きを終え、無事インド入国。足取り軽く、トラック用の道路をしばらく歩き続ける。途中、バングラデシュ側を振り返ったところ。


■ ハリダスプール・インド入国
バングラデシュのイミグレに背を向け、横目でバングラデシュ方向をちらりと見ながらインド側のゲート(ハリダスプール国境、ぺトラポールともいうようです)へと向かった。ゲート上にはマリーゴールドの花飾りが掲げられていて、その下をくぐり抜ける。古びた鉄柵を通り、イミグレの前へ。建物は漆喰の白壁で、木々の落とした緑の影が、壁を染めるように揺らいでいる。中へと入る。建物はあまり日当りがよくないせいか、湿り気を感じ少しかび臭さがあった。ただ、周りに生えている樹木の匂いが強かっただけかもしれない。さっそく、入国の手続きをしようとカウンターにいた男に話しかけると「ここは輸送業者用の受付で、あんたは隣だ」と言って、書類を手にしたまま指をさし示す。針金で作ったかのような細い眼鏡フレームからは丸い大きな眼がのぞいていた。僕はトラックドライバーには見えないらしい(当たり前だ)。

奥の部屋へと伸びた通路は、扉が開かれていたもののその先は真っ暗で、事務手続きをするような部屋があるようには思えなかった。使われていない倉庫がある、ような雰囲気で、踏み入れるには躊躇する。足よりも先に首が伸び、まず部屋の中の様子を伺った。部屋の左側上に一箇所だけある小さな窓からわずかな光が差し込んでいる。その柔らかな光が、床に降り積もった塵を照らし、静かに攪拌している。目が薄暗い部屋に慣れると、部屋の様子がおおよそわかった。半身踏み入れてみるが人の気配はなく、奥にあった長い机の上には大きな布がかぶせられ、数世紀前に描かれた静物画のような陰影をつけ、山をつくっていた。

本当にここでいいの?と思った矢先、背後に人の気配がした。そして、まるでこぶのついた木の枝のような細い腕がスッと前に伸び、進むようにと指し示す。「もうひとつ奥だよ」と、小さな声がうしろから聞こえた。振り返ると見知らぬ男が立っていた。いつの間に。浅黒い肌にはケバケバしい色のシャツが良く似合っていた。「誰だ、お前は」とは口にしなかったけれども、きっと僕のけげんなまなざしを察したせいか、その男は落ち着いた口調で「入国するんだろ?大丈夫、もし分からなければ手続きの手伝いをするから、気にしないで」と、僕の警戒を解くように話しかける。「さ、こっちだよ」と言って僕の前に立ち、手招きをしながら、さらに奥の部屋へと入っていった。

「こういうのが一番安心できないんだよ」と思いつつ、まだ、イミグレの窓口にたどりつけてもいないので、男のあとをついていく。次に入った部屋は、さらに真っ暗だった。この部屋には窓がなく、入口扉から入る光だけが唯一中を照らしている。ペパーミント色の壁が深緑に見える。長いカウンターが正面にあり、さっきの部屋のように大きな布がかぶせられているが、半分ほどずり落ちていて間からは書類や分厚い本がのぞいていた。しかし、人がいる様子はない。迷路みたいなイミグレだ、いつになったらたどりつけるんだろうか?と、もしかすると建物を完全に間違えて入ったんじゃないかと思った。男は一度部屋を見渡したあと、カウンターに向かって、二言三言何か言った。すると、カウンターの奥で人影が動いた。やがて、影はゆっくりと伸び、あごひげの伸びた小柄なおじさんがカウンターの中に現れた。おじさんは、ここで仮眠していたんじゃないかと思うような表情で、どうもまだ身体がぴたりと静止できず小刻みに揺れている。

さっきの男が、このおじさんに話しかけ白い紙を受け取った。「これに記入して」と、僕にその紙を手渡す。手に取るとそれが入国審査の書類だった。カウンターに積まれていた本を少しどかして場所をつくり、書類の項目にひと通りを記入する。そして、おじさんに手渡した。書類を受け取ったおじさんは、軽く書類に目を通し、「パスポルト」とインド訛りの強い英語を放ち、手の平を差し出した。僕はパスポートを取り出して彼に渡す。そしてパスポートに入国のスタンプが押されるのを待った。おじさんはカウンターの奥で何やらごそごそとやっている。手際はものすごく悪そうなのだけれども、それに反してパスポートはすぐに返ってきた。まばたきを数回しないほどの早さだった。書類だって内容の確認はしてなさそうだったし、なんてイージーなんだ、と思う間もなく「Go!」という声が聞こえた。おじさんはさっさとまたカウンターの奥へと沈んでいた。「え、荷物の検査はしなくてもいいの?この数年でインドはテロに対するセキュリティが厳しくなった(2008年のムンバイでの同時多発テロがあって以降)って聞いていたんだけれど」という僕の心配はここでは無用のものだった。わずか30秒もたたないうちに入国の手続きがすべて終わっていた。きっと、日本の会社の受付なんかの方がもっとセキュリティは厳しいんじゃないだろうか。まぁ、僕としては、こういういい加減さは大歓迎なのだけれど、国として考えたらけっこう心配になるよなぁと、首をかしげながら出口を探した。さっきの男がまだぴたりとついてくる。まだいたのか?と顔を見ると、「Welcome, India!」と肩を叩いてきた。どうも、イミグレの職員ではなさそうだ。


■ ハリダスプールでのこまごまとしたこと

あっさりとインドへの入国手続きが済んでイミグレを出た。入国書類の手助けをしてくれた男が、まだぴたりと付いてきていることがやや邪魔だったが、ひとまず国境を通過したことで肩の荷が下りた。インドへ入国した、という実感はまだわかない。インドとバングラデシュの時差は30分なので、時計の針を半周巻き戻す。11時15分。国境のラインをまたいで、わずか数十メートル移動しただけで、時間が30分も短くなったというのは何か変な気分だ。この調子でどんどん国境線を越えていけば、若返っていくんだろうか? パスポートをポケットにしまい、あたりを見渡す。今旅でバングラデシュとインドとの国境を4箇所訪れたが、規模の大きさでは最後に通過したこの国境(ベナポール〜ハリダスプール)が最大だ。ここを通過するまでに訪れたバングラデシュとインドの3つの国境はとてもローカルなものだった。バングラ東部にあるコットクバザール、マイメイシン以北にあるゴブラニクラは国境というよりも関所といった雰囲気があった。もうひとつの国境はポッダ(ガンジス)川の中州だったため、周囲には何もなかった。これらのこじんまりとした様を見慣れていたせいで、この国境に漂う雑然とした感じはあまり落ち着かないものがあった。

トラック用の大きなレーンをはさみ、その向こう側に何やらにぎわいのある場所が見えた。二階建ての雑居ビルが数ブロック並んでいて、それぞれの建物には大小のカラフルな看板が何の規則性もなく掲げられている。看板は赤、黄、緑、青、この四色を基調に、ベンガル文字とアルファベットで彩られている。どれもが自己主張をした上、それらが思い思いの場所を埋めているものだから、遠目にはただの色の固まりにしかみえなかった。レーンを渡り近づいていった。僕はこの色彩の集まりの中から「Exchange」や「Transport」などの文字を探そうとした。ここに用はないので、なるべく早くにコルカタの中心地へと行きたかった。そのための両替と移動手段のバスが出てないかを見てまわった。さきほどの男も後ろから付いてくる。なるべく、視界に入ってこないようにあしらっていたつもりだったが、向こうもなかなかしぶとい。レーンを渡りきったところで、この男は自分が両替商なのだと名乗った。そして、僕の前にいきおい飛び出すと自分の店へと誘うセールストークがはじまった。「ドルでも、日本円でも、ポンドでもかまわない、望みのレートでOKだ」なんて言うも、実際はどうだかわからない。僕はドルのレートだけを聞いてその数字を頭に入れた。「わかったよ、少し他を見てみて君のところのレートがよかったらお願いする」僕は男の立っているのと反対側に身体を向けた。背中ごしに何やら数字のような言葉を連呼しているのが聞こえた。

国境という場所だけあって、いくつかの両替屋が目立つところに軒を並べていた。バングラデシュを出国する際、タカからルピーに両替した分がいくらか手元にあり、数えてみると179ルピーだった。これでは少し心細い。コルカタまでの移動費プラスアルファぐらいがあれば、今のところ十分だろうから、あと10ドル分を替えれば問題ないだろう。そう思い、各店ごとにわずかに違うレートを確かめ、その中からレートの良い店を選び、そこで10ドル分を両替した。レートは1ドル=44.30Rs。これは額面の大きい紙幣用のレートなので、10ドル紙幣の場合は若干レートが下がり、1ドル=44.00Rsになる。10ドル分の440ルピーが返ってきた。すでに替えていた分と合わせると600ルピーと少しになった。あとは、コルカタまでの足を探せばいい。両替屋の男にコルカタ行きのバスが出てないかをたずねた。男は僕の後ろを指差し、向かいの店にバス会社(ショハグ、グリーンライン社)の事務所があるよと教えてくれた。後ろを振り返ると、ガラス張りの店舗のようなものがあった。外から見ると、中に人影はなくがらんとした様子。歩いて行き、扉を開け中に入る。そこは緑がかったベージュ色のタイル床、青いプラスティックの椅子が数列並んだだけの簡易的な待合室だった。部屋角にはカウンターらしきものがあった。誰もいなかったので奥の部屋に声をかけると、中から男が現れた。男にコルカタ行きのバスが出ているのかをたずねた。はじめ男はベンガル語が出かかったが、その口をいったん閉じ、一度天井を見たあと一語一語を区切るような口調になった。英語にスイッチしたようだった。
「コルカタ行きなら、15時発だ」
「15時か」時計を見ると、11時半を周っていた。あと3時間以上もある。
「もう少し早い時間のはないの?」
「15時発の一便だけだ」と男は言った。
一便…、僕は何か聞き違いをしたのだと思い、改めて彼に聞きなおした。
「たったの一便? それだけ?」
「イエス。15時オンリー」きっぱりとした答えだった。間違いなくこの一便しかないようだ。しかし、なんで一日に一便しかないのだろう? それが疑問だった。
「で、運賃はいくら?」
「200ルピー」
「200か…」予想していた額よりもはるかに高い値段だった。地図で見るかぎり、この国境とコルカタの距離はさほどあるわけではない。高くてもせいぜい100ルピー程だろう、そう思っていた。200ルピーというのは約5ドル弱に相当する。これは長距離バスの運賃と同じくらいはあるけっこうな金額だ。ショハグ(グリーンライン)社のものだから、冷房のちゃんと効いた新しい車種、デラックス仕様だというのは壁にあった写真を見てもわかる。それにしても、200ルピーという金額は高すぎる。値段も値段だが便数の少なさもえらく不当に感じた。だいたいに、バングラデシュとインドとの国境の中で、ここが最も往来のある場所なのだから、もっと交通の便があっても良さそうなものだ。それがたった一本しかバスが出てないなんて、とこの部分がさっきからずっと引っかかっていた。もっとグレードの低い、安いローカルバスがどこかから出ているはずだと踏んでいたので、どのみち探すつもりではいた。僕のたずね方がまずかったことも少しはあるだろうか。そう思い、改めて聞き直してみた。
今度は言い方を変えて「コルカタまでの"ローカルバス"が出てないか?」という風にたずねた。
しかし、返ってきたのはまたしても「ノー」という返事だった。
「ここ(ショハグ、グリーンライン社)のデラックスなのものではくて、他社のでもいいんだ。何かあるだろう?」
しかし、返ってくる答えは先ほどと同じで、この一本しかないのだということだ。男はもういいか、と見切りをつけ奥の部屋へと戻っていった。僕は再び時計を見た。この何もない場所にあと3時間以上もいるというのは、非常に苦痛だ。一刻も早くコルカタへと行きたいという思いがよけいに強くなった。もし15時発の便に乗ったとしたら、コルカタに付くのは夕方になってしまう。そうなると移動続きの身体をゆっくりと休ませることができない。何としてでも、あと1時間以内にはバスを見つけ、日の明るいうちにコルカタまでたどり着きたい。待合室を出て、さきほどの両替屋に向かった。そこでまた同じようにローカル・バスのことを尋ねようとと思った。ここで働いている連中だって、一日一便しかない豪華なバスで通っているわけでもなく、何らかの方法でここに来ているわけだから、もっと色々な移動方があるはずだ。

両替屋に戻ると、さっきの男に尋ねた。
「あのバスは15時発の一便しかなく、値段も高い。ローカル・バスがどこか出ていると思うんだけれど」
「ローカル・バスはないなぁ」
「え? どこからも?」
「うん」
「ここからじゃなくても、少し離れたところにコルカタ方面のバスターミナルはないの?」
「うーん、ない」
まさか、こんな答えが返ってくるとは思わず僕は絶句した。ここまでのアクセスが簡単に見つからないなんて一体どういうことだろう? 両替屋を離れ、自分の目で周囲を少し見てまわることにした。きっと何かあるはずだ。そう思いながら小さな区画を歩いた。すぐにエリアの外れになってしまい、また引き返す。バス亭のようなものも見当たらなかった。もしかすると、本当にあの一便だけしかないのかもしれない、と思い始めた。のどが渇いたので、雑貨屋をのぞく。そこで紙パック入りの飲み物を買った。ストローをさし飲みながら、店のおじさんにコルカタ行きのローカル・バスが出てないかを聞いてみた。くたくたの白いTシャツがよく似合っている。「ローカル・バスは出てない」と同じような答えが返ってきた。やっぱりダメか。と紙パックの飲み物を全部吸い尽くし手の平で潰した。棄てる場所を探して目線を店の片隅に向けると、おじさんはおもむろに言った。
「あんた、コルカタへ行きたいのか?」
「うん、でもあそこのバスは高いし、15時発だから長い時間を待たないといけないんだ」と、ショハグ(グリーンライン)の事務所の方面を指差して言った。
すると「コルカタへ行くんなら、そこのオートリキシャでバンガオンまで行けばいいよ」とおじさんはさらりと返す。
「バンガオン?」
「ああ、駅だよ。鉄道の」あたりまえだろ、というような顔をしている。
「あ、そっか」僕はそこではじめて大きなことに気がついた。
「バンガオンでコルカタ行きの各駅停車に乗ればいい」おじさんは続けた。
「ありがとう」頭の中で一気に何かが解けたようだった。そうだった。インドは日本と同じくらいに鉄道が発達しているんだった。これまでにいたバングラデシュでのバスとリキシャの移動にすっかりと慣れていたせいで、そのことをまったく忘れていた。移動の選択肢は、バスだけなんだという思い込みしかなかった。これでひとまずほっとした。この瞬間、バスの待ち時間として棚上げにしていた「3時間」が丸々もどってきたような気分だった。今すぐコルカタに行ける! 気持ちがはやる。
「オートリキシャはどこで乗るの?」
「あのあたりだ。何台か溜まっているはずだ」太い腕を上げ、丸い指先が木漏れ日の向こう側を指した。
「ありがとう」
もう身体がその方向に向かって動きだす。そして急いでその場所へと向かった。

