2018年02月08日

「ろっ骨レコード」と「ファウスト」


いや、書くのにずいぶんと長くかかってしまった。はじめはカルヴァート・ジャーナルに載っていた「ボーン・ミュージック(ろっ骨レコード)」についての記事訳に、少しファウストのことを絡めて書こうかといった程度だったけど、ろっ骨レコードの存在にすごく歴史や政治的な意味があるせいで、調べていくほどに深みにはまってしまい、また訳すのも難しいところがあったりして、そうこうしてるうちに文字量もけっこう増えてきて、ちょっと一度書いたものを、冷静に読み返してみないといけないように思え、しばらく放置したままになっていた。英文を含めると18,000字ほど。ブログでは、ちょっと長めの部類に入るだろうと思うので、最初に簡単な目次を書いておこう。「ろっ骨レコード」の記事訳に興味がある方は、最初半分をすっ飛ばしてください。

前半:
 ろっ骨レコードからファウストにつながる話。
中盤: ファウストの音楽とアートワークについて。
後半: The Calvert Journal に載っていた「Bone Music」についての記事を日本語に訳したもの。




「ろっ骨レコード」と「ファウスト」

「謎」と言ってしまうにはちょっと大げさなんだけど、なぜなんだろう? といった程度の「小さな不思議」、そういったものが記憶のなかにいくつかある。普段そうしたものを思い出すこともないし、思い出すようなきっかけだってほとんどないが、急に脳裏に浮かび上がってくることがある。こういう時、何がその発火点になったのか、何が誘発したのか、理由なんてわかるわけがない。衣替えの時期に、クローゼットの片隅ですっかり気化して形の無くなったナフタリンの包み紙を発見し、いつ誰がこんなものをおいたんだろう? と記憶のタンスをとっちらかすようなものだ。こんな風に思い出してはまた忘れ、忘れてはまた思い出し、といった単純なサイクルを繰り返しつつ、いつになっても解決する見込みもないような事柄。そういったものほど、記憶の片隅からは、完全に消えてくれなかったりする。もちろんそうしたもののほとんどが、僕にとっての「クエスチョンマーク」であるから、誰か他の人にしてみれば他愛のない些細なことにすぎないし、それがあるからといって、何も手がつかず、日常生活に支障をきたすようなことだってもちろんなわけだが、あまり増えてしまうと普段の思考に多少ちぐはぐな感じが残ってしまう。
こうした小さな謎っていうのは、大抵、何でもないようなとき、特に考えていたこと自体を完全に忘れているような瞬間に、ふとその答えが現れるものだから、無理に、あるいは性急にその答えを求めこじ開けようと躍起にならない方がかえっていい。むしろ全く忘れてしまった時にこそ、頼んでもいないのに、突然何の苦労もせず答えが勝手に現れてくれる。まるで、記憶の奥底に押し込められた「小さなナゾ」たちに、意識や自覚、もっといえば人格みたいなものが備わっていて、主の記憶から抹消されるんじゃないかと危険感を募らせたその瞬間に、最後の力をふりしぼり、見えない力をつかって自分の存在をアピールするため、思い出の回路を開いてくるような、そういう作用を働かせているような気もする。

ファウストというドイツの前衛的なプログレ・バンドがあって、彼らのレコード(1st album)を初めて手にし(僕が買ったのは、レコメンデッドから再発された中古盤だったけど、仕様はポリドール・オリジナル盤に極めて近くなるよう再現されていた)、その音楽を聴いたときから疑問に思っていたことがあった。ただそれは音楽に対してではなく、そのパッケージ、つまりレコジャケについてだった。そしてこのレコードから飛び出すファウストの実験的なサウンドは、レコジャケが放つ不思議なイメージをより増長させていたのも事実だ(レコジャケが、摩訶不思議なファウストの楽曲をより奇妙なイメージに誘導していたといった方が適切かもしれない)。どんなレコジャケだったのか? というと、紙に印刷した一般的なスリーヴとは全く異なるものだった。手のレントゲン写真をモノトーンでプリントした透明なヴィニール・カヴァーがまずあって、その内側に赤い文字で歌詞を印刷した透明シートが封入されていた。中に入っているレコードはこれまた透明なものだった。真ん中のレーベル面だけがメタリックなシルバーで、レコード・ジャケットというよりも、医師の机の上にあるカルテ一式といった風のたたずまいをしていた。レコードを取り出す度に、また歌詞カードを取り出すときもそう、まるで今から患者に病状を説明しなければならないような雰囲気になって、これを聴くときは白衣を用意し聴診器を首から下げなければいけないのかも、なんて思ったりしたもんだ。
「なんで手のレントゲン写真なんだろう?」という素朴な疑問。音楽との関連は全くないものだったし、曲名や歌詞のなかにも、そのヒントが潜んでいるようには感じなかった。かといって何の意図もなく、それが生まれたようにも思えない。音楽好きの友達にたずねても、返ってくる答えは「わからない」か「なんでだろうね」という、そこにあまり関心のない短い言葉しかなかった。僕自身もさほど掘り下げるほどでもないか、と思ってはいたので、そうした話はあっと言う間に流れてゆくも、インパクトの強いグラフィック・アイコンなだけに、これがどこか頭の中で小さな置き石みたいになって脳の深くに沈みこんでいた。こうして長年、漠然とだけど、微々たる思いのあったこの「ナゼ?」が記憶の片隅に置き去りになってはいたが、まぁ多分このまま、分からないままでいるんだろうなぁと思っていた。ところが、ある日突然、それが簡単に解けてしまった。

きっかけは「ろっ骨レコード」だった、というよりもそれが答えだったのだ。そう確信めいたものがあった。たまたま手に取ったフリー冊子、紀ノ国屋書店で配布している「scripta」の2016年春号。それに連載されている都築響一さんの「ROADSIDE PARADISE」という日記の中にとりわけ気になる記述があった。モスクワの外れで行われている巨大蚤の市にて、都築さんが念願の「ろっ骨レコード」を買ったという文章とその小さなモノクロ写真があり、それを読んだ瞬間に、「あ、これファウストのあれだ!」と閃いて、これまでずっとわからずにいた点と点がつながった。その部分を以下引用(しかし都築さん、一文が長いね。でもそう感じさせないところがすごい)。




 文化統制の厳しかったソビエト時代に、ご禁制の音楽をひそかに、レントゲンのフィルムに刻んだ「手づくりソノシート」というべきろっ骨レコードは、所持しているのが見つかっただけで大変、作ったり売ったりしたら数年間の収容所送りという重罪で、そこまでして聴きたい、聴かせたい音楽があったという事実に感動する。しかもそれが、人間の骨が写っているフィルムに刻まれているのがまた、からだのいちばん深い場所から湧き出る音の象徴のようで、僕にとってはどんなにハイクオリティのデジタル音源よりも愛おしい。

「ROADSIDE DIARIES・移動締切日」都築響一、より
第5回・1月9日 モスクワ - サンクトペテルブルク
(紀伊国屋書店 "scripta" Spring 2016 / p31)



e-Bayに出品されている「ろっ骨レコード」とその値段
X-RayRecord-eBay.jpg
*上画像は右リンク先より: http://tagong-boy.tumblr.com/post/163492017606/
安いものだと約50ドル前後からあり、高くても200ドル以内。平均的な出品価格は100ドル前後。
(価格は2017年7月頃に調べていたときのもの)





「ろっ骨レコード」なるものの存在を初めて知ったのが、この記事だった。追って調べていくうちに、半世紀以上も前に密造されていたこの音楽マテリアルのもつ奇妙さと、その時代の社会情勢を反映した記号的なおもしろさにすっかり魅了されてしまう。

(話戻って)僕がファウストのファースト・アルバムで疑問に思ってった箇所は二つあった。まず、なぜジャケット・ヴィジュアルが手のレントゲン写真だったのか? という点。そしてもう一つが、一曲目「Why don'tyoueatcarrot?」の出だし部分。レコードに針を乗せると、電気的なノイズが流れたあとにザ・ローリング・ストーンズの「サティスファクション」とザ・ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」のサビ・パートの短いサウンド・コラージュが立て続けに流れてくるが、何で世界で最も有名なバンドの、最も有名な二曲を選んだんだろうという点だった。この謎が、ろっ骨レコードと、それにまつわるエピソードでうまく解決したのだ。二つの「?」だったものがつながったことで、つまり、ファウストというバンドが、単にヴィジュアル的な面白さやインパクト、あるいは音楽的な面白さだけで、このアルバムの曲とそれを視覚化したヴィジュアル・アートワークを作っていたわけじゃないことがはっきりしたことにもなった。そのことは、(最後に書いている)今回のカルヴァート・ジャーナルの記事訳を参照してほしい。

僕が思うにきっと、彼ら(ファウスト)は自分たちのレコード(&ジャケット)を、ソ連で禁じられていた「ろっ骨レコード」になぞらえ、音楽に対し何の規制も制約もかけられていない西側世界のリスナーたちに向け、あるメッセージを込めていたんじゃないだろうか。「音楽を聴くのに、命がけにならなければならない世界もあるんだよ」と(あるいは検閲に対する批判的な意味合いなのかもしれない)。そして自分たちの音楽も命がけで聴いてくれ、みたいな気負いをも同じように込めていたんじゃないかとも思える。
ジャケットにあるレントゲン写真は、「ろっ骨レコード」そのものを示しているし、ストーンズとビートルズのサウンド・コラージュは、当時出回っていた数多くのろっ骨レコードに刻まれ、ソ連の人たちが皆それを密かに聴き求めていただろう、西側世界のヒット曲を象徴している。そう考えると、イントロの電気ノイズ、そして浮かびあがってはすぐに消えてゆくこの二曲が、音質の悪いろっ骨レコードの音を擬似的に再現しているようにもとれる。

「ろっ骨レコード」と「ファウスト(バンド)」のレコードが結びつくのかは、指摘している人がまだほとんどいてないために、正直合ってるのかはわからない。彼らはプログレというジャンルの中では知られた存在ではあるが、さほどメディアに取り上げられていたバンドではないが故に、またあまりそういたところに露出しようとしなかった故、メンバーのインタビューなども少なく、あったとしてもレコジャケのヴィジュアルについて触れていることはないだろうから(少なくとも過去のインタビューや記事では読んだことがない)、真相はきっと語られないままなんだろうと思う。ただ時代的なことも考えると、ロシアで起こった内戦の後、多くのロシア人がドイツに逃げ込み、そこでロシア人コミュニティが形成され、そうした中でその後のソ連での検閲社会の様子が伝わって、あるいは密かに亡命して流れ着いたロシア人たちが、「ろっ骨レコード」のことを話していたり実物をこっそりと持ち込んでいたのかもしれない。おそらく、ファウストのメンバーらの親たちの世代にあたるのだろう。今回ひょんな事で知った「ろっ骨レコード」が起点になり、示唆するものが色々と閃き、そのひとつが「ファウスト」のファースト・アルバムだった。



ファウストの1st album、ドイツ・ポリドール盤。
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画像は右リンク先より:http://tagong-boy.tumblr.com/post/165087453926/
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このアルバムにはタイトルがなく、ただバンドの名前があるだけ。手のレントゲン写真がプリントされた透明ヴィニールのジャケットの中に、赤い文字で歌詞が印刷された透明シートと透明クリア・ヴィニールのレコード(レーベル面がシルバーでカッコイイ)が封入されている。まるで、病院の診察室でライトボックス越しに見るレントゲン写真とカルテを連想させるような、どこか無機的で恐怖のイメージ。ジャケットからレコードと歌詞シートを引き出し手にとると、身体の中で進行している自分の知らない重大な秘密の記録レポートを突きつけらているかのような錯覚に陥りそうだ。このポリドール盤はすごくレアで、まずほとんど店に置いてることはなかったし、あったとしても買える値段じゃなかった。当時、僕は再発のレコメンデッド盤を買うのが精一杯だったが、初回オリジナル盤とほぼ同じ仕様だったのでオリジナルが持つ雰囲気と感触を少しは味わえていたと思う。ポリドール盤にこだわるならイギリス盤もあったが、これは透明ヴィニールの特殊仕様ではなく、普通の紙ジャケ(白地に手のレントゲン写真が印刷されている)だった。


" Why Don't You Eat Carrots " - Faust

アルバム「Faust」の一曲目。イントロの電子ノイズからストーンズの「サティスファクション」、ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」のサビメロディのコラージュが続き、ピアノの伴奏に乗ってマーチのリズム、間延びしたコーラスへと次々と音が変わってゆく。まるで夢の世界で流れているような不思議なサウンド・コラージュ。聴いていると、断片的な映像がめまぐるしく展開する、ダリの制作したシュールレアリズム映画「アンダルシアの犬(1929)」のイメージと重なってくる。


ダリとルイス・ブニュエルの制作した実験的な映画「アンダルシアの犬」のワン・シーン
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上画像は右リンク先より: http://tagong-boy.tumblr.com/post/165364521701/

この映画、美大で映像論の授業をとると必ずといっていいほど取り上げられ、授業で見せられる有名なもの。今の時代、特撮技術やCGも進化してるし、過激な映像にも見慣れているだろうから、これを観たとしてもさほど映像としての衝撃はないかもしれないが、ほぼ一世紀前に観たひとは相当ビックリしただろうと思う。現在この映像はパブリック・ドメイン扱いになっているみたいだ。アメリカのオルタナ・バンド、ピクシーズの「Debaser」の歌詞は、この映画にインスパイアされたもので「I am un chien andalusia」と、コーラス部分に映画原題のフランス語と英語のミックスされたフレーズが出てくる。




「ボーン・ミュージック」〜 ブートレッガーたちはソ連にロックンロールをもたらすため、どんな風にX線フィルムを使ったか 〜
"Bone music: how bootleggers used X-rays to bring rock and roll to the USSR"

Japanese translated by Tagong-Boy
Original text by Samuel Goff (The Calvert Journal / July 2017)
(元記事はこちら) http://archive.is/EhyqC
・直リンクでなく「archive.is」で保存したアドレス。元ページは上リンク先に表示されています。



戦後のソ連で、音楽愛好家たちは検閲官の裏をかくユニークな方法を見つけ出した。古いレントゲンフィルムの上に禁止された音楽を録音することで。モスクワで行われる大きく新しい展覧会に先立ち、カルヴァート・ジャーナルは「レントゲニズダート」の不思議な世界を探ってみる。
In the post-war Soviet Union, music lovers found a remarkable way to outwit the censors: recording banned music onto old X-ray film. Ahead of a major new exhibition in Moscow, The Calvert Journal explores the strange world of roentgenizdat


*) モスクワで行われていた「ボーン・ミュージック」展については、この BLOG の過去記事で少し触れている。
Do ya know Bone Record? (30 Sep. 2017)
http://tavola-world.seesaa.net/article/453834552.html


*) рентгениздат (roentgenizdat): レントゲニズダート。
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=roentgenizdat
ロシア語でレントゲン・パブリッシングの意味を持った造語で、
「roentgen + izdatel'stvo ( =publisher)」の二つを組み合わせた言葉。





ソ連で、アウトサイダーたちが文化的な生活についてを語るとき、彼らはしばしば、下層からの反応よりも上からの抑圧(禁止されたものや、与えられる罰)に焦点を合わせる。一般の人々は、芸術の楽しみにかけられた抑圧をいくつもの方法で回避した。実際、そうした生活が単調で辛い仕事ではないということがレントゲニズダート(レントゲンフィルムによる音楽)によって鋭く証明される。それらがモスクワで行われる大きく新しい展覧会に先立ち、来週ロンドンのプーシキンハウスにやってくる。
When outsiders talk about cultural life in the Soviet Union, they often focus more on the repression from above - what was banned, the punishments meted out - than on the response from below: the myriad ways in which ordinary people circumvented the constraints placed on aesthetic enjoyment. That life was not in fact a monotonous grind is demonstrated with particular poignancy by the story of roentgenizdat, or X-ray music, which is coming to London’s Pushkin House next week ahead of a major new exhibition in Moscow.



「X線出版(ロシア語で "X線" は発明者であるヴィルヘルム・レントゲンの名をとり命名された)」という意味のレントゲニズダートは一般的なレコードのように再生が可能な、使用済みX線フィルムに録音された音楽のことをいう。この現実離れした独創的な試みは、1940年代後期から1960年代初頭まで、ソ連国内で禁止された音楽を複製し流通させる主要な手段だった。ミュージシャンのステフェン・コーツとフォトグラファーのポール・ハートフィールドは、レントゲニズダートとその風変わりなブートレッガーたちを支援することに全霊を注いだマルチメディアの壇上に立つ「X線オーディオ・プロジェクト」の黒幕的な人物だ。足かけ3年、このプロジェクトが、本やドキュメンタリー、ライブショー、そして巡回展示へと発展していくのをみてきたコーツにとって、レントゲニズダートがもつ本質的なメッセージはシンプルなものだ。
「音楽がどれほど重要なのか、また人々がどこまで創意に富むことができるのか、それについての物語なんだ」
Meaning simply “X-ray publishing” - in Russian the X-ray is named after its inventor, Wilhelm Rontgen - roentgenizdat refers to music recorded onto used X-ray film that could then be played like a gramophone record. This surreally inventive practice was the primary means of reproducing and distributing banned music in the Soviet Union from the late 1940s until the early 1960s. Musician Stephen Coates and photographer Paul Heartfield are the men behind the X-Ray Audio Project, a multimedia platform dedicated to roentgenizdat and its eccentric, entrepreneurial bootleggers. For Coates, who over the past three years has seen the Project expand into a book, documentary, live shows and a travelling exhibition, the essential message of roentgenizdat is a simple one: “It’s a story about how much music matters and how ingenious people can be.”


製造工程の簡単な説明をコーツに頼む。「(彼らは)ディスク上に音楽を書き込むのに、録音旋盤と呼ぶ蓄音機とは正反対のような機械を使っていた。表面の異なるさまざまなものに音楽を書き込むことができて、偶然にもエックス線フィルムは溝を保持するのにちょうどいい。また当時のソ連でそれを入手するのはとても簡単だった。彼らは通常の生産手段を手にする方法をもたなかった(もちろんそれは違法行為だった)。だから、彼らは即席で製造しなければならなかった。彼らは自分たちの録音機械を組み立て、夜、あるいは人目につかない場所で作業にとりかかった。これらのレコードはどれもみなリアルタイムで一つずつ作られた。大量生産ではない、好きだからこそできる手仕事だった。こうして出来たものは、ほとんどソフトドラッグ、あるいはマリファナの路上取引きのように配られ売られた。もし顔見知りなら手渡しされるし、外に出て路上で買うこともできる」
I ask him to explain the production process in layman’s terms. "They used machine which we would call recording lathes, like a gramophone in reverse for writing music onto a disc. You can write music onto various different surfaces and it just so happens that X-ray film is quite good at holding the grooves, and in the Soviet Union at that time it was very easy to get hold of. They didn’t have access to the usual means of production - and it was illegal, of course - so they had to improvise. They built their own recording machines, they worked at night or in out of the way places. Each one of these records was made one by one in real time. This was a labour of love, not mass production. They were distributed and sold pretty much like soft drugs, something like the street trade in weed.
If you knew somebody they were passed hand to hand, or you could go and buy some on the street."


