2018年01月22日

面白いインタビューみつけた。



------「わかりやすさ」という点では、どうですか。

貝澤 わかりやすさと面白さが根本的に矛盾するとは思っていませんが、私自身は、どちらかというと長い文章の方が好きなんです。吉田健一、石川淳、金井美恵子などの息の長い文体にむしろ魅力を感じる。普通、大学で研究論文を書くときもそうですが、文章を学んだり訓練をしたりというときには、それこそ「わかりやすく」とか、「論理的に」とか、「余計なことを入れずに、なるべく短く文章を切れ」などと言われるわけですが、これが自分の好みには真っ向から反しているわけです(笑)。なぜそうなるかというと、文学的な論理性、それぞれの作家が持っている論理性というのは、普段われわれが使っている合理的な論理とは違うと思うんですね。(中略)ナボコフの場合は、ある言葉が出てくると、勝手にそれに引きずられて出て来る次の言葉があって、そこで幾多の脱線や紆余曲折を経て、最後は元にふっと戻ってくると。そのジェットコースターのような感覚が面白いわけです。

いま大学などで教えられている文章術のノウハウは、やたらと「短くしろ」の一点張りです。私の大学でもそういうコースがあって、入学してすぐ「文章を短く切れ」と教えられ、実は文章が下手糞になってしまう。(中略)問題は長いか短いかではないのに。


------そういうふうに言葉を情報化してしまうと、一義的に表した表面的な意味以外の隠れたニュアンスが見えなくなりますね。コミュニケーションは、ディスコミュニケーションへの配慮があって初めてコミュニケーションになるという、当たり前の前提が伝わりません。

貝澤
 ええ。小説を読むことの大切さは、そういうことの中にもあります。言葉は情報伝達以外の拡がりを持っていて、それって我々の日常生活でも大事なわけですね。井戸端会議なんて、内容のないことをただ喋りあっていて、それが楽しいわけでしょう。一方で、ラインなどで使われている言語は疑似的な言文一致みたいな省略を重ねて、短くなる一方で、外の者にはほとんど通じない。


〈あとがきのあとがき〉100年前からもうポストモダン!? 
唯一無二の作家、ウラジーミル・ナボコフの不思議な魅力 『偉業』の訳者・貝澤哉さんに聞く
より
http://www.kotensinyaku.jp/archives/2017/01/006644.html




ナボコフの小説は、ロシア語で書かれているものや、ロシア語で書いたものを後に英語に訳し直したもの、あるいは最初から英語で書かれていたり、英語への翻訳を本人がやっていたり別な人だったりして、とにかくすんごいややこしく、何がオリジナルなのか? や、原題と翻訳後のタイトルとの一致がいまひとつわからなかったり、けっこう混乱してしまう。ちょっとそういうのを調べていたときに見つけた上のインタビュー。ロシア語翻訳者でナボコフの小説を訳している貝澤さんが答えていた。これ、けっこう面白い。

本屋や図書館に行けば、「上手な日本語の書き方」だとか、「小説の文章を磨くために」みたいな新書やソフトカバー本はいっぱいあるが、どれをみても書いてあることはほぼ同じで(一応ぱらぱらっとめくっては見てみる)文章を短くして、キレ味を出してみよう、みたいなことしか書いてなくて、まぁ主語と述語にあと二三言葉を足せば、短くはなるしたしかに分かりやすくなるだろう。が、はたしてそれで文章そのものが面白くなっていくんだろうか? と疑問に思ってしまう。僕の場合、短い文章が何十ページと続けば、もう途中で飽きてしまって読む気すら起こらなくなる。日常会話的な、特に長い言葉を要しないものであれば、それで十分だけれども、人の頭のなかで考えられている複雑なプロセスを言葉に置き換えるのに、短い言葉だけでは絶対に足りないだろうと思う。もしわずかな言葉で、十分相手に伝えられたと実感したのなら、まぁ、よっぽどつまらない頭をしてるんだなぁとしか思えなかったりして。
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2017年12月17日

ラヒリの「The Conversations」を三つの言語で

Book-JhumpaLahiri-InOtherWords.jpg
* 画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/168325884266/
"In Other Words" Jhumpa Lahiri (英語版): Translated by Ann Goldstein
「べつの言葉で」ジュンパ・ラヒリ (日本語版): 訳=中嶋浩郎
"In altre parole" Jhumpa Lahiri (イタリア語版・原書)



今年の7月、英語翻訳された安部公房「砂の女」の冒頭部分を日本語に再度訳し、それが原文とどれだけ違っているか? という翻訳遊びのようなことをした。翻訳することで、あるいは言葉をいったん別の言語に置き換えることで、元の文章がどんなふうに変化してゆくんだろう? という素朴な疑問がまずあって、一度自分の手で確認してみたかった。それぞれ違った言語を使っていたとしても、言葉で伝えられる「真意」、あるいは「コアな部分」というものが、どこまで(異言語間で)共有できるものなのか? そういうことに興味が向いていた。

