2014年09月17日

「私の美の世界」森茉莉、より


 ミュンヘンの、ホオフブロイ(酒場)は、天井を支える太い柱の間々を俎(*まないた)のような卓子(テエブル)が埋め、麦酒(ビイル)を飲む群集が溢れていた。日本のビアホオルのように、麦酒を飲みながらぼそぼそ会社の話や家の話をしているとか、会社の帰りの僅かの時間に寄った人間が時間を頭において飲んでいるとか、そういうような、つまり心が麦酒と他のものとの二つに分かれている人物たちはいない。そこには唯、「麦酒を飲む人」が、いた。


「私の美の世界」森茉莉、より
貧乏サヴァラン "独逸と麦酒" 新潮文庫(p23)


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ただ、ビールを飲むということで、こういった見かた、感じ方ができるのだなと、思わず感激してしまった。ビールは液体のパンと言われている。キリスト教圏では、パンとワインというのはとても大事な意味を持っているので、"唯、「麦酒を飲む人」が、いた。"という描写は、日常の雑多なことを持ち込まず、ただひたすらに神に感謝する、そのことを指しているのだろう。ここでの森さんのまなざしは、現実世界から逃避するために酒の力を借りなければならない日本の飲み方と、神に感謝しよりよい明日につなげようとするドイツ(ヨーロッパ)の飲み方の違いを表しているのだと、僕は感じた。ビールを媒介にして、神との交信をしている、その姿にきっと感銘を受けたんじゃないだろうかと思ったりもした。時代がひと昔のものだとはいえ、酒の飲み方でも文化というか、そこに住む民族の様式が現れるんだな。句読点の打ち方に、繊細さを感じる。

私はヨオロッパ人が陽気で、日本人のようにじめつかないのは、お茶のように飲む飲みものに、適度の酒精(アルコオル)が入っていて、又それが安くて美味しいからじゃないかと思っている。
(p25)

森茉莉さんは、文豪・森 鷗外(森 鴎外)の娘で、小説家・エッセイスト。やっぱり遺伝というものがあるのだろうか、父譲りで文章がとても魅力的だ。いい意味で育ちのよさが、文章からにじみでている。このエッセイ本の中では、ときおり鋭いまなざしで、世の中にまかりとおる「あたり前なこと」を、彼女のもつ美意識という刃でばっさりと切り捨てていたりする。言葉の向こう側で、彼女が剣を構え、こちらに突きつけているような雰囲気があり、読む方もうっかり油断なんかしていると、思わず傷をおってしまいそうな緊張感があったりする。そして、そのいさぎよさ、というか強さには凛としたものがあって、美しい文体と相まって、彼女のアウトサイダー的な視点(マイノリティな)は時代を経ても根強い人気がある。これを含め他の森さんの本をいくつか読んでいると、純粋すぎるがゆえに、世間一般(特に日本の閉鎖的な社会)との隔たりができてしまったり、そういったものと対峙してしまったりするのだなという風に思えてしまう。その裏側には、才能を持った人の孤独が現れている。

なんでも、森茉莉さんは世田谷の代沢あたりに住んでいたらしく、下北沢周辺によく出没していたらしい。行きつけの喫茶店で原稿を書くという習慣があったようで、梅が丘通りの少し奥に入った場所にある「邪宗門」という喫茶店がお気に入りだったとか(信濃屋というスーパーの近く)。以前ぼくもこのあたりに住んでいて、よく知っている場所だったりして、懐かしく思った。下北沢の喧騒を背に、緑道を抜けながら散策してゆくと、今でも不思議と落着く。自分の知っているところが、思いがけず、本の中に出てきたりするとやっぱり嬉しくなってしまう。それだけでも、なんとなく親しみがわいたりする。そういえば、中井英夫さんも、この近くの羽根木あたりに住んでいたんだよな(何度か行って聞き尋ねてはみたけれど、どのあたりだったかは分からなかった)。
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2014年06月01日

「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、より



片手にチョコレート、片手にクロワッサンを持った労働者や女の子たちが、ぞくぞくとメトロの駅へくりこんでいく。それよりもさらに多くの労働者ですしづめの市街電車が、ごうごうと陰気な音をたてて通過する。駅へ駆けつけたら、乗りこむのに悪戦苦闘しーー午前六時のパリのメトロは文字どおり戦争なのだーー揺れている乗客にはさまれて、誰か醜悪なフランス人と鼻と鼻をつきあわせ、ワインとにんにくの悪臭を吸い込みながら立っていなければならない。