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孟加拉国・杰索尔 (庫爾納区)
バングラデシュ、ジョソール (クルナ地区)
Jessore, Khulna Division, Bangladesh
posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | The Border - Blog | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

国境・ポッダ川の中洲 -Banladesh to India, 2011-

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インド側からやって来たおっちゃん。ここはポッダ川の中洲なのだけれども、巨大すぎて見渡す限りの地平線。*インドではガンガー(恒河 / ガンジス川)と呼ばれ、バングラデシュに入るとポッダ川と名を変える。中国語では博多河と書く。

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ラジシャヒ側の中洲はまばらなブッシュ状態。

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インド側からラジシャヒの街に向かって続々と舟の乗客がやってくる。ここからインド側への船着場まで約3km以上はあった。

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■ 越境する男たち
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足を引きずるようにして歩いてたおっちゃん。この後、インド側へ出る舟に乗り込んだ。

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インド側からラジシャヒへと向かっていた兄ちゃん、ルフィーク。大きな籠を頭に乗せたまま、バランスよくすらっと歩いていた。

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ものすご怪しげなおっさん、イムラン。ファッションセンスが最高。川岸近くの茂みに咲いていたレンゲソウのような紫の小さな花を指差して、これはムスリーという名で食べれるんだと教えてくれた。摘んでいけば市場で2 TAKAで売れるような事を言っていた。このおっさん、話が終わると「ボクシーシ」と言ってきたので、「アホか」と一喝すると、「だよなぁ」と厚かましい自分に気づいたのか、空笑いしたあと大人しくなったのが面白かった。

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牛飼いの兄ちゃん。

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ラジシャヒ寄りの中州での放牧景。インド寄りの中洲では灌漑施設の設置と、耕運機を運び込んで土地を耕しているのが遠くに見えた。

インド側からラジシャヒに向かって歩いていた男たちは手の中にインドルピーを握りしめていた。バングラデシュで見るインドの紙幣は大きく頑丈そうに見えた。

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川の向こうにあるインド国境への道は、まだまだ続く。


 白霧がうっすらと漂うラジシャヒの朝。前日の晴天とは一転し、どんよりと漂う灰色の雲が青空に蓋をし、街に冷気を送っていた。そのせいで、身体の深くまでが冷え切っている。まるで冷蔵庫の中にいるようだ。上空から降り注ぐこの冷気を止める術を全く知らない。足元のアスファルトは、ぐいっと身を縮め、いつもよりも黒々と、硬直しているように見えた。床を拭いた雑巾でも投げつけたくなるような陰鬱な空だった。

 宿を出たあと、目抜き通りであるシヤヘブ・バザール通りのゼロポイントへと向かった。この角にある屋台で熱々のチャーを一杯やる。ミルキーブラウン色のチャーが注がれたグラスを両手で包み込み、その温もりを確かめるように口元へと持っていく。ミルクが血管に染み入り、ざらざらに溶けた砂糖が脳に向かって流れるも、まだ身体を暖めるにはいたらない。マフラーをぐるぐる巻きに被った男たちと、屋台の小さなテーブルを囲み談笑する。横にある鍋でふつふつと煮立つミルクを眺めながら、もう一杯を頼み、再度喉に流しこんだ。

 二杯目のチャーで身体が灯り、胸の中から熱くなる。指先にまで心臓のぬくもりが届くようになった。ようやく、身体に体温が戻ってきたところで、ゼロポイントからポッダ川のある方角に向かって歩き進む。住宅街を抜け、川に近づくほどに霧が濃くなっていく。白く透きとおった大きな壁の中をくぐり抜けていくような感覚だ。住宅地を抜けると視界が開け、霧の下をポッダ川が流れているのが見えてくる。乾季のため水量はおぼろで、ベージュの川底が浜辺のようになって眼下に入る。その中を、コールタールのような重苦しい黒藍色の水が流れている。河川敷では近くにあるラジシャヒ大学の女子学生グループが談笑していた。男子学生らが遠目からその様子を眺め、目当ての子に声をかけるタイミングを見計らっている。

 ポッダ川を覆う霧のカーテンを眺めていると、「向こうはインドだよ」と、近くにいた男が川の彼方を指さし話かけてきた。「あっちはインドになるの?」と返すと、「ああ、目の前の中洲を越えて、さらに川を渡ったらね」と返ってきた。そして「あの舟で渡っていけばいい」と、少し川下に見えた小さな船影を示して去っていった。舟のある川岸へと足を向けた。湿り気を帯びた川砂の上を歩くのは、足をとられる上に凹凸があるので、なかなか難しく、300メートルばかしを進むのにも手間取ってしまう。

 川岸には、一艘の小舟が接岸してあった。対岸に見える中州へと渡るものだ。20人は乗れるほどの大きさだ。まるで、沼底の泥を塗ったかのような重いねずみ色をしたこの舟は、見るからに浮力のないパッとしない姿をしている。一見、川の溜りに、朽ちた木の集合体が転がっている風に見えた。こんなものが、はたして浮くのだろうか。今にも沈んでしまいそうなこの舟に乗り込むには躊躇する。しかし、中洲へと渡るには、これに乗るしかなく、ためらっている間にも2、3人と客が集まり始めていた。客が幾人か揃うと、船頭は櫂を水面に下ろし、出発の準備を整える。「乗らないの?」と、首をひねって舟を指し示す。「沈まないよね?」と念を押して、舟に乗り込んだ。どうも、棺おけに足を突っ込むようで気が進まない。一人分、舟が水面に沈んだが、まだ大丈夫なようだった。

船頭は櫂を静かにひねりながら船首を中州側へと向け、舟を漕ぎはじめた。
*船賃は10 Taka。帰りは払わなくて済んだので往復の料金だと思う。

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中州をインド方面へ小一時間歩き続けると、荒涼とした砂地の世界が広がっていた。

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見渡しても何にもありません。一体どこまで歩けばいいの?とか、終わりの見えない道を歩くのに疲れ始めるが、けっこう歩いてしまったので今さら引き返すわけにもいかず黙々と進む(寒いので弱気になってます)。

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たまにまばらな緑が生えている。

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霧と地面が交わる水平線には、蜃気楼のような揺らぎが見える。彼方に人らしき姿が見えたので、「おーい」と叫んでみるが、気付いてはもらえず、あれは蜃気楼だったんだ、と自分に言い聞かせる。

 ラジシャヒ側の川岸から中洲へと向けて漕ぎ出した舟は、土中のもぐらがしゃっくりをするような、悲しげなきしみ音をきぃきぃと立てながら対岸へとたどり着いた。接岸し舟を降りる。不思議なもので、川を渡っただけなのに、何かがぷつんと切り離されるような感覚があった。にぎわう街との属性が断たれたということだろう。糸の切れた凧になった気分だ。どこに飛ばされていくのやら、と思いながら舟に乗っていた客たちの後を追うように、道らしき道を進む。振り返ると、街のシルエットがパノラマ的に広がっていた。淀みのない川の水面に映り込んだ街景が、上下に瓜二つ描かれている。

 舟に乗り合わせていた乗客たちの足取りは速かった。気がつくと、もう霧と交わる彼方の水平線の中へと消えていった。道しるべがなくなってしまう。マッシュポテトのように粘り気のある土は、踏みしめるほどに足が重くなっていく。霧から細かな雨に変わると、産毛にうっすらと積もっていたミストが、滴となり肌へと流れる。中州を進むほどに、水平を切る土と霧空の2色しかない単調なものとなる。しだいに、地面に足を取られるようになり、引きずりながら歩くようになった。代わり映えのしない景色が苦痛になってくる。

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インド側への船着場。まるで三途の川の渡し舟。

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中州の先端から船着場(ラジシャヒ側)の眺め。

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船着場から川下を望む。彼方で畑の耕作と灌漑をしていた。

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インド側へと向かう舟。漕ぎ出しは川上に進み、逆Uの字を描いて対岸へとたどりつく。

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インド側対岸。霧が立ち込めて真っ白。

 ポッダの中洲をインド側へ向かってひたすら歩き続ける。踏みしめられて道らしくなった道をたどり、奥へと進んでいくと、砂地が続くだけの荒涼とした世界が広がっていた。歩いても、歩いても、あたりの景色は何も変わらず、一体どれほどの川幅があるのだとつくづく思った。時おり、咳き込むようにして強く吹きつける風は、空に漂う霧を小さな雫に変え、その雫は水玉の斑点模様となって着ているシャツに付着する。生地に付いたいくつもの小さなしみは、輪郭をなくすようにして、繊維の奥へ奥へと浸透し、いつの間にか全身の服を、冷たく湿ったものへと変えていった。

 約一時間ほどを歩いた頃だろうか、周囲の景色は相変わらず変化のないものだったが、自身の足に変調が現れた。長く歩いているうちに、湿り気のある砂に足をとられるようになり、次の一歩を繰り出すことが苦しくなり始めた。まるで知らない間に、足かせをはめられたかのようで、膝から下に耐え難い重みが増していく。一歩踏み出せば、重しがひとつ、次の一歩でまたひとつ重しが付けられていくような感覚だった。くりだす歩幅はみるみると短くなり、両足はどちらももう上がらず、ただ、砂中を擦るようにかき分けるだけ。ここまでの歩いた軌跡を振り返ってみても、自分の落とした足跡はすでになく、砂に二本の溝を引いているだけだった。

 一息おいて、また歩き始める。砂をかき分ける前足と後ろ足がもつれ、ぶつかり、思うように進めないもどかしさ。まっ平らな地面をただ一方向に進めばいいだけなのに、それがうまくいかない。積み木の二段目を乗せれないでいる子供のように、何度も何度も同じ動作を無心に繰り返していた。すると、今度は腰周りがぎしぎしときしみはじめる。乱暴に扱われたプラモデルのように、身体が内部から崩れていきそうだった。「もう、これ以上歩けない」と思った瞬間、視界の先に、にぶく光る鏡のような川面が何もない真っ白な空を映しているのが見えた。ようやくこの中洲の終わりが見えた!

 足は棒になる寸前のところだった。もう、あと数百メートル先まで歩いていたのなら、本当に木の棒になった足を抱えて嘆いていただろう。そのときは、ピノキオの気持ちが少しは分かるようになっていたかもしれない。そう思うと、足の骨に年輪が刻まれずに済んだことに安心した。目的の場所が間近に迫ったのを見て、残った力をふりしぼり、中洲の終わる地点へと向かった。ぜんまいの切れかかった人形のように、前にも後ろにも動かなくなった足を、ここが最後とばかりに無理やり持ち上げては、地面に押し込んで、という不恰好を見せながら川岸へと進んだ。

 川岸に近づくと、そこは、えぐられてすり鉢状の断層になっているのが見えた。小さな小屋が建っていて人の姿が見える。小屋のすぐそばには黒い舟が停泊しており、すでに乗客が幾人かが乗っていた。霧に深く覆われた川に浮かぶこの黒い舟を見て、ふと、これは三途の川の渡し舟だと思った。かすんで白く見える対岸は、インドではなく、あちらの世界なんじゃないだろうかと怖くなってしまった。渡ってしまえば、もう戻ってこれないような感覚がした。

 船頭は川岸の斜面にいた僕に目をやり、乗らないのか?と首をひねる。僕は首を振って、舟には乗らないことを伝えた。棒にならずにすんだ足だったが、この川岸にたどり着いた瞬間、地に根が生えてしまい、ぴくりとも動かなくなっていた。舟を見下ろしている間にも、どこからやってくるのか、ぽつりぽつりと乗客が現れる。一通りの乗客が揃ったところで、舟は川岸を離れ静かに動き始めた。「ぽしゃり」と櫂が水面をひねる音を立てた後は、音もなく川上の方角に進みだした。まるで、温めたフライパンの上でバターが滑るようになめらかに、スッと川面を流れてゆく。やがて、霧の中へと溶けていった。

真っ白に、真っ白に。

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Sandbank of Padma River

孟加拉国 | 拉治沙喜 (拉治沙喜区)
バングラデシュ、ラジシャヒ (ラッシャヒ地区)
Rajshahi, Rajshahi Division, Bangladesh
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2012年01月11日

Sadao / Bukit Kayu Hitam 国境

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タイ側Dannok(ダンノック)の街を望む。

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タイのイミグレ。

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ここは、物資輸送の車両が非常に多い。

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マレーシア側、Bukit Kayu Hitam(ブキ・カユ・ヒタム)を望む。
マレーシアへ入ると、ここから先の公共交通機関がないので、自力で行くにはちょっと苦労すると思う。タイのハジャイから、マレーシア各都市へのバスなどが出ている。


この国境で、出国手続きの列に並んでいると、後ろにいたタイ人の女の子に声をかけられ、3月11日に起きた東北の地震による津波被害のことを心配された。(僕は2011.03.11の数日後にタイを出国し、マレーシアへ入国するところだった)

「It's not True!」
●ハジャイから国境を越えバタワースへ移動(タイ→マレーシア)
http://tavola-world.seesaa.net/article/191502363.html

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バングラデシュの出国税

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バングラデシュの出国手続きの前に、ベナポール国境事務所の建物の端にある窓口で出国税を支払い領収書を受け取る。この領収書を見せないとイミグレに入れてもらえない。

バングラデシュには、(インドへと)陸路で出国する場合に、「出国税」というものを払わなければならない、ちょっと変わった制度があります。バングラデシュ人はもちろん、外国人も含め、一人あたり300 TAKA。この金額は、市場でTシャツが2、3枚買えるぐらいだから、日本の感覚では2,000〜3,000円に相当する。
どういった経緯で、こんなものが出来たのかはわかりませんが、あまり、ちょろちょろと国外へ出るな、という政府のメッセージが込められているように思える。

*北部のブリマリ国境では、出国税に加え、さらに250 TAKAほどの賄賂(代行手数料という名目で)を要求される場合がある。(Jan. 2008)
「ブリマリ国境(1)」
http://tavola-world.seesaa.net/article/108236443.html
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2011年12月25日

index of Bangladesh Border

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2008年、2011年に行ったバングラデシュの国境地図。
バングラデシュを陸路で出る際は、出国税300TAKAが必要。バングラデシュの人も払っていた。

-2008-
Teknaf - Maundaw (Burma)
地元民の往来はあるが、外国人は越境できない。

Burimari - Changrabandha (India/West Bengal State)
(布里马里(Burimari), 钦格拉邦达(Chengrabandha)
ブータン、ネパールにも近い国境。


-2011-
Kotok Bazar - Bara Pathor (India/Tripura State)
クミッラから近いインドとの国境。インドビザがあれば、抜けれそうだった。

Gobranikura - Megharaya State (India)
途中のチェックポイントで、国境警備兵の陣営があり警備は厳重。
一般人はこのエリアへの立ち入りは禁止になっている。

Sandbank of Padma River, Rajshahi - West Bengal State (India)
ポッダ(ガンジス)川の向こう側がインドとの国境になっている。

Benapole - Haridaspur (West Bengal State)
バングラデシュとインドの国境で一番、メジャーな場所。
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2011年09月05日

パクセからスリンへ -Laos to Thailand, 2010-

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ダオファン市場の駐車場で、トゥクトゥクの運転手が帰ってくるのを静かに待つ僧侶。

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俺たちまだ子供だからと言って、3人で乗っていたのに2人分の運賃を運転手に渡して去っていった。

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■ タイとの国境ワンタオへ
朝の6時半、ラオチャルーン・ホテルの一室。しっくいの白壁から伝わるひんやりとした冷気で自然に目が覚めた。外からは車やバイクの走る音が細い廊下を伝わり聞こえてくる。乾期のラオス、朝のうちは長袖を着ていないと肌寒い。やたらと重みのある上掛け綿布団が頼もしく思える。身支度をして近くのワット・ルアンへと出かけた。通りでは、ちょうど最後の托鉢の僧侶が歩いていくのが見えた。後ろ姿を追いかけ僧侶に続いてワット・ルアンへと入る。寺にはスクーターでやってきた近所の女性がアルミの弁当を供えにきていた。
(「パクセ散策 (3)」http://tavola-world.seesaa.net/article/218258731.html

セードン川を越え、道路脇で営業していた屋台でサンドウィッチを朝食にする。がぶりと頬ばったはいいけれどもペッパーが効いていて、口の中はただれるような辛さで麻痺してしまった。少し歩いて、もうひとつの寺を訪れた後、宿へと戻り、近くのタラート・サオのコーヒーを飲みに行く。先ほど食べたペッパーでしびれた舌を甘ったるい練乳入りのコーヒーで中和するために。水色のプラスティック製の椅子に座りながら、口の中で甘い液体を転がし、舌神経をなだめている間にも、太陽で照らされたアスファルトが熱を帯び始め、気温が急激に上昇してくる。身体が芯まで十分にローストされた頃を見計らって部屋へと戻った。そして、荷物をまとめ10時45分にチェックアウト。いよいよ、これからタイとの国境へと向かう。ベトナムのホーチミンから始まり、カンボジア、ラオスと周った今旅最後となる国境だ。

タラート・サオ横にある駐車場へと向かい、ダオファン市場行きのソンテウを探したがあいにくその方面のはなかった。駐車場を出たところで、目ざといモーターサイの運転手が寄ってきて「どこへ行くんだい?」と声をかけてきた。モーターサイの運転手、普段、日中は路肩で日差しを避けながら昼寝をしているのに、まだ朝のうちは俊敏なのに驚いた。なるほど、まだ涼しいうちにひと稼ぎしておこうというようだ。運転手の言い値は5,000KIP(約0.6ドル)。ひとまずそれより下値で交渉するが、これより下がらなかった。手持ちのラオス通貨「KIP」が25,000KIPと残りわずかだったのもあり、ダオファンまでは歩いていけばいいやと思っていた。なので特段ここでモーターサイに乗る必要性も感じてなかった。通りに出てダオファン方面へと足を向ける。

太陽の上昇とともに、アスファルトが柔らかな金色から銀色へと輝きだす。そんな中、リュックを背負ってとぼとぼと歩く旅行者は鴨がネギをしょっているように見えるのだろう。タラート・サオの駐車場から歩きはじめて数十メートルもたたないうちに、流しのモーターサイが現れた。この運転手はダオファンまで3,000KIPでOKだと言うのですぐに乗り込んだ。走るバイクにあたる乾いた風が気持ちいい。5分もかからないうちに、目的のダオファン市場へと到着した。時刻は11時。そして、この市場横にある大きな駐車場を見渡し、タイとの国境「ワンタオ」行きのソンテウを探した。駐車場には二十、三十台以上のソンテウが停まっていていたのを見て、きっとワンタオ行きソンテウの便数も沢山あるのだろうと、やや安心したのだけれども、実際はたった一台しかなかった。しかも、停車していたワンタオ行きソンテウに乗っていた乗客は一人で、僕が二人目の客だった。ソンテウはある程度の人数が集まらないと発車しないので、今時点で二人しか乗客が集まっていないとすると、結構時間がかかるだろうな、という事は想像できた。おまけに、運転手は積極的に客を集める様子はなく、いたってのんびりとしている。タイとの国境路線はあまり人気がないのだろうか。

ソンテウには屋根が付いて日差しが避けれるとはいえ、平たい長椅子にじっと座っているのも、けっこうしんどいもので、すぐ隣のダオファン市場の活況ぶりをおとなしく見ながら、ぽつり、ぽつりと現れる乗客を待つしかなかった。12時15分、乗客がひととおり揃ったところでワンタオに向け、ソンテウは発車した。結局、1時間15分待たなければならなかった。
(ダオファン市場からワンタオまでのソンテウ料金:15,000KIP)

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ワンタオ国境の入口にある検問所。

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ワンタオ国境の入口横にある空き地の駐車場。

■ タイとの国境ワンタオ到着
12時15分、ようやく乗客が揃いソンテウはタイとの国境「ワンタオ」へと向けて発車した。日本の援助で建設されたメコン川に架かる全長約1.4kmの大きな「パクセ橋(Lao - Nippon Bridge)」を渡り西へと進む。
(「パクセ散策 (2) LAO - NIPPON BRIDGE」http://tavola-world.seesaa.net/article/217971826.html)

ソンテウの荷台に設置された木の長椅子は、解けないスライドパズルを動かすように枠内の同じ場所でカタカタと揺れている。車のささいな振動は、荷台へ伝わり椅子の揺れへと増幅する。これが、やがて腰への負担になっていく。パクセからタイ国境までは約40km弱と、さほど距離があるわけではないけれど、クッションのない長椅子の上だとなかなかこたえる。

流れる景色は単調で、収穫の終わった畑ばかりが目に付く。タラート・ダオファンのソンテウ乗り場ではあまり客が集まらなかったのだけれども、一旦道路へ出て走りはじめると、わりと頻繁に地元民の乗降がある。

道路脇で大きな荷袋を置いて車待ちをしている人が乗り込んで来た時には注意が必要だ。たいていは、中に詰められた荷物がその重みでつぶれ、荷袋の底が滴っている。片隅に置いたはずのこれら荷物も、車の揺れとともに磨耗した荷台の上を滑るように、汁と不可解な匂いを撒き散らしてしまう。腰の痛みにさらに新たなアトラクションが加わって、忙しい移動時間を過ごすはめになる。

メコン川を越えてからは、小さな川か運河をいくつか越え「ワンタオまであと9km」の標識が見え、ほぼタイ側へと近づいてくると、全部で10部屋もない平屋のGHなどがあるのが見えた。本当に変化のない景色が続く。

約1時間ほどを走って、ソンテウはワンタオ国境へと到着した。車は、色旗のはためくゲート手前で右に折れ、その先にある空き地へと入っていった。空き地には屋根と古木の柱しかない吹きさらしの店が数軒並んだだけの小さな国境市場がある。ここが終点だ。乗客が皆降り、散っていく。真昼の時間帯なので日差しが叩きつけるようだ。髪の毛が熱い。地面に落ちた黒影がスニーカーの裏に隠れるように、すっかりと萎縮し小さく小さくなっている。バックパックを担いで、市場の屋根下へと一目散に駆け込んだ。ソンテウの長椅子で腰をやられているので、ややふらつき気味な体。その様子を見て、市場から皆の笑い声が聞こえてくる。市場を見渡し、食堂があったので一服しようと席についた。すると、赤子をあやすようにウスを片腕に抱えて、ソムタムつくりをしていたおばさんが「あんた、タイに向かうのかい?タイに行く前にうちで何か食べていきなよ」と言ってきた。「もう(ラオスの)お金がないんだけど、これで何か食べれるかな?」と言って、ポケットにあった最後のキープ紙幣を取り出した。わずか5,000 Kip。それを見て、「じゃ、これどうだい?」とY字にした細い竹で挟んだ鳥のモモ肉の炭火焼「ガイヤーン」を手渡す。出来立てではなかったけれども、お腹が空いていたので、すぐにほお張った。そして、出来たばかりのソムタムを少しもらった。うなるように「辛い!」それを見た市場の皆が嬉しそうに大笑いした。

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タイから輸送物資を運ぶトラックやタンクローリーが列をなしている。

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トラックやタンクローリーの列を気にするでもなく、道を横切る牛たち。

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ワンタオ国境事務所の屋根と紋章。

■ ワンタオ国境
ワンタオ国境入口のゲートを越えて、ゆるやかなカーブを道なりに進む。するとまっすぐに伸びた一本の幅広い道が目の前を走る。400mはあるだろう、しっかりと舗装された車両用の大きな道路は傾斜の低い登り坂になっているせいもあって、とても長く感じられる。左手の先にはラオスの国境事務所が見える。なかなか立派な建物だ。国境事務所の裏はタンクローリーやトラック等が税関の手続きをしている間、待機できるようになっている。大型車両が何台も並び雑然とした雰囲気だ。

イミグレで書類に署名し出国の手続きをする。パスポートと同時に係員に手渡すとまるで、郵便局で消印のスタンプを押すかのようなあっけなさで、出国のスタンプがポンと押された。カンボジアからラオスへ入国する時は手こずった(*1)のにな、と思い返すと幾分物足りない。そして、パスポートを受け取り、タイの国境「チョーンメック」へと足を向けた。ラオスの国境事務所を過ぎるとタイとの国境の間には免税の土産がいくつか並んでいた。

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(*1)「ストゥン・トゥレンからパクセへ (2) カンボジア / ラオス国境」
http://tavola-world.seesaa.net/article/211860544.html
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宇宙基地を彷彿とさせる未来的なチョーンメック国境事務所の建物。
プミポン国王の肖像が大きく飾られていた。

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チョーンメック国境事務所の屋根。丸穴が無数に開いた薄い板の屋根になっている。

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タイ、チョーンメック国境。車両用のゲート。

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ラオスのイミグレを越え、タイ側からラオス国境を振り返る。

■ チョーンメック国境
タイ側の国境ゲートは車両用と歩行者用に分かれていて、人が通る道は両はじがフェンスに囲まれていて、やや細い通路になっている。僕の歩く前をタイの女の子三人がはしゃぎながら歩いていた。背の高い細身の女の子はヒョウ柄のブルゾンをはおり大きなサングラスを頭にかけていた。真ん中の小柄な女の子と、その左隣に女の子はラオスでの土産に買ったのだろう、肩幅を越えるひさしの大きな帽子を被っている。肩に下げたキティちゃんのトートバッグが収拾のつかない三者三様のコーディネートと重なって、目の前がチカチカする。

三人の後ろをついていくと、薄平べったい三角錐や四角錐の屋根を組み合わせた近未来的な建物が見えてきた。ここがチョーンメックのイミグレーションだ。一見、国境の事務所とは思えない風変わりな建物は、まるで現代美術専門の美術館か、宇宙観測の前線基地の様相で、事務的で無粋な仕事をこなして終わり、というだけは決して収まらない主張を感じた。

なぜ、このような風変わりな建物になったのかは不明だけれども、国と国の境目であるからこそ、互いの国力の差を見せ付けるにはふさわしい場所であることには違いない。ベトナム最南端の国境サーシア〜プレックチャック間(*2)では、ベトナム側のゲートの立派さに反して、カンボジア側は小屋だったり、未舗装の道だったりと、見事にインフラの整備具合で二国間の活況が一目でわかるものだった。カンボジアからラオスに渡る時(*3)は、互いにどっこいどっこいなのだろうか、両国とも小さな小屋が対峙していただけだった。

そんなことを考えて歩くうちに、タイ側のイミグレへと到着した。遠目には近未来的で斬新な建物に見えたが、中へと入ると殺風景な内装に、改めてここが入出国の手続きを行う極めて事務的な場所なのだなと感じる。窓から差し込む光が、退色した水色の壁や床にそそぐ。天井の高いロビーで順番待ちをしている状況は、過疎化の進んだ総合病院の窓口に立っているかのようだ。カウンターで入国カードに記入、署名する。その後の荷物検査などの諸手続きはX線を通したりと空港と同じ位、慎重に行われた。目視で済ませる、ベトナム〜カンボジア〜ラオスでの緩い国境が懐かしい。

14時15分、タイに入国。イミグレを出ると外の強い日差しに思わず目を閉じる。再び目を開けると、幅広の道路がまっすぐに伸びていた。道路の真ん中には、大型のSUVが連なり停車している。どうも、これまでのローカルな国境と勝手が違って、声をかけてくる奴もいない。しばらくは、ここから先の移動の方法が良くわからずにいた。「バスターミナルは近くにはなさそうだし、どうやってウボン・ラーチャーターニへと出ようか?」そう考えながら、イミグレの周辺を回ってみるがバックパックが沈んでくるだけだった。そして、イミグレ横にある市場の裏でトゥクトゥク数台が待機していたので、バスターミナルがあるのかを尋ねると、運転手はすぐにスタンバイして「乗りな」と車を目の前に回す。運賃も20BでOKだとあっさりと決まり、そのまま乗り込んだ。やけに、話が早いなと思った瞬間に「あ!」と気づいた。トゥクトゥクの軽いエンジン音は、上客を拾った運転手の弾んだ気持ちを表しているかのようだった。

バスターミナルはイミグレからわずか600m程と目と鼻の先だった。30秒も経たないうちにバスターミナルに到着し20Bを支払う。タイに着いたことですっかりと油断してしまった。バスターミナルでウボン・ラーチャーターニ行きのバスを尋ねると、17時発のが一本あるという。あと2時間半以上もあるじゃないかと時計に目をやると、ロットゥが間もなく出るよと続いて教えてくれた。ターミナルのはじには、白いミニバンが一台停車している。カウンターでチケットを買い、その車に乗った。
(チョーンメックからウボン・ラーチャーターニまでのロットゥ、100B。)

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■ チョーンメックからウボン、そしてスリンへ
チョーンメックのバスターミナルでウボン・ラーチャーターニ行きのロットゥに乗り、発車予定時刻の15時になるまで待った。車に乗った時は僕をあわせて数名程だった乗客も、次第に集まってほぼ満席の状態となる。そして、15時になるとバンは発車した。ウボン・ラーチャーターニは、チョーンメックから国道217号線を西へ約70kmの場所にある。街の規模は、イサーン(東北タイ)の起点にもなる大きな街だ。

隣席に座っていたうぐいす色のシャツを着たタイ人の女性が声をかけてきた。アンカナーという名で、ヒバリがさえずるような軽やかな笑い声をしている。今日は彼女の弟と、地元のお隣さん二人の4人でラオスに遊びに行った帰りなのだそう。ルアンプラバーンには3回行った事があるといって、ラオスには良く旅行に出かけるそうだ。今回のラオス旅行はアッタプーとパクソンに行ってきたのだと楽し気に語ってくれた。これからウボンまで行き、家のあるブリラムまで戻るところだった。

走って間もなく、左手に大きな湖が見えてきた。と思ったら、これはシリントーン・ダム (Sirindhorn Dam) と言う貯水地なのだそう。車窓から見るかぎり、かなり規模の大きなダムだ。このダムがウボンまでの車窓景で唯一のハイライトだった。あとはただ、ひたすら整備された道路を走る。

16時25分、ウボン・ラーチャーターニに到着した。街の郊外にある大きなバスターミナルで、ここから市内へ出るにはTUK TUKが足となる。乗ってきたバンを降り、ウボンに行くか、この先へ進むかを考える。市内までの移動が面倒だと思っていた矢先、ちょうど、コラート行きのバスが発車する所だった。アンカナーらと一緒にそのバスに乗り込んだ。今日は終始移動の一日となりそうだ。ウボンからスリンまでは約160km。運賃は135Bだった。

バスの中では、すっかりと安心して車窓を眺める。時折、アンカナーらがはしゃぐのでそれにつき合ったりして時間を過ごす。「イサーンは好き?」と聞かれ、「うん、今度ルーイに行ってみたい」と答えると「ルーイ」の正しい発音のレッスンとなった。「イサーンで他に面白い場所あるかな?」と僕が訪ねると、「タイではプークラディーンという山?が有名で、トレッキングなどで楽しめるのよ」と教えてくれた。

18時10分、ウボンから約60km西のシーサケットに着く。こじんまりとした街並だった。すでに日は暮れている。スリンはまだ先だ。到着が夜になるのだったなら、ウボンで泊まっておけば良かったなと若干後悔した。10分程停車をし、18時20分バスは発車した。途中3、4回ほど小さな町に停車し乗客を拾っていた。スリンに近づくにつれ、アンカナーらが「スリンでは泊まるとこ、決まってるの?」と心配そうに聞いてきて、「いや、まだだけど」と言うと、「じゃ、スリンに住んでる友達に、いいホテルがあるか聞いてみるね」とその友達のケータイに電話をかけてくれた。でも、走行中のバスでは会話は途切れ途切れになり、結局わからなかった。

そして、目的地スリンへは20時に到着した。外はすっかりと藍の失せた夜空になっている。バスを降りると、アンカナーはやっぱり心配だったのか「もし、スリンで困った事があったら電話して」とケータイ番号を書いたメモを窓越しに手渡してくれた。「ありがとう」と言って手を降りバスを後にする。アンカナー達はこの先50kmのブリラムまでだ。

バスターミナルを出ようとすると、曲り角から小象がにょいと現れてびっくりした。スリンは「象の街」で有名なのだけれども、まさかここで最初に出会ったのが「人」ではなく「象」だったというのが、さすがだと思わせた。バスターミナルの周囲には開いている店はなく、すっかりと夜仕舞いを済ませた様子だった。アスファルトから上る空気が生暖かい。ラオスのパクセから約8時間の移動の連続で、すっかりとくたびれた身体に本日最後の宿探しの号令をかける。

Sirindhorn Dam
http://en.wikipedia.org/wiki/Sirindhorn_Dam



老撾 - 泰国 | 巴色 - 倉咪口岸 - 素林
ラオス、パクセからタイ、チョーンメック国境、スリンへ
Pakse (Paxse) to Surin, Laos - Thailand
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2011年07月13日

ストゥン・トゥレンからパクセへ -Cambodia to Laos, 2010-

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前日にRiver Side GHでラオス南部の街「パクセ」行きのバスを手配した。ストゥン・トゥレンからパクセまでは13ドル。翌朝の8時半に出発するので、それまでに宿の入口に集合してくれとの事だった。

そして、パクセへと行く当日。この日は7時半に起床。予定の時刻まで一時間程あるので、さっと身支度をして朝食を食べに出かけた。朝の光は影の出ないほどに柔らかく、そして優しい。宿を出て川沿いを歩く。川面をすべるように吹く風がひややかで肌心地がいい。しらけ鳥のようなオブジェのあるロータリーまで歩いて、ぐるっと周り青空市場 (*1) へと向かった。真っ赤なパラソルが朝日に透け発光している。まるで大きなキノコのようだ。

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(*1)「ストゥン・トゥレンの青空市場」
http://tavola-world.seesaa.net/article/152915803.html

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人だかりの出来た市場に足を踏み入れると、秤に乗った大きな川魚、うずらの卵、張り付けにされ背筋のいい猿、菜っ葉、石鹸などが所狭しと並んでいる。朝っぱらから、かき氷屋までが登場していた。日本ではあまり見慣れない、ここストゥン・トゥレンでの「市場の幸」をひとつひとつ眺めながら、奥で賑わう屋台食堂へと向かった。市場に広がる生青臭い匂いとは別の、鼻をくすぐる香ばしい匂いにつられて鮮やかなビニール製のテーブルクロスの敷かれた長い机の前に腰掛ける。おかゆと揚げ
パンを注文しカンボジアでの最後の食事をしんみりと味わった。手持ちのリエル (カンボジアの通貨) は昨日もう使い切ってしまったので、1米ドルを支払い1,500リエルのお釣りを受け取った。カンボジアでは1米ドルは4,000リエルで計算される。そのお釣りで車の中でちまきを一本 (500R) とココナッツをまぶした餅米のおかし(1,000R分)を買い、リエルが手元に残らないよう再び使い切った。この軽食は移動中の車の中で食べようと思い持ち帰る。

8時15分、宿に戻り荷物をまとめる。
8時半前に宿一階の受付に降りるがラオス国境行きのバンはまだ来てなかった。同じ宿に泊まっていた白人旅行者が一組、入口で朝食をとっていた。ほどなくして、もう一組の旅行者も現れ僕を含め5人がこの日の乗客が揃った。15分ほど経ちGH前に白のミニバンがやって来た。てっきり砂埃まみれでガタガタの車だろうと覚悟していたのだけれども、そうではなくまだ新しい車だったので驚いた。快適な移動になりそうだ。

8時50分、ミニバンはラオス行きの宿泊客5人を乗せて発車した。町から少し離れた場所にある一軒家の前で車は停車した。どうやら運転手の家のようだ。ここで30分ほど待たされる。何の為に停まっているのかは分からなかったが、運転手は弁当箱を引っさげてにこやかに戻ってきた。まさか、弁当が出来るのを待っていたのか?と同乗の旅行者達と顔を見合わせ首をかしげたが、マイペースな運転手を問いただすまでもなく、再びエンジンがかかるのを待った。弁当を運転席の隣シートにしっかりと置いた運転手は鼻歌を交え上機嫌で車を走らせた。10分ほどを走るとSesan川に架かる大きな白い橋 (Cambodia - China Friendship Sekong Bridge / *2) を渡った。まだ新しい橋だ。そしてそのまま国道7号線を北上する。この区間の道路は凸凹なく驚くほどに綺麗に舗装されていて完璧な状態だ。しかし、交通量は全く無い。なんでこんな閑散とした道路を万全に整備したのかが良く分からない。ラオス国境に着くまでの間対向車は一台も見なかった。広がる荒野とまだ光沢の残るアスファルトの道がひたすらに続く単調な車窓。時折、色の付いたガソリンをウイスキーの瓶に積めたものを並べた無人の販売所が見えるのが、唯一の変化なくらいだ。

ストゥン・トゥレンから約1時間を走り、10時20分、ラオスの国境へと到着した。

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(*2)ラスメイカンプチア新聞・日本語版記事 (2004年11月19日) より
「クラチェからラオス国境への国道7号線を修復し始める」
http://www.locomo.org/cambodia/news/2004/11/041119.html

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カンボジア側からラオス国境の眺め。TRAPEANG KREAL, CAMBODIA

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ラオス側からカンボジア国境の眺め。NONG NOK KHIENE, LAOS

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カンボジアのイミグレ前。ミニバンはここで停車した。

■ カンボジア / ラオス国境
車が停まり、運転手が振り向き僕らに放った「ラオ・ボーダー!」の一言で、カンボジアとラオスの国境に着いたことを確認した。車窓から外を伺う。辺りは切り開いた雑木林の真ん中に走る一本のアスファルトの道路があるだけで、移動中の景色と何ら変わり映えしない。違っているといえば前方には車止めのバーが見えるくらいで、もしここが検問所だと言われても分からない位の簡素なものだった。道路の左はじには白塗りの小さな小屋がちょこんと建っていて、受付らしき窓口の前に数人が並んでいる。ここがカンボジアのイミグレーションのようだ。乗ってきたミニバンを降りると、運転手は「僕達はラオスには行けないのでここで終わりだ。この先はあのバスに乗ってくれ」と前方に停車しているバスを指差して、早々と自分の車へと戻ってしまった。「えらくあっさりとしているなぁ」と思いつつ、車がストゥン・トゥレンへと引き返すのを見届けイミグレの短い列の後ろに並んだ。カンボジアの出国手続きはパスポートの確認をするだけのあっけないものだった。パスポートに「Trapeang Kreal - Departed」のスタンプが押される。さて、いよいよ次はラオス入国だ。100m程先に見えるラオスの国境ゲートの向こう側にバスが停車しているのが見えている。

カンボジア側のバーの横を通り越しラオスのイミグレへと向かった。バーとバーの間はカンボジア、ラオス間の空白地帯だ。この"どこでもないわずかな区間"は、徒歩で越境するドキドキ感が一番高まる場所で、頭上の青空に向かって「Wow-!」と思わず叫びそうになるのをぐっとこらえすまして歩く。ラオスのイミグレに着くと、バンで一緒だったアメリカ人カップルが窓口の係員と何やらもめている。
何事かと思い「どうしたの?」とたずねると、
キッと険しい顔で僕の方を振り向き「このイミグレの男が賄賂をよこせ、って言っているの。おかしいでしょ?」とかなりの激高ぶりだった。
「私たちは、払うつもりはないから!」と言って窓口の横で腕組み&ナナメ立ち。
僕が続いて入国の手続きをしようとその男にパスポートを渡すと、男はパスポートをパラパラとめくり僕の顔写真、旅券番号などのページを開いて、目の前の本人と見比べた後、カンボジアの出国スタンプを確認し「2ドルよこせ」と言ってきた。なるほど、これがさっきのアメリカ人が言っていたワイロのことかと思い、唇が曲がりそうになるのを押さえつつ聞き返した。
「ん?それは何の料金だ?」
男は「時間外料金だ」と言う。
「時間外料金?それなら早朝か夜間の時間帯だろう。それに時間外料金だったとしても、2ドルではなく2,000 Kip位なはずだ。」と、以前にヴィエンチャンからタイのノーンカーイの国境を通過した時に徴収された時間外手当 (*3) の事を思い出し反論した。
男はこちらの言う事など全く聞くこともなくただ「2ドルだ」と言うのみで話は進まない。
「そんな不明なものに応じるつもりはない」と言うと、男はパスポートを放り返し「イヤならカンボジアに戻れ!」と言って、あごを横に振りあっちへ行けとふてぶてしい仕草をする。窓口からはじかれてしまった。そして、後ろで待っていた旅行者を手招き呼び寄せた。まさかラオス入国で手こずるとは思いもよらずだ。「カンボジアに戻れ」と言うからには、向こうは絶対に譲らないだろう。後ろにいた旅行者の様子を見ながら思案する。後ろにいた旅行者もストゥン・トゥレンからの同乗者だった。やはり、同じように2ドルを要求されていた。彼は係員に向かって「僕らは大使館でラオスのビザを正式に取得し、その料金も払っている。なのに、ここでまた新たにお金を支払うのはおかしいのではないか?」と、もっともなことを言っていたので感心して彼の言い分を聞いていた。
(*日本人はラオスの入国に関して14日以内の滞在であればビザは免除される。)


2ドルが高いか、安いかという問題ではなく、不当なものにお金を支払う必要はないという事で僕を含めた5人の考えは一致していた。しかし、ここで男の要求する2ドルを払わなければ、ラオスへの入国が出来ないのも事実だった。またカンボジアへと戻って日を改めてやって来たとしても、同じことの繰り返しになるだろう。そうすると、カンボジアのアライバル・ビザ代、ストゥン・トゥレンまでの移動、滞在費などが余計にかかってしまうし、何よりも時間の無駄だ。徐々に「時間を買う」という空気になってきた。太陽がちょうど真上に登り、気温が上がりはじめる。じんわりと吹き出る汗の不快さが、イミグレの男へ対する憤りと混ざっていた。こうしている内に時間はどんどんと過ぎていく。

ふと、以前のヴィエンチャンからタイのノーンカーイの国境で時間外料金を支払った時に、領収書を受け取っていた事を思い出した。そして再度窓口へと向かい係員を呼び出した。「君の言う時間外手当が正式なものなら領収書を発行してくれ、それなら正規のものとして2ドルを払うよ」と伝えた。
男は一間おいた後、じっとこちらを見つめる。
僕は、1ドル札を2枚取り出し男に見せた。
そして手をくるくるとひねり「2ドル、領収書」と交換のジェスチャーをする。
それを見た男は「ちょっと待ってろ」と残して、部屋の奥へと引っ込んだ。そして手の平程の大きさの青色のシート束を片手に現れた。どうやらこれが領収書のようだ。ラオス語で書かれているので本来は何に使うものかはわからないが、形としてそういうものであれば問題ない。領収書を受け取ったからといって、何かの役に立つわけでもないのだから。先ほど見せた2ドルは一度ポケットに仕舞い、パスポートと記入した入国カードを男に渡す。男はパスポートに「ARRIVAL - NONG NOK KHIENE」のスタンプを押し、この青い領収書らしきものに何やら記した。「項目:Over Time、料金:2ドル」そして当日のスタンプを押しパスポートと共に僕に手渡した。僕はそれらを受け取って確認する。幸いまだ2ドルを渡していない。この男も一度見せたドル紙幣を見てすっかり安心していたせいなのか、書類の手続きをそそくさ済ませようとした。

領収書にこの男のサインがなかったので、署名するようにと男にこの青い紙を戻した。男は首を横に振り、サインするのを拒んでいたが、「サインがないとこれは無効だから2ドルも渡せないよ」と、まだ手元にある2ドルを逆手にとった。男は頬を波打たせた後、渋々と署名した。この様子を見ていた二組の旅行者も続いて入国の手続きと領収書を受け取っていた。まぁ、百歩譲って十歩押し込んだ程度のものだけど、引き返すしかなかった僕達にとっては係員の言いなりになってただ支払うよりかは、幾分納得のいく結果だったように思う。アメリカ人のカップルは「君はすごいよ!」なんてこの機転に大喜びしてくれた。

そして、イミグレの先で停車していたバスに乗り込んだ。どうやら僕達を待っていてくれたようで、助手の兄ちゃんが「早く乗って!」と皆が荷物を積み終えるのを手助けしてくれる。
僕らが乗り終えるとすぐにバスは発車した。時刻は11:00。
道路標識にはパクセまで154kmと記してあった。

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(*3)laos-guide-999.comより
"Border Crossing Procedures at Thai-Lao Friendship Bridge#1"
http://www.laos-guide-999.com/border-crossing.html

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乗っていたバンの床下から炎が上がり全員下車。

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国道13号線。パクセ方向。

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■ 車炎上!そしてパクセ着
11時、ラオス国境Nong Nok Khienで停車していたバスは越境の乗客を乗せラオス南部の街パクセへと向け発車した。バスの中ほどに席を取り一息つくと、通路を挟んだ隣席にはカメラを手にした日本人らしい青年が座っていた。
「こんにちは」と声をかけるが反応はなく、こっちを見たままきょとんとした顔をしていたので、改めて「あれ?日本の方じゃないの?」と英語で聞き返すと、「ああ、僕はカンボジア人だよ」と落ち着きのある笑みで返事が返ってきた。
「顔つきがすごく日本人っぽいから、うっかり間違えたよ」と言うと青年はフフッと柔かく笑っていた。
Ramaという名のこの青年はカンボッジアのプノンペンで美容室を数軒経営していて、時々近隣諸国に旅をするのが楽しみなんだと言っていた。「以前にソウルには行った事があるけど、日本へはまだ行った事がないよ」とも話してくれた。カンボジアではまだまだ高いだろう一眼レフ・デジタルカメラを手にしていた事にまず驚き、カンボジアでも今はこういう世代が増えつつあるのかと成長真っ只中のカンボジア経済に関心が行く。Ramaはパクセまで行った後はヴィエンチャンに向かうとのことだった。

パクセまで続く国道13号線を15分ほど走ると、バスはにぎやかな川岸の前で停車した。バスの運転手はここが終点だと乗客に告げると全員がバスを降りた。「あれ、パクセへ行くはずじゃなかったのか?」と思いながらバスを降りた。どうやらここが「ナカサン」らしい。「ナカサン」は「シーパンドン(4,000の島々の意)/ (*4)」と呼ばれるメコン川に無数の島々が浮かぶ場所の起点となる場所で、その中でもデッド島、コーン島という大きな島が有名で観光地になっている。そんなわけで旅行者が多く、にぎわっているわけだ。まるで、川原でBBQパーティが行われているかのようなお祭り的な雰囲気があった。このアッパーな雰囲気に飲み込まれないよう落ち着きを保ちつつ、ここから先の足をどうしたものかと周囲をきょろりと見渡すと、わらぶき屋根の待合所のような場所を見つけそこへ足を向けた。そこでパクセへ行く便がないかを尋ねると、まさに今いる場所がそうだった。待合所の中でチケットの集金をしていたおじさんに、ポケットに入れておいたパクセまでのチケットを取り出して見せると「ここで待っていろ、じきに車がやってくる」との事だった。そして「泳ぎ疲れて海の家で休んでいる」ような状態でぼんやりと30分ほど待っているとパクセ行きのバンが静かに現れた。パクセ行きの車を待っていた客は車一台に入らないほどはいたので、満席になってしまわないよう急ぎ目に乗った。約20人ほどを詰め込んでバンは発車した。

荷物が通路まで積みあがった窮屈な車内で身体を折るようにして座る、なかなかつらい移動だ。しばらく走っていると僕の後ろ席の乗客が熱せられたポップコーンよろしくドタバタと激しく暴れはじめた。何事かと振り返ると床下からもくもくと煙が昇りあっという間に車内後方へと広がった。その瞬間、膝丈ほどの炎が吹き上げ、周囲の乗客が「Wow!」、「Aaaah!」と悲鳴を上げる。なおも炎と煙が吹き上げているが、運転手はまさか自分の運転している車から炎が出ているとは思っておらず、「後ろがにぎやかだな」と背中で感じている程度で何食わぬ顔をしてハンドルを握ったまま走り続けている。この様子を見てさすがに危機を実感した前席の乗客が全身のゼスチャーで運転手にこの事を伝え車を停めさせた。(炎が吹いた瞬間はもう爆発するかと思った。。)

車が道路はじに寄り停車すると乗客は我先にと車を飛び出した。後部席の乗客は窓から脱出していた。皆、緊迫感と恐怖を感じていた。全員が車外に出たのを見計らって運転手が工具をひっぱり出し、くわえ煙草をしながら車の下に潜り修理を始める。炎天下の中に放り出された乗客らは、「直るのか?」と心配そうに、怪訝な顔をしその様子をじっと見守る、があまりにも太陽が暑いので一分も経たないうちに皆おのおの散らばっていった。約15分ほどして運転手が床下から戻ってきた。
「車はOUTだね」と言うのかと思ったら「さぁ乗って、また走るよ」と言って、慣れた振る舞いで運転席へと戻った。
「直ったのか。。」と、躊躇する乗客が全員車に戻るのに少し時間がかかった。

車は再び走り出した。はじめのうちは運転手も故障箇所が気になるのかゆっくりと走らせていたけれども、これだといつ着くのかわからないだろうと思い直した様子で、徐々に速度を上げていった。そして遅れた分を取り戻そうと一気に加速しはじめたその時、また床下から煙が上がった。後ろ席の乗客は自分の足元から二度までも火が上がった事にパニックになってラッパのような声を上げた。恐怖のファンファーレ。

今度は運転手もこの騒ぎにすぐに気づいた。車内に響く「悲鳴の管弦楽」が不協和音だったからではない。車をすぐに停め、乗客は急いで煙のたちこめる車から降りた。僕達は車を出ると口々に「この車もう終わりだね。さすがに二度は乗れないよ」と言い合って、遠巻きに燻製の箱と化した車を囲んだ。運転手は又、車の下に潜り修理を試みるが今度ばかしは駄目なようで冴えない顔で戻ってきた。そして何度か潜ったり、出てきたりを繰り返す。乗客も何か手助けできないかと運転手に声をかけるが、結局のところ何が出来るというわけでもない。すっかりお手上げ状態になった運転手は、道路の後方を見つめ車がやってくるのをじっと待っていた。何台かの車が通過したのち、同業の仲間の車が現れたところで手助けを申し出た。そして、何かの部品か工具を手にして戻って来て、また車の下に潜って修理をし始める。間もなく「今度はバッチリだよ!」と言って戻ってきたが、さすがに今度ばかりは乗客も安心して車には乗れない。半数が車から降りたままの状態が続くが、乗り込んだ乗客に促され一応は全員車へと戻った。しかし、炎上した床の座席に乗っていた乗客が拒絶反応を示したので、何人かで座席をシャッフルしてこの問題は解決した。

二度のトラブルを経て、車は再度走り出す。乗客の心配はよそに今度はどうやら大丈夫なようだった。
13時半、運転手の昼食休憩で、小さな村に停車。14時に発車する。
14時半過ぎ、チャンパーサック着。乗客の何人かが降りていく。
15時すぎ、パクセ中心部から少し離れた南バスターミナルに到着。ここでまた数人が下車。

そして、15時半パクセ市内の「タラート・ラックソーン」というバスターミナルへと到着した。
明るい黄金色の太陽の光が街を照らしている。

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(*4)「シーパンドン」 - Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

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東埔寨 - 老撾 | 上丁 - 巴色
カンボジア、ストゥン・トゥレンからラオス、パクセへ
Stung Treng to Pakse (Paxse), Laos - Cambodia
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2011年06月13日

インドとの国境、ビビル・バザール -Bangladesh, 2011-

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■ バングラとインドの小さな国境・BIBIR BAZAR
ダッカのサエダバッド・バスターミナルからバスに乗りクミッラ (コミラ) へとやって来た。クミッラへは三年ぶりの訪問だ。街のおおよそはバスターミナルに着くなりに以前に来た時の記憶がよみがえり、街の地理が脳裏に広がる。到着したバスターミナルから鉄道の踏み切りを越え宿を探す。目抜き通りに建つ「Q-Palace」というホテルに宿をとり、背負っていた荷物をベッドそばに置いた。ベッドと小さな棚机があるだけの殺風景な部屋だが、けっこう清潔に保たれている。すぐにシャワーを浴び、ダッカからの埃を落としてすっきりとした。昼間の暑いうちにシャワーを浴びたのはこの部屋ではお湯が出ないからで、乾期のバングラデシュは夜になるとぐっと冷え込む為、陽の落ちた時間帯になると水シャワーなどとうてい出来ないからだ。シャワーを浴びたついでに着ていたシャツも洗って部屋の窓際に吊るしておく。このホテルは近隣では一番高い建物になり眺めがいい(と言っても10階建て程。)新しいシャツに着替え街へと出かけた。

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クミッラのバスターミナルに到着したバスの車窓から。バスターミナル前では電動のオートリキシャが客引きをしている。

街へ出て、三年前と大きく違っていたのは電動のオートリキシャ (充電式の三輪電気自動車) が異常に多かったことで、その数はリキシャの数をはるかに超えていた。おおよそ6対4の割合で電動オートリキシャが通りをわが者顔で通りを走っている。最新の乗り物だからだろうか、これを運転している運転手達には少々自慢げな気風が見られ、不快な電子音のクラクション・ブザーをいたずらに鳴らしながら渋滞の列をつくっていた。これまで、通りを締めていたリキシャの運転手達がどこか肩身の狭い思いをしているようにも見えた。このままいくとリキシャが廃れていきそうな気配が感じられる。リキシャらがせわしく流れる通りの端を歩いていると、壁に「STOP BORDER KILLING」と大きな文字でスローガンの書かれたポスターが街の中に点々と貼られているのに気付く。そのポスターには、女の子がまるで「もずのはやにえ」かのように、有刺鉄線から吊るされている残酷な写真が載っていた。おそらく国境を越えようと、張り巡らされた有刺鉄線の柵を登っている所を撃たれたのだろう。バングラデシュと比べ経済力の強いインドへの憧れがあるのだろうか。そして、このポスターを見ているうちにふと思い出す。「そういえば、ここ(クミッラ)はインドのトリプラ州と近いな。と言うことは、どこか国境へ通じてる道があるはずだ。」と。さっそくバングラデシュの地図を開け、クミッラの位置を確かめた。「(国境が)近いどころか、すぐそばじゃないか。これは行ってみなければ!」と地図を仕舞い宿へと引き返した。フロントの兄ちゃんなら何か行き方を知っているかもしれない、そう思うと足も速まった。

宿へと戻り、フロントの兄ちゃんを探す(このQ-パレスの入口は、一般的なホテルのフロント・カウンターを想像すると全く異なる。入口の端っこに小さな机が置いてあるだけで、たまに誰もいない場合があったりする。)。どこに行ったのか、呼んでも現れず一向に見当たらなかったが、途中階のロビーでようやく見つけた。そして、すぐさまインドとの国境の話を切り出した。「この近くにインドの国境はあるかい?」と僕。すると「国境?ああ、あるよ。すぐ近くだ。」との返事が返ってきた。「え?本当。そこは何ていう所?」とあっさりと返事が返ってきたので、改めて問い返す。「えーと、何だったかな。あそうだ!確か、ビビル・バザールって言ったな。」と、若干確証はしないけれどもと言ったニュアンスの答えが返ってきた。で、その名前を忘れないよう書きとめる為にもう一度聞き返した。「え、と、そこはビビル・バザールっていう名前なの?」と。すると今度は完全に思い出したのか、「ああ、ビビル・バザールだよ。」と自信たっぷりの返事があった。そして、もう一度尋ねてみた、「ビビル・バザールまでの行き方はわかるかな?」。今度は答えるのが面倒そうに「んー、それは分からないなぁ、リキシャかCNGの運転手に聞いてみて。」と、もうすっかりと話を投げている。今は、名前を聞けただけで十分だった。もう少し詳しく知るためにリキシャか、電動オートリキシャの運転手たちに聞いて回ることにした。

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市場が並ぶビビル・バザールの中心部。

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学校帰りの女生徒ら。

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クミッラからビビル・バザールまでの道。未舗装でガタガタだ。という事は輸送路として開発されてないので、それほど大きな貿易は行われてない小さな国境だと予測出来る。どんな国境だろう、期待が膨らむ☆

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国境手前の検問ゲートと鉄橋。左手にある小屋には制服を着た警備兵?が常駐している。

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鉄橋を渡った先のゲート。

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ゲートから鉄橋 (クミッラ方面) を振り返る。

■ クミッラからビビル・バザールへ
クミッラの街角に貼ってあった「STOP BORDER KILLING」というポスターを見て、今滞在しているクミッラがインドのトリプラ州とほど近い事に気づき地図を開き確認した。すぐに泊まっていたホテル「Q-Palace」に戻り、そのホテルのフロントの兄ちゃんに尋ねインド国境の情報を教えてもらった。インドとの国境の名は「Bibir Bazar (ビビル・バザール)」。あっさりと分かった事に少々ビビる。

ダッカからクミッラへとやってきたのは、この先チッタゴンへ向かう移動の中継地として選んだだけで、特にここでの用事はなかった。なので、国境の情報は非常に興味をそそられた。ただ、運悪くクミッラに着いた翌日が「ホルタル (ハルタル)」の日で、チッタゴンへ行くまでにここで足止めを食らう事となる。「ホルタル (ハルタル)」と言うのは、バングラデシュ全土で一斉に行われる反政府活動による大規模なストライキで、公共の交通機関がほぼ全て止まってしまうと言うオソロシイものだ。かつてはそれに順じて暴動なども起きていて非常に危険だったそうだ。が、しかし街は別段不穏な空気が流れているわけでもなくのんびりとしていた。僕が心配気に「明日、ホルタルって聞いたんだけど大丈夫かな?」と方々で聞きまわっていても、皆「ああ、問題ないよ。」と言うばかりだったので安心する。最近は暴動などは起きないそうだが、用のない限りあまり外には出ない方がいいよと教えてくれた。ストライキで動かないのはバスとCNG、鉄道だそうで、リキシャは大丈夫、走っているよと言っていた。夕方になるとストライキは解除されバスも動くだろうとの事。

ホルタルの日、昨日聞いたインドとの国境「ビビル・バザール」へ行くために、ひとまずシャションガチャ・バス・ターミナルへ向かい、ビビル・バザールへの行き方を尋ねてまわる。しかし、ストライキでバスは動いてないので、停車しているバスも少なく運転手もいなかった。バス、CNGが走ってない分、道路はがらがらで静かだ。そんな中で仕入れた情報は、CNGか乗り合いの電動オートリキシャだと30TKでいけると言うことだった。しかし、この日はホルタルだから動いていない。電オートリキシャも見かけるものの数が少なく近距離しか運行していない。まぁ、近くまで行って考えようと、電動オートリキシャに乗ってクミッラの繁華街「カンディルパール」、その先の「チョーク・バザール (Chowk Bazar)」へと向かった。10TK。「カンディルパール」までの道はホルタルの影響で通行止めとなっていたので回り道をする。

バス・ターミナルから乗った電動オートリキシャは約15分ほどで、「チョーク・バザール」へと着いた。途中走った街の店はどこも閉っていて閑散としている。CNGなどの車両がホルタルで営業できないとばかりになのだろうか、修理工場だけはしっかりと営業していてメンテナンスを待つ車が数台並んでいる。工房からは金属音と火花が散っていた。「チョーク・バザール」で降り、再びここで「ビビル・バザール」へ行きたいと尋ねてまわると、あっちだ、いやこっちだと教えてくれる方向が違う。混乱してきたので、少し歩いて別の場所へと避難。その様子を見ていた少年が声をかけてきた。「ウモル」と言う名で、少し英語が通じた。「今日はCNGが走ってないからビビル・バザールへは、リキシャで行くしかないよ。それでもいい?」と、そして「僕が捕まえてあげるから待ってて」と頼もしい。時折通り過ぎるリキシャを捕まえては国境までの運賃を交渉してくれている。リキシャワラはこの日に限っては遠いところへ行きたくない様子で、そっちは行かないだのと言い過ぎていく人が多い。かろうじて交渉出来ても100TKという値段だったりする。それを見ていて、今日は運賃に特別割増が必要だなと思いはじめた頃、ウモルはひとりのリキシャワラが50TKでOKだよと言って連れてきた。「有難う!」と礼をしてリキシャに乗る。ウモルも「いい仕事したぞ」といったような嬉しそうな顔で「気をつけてね」と見送ってくれた。

これで安心して国境へと行けると思ったが、そうではない事が分かった。僕が乗ったリキシャを運転するのはやや年取ったリキシャワラ。国境のあるビビル・バザールまでを50TKで交渉OKしたものの、それはこの男が「ビビル・バザール」がどこかを知らなかったからだった。リキシャに乗って間もなくその事実に気づいた。このじいさんはリキシャをこぎながら、おもむろに振り返り、「ビビル・バザールはこの方向でいいのか?」と僕に聞いてきたもんだからリキシャから落っこちそうになった。。「俺に聞いてもわかるわけないやろ!」と、一旦リキシャを停めてもらい、このおとぼけじいさんを問いただす。「まさか、おっちゃん、知らずに走ってたわけじゃないやろうね?」と僕。じいさんはたどたどしく「あ、いや、その、走ったら分かるかなぁと思って」と目をそらすように空を見上げた。再びリキシャに乗り、落ちないように深く腰を落としてガタゴトと揺られながら、ウモルはえらい強引な交渉をしたんだなと、先ほどの交渉していた事を思い返した。リキシャワラのじいさんは人を見かけるたびに「ビビル・バザール」への道を聞いていた。若干、後ろ座席から放つ僕の冷たい視線を気にしている様子だった。街を少し外れると途端に未舗装の道となる。道は凸凹で座席に座っていると揺れ方が半端なく砂埃もひどい。悪路で車輪が回らなかったり、トラクターなどが通ると立ちこめる砂埃で息も出来ないほどなので、途中で降り、また乗ってというのを何度か繰り返し、ようやく小さな集落のある少し賑わいのある場所へとたどり着いた。

ここが「ビビル・バザール」だ。

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並んだトラックの隙間から見えるインド、トリプラ州「バラパタ (Bara Pathor)」との国境。
この先は銃をもったインド兵がいて厳重警備の為近寄れず。

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トラックに砂利の荷積みをしているところ。こちらはバングラデシュ側。

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ビビル・バザールのチェック・ポスト。

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チェック・ポスト横に建っていたコンクリートの建物。

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国境近くを流れる川の土手。

■ ビビル・バザールからコットク・バザールへ
「ホルタル (ハルタル)」の日、クミッラ鉄道駅の近くにあるシャションガチャ・バスターミナルへ行き、電動オートリキシャに乗って「チョーク・バザール (Chowk Bazar)」へと向かった。「チョーク・バザール」でウモルという少年が目的の国境「ビビル・バザール」までのリキシャを手配してくれ、そのリキシャに乗ってビビル・バザールへと向かった。凸凹で砂埃の舞う一本道をガタゴト走り約30分程でビビル・バザールへと到着した。両側に野菜屋や料理店などの商店が並ぶビビル・バザールの目抜き通りで、じさんリキシャワラに50TKを払いリキシャを降りる。まっすぐに伸びた道には賑わう市場が長く続いていた。道脇の青果店には大きな野菜が積まれ、食堂の店先では褐色の揚げ物が黒い大鍋の中でじうじうと泡を吐き、黄金色の油がぴちぱちとはねている。市場を進んでいくと、通りを歩いている人たちの視線が一斉に僕に集まった。バングラデシュでじろじろと見られるのは慣れてしまってたが、一本道の両脇にいる人たち全ての視線を浴びるのはさすがにこたえる。歩く先、通り過ぎた背後から刺さる眼差しに逃げ場はない。

市場のまわりにいた人に尋ねてみた「インドの国境はどこにあるの?」と。すると、「インド国境かい?それならもう少し先だ。リキシャに乗ってくといい、こっちの道だ。」と教えてくれた。すでに、国境は近いだろうと思っていただけに、まだ先があるのかと思うと力が抜けた。もしかしたら国境はすぐ近くなのかもしれないし、どれほどの距離があるのかが分からないので、リキシャに乗る前に少し歩いてみる事にした。市場を抜け道なりに歩き進む、雑木林と収穫の終わった田んぼが広がるだけの素朴な風景が続く。「まぁ、近くにはなさそうだ。リキシャが来たら乗るか」と思った矢先、一人の男が現れた「HI!君、どこから来たの?どこに行くんだい?」と陽気に話しかけてくる。「日本からだよ。インドの国境へ行きたいんだ。」と答えると、少し驚いた様子で、上から下までひとしきり僕の格好を見たあとに「え、インドへ?何しに行くの?身分証は持っているのかい?」と返事がかえってきた。「ん?身分証?パスポートならあるけれど、それで大丈夫だよね。でもインドへは渡らない、ただ、その手前の国境へ行きたいだけなんだ。」と答えた。「そっか、パスポートがあるなら大丈夫だと思うよ。僕の家が国境のすぐそばにあるから案内してあげるよ。ちょうど今から家に戻るところだし。」と願ってもない返事があった。そして、この男の案内で一緒に国境へと向かう事となった。

積極的に声をかけてはくれたものの、この青年どこか控えめな性格らしく、道中は特に会話も弾まずに鳥たち歌声に耳を傾けながらのんびりと歩く。ビビル・バザールからインド国境までは約2kmほどあるという。国境へと歩いていてもこの間を往来するような車とすれ違うこともなかったので、よほど小さな国境なのだなと感じた。景色の変化のなさに飽き、少々歩きつかれた頃、男が左手に見える小さな山に向かって指をさす。「あれがモスクだよ。僕の家はその裏にあるんだ。」僕はちらっとそちらに目をやって、「ああ、そう。」と脱力した返事しか返せない。せっかく国境までを親切に案内してくれているのに悪いなぁと思いながらも、この青年との会話には気乗りがしなかった。この青年に対して何か悪い印象を持っていたわけでもなく、ビビル・バザールへ着いた時点で気が抜けてしまったのと、疲労が足にきていて一歩進むごとに足が重くなっていたからだった。

歩く歩幅が徐々に狭まりサンダルを引きずる音が目立ち始めた頃、ようやく国境の臭いを漂わせる場所へとたどり着いた。小さな鉄橋と検問所らしき小屋が並んでいる。「ここが入口か?」と思っていたら、制服を着た係員が小屋から現れ「どこへ行くんだ?」と寄ってきた。すかさず、隣にいた青年が「この人は日本からの旅行者で、インドの国境へ行きたいというから案内してるところなんだ。」と説明してくれた。係員は「インドへ行くのか?身分証は持っているのか?」と問い返す。僕が割って入り「いや、インドへは行かないんだ。国境まで行きたい。」と答えると、係員は「パスポートを見せてくれ。」と言って手を広げる。僕はパスポートを取り出し手渡した。係員はぱらりとパスポートをめくり、すぐに僕に返した。そんな仕草から、ここで必要だったから要求したわけでもなく、ただ係員の興味でそうしただけのように見えた。僕がパスポートをしまうのを見計らい、「国境はもう少し先だ。」と残して小屋へと戻っていった。小さな鉄橋を渡り道を進んでいく、少し先に竹のゲートが見えた。隣の青年は「ゼロ・ポイントが近づいてるよ」と言った。「ゼロ・ポイントって国境のこと?」と僕が問い返す。「ああ、国境、ゼロ・ポイントだよ」と顔の表情が少々硬くなっていた。「ふうん、ところでここもビビル・バザールなの?」と僕は尋ねた。「んと、ここはコットク・バザール*って言うんだ」ときょろきょろしながら言った。国境の近くに住んでいると言っていたのに、こちらへはあまり来た事がない様子だった。
(*発音は「コットル・バザール」に聞こえる。)
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ゼロ・ポイントの石碑のある小山からインド国境の眺め。嗚呼、トリプラ州が目の前に!
おそらく、日本人としてこの国境に来たのは僕が最初じゃないだろうか。

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事実上ここが国境を示すゼロ・ポイントの石碑。こちらはバングラデシュ側。

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反対のインド側。石碑の中心部が国境を分ける印となっているので、これを撮った時点でインドに踏み入れていたことに気づく。(まさかここが。。)

■ コットク・バザールのゼロポイント
ビビル・バザールからインド国境へ近づくと小さな鉄橋が現れ、その横にある検問所を通りすぎてしばらく歩くと川の土手が左手に迫る。そのまま川沿いを歩き進むとトラックが数台隙間無く連なっているのが見えた。荷台の上には幾人もの人が立って作業している。案内役の青年が「あれがインドとの国境だよ」と教えてくれた。そして、国境地点が先にあるのを目にするや否や「さぁ、もういいだろ、もう帰ろう」と言いはじめた。どうも、この場所に近寄りたくない様子で落ち着きがない。僕が「いや、国境の境界線まで行きたいんだ」と言うと、彼は「無理だよ、ここから先へは行けないよ。君の望みどうり国境が見れたんだからもういいじゃないか。僕はもう帰るよ」とすっかり弱腰になっている。そんなやり取りをしていたら、土手下の細い道にある国境事務所(イミグレ?)の小屋から係員が現れ、「おまえら、何しにここにいてるんだ?こっちへ来い」と呼びつけられる。土手の道の立っていた場所からだと木枝に隠れていて、近くに小屋があったなんて気づかなかった。青年は「ああ、ほら見つかったじゃないか」といった浮かない顔をして一緒に小屋まで降りて行く。

古びた小さな建物の国境事務所へと入ると、係員が机の奥に座りやや緊張感のある雰囲気を漂わせ待っていた。大きく分厚い一枚板の机には本と書類が無造作に積まれている。扉とは反対にある大きな木枠の窓からは柔らかな光が入り、外で茂る葉が壁に柔らかな緑をつける。ここが書斎だったらさぞ落ち着く空間だなと思った。部屋を見渡したところで、係員のシルエットがすくっと揺らめいた。そして、指の甲で机をコツリと叩き椅子から離れる。となりにいた青年はこの音が室内に響くと身を正すように姿勢がよくなった。床をきしませる足音と共に僕のそばへと寄ってきた係員は「君はどこの国から来た?ここで何をしている?」と僕に尋ねてきた。僕が「日本からです。インドとの国境を見たくて、クミッラからここへやって来た。隣の男は僕の案内役です」と答えた。係員の目は隣の青年へと移った。「お前はなんでこの日本人の案内をしているんだ?」と青年に問うた。青年は「この人とはビビル・バザールで会って、インドの国境へ行くって言うもんだから、僕の家がすぐ近くだったので案内したんだ。国境を渡るつもりはないから、すぐにここから引き返そうとしていたところです」と、丁寧に返事をしていた。この状況、まるで放課後に職員室に呼びだされた懐かしい学生時代を思い出す。係員は「ふうん」とうなづいて再び僕の方へと顔を向けた。そして「あんたはパスポートを持っているのか?見せてくれ」と手を差し出す。僕はすぐにはパスポートを出さずに一間おいて答えた。「インドへは渡らない、ここからバングラデシュを出国する事もない。何の手続きもしないのにパスポートが必要なのか?」と。外国人の通れるバングラデシュとインドの国境、いわゆるインターナショナル・ボーダーというのは限られている。パスポートの話が出たことは、もしかするとこの国境からインドへと抜けれるのでは?とふいによぎった。続けて「ここからインドへ行けるの?」と付け加えた。

係員は少々戸惑った様子で「なんだ、お前はインドへ行くのか?(さっきは行かないと言ってたじゃないか)、インドのビザはあるのか?」と聞き返してきた。僕は、余計なことを聞いてしまったなと思いながらも、「いや、インドのビザは持っているがインドへ行く事は全くない。ただ、ここからインドへ入国出来るかどうか聞きたかっただけだ」と、きっぱりと否定の意を示した。係員は少し間をおいて「なら、ここから先へは行けない。インドへ行くというのなら別だが。。ただ、インドのビザがあってもインドへ入国出来るかはわからないぞ」と、はっきりとしない答えを返す。おそらく、現地ローカルの人間なら通行が可能なのだけれども、第三国人である外人が通れるかは(これまでここを通った人がいないので)保障しないという事だ。この係員の話ぶりからすると、バングラデシュの出国自体は問題なさそうだった。僕は係員の言った「ここから先へは行けないぞ」という言葉にあきらめきれず、再度尋ねてみた。「インドへ行かなければ問題ないだろう?ダッカから長い距離を走ってここまで来たんだ。すぐ目の前なんだから少し通してくれないか」と。すると、隣の青年が「もういいじゃないか。帰ろうよ。無理だってこの人が言ってるじゃないか」と邪魔をする。係員は「駄目なものはだめだ。帰れ。」と言って奥の部屋へとひっこんだ。青年は一息ついて「ほら、もう帰ろう」とやれやれ安心した顔で僕に声をかけた。この日はホルタル (ハルタル) でどうせ戻ったとしてもする事がない。もう少し粘ってみようと、奥の部屋へとひっこんだ係員を呼びにいった。すると何だまだいたのか?といった顔をして係員が現れた。そして、改めて国境のゼロポイントへ行きたい事をこの係員に伝える。こうして、約15分ほどのやりとりを続けた結果、パスポートをここに預けること、目立たないようにしてインド側を刺激しないこと、ゼロポイントまで行ったらすぐに戻ること、を条件にこの先への通行にOKが出た。思わず「やった!」と大きく喜びそうになったが、ぐっとこらえ「ありがとう。じゃ、すぐに戻ってくるから。パスポート、これ大事だから絶対になくさないでね」とはやる気持ちを押し込めて国境事務所を背にした。案内してくれた青年は「僕はやめとくよ、もう帰らなきゃ」と言って事務所で別れた。どうも「ゼロ・ポイント」と呼ばれる地点には行きたくないようだ。

バングラデシュの国境事務所を出て少し歩くと「Bibir Bazar Police Chec Post」と彫られた水色の碑が建っている。そこを通り過ぎそのままトラックの停車している場所まで約50mほどを歩き進む。バングラデシュ側に停車しているトラックの荷台では小さな石の砂利を積み込む作業をしていた。トラックの隙間からインド国境が見える。屋根があるだけの吹きさらしの詰め所には、銃を肩にかけた国境警備兵が座っていた。ここから先へは進めない雰囲気でトラックをすり抜けて先へ進むのはあきらめた。と、トラックの横にある小さい土手に人だかりが出来ているのが目に入りそちらへと近づいていった。土手の中央にはコンクリートの四角錐が建っていて、その周りを囲うようにして男達が立っている。その中のひとりに「ここで何してるの?」と尋ねてみた。すると「上がってこいよ」と手招きをする。よくわからないままに土手を登り、皆が囲んでいるコンクリートの四角錐の石碑前に立ってみた。すると隣にいたおっちゃんが「バングラデシュ〜」と、この石碑を指差して叫んだ。この一言で「これが国境を記した石碑かぁ!」と声を上げ見入っていると、周りの人らも次々にこれを指差し「バングラ〜、バングラ〜」と言い始めた。石碑にはベンガル語で何かの文字が彫られていた。そして、この石碑の向こうにいた男が、自分の立っている場所から石碑の見える側を指さして手招きをする。僕が石碑の反対側の面に移ると、さきほどのベンガル語の文字の丁度反対面に「IND」と彫られてあった。「なるほど、ここがバングラデシュとインドの国境にあたる場所だからこの石碑に記しているんだな」と、これを前に自分が国境に立っている事を改めて噛みしめた。顔を上げると、さきほど居た側に立っている男たちが僕を見てニヤニヤとしはじめ、僕を指差しこう言った「ユー・インディア〜」。「ん?」はじめは何の事かわからなかったが、はたと気づいた!
「あー、もしかして、、今僕が立っているところは、、インド??」
「そうか、この石碑の中心がバングラデシュとインドを分けるまさにゼロ・ポイント (Zero Point) なのか!」と石碑のてっぺんを見てペケ・マークがあるのに気づいた。
という事は、僕は今、知らずのうちにインドへと入国してることになるの??と周りの人の顔をうかがい「こっちがインドで、そっちがバングラデシュ?」と聞いてみると、皆「うん、うん」とにこやかにうなずいた。
「…(これはまずい。。)」
隣にいた白いシャツをパリッと着こなした男と顔を見合わせると、突然すました顔で「俺、インド人」なんて抜かしやがった。ふと、ここを囲んでいる男達を見比べてみると、バングラ側にいる男達はくたびれたシャツにルンギというコーディネートでラフな格好をしているが、インド側の男達はシャツにスラックスと上品な格好をしているのが対照的だ。

思いもよらずインドへと入国していた事に焦り、あわててバングラデシュ側へとジャンプしバングラデシュへと戻った。それを見たバングラ側のルンギの男達は戻ってきた!と拍手喝采。いやぁ、そういう事なら早く言ってくれよ、とゼロポイントの石碑からインド側をうかがった。国境警備兵はこちら側のことは全く気づいてない様子だった。

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■index
「ビビル・バザール(コットク・バザール)」はクミッラの東約10kmにあるインド・トリプラ州との国境で、2009年4月23日に開いた。コットク・バザールのバングラデシュ表記はKatok Bazar、インド表記はKotok Bazarとなっている。インド側の町は「バラパタ (Bara Pathor)」。
ビビル・バザールのランドポートは、「Shepherd Comilla Landport 株式会社」によって国境にあるコットク・バザールに10エーカーの土地に造られた。この会社は15年間ここの土地を借り受けた。政府はここで得られる収入の15%を受け取ると言う。


■Getting there and away
Comilla - Bibir Bazar - Katok Bazar (Border)

クミッラ市内からインドとの国境「ビビル・バザール(比波尔巴扎)」までの行き方の一例。
(Feb. 2011時点での情報)


- A -
ビビルバザールまでの電動オートリキシャかCNGが運良くつかまれば運賃は30TK、約30分ほどで行ける。ただ、クミッラ中心部からビビルバザールまで行く車は少ないので、下記「B」に記した途中中継していく方法が早い。ビビルバザールからクミッラ市内へ戻る場合は、ビビルバザールの町の入口で電動オートリキシャ、又はリキシャが客待ちをしているのでそれに乗ればすぐだ。

- B -
1) クミッラの「シャションガチャ・バスターミナル」から「チョーク・バザール (Chowk Bazar)」まで電動オートリキシャで10TK、約15分。
2)「チョーク・バザール」から「ビビル・バザール」までリキシャで50TK、約30分。
3)「ビビル・バザール」から「コットク・バザール」まで約2km(徒歩で行ける)。


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孟加拉国 | 庫米拉 - ビビル・バザール - コットク・バザール (吉大港区)
バングラデシュ、クミッラ - ビビル・バザール - コットク・バザール / チッタゴン地区
Comilla to Bibir Bazar and Kotok Bazar, Chittagong Division, Bangladesh
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2011年04月21日

ダン・シンコン国境 -Dan Singkhorn Border, Thailand / Burma-

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タイとビルマのローカル国境「ダン・シンコン」の国境門。

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国境ゲート下からタイ側の眺め。
山の天気は変わりやすく、山肌には雲がかぶさり雨が降ったり止んだりを繰り返す。

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飾り気のない国境ゲート。

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国境ゲート下からビルマ側の眺め。

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イミグレ・オフィス?がらんとして中には誰もいない様子。

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ビルマ語の看板。何かの注意書き?

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ビルマ (ミャンマー) から友達と一緒にやって来た女の子。
国境そばの市場へと消えていった。


現在、タイとビルマ (ミャンマー) には大きく4つの国境があり、時折両国間で政治的な問題が起こるたびにこれら国境が閉じたり開いたりを繰り返しています。これら4地点の国境はインターナショナル・ボーダーとして比較的知られた場所となっています。

*以下、北から順に。
・(タイ) メーサイ - タチレク (ビルマ)
・(タイ) メソット - ミャワディ (ビルマ)
・(タイ) スリー・パゴダズ・パス - パヤートンズー (ビルマ)
・(タイ) ラノーン - コートーン (ビルマ)

上記4つの国境はインターナショナル・ボーダーなので、第三国人 (要は外人) も通行可能です。そして、この4つの国境以外にもタイとビルマにはローカルな国境がいくつかあるようで「ダンシンコン」にある国境もその内の一つです。現在、この国境は第三国人の通行は出来ず、現地の人しか通れないローカルな国境なので旅行者からみれば大して魅力はなく、その為にあまり知られていない国境です。しかし、タイとビルマの不安定な関係が改善されることはなく、現在開いている4つの国境の通行も流動的で国境貿易には少なからず影響が出ている事もあり、この「ダンシンコン」はタイ、ビルマ間の第5のインターナショナル・ボーダーとして注目を集めはじめているようです。

他、地の利として、
・この「ダンシンコン」国境は、現在開いている他の4国境のどこよりもタイの首都バンコクへ最も近い場所に位置している。
・国境からは港 (タイ湾) に最も近い。ただ、近郊に大きな港がない。

「ダンシンコン」はプラチュアプ・キリカーンの西方わずか約12kmに位置していて、マレー半島でタイが最も狭まった場所にある。マレー半島を「くの字」に曲がった片足にたとえると、プラチュアプは太ももの裏辺りになる。

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■ 国境の蘭市場
ダン・シンコンは第三国人 (外国人) の通れないローカルな国境であるけれども、ひとつだけ見所がある。それは、毎週金曜日から日曜日にかけて開かれている「蘭の市場」(オーキッド・マーケット) があることだ。蘭市場は週末の朝からおおよそ昼の2時までに催されている。賑わうのは午前のうちだ。ビルマ (ミャンマー) から持ち込まれた多様な蘭がここで取引されている。値段はそれぞれで異なりまちまちで、珍しいものは当然高い。売買価格にご興味ある方はメールください。日本では蘭というと大事に大事に育てられているが、ここでは珍しい種を除けばいくらでもあるせいか、けっこう雑に扱われているのが面白かった。

ORCHID-ALL.COM
http://www.orchid-all.com/Buy-Orchid.html

ダン・シンコンの'orchid market'についての記載あります。

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雑貨店の女の子。なんだか妙に色気がある。

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ビルマ (ミャンマー) 製のものが沢山並べられている。

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コーン (噛みタバコ) で口まわりが赤黒く染まっていたおばさん。かなり照れている。

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日焼け止めのタナカを塗ったおばちゃん。貫禄。

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■ 蘭市場の周辺
蘭の市場は午後二時で終了。すっかりとくたびれた売れ残った蘭の苗たちが店の軒先に吊るされている。どんよりとした空を仰ぎながら「また遠い道のりだね」と小声でつぶやく。蘭の市場の周辺にはビルマ製の雑貨や食材を売る店が並ぶ。ぽつりぽつりと、店仕舞いが始まった。

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この先から遠くの山間に緑の平地が広がる、眺めの良い光景が左手に見えてくる。

■ プラチュアプ市内から国境へ
プラチュアプ市内でシンコン国境行きの交通を探し尋ね歩く。市場、バス乗り場、交番など、他バイクタクシーの運転手たちに聞いて回るうちにおおよそが分かってきた。どうやらバスやソンテウなどの公共の交通機関ないようで、サイドカー・バイク (名前忘れた) かバイクタクシー、もしくはバイクか自転車をレンタルして自分で行くしかないと言う事が判明した。となると、サイドカー・バイクかバイクタクシーに乗っていくのが一番早い。これら運転手たちに的を絞って「国境行きたいんだけれど」を挨拶代わりに、料金の相場調べと同時に交渉をはじめた。シンコン国境はプラチュアプ市内の西方約12kmにある。バイクで行けば20分くらいだろう。サイドカー・バイクの運転手たちは暇そうにしているわりに、300から400Bといい値段を吹っかけてくる。しかもこれは片道の値段だ。中には「遠いから俺は行かないよ。」と、値段交渉をする前にさっさと立ち去って行く野郎までいて、当初は冷やかし半分でのんびりと尋ねていたのが、徐々にこちらも真剣に切り替わってきた。

そんな中、海を背にし国境のある西の方へと伸びる道を歩いていると、よれよれのじいちゃんがサイドカーに乗って、これまたよれよれと走ってきた。腕を伸ばしておっちゃんを止める。「ダンシンコンまで行きたいんだけど。」と言うと、おっちゃんは「はぁん、国境かい。ちょっと待ってな。」とポケットから小さな手帳を取り出し、そこに記されていたケータイの番号に電話をかけた。電話を終えると「ちょいと、待ってな。今、ひとり呼んだから。」と言って、道路脇にあった屋台をばらしはじめサイドカーの横座席に乗せていく。
間もなくして、ひとりのおっちゃんが現れた。バイクタクシーの運転手だ。サイドカーのおっちゃんはバイクタクシーの運転手に向かって「ダンシンコンまでなんだけど、どうだい?」と言ってこちらへと視線を流す。バイクタクの運転手は「そうだな、400Bなら。」と、こっちに向かって答えた。僕は即座に「400Bは高いから無理だ、200ならOKだ。」と言って返す。しかし、バイクタクの運転手も引かない。しばらく値段の折り合わないまま時間が過ぎ去っていった。最後は「200B以上は出せない。それ以上ならあきらめるよ。」の一言で話はまとまった。運転手が折れた。ややあきれた表情をしていた。そりゃそうだろう、呼ばれてせっかくやってきたものの、のっけから言い値の半分以下の値段しか出せないというのだから。

そして、バイクに乗る前にひとつの質問が飛んできた「あんた、IDは持ってるのかい?」と。「ID?パスポートなら持ってるけれど。」と答えると、「ああ、じゃぁちょっと見せてくれ。」と言って手を差し出す。なんでそんなものが今必要なのかわからず、「国境へは行くけど、越えないよ。ビルマには入らない。」と念を押し返事する。様子から、どうやら途中でチェックポイントがあるようだった。パスポートを見せると運転手は一安心し「さぁ、乗りな。」とバイクを横につけた。バイクに乗り「乗ったよ。」と合図をすると勢い良く走り始めた。

いざ、シンコン国境へ!
大きなペッチャカセム通り (国道4号線) へと出ると、中央分離帯を横切り西へと続く道へと入り込む。上空には重い雲が広がりはじめていた。雨がくるなぁと思いながら、バイクはぐんぐんと速度を上げていく。ひんやりと湿った風が肌にあたる。次第に雨粒が当たりはじめた。「降ってくれるな、本降りになる前にどうか着いてくれ」と願いながらS字、坂道を縫ってバイクは走る。ペッチャカセム通りから15分ほど走ったところで、警官らしき男たちが3人立っていた。バイクは速度を緩め彼らの前で停まった。
「どこへ行くんだ?」と男たち。
「シンコン国境へ行きます。」と運転手。
「後ろに乗ってるのは?」
「日本人です。パスポートも持っていますし、問題はありません。」と運転手。
「マーケットに行くんです。」と僕が付け加えた。
「ふうん、そうか。じゃぁ行ってよし。」と警官は首を道先に向けひねった。

運転手は再びエンジンをかけた。そして走りざまに「国境はもうすぐだ。」と言って、ぐいっと体を縮めバイクの速度を目いっぱいに上げた。プラチュアプから約25分弱を走って、ダンシンコンの国境へと到着した。国境へ着いた途端、それまで耐えていた雨が降り始める。「これは空のうれし涙かな?」と思いつつ、坂道の先に構える国境門へと急いだ。


泰国 | 巴蜀
タイ、プラチュアプ・キリカーン
Prachuap Khiri Khan, Thailand
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2010年12月24日

ハティンからケップへ(サーシア・プレックチャック国境) -Vietnam to Cambodia, 2010-

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朝の散歩後、ハティンの市場「Cho Ca」の向かいにある食堂横丁のカフェでコーヒーを一杯注文する。5,000ドン。座った水色のテーブルがちょうど今日の空と同じ色をしている。間もなくアルミのフィルターとグリーンがかった小さなグラスがやってくる。コーヒーがドリップしている間、読みかけていた文庫本を開いて続きを読む。気泡まじりのブ厚いグラスの内側には、汗をかいた額のように大粒の露が貼り甘黒色の液体が静かに溜まっていく。ベトナム式のコーヒーは一滴一滴と雫が落ちていくのをゆっくりと待つ、その間の時間がとてもいい。濃厚なコーヒーがグラスの底に流れ落ちる様子は、砂時計と良く似ている。砂糖を多めに放り込んで三口でグラスを空けた。最後に、溶けそこねグラスの底で小さな山となっていた砂糖を小さなアルミのスプーンですくい取りカフェを後にした。
今日でベトナムの滞在を終え、カンボジアへと向かう。

宿に戻り、正午前にチェックアウト。宿のすぐ近くの雑貨屋へ出向いてベトナムの通貨ドンを両替してもらおうと店主を呼んだ。昨日の話では、ドンをカンボジアのリエルに両替してくれるという事だった。「4,200ドン=1,000カンボジア・リエル」とレートも申し分ない。昨日の時点では手持ちのリエルがないので、明日また来てくれとの事だったので改めて今日顔を出したが、店主の「いやぁ、リエルはないんだ。」の一言であっさりとこの話は終わってしまい拍子抜けした。店内を見渡すと、ベトナムの中部ダラット産のワインが置かれていた。気になって手にとってみるとアルコール度数が15%もあり葡萄の糖度がいかに高かったかが示されている。きっと濃厚なんだろうなと、その味を確かめたくなり購入しようとしたがコルク抜きを持ってないのに気づいて断念した。それにこんな度数の高いワインを750ml丸々一本も飲めない。

店を出て、国境までの足を捜す。5分も経たないうちにセーオム (バイクタクシー) の兄ちゃんが声をかけてきた。Khiemという名。バイクにまたがりながら開口一番「カンボジアへ行くのか?」「ああ、ケップまでだけど。5ドルくらいかな?」と返す。(ハティンに到着した日に乗ったセーオムの運転手はケップまで10ドル前後だと言っていたのでその半分の値段で言ってみた。)すると、「うーん、ケップまでなら7ドルだな。」と言うので、「わかった、じゃ7ドルで。ベトナム・ドン支払いでいい?」と答えると「ああ、別にかまわないよ」との返事。なるべくドルは残したままにして手持ちのドンを減らしたかった。「7ドルのベトナム・ドンは…」と計算機をはじいた。「1ドルが18,500ドンだから、、掛ける7で、129,500ドンか。じゃ13万ドンでどう?」とKhiemに言うと「OK」と即答だったので、荷物を乗せすぐにバイクに乗った。Khiem曰く、ここからチャウドックまでバイクなら2時間、バスなら4時間で行けるとの事。

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ベトナム中部、ダラット産のワイン「Vang Dankia」

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紅白のブーゲンビリア。

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民家。濃い青の窓ガラスが白壁に合っている。

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"Duong AP4 - Xa Xia"

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学校帰りの兄と妹。教科書を綴じている赤いリボンがいいね。

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カンボジアを行き来しているバイクは赤土まみれなので一目でわかる。

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緑が眩しい!

ハティンからサーシアまでは約7kmほどの距離。右手にぬおんとそびえる岩山タッダンが見えてきたら半分ほどを通過した印。タッダンを過ぎると道はYの字に枝分かれているが、そのまま本枝の方を走る。あとはただ、ひたすらにまっすぐに伸びた道を走り続ける。両側には遠くに小山が見えるのんびりとした田園風景が続く。道沿いにはペンキが剥げ、色褪せた大きな看板がちらほらと見える。左手に「Cho My Doc」という閑散とした市場が見えてくると国境まではもう一息だ。そして約15分弱を走りバイクはサーシアの国境へと到着した。

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■ サーシア国境
バイクはスピードを落としバーの手前で停まった。それまではのんびりとした田園が広がっていた景色の中に、突如ペパーミントグリーンの大きな建物が目の前に現れる。ここがサーシアの国境事務所だ。周囲の和やかな景色とは圧倒的に不釣合いな建造物。右手には詰め所がある。その前を通り過ぎ、事務所へと足を向ける。出国の手続きをしなければならない。セーオムの運転手Khiemは事務所を出たとこで待ってるよといって先に行ってしまった。

建物に入ると受付があり、カウンターにはファイルや書類が無造作に散らかっている。床隅にはどう見ても壊れているだろうと見えるベルトコンベア付X線装置が埃をかぶっていた。面倒くさそうにして係員が現れ、僕の荷物をそのベルトコンベアに乗せろと形式的に指図する。しかし、当然ベルトコンベアが動いてX線装置の中を荷物がくぐり抜けるわけはなく、ベルトの上に置いた荷物をちらりと一瞥し「荷物はこれだけか?」と一言尋ねただけで、荷物検査はさっさと終わってしまった。これこそ「役所仕事」のお手本だ。この何年かでサービスが過剰になりすぎて不気味にすら感じる日本の公共施設などは少しこの横柄さを取り戻してもらいたい。

出国書類に必要事項を記入しパスポートと一緒に手渡すと、出国のスタンプが押され戻ってきた。無事、ベトナム出国だ。

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ベトナム最後の門。

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カンボジア側からベトナムを振り返る。

国境事務所で出国の手続きを終え、カンボジア側の「プレックチャック」へと向かう。出国審査は荷物を広げて調べることもなくあっさりとしたものだった。大きな門構えの建物を通り抜けると、一足先に行っていたセーオム (バイクタクシー) 運転手のKhiemが待っていた。「無事済んだのかい?さぁ乗って。」とバイクの後部席を横につけてきたので再び後ろに乗る。

ここからは砂利道になっている。少し走ると、先に小さな鳥居のような門が見えてきた。ここがベトナムの最終ゲートとなるようだ。門をくぐりり抜けロータリーを横目に過ぎるとカンボジアの国境事務所らしき建物が小さく見えてくる。振り返ってベトナムにさよならを言った。もう、バイクの車輪は赤土の上を走っていた。アスファルト舗装とはまた違った乗り心地で、尻腰が鍛えられそうだ。

約500mほどを走ってカンボジア側の国境事務所へと到着した。


「市場・Cho My Duc」
http://tavola-world.seesaa.net/article/173610311.html


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カンボジア、プレックチャック国境からベトナム方面に向かって。

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右手の黄壁の建物がイミグレ。

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Prek Chak International Border Check Point

■ プレックチャック国境

ベトナム側のサーシア国境で出国の手続きを済ませ、カンボジア側プレックチャック国境へと向かった。サーシア国境ゲートを越えると道はアスファルトから未舗装の赤土に変わる。こんなところにも国の財政力の違いが表れている。

乗っていたKhiemのバイクを降りてトタン壁の詰め所に行き、入国手続きの書類をもらおうと思ったのだが、ここでは健康診断書*を一枚手渡された。入国手続きは少し先の建物で行うそうだ。(*この時期鳥インフルエンザだかで、入国の際にはこういった書類を余計に提出しなければならなかった。)カンボジアのビザはすでに取得していたので、あとは書類を書いて提出するだけだ。ここでもカンボジアのアライバル・ビザは取得できる様子。

黄壁の建物のイミグレで入国の手続きを済ませ、カンボジアへの入国完了。すぐ前にあった車止めバーの向こうに一台の白いワゴンが停まっていた。中から若い白人男性の運転手が現れ「これから、どこへ行くんだい?カンポット?それともシアヌークビル?」と尋ねてきた。「いや、ケップまでだよ。」と答える。すると、「ケップまでなら4ドルで行くよ。」と返答があった。「Wow-4ドルかぁ、魅力的だね。でももうバイクチャーターしたからね。」と、少し後ろで待っていたKhiemのバイクを指差す。男は「そうか残念だね。こっちだとエアコン効いて快適だし、砂埃かぶらなくてすむのにね。」と少々いやみっぽい口調で締めた。

Khiemのところに戻ると、横にはもう一人がいて友人のスーさんだと紹介される。おっとりとしたカンボジア人のおっちゃんだ。ここからケップまではこのスーさんのバイクで行くとの事。そういえば国境へ向かう途中にケータイで何やら話していたのを思い出した。それで呼んだのがこのスーさんだったようだ。念のため、目的地ケップに着いた時にはバイク運賃としてベトナムドン、13万ドンでの支払いでいいかを確認しておく。「OK」との返事でバイクを乗り換える。

「じゃ、ヘルメットをちょうだい」とスーさんに言うと、「カンボジアはヘルメットいらないんだよ。」と返事が返ってくる。「あぁ、そうやったね。」と思い出し、ここから先がカンボジアだって事を改めて確認した。

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「プレックチャック国境」からの続き
http://tavola-world.seesaa.net/article/177489844.html


カンボジアの入国手続きを終え、Khiemと交代したスーさんのバイクに乗りケップへと向かう。国境のゲートを越えるとまーっすぐに伸びた赤土の道が続く。未舗装だけれども道はならされているのでけっこう平坦だ。小石をはじく感触が尻に伝わるのが、なんだか「生きた乗り物」に乗っているという感覚でいい。レンガ色の土煙がぶわっと後ろに舞う。Yeah! Cambodia!

Todd Rundgren "I Saw the Light"
http://www.youtube.com/watch?v=fXq81-cGJr4

from his greatest album "Something / Anything?" in 1972

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水浴びする水牛。

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並木道。

プレックチャックの国境を背に、レンガ色の土煙を上げながらバイクはスピードを上げる。帽子が飛ばされそうで、片手では運転するスーさんにしがみつきながら、もう一方で帽子を押さえる。ただ、ひたすらにまっすぐな道。広がる青い空、真っ赤な大地が視界を二分している。彼方には田園の緑が続き青と赤の二元世界を中和する。そして見事に空の青を写し取った塩田が左手方向に見えはじめた。

20分ほどを走るとT字路に差し掛かり左に折れる。突き当たった幹線道路、ここでようやくアスファルトの道へと変わった。

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焼畑の火を放っているところ。

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間もなくケップへ到着。正午の太陽はアスファルトを輝く銀に変える錬金術師。

■ プレックチャックからケップへ
プレックチャックの国境から20分を走り、ようやくアスファルト舗装の道へと変わった。バイクに乗っていると砂埃をまともにかぶるので舗装された道は願ってもない。これで、安心してたどり着けると思った矢先、スーさんの運転するバイクは幹線道路から外れ畑道に入り込んだ。土の道よ再び。きっと近道なのだろう。両側には黄金色の田んぼが見え、少年が田の枯れた稲に火を放っていた。焼畑の最中だった。畑の道をS字を描きながら進んで行くと再び舗装された道が現れる。このあたりから少しづつ人の集まりのある場所に近づいた気配を感じ、間もなくして左手に海が見えてきてそのまま海沿いを走る。エンジンの音が早くなり、バイクはぐんぐんと加速し始めた。もう目的地ケップへ近づいている気配がする。

白い人魚の像を通り過ぎて数分後、バイクはゆっくりと速度を落とし停車した。あたりには駐車場しかない。「ここがケップ?」とたずねると、スーさんは「そうだよと」答えた。波の音しか聞こえない静かな場所。何にもなさに思いっきり拍子抜けした。時刻は13時45分。プレックチャックから40分ほどを走りケップへと到着した。


越南 - 東埔寨 | 河仙 - 舍夏口岸 (建江省) / プレックチャック - 白馬
ベトナム、ハティンからサーシア国境へ(キエンザン省)
カンボジア・プレックチャック国境からケップへ
Ha Tien to Xa Xia Border, Kien Giang Province, Vietnam
Prek Chak to Kep, Cambodia
posted by J at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | The Border - Blog | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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