今回はその続き、といっていいのかはわからないけれど、同じように翻訳による言葉の差異、もう少し考えれば「文体」というものが、どこからどんな風にして派生、発生してくるんだろう? というのがちょっとでもわかればいいなと思い書いてみる。前回は「日本語 → 英語 → 日本語」という直線的な日本語還元だったが、今回はやや複雑だ(と思う)。それにあたって、選んだのがジュンパ・ラヒリというアメリカの女性作家が書いた「べつの言葉で」というエッセイ。ラヒリはこれまでは英語で小説を書いていたんだけれども、突然イタリア語を勉強しはじめ、イタリア語でこのエッセイを書き上げた。ラヒリの書いたイタリア語のエッセイを英語に訳したものが「Teach Yourself Italian」というタイトルで「ニュー・ヨーカー」誌に5篇載っている。僕はその英語テキストの一篇を選び日本語に訳してみた。つまり「イタリア語 → 英語 → 日本語」という重訳のプロセス。そして、彼女のこのエッセイは日本語版でも出ており、それはラヒリの書いたイタリア語から、直接(イタリア語の翻訳者によって)日本語に訳されている。これは「イタリア語 → 日本語」のダイレクトな翻訳だ。さて、間に一度英語が入り、二つの言語を経て翻訳した日本語と、元の言語から直接翻訳された日本語に、どんな違いが出てくるんだろう? そこからは、訳す人の言葉の使い方や文章力(もちろんプロの方なので、翻訳技量の差がすごくあるのは当然わかっているし、出版社の編集者や校閲係の手を経て仕上げられているといった大きいな差もある)の違いを省いたあとに残る、言葉の大意・枠組というものが見えてくるんじゃないかと思ったりする。
ラヒリは、自分の使い慣れた英語を使っては書かず、このエッセイの英語版を翻訳者にまかせているのは、少し奇妙な気がする。彼女はイタリア語と英語の両方で書くことが出来たはずなのに。自分の書いたイタリア語から翻訳された英語をどのようにして読んだんだろう? 自分で書いたはずの文章が、違ったニュアンスでとらえられているような感覚になったのかもしれないし、きっと自分が使っただろう英語と見事にリンクしている箇所もあったかもしれない。べつの言葉を使うことによって、不思議な言葉のトライアングルが生まれているような、そんな気がした。


安部公房「砂の女」の英訳を、日本語に再翻訳すると… (2017年07月25日)

http://tavola-world.seesaa.net/article/abekobo-woman-inthe-dunes-translate.html


簡単にジュンパ・ラヒリの紹介を
容姿の美しさもあってか、日本でも人気の高いジュンパ・ラヒリ。彼女は、ベンガル系インド人の両親の元、1967年にロンドンで生まれ、幼少の頃、家族とともにアメリカへと移住し、アメリカで育っている。最初の短篇集「Interpreter of Maladies(邦題:停電の夜に)」がピューリッツァー賞を受賞し、その後発表した長編作も映画化されたり、コンスタントに作品を書いている。移民二世から見た遠い祖国と、自分の育った国、その間にあるコミュニティ社会をシンプルだけれども、心のうちをしっかりと捕えた文章で表現していて、妙に人をひきよせる作品を書いている。2014年に「National Humanities」という賞を受賞(授賞式は翌2015年の9月)。オバマ大統領からメダルを授かる映像が、映画女優みたいだとけっこうニュースになっていた(たしかに絵になっているし、オバマもどこかニヤけた表情だった)。

Barack Obama honours Jhumpa Lahiri with National Humanities Medal ( News7 Tamil )
https://www.youtube.com/watch?v=D-mdqXgbKbU

*ニュースを伝える女性キャスターが美人。


ラヒリのエッセイ本 "In Other Words" の中から5篇が選ばれ、「Teach Yourself Italian」というタイトルでニュー・ヨーカーに掲載されている(下記リンク)。多分、英語版の販促と紹介を兼ねたものだろうと思う。Webに載っているのは、"Exile", "The Conversations", "The Renunciation", "The Diary", "The Metamorphosis"。今回、この中から "The Conversations" を選び訳してみた。文の半分ほどにあたる前半と後半部分を英文とともに書き、真ん中あたりは要約している。そして、中嶋浩郎訳「べつの言葉で」から、同じ箇所の文章を抜き出し比較してみた。もちろん、先に中嶋さん訳の文章を見ては全く意味がないので、僕が訳し終えるまではこの本は開いてない(終えてから図書館で借りてきた。あ、文庫で出たら買おうと思ってる)。
英語から日本語訳をしていて、気づいたのは、ほとんどが現在形で書かれていることだった。日本語にしたときに、現在形の文章がずっと続くのは、ちょっとリズムがおかしいというか、どこか奇妙な感覚になる。これは元のイタリア語でもそうなのか、それとも英語訳にしたときに起こったものかは、「イタリア語から日本語の訳」を見るまではわからない状態だった。おそらく、まだイタリア語に不慣れなラヒリが過去形や現在完了形などの使い方を、自分の母語である英語のように完全には使いこなせてないからなのだと思った。


Teach Yourself Italian (The New Yorker / December 7, 2015 Issue)
By Jhumpa Lahiri (Translated, from the Italian, by Ann Goldstein)

http://archive.is/zsSyw
https://www.newyorker.com/magazine/2015/12/07/teach-yourself-italian


以下、「The Conversations」の英語訳を僕が日本語訳したものを(朱文字)で表記。
そして「The Conversations」の英語訳を(青文字)で。
最後にイタリア語の「Le conversazioni」から直接日本語に翻訳した中嶋さん訳を(緑文字)で。
ではどうぞ。


ジュンパ・ラヒリ「The Conversations(会話)」の日本語訳と要約:
Translated by Tagong Boy (English to Japanese)

ジュンパ・ラヒリ「The Conversations」の英語訳:

Translated by Ann Goldstein(Italian to English) / from "The New Yorker"