コーツが「ボーン・ミュージック」と出会ったのは、何年か前にサンクトペテルブルクの蚤の市で不思議なレコードに出くわしたときだった。それはビル・ヘイリーによる1955年のヒット曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のX線録音だとわかった。これが最初の発見を代表するものだった:1950年代、西側のロックンロールとジャズは、X線レコードのブートレッガーたちにとって最もポピュラーなジャンルの一つだった。もちろん、禁止されたどんなものでも「ザ・ボーンズ」や、ロシアの亡命者音楽、監獄の歌、そしていわゆるジプシー・フォークソングになりえた。最初に発見したこの場所も幸運だった。サンクトペテルブルク(当時のレニングラード)がおそらく、この現象の誕生した場所だったから。
Coates discovered “bone music” several years ago when he came across a strange disc at a St Petersburg flea market - it turned out to be an X-ray recording of Bill Haley’s 1955 hit Rock Around the Clock. This was in fact a pretty representative first find: in the 1950s, Western rock and roll and jazz were among the most popular genres for X-ray bootleggers. Of course, anything that was banned could make its way onto “the bones”, and Russian emigre music, prison songs and so-called “gypsy” folk tunes. The location of this initial discovery was also auspicious, as Petersburg - then Leningrad - was most likely the birthplace of the phenomenon.


* Bill Haley & His Comets - Rock Around The Clock (1955)
https://www.youtube.com/watch?v=ZgdufzXvjqw
1955年の映画「暴力教室」のテーマ曲として使用され有名になった楽曲。ジョージ・ルーカスが監督した映画「アメリカン・グラフィティ」の中でも流れていたロックン・ロール黎明期の代表的な曲。




もちろん、あらゆるアンダーグラウンドの文化がそうであるように、歴史的なディテイールをはっきりとさせるのは難しい。「レニングラードで始まったことは、ほぼ確実にわかっているんだ。」とコーツは言う。 「で、モスクワとその他の大都市、そしていくつかのソ連の国で広まったんだ。これらのレコードがどれくらい造られたのかは知るすべがない。レコード自体は傷みやすく、もう聴かなくなると捨ててしまったんだ。 一枚一枚個別に作られなければならなかったという単純な理由から、そんな沢山あったはずがない。僕は、100万枚未満ではないかと見ている。まぁ、確かなことはいえないが」
As with any underground culture, of course, the historical details are hard to pin down. “We know that it almost certainly started in Leningrad,” Coates says. “It spread to Moscow and other big cities, and some other Soviet countries. There’s no way of knowing how many of these records were made - the records themselves were quite fragile and when they no longer played people would throw them away. There can’t have been that many for the simple reason that each one had to be made individually. I suspect less than a million, but it’s impossible to say.”


今日(こんにち)、レントゲニズダートは70年の歳月を経た。そして始まり頃にいた育て親の多くは亡くなっている。だが、コーツとハートフィールドのフィルムの中で、私たちは1950年代のこの奇妙な西側世界の音楽にかかわった多彩な人物の何人かを知る。1970年代にオフィシャル・レコード・レーベルを所有し続けたペテルブルクのプロデューサー、ルディ・フーシス。そしてオリンピックの水泳選手になるために音楽に別れを告げたモスクワのブートレッガー、ミハイル・ヴァラファノフ。がそうだ。 コーツにとって、こうした人物たちの意欲を駆り立てるはとても簡単だった。「みんな音楽好きだったからね」 たしかに、ほんのわずかなやるべき仕事や、それに伴うちょっとした責任のある事情は存在した。しかし、彼らはジャズやR&Rが好きだったし、それを他の人に聴いてほしかったのだ。
Roentgenizdat is about 70 years old now, and many of the early adopters are dead. In Coates’ and Heartfield’s film, though, we are introduced to some of the colourful figures who took to these strange, Western sounds in the 50s with such vigour: Rudy Fuchs, a Petersburg producer who went on to have an official record label in the 70s; Mikhail Varafanov, a Moscow bootlegger who left music behind to become an Olympic swimmer. For Coates, the motivation driving these “characters” was simple enough: “They were music lovers. For sure there was a little bit of business to be done, and a little bit of status attached to it. But they loved jazz and rock and roll and they wanted other people to hear it.”


単に若さからくる純粋さの一つが背景だったと言うわけではなかった。「終いには、レコードを扱うのが本当に危険になっていたんだ。脅され、他の競合するディーラーたちにかなり気を使わなければならなかった、とミハイル(ヴァラファノフ)は僕に語った。ドラッグ取引きみたいな何かになっていたんだ。以前は自分のレコードコレクションを人に貸していたんだ、とルディは僕に言った。自分でレコードを売るよりもレコードの時間貸しをしていた。
Not that the scene was solely one of youthful innocence. “Towards the end, it got quite dangerous dealing records. Mikhail [Varafanov] told me that he got threatened and that he had to be quite careful of other rival dealers. It became something like a drugs trade. Rudy told me that he used to rent out his record collection to people: rather than sell stuff himself, he’d hire records out for a hour.”


曲は中毒的であるが故に、どんなことでもやらかしてしまう人たちが持つ音楽の純粋な楽しみ方は、「”良い”非公式な文化」対「”悪い”公式な文化」といった対立する二つの政治問題を、ボーンミュージックが いとも簡単に分裂させるのだと証明している。 「公認のものと非公認のもの、非公認のものと厳禁されているもの、これらの間の線引きは曖昧だった」とコーツは同意する。 「 こうしたブートレッガーが、どれほどの政治的な意図を持っていたのかは分からない。ルディのような人間は、皆、自分の聴きたい音楽を聴く権利を持っていると、熱心に信じていた。彼は、自身が言う ”足元から沸きあがる文化” というものを信じていた。そして文化のトレーダーとして自分を見ていた。 しかし彼は、制度を廃止させたり、それを批判をしようとしているのではなかった。もし、彼との口論なくそれをさせたのなら、彼は確かにそれをやっただろう。」
The notion of pure musical pleasure, of people going to these remarkable lengths simply because the tunes were so addictive, also speaks to the way in which bone music disrupts simplistic, binary politicisations of “good” unofficial versus “bad” official cultures. “There was a blurred line between what was official and what was unofficial, and between what was unofficial and what was actively forbidden,” Coates concurs. “I’m not sure how much these bootleggers were politically motivated. Someone like Rudy passionately believed that you had the right to listen to the music you wanted to; he believed in “culture from the ground”, as he put it, he saw himself as a cultural trader. But he wasn’t trying to bring the system down or offering a critique of it. If they’d let him do it without hassling him he would have just done it.”


これで話は、レントゲニズダートとソ連で広まっていたアンダーグラウンドな自費出版の動き、つまりサミズダートとの関係に移る。 数十年間、アーティストや活動家たちは、気心の知れた仲間の間で配られた政治的なパンフレットや禁止された小説、宗教的なテキスト(or 聖書の一節)、やポルノグラフィーなどの非合法な資料を複製するのにタイプライターを使用していた。サミズダートはある意味で、ボーンミュージックが聴く楽しみだけであることに業を煮やす、反体制的な現象だとしばしば思われていた。この二つの間にある結びつきをコーツがどう理解しているのか、彼にたずねてみる。
「ボーンミュージックがアンダーグラウンドかつ違法なもので、検閲を否定し、即席の材料を用いた製造工程であるという意味では、二つはつながっているのだ」とコーツは言う。
「”ロック・アラウンド・ザ・クロック”のレコードに何があるかと言えば、反共産主義的で、反体制的、さらに政治的であることなんだ、そう言っていい。歌詞にははっきりとしたメッセージがあった。”1時、2時、3時、ロックだ!” この歌のメッセージは「他のことは全部くそくらえ、さあ踊ろうぜ!」なんだ。ある意味、それはソ連の中ではイデオロギーあるメッセージだった」
This brings the conversation onto the relationship between roentgenizdat and the broader underground self-publishing movement in the Soviet Union, or samizdat. For decades, artists and activists used typewriters to copy illicit material - political pamphlets, banned fiction, religious texts, pornography - which was then distributed amongst confidantes. Samizdat has often been considered a fundamentally dissident phenomenon in a way that chafes with bone music’s dedication to aural pleasure. I ask Coates how he understands the link between the two.
“It’s linked in the sense that [bone music] was underground, illegal, anti-censor, an improvised production process,” he says.
“You could say: what is there that’s anti-communist, subversive or even political about a record of Rock Around the Clock? The lyrics did have a message. ‘One o’clock, two o’clock, three o’clock rock’: the message in that song is, ‘fuck everything else, let’s dance.’ In some way, in the Soviet Union that was an ideological message.”



* Samizdat(サミズダート)
1960-80年代、禁止されていた(主に西側諸国の)書物を読むために、手描きやカーボン複写、タイピングにゼロックスコピー等々、さまざまな方法で複製を作り、ソ連の厳しい国家検閲の目をかいくぐって流通していた手製・自費出版物のこと。「サミズダート」については、下記サイトの記事に詳しく書いてあり写真資料も豊富に載っている。画像を一枚転載した。

ソ連市民の検閲のくぐり抜け方 (エカテリーナ・アレエワ / RUSSIA BEYOND)
https://jp.rbth.com/arts/2017/07/20/806855

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ボーンミュージックは、テクノロジーや文化、そして独創性の交わる場所から生まれた。次の革新がやってくるとすぐに姿を消したのはおそらく自然なことだった。 1964年から、ソ連ではオープンリール式のカセットテープ・レコーダーがおおっぴらに手に入るようになった。これで海賊盤制作の新しい形が誕生した。マグニティズダート、そう、テープ・パブリッシングのことだ。これで音楽好きたちは、録音旋盤機やX線フィルムという道具がなくても、カセットからカセットへ音楽をコピーできるようになった。またライブ録音も可能になったのだ。
「マグニティズダートはボーンミュージックを永遠に葬り去ってしまったんだ」と、コーツは結論づける。人々は無意識のうちに、次に現れたより良い技術を使ったのだろう。「オープンリール式のテープ・マシンは操作がより簡単で、音質がすごく、はるかにいい。X線音楽は複雑で何が起こるかわからない。ブートレッガーはきっと、迷うことなくテープに鞍替えしたんだよ」
もっとも、ボーンミュージックを永く魅力的なものにするのは、複雑さと何が起こるのか分からない点にある。パチパチと鳴り、数値化や合理化できないひどく痛んだアナログ盤の起伏なんかね。「禁じられた楽しみの音が刻まれた"痛み"や"傷"のイメージなんだ。ソ連市民が、彼らの体内を写し撮ったもろい写真を、密かに愛聴した聞き取りにくい音楽に重ねたもので、日曜大工的パンク精神の抗議がこもった薄っぺらいカケラなんだ」と、コーツは別の場所でこうした骸骨の印影が付いた痛みやすいディスクのことを言っている。どれほど科学技術が進化しても、ああいう魔法は解けないんだよ。
Bone music arose out of the intersection of technology, culture and ingenuity; perhaps fittingly, it disappeared as soon as the next innovation came around. From 1964, reel-to-reel cassette tape recorders became publicly available in the Soviet Union, and a new form of bootlegging was born: magnitizdat, or tape publishing. Now fans could copy music from cassette to cassette without the paraphernalia of recording lathes or X-ray film. Live recordings also became possible.
“Magnitizdat totally killed bone music for good,” Coates concludes. People would have automatically used the next, better technology. “Reel-to-reel tape machines are easier to use and the sound quality is much, much better. X-ray music is complicated and unpredictable I’m sure the bootleggers went straight over to tape.”
It’s the complication and unpredictability, though, that makes bone music so enduringly fascinating: a crackling, flawed analogue wave that cannot be quantified or rationalised. Elsewhere, Coates has described these perishable discs with their skeletal imprints as “images of pain and damage inscribed with the sound of forbidden pleasure; fragile photographs of the interiors of Soviet citizens layered with the ghostly music they secretly loved, they are skin-thin slivers of DIY punk protest.” No amount of technological progress can quite break that spell.


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2018年01月24日

海外記事訳:「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(3)」

PenguinModernClassics-Calvino-Carrington.jpg
ジム・スタッダートの手によって新しいデザイン・フォーマットになったペンギン・モダン・クラシックス。
左が2007年〜2017年まで展開していたシルバー文字のもので、右が2017年に「 eau-de-nil(ナイルの川)」という名称のペパーミント色に変え新しくなったバージョン。この新デザイン・フォーマット、確かに、今の時代にあったシャープなグラフィック・ヴィジュアルをしていて、つい欲しくなってしまう。シルバー文字バージョンは、やや重厚さを感じるものだったが、新しいペパーミント色の色使いは軽快感があってさわやか。だけども上品さがきっちりとあってエレガントな印象。
・カルヴィーノの初期短篇集を収録した「Numbers in the Dark」:イタリア語からの英語翻訳。前半が「寓話と小説」のパートで1943-1958に書かれたもの、後半が1968-1984年にかけての「物語&対話」を集めたもの。おそらく日本では未訳の作品が収録された一冊だと思う。
・レオノーラ・キャリントンの「The Hearing Trumpet(邦題:耳ラッパ)」




全3回のシリーズでアップされていた「ペンギン・モダン・クラシックス」のカバー・デザインについての記事
の第三弾、そしていよいよその最終パート。今回は10年前のリニューアルからはじまり、2017年にマイナーチェンジを行った最新版のデザインがどうなっているかについて。

過去記事:「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(1&2)」からの続き
http://tavola-world.seesaa.net/article/penguin-modern-classics-design-history.html
http://tavola-world.seesaa.net/article/penguin-modern-classics-design-history-2.html




■ 「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(3)」 ( 2007 - 2017 )
Designing Penguin Modern Classics (Part 3)

Japanese translated by Tagong-Boy ( Original text from Penguin HP )
(元記事はこちら) http://archive.is/OOPYH
・直リンクでなく「archive.is」で保存したアドレス。元ページは上リンク先に表示されています。


ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史についての最終部では、ペンギン・クラシックスのクリエイティヴ・エディター、ヘンリー・エリオットが2017年のシリーズに向けた新しい「オウ・ディ・ニル(ナイルの川)」の外観を紹介する。


現アート・ディレクター、ジム・スタッダートは、2007年9月にペンギン・モダン・クラシックスの大部分を新たに作りなおした。 裏カバーは銀色を残したが、本はマットになった。 背はフロント・カバーの上部分と下部に沿う細い白の帯に合わせ白くなった。カバーは、「アヴァンギャルド(フォントの名前)」を用いた大きな銀と白のレタリングを上に置き、別な方法で完全にアートワークで占められた。
The current Art Director, Jim Stoddart, gave Penguin Modern Classics its latest major makeover in September 2007. The back covers remained silver, but the books were now matte. The spines became white, matched by narrow white bands along the top and bottom of the front covers, which were otherwise completely filled by the artwork, superimposed with large silver and white lettering in Avant Garde.



「アヴァンギャルド」はタイポグラファーのハーブ・ルバリンによってデザインされた。 それは「アヴァンギャルド」というNYの雑誌のロゴから作ったものだ。 この雑誌はセクシャルなイメージと露骨な言葉、そして際立って美しいグラフィックで有名だった。 雑誌は3年で廃刊になった。ヌードモデルを使ったアルファベットのスペルを紙面に載せ、編集者が刑務所行きになったあとに。しかしルバリンのロゴは人気だったので、彼はその後すべての書体を仕上げ、1970年に発表した。
Avant Garde was designed by the typographer Herb Lubalin. It developed from the logo of a New York magazine called Avant Garde, which was famous for sexual imagery, crude language and strikingly beautiful graphics. The magazine folded after just three years, when it printed an alphabet spelled out by nude models and the editor went to prison; but Lubalin’s logo was so popular, he subsequently worked it up into a full typeface and released it in 1970.



New York Magazine "Avant Garde"
NY-Magazine-AvantGarde-issue1-Ja.1968.jpg
Avant Garde Magazine Issue Number 1 – January 1968
http://celfcreative.com/blog/avant-garde-magazine-issue-number-1-january-1968

雑誌「アヴァンギャルド」を紹介しているサイト。グラフィックを主体にした雑誌の先駆けみたいなものだったみたいだ。 画像は上下リンク先より。

http://avantgarde.110west40th.com/

Magazine-AvantGarde-NY.jpg


* an alphabet spelled out by nude models : 複数のヌードモデルを使って、AからZまでの人文字アルファベットを描き写真作品にしたもの。エド・ヴァン・デル・エルスケン(「セーヌ左岸の恋」で有名な)が撮影をしている。今見ると、さほど驚くものでもないけれど、当時は相当過激だったんだろうな。
以下リンク先に該当ページのアーカイヴ画像がある。
"Nude Alphabet" by Chris Nelson (hint fashion magazine): http://archive.is/Ena8t





2011年2月、ペンギン社は「ペンギン・モダン・クラシックス」の50周年を記念し、50タイトルの「ミニ・モダン」を選集した。これは、短篇とこのシリーズを通して集められた中篇小説を抜粋している小さなフォーマットだった。これらのミニ・ブックは白い背表紙とつや消しシルバーの表紙で、新しいデザインフォーマットを反映した。また単独でも、ボックスセットでも入手できた。
In February 2011, Penguin marked the 50th anniversary of Penguin Modern Classics with a selection of 50 ‘Mini Moderns’: small format extracts, short stories and novellas drawn from titles across the series. These mini books reflected the new design format, with white spines and matte silver covers, and were available singly or in a boxset.



Mini Moderns
Penguin-MiniModern-LittleBlackClassics.jpg
ペンギンは小さなフォーマットで2種類のペーパーバックを出している。一つが上記事にもある「ミニモダン・クラシックス」、そしてもう一つが「リトル・ブラック・クラシックス」という主に古典作家の短篇を載せたもの。二種共に、日本の文庫に近いサイズのかわいいペーパーバック本で、60 - 80ページ前後のボリューム。サイズ比較のため新潮文庫を並べてみた。いきなり、短篇集やぶ厚いコレクテッド・ストーリーズを買うには躊躇するけれども、試しに少し読んでみたいときなんかにちょうどいい。
・ E.M.フォースターが1909年に発表したSF短篇「ザ・マシン・ストップス / 他一篇収録」: 邦訳は絶版で現在入手困難。
・ マーク・トウェインのミニ短篇集「The Stolen White Elephant(邦題:盗まれた白い象)」。全四作を収録: 表題作と「The Celebrated Jumping Frog of Calaveras County」は、柴田さん訳の新潮文庫「ジム・スマイリーの跳び蛙」に収録されている。村上春樹の短篇「象の消滅」をちょっと彷彿させる感じもあって、面白い。

"The Machine Stops" by E. M. Forster (1909)
https://en.wikisource.org/wiki/The_Machine_Stops
アメリカではパブリック・ドメイン適用なのでテキストは読める。





2017年、このシリーズは最新の一歩を踏みだす。 ジム・スタッダートは2007年に自身がデザインしたものを新たな装いにした。 バックカバーと背表紙、ペンギンロゴの丸囲み、そしてそしてカバーの文字はすべて、「 eau-de-nil(ナイルの川)」を意味する色調の淡いブルーグリーンに変わった。 この色はシリーズのオリジナル・パレットと、短命に終わった「20世紀クラシックス」用ブルーグリーンを具体化したものと関係がある。
「eau-de-nil」という色は、流行の装飾や服、女性の化粧と結びついて19世紀後半に現れた。 この100年で、「eau-de-nil」はよりペパーミント風になった。フォートナム・メイスンやローラ・アシュレイ、ハンター・ウェリントンを含めた伝統的なブランドに幅広く使用されている。また、ケンブリッジ・ブルーに良く似ている。
大胆なイメージと、伝統的な色使いの前衛的なフォントを用いたこの組み合わせは、モダンクラシックスの不変的ではあるが先駆的な精神をまとめ上げたものだ。
新たな装いのスタートをきるにあたり、リストの幅広さと深さを表す 50 作品が選ばれた。これらは「ナイルの川」色が表紙になった最初の本だ。そして来月以降さらに続いてゆくだろう。
In 2017, the series takes its most recent step forward. Jim Stoddart has given his own 2007 design a new livery: the back covers, spines, Penguin roundel and cover text have all turned a pale blue-green, a shade known as ‘eau-de-nil’, ‘water of the Nile’. This colour is a reference to the series’ original palette and its brief blue-green incarnation as Twentieth-Century Classics.
The colour ‘eau-de-nil’ emerged in the late 19th century, associated with fashionable decor, clothing and ladies’ toilettes. Over the last hundred years it has become more peppermint, and is widely used by ‘classic’ brands including Fortnum and Mason, Laura Ashley and Hunter wellingtons. It resembles ‘Cambridge blue’.
This new combination of bold images and avant-garde font with a classic colour sums up the enduring yet radical spirit of the Modern Classics.
To launch the new look, fifty titles have been selected to represent of the breadth and depth of the list. These are the first books to be given eau-de-nil covers, and more will follow over the coming months.



モダンクラシックスは、時代の精神をどうにかして捉え、古典がどうあるべきかという私たちの理解に挑戦しようとする偉大な作家を常に披露してきた。 このシリーズのデザインは、目録の雰囲気を反映するために発展し、次の50年もきっと成長が続くだろう。
Modern Classics have always showcased the greatest writers who manage to capture the spirit of the age and challenge our understanding of what a classic can be. The design of the series has evolved to reflect the flavour of the list and will no doubt continue to develop of the next fifty years.

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2017年11月17日

海外記事訳:「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(2)」


「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(1)」
からの続き
http://tavola-world.seesaa.net/article/penguin-modern-classics-design-history.html


ペンギン社のHPで3回に分けてアップされていた、ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史についての連載記事。それを読みながら少しデザインについても触れてみよう、と思って訳し始めた今回は第二回目。1980年代から2000年にかけてのブックカバー・デザインについてのものになるが、ただ今回、本文中に登場するのは連なるグラフィック・デザイナーの名前と、フォントの短い説明がさらっと並んでいるだけだから、さほど書くことがなかったり。それに、ペンギン社の長い歴史から生まれた膨大なデザイン・フォーマットの全容は一冊の本が出来るくらいボリュームがあるため、ちゃんと把握してない僕が触れられるようなものでもなく、ただ静かにうなずいているだけになってしまった。
この記事の中でひとつ、興味をひいたのは「1980年代の低迷期」という部分。これがペンギン・ブックスの業績が低迷していたことなのか、それとも本国イギリスの社会全体が停滞していたことに関連しているのかは、ここに書かれている数行から読み取るのは難しい。おそらく、その二つが同時にあったのかもしれない。イギリスは1979年から1990年までがサッチャー政権の時代で、特に1980年代は高い失業率とIRAのテロに見舞われて暗い時代だったような記憶が、ぼんやりと残っている。こうして後から振り返ってみると、そうした背景が本の表紙デザインにも現われているんじゃないかと思えてきたりする。消費者・読者が求める傾向といったものは確かにあるだろうし、それがパッケージ・デザインや色使いから浮かび上がって、時代の風潮に敏感に現れている様が、移り変わりが目に見えるのは面白い。長く連綿と続いてきたシリーズだからこそ、そうした変化がわかるんだろうな。



■ 「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(2)」 ( 1981 - 2004 )
Designing Penguin Modern Classics (Part 2)

Japanese translated by Tagong-Boy ( Original text from Penguin HP )
(元記事はこちら) http://archive.is/bkys9
・直リンクでなく「archive.is」で保存したアドレス。元ページは上リンク先に表示されています。


PenguinModernClassics-cover-1981-1990.jpg
左)1981年以降のチェリウィン・マギルによる表紙デザイン。上品な印象を受けるがモダンな要素はさっぱりなく、あまり特徴があるように思えないデザイン。
中)1989年、「モダン・クラシックス」から「20世紀クラシックス」へとシリーズ名が変わり、モノクロ写真を全面に扱ったデザインへと一新。
右)1990年にカラー写真が使われるようになる。 (* 画像は下記ペンギンHPの記事より。)



1980年代の低迷期から世紀の節目にあたるシリーズ改変期まで。ペンギン・クラシックスのクリエイティヴ・エディターを務めるヘンリー・エリオットは、ペンギンモダン・クラシックスのデザイン史が迎える直近の時代を考察する。


1981年7月、ペンギン・モダン・クラシックスのシリーズは、新しいアート・ディレクター、チェリウィン・マギルによって全く違った装いとなった。 本はより大きくなった。オレンジと白の背表紙とアートワークをはめ込んだ白い表紙になり、タイトルは真ん中へ、ペンギン・ロゴはアーチ形になったシリーズ名の下にレイアウトされた。 著書「デザインによるペンギン」の中で、(著者である)評論家のフィル・ベインズはデザインの視点からこの時代を一番の低迷期だと語る。
In July 1981, the Penguin Modern Classics series was given a completely different look, by the new Art Director, Cherriwyn Magill. The books were larger: they had orange-and-white spines and white covers with an inset artwork, centred title and a Penguin logo perched below the overarching series name. In his book Penguin By Design, the critic Phil Baines describes this period, from a design point of view, as ‘the all-time low’.

* perch: 名詞では「止まり木」、動詞では「(鳥が)止まる、置く」という意味の単語。「置く・配置する」という意味なら他の単語でもいいと思うが、主語が「ペンギン社のロゴ」となっているので、鳥にひっかけてこの言葉を選び、ちょっと洒落た感じにしたのかなと思った。

* "Penguin by Design - A Cover Story 1935-2005" by Phil Baines
book-PenguinByDesign-PhilBaines.jpg
* 画像は Amazon より。



1989年5月、このシリーズは次なる模様替えをした。「20世紀クラシックス」と名前が変わり、バックカバーと背は明るい青緑色になった。目立つ白黒写真を表紙の全面に扱い、円形枠に収めたペンギンロゴを乗せて、サボンを使った白のタイトルボックスは動かせるようになった。「サボン」は、ハンス・シュモラーに先立つ著名なペンギン社のタイポグラファーであるヤン・チヒョルトによってデザインされた書体だ。チヒョルトは、社内デザインとタイポグラフィーを「ペンギン・コンポジション・ルール」一式で標準化し、1940年代後半ペンギン社にとても大きな影響を与えた。 彼はクロード・ギャラモン(1480-1561年)による15世紀のフランスの書体を元にしてサボンを作った。 いつものように、大胆な表紙のアートワークはモダン・クラシックスにおけるデザインの基本的な特徴だった。そして、1990年の1月、このシリーズにカラーのイメージが加えられた。そのデザインは次の10年間変わらずにいた。
The series got its next face-lift in May 1989. It was renamed ‘Twentieth-Century Classics’ and the back cover and spine became bright blue-green. Striking black and white photographs filled the front covers, with a floating Penguin logo in its own roundel and a moveable white title box with text in Sabon. Sabon was designed by Jan Tschichold, the legendary Penguin typographer who preceded Hans Schmoller. Tschichold had been extremely influential at Penguin in the late 1940s, standardising in-house design and typography with a set of Penguin Compositional Rules. He based Sabon on a 15th-century French typeface by Claude Garamond. As always, bold cover artwork was the principle feature of the Modern Classics design, and in January 1990 coloured images were added to the series. The design remained unchanged for the next decade.


* Jan Tschichold ‘Penguin Composition Rules’
http://malwi.hotglue.me/penguin

Jan Tschichold's Inspiring Penguins
http://retinart.net/graphic-design/jan-tschicholds-inspiring-penguins/
チヒョルトによるペンギン・ブックスのペーパーバック・デザイン刷新についてをわかりやすくまとめている記事。



PenguinModernClassics-cover-2000-2004.jpg
左) 2000年、シリーズ名が「ペンギン・モダン・クラシックス」へと戻り、ジェイミー・キーナンによるデザインに変わった。
中・右)2004年、「クラシック・シリーズ」のデザインを反映させ、モダン・クラシックスのフォーマットも若干マイナーチェンジする。 (* 画像は上記ペンギンHPの記事より。)



新しい世紀を迎えると、「20世紀クラシックス」は新しい名前が必要になった。2000年2月に、ペンギン・プレスのアートディレクター、パスカル・ハットン監修の元、このシリーズは本来の名前であるペンギン・モダン・クラシックスに戻った。さらに、デザイナー、ジェイミー・キーナンの手によって新たな装いとなった。 バックカバーと背は光沢のあるシルバーになり、本のタイトルと著者名はシルバーのパネルの中へ移された。 キーナンの意図はカバーに様々な書体を使うことだったが、実際には3つの書体だけが使われた。それはフランクリン・ゴシック、トレード・ゴシック、そしてクラレンドンの3種だ。
With the arrival of the new millennium, however, the Twentieth-Century Classics required a new name. In February 2000, under the supervision of Pascal Hutton, Art Director at Penguin Press, the series reverted to its original name, Penguin Modern Classics, and was given a new look by the designer Jamie Keenan. The back cover and spines became glossy silver and the book title and author’s name were moved into a silver panel. Keenan’s intention was to use a variety of typefaces on the cover, but in practice only three were used: Franklin Gothic, Trade Gothic and Clarendon.


3書体はすべてアメリカに関連がある。フランクリン・ゴシックとトレード・ゴシックは、それぞれ1902年と1948年に、共にアメリカで作られた。「ゴシック」はサンセリフを表す20世紀はじめ頃の用語だ。 クラレンドンはロンドンでデザインされ、一般的にはアメリカン・オールド・ウェストを使った「(指名手配風)ウォンテッド」のポスターを連想させる太いセリフ(=飾りのある書体のこと)を持つ19世紀の書体だ。2004年1月、キーナンのデザインは改良された。銀のパネルとカバーイメージの間に、ペンギン・ロゴとモダンクラシックスの文字を含めた白い帯が加えられた。これは前年度に導入されたクラシック・シリーズの新しいデザインを反映したものだ。
All three have American associations: Franklin Gothic and Trade Gothic were both created in the States, in 1902 and 1948 respectively, ‘gothic’ being an early 20th-century term for sans-serif. Clarendon is a thick, serif, 19th-century typeface, designed in London, commonly associated with ‘wanted’ posters from the American Old West. Keenan’s design was refined in January 2004: a white band was added, running between the silver panel and the cover image, containing the Penguin logo and the words ‘MODERN CLASSICS’. This reflected the new design of the Classics series, which had been introduced the previous year.


■ 3書体:フランクリン・ゴシック、トレード・ゴシック、クラレンドン。
Font-FranklinGothic-TradeGothic-Clarendon.jpg
* 画像は右リンクより: http://tagong-boy.tumblr.com/post/167235425171/



(3)へつづく

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2017年10月29日

海外記事訳:「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(1)」


PenguinModernClassics-cover-1961-1963-1966.jpg
左)1961年、ハンス・シュモラーによるペンギン・モダン・クラシックスの最初のデザイン。
中)1963年、ゲルマノ・ファセッティがマーバー・グリッドを用い改良したデザイン。シュモラーに釘をさされていたので、書体の変更はできなかった。ベース・カラーもそのまま引き継いでいる。
右)1966年、ファセッティは書体をヘルベティカに変更し、自分の好きなようにデザインを一新した。
* 画像は下記ペンギンHPの記事より。



一年前だったら、全ページ英語で埋まった本を手にしたとたん、確実にひるんでいたはずだけれども、毎日英語の勉強をしているうちに少しは免疫ができたようで、厚めのペーパーバックを開いたとしてもそう臆することはなくなり、むしろできるだけ沢山読んでみたいと思うようになってきた。とはいっても、まだ一年そこいらでスラスラと読めるようになるわけでは当然ない。相変わらず辞書を引きながらたどたどしく一行一行、いったり来たりを繰り返しながらも、なんとか大雑把な意味はつかめているんじゃないか、という風に自信があるのかないのかはっきりとしない感じだ。ただ、今のところそれが苦にはなっていないという点だけは、ひとつはっきりしている。
東京でも洋書を豊富に揃えている書店というのは限られていて、もちろんそういった数少ない店に毎日通えるわけでもないから、普段はアマゾンやオンラインショップをサーフしながら、画面越しに何か面白そうな本がないもんかと見ているのがけっこう楽しい。良さそうだけどちょっと高いなぁとか、これ専門用語が多そうだから無理だなとか。そんなことを考えながら読みたい本を探していると、大抵ペンギン・モダン・クラシックスから出ているものに当たってしまう。もし同じタイトルで別出版社のものがあったとしても結果、無意識にペンギンの方を選んで購入してしまったりする。本のテキストは同じだから誰が序文を書いているか、だったり編集やデザインの違いが、購入するか否かの分かれ目にきっとなるのだろう、そういう点でもペンギンの本は良く出来ているなぁと思う。特に最近のペンギン・モダン・クラシックスのペーパーバックは、選択肢のひとつでもあるデザイン面で、上品さとシャープさを備えているような印象がある。
知らない作家や気になったタイトルがあったときなどは、ときおりその本の出版社のHPに飛んでいき、そこで簡単な紹介文を見たりしてもう少しディティールを知る。いつだったか、ナボコフの本を調べていたときにペンギンのHPをのぞいたら、タイミングよくペンギン・モダン・クラシックスのデザインの歴史を紐解くといった感じのシリーズ記事が目にとまったので、すごく興味がわいた。ペンギン・ブックスのデザインに関しては研究本が出たり、詳しいWebサイトがあったりするので、以前から気にはなっていた。今回は全3回あるその連載記事のはじめ<パート1>を部分、訳しながら読んでみたいと思う。
記事の中にもあるが、モダン・クラシックスは約半世紀前の1961年に誕生した。タイトルを増やしながらも、何年かおきにデザインや名称を変えつつ今に至っている。その時代に見ているデザインというものは、おそらく時流に合ったものだから、それが時代を反映しているかなんてことは意識してもわからないものだろうが、十年、二十年と経ってくると、ちょっと古いなぁとか、なんとなくそれが出版されていた頃の雰囲気を感じ取れるもので、Decade 単位で振り返ってみると面白い発見があるようにも思う。今見ると、相当に古さを感じる誕生当時のモダン・クラシックスのデザインも、当時はすごく斬新で新鮮だったのかもしれない。1960年代を想像しながら改めてこのペーパーバック・シリーズを見直してみるのもまた楽しいんじゃないかと。



■ 「ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史(1)」 ( 1961 - 1980 )
Designing Penguin Modern Classics (Part 1)

Japanese translated by Tagong-Boy ( Original text from Penguin HP )
https://www.penguin.co.uk/articles/on-writing/cover-story/2017/may/penguin-modern-classics-design-part-1/


ペンギン・モダン・クラシックスのデザイン史を祝す3回シリーズの記事、第一弾は、ペンギン・クラシックスのクリエイティヴ・エディターを務めるヘンリー・エリオットがこの象徴的なシリーズのルーツを探る。


1961年4月、「ペンギン・モダン・クラシックス」という新たな装いと新しい名前で4つのタイトルがペンギン社から出版された。ソーントン・ワイルダーによるジュリアス・シーザー暗殺にまつわる書簡体小説「三月十五日 カエサルの最期」。カーソン・マッカラーズによる「心は孤独な狩人」は、アメリカ・ジョージア州の田舎に住む耳が聞こえず口のきけない主人公の話。ナサニエル・ウエストによるニューヨークの報道局を舞台にしたブラック・コメディ「孤独な娘」。そして、ロナルド・ファーバンクの「Valmouth」は、英国南海岸の海水浴場にいる百歳を超えたお茶目な女性たちの物語。 はじめから、タイトルのセレクションは大胆かつ自信に満ち国際的だった。
In April 1961 four titles were published by Penguin with a new look and a new name: Penguin Modern Classics. They were The Ides of March by Thornton Wilder, an epistolary novel about the assassination of Julius Caesar; The Heart is a Lonely Hunter by Carson McCullers, about a deaf mute in the rural US state of Georgia; Miss Lonelyhearts by Nathanael West, a black comedy set in a New York newsroom; and Ronald Firbank’s Valmouth, a story of naughty centenarian ladies in a seaside resort on the south coast of England.
From the beginning the selection of titles was 'bold, confident and international'.



マーガレット・ドラブル(英作家)なら30年後の1992年にこのシリーズをこう評するだろう。 今日、再び30年がたち、このシリーズはまだしぶとく自信にあふれ、前世紀の偉大な作家たちを読者に紹介する国際的なタイトルがさらに増えている。 最初のジャケットはタイポグラファーのハンス・シュモラーによってデザインされた。彼はダヴグレイ(紫がかった灰色)、オレンジ、白と黒の差し替えができるパレットで水平のグリッドを作った。シュモラーはエリック・ギルの書体「ジョアンナ」を用い、デザインは大胆なモノクロイメージを出すために空間の余裕を出した。ギルはジョアンナを「装飾的な要素が一切ない」と評した。彼はとりわけこの書体が好きだった。ギルは末娘の名をとり、その書体をジョアンナと名付け、1931年に発表した論文「タイポグラフィに関するエッセイ」の背景にこのジョアンナを選んだ。そして「タイポグラフィに関するエッセイ」は2013年にモダンクラシックスのリストに加わった。
This is how Margaret Drabble would describe the series three decades later in 1992. Today, almost three decades later again, the series is still bold and confident, with increasingly international titles that introduce readers to the greatest writers of the last century. The first jackets were designed by the typographer Hans Schmoller, who created a horizontal grid with an interchangeable palette of dove grey, orange, black and white. His design allowed space for bold, monochrome images and he used Eric Gill’s typeface Joanna. Gill described Joanna as ‘free from all fancy business’. He was particularly fond of this typeface: he named it after his youngest daughter and selected it to set his 1931 monograph, An Essay on Typography - which joined the Modern Classics list itself in 2013.

EricGill-EssayOnTypography.jpg
現在出ているエリック・ギル「タイポグラフィに関するエッセイ」のペーパーバック版表紙。正味140ページ弱とけっこう薄い。デザイナーの間ではけっこう有名な本だが読んだひとはそう多くはないと思う。僕も未読。河野三男さんによる邦訳版「評伝 活字とエリック・ギル」が朗文堂から出ているみたいだ。
* 画像は Amazon.co.jp より。



1963年10月、ペンギン社のアート・ディレクター、ゲルマノ・ファセッティはデザインを改良した。彼はシュモラーのオリジナルである青味がかったグレーの配色をそのままにしたが、残りをマーバー・グリッドに置き換えた。この(新しくなった)デザインはよりすっきりと、そしてアートワーク用の空間に余裕ができた。 マーバー・グリッドは、ペンギン・クライムシリーズのカバーのために、ポーランド人デザイナー、ロメク・マーバーによって考案された。しかし、それはとても用途が広かったので、すでにペリカン社や小説のタイトルにも採用されていた。 ファセティはモダンクラシックスの書体を変更したがっていたが、最初のうちシュモラーはジョアンナを使うよう、彼を強く説得した。1966年3月になってから、ファセッティは自分の思い通りにデザインした。彼はジョアンナをヘルベティカに置き換え、モダン・クラシックスを新しくなったペンギン・クラシックスのデザインと同調させるためにタイトルと著者名をカバーの上に押し上げた。

へルベティカは1950年代にハース鋳造所によって開発されたスイスの書体だ。元々はハース・グロテスクと呼ばれていたが、1960年に、スイスのラテン語名であるヘルヴェティアに着想を得て、より魅力的なヘルベティカという名前になった。 色の組み合わせは自由度が増した。上部のパネルは白、黒、トレードマークの緑灰色で変化し、アートワークがカバー全体を占めるときにはなくなる場合もあった。 落ち着くまでに時間は要したが、こうして、このペンギン・モダン・クラシックスのデザインは次の15年間は変わらずにいた。
In October 1963, the Penguin Art Director Germano Facetti refined the design: he retained the bluish-grey colour scheme of Schmoller’s original, but reset the covers using the ‘Marber Grid’, which was cleaner and allowed more space for artwork. The Marber Grid was devised by the Polish designer Romek Marber for the Penguin crime covers, but it was so versatile it had already been adopted for Pelican and fiction titles too. Facetti wanted to alter the Modern Classics typeface, but initially Schmoller persuaded him to stick with Joanna. It wasn’t until March 1966 that Facetti got his way. He replaced Joanna with Helvetica and pushed the title and author name further up the cover, to bring Modern Classics in line with the updated Penguin Classics design.
Helvetica is a Swiss typeface, developed by the Haas type foundry in the 1950s. It was originally called Haas Grotesk, but the more attractive name Helvetica was adopted in 1960, inspired by Helvetia, the Latin name for Switzerland. The colour scheme became looser. The upper panel varied between white, black and trademark green-grey and in some cases disappeared altogether when the artwork filled the entire cover. Having taken a while to settle down, the design of Penguin Modern Classics then remained unchanged for the next fifteen years.


MarberGrid-PenguinCrimeSeries.jpg
マーバー・グリッドを使ったペンギン・クライム・シリーズのフォーマット。
* 画像は右リンクより: https://needmoredesigns.com/history-of-the-marber-grid/


Penguin by Illustrators: Romek Marber (Creative Review)
https://www.creativereview.co.uk/penguin-by-illustrators-romek-marber/


(2)へつづく


ヘルべティカを使った企業のロゴ
Helvetica-Logos.jpg
ヘルベティカは世界で最も良く使われているベーシックなフォントの一つで、公共機関のサインや企業のロゴで見ることが多い。(* 画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/166847142686/


スイスの切手
Stamp-SwissPost-Helvetia.jpg
スイスの切手やコインは「Switzerland」や「Swiss」ではなく現在も「ヘルヴェティア」表記のまま。
日本でいうと倭国や邪馬台国みたいな言い方になるのかな。
(* 画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/166873119136/






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2017年01月30日

海外記事訳:「沿ドニエストル共和国の十代」

CalvertJournal-JuliaAutz-Transnistrien.jpg
Teens of Transnistria (The Calvert Journal)
Text: Anastasiia Fedorova / Image: Julia Autz (上画像は下記リンクより)
http://calvertjournal.com/features/show/5470/post-soviet-youth-transnistria-teens-julia-autz
(上リンク先には、オーツさんの撮影した沿ドニエストルの若者たちのポートレートや街の様子が沢山載っている)


旧共産圏だった東欧諸国の建築を調べているときに見つけた「The Calvert Journal」というサイトがすごく気に入って、ちょくちょく見るようになった。主にソ連の衛星地域だった東ヨーロッパやCIS諸国についてのカルチャーを紹介している。今はネットの時代で、世界中の相当にローカルな場所の話題がタイムラグ無く知れるようになったとはいえ、未だこの東欧地域の情報はそう多くはないし、このサイトで取り上げている話題やテーマも視点がユニークなので、見ていてとても新鮮だ。また写真のクオリティがすごく高くヴィジュアル的にも充実しているので(東欧版ナショナル・グラフィックといっていい位)、ただ画像を見るだけでも十分に楽しめると思う。記事のタイトルやキャッチコピーがニューウェイヴや1970年代のロックの曲名や歌詞を一部引用していたりして、その辺の音楽を聴いて育った世代の人たちが主に関わっているのかなと思ったり、ちょっと親近感がわく。

今回は、このサイトにあった未知の国「沿ドニエストル共和国」の若者たちについての記事を一部訳し、個人的に気になった情報を少し加えながら紹介したい。記事英文がけっこう長かったので、僕がひと通り訳したものを一度母にチェックしてもらい、それを直し最後まとめた。訳文を簡単にレイアウトしPDF化、すぐプリントできるようにしたので興味ある方はどうぞ。

訳文のPDF版(A4 / 0.1MB):A4-TeensOfTransnistria-Translated.pdf


あまり聞きなれない国だろうからまず「沿ドニエストル共和国」についてを簡単に。
沿ドニエストル共和国はヨーロッパの外れ、ウクライナとモルドヴァの間に挟まれた細長い国で、国土面積は4,163 km2、人口は約50万人強(日本の鳥取県が人口約58万人弱で県面積が3,507 km2とあるので、鳥取県よりもやや面積が広く、人口が一割強少ない程度という感じだ。知名度・認知度の低さでも二つはどこか共通するところがあるような…)。モルドヴァとはドニエストル川を境に隔てられていて、陸地つながり的に見るとウクライナ側にある。
この国は1990年にモルドヴァから一方的に独立を宣言したものの、世界中の国からはどこからも承認されず、国際的には「国家」として存在しないことになっている。ソ連末期に、同じ民族ではあるが異なる名称でそれぞれ呼びあっていたルーマニア人とモルドヴァ人の間に「ルーマニア・モルドバ統一運動」が起こり、モルドヴァが独立した際にモルドヴァ語への統一化が進められることになった(ルーマニア語の方言みたいな感じで、言語表記がキリル文字からローマ字になった)。しかし、この地域のドニエストル川以東、ウクライナ側に住んでいたロシア系住人らがこれに反対し住民投票を行った結果、98%近い独立賛成の票を集め「沿ドニエストル共和国」としてモルドヴァから独立することとなった。独立に至る根本的な原因は、欧州側に帰属するか、ソ連時代の旧体制を維持できるロシア側につくかという、政治的な問題(民族的な分断ではない)だった。
近年はネットの普及で情報も入ってくるようになった為か、閉ざされた国という印象がずいぶん薄れたけれども、少し前は入国することが難しくその謎めいたところから、ロシアの兵器工場があって武器製造を秘密裏に行っているといった噂が流れていたり、とても怖いイメージがあった。

*) 参照:「国マニア」吉田一郎(ちくま文庫 / p130-134)& wiki



沿ドニエストル共和国という国の存在はほんとユニークだ。国家として認められる必要条件(国民・領土・政府・主権)は全て満たしているのに、どこからもその存在を認められていない。でも、この地に暮らし生活している人は確かにいて、その中で経済もちゃんと成り立っているし、政府も機能している、産業だってある。こうして実在するのに国際的なルール・定義の下では存在しないことになっている不思議さ。世界でもそう例のない未承認国家、沿ドニエストルのあり方を見ていると「国」って一体何なんだろう? と考えるいいきっかけにもなる。「線を引いて、はいここからが国ですよ」だったり「同じ言葉や慣習を持つ民族が特定の地域に集まったところでもまた国にはならない」、単純にはいかないし何か普遍的な基準もない、この複雑なところに人の社会の面白さがあるんだなと。


Map-Transnistria-TheGuardian.jpg
https://www.theguardian.com/world/2015/feb/20/transnistria-russia-rouble-crisis
* 画像はThe Guardian、より



「沿ドニエストル共和国の10代」 "Teens of Transnistria"
Japanese translated by Tagong-Boy
Original text by Anastasiia Fedorova (The Calvert Journal)


ソヴィエト連邦崩壊の間、北東部の国境がウクライナと接する、狭く細長い国がモルドヴァからの独立を宣言した。沿ドニエストル共和国は独自の通貨、出入国管理、議会、国歌、そして市民権を持っている。しかしまだ、公式に沿ドニエストル共和国という国は存在しない。自ら宣言をしたその国家は、他の国々からは承認されてない、ロシアでさえも。
During the collapse of the Soviet Union, the narrow strip of land which forms the northeastern border with Ukraine declared independence from Moldova. Transnistria has its own currency, border controls, a parliament, a national anthem and citizenship. Yet, officially, the country of Transnistria doesn't actually exist. The self-proclaimed state is not recognised by the rest of the world − not even Russia.



沿ドニエストル・ルーブルについて

TransnistrianRuble-PlasticCoin-2014.jpg
Transnistria to Introduce Plastic Circulation Coins (*画像は下記リンクより)
http://news.coinupdate.com/transnistria-to-introduce-plastic-circulation-coins-4441/
(現在、該当ページは削除されている)

沿ドニエストル共和国にはれっきとした中央銀行があり、自国の通貨を発行している。その中で、世界でも例のないプラスティック・コインというものがありコイン・コレクターたちの間ではちょっと知られた存在になっている。2014年に世界で初めて公式な通貨としてプラスティック・コインを発行し流通させた。プラスティック(ポリマー)の紙幣を導入している国はわりと多いが、プラスティックのコインっていうのは初耳だったので斬新だった。鋳造コストなんかを考えると、経済規模の大きくない国にとって、こういう通貨のあり方はいいのかもしれない。ページの一番最後にこのコインについての動画も貼った。偽造防止のためか蛍光塗料が塗られていて、ブラックライトを当てると部分的に発光する。また見た目とは違って、ものすごく硬いみたいだ。

お金(金属コイン)の持つ物理的な重みや肌触りなどを知っていると、その質感とお金の価値のようなものがセットになって、皮膚感覚と数字の意味合いが交じり合うようになるのだと思う。時代の流れで、こうしたプラスティックのお金や電子マネーなどが人の意識下にリンクされていくと、何だろう、記された数字がどこか軽くなって、お金としてではない違う意味合いを帯びてきそうな感じもする。プラスティック貨幣というのは、金属コインと電子マネーのちょうど中間に位置するような存在で、これから先にきっと変化してゆくだろう電子マネー社会への橋渡し的な存在になるのかと思えたり。こうして人々が便宜的に使っている通貨、それに抱く価値や意識が変化すると、また社会自体も変わっていくのだろうな。

未承認国家のためか、沿ドニエストル・ルーブルは国際的な通貨コードがない状態で、オンラインの両替サイトでは為替レートの確認ができない。旅行者のブログなどに載っている現地の両替所レートを当たってみると2013年頃のレートは、おおよそ1ドル=11沿ドニエストル・ルーブル、1ユーロ=15沿ドニエストル・ルーブルだった。2010年頃の情報と比較すると主要通貨に対しては15%程下落している。隣国モルドヴァ・レイとは変動幅が少ない。為替の動きからも、国際的な関係性がみてとれる。ロンプラのサイトを見ると、沿ドニエストルの中央銀行HPにレート表示があるとの書き込みがあったので早速飛ぶと、確かに載っていた。1沿ドニエストル・ルーブルは約11円弱。ちなみに沿ドニエストルのプラスティック・コインは4種類を1セット(1+3+5+10=計19ルーブル:約210円)にしたものが、e-bayに出品されていて、現在は4ドル弱(500円弱)が平均的な価格で落札されている。
http://tagong-boy.tumblr.com/post/152539565551/

Pridnestrovian Republican Bank : http://www.cbpmr.net/


■ (旅行者目線の)出入国管理
沿ドニエストル共和国は西部がモルドヴァ、東部がウクライナと国境を接している。世界には聞いたことのない国が沢山あるけれど、きっとその中でも沿ドニエストルはマニアックな部類に入ると思う。意外と日本人旅行者も行っていて WEB旅行記などで細かな現地情報が見れたりする。モルドヴァから入国(入域?)するのが一般的なためか、ウクライナから入る場合の情報があまりない(ロシア側から東欧方向へ抜けてくることになるので、このルートは難しいだろうと思う)。ウクライナ国境では賄賂の要求が頻発・恒常化しているとのこと。入国に関する諸条件(ビザの取りやすさ等)は、その国がどんな風に他国と関係しているのかを知る一番分かりやすい手がかりになる。なので、こうした国境でのあれこれは沿ドニエストルがどうあるのかを知るいい指標になっていると思う。

モルドヴァから沿ドニエストルに行く場合、一日以内ならビザはいらないようだが、滞在する場合はいくつかの手続きが必要な様子(国境でエントリー・シートを渡され、パスポートに出入国のスタンプが押されないそうだ。通過目的、あるは日帰りなら10時間以内、滞在なら24時間の許可が与えられる)。このあたりは、旧ソ連邦諸国の手順とおおよそ同じで、入国(入域?)してから24時間以内にイミグレーション・オフィスで外国人登録をし、宿泊先でレギストラーツィア(滞在証明)のスタンプを押してもらう必要がある(レギは出国時に絶対必要)。ホテルには外国人料金が設定されている。

https://www.lonelyplanet.com/thorntree/forums/europe-eastern-europe-the-caucasus/moldova/ovenight-stay-in-tiraspol-transnistria
http://wikitravel.org/en/Transnistria




2014年、ドイツのフォトグラファー、ジュリア・オーツは確かな未来のない国、あるいは地図上にはない場所で成長することをどう感じるかを捕えるため、沿ドニエストル共和国を旅した。オーツは主に首都ティラスポリで暮らし、二ヶ月間この国に滞在した。彼女はパレードや休日、政治色の強まる公共の場所や人々の日常生活の中にみえる国の雰囲気を捉えようと、いくつかの小さな村だけではなくもう一つの大きな街、ベンダーにも訪れた。
In 2014, the German photographer Julia Autz travelled to Transnistria to capture how it feels to grow up in a country without a certain future or even a place on the map. Autz stayed in the country for two months, mainly living in the capital, Tiraspol. She also visited Bender, another big city, as well as a few small villages trying to capture the county's atmosphere both in the politically charged public spaces during parades and holidays, and in people's everyday lives.


「巨大なロシアの影響が政治、経済、そして一般生活の上にも現れている。ロシアからの援助なしに国は生き残れないだろう」とオーツは言う。2014年3月、ウクライナ危機とクリミア併合の最中、沿ドニエストル共和国政府はロシアの一部となることを求めた。これとは対照的にモルドヴァはEUに加わる努力をしている。ウクライナとの類似は明らかだ。滞在中、私は彼らの日常生活を紹介してくれた多くの人たちと知り合った。国民国のない国家、歴史、あるいは近い将来のない国で。」
"There is a huge Russian influence on political, economic and public life. Without aid from Russia the country wouldn't be able to survive," Autz says. "In March 2014, during the Ukraine crisis and the annexation of Crimea, the Transnistrian government asked to become a part of Russia. In contrast to this, Moldova has put in efforts to join the European Union.
The parallels with Ukraine are obvious. While staying there I got to know a lot of people who introduced me to their everyday lives − in a state without a nation, without history or a foreseeable future.”



まず最初に、フォトグラファーは閉鎖的な地域社会に入るとっかかりを見つけるのが難しいことに気づいた。最初のころ、沿ドニエストルの雰囲気はよそよそしく、人々はどうにも打ち解けてはくれなかった、と私は思った。しかし、その理由は言葉の壁にあるのだと思う。彼らはカメラを手にした西側世界の外国人を見ると、パラノイアの一種に陥ってしまう。多くの人々は西側の価値観と関わることがない。代わりに、彼らはプーチンを賞賛し、沿ドニエストルがいつしかロシアの一部になることを望むのだ。彼女は言う。
At first, the photographer found it hard to penetrate the surface of the closed community. "In the beginning I thought the atmosphere in Transnistria to be cold and that people were very reserved. But I think the reason for that lies in the language barrier. They can become kind of paranoid when they see a foreigner from the western world with a camera. Many people don't relate with western values. Instead, they admire Putin and hope that Transnistria will become a part of Russia," she says.


* 内陸にある国は、外国人に対し特に閉鎖的になることが多いように思う。そしてそれとは正反対に、態度では表に見せることはないが、知らない世界への興味も内に秘めているようにも思う。以前に行った中央アジア、ウズベキスタンの最西にある「カラクルパクスタン共和国」も上のレポートと同じようにとても閉鎖的な場所で人の態度もどこかよそよそしいところがあった。特にカメラを手にしていると、ただでさえ特異な目でみられるのにさらに警戒されてしまい、短い滞在だったものの、けっこう苦労した記憶がある。でも観光化されて、お金さえ出せば快適で不自由のないサービスが得られ、払った金額に比例した笑顔が振りまかれるような所に行くよりも、印象に残ることばかりだった。


沿ドニエストルに外国人は多くはない、そしてたいていの人々は西ヨーロッパに行った事がなかった。それで彼らはとても興奮し、私と一緒に時間を過ごしたかった。コミュニケートするのはとても難しかったけれど、人々はグーグル翻訳や英語を話せる友達の助けを借りて話そうとした。
"There are not many foreigners in Transnistria and most people have never been to western Europe, so they were really excited and wanted to spend time with me. Although it was very hard to communicate, people tried to speak with the help of Google Translate or their English-speaking friends.



オーツは、長い夏の日を浜辺や公園で過ごす沿ドニエストルの若者たちを写真に収めた。彼らが大人になる為に備えるフラットやストリート、学校を記録した。「若い世代は多くの自由な時間を野外で過ごすの」と彼女は言う。「散歩に出たり、あるいは中庭や屋上にたむろする。またティラスポリの街には浜辺があって、暑くなると彼らは泳ぎに行くの。一日中友達と外で過ごせるから、沿ドニエストルの夏が本当に好きなの、って誰かがが言った。でも冬になると、ティラスポリでは何もすることがなくなる。すごく寒くて、気を滅入らせてしまう。」
Autz photographed young Transistrians at the beaches and parks where they spend long summer days; documented their flats, streets, schools that provide the setting for their coming of age. "The young generation spends a lot of their free time outdoors", she says. "Going for walks or hanging out at the courtyards and rooftops. They also have the city beach in Tiraspol, where they go swimming when it’s hot. Some people told me they really like the Transnistrian summer because you can spend the whole day outside with friends. But in the winter, there is nothing to do in Tiraspol. It is very cold and it can be very depressing."



沿ドニエストルの多くの若者たちもまた、将来への懸念を見せた。ひどい経済状況に仕事不足、そして地方の大学の学位は国際的に認められないという事実などを。若者らの人生に必要不可欠なこうした不安が、ソヴィエト時代の過去を懐かしむこの国の終りなき郷愁感と共に、写真の中に透けて見える。この分裂はフォトグラファーには明白だった。一方で、私の写真は変化したように見えない場所や人々の姿だったりを示す。世界の列強国の一つだったソヴィエト時代を懐かしみ追憶にふける年配者のように。しかし他方では、人々の表情の中に憂うつや悲しみも見て取れる。特に、より多彩でより希望に満ちた世界、〜反抗、可能性、自己の発見〜といった若者の自由を許す生き方を夢見る若い世代には。
Many young Transnistrians also revealed their concerns for the future: the tough economic situation, the lack of jobs and the fact that a local university degree is not recognised internationally. This uncertainty, an integral part of a young person's life, shines through in the photographs, along with the country's endless nostalgia for the Soviet past. This dichotomy was very apparent to the photographer: "On the one hand, my pictures show places and people that don't seem to have changed, such as the elderly who reminisce wistfullly about Soviet times, when they were part of a world power. But on the other hand, you also see melancholy and sadness in people's faces. Especially the younger generation who dream of a more colourful and more hopeful world − of a life which allows the freedoms of youth: rebellion, possibility, and finding yourself."



沿ドニエストル共和国のプラスティック・コインを解説している動画
解説者のカラフルなネイルがコインよりも気になってしまう。

First plastic coins in the World Coins of Transnistria (Coins Moscow.com)