「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、小野寺 健・訳
岩波文庫(p120)




"文章がおもしろい"というのは、書くこと(=技術的なこと)が上手だからではなくて、書き手の人間性や視点、思考性などのユニークさがもろもろ文章の中に染み出ていて、それが読む人に伝わるからなのだろうな。と、この本を読んでいて思った(オーウェルの文章が上手い下手うんぬんではなく、人を惹きつける言葉の力を彼は持っている、という意味で)。いいものはたとえ数十年、数百年という歳月を経ていても、書いたときの状況やそのときの感情などが、まるで今あるかのようにわかるから不思議だ。この本を通じて若き日のオーウェル、彼の素の部分が見えるようで親しみを感じる。個人的にはスペイン内戦のルポルタージュ「カタロニア賛歌」よりも、こっちの方が(若いときに書かれたものだからか)いきいきした文章で、読みやすく楽しめた。

1922年から1927年にかけて、オーウェルはインド帝国警察の警察官として、ビルマ(ミャンマー)へ赴任する。当時パキスタンから(インド、バングラデシュ)ビルマにかけての地域はイギリスの統治下に置かれていた。彼は20代前半の多感な時期をこの地で過ごす。五年間勤務した後、休暇をとり一旦英国に戻るが復職はせず、執筆活動を理由に退職届けを出した。23、4才といえば、今の日本でいえば新社会人にあたる年齢だから、この年頃で自分のやりたいことが明白で、その意志を貫き行動していたなんて、よっぽどしっかりしていたんだなと思う(世界的にみるとこれが普通なのかもしれない)。

一九二七年に休暇を得て英国にもどったとき、退職して作家になることに決めた。
「動物農場」ジョージ・オーウェル、川端康雄・訳
"付録2・ウクライナ語版のための序文"
岩波文庫(p210)


彼はその後、パリとロンドンで生活をする。そのときの体験をもとにして書いたのがこの「パリ・ロンドン放浪記」。退職後しばらくはイギリスにいたが、節約のために生活費の安いパリへ移った。そしてパリ滞在中(1928-29)に、ビルマ時代に貯めた蓄えが底をつき、また1929年に世界恐慌が起こったこともあって、彼の生活はいっそう困窮する。そこでオーウェルは生活費を補填するために、(気乗りはしないまま)ホテルの皿洗いをするようになった。前半にあたるパリの場面では、皿洗いをしていた頃のエピソードが特に面白く、皮肉とウィットがふんだんに混じった彼独特の(ああ、いかにもイギリス的な)視点で、人間くささや当時の世俗を的確に描いている。もし、オーウェルがこのとき、金に困ることなく、皿洗いの仕事をしてなかったら、この滞在記がここまで魅力的になっていたかは想像つかない。

 まず最初に、皿洗いは現代世界の奴隷の一つだということを言っておくべきだろう。だからと言って、皿洗いのためにきーきーわめきたてる必要はない。皿洗いよりも貧しい生活をしている職人はいくらでもいるのだから。それでも、この奴隷にあたえられている自由は、奴隷が売買されていたころと変わっていないのだ。この奴隷は人に屈従しなければならず、手には職もない。給料はやっと生きていけるだけのもの。唯一の休暇は、首になった時だけである。
「パリ・ロンドン放浪記」ジョージ・オーウェル、小野寺 健・訳
岩波文庫(p155)


読んでいると、ふとヘンリー・ミラーの「ディエップ=ニューヘイヴン経由」という短篇を思い出した。フランスとイギリスが舞台になっている点や置かれた境遇、ユニークな人間観察の視点、また第二次世界大戦へ向けて世界が大きく揺れ動いていく時代に書かれたものという点で、オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」と通じるところがいくつかあるように思った。
慢性的な金欠と長いフランス滞在で英語を話すことに飢えていたミラーは、ロンドン行きを思いつき、なんとか金をかき集め旅費を捻出する(さらに離婚の問題もあった)。そして船に乗って英仏海峡を渡り、イギリスに入国しようとしたのだが、審査の際、ほぼ無一文だったことを入国管理官に見抜かれ、プライヴェートなことまでいろいろ探られたあげく、イギリスへの入国は拒否されてしまう。留置場で一晩を過ごし、翌日の便でフランスへと戻ることとなった。そのときのエピソードを綴ったものが「ディエップ=ニューヘイヴン経由(Via Dieppe-Newhaven)」。彼が「北回帰線」(のちに代表作となる)を出版した直後だったことが文中にあるので、おそらく1934-35年ごろだと思う。まだ「北回帰線」が話題になる前なのでミラーの知名度は低く、イギリスの入国管理官は彼のことを当然知るはずがなかった。ミラーと入国管理官、二人のやりとりがこの短篇のアクセントにもなっている。テンポのいいミラーの文章は、古い活動写真にあるようなざらついた映像を喚起させる。
オーウェルとミラーについて調べてみると、やはりというかしっかりとした接点があった。オーウェルは「鯨の腹のなかで(Inside the Whale)」という評論集の中で、ミラーの著書「北回帰線」について論じていて、彼に興味を持っていたようだ。また二人はパリで夕食を共にしている。非常にクセのある二人が、パリのレストランでどんな会話をしていたのかすごく興味がわく。

フランスにやってくると、まずはじめに耳に叩き込まれるのが、この言葉だ。ウィ・ムシュー! ノン・ムシュー! はじめは油虫にになったような気がする。やがて、聞き慣れてきて、無意識のうちにこの言葉が口をついて出るようになり、ほかの連中がその言葉を使わないと、すぐに気がついて反感を覚える。そして、なにか困ったことにぶつかると、最初に口から飛び出してくるのが、この言葉なのだ。「ウィ・ムシュー!」まるで老いぼれ山羊みたいにそう言う。

「南回帰線 マドモアゼル・クロード/他」ヘンリー・ミラー
"ディエップ=ニューヘイヴン経由"(吉行淳之介訳)
河出書房・世界文学全集 II-25(p356)





Inside the Whale - George Orwell - wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/Inside_the_Whale

■ "Inside the Whale (1940)" by George Orwell
http://orwell.ru/library/essays/whale/english/
*リンク先に原文あり。

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2014年05月11日

「緋色の研究」アーサー・コナン・ドイル、より


ぼくが思うに、そもそも人間の頭というのは小さな屋根裏部屋みたいなもので、自分が選んだ知識だけをしまっておくところだ。ところが、愚かな連中はガラクタみたいな知識までここに大事にしまいこむから、かんじんの必要な知識がはみだしてしまったり、ガラクタとごちゃごちゃになって、いざというときに取り出せなかったりする。そこへいくと熟練者は、脳という屋根裏部屋へはちゃんと細心の注意を払いながら知識をしまうんだ。自分の仕事に役立つ知識のほかは、いっさい入れない。それだけでもたいへんな種類にのぼるから、あらゆる知識を完璧に整理しなくてはならない。


「緋色の研究」アーサー・コナン・ドイル、日暮雅通・訳
第一部 ジョン・H・ワトスン博士の回想録
- 新訳シャーロック・ホームズ全集 -
(光文社文庫 p28より)

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子供の頃、わくわくしながら読んだシャーロック・ホームズの探偵物語も、大人になって改めて読み直してみると、書かれた当時の世界情勢が反映されているのがわかったりして、すいぶん違った視点で見えてくる。僕自身、齢相応の知識くらい多少ついてはいるので、本に書かれている細かな描写などもおおよそ理解できるようになった。ホームズって子供向けの話じゃなかったんだ、と思い違いに気づく。本の中で語り手になっているワトソン博士は第二次アフガン戦争に従軍していたため、南アジアの話が話題によくのぼり、当時のイギリス人のアジア観がどういったものなのかが見えてくる。ちょうどグレート・ゲームにあたる時代になり、世界史と重ねながら読むとさらに面白さが増す。当時、イギリスは金融立国で、市場が活況だった様子を盛り込んだ物語などもあり、その頃の世相が垣間見えて興味深い。また、ホームズはコカイン常習者でアヘン窟に入り浸っていたり、相当口が悪かったりと、けっこう違った一面があったことにも驚いた(児童用の本には、この部分をうまくボカしているのかな?)。二人の会話も皮肉やシニカルさが出ていて、お国柄というかイギリス人の特徴がよく表れていると思った。
ホームズ・シリーズは、いろんな方の訳が各出版社から出ているので、同じタイトルでも選べる楽しみがある。光文社文庫、日暮さんの新訳モノが読みやすかった。ささめやゆきさんの表紙画もカワイイ。
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2014年05月10日

「人間の土地」サン=テグジュペリ、より


 航空のことなんか言っているのではない。飛行機は、目的でなく、手段にすぎない。人が生命(いのち)をかけるのは飛行機のためではない。農夫が耕すのは、けっして彼の鋤(すき)のためではないと同じように。


「人間の土地」サン=テグジュペリ、堀口大学・訳
"7 砂漠のまん中で"(新潮文庫 p189)より

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この本は何だろう、すごく心震えるものがあった。テグジュペリの言葉が熱した鉄板となって、心臓を押し焼くかのようだった。熱い熱い思いが伝わる。決して大げさに言っているわけでもなく、人間の営みの美しさ、決して色褪せることのない普遍的な姿が、端正な文章で綴られている。ああ、求めていたものがもう全てここにあるという具合。そうそう、こういったものには出会えない。きっとフランス人というのは皆、大なり小なりはあるだろうけど、このテグジュペリの本にあるように、ひとりひとりが自分の人生を謳歌しながらそれぞれの哲学をつくり上げ、自分の築いた価値観を信じて行動しているんだろうなと思ったりもした。旺盛な好奇心で自身の視野を広げ、そこから開けた世界を深く見つめる。そういったものを楽しむ文化が日常的にあるからこそ、豊かな心の土壌が生まれ、こういった本が生まれてくるんだろうなと。
もっと若いときに、この本に出会っていたら、きっとその後の人生が大きく変わっていただろうとも思ったり、いやいや、若い頃だとこの書の持つ深みは十二分には理解できてなかっただろう、という自分もいたり。本の読み時というか、自分自身の熟し具合というか、タイミングというのも大事な要素だなと感じたりもする。まぁ生きているうちにこれを読めたことはすごく幸せだったと思える。人生の標になるような一冊。

表紙画と巻末の解説は宮崎駿さんによるもの。
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2014年05月07日

「香港市民生活見聞」島尾伸三、より


一九八二年に起きたフォークランド紛争の時、イギリスがこの戦争の出費を植民地からの税金でまかなうのではないかという話が持ち上がり、その後この不安は形を変えくすぶっています。露骨な形での増税はありませんし、飴と鞭の使い分けがうまく税金の徴収方法も巧妙です。しかしタクシーの「車両登録税」や「タクシー運転のライセンス税」などの大幅値上げが通告されると、油麻地(ヤウマーデイ)、旺角(モンコク)といった大繁華街では暴動騒ぎが起きたりしています。


「香港市民生活見聞」島尾伸三
華僑と香港 "英国的殖民地"
(新潮文庫 p33)より

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写真家の"島尾伸三"さんといっても、ピンとくる人はそう多くはなさそうだ。それよりも、"しまおまほ"のお父さんと言えば、もう少しだけ分かりやすくなるのかも。
この本は、香港歴15年(当時)という著者が香港についてを記したもの。出版されたのは1984年、もう30年近く経っているはずなのに、書いてあることは全然古いと感じさせない。1970年代後半から1980年はじめにかけての香港についての話が中心になっているのかな? 香港の歴史・政治、一般市民の風俗にはじまり、富豪やお金にまつわる話、マフィアから阿片などちょっと危険なものもあれば、迷信や霊、占いなどの面白話、そしてやはり食について。どのテーマもおおよそ同じ深さまで掘り下げられているので、統一感というかまとまり具合がすごくいい。本の中で、島尾さんは当時の中国や香港に惹かれ通うようになったと語っているのがえらく不思議に思えた。この時代の中華圏世界というのは、今とは発展度合いが全然違っていたから、経済成長真っ盛りだった日本からすれば、あまり見向きされない場所でしかなかったように思う。おそらく日本人の欧米崇拝が一番ピークだったろう時期に、このうらぶれた東アジアの一端をしっかりと見つめていたことは、よっぽどこの地が好きでなければできないことだ。それだけでも十分にスゴイことだなぁと感じる。島尾さんの視点による当時の香港の魅力が今ごろやっとわかり、面白いと思えるようになった(僕がまだ学校に行っていたときに、この本の姉妹版「中華図案見学」を父が買ってきて、僕にくれたのだけれども、そのときはあんまりというか全く興味がわかなかった。本は写真や図版も多く載っていてとてもカラフルなのだが、子供目線で見ると、ややとっつき難いところがあったのかもしれない)。
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2014年05月05日

「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン、より


人びとは<人間みたいな>特質を犬に押しつける。気高さとか愛想のよさとかいったものを。犬は口をきかず、人間にしたがう。でも、わたしたち人間をじっくりと観察して知りつくし、わたしたちのみじめさを嗅ぎつけてしまった。それなのにあいかわらず人間につきしたがう。


「誠実な詐欺師」トーベ・ヤンソン、冨原眞弓訳
(ちくま文庫 p9-10)より

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文章って不思議だなと思う。数十種ほどの文字を組み合わせることによって、その言語を使っている人たちの住む土地の自然やいとなみ、匂い、色、雰囲気などまでを、かなり正確に伝えることができる。もちろん書く人の才によるところは大きいのだろうけれど、特にこの本に関してはそれを強く感じた。また、日本語という異なった言語に一度、翻訳されているにもかかわらず、北欧の香りや空気が言葉と言葉の間にしっかりと隠れていて、どこかひんやりとした感覚が漂っているようだった。冷たいミストに肌を覆われているような、皮膚全体に伝わる何かが感触として残る。フォギーで濁った光が、弱々しく足下に届く。どんよりと鈍く、色の抜けた世界が目に浮かんでくる。とても映像的な文章の質感。冬の夜に、編み物をしながら語られるような、温もりある語り口は、物語の中にスッと入り込んでいける。女性作家特有の「中心」のない文章が、場面場面、文と文を緩やかにつないで、イメージの余韻を長くしているようだった。輪郭のない、曖昧さが頭の中に積もっていく感じ。派手なストーリーでもないし、特異なことが描かれているわけでもないけれど、心に残るいい一冊。

■ 今年、2014年はトーベ・ヤンソンの生誕100周年にあたり、地元フィンランドをはじめ回顧展が各地で開催されるとのこと。日本でも秋以降に彼女の美術展がいくつか予定されているよう。
http://www.moomin.co.jp/tove100anniv/
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"Den ärliga bedragaren" by Tove Jansson, 1982
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2014年04月18日

ガルシア・マルケス死去


ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケス氏が死去した。コロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領はTVメッセージで3日間の服喪を宣言した。



「ガルシア・マルケス死去、コロンビア服喪」
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_04_18/marukesu-fukumo/
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2014年04月08日

「キャプテン・アメリカはなぜ死んだか」町山智浩より


 アメリカでは、晴れた日にも洗濯物が干せない。
(中略)

 アパートやマンションには管理組合のルールがある。アメリカでは一軒家でもそのコミュニティ(町内会)の規則があり、それに違反すると法的処置を取られる。そして、アメリカではたいていの場合、外に洗濯物を干すことは禁じられている。
(中略)

 もちろん、今でも洗濯物を外に干している場所はある。南部の黒人たちが住む掘っ立て小屋、都会のプロジェクト(貧困層用公的住宅)、それにホワイト・トラッシュが住むトレーラーハウスが集まったトレーラーパーク。だから、物干し禁止令ができた。つまり「乾燥機を買えないほど貧乏な人が住んでいると思われると困る」ということだ。実際、洗濯物が外に干してあると、その地域の不動産価格が下がってしまうらしい。


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合理性や生活の向上を追求し、ルール作りをしていくと、どうも理解しづらい変な結果にたどり着いてしまう不思議。アメリカ在住の町山さんが、気になったゴシップや3面記事的なエピソードについて、いろいろと突っ込みをいれている面白い一冊。アメリカのごく日常の生活も、日本人の目から見るとえらく奇妙に映り、それがまた極端で突飛だったりするから笑えてしまう。町山さんの視点がおかしいのか、アメリカがおかしいのか、あるいは複合技なのか。

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「キャプテン・アメリカはなぜ死んだか -超大国の悪魔と夢-」町山智浩
Chapter 1 "Living in America"
晴れた日に洗濯物を干す自由を我等に!(文春文庫 63-64)より
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2014年04月05日

ユリイカ・特集「セルジュ・ゲンスブール」より



それから、未成年だからだからって子供とは限らない。俺はいつだって不釣り合いな関係がお気に入りだった。ナボコフの本、「ロリータ」も好きだったしね。ナボコフの詩に曲を付けていいかどうか、本人に聞いてもらったことまである。ちょうど「ロリータ」を原作にした映画を撮っている時だったんで断られたけどね。それに、俺の信じるところでは、男は年をとると段々ましになっていくけれど、女は逆の道を歩むのさ。


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このおっさんが言うからかっこよく聞こえる。ほかインタヴューの中に、彼が子供の頃にロスチャイルド一族の家に遊びに行き、そこでストラヴィンスキーに会ったというエピソードがあって、アレ?と思った。なんでそんな繋がりが? ゲインズブール一家は、ロシア革命を逃れヨーロッパに渡ったユダヤ系の移民にあたるそう。セルジュがただの変人でないのは、博学で正統な教育を受けていたという裏づけがあるからで、その背景にはロシア系ロスチャイルド家の流れをくむ家系、とくに芸術的に恵まれた家庭で育ったということが関係していた(最近の研究で、親の学習したことや体験したことが子にも遺伝するという研究結果が報告されているので、才能の遺伝というのはありうるのかも。逆をいえばDQN家系は連鎖しつづける=納得)。そういえば、広瀬さんの「赤い楯(集英社文庫の第二巻・恐怖のドレフュス事件の章)」の中にもゲインズブール家のことが書かれていたのを思い出し、本を開いてみると、ジェーン・バーキンも立派な家系の持ち主だった。この二人、単なる変人と女優のカップルではなく、華麗な家柄の組み合わせだったんだなと。世界的にも話題になるカップルだったけれども、単に上流階級の戯れをメディアを通じて見せつけられていただけだったのだと、改まって思うようになった。まぁ背景がどうであれ、二人の残した作品の数々は、いいものに変わりない。

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青土社 ユリイカ・詩と批評・7月号 1995
●増項特集:セルジュ・ゲンスブール
「モア・ノン・プリュ」をつけずにはいられない (1964-1983)
セルジュ・ゲンスブール・インタヴュー(訳:星埜守之)
メロディ・ネルソン、について
"ロックン・フォーク (Jul. 1971)" インタヴュアー:リュシアン・リウー(p130)、より

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2014年03月27日

「悪魔物語・運命の卵」ブルガーコフより


そう、顕微鏡を覗いていたのはペルシコフ教授だったのだ。教授の人生、その思考のいっさいが右の目に集中された。石のような沈黙がつづく五分ばかり、焦点のずれた標本にたいして痛いほど目を緊張させて、最高の存在物である人間が最下等の生物を観察していた。


「悪魔物語・運命の卵」ブルガーコフ、水野忠夫訳
"運命の卵"(岩波文庫 p103)より


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ブルガーコフ、その名前に惹かれて一冊の文庫本を手に取った。表紙カバーの写真を見ると、モノクロームの陰影ある作家のポートレート、「カリガリ博士」や「吸血鬼ノスフェラトゥ」などドイツ表現主義的な雰囲気が漂っていた。図版横に添えられた短い解説には、20世紀初頭、ロシアのSF小説とあり、より興味がわく。目次を開く、そこには書のタイトルと同じ二篇の物語の文字。ページをめくる。最初の物語は「悪魔物語」。とあるマッチ工場のシーンからはじまる。珍しい舞台設定。そして出だしの数行目「中央マッチ工場の書記として正規採用されたコロトコフだけは〜」という箇所から、もうわくわくしてしまう。閉ざされた社会主義国家の香りがぷんぷんとする。
二番めの物語「運命の卵」の中では、H.G.ウェルズの小説が登場したりし、彼の作品を意識していたのかなと思わせる箇所もあった(実際、この「運命の卵」は、ウェルズの「神々の糧(1904)」という小説が下敷きになっているそう*)。小説家として、やや先輩にあたるウェルズとも通じる明晰な文章と、良い翻訳、もちろん物語の面白さとあわせて、一気に読めてしまう。ロシアっぽさを感じる独特の表現(『最高の存在物である人間が最下等の生物を観察していた』なんていう言い回しは、日本人の感覚ではなかなか出てこない)にもビリビリとシビれ、読み終わる頃には、もうすっかりファンになっていた。

「運命の卵」は1924年に書かれた作品。ブルガーコフはウクライナのキエフ生まれということもあり、1925年製作の「戦艦ポチョムキン」とも、場所や時代が重なっている。「ポチョムキン」は学生時代に映像の授業で見た記憶があって、どんなストーリーだったかはすっかり忘れたが、赤ん坊の乗った乳母車が長い階段を転げ落ちるシーンがすごく記憶に残っている(この印象的な場面は、ハリウッド映画「アンタッチャブル」の中で、オマージュとして引用・再現され、さらに有名になった)。また、ディストピアものの代表作「メトロポリス」も1926年に製作されているので、ほぼ同時代に生まれた映画だ。何かそれぞれ見えない糸でつながっているものがあるように思った。


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* ■ ミハイル・ブルガーコフの『運命の卵』 -人知に対する批判をめぐって-
中澤佳陽子
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/54250/1/SLA0280010.pdf

The Fatal Eggs - wiki
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Fatal_Eggs
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Bulgakov-The Fatal-Eggs.jpg
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