ジュンパ・ラヒリ「Le conversazioni」の日本語訳:
Translated by Nakajima Hiroo(Italian to Japanese) / from 新潮クレスト・ブックス「べつの言葉で」P22-26



(伊→英→日): アメリカに戻り、私はイタリア語で話し続けたくなる。でも誰と? ニュー・ヨークでそれを完璧にできる人に心当たりはある。だが彼らと話すのは気が進まない。私が必要なのは、悪戦苦闘や失敗を共にできるような誰かなのだ。
ある日、私はストレーガ賞を受賞した有名な女性ローマ人作家にインタビューするため、ニュー・ヨーク大学のイタリア会館へ行く。混みあった部屋の中では、私以外の誰もが流暢なイタリア語を話している。

(伊→英): Returning to America, I want to go on speaking Italian. But with whom? I know some people in New York who speak it perfectly. I’m embarrassed to talk to them. I need someone with whom I can struggle, and fail.
One day I go to the Casa Italiana at New York University to interview a famous Roman writer, a woman, who has won the Strega Prize. I am in an overcrowded room where everyone but me speaks impeccable Italian.

(伊→日):  アメリカに戻り、イタリア語を話しつづけたいと思う。でも、誰と? ニューヨークでイタリア語が完全にわかる人を何人か知っている。その人たちと話すのは恥ずかしい。うまく言えなかったりまちがえたりしてもかまわない人が必要だ。
 ある日、ストレーガ賞を受賞した有名なローマ出身の女流作家にインタビューするため、ニューヨーク大学イタリア研究所へ行く。会場はあふれんばかりの人で、わたしを除いてみんな非の打ち所のないイタリア語を話す。



館長が私を迎える。インタビューはイタリア語でやりたいのですが、と私はイタリア語で彼に伝える。 
だけど、数年前にイタリア語を学んだばかりで上手くは話せない。
「練習が必要なんです」と私は言う。
「そのようですね」彼は優しく答える。

The director of the institute greets me. I tell him, in Italian, that I would have liked to do the interview in Italian. That I studied the language years ago but I can’t speak well.
“Need practicing,” I say.
“You need practice,” he answers kindly.

 所長が迎えてくれる。イタリア語でインタビューをしたいと思っていたこと、イタリア語は何年も前に勉強したけれどもうまく話すことをはできないことを告げる。
「わたしは実践する必要です」と彼に言う。
「あなたは実践の必要があります」と親切に答えてくれる。



2004年の春、夫があるものをくれる。 ブルックリンにある家の近くで、彼がたまたま見つけたビラの切れはじだった。 それにはこう書いてある。 「Imparare l’italiano(イタリア語を学ぼう)」。それをお告げなのだと思う。 その番号に電話しアポをとる。そうしてミラノ出身で、人あたりのいい、エネルギッシュな女性が家にやって来る。 彼女は私立学校で教えていて、住まいは郊外にある。彼女はなぜ私がイタリア語を学びたいのか、を尋ねる。
In the spring of 2004, my husband gives me something. A piece of paper torn from a notice that he happened to see in our neighborhood, in Brooklyn. On it is written “Imparare l’italiano”−“Learn Italian.” I consider it a sign. I call the number, make an appointment. A likable, energetic woman, also from Milan, arrives at my house. She teaches in a private school, she lives in the suburbs. She asks me why I want to learn the language.

 二〇〇四年に夫がある物をくれる。わたしたちが住んでいるブルックリン地区の通りで偶然見かけた広告の切れ端だ。それにはこう書いてある。「イタリア語を習う」。一つのシグナルだと思う。書かれている番号に電話して、面会の約束を取りつける。ミラノ出身のエネルギッシュで感じのいい女性が家に来る。私立学校で子供たちに教えていて、郊外に住んでいる。どうしてイタリア語を習おうと思うのか、とたずねられる。


<要約>
ラヒリは、今夏文芸フェスティヴァルに参加するためローマに行く予定だと説明するも、彼女には自分の動機をぼかして伝える。そうして週に一度、一時間のレッスンを受けることになる。このときラヒリは第二子を妊娠中だった。娘が生まれ4年の月日が経ち、別の本を書き終え2008年に出版の運びとなる。このときのプロモーションでイタリアへ行くことが決まり、その準備中に新しいイタリア語の先生と出会う。ベルガモ出身の若い女性で、まだ未熟な彼女のイタリア語を上手に褒め励ましてくれる。ラヒリと相性が合い親しくなる。彼女は熱心に学びとろうとするが、満足いくように習得できないイタリア語に悩み、困惑し、でも少しずつ成長している一面にも気づいている。




2009年、私は三人目の個人レッスンの先生と一緒に勉強を始める。彼女は30年以上前にブルックリンへ移ってきて、アメリカで子供たちを育てたベニス人女性だ。未亡人で、ヴェラザノ=ナローズ橋の近くにあるフジの花に囲まれた家に、いつも足元に寄り添ってくる優しい犬と住んでいる。 そこへ行くにはほぼ一時間かかる。私は地下鉄に乗り、ほとんど終点にあたるブルックリンのはじへ向かう。
In 2009, I start studying with my third private teacher, a Venetian woman who moved to Brooklyn more than thirty years ago, who brought up her children in America. She’s a widow, and lives in a house surrounded by wisteria, near the Verrazano Bridge, with a gentle dog that’s always at her feet. It takes me nearly an hour to get there. I ride the subway to the edge of Brooklyn, almost to the end of the line.
 二〇〇九年に三人目の家庭教師と勉強をはじめる。三十年以上前にブルックリンに移住し、子供たちをアメリカで育てたヴェネツィア婦人だ。未亡人で、ヴェラッツァーノ橋近くの藤棚に囲まれた家に、いつも足下を離れないおとなしい犬と暮らしている。わたしの家からは一時間近くかかる。ブルックリンとの境の、終点に近い駅まで地下鉄に乗る。


私はこの小旅行が好きだ。日常生活の雑多なことを忘れ家を出る。執筆のことも考えない。数時間、自分の知る他の言葉のことも忘れる。 いつも、それはちょっとした空の旅のように思える。私を待っているのはイタリア語だけが重要な場所。それは新しい現実が突然現れる避難所なのだ。
I love this trip. I go out of the house, leaving behind the rest of my life. I don’t think about my writing. I forget, for several hours, the other languages I know. Each time, it seems like a small flight. Awaiting me is a place where only Italian matters. A shelter from which a new reality bursts forth.

 わたしはこの旅が好きだ。家を出て、普段の生活から離れる。執筆のことは考えない。何時間か、知っているほかの言語は忘れる。毎回ちょっとした脱出のようだ。肝心なのはイタリア語だけ、という場所が私を待っている。そこは新しい現実が解放される避難場所だ。


私は今度の先生が好きだ。4年間、敬意と礼儀は忘れずにいるが親しい打ち解けた間柄だ。私たちは台所の小さな机にある木のベンチに座る。私は彼女の本棚にある本や、孫たちの写真を見る。
壁には見事な真鍮製のポットが掛かっている。彼女の家で、私はもう一度、最初から始める。条件節、関節話法、受動態の使い方を。彼女がいれば、私のやり方は不可能というよりも可能性があるように思える。彼女と一緒なら、イタリア語に対する私の熱意は無謀というよりも使命的なもののように思える。

I am very fond of my teacher. Although for four years we use the formal lei, we have a close, informal relationship. We sit on a wooden bench at a small table in the kitchen. I see the books on her shelves, the photographs of her grandchildren.
Magnificent brass pots hang on the walls. At her house, I start again, from the beginning: conditional clauses, indirect discourse, the use of the passive. With her my project seems more possible than impossible. With her my strange devotion to the language seems more a vocation than a folly.

 わたしは先生がとても好きだ。四年間敬称で呼び合っているが、親しく打ち解けた間柄だ。キッチンの小さな机の、木のベンチに腰かける。本棚にならぶ彼女の本と孫たちの写真が見える。壁には真鍮のみごとな鍋がいくつも掛かっている。仮定法、間接話法、受動態の使い方など、彼女の家でもう一度最初からやり直す。彼女のおかげで、わたしの計画は不可能というより可能に思えてくる。彼女のおかげで、わたしのイタリア語への奇妙な献身は、ばかげたことではなく、天の思し召しと思えるようになる。


私たちは生活のことや世界情勢についてを話す。私たちは不毛だけれど避けることのできない猛特訓をする。先生は絶えず私の間違いを訂正する。彼女に耳を傾けながら、私は手帳にメモをする。いつもレッスンのあとは、疲れ果てるとともに、次への準備もする。さよならを言ったあとに、(後ろで)門が閉じると、私は戻ってくるのが待ちきれない。
ある意味、このベニスの先生と一緒にレッスンすることは私の大きな楽しみとなる。彼女と共に勉強すると、この奇妙な言語学の旅にある次の必然的な段階が明確になる。ある時点で、私はイタリアへ引っ越すことを決意する。

We talk about our lives, about the state of the world. We do an avalanche of exercises, arid but necessary. The teacher corrects me constantly. As I listen to her, I take notes in a diary. After each lesson I feel both exhausted and ready for the next. After saying goodbye, after closing the gate behind me, I can’t wait to return.
At a certain point the lessons with the Venetian teacher become my favorite activity. As I study with her, the next, inevitable step in this odd linguistic journey becomes clear. At a certain point, I decide to move to Italy.

 自分たちの暮らしや世界情勢のことを話す。退屈だけれども必要な大量の練習問題をやる。先生は絶えずまちがいを直してくれる。話を聞きながら、わたしは手帳にメモする。授業が終わるとぐったりと疲れるが、もう次回が楽しみになる。挨拶をして、格子戸を閉めて外に出ると、もう戻ってくるのが待ち遠しくてたまらない。
 いつの間にか、ヴェネツィア人の先生との授業は、わたしのいちばん好きな用事になっている。彼女と勉強しているうちに、わたしのこの常軌を逸した言葉の旅の、避けられない次の一歩がはっきりする。あるとき、わたしはイタリアへ転居する決意を固める。



最後に三つの訳を見比べてみる
こうして、英語から訳した自分の日本語訳と、イタリア語から直接訳された日本語を見比べてみると、意外と差がないように思えた。ラヒリがまだ完璧にイタリア語を使いこなせておらず、シンプルな表現を用いて書いているため、使っている言葉や言い回しなどが限られているという理由は大いにあるだろうと思うが、言語を変換してゆきながらも、変わらぬメッセージがしっかりと残っているのは、粗目のザルと細目のザルを使い分けながら川砂から目的の砂金をすくい出しているような面白さがある。
重訳の面白いところを一つ挙げると、例えば最初の翻訳者が、その言語がもつ特有の慣用句的な言い回しを知らずに、その言葉の直接的な意味だけで解釈した場合、次の言語に翻訳する人が、それを全く違った意味合いで訳してしまうことがあるだろうと思う。そういう場合、(商業的な)翻訳としては失敗なんだろうけれども、「言葉の旅」として捉えた場合、とても想像力が広がってくる。今回も若干そういう箇所があった。例えば「we use the formal lei(下線部)」という部分は、そのままの意味だと「儀礼的な(ハワイアン・スタイルの)花輪を使う」になるが、そういった表現は英語のイディオムにはなく、もしかするとイタリア語の表現をそのまま英語にしたのかな、と中嶋さんの訳を見たときに思えた(この箇所の訳文は「敬称で呼び合っている」となっている)。単にラヒリ独特の言い回しによるものかもしれないが、イタリア語原文を見てないだけに詳しくはわからない。もちろん、イタリア語はさっぱりとわからないので、たとえ元の文章を見たところで分かりはしないのだけど。日本版「べつの言葉で」の訳者あとがきに少しその答えになるようなことが書かれてあった。以下引用。


 ラヒリはこれらのエッセイを「イタリア語の宿題」のように毎週一章ずつ書いた。草稿ができると、まずイタリア語の先生が添削して文法的なまちがいを直す。次に友人のイタリア人作家二人に見せ、いっしょに主題の面から文章を細かく検討する。そして最後にインテルナツィオーレ誌の編集者のチェックを経るのだが、編集者たちは「新しい言語で表現したいというわたしの願いを理解してくれ、わたしのイタリア語のおかしさを尊重し、不完全で少しぎこちない文章の実験的な性質を受け入れてくれた」という。

ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」中嶋浩郎訳(新潮クレストブックス / p133-134)より



「べつの言葉で」はラヒリがイタリア語を学んでいる自身の記録的な側面と、言葉を覚え成長している自分の姿を、まさにその新しく習得した言葉で綴ったものだ。ただ普通に日本語訳で読んでいるだけだと元言語が何語なのかはさほど気にならないため、言語学習時の葛藤などが強調されているようにも思えるのだが、ラヒリが覚えたての言葉(イタリア語)で書いているんだということを常に意識して読むと、とても難易度の高いことをしているのがわかる。英語を勉強している日本人が英語を使って、自分が普段使い話している日本語のように書くのはとても難しい。そして、彼女が言語からどのようにして自分のアイデンティが形成されているのかをも伝えている。その部分は彼女がベンガル人の両親を持ち、アメリカで育ち両親の話すベンガル語をあまりきちんと話せずにいるが、育った地の言葉、英語が堪能なことで、わたしはどこに属しているのだろう? といった漠然とした不安をずっと抱えながらこれまでを生きてきた、と語っていることからも垣間見える。彼女は子供時代を振り返りながらエッセイにこう書いている。


 わたしの人生最初の言語は、両親から伝えられたベンガル語だった。アメリカで学校に行くまでの四年間、それはわたしの第一言語で、英語という別の言語に囲まれた国で生まれ育ったにもかかわらず、使うと心が安まった。英語との初めての出会いは、辛く不愉快なものだった。
 (中略)
アメリカ人の友だちの前でベンガル語で話さなければならないのが恥ずかしかった。友だちの家にいるときに母と電話で話すのが嫌だった。この言語との関係をできるだけ隠しておきたかった。拒否したかった。
 わたしはベンガル語を話すことが恥ずかしかったが、同時に恥ずかしく感じることを恥じてもいた。
 (中略)
 イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。

ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」("三角形" / p95-99)より



最後に、この記事の冒頭でなぜラヒリが堪能なはずの英語を使わずにイタリア語でエッセイを書いたんだろう? といった疑問を書いたが、その答えもこのエッセイの中で綴られていた。カプリ島で開かれる文芸フェスティヴァルに参加するため、そこで配られるパンフレット用に小文を求められたときのこと。彼女はきっと英語で書いた文章を求められているはずだといったんは考えるが、もうすっかり英語で自分の言葉を組み立てるといった思考ではないことを吐露する。そこでは、自分の人格形成の大半を司ってきた根幹的な言語であるはずの英語を使うときに、「翻訳」というフィルターを通す必要があるのだと言っているようで、正直驚いてしまったが、同時に反面適応能力がものすごく高いんだろうという側面も伺える。


わたしは英語圏の作家だから、おそらくこの小文を英語で書き、イタリア語に翻訳することが想定されているはずだ。けれども、わたしは一年近くイタリアにいて、イタリア語にすっかり心を奪われてしまい、英語をできるだけ避けるようにしている。
 (中略)
わたしはイタリア語で書くとき、イタリア語で考える。それを英語に翻訳するには、脳の別の部分を目覚めさせる必要がある。この感覚はどうしても好きになれない。他人事のように感じる。


ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」("毛深い若者" / p75-76)より




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2017年07月25日

安部公房「砂の女」の英訳を、日本語に再翻訳すると…


村上春樹のアメリカ滞在記「やがて哀しき外国語」を読んでいたとき、けっこう興味深い話が書いてあって、長らくそれが記憶の中に残っていた。ざっくり内容を書くとこんな感じだ。

1991年から1993年にかけての約2年半、アメリカはプリンストンでの滞在中、ひょんなことから、村上さんはプリンストン大学で現代日本文学のセミナーを受け持つことになる。その講義のテーマとして選んだのが吉行淳之介、庄野潤三、小島信夫など「第三の新人」と呼ばれる日本人作家たちだった。テーマにあう作家の小説を読みながら、学生同士ディスカッションし、その後レポートを提出して終えるという内容で、そのセミナーは順調に進んでいくが、あるとき、ひとりの学生が吉行淳之介「樹々は緑か("砂の上の植物群"に収録の短篇)」を題材に書いた論文を提出した。ところが、村上さんはこの短篇の内容を覚えていなかったため、大学の図書館所蔵の「吉行淳之介全集」を借りに行くも、貸し出し中になっていて手にすることができなかった。しかし学生のレポートを採点するからには、やっぱりストーリーを知っていなければならないわけで、困った挙げ句、その論文を書いた学生から本を借りることになった。ただ、その学生の持っていた本が日本語原文ではなく、英訳版だった為、村上さんはなんだか狐につままれたような感覚に陥ってしまう。日本文学を取り扱っているセミナーのはずなのに、なぜか全部英語を使ってやりとりをしている状況におかしみを感じつつ。そして日本語から英語に訳されたこの小説を読んでいくうちに、翻訳についてのあれこれを考えるようになり、こんな疑問がふと浮かぶ。



翻訳というものはそもそもひとつの言語で書かれたものを「やむを得ず、便宜的に」他の言語に置き換えるわけだから、いくら丁寧に巧くやったって、すっかりもとのままというわけにはいかない。翻訳においては、何かを取り何かを保つためには、何かを捨てなくてはならない。<取捨選択>というのが、翻訳作業の根幹にある概念である。この英訳を読んでいるうちに、僕はふと「たしかにこの翻訳はよくできている。でもこれをもう一度そのまま日本語に直してみたらいったいどうなるんだろう」という疑問に襲われた。

「やがて哀しき外国語」村上春樹、より。"さらばプリンストン"(講談社文庫 / p265-266)


本ではこのあと、村上さんの英語からの再翻訳文と吉行淳之介による原文を比較するために、小説の一部が交互に載っている。そして両者の簡単な違いを小説家の目線で記している。一度「英訳」のフィルターをかましたのち、日本文を復元させたことで、日本語がもっている特徴や特有さが浮き上がってきて、日本語再発見! みたいな面白さがあった。


まず原文では過去形と現在形が混合しているが、英文ではそれができないので、ぜんぶ過去形になっている。それから、これまたどうしようもないことなのだけど、漢字の醸しだす字ヅラの「気分」が出ていない。また文体の微妙なクセによって生じる不可思議なコリコリさも消えている。「靄(もや)の底にかすんでいる得体の知れぬ場所」は、英文では "the unfathomable, shadowy depths of the mist" となっている。これはなかなかよく練られた訳だとは思うが、この英文から逆方向にオリジナルの文章を見つけ出すのは――もちろんそれができるできないは翻訳の価値とは直接的には無関係なわけだが――やはりむずかしいだろう。

「やがて哀しき外国語」村上春樹、より。(講談社文庫 / p268)




海外英語圏で出版されている日本の小説(の英語訳)は、もちろん海外の読者向けに翻訳されたものだから、日本語で書かれた元の文章を知っていると、その翻訳具合がどうなのか、というのは英語が多少(あるいはある程度)わかっていれば、自分の中で比較できる。同じ物語が違った言語を通し、頭の中に並存しているっていうのは、ちょっと面白い感覚で、たとえば、上にあるような「日本語を英語に、そしてその英語を日本語に、さらにその日本語を英語に」といったプロセスを何度か繰り返していくと、オリジナルの話が最後に伝わった人に届く頃には、どんなふうな変化を遂げているんだろうか(あるいは大きく変わらないのか)? と、伝言ゲーム的な変換マジックの妙が楽しめそうな気がしないでもない。
村上さんのやっていたこの翻訳遊びを、今回、安部公房の代表作「砂の女」の冒頭部分でやってみようと思う。何で安部公房にしたのかというと、単に僕が好きな作家で、すでに彼の小説を何冊かを読んでいたこと。そして、海外でも人気ある日本人作家の一人で(ノーベル賞候補に挙がっていた位だから)、いくつかのタイトルが翻訳されていることもあって、英語版テキストが選びやすかったという理由が大きいし、「砂の女」のストーリーはちょうど今の時期とも重なっていることも少し考えた。もう一つは、この記事の下の方にあるが、安部公房作品の海外版ペーパーバックのカバー・デザインが素晴らしくいいので、それも合わせて紹介したかった。と、いたってシンプルなもので特別な意図はない。
無理やり関連付けるわけではないが、安部公房は晩年、ピジンやクレオール言語に興味を持っていて、それをテーマにした小説に取りくんでいた。彼は小説家。言葉を使って表現する生業だから、やっぱりその行き着く先というか、表現のあり方を突き詰めると、言葉あるいは言語というものが、人と人のコミュニケーションを媒介するものとして、どのような経路を経て変化していくんだろうか? といったようなことに関心を抱くことのは何ら不思議ではないなと思ったりする。しかし、執筆の途中で安部公房は亡くなってしまい、その小説は完成には至らなかった。もし出来上がっていたら、一体どんな物語になっていたのかは、興味あるところだけれども、言葉がメタモルフォースしていくような、こうした現象に絡めて、安部公房の小説を例にあげるのは何かうっすらとしたもので繋がりがあるようなないような感じもする。久しぶりに安部公房の文章を読んでみるとやっぱり新鮮で、論理的で緻密、思考性を強く感じる文体だった。こうした要素は、物語の非現実的世界をよりリアルにイメージさせ、それは多分英語にしたときにぴたりと合うような気がする。以前は、安部公房の比喩表現や発想の奇異さに目がいっていたが、今回は主語や動詞などの置き方、文章の流れ方などを少し意識して読む。安部公房が文章を書くとき、日本語で言葉を組み立てる際の構造や言葉の選び方が、わりと英語的(彼は幼少の頃、満州で育っているので、もしかすると中国語の文法が記憶の隅に残っていて、それが影響しているかも)なんじゃないかと思ったり。文章って、その人の生き様や生活の土台になっているものが現れてしまうようにも感じたり。

以下、「砂の女」の英語訳(青文字)。その次に「砂の女」の英語訳を僕が日本語訳したもの(茶文字)。最後に安部公房の「砂の女」原文(グレー文字)と続きます。ではどうぞ。


安部公房「砂の女」の英語訳 "The Woman in the Dune":
Translated by E. Dale Saunders (Original text to English) / from Vintage International

One day in August a man disappeared. He had simply set out for the seashore on a holiday, scarcely half a day away by train, and nothing more was ever heard of him. Investigation by the police and inquiries in the newspapers had both proved fruitless.
 Of course, missing persons are not really uncommon. According at the statistics, several hundred disappearances are reported every year. Moreover, the proportion of those found again is unexpectedly small. Murders or accidents always leave some clear piece of evidence, and the motives for kidnapping are normally ascertainable. But if the instance does not come under some such heading, clues − and this is especially true in the case of missing persons − are extremely difficult to come by. Many disappearances, for example, may be described as simple escape.
 In the case of this man, also, the clues were negligible. Though his general destination was known, there had been no report from the area that a body had been discovered. By its very nature, it was inconceivable that his work involved some secret for which he might have been abducted. His quite normal behavior had not given the slightest hint that he intended to vanish. By its very nature, it was inconceivable that his work involved some secret for which he might have been abducted. His quite normal behavior had not given the slightest hint that he intended to vanish.



安部公房「砂の女」の英語訳を再度日本語に
Translated by Tagong Boy (English to Japanese)
 
 八月のある日、一人の男が姿を消した。男はただ休日に、列車で半日ほどの海辺へ出かけただけで、これ以上、彼の噂(消息)を聞くことは全くなかった。警察による捜査と新聞での照会は、共に無駄だと判明した。
 もちろん、失踪者は稀ではない。統計によれば、毎年、数百の失踪者が報告されている。さらに、こうした場合に再発見される割合は意外と低い。殺人や事故というものは常に、あるはっきりとした証拠を残すものだ。そして、誘拐の動機は通常突きとめることができる。しかし、もし事例が何かこのような項目に該当しなければ、手がかり(このことは失踪者の場合に特にあてはまる)を得るのは極めて難しい。例えば、失踪者の多くはありふれた逃亡だと言われるだろう。
 この男の場合、さらに、手がかりは極わずかしかなかった。彼の行きそうな場所は知れていたにもかかわらず、その地域から身柄(遺体)が発見されたという報告は全くなかった。この事例の本質からして、彼の仕事が誘拐されるようなある秘密に関与していたとは考えられなかった。彼の普段のふるまいからして、突然姿を消してしまうといった気配は少しもなかった。



*) E.デイル・ソーンダースさんによる「砂の女」の英語翻訳を日本語に訳した。「砂の女」は何度か読んだことのある作品で、だいたいのストーリーは覚えてはいるが、どんな文章だったか等細かなディテールはさっぱりと記憶になく、訳す際は原文を見ないままで翻訳している。安部公房が小説で使っていそうなフレーズや言い回し(や文体)を若干想像し意識しながら、なるべくそれとは違ってそうな日本語の表現を使うようにした。訳したあとに、安部公房の原文を見て比べると、やっぱり言い回しなどは全然違ったものになっていたが、全体の意味はさほど変わってないのが分かる。



「砂の女」安部公房(第一章 / 新潮文庫・p5-6)、より
Original text by Abe Kobo (Japanese)

 八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。捜索願も、新聞広告も、すべて無駄におわった。
 むろん、人間の失踪はそれほど珍しいことではない。統計のうえでも、年間数百件からの失踪届が出されているという。しかも、発見される率は、意外にすくなくないのだ。殺人や事故であれば、はっきりとした証拠が残ってくれるし、誘拐のような場合でも、関係者には、一応その動機が明示されるものである。しかし、そのどちらにも属さないとなると、失踪は、ひどく手掛かりのつかみにくいものになってしまうのだ。仮に、それを純粋な逃亡と呼ぶとすれば、多くの失踪が、どうやらその純粋な逃亡のケースに該当しているらしいのである。
 彼の場合も、手掛りのなさという点では、例外でなかった。行先の見当だけは、一応ついていたものの、その方面からそれらしい変死体が発見されたという報告はまるでなかったし、仕事の性質上、誘拐されるような秘密にタッチしていたとは、ちょっと考えられない。また日頃、逃亡をほのめかす言動など、すこしもなかったと言う。




安部公房の英語版ペーパーバックのカバー (Vintage International)

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原題「燃えつきた地図」の英語訳は "The Ruined Map"、「密会」は "Secret Rendevous"に。
「密会」は英語でもそのままだ。"The Ruined Map" を再度日本語に戻すと「棄てられた地図」という感じになると思うが、タイトルとしての語感や印象強さでは、はまっている感じがする。

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「箱男」の英語訳はそのまんまの "The Box Man"。

Kobo Abe (Penguin Random House) / *上画像は下記リンク先より
http://www.penguinrandomhouse.com/authors/31/kobo-abe


コラージュ作家、Ned Drew(ネッド・ドリュー)

Graphic-Collage-NedDrew.jpg
画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/162748972926/
http://www.johngalldesign.com/Kobo-Abe-1

安部公房のヴィンテージ・インターナショナル版ペーパーバックのブックカバーは、 Ned Drew(ネッド・ドリュー)というコラージュ作家の作品をベースに John Gall(ジョン・ガル)というグラフィック・デザイナーがディレクションをしている。はじめ見たときは、オリヴィア・パーカーの写真だったり、ジョゼフ・コーネルの箱庭的世界をうまく二次元に置き換えたようなクラシカルなコラージュだなと思い、もしかすると誰か名の知れたコラージュ・アート作品を使ってデザインしたんじゃないかと感じたが、この企画に合わせ作成されたオリジナル・コラージュのようだ。西洋の人からみたオリエンタリズム、東洋の人からすると無国籍感のあるいいバランスをしている。ネッド・ドリューさんの作品はネット上でいくつか見ることができる。コラージュといっても、わりとかっちりとしたもので、感覚でやっているというよりも構成力・ヴィジョンを持って制作しているのが分かる。


OliviaParker-WeighingThePlanets.jpg
Olivia Parker "Weighing the Planets"
https://www.amazon.com/Weighing-Planets-Untitled-Olivia-Parker/dp/093328649X
1980年代後半から1990年代ごろにかけてオリヴィア・パーカーという写真家が人気あった。彼女は立体コラージュに光や影要素を組み込んだ写真作品を制作している。どこか内省的な世界があり、日本人には懐かしさを感じるスタイルだと思う。上画像はパーカーの写真集。柴田元幸さん編訳による「どこにもない国・現代アメリカ幻想小説集」(松柏社)の表紙カバーにも彼女の写真が使われている。



海外で読まれている日本の小説いくつか

探してみると、海外(主に英語圏)で翻訳されている日本の小説は意外とあって驚くが、それでも全体の総数からするとまだまだごく一部だけでしかなかったりする。新しい古典でいえば、夏目漱石や川端康成の英訳本はときどき見かけるから、やっぱりこの辺りが海外の読者がイメージしやすい代表的な「日本の文学」になるんだろうな。そして、多分日本の作家で一番知られているのはやはり、刊行数の多い村上春樹になると思う。村上さんの小説はほぼ全タイトルと言っていいくらいの英語翻訳があって、さらに英語圏以外の各国語版にも訳されている。ほか、僕の大好きな倉橋由美子も数タイトルの翻訳本があったり、Amazonのレビューなんかを見てみると、女性作家では川上弘美や小川洋子の小説も(海外の)若い世代には人気があるみたいだ。

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*画像はAmazon.jpより。

"Blind Willow, Sleeping Woman" (Murakami Haruki) :
米国クノップフ社独自編集による短篇集のペーパーバック版。この海外版と同じセレクション(収録順も)で作品を構成した日本版も新潮社から出ている。村上さんのバックタイトル・ペーパーバック・シリーズはわりと短いスパンでカバー・デザインが変わっていて(新作が加わるごとに変えているのかもしれない)、最新のものは彩度の高い抽象的な画像をバックに文字や記号を載せたものになった。このシリーズをひと通り揃え、ジグソー・パズルを組むように本を並べていくと、大きな「村上作品の相関図風」マップが出来上がるという仕掛けになっている。カバー・デザインは上の安部公房と同じジョン・ガルが担当している。
Haruki Murakami Series Design : http://www.johngalldesign.com/Murakami-Redesign-2015

"Strange Weather in Tokyo" (Kawakami Hiromi) :
「センセイの鞄」のイギリス版。アメリカ版はタイトルが異なり「The Briefcase」となっている(翻訳者は同じ)。アメリカ版の方が先に出版されている。「The Briefcase」の方がオリジナル・タイトルに近いけれども、物語の雰囲気に近いタイトルになっているのはイギリス版かも。それぞれの国の読者層に合わせたのだろうリタイトルは、日本で公開される洋画の邦題みたいな感じがあって、もっと数を集めて比べていくとその国らしさみたいなのが見えてきそうだ。川上さんの文体は、シンプルだけど独特の(日本語の)リズムがあって、英語に訳すのはきっと難しいんじゃないかと思う。

"Revenge" (Ogawa Yoko) :
英国 Picador版。ヴィンテージ版とはカバー・デザインが異なっている。原書は「寡黙な死骸 みだらな弔い」。小川さんの(日本での)小説の表紙の多くは、わりとファンタジー要素のあるふんわりとしたモチーフや色使いで柔らかな印象があるが、海外版ではゴスホラーっぽいややハードでシャープなカバーになっているものが多い。僕は「薬指の標本」という短篇しか読んだことがないが、ちょっと不思議かつダークな世界観があって、S.ミルハウザーっぽい感じもした。「ザ・ニュー・ヨーカー」には短篇集「妊娠カレンダー」からの2つの短篇が掲載されていて、今もweb上で読める。下リンクは、2004年9月に掲載された「夕暮れの給食室と雨のプール」の英語訳。

"The Cafeteria in the Evening and a Pool in the Rain" Ogawa Yoko
http://www.newyorker.com/magazine/2004/09/06/the-cafeteria-in-the-evening-and-a-pool-in-the-rain

posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文体観測 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする