2015年03月08日

「死をポケットに入れて」チャールズ・ブコウスキー、より



 ものを書く時は、すらすらと書かなければならない。稚拙でとりとめのない文章になってしまうかもしれないが、言葉がすらすらと流れ出ているのであれば、書く喜びから生まれる勢いがすべてを輝かせてくれる。慎重に書かれた文章は死んだ文章だ。


「死をポケットに入れて」チャールズ・ブコウスキー(中川五郎・訳)、より
"91年12月9日・1:18 AM" 河出文庫(p122)



テレビだったか、新聞だったか忘れたけれど、久しぶりにカルロス・ゴーンの顔を見て、あれ? トマ・ピケティと雰囲気が似ているなと思ってしまった。きっと典型的な高学歴のフランス人の顔つきなのだろう。ピカソとダリ、そして岡本太郎、この三人も何か共通する顔をしている、常識を超えた天才画家。
チャールズ・ブコウスキーとトム・ウェイツも、どこか似たニオイというか顔つきだ。飲んだくれで詩人、その典型的な風貌。二人とも、ほぼ同じころに日本で、もてはやされた時期があった(ずいぶん昔の話なので、記憶のズレがあるかもしれない)。トム・ウェイツは、ジム・ジャームッシュの映画にも出ていたせいで、おしゃれなイメージが先行して、女性ファンがわりと沢山いた。酒飲みといっても、カクテルバーが似合うような感じでとられられていたところがある。洗練された都会のネオンが照らす男の哀愁、といったようなところ。一方、ブコウスキーはアル中手前、筋金入りの飲んだくれ、競馬好きで、たばこ臭くどうしようもない赤ら顔(多分)。写真を見ただけでもうアルコール臭が漂ってくる、そんなインパクトがあったため、男ばかりのファンが多かったように思う。僕はその当時、まだ世の中知らずの学生で、なんでこんなおっさんが人気あるんだろうと、ずいぶん不思議に思っていた。

若いときは、哀しくも見た目のイメージで敬遠していたブコウスキーだったが、改めて興味を持ったのは、何年か前。彼の最後の小説「パルプ」を読んだことがきっかけだった。レイモンド・チャンドラーの生んだ名探偵フィリップ・マーロウに十分匹敵する(というよりも対極にある)迷探偵ビレーンが繰り広げる、ほとんど内容のないめちゃくちゃなストーリー。しかし、彼の書いた文章は、読み手を強引に物語へと引きずり込む魅力があった。ブコウスキー最期の気迫が、一行一行にじみ出ているようだった。そこから少し遡るようにして、彼のいくつかの本を読むようになった。新潮社から今も出ている彼の代表作といっていい二冊の短編集(「町でいちばんの美女」と「ありきたりの狂気の物語」)は、藤原新也さんの写真が表紙に使われていることもあって、僕にとっては入りやすいところもあった。そのうちの一冊「町でいちばんの美女」に収録の物語から、「つめたく冷えた月」という映画が、リュック・ベッソン、プロデュースのもと製作された。そういえば、この映画観に行ったんだ。

ジャック・ケルアックの言葉と、彼の友人だったロバート・フランクの写真。この二つは、きっと同じ時代を過ごしたもの同士が発したモノだからなのだろう、違和感なく結びつく。ビート・ジェネレーションと呼ばれていた仲間たち。ロバート・フランクが奨学金を得て、ほぼアメリカ全土にあたる48州を駆け回り、「The Americans」という一冊の写真集を出版したのが1958年。前年に「路上」を出版したばかりのケルアックが、この写真集に序文を寄せている。これから約30年後、日本がバブル景気に酔いしれていた1980年代末、藤原新也はアメリカに渡り、そこでキャンピング・カーをレンタルし、約七ヶ月かけてこの大陸を縦断した。ロスから東海岸、そのままフロリダに南下し、今度は南回りで西海岸へと戻るアメリカ一周の旅。その間に撮った写真を「アメリカン・ルーレット(1990年)」という写真集にまとめ上げた。電話帳のように分厚い写真集だった。日本で刊行されたブコウスキーの短篇集は、この「アメリカン・ルーレット」の中から選んだものが表紙に使われている。ロバート・フランクの「アメリカ」はモノクロームだったが、藤原新也の「アメリカ」はカラーだった(モノクロームも混在)。アメリカという無味乾燥した土地を、鮮やかな原色で撮ることで、より空虚さを写し撮っているかのように見えた。郊外の住宅地、砂漠、モーテル。人の体温を感じさせない風景ばかりを意識的に選んでいる。藤原新也とブコウスキーに直接の接点はないけれども、ちょっといいがかり的な見方をすれば、ブコウスキーの極めてローカルな小説に、写真で序文がわりのものを添えているような感じがした。この二人を結びつけた編集者のセンスがすばらしい。ブコウスキーと藤原新也は、世代も違うし国籍・人種も違う。何か共通点を見出すなら、どこにも接点を持たないアウトロー、異端な存在といったところだろうか。ケルアックとフランク、ブコウスキーの三人はほぼ同世代になるが、ブコウスキーだけはビート・ジェネレーションの連中とは隔たりがある。藤原新也も日本では異質の写真家で、何かの仲良しコミュニティに属すことなく、作品を発表し続けてきた。特に日本の場合、派閥やコミュニティの中にいた方が、何かと活動しやすいはずだが、むしろそういったものから距離を置いている。きっと、変わり者は変わり者を引き寄せるのだ。国籍も、年齢も関係なく。たとえ、本人同士が知らなくとも、彼らの残した足跡を見、感じとった人がつないでくれる。


死をポケットに入れて
1991年8月から1993年2月まで、ブコウスキー晩年の約二年の間につづられた文章が、彼の死後「The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship」という長い題がつけられ出版された。このタイトルは、本の最後、彼が(本の中で)残した最後の文章となる"93年2月27日・12:56 AM"の冒頭の一行「船長は昼食に出かけ、船乗りたちが船を乗っ取ってしまった(p218)」から取られている。英語圏の人たちにとって、このフレーズは面白みのある響きでもあるんだろうか? 何かのことわざをもじったようなアホらしくも意味深な言葉。ブコウスキーのユーモラスな一面をうまく現しているのかもしれない。思わず、フランク・ザッパのアルバム「Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch(邦題:たどり着くのが遅すぎて、溺れる魔女を救えなかった船)」を連想してしまった。日本版の題は、同じく本文中からの引用で「死をポケットに入れて」。こちらは、本の内容にぴったりと合ったいいタイトルだと思う。


時としてわたしたちはうっかり忘れてしまう。ガス料金を払うことや、オイル交換をすることなどなど。ほとんどの人たちは死に対する用意ができていない。自分たち自身の死だろうが、誰か他人の死だろうが。死に誰もがショックを受け、恐怖を覚える。まるで不意打ちだ。何だって、そんなこと絶対にありえないよ。わたしは死を左のポケットに入れて持ち歩いている。そいつを取り出して、話しかけてみる。

"91年9月12日・11:19 PM" 河出文庫(p20)


この本にあるのは、ブコウスキーがその日に思ったこと、感じたことなどを文章にしたエッセイのようなもの。それぞれにタイトルはなく、ただ書いた日付と時間が便宜的に付けられている。日数にして33日分。目次を開くと、「○年○月○日・○時○分」といったように、ただ日時を示す数字だけが、無表情に並んでいて、ブコウスキーらしくない。これはきっと、出版するために書いていたものでもなく、彼の死後、偶然日の目をみた未発表原稿などの中からカテゴライズし、まとめられたものだからなのだろう。この機械的に記された数字のために、はじめは日記や記録文のような印象を受けるが、読んでいくうちに、その印象は変わってくる。ただの日常記録にはならないブコウスキー節が満載で、相変わらずというか、ページの間から彼のつばが飛んできそうなほど、毒をまき散らしている。「小説」からはなかなか想像つかない、作家の生活や感情の吐露が垣間見られ興味深い。それにしても、半分以上が競馬についての話で、何かしらにつけ、この競馬(ギャンブル)が話の種になっている。ブコウスキーは、競馬の中に人生の縮図を読みとっていたのだろうか。それに次いで文学のこと、そして酒と人生(死生感)についてと続く。


酒はわたしの心の糧となり、意欲のもととなる。

"91年11月3日・12:48 AM" 河出文庫(p106)


ブコウスキーがパソコンに向かい書いている時間帯を、一覧してみると、夜の23時から深夜にかけてが多く、後半になると午前11時から12時台へと変わってくる。深夜かお昼どきが、執筆に適していたのか、彼の以外と規則的な生活ぶりがわかるようだ(ここに書き残した三十三日だけかもしれないけれど)。

またこのとき、彼は長年愛用したタイプライターをしまい、マッキントッシュのパソコン(II si)に乗り換え、文字を打つようになった。この本の中でもそういったことに触れていて、新しい機械に四苦八苦する様子や、それに対する期待などが文章の中に滲み出ていたりする。ふつうなら、年をとるほどに慣れ親しんだ道具により愛着を感じ、それを使い続けるのだろうけれども、ブコウスキーの場合は全くの正反対だ。あっさりと古いタイプライターを手放し、新しいツールに挑戦する。このあたりに、彼の創作に対しての強い気持ちが出ているのだな、と思えた。タイプライターで文字を打ち、間違えたら都度修正液で消しまた打ち直す。もしかすると、こういったことを長年繰り返してきたことに、ブコウスキーはもううんざりしていたのかもしれない。パソコンなら、カーソルをひとつ動かせば文字の訂正はすぐに出来るし、コピペで簡単に前後の文章の移動ができてしまう。彼の頭の中で次から次へと溢れでる言葉を、瞬時に文字に変換するには、コンピューターの方が適切だったのかもしれない。そうではなく、彼がもうすでに自分の死を悟っていたとしたら、ある種その死に対する彼なりの抵抗だったのだとも思える。

彼の行動は、「安部公房の遺稿がワープロのフロッピー・ディスクに残されていた」というエピソードを連想させたり、「晩年、体力と視力の衰えにより絵筆を持てなくなったマチスが、道具を色紙とハサミに代え、切り絵で創作活動に挑むようになった」という話などを思い出させる。天才たちの創造の源泉、エネルギーというのはどこから来ているのか? また彼らは何に突き動かされ、ことばを紡ぎ、絵を描こうとしたのだろう? きっと、自分自身から湧き出るものと、何か巨大な"意志"というものが存在していて、それが才能のある人たちにパワーを送り、動かしているんじゃないだろうかとも思う。


コンピューターを手に入れてからというもの、わたしの書くものはパワーも分量も倍増した。魔法の代物だ。ほとんどの人がテレビの前に座り込むように、わたしはコンピューターの前に座り込む。
(中略)
タイプライターで書くのは、泥の中を歩いているようなものだ。コンピューターは、アイス・スケートだ。猛烈な突風だ。言うまでもないことだが、自分の中に何もなかったら、どちらでも同じことだ。

"91年10月2日・11:03 PM" 河出文庫(p61)


1994年3月9日、ヘンリー・チャールズ・ブコウスキー没。


いや、わたしにはまだ老人年金もある。毎月九四三ドル。七十歳になったので、支給されるようになった。しかしそれも永遠には続かない。

"91年10月3日・11:56 PM" 河出文庫(p65)


Books-Bukowski.jpg
"The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship" (1998) &
"Pulp" (1994) by Charles Bukowski (Japanese Cover)

Movie-LuneFroide.jpg
● 映画「つめたく冷えた月」(Lune Froide / Cold Moon)のチラシ。フランスでの映画公開は1991年、日本は1994年公開。「グラン・ブルー」が大ヒットしていた中、リュック・ベッソンがプロデュースした映画というふれこみで、わりと話題になっていた(残念ながら彼の監督作ではない)。宣伝チラシを見てもそれはよくわかる。監督の名前を一番上に置く配慮をしつつも、プロデューサーであるリュック・ベッソンの名に目がいくよう、うまくデザインされている。
映画は、ブコウスキーの一番有名な短篇集「町でいちばんの美女」に収録の二篇、「人魚との交尾」と「充電のあいまに」を元にして作られている。この二篇の物語は非常に短くて、ふたつ合わせてもわずか22ページしかない。改めて読み直すと、ヘミングウェイの初期短篇集「われらの時代」「男だけの世界」を思わせる、粗くぶっきらぼうで男くささ漂う文体がかっこいい(とくに「殺し屋(by ヘミングウェイ)」での会話やシチュエーションなど)。当時、劇場でこの映画を観たけれども、内容はすっかり忘れてしまった(というよりも途中で寝てしまったので記憶にない。エンドロールが流れ、会場が明るくなると、ちょっとした恐怖がやってきた。デート中に寝るなんて、どういう神経してんの! とえらく怒られ、次回から一緒に映画を観る場合は、タバスコ入りの目薬が用意されるようになった。この責任は映画監督にとってもらうべきなのか、それともプロデューサーになるのか、あるいは原作者に向かうべきなのか? 当時はさっぱりわからなかった。映画館でフランス映画を観るというのは、世界最強の睡眠薬を服用する、ということなのだ)。60'Sの英国ロックがふんだんに使われていたので、音楽好きには楽しめると思う。なかでもジミヘンの「House Burning Down」がめちゃくちゃかっこよく使われていて、その印象がすごく強い。映画を観終わった(ひと眠りした?)帰りに、LOFTのCDショップ"WAVE"で、この曲の入ったアルバム「Electric Ladyland」をいきおいで買った記憶がある。そんなわけで、僕はブコウスキーと聞くとジミヘンをすぐに思い出してしまう。

Zappa-ShipArrivingTooLate.jpg
"Ship Arriving Too Late to Save a Drowning Witch" / Frank Zappa (1982)
*ジャケット画像はdiscogより


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月03日

重力の虹から白鯨、スタバ


たとえば世界が鯨の論理で廻りアメリカ合衆国が捕鯨大国であった19世紀中葉、ハーマン・メルヴィルは長編小説『白鯨』(1851年)を発表したが、それから1世紀以上を経て、ピンチョンは世界がミサイル(ロケット)の論理で廻っている時代に注目し、それを背後で突き動かす巨大な力を描き出すためにナチスドイツゆかりのV2ロケットを中心に『重力の虹』一冊を費やした。『白鯨』が神の仕掛けた「壮大な演目(グランド・プログラム)」の隠喩(いん ゆ)で始まり「劇(ドラマ)」の終幕を告げて終わるように、『重力の虹』もまた「戦域(シアター)」で始まりオルフェウスという名の「劇場(シアター)」 で幕を閉じる。



■ 書評:『重力の虹』トマス・ピンチョン著、佐藤良明訳 (by 巽孝之)
http://www.sankei.com/life/news/141116/lif1411160028-n1.html



ピンチョンを読んでいてさみしいなと思うことがひとつあって、まわりにピンチョンを読んでるひと、知っているひとでもいいんだけど、それが一人もいない。音楽や映画は、再生機器のボタンをただ押すだけで鑑賞できてしまうから、マイナーなものまでいろいろと詳しい人は多いのだが、書物にかぎっていえば読み解くのに時間もかかるし、やっぱり自分でひとつひとつ消化していくしかない。とはいえ、本にしても、絵画や音楽にしても、全体を俯瞰して見るのはなかなか容易ではないし、体系的なとらえ方ができている人も数少ないように思う。ただ、好きか嫌いかといった二元的な思考でしか、ものごとを見れない・感じ取れない人ばかりなら、作り手にとっても不幸なことだろう。その点、ピンチョンと彼のファンは恵まれているように思う。深読みするぐらいじゃ読みとけないほどの世界観を描いているだけに、読み味わう楽しさが格別になる。

それにしても「重力の虹」は、前評判どおりよくわからない小説だ。でも、なんだかものすごく揺さぶられるものがある。とてつもないデータのつまった巨大サーバーに、処理速度の遅いパソコンで挑むような、リロードにつぐリロード、途中いいところで読み込んだデータが飛んでしまって、再度接続。みたいな感じで少しづつ読み進むペース。このまどろっこしさが、うっとしくもあり、楽しかったりもする。

上記リンクの書評には、エイハブ船長で有名な「白鯨」になぞらえ「重力の虹」の全体的なイメージを説明している。子供のころに児童書で読んだ記憶のある「白鯨」。「海底二万海里」とごっちゃになっているのだけど、「白鯨」も読み直してみたくなった。そういえば、19世紀から20世紀初頭にかけては海洋小説(の名作)というのが、わりと多かったなと思う。「白鯨」やヴェルヌの「海底二万海里」はもちろんそうだし、コンラッドの「ロードジム」「闇の奥(←コッポラはこの小説を下敷きに、ベトナム戦争という時代設定に置き換え"地獄の黙示録"を製作した)」、モームやコナン・ドイルも印象的なものをいくつか書いている。帝国主義時代にかけての社会が、文学の流れにも当然のように影響しているからなのだろうけど、あとから振り返るとそれが如実に表れているのが面白い。

で、「白鯨」についてを見ているうちに、その中に登場する人物「スターバック」で、ひとつつながった。スタバで「白鯨」を読んでいる客がいたりすると、きっと創業者は大喜びするのだろうな。


コーヒーチェーン店「スターバックス」の名前の由来は、本作の一等航海士スターバックである。なお、白鯨中コーヒーという単語はただ一箇所でしか出てこず、しかもそれは油を使い果たしてしまった捕鯨船が無心にきた缶を誤認したもので、スターバックがコーヒーを飲んだことも好きといった表記はない。

『スターバックス成功物語』ハワード・シュルツ(日経BP社)
■ 白鯨 - wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

ピンチョン映画「LAヴァイス」4月18日公開! しかし…


ピンチョン原作の映画「LAヴァイス(邦題)」が、監督の意向により原題の「インヒアレント・ヴァイス」に急遽変更。というちょっとしたアクシデントがあった模様。

これまでも、配給会社や翻訳家などは、海外映画のタイトルをうまく日本の観客に伝えるために、ネーミングにいろいろ工夫を凝らしている。原題とは全く違うものだったり、あるいは原題以上にうまく映画の中身を表しているなと思うもの、そのまま訳しても十分に意味の伝わるもの等、いろいろあったりして、そういうギャップを見ると海外でのことばや文化の捉え方と、日本での捉え方の違いが分かったりして面白い一面がある(キューブリック監督は、セリフの翻訳までに口をはさむうるさい人だったようで、日本語訳の字幕をまた英語に直させてチェックするという異常な完璧主義な面があった。/ 戸田奈津子「字幕の中に人生」のなかで紹介されていたエピソード、より)。今回の映画タイトル「インヒアレント・ヴァイス」という単語は、日本人にとっては馴染みがなく、少々伝わりづらいところがある。動員数にもきっと影響があるような感じがした。

この小説を翻訳された佐藤良明(サトチョン)さん曰く、「インヒアレント・ヴァイス」というのは保険業界で使われる専門用語なのだそう。意味するところは、ミルクが腐るのは「内在する悪性(Inherent Vice)」によるものであって、事故や何らかのアクシデント、あるいは誰かによる陰謀ではないから保険の適用から除外されるということなのだと。
(雑誌「新潮」2010年5月号 特集:新世紀トマス・ピンチョン、より要約)
なかなか意味深い言葉だから、たしかに監督からすると「LAヴァイス」という邦題は、また違った印象になってしまうのだろうな。80年代に大ヒットしたテレビドラマ「マイアミ・ヴァイス」を連想させるところもあって、もしかするとそういったところが気になるんじゃないだろうか。

本も映画公開とあわせて増刷?


ピンチョン原作映画の邦題が公開2か月前に異例の変更
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/365792/
posted by J at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月18日

「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン、より


この数年、自分の中で何か一巡したような感があるせいか、何を見ても、聴いても、十代の頃にあったような純粋な感激や心揺さぶられるようなものと出会うことがなくなってしまった。すべては焼き直しにすぎないのかなと、心ここにあらずな状態で、様々なものに接することが多くなっている。ところが、しかし、ピンチョンだ。僕の目には、果てしなく続く不毛な大地に虹色の光がすっと差し込んだ、そんな存在に映った。こんな巨大な才能がいたなんて。それを知らずにいたなんて、おまえの感性なんてたかが知れてるんだよと、いわれたも同然でえらく恥ずかしい。反省して、最後尾から追いかけることにしよう。今からでも追いつくといいんだけど。



 ある夏の日の午後、エディパ・マース夫人はタッパーウェア製品宣伝のためのホーム・パーティから帰って来たが、そのパーティのホステスがいささかフォンデュ料理にキルシュ酒を入れすぎたのではなかったかと思われた。


「競売ナンバー49の叫び」トマス・ピンチョン(志村正雄・訳)、より
ちくま文庫(p8)



「競売ナンバー49の叫び」はこのようにして始まる。もう、のっけから、吹き出してしまった。なんだか、人をおちょくってるかのようなふざけた一文なんだけど、この短い文中にもいくつかの記号が埋めこまれていて、非常に巧みだなと感じた。なんでタッパーウェアなんだ? とか、隠し味のキルシュ酒を入れすぎたせいで、きっとパーティは華やかで大成功に終わったのだろう、とか、あるいはおっちょこちょいな人たちが集まった、とんちんかんなパーティだったのだろうな、という想像が働いたりして、この先物語がどんな風につながっていくんだろうと、わくわくしてしまう。この短い導入文は、この後の物語の展開が、お酒による軽い陶酔感のあるエディパ夫人の空想を描いたもの、としても受け取ることができる。本の最後には、複雑に意味をかけられた単語や暗喩の解説が沢山載っているので、それを手がかりに物語を読み説いていけるようになっている。多くのピンチョン研究者がいるのもうなずける。

ピンチョンの文章は、さっと読んだだけでも強力なインテリジェンスが流れているのがわかる。深い意味が込められているのか、高度なジョークなのかわからないところも面白いし、物語の筋に沿って文章と文章とが丁寧に織り込まれているのが一番の魅力に思えた。それが縦糸と横糸だけじゃなく、もう一つの軸、つまり上下方向、さらにクロスするような軸も時折混じってくるので、なんというか文章に立体感がある。こういう文体はこれまでに遭遇したことなく、とてものめり込んでしまった。普段読む多くの小説、これらは通常、物語の進行方向に向かって、いくつかの枝が分かれ、それぞれのエピソードが展開していく。少し凝った小説だと、時系列をぶった切って、前後に配置したり、人称をうまく操作することで、物語に少しアクセントを出したりするのもあるが、それでも方向性は同じ軸上で二つ三つほどしかない。一度、ピンチョンに触れてしまうと、それらがわりと平坦に見えてしまうのが、なにか恐ろしい(わかりやすく言えば、カラーテレビを見たあとに、白黒テレビの画面を見るような感じ)。ピンチョンは単にストーリーを描くのではなく、言葉と言葉をつなげ、その間から派生するイメージを使って、何かオブジェを作っているんじゃないかという風に思えた(ふと、コンラッドとどこか通じるものがあるように思ったり)。
まぁ、きちんと読み解けるようになるには、まず原文を読まなければならないし、彼以上の知識量、当時の時代背景やアメリカ文化などを理解しておかないとついていけないところもあるが、今のところ日本語訳で出ているものには、翻訳者(ある種研究者的だったりする)の愛情たっぷりの注釈がしっかりとついているので、そう気構えることなく楽しめる。むしろ翻訳本でここまで丁寧に、注釈や解説がなされていることに、なにか熱いものを感じる。



高橋 「V.(←ピンチョンの長篇デビュー作)」もそうだけれど、ピンチョンは錯綜した、下手糞かなと思えるようなセンテンスで文章をつないでいくから、その軋みが熱を発するんですね。逆に言うと、わかりにくくないとだめなんですね、ピンチョンが生きて書いている時代の熱を伝えるためには。誰の頭へもスッと入るような文章だったら、熱なんか発生しない。

「小説の読み方、書き方、訳し方」 柴田元幸・高橋源一郎、より
"美しい翻訳、鼻につく翻訳" 河出文庫(p151)


柴田さんと高橋さんの文学と翻訳についての対談本の中で、ピンチョンの文体について触れられている箇所があり興味深かった。文章と文章をつないでゆく、その間で思考の摩擦が起こるというこの部分が特に印象的だった。確かに読みやすい、リーダーフレンドリーな文章というのは、多くの人に受け入られるのだろうけれど、一方で読み手を怠慢にしているという側面もあるんだなと、気づかされた(でも、"いい読みにくさ"と"悪い読みにくさ"は絶対にあると思う)。まぁしかし高橋源一郎さんの著書「ジョン・レノン対火星人」もけっこう理解しずらい小説だったりするので、変人同士にしか通じない言語感覚というものがあるのかもしれない。



初期の短篇集「スロー・ラーナー」から僕のピンチョン体験がはじまって、入門編に最適な「競売ナンバー」を読み終わり、いま世界文学史上最大の問題作と名高い「重力の虹」を読みだしたところ(意味不明だらけだけれど、佐藤良明さんのすばらしい訳のおかげで以外と読みやすい)。富士山にも登ったことない人がいきなりエベレストを目指すようなものだけど、何かこの作品には強烈に引き付けられるものがある。


Pynchon-CryingOfLot49.jpg
"The Crying of Lot 49" Thomas Pynchon

「競売ナンバー49の叫び」が出版されたのは1966年(書かれたのはおそらくその二、三年前になるんだろうか。初期短篇集「スロー・ラーナー」に収録の「秘密のインテグレーション」が1964年発表)。この年はビートルズの「リヴォルバー」やストーンズの「アフターマス」などがリリースされているので、どういった時代だったかは音楽好きにはなんとなく想像がつく。1963年のケネディ大統領暗殺後、アメリカはジョンソン大統領へと政権が変わる。1965年に、アメリカは北ベトナムへの大規模な爆撃を開始するも、全世界的な反戦運動が広がりを見せ世論は動いてゆく(1967年10月にワシントンDCに約10万人がデモのために集まり、この運動はピークに達する=ペンタゴン大行進)。話の中に当時のアメリカ社会を直接におわせることは書かれていないが、作品に漂う雰囲気には何か時代を映しているものがあるように思う。
この1966年という年の前後に出版された本を見てみると、なかなかすごい。なんだか魔法のかかったような時代だったようにも思えてくる。いくつかを見てみると、まず同1966年にはブルガーコフの「巨匠とマルガリータ(この作品は1928-1940年にかけて書かれたものだが、当時はソ連当局による思想言論の弾圧・規制があり、1966年にようやく出版となった。西側諸国へは1967年に翻訳本が出ている)」があり、前年1965年にはカポーティの「冷血」、そして翌1967年が特に際だっている。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」、ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」、カルヴィーノの「柔らかい月」等々(日本では安部公房「燃えつきた地図」、寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」、大江健三郎「万延元年のフットボール」)。作家にとって、代名詞となるような作品がこの1960年代後半に集中し発表されている。これらは、今も世界中で愛読されている普遍的なものばかりだ。半世紀もの前、大企業が資本をかけて、多量に流していただろう商品広告や流行品などを、今もはっきりと覚えている人なんていないだろう。しかし、一人の人間が机に向かい、静かに書き上げた物語は、こうして世代を(そして言語を)越え、長く読み継がれている。今僕たちが接している"文化"というものは、こういったたエヴァーグリーンな作品がいくつも積み重なった、その上にあるのだなと思うと感慨深いものがある。時代毎に流行り廃れてゆく、消費期限の短いものからは、決してなにも生まれないし育たない。時の審判による証明ほど確かなものはないのだなと。


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

トマス・ピンチョン「LAヴァイス」の映画


Inherent Vice - Official Trailer

最近読み始めて、えらくハマってしまったトマス・ピンチョン。いや、すごい。
(この人、マスコミやメディアの前に出てくることはなく、謎に包まれていて、本人を知る手がかりは作品にしかない。文学賞の授賞式には全く関係ない代理人を行かせたり、賞そのものを辞退したり。プロフィール写真すらない徹底ぶりには、凡人の理解を超えるものがある。こういった姿勢だけでも巨匠感ばりばりでカッコイイ)
第一印象は、フォークナーやヘンリー・ミラーに匹敵するスケール感のある作家だなと思えた(理系のヘンリー・ミラーといったらわかりやすいか)。アメリカという国は、さすが国土がでかいだけあって、変人のレベルも桁が違う。

作品を少し掘り下げてみたいなと思って、ネットで調べていると(なんせ謎だらけだから)、ピンチョン原作の「INHERENT VICE(邦題:LAヴァイス)」が映画化されたという記事がいくつかあった。しかもつい最近、アメリカでは今月12日に公開されたとのこと。予告編みると面白そう。日本公開が楽しみ。

p-InherentVice-Poster.jpg



トマス・ピンチョン全小説『重力の虹』刊行記念インタビュー
永遠の虹――翻訳を終えて(佐藤良明)
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/537212.html

posted by J at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

「インドの大道商人」山田和、より


グリヤというのは「人形」という意味で、バールというのは「髪」という意味。つまり「人形の髪」って名前のお菓子です。
"綿菓子売り(グリヤ・ケ・バール・ワーラー)"(p295)


蛇が死ぬと、ちゃんと葬式をして火葬ににしますよ。こうするとまた新しい蛇が手に入って、わしらの商売は安泰だといわれて、昔からそんなふうにやってきているんだよ。
"蛇つかい(サペーラ)"( p185)
(*最近は動物愛護の観点と、野生生物保護法の施行 -ヘビの捕獲や飼育を禁じている- により"蛇使い"という職業がインドから姿を消しつつあるのだとか)


自転車で、住宅地をなるべくたくさんまわります。家に帰ったとき、たくさん残っていると母さんががっかりするからね。
"菓子売り(ナムキン・ワーラー、18才)"(p293)


「インドの大道商人」山田和、より
(講談社文庫)

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
インドの町中を歩いていると、いたるところに路上屋台や商人がいて、見ているだけで楽しい気分になる。彼らの陽気な笑顔につられ冷やかしで声をかけてみたり(あるいはその逆も)、いったい何を売っているんだろうとつい聞きたくなる不思議な人もいたり。商売にあわせた様々な工夫やアイデアを見ていると、人の知恵というか、生きるためのたくましさをしみじみと感じる。アジア圏の国々では、路上で商いを営む人は確かに多いが、インドほどその種類が豊富な国はきっと他にはないだろう。徹底した分業システムからは(断業に近いものがあるが)、良くも悪くもカースト制の影響が表れているんだなというふうに思った。この本はそういったインドの路上で商いをする人たちにインタビューをし、一冊の本にまとめたもの(1979-89年にかけて、著者が330人の大道商人を取材し、この本にはそのうちの約100人が掲載されている)。路上屋台とはいえそのバリエーションは富んでいて、また業種が細分化されているので専門職の域になっているものも多い。ページを眺めていてもまったく飽きることがない。一見、生計が成り立っているのかな? なんて思うような商売も意外と需要があったりして、そんなところからインド社会(慣習や宗教的なことなど)が透けて見えてくるようだ。

本の構成は、まず著者のインド取材記があり、各章の合間に大道商人たちを写したポートレート写真と短いインタビューが、一人一ページで収められている。写真はすべてカラー。文章も良いけれど、写真の撮り方もすごくいいと思った。ここに写っている大道商人たちは、職種を問わずみな個性的な顔つきをした人が多いのだが、著者は人物(パーソナルな部分)をクローズアップするのではなく、あくまでこの本のコンセプトである「その商売」をしている人を意識し、一歩引いた撮り方をしている。魅力的な被写体を前にすると、撮り手はついつい、人物に寄ってしまいがちになる。なので、寄りすぎず、引きすぎず、被写体との距離感を上手く保つのはなかなか難しいものがある。そういったものに振り回されることなく著者の持つヴィジョンに従って撮っているのだろうから、全体を通してみたときに統一感があって、とてもいい。取材には十年近くかかっているのに、写真のばらつきがないのは取材開始の時点から、おおよその仕上がりイメージができていたからだろうなと思った。

この本の最初の出版は1990年。今は、文庫本も絶版になってしまい中古本でしか手に入れることができないけれど、ときおり古本屋さんでも見かけるので、気長に探していれば入手するのはそう難しくないし、値段もそう高くはない。二十数年前にインドの路上で商いをしていた名もない人たちの人生が、数千キロも離れた日本という国で、ほんの少しだけ垣間見れることに何か不思議な感覚がある。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
R2N-インドの大道商人.jpg
posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

「グリンプス」ルイス・シャイナー、より



「男の人ってどうしていつも死ぬことを心配しているのかしら。だって、肝心なのは生きることでしょ。死ぬまでが問題で、あとはおしまい。そうじゃない?」


「グリンプス」ルイス・シャイナー(小川隆・訳)、より
5. 移行中(ちくま文庫 / p310)



なんとなく、音楽がテーマになった小説を読みたいと思って、書店をめぐりいろいろと探していた。そのときに出会った本が「グリンプス(著ルイス・シャイナー)」だった。最初、タイトルからは、まったく音楽に関連したものだとは思わなかったが(あとでこれがジミー・ペイジが在籍していた頃のヤードバーズの曲名だと知るも、彼らの代表曲というわけでもないのでやっぱり分かるわけない)、文庫本にしてはやや幅広の背表紙にまず目がいき、それが手に取るきっかけとなり、内容を知ることになった。なんというか、まさにこのとき僕の読みたかったものが見つかった! という感じだった。物語は空想タイムトリップものといった感じで、伝説的なロック名盤のレコーディング風景の中へすっと誘ってくれる。まるで、自分がその場に立ち会っているかのような仔細な描写が、虚と実の世界の中でうまく混ざり、物語にリアリティを与えている感じだ。ブライアン・ウィルソンやジム・モリソンのことを、ずーっと前から知っていたような、そんな錯覚にもなったりする。時代は1960年代後半、この本が出版されたのは1993年だから、小説の中では、おおよそ30年ほど離れた時代を行き来していることになるのだろうか。今読むと約半世紀近い時間の隔たりにあり、それほど月日が経ち、「ひとつの時代」が築かれたのだなというふうにも感じたりもする。僕はこの時代を過ごしたわけでもないが、60'sの音楽には親しみがあり馴染みもある。こうやって、小説の中でそれほど古くはないはずの(よく聴いていた)音楽が、回顧的に描かれていくと、ビートルズやドアーズ、ビーチ・ボーイズなどのいわゆるロック・クラシック(あるいはレジェンド)と呼ばれているものはもう「人類の歴史」として、すでに定着しているのだなとも感じたりした。そして、この本での文体というか、文章の感触、言葉の間から透けてみえる時代の色が、ポール・オースターの「ムーン・パレス」とどことなく似ているような感じがあった。改めて、シャイナーとオースター、二人の生まれを確認してみると、シャイナーは1950年、オースターは1947年で3歳の違い。ほぼ同時代の作家だった。二人だけの例をとって、どうだ、とはいえないけれど、「人の表現するもの」にはやっぱりその時代を映す何かがにじみでるのだなというふうに思える。

他にも音楽モノの小説を見つけたので二冊購入した。T.E. カーハートの「パリ左岸のピアノ工房」と、カズオ・イシグロの「夜想曲集」。カーハートの本は、まだ最初の章しか読んでないが、地味なんだけど丁寧な文体(訳)がとてもいい。ピアノについてえらく詳しくなれそうな内容で、ゆっくりと読みたいと思わせる。イシグロさんのは短篇集かつ、こなれた文章なので、どんなときにでも読みやすそうだった。日本のものだと角田光代「あしたはうんと遠くへいこう」と、大槻ケンジ「ロッキン・ホース・バレリーナ(表紙カバーが浅田弘幸さんのイラストでカッコイイ)」が、まず思い浮かんだが、角田さんのは恋愛ものの様相が強そうだったし、大槻さんのはバンドもので、ちょっと軽いノリだったため、このときの気分には合わず、またいずれということにした。きっと、まだ他にもいくつかありそうなので、地道に探してみよう。普段は、作家やその時々の興味ある題材で絞り、読むモノを探すことが多いので、「音楽モノ」という漠然としたくくり方で、本を選んでいくのはわりと面白いものがあった。「探偵モノ」「刑事モノ」「医療モノ」などは、もうすっかり一つのジャンルとして確立されているし、作品数も多い。名作と呼ばれているものも、タイトルを聞けば「ああ」と思い出すこともできる。でも「音楽モノ」となると、まずそういったジャンル分けが出来るほど、作品の数はなさそうだし、代表作となるものが、どうも思い浮かんでこない。何かあったっけ? と頭の中を二三回サーチしてみても、やっぱり最初のところでつまってしまう。なんでだろう? 音楽って、わりと身近にあるものだけど、物語の中心にするには以外と扱いづらい題材なのかな、とか思ったりして。


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

「私の美の世界」森茉莉、より


 ミュンヘンの、ホオフブロイ(酒場)は、天井を支える太い柱の間々を俎(*まないた)のような卓子(テエブル)が埋め、麦酒(ビイル)を飲む群集が溢れていた。日本のビアホオルのように、麦酒を飲みながらぼそぼそ会社の話や家の話をしているとか、会社の帰りの僅かの時間に寄った人間が時間を頭において飲んでいるとか、そういうような、つまり心が麦酒と他のものとの二つに分かれている人物たちはいない。そこには唯、「麦酒を飲む人」が、いた。


「私の美の世界」森茉莉、より
貧乏サヴァラン "独逸と麦酒" 新潮文庫(p23)


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ただ、ビールを飲むということで、こういった見かた、感じ方ができるのだなと、思わず感激してしまった。ビールは液体のパンと言われている。キリスト教圏では、パンとワインというのはとても大事な意味を持っているので、"唯、「麦酒を飲む人」が、いた。"という描写は、日常の雑多なことを持ち込まず、ただひたすらに神に感謝する、そのことを指しているのだろう。ここでの森さんのまなざしは、現実世界から逃避するために酒の力を借りなければならない日本の飲み方と、神に感謝しよりよい明日につなげようとするドイツ(ヨーロッパ)の飲み方の違いを表しているのだと、僕は感じた。ビールを媒介にして、神との交信をしている、その姿にきっと感銘を受けたんじゃないだろうかと思ったりもした。時代がひと昔のものだとはいえ、酒の飲み方でも文化というか、そこに住む民族の様式が現れるんだな。句読点の打ち方に、繊細さを感じる。

私はヨオロッパ人が陽気で、日本人のようにじめつかないのは、お茶のように飲む飲みものに、適度の酒精(アルコオル)が入っていて、又それが安くて美味しいからじゃないかと思っている。
(p25)

森茉莉さんは、文豪・森 鷗外(森 鴎外)の娘で、小説家・エッセイスト。やっぱり遺伝というものがあるのだろうか、父譲りで文章がとても魅力的だ。いい意味で育ちのよさが、文章からにじみでている。このエッセイ本の中では、ときおり鋭いまなざしで、世の中にまかりとおる「あたり前なこと」を、彼女のもつ美意識という刃でばっさりと切り捨てていたりする。言葉の向こう側で、彼女が剣を構え、こちらに突きつけているような雰囲気があり、読む方もうっかり油断なんかしていると、思わず傷をおってしまいそうな緊張感があったりする。そして、そのいさぎよさ、というか強さには凛としたものがあって、美しい文体と相まって、彼女のアウトサイダー的な視点(マイノリティな)は時代を経ても根強い人気がある。これを含め他の森さんの本をいくつか読んでいると、純粋すぎるがゆえに、世間一般(特に日本の閉鎖的な社会)との隔たりができてしまったり、そういったものと対峙してしまったりするのだなという風に思えてしまう。その裏側には、才能を持った人の孤独が現れている。

なんでも、森茉莉さんは世田谷の代沢あたりに住んでいたらしく、下北沢周辺によく出没していたらしい。行きつけの喫茶店で原稿を書くという習慣があったようで、梅が丘通りの少し奥に入った場所にある「邪宗門」という喫茶店がお気に入りだったとか(信濃屋というスーパーの近く)。以前ぼくもこのあたりに住んでいて、よく知っている場所だったりして、懐かしく思った。下北沢の喧騒を背に、緑道を抜けながら散策してゆくと、今でも不思議と落着く。自分の知っているところが、思いがけず、本の中に出てきたりするとやっぱり嬉しくなってしまう。それだけでも、なんとなく親しみがわいたりする。そういえば、中井英夫さんも、この近くの羽根木あたりに住んでいたんだよな(何度か行って聞き尋ねてはみたけれど、どのあたりだったかは分からなかった)。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、より



片手にチョコレート、片手にクロワッサンを持った労働者や女の子たちが、ぞくぞくとメトロの駅へくりこんでいく。それよりもさらに多くの労働者ですしづめの市街電車が、ごうごうと陰気な音をたてて通過する。駅へ駆けつけたら、乗りこむのに悪戦苦闘しーー午前六時のパリのメトロは文字どおり戦争なのだーー揺れている乗客にはさまれて、誰か醜悪なフランス人と鼻と鼻をつきあわせ、ワインとにんにくの悪臭を吸い込みながら立っていなければならない。


「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、小野寺 健・訳
岩波文庫(p120)




"文章がおもしろい"というのは、書くこと(=技術的なこと)が上手だからではなくて、書き手の人間性や視点、思考性などのユニークさがもろもろ文章の中に染み出ていて、それが読む人に伝わるからなのだろうな。と、この本を読んでいて思った(オーウェルの文章が上手い下手うんぬんではなく、人を惹きつける言葉の力を彼は持っている、という意味で)。いいものはたとえ数十年、数百年という歳月を経ていても、書いたときの状況やそのときの感情などが、まるで今あるかのようにわかるから不思議だ。この本を通じて若き日のオーウェル、彼の素の部分が見えるようで親しみを感じる。個人的にはスペイン内戦のルポルタージュ「カタロニア賛歌」よりも、こっちの方が(若いときに書かれたものだからか)いきいきした文章で、読みやすく楽しめた。

1922年から1927年にかけて、オーウェルはインド帝国警察の警察官として、ビルマ(ミャンマー)へ赴任する。当時パキスタンから(インド、バングラデシュ)ビルマにかけての地域はイギリスの統治下に置かれていた。彼は20代前半の多感な時期をこの地で過ごす。五年間勤務した後、休暇をとり一旦英国に戻るが復職はせず、執筆活動を理由に退職届けを出した。23、4才といえば、今の日本でいえば新社会人にあたる年齢だから、この年頃で自分のやりたいことが明白で、その意志を貫き行動していたなんて、よっぽどしっかりしていたんだなと思う(世界的にみるとこれが普通なのかもしれない)。

一九二七年に休暇を得て英国にもどったとき、退職して作家になることに決めた。
「動物農場」ジョージ・オーウェル、川端康雄・訳
"付録2・ウクライナ語版のための序文"
岩波文庫(p210)


彼はその後、パリとロンドンで生活をする。そのときの体験をもとにして書いたのがこの「パリ・ロンドン放浪記」。退職後しばらくはイギリスにいたが、節約のために生活費の安いパリへ移った。そしてパリ滞在中(1928-29)に、ビルマ時代に貯めた蓄えが底をつき、また1929年に世界恐慌が起こったこともあって、彼の生活はいっそう困窮する。そこでオーウェルは生活費を補填するために、(気乗りはしないまま)ホテルの皿洗いをするようになった。前半にあたるパリの場面では、皿洗いをしていた頃のエピソードが特に面白く、皮肉とウィットがふんだんに混じった彼独特の(ああ、いかにもイギリス的な)視点で、人間くささや当時の世俗を的確に描いている。もし、オーウェルがこのとき、金に困ることなく、皿洗いの仕事をしてなかったら、この滞在記がここまで魅力的になっていたかは想像つかない。

 まず最初に、皿洗いは現代世界の奴隷の一つだということを言っておくべきだろう。だからと言って、皿洗いのためにきーきーわめきたてる必要はない。皿洗いよりも貧しい生活をしている職人はいくらでもいるのだから。それでも、この奴隷にあたえられている自由は、奴隷が売買されていたころと変わっていないのだ。この奴隷は人に屈従しなければならず、手には職もない。給料はやっと生きていけるだけのもの。唯一の休暇は、首になった時だけである。
「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、小野寺 健・訳
岩波文庫(p155)


読んでいると、ふとヘンリー・ミラーの「ディエップ=ニューヘイヴン経由」という短篇を思い出した。フランスとイギリスが舞台になっている点や置かれた境遇、ユニークな人間観察の視点、また第二次世界大戦へ向けて世界が大きく揺れ動いていく時代に書かれたものという点で、オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」と通じるところがいくつかあるように思った。
慢性的な金欠と長いフランス滞在で英語を話すことに飢えていたミラーは、ロンドン行きを思いつき、なんとか金をかき集め旅費を捻出する(さらに離婚の問題もあった)。そして船に乗って英仏海峡を渡り、イギリスに入国しようとしたのだが、審査の際、ほぼ無一文だったことを入国管理官に見抜かれ、プライヴェートなことまでいろいろ探られたあげく、イギリスへの入国は拒否されてしまう。留置場で一晩を過ごし、翌日の便でフランスへと戻ることとなった。そのときのエピソードを綴ったものが「ディエップ=ニューヘイヴン経由(Via Dieppe-Newhaven)」。彼が「北回帰線」(のちに代表作となる)を出版した直後だったことが文中にあるので、おそらく1934-35年ごろだと思う。まだ「北回帰線」が話題になる前なのでミラーの知名度は低く、イギリスの入国管理官は彼のことを当然知るはずがなかった。ミラーと入国管理官、二人のやりとりがこの短篇のアクセントにもなっている。テンポのいいミラーの文章は、古い活動写真にあるようなざらついた映像を喚起させる。
オーウェルとミラーについて調べてみると、やはりというかしっかりとした接点があった。オーウェルは「鯨の腹のなかで(Inside the Whale)」という評論集の中で、ミラーの著書「北回帰線」について論じていて、彼に興味を持っていたようだ。また二人はパリで夕食を共にしている。非常にクセのある二人が、パリのレストランでどんな会話をしていたのかすごく興味がわく。

フランスにやってくると、まずはじめに耳に叩き込まれるのが、この言葉だ。ウィ・ムシュー! ノン・ムシュー! はじめは油虫にになったような気がする。やがて、聞き慣れてきて、無意識のうちにこの言葉が口をついて出るようになり、ほかの連中がその言葉を使わないと、すぐに気がついて反感を覚える。そして、なにか困ったことにぶつかると、最初に口から飛び出してくるのが、この言葉なのだ。「ウィ・ムシュー!」まるで老いぼれ山羊みたいにそう言う。

「南回帰線 マドモアゼル・クロード/他」ヘンリー・ミラー
"ディエップ=ニューヘイヴン経由"(吉行淳之介訳)
河出書房・世界文学全集 II-25(p356)





Inside the Whale - George Orwell - wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/Inside_the_Whale

■ "Inside the Whale (1940)" by George Orwell
http://orwell.ru/library/essays/whale/english/
*リンク先に原文あり。

posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

「緋色の研究」アーサー・コナン・ドイル、より


ぼくが思うに、そもそも人間の頭というのは小さな屋根裏部屋みたいなもので、自分が選んだ知識だけをしまっておくところだ。ところが、愚かな連中はガラクタみたいな知識までここに大事にしまいこむから、かんじんの必要な知識がはみだしてしまったり、ガラクタとごちゃごちゃになって、いざというときに取り出せなかったりする。そこへいくと熟練者は、脳という屋根裏部屋へはちゃんと細心の注意を払いながら知識をしまうんだ。自分の仕事に役立つ知識のほかは、いっさい入れない。それだけでもたいへんな種類にのぼるから、あらゆる知識を完璧に整理しなくてはならない。


「緋色の研究」アーサー・コナン・ドイル、日暮雅通・訳
第一部 ジョン・H・ワトスン博士の回想録
- 新訳シャーロック・ホームズ全集 -
(光文社文庫 p28より)

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

子供の頃、わくわくしながら読んだシャーロック・ホームズの探偵物語も、大人になって改めて読み直してみると、書かれた当時の世界情勢が反映されているのがわかったりして、すいぶん違った視点で見えてくる。僕自身、齢相応の知識くらい多少ついてはいるので、本に書かれている細かな描写などもおおよそ理解できるようになった。ホームズって子供向けの話じゃなかったんだ、と思い違いに気づく。本の中で語り手になっているワトソン博士は第二次アフガン戦争に従軍していたため、南アジアの話が話題によくのぼり、当時のイギリス人のアジア観がどういったものなのかが見えてくる。ちょうどグレート・ゲームにあたる時代になり、世界史と重ねながら読むとさらに面白さが増す。当時、イギリスは金融立国で、市場が活況だった様子を盛り込んだ物語などもあり、その頃の世相が垣間見えて興味深い。また、ホームズはコカイン常習者でアヘン窟に入り浸っていたり、相当口が悪かったりと、けっこう違った一面があったことにも驚いた(児童用の本には、この部分をうまくボカしているのかな?)。二人の会話も皮肉やシニカルさが出ていて、お国柄というかイギリス人の特徴がよく表れていると思った。
ホームズ・シリーズは、いろんな方の訳が各出版社から出ているので、同じタイトルでも選べる楽しみがある。光文社文庫、日暮さんの新訳モノが読みやすかった。ささめやゆきさんの表紙画もカワイイ。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
Holmes-aStudyInScarlet.jpg
posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする