2016年11月21日

絵画をモチーフにしたレコジャケ(4)

4トーキング・ヘッズとデヴィッド・ホックニー


このシリーズ、これまでの(1)〜(3)は、絵画作品に着想やアイデアを求めたレコード・ジャケットを取り上げたが、今回はちょっと番外編というか逆のパターンのものを挙げてみた。レコジャケがアート作品に影響を与えたんじゃないかという一例。トーキング・ヘッズのアルバム「More Songs About Buildings and Food」とデヴィッド・ホックニーのポラロイドを使ったコラージュ作品がそう。発表の順番からすると、ヘッズのレコード・ジャケットの方が早く、ホックニーのポラロイド作品に影響を与えたように思える。このとき、ヘッズはニュー・ヨークで、ホックニーはロサンゼルスで活動をしていたので、制作の拠点は相当に離れている。両者の交流がどこかであったのかもしれないし、同時代性による偶然が重なっただけかもしれない。順当に考えれば、広く出回っていただろうトーキング・ヘッズのこのアルバム・カバーを、ホックニーがどこかで目にして、アイデアを広げたように思えるが、はたして実際のところはどうなのか。

TalkingHeads-DavidHockney.jpg

"More Songs About Buildings and Food" Talking Heads (July 1978)
"Still Life Blue Guitar" David Hockney (Apr. 1982)
http://www.hockneypictures.com/



トーキング・ヘッズの2ndアルバム「More Songs About Buildings and Food」はブライアン・イーノがヘッズをプロデュースをした最初のアルバムとしても有名で、イーノとの共同作業はこのあと「Fear of Music」「Remain in Light」と続く。このヘッズの3枚は、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作(Berlin Trilogy)に次いで、イーノのプロデュース・ワーク三部作シリーズの第二弾になった。

「More Songs …」のレコード・ジャケットのアイデアはリーダー、デヴィッド・バーンによるもので、ジミー・デサナ(Jimmy De Sana)が写真を撮り、フォトモザイクの手法で一枚の絵に仕上げた。ジミーはポラロイドカメラを使って、メンバーの身体の一部をスキャンするように撮り、それぞれをつなげた。このジャケ写真に使われたポラロイドの枚数を計算してみると、全部で529枚(縦23枚X横23枚)もある。ポラロイドの写真面の短辺を約8cmだとして、単純計算すると8cm X 23枚で184cm、ほぼ等身大のサイズだ(余白部も計算すると199.3cmになる)。僕の持っている SX-70 のサイズでおおよその数字を出した( SX-70 の写真実像サイズを測ると、縦=80mm X 横=77mm。左右天の余白部分は6mm、下部の幅広面は21mm)。ポラロイドのサイズは機種によって多少の違いはあるだろうが、さほどかわらないだろう。レコジャケからは想像しにくいが、メンバー四人のポートレート写真は相当大きな作品だということがわかる。こうして、ポラ全部を貼り込んだものを最後に一枚の写真に収め、写真原稿としたんだろうか。と、ここでひとつ気づいたのは、元のポラロイドは被写体と同じ大きさ、つまりほぼ等倍で撮影している風で、それがバーンの意図したコンセプトだったのかもしれない。

ホックニーは1982年頃から、ポラロイド作品を制作しはじめる。部分的に撮影したポラロイドを繋げ、全体をモザイク的なものに見せる手法は、ヘッズの「More Songs …」と同じだが、ホックニーのものはどこかキュビズム的なアプローチがあり、(描こうとする)モチーフを分解していくような感じがする。そして、撮り始めの始点から撮り終えたときの終点、この連続したフレーミングの中に(意図したのか偶然かはわからないが)時間の差異が入り込み、ひとまとまりとなった写真の中で角度と時間軸という二つの要素が層となって現れる。観る側には絵柄以外の何かを暗示させているようでもあり、ヘッズのポラロイド・ポートレートをより発展させた風にも思える。

*追記:
MoreSongs-onGallery.jpg
David Byrne (the Nasher Museum of Art at Duke University)
http://nasher.duke.edu/therecord/byrne-david.php
アルバム・カバーのためにバーンが制作したポラロイド・モンタージュ作品「More Songs About Buildings and Food」の展示風景。やはりSX-70で撮られたもので、原寸は 90 x 90インチ(約 230 X 230cm)もある大きな作品だった。



トーキング・ヘッズのアルバム・カバー・デザイン

TalkingHeads-SpeakingInTongues-RauschenbergCover.jpg
'Speaking In Tongues' (Limited Edition): Robert Rauschenberg's cover
https://www.discogs.com/ja/Talking-Heads-Speaking-In-Tongues/release/1443184

イーノとの共同制作に一区切りついたヘッズは、一度自分たちの方向性を再確認するようにライブ・アルバムを出し、次いでセルフ・プロデュースによるスタジオ・アルバム「スピーキング・イン・タングス」を制作した。このアルバムの初回盤は、ロバート・ラウシェンバーグによるアートワークをパッケージングした仕様になっている。レコードはクリア・ヴィニールで、両盤面に被せるシートにラウシェンバーグのコラージュをプリントしてある。1983年6月、発売時の価格は12.98 USドル。このときのドル円レートがおおよそ240円だったので、現地価格を日本円で換算すると約3,100円ほどになる。一時期、僕もこのレコードをシュリンク未開封のままで持っていたが、開封するにはためらいがあったし、音自体はCDで聴いていたため、結局は手放してしまった。なので実際には中を開けて見たわけでなく、外側から見た様子しか知らない。この手のアイテムは一旦開封してしまうと、(コレクター的な意味での)価値が半減してしまうので開けるタイミングが難しい。
ヘッズのファンは平均的に彼らの音楽そのものに興味ある人が多く、あまり(レコードという)マテリアルにこだわらないという特徴があって、こうした限定アイテムがあっても、あまり高値がつくことはなかった。純粋に音楽が好きだ、というような、けっこう健全なファンが付いていた印象がする。当時、中古レコード屋では、このラウシェンバーグ仕様のレコードに、3,000円から4,000円の値段が付いていた(5万枚プレスされていたことを最近知り、これは妥当な価格だった。もっと枚数が少ないと思っていた)。数量限定・限定モノだからといって値段が跳ね上がる(貴重)というのは間違いで、高値が付くためには、供給の少なさに加え需要(求める人)の多さが必要になる。この分母と分子の開きが大きいほどに、希少度と価値が増しそれが価格に反映される。ヘッズは、珍しいレコードでもそれほど値段が高くならなかったので、わりとコレクションしやすかった。そういうわけで、コレクターの観点からすると、少し物足りなさが多少あった。


TalkingHeads-LP-Fear-Remain-Tongues.jpg
*画像は discog より

"Fear of Music" (1979)
ジェリー・ハリスンによるコンセプトのアルバム・カバー。縞鋼板(Checker Plate)の凹凸模様をそのまま紙に置き換えただけのシンプルなデザイン。ジャケットにはエンボス加工がしてあって、実際に凹凸がある(廉価盤は写真で陰影を再現しているため凹凸はない)。マテリアル感を出すことで、レコード・ジャケットが近代的な都市の一部分となり、手に持ったときにそれがレコードという認識から外れ、いつかどこかで見た記憶の中にある「街」の部品に触れているかのような錯覚となる。コンセプチュアル&ミニマル・アートのようでかっこいい。

"Remain in Light" (1980)
コンセプトは、ティナ・ウェイマスとクリス・フランツ。デザインは「M&Co.」のティボー・カルマン(Tibor Kalman)によるもの。有名な文芸雑誌「The New Yorker」の表紙絵などを描いていたイラストレーター、マイラ・カルマン(Maira Kalman)の夫。一般的にはマイラ・カルマンの方が知名度が高いと思う。1986年リリースのアルバム「トゥルー・ストーリーズ」、1988年リリースの「Naked」もM&Co.によるデザイン。
http://indie-cover-stories.tumblr.com/post/900187169/

"Speaking in Tongues" (1983 / 通常盤)
デザイン&アートワークはデヴィッド・バーンによるもの。ラウシェンバーグの限定盤を知っていると、この通常盤ジャケは手抜きというかどうもいまひとつに思う。フォークアートのように素朴なバーンのペインティングは、アフリカの布カンガのパターンや色使いを連想させる。四隅で椅子が転がる写真は、のちのシングル「Road to Nowhere」の MV でイメージ展開がある。





More Songs About Buildings and Food - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/More_Songs_About_Buildings_and_Food

The Story behind Robert Rauschenberg’s Iconic Talking Heads Album Cover
https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-the-story-behind-robert-rauschenberg-s-iconic-talking-heads-album-cover

Robert Rauschenberg | The Talking Heads' Speaking in Tongues (Artists' Books and Multiples)
http://artistsbooksandmultiples.blogspot.jp/2012/07/robert-rauschenberg-talking-heads.html

2016年10月18日

ピーター・サヴィルとクラフトワーク

Autobahn-SavillePoster.jpg
Kraftwerk "Autobahn" (* 画像はdiscogより)
Peter Saville "FAC 1 Poster"(* 画像は下記リンク先より)

Peter Saville – Album Covers
http://www.2welve.co.uk/album-covers-peter-saville/

Kraftwerk "Autobahn" Vertigo (Hard Format)
http://www.hardformat.org/3159/kraftwerk-autobahn/
「アウトバーン」のオリジナル盤はドイツ・フィリップスからのリリースで、レコード・ジャケットは(プラモデルのパッケージにあるような)リアル・イラストを使用したものだった。イギリスではヴァーティゴからリリースされていた模様。このヴァーティゴ盤は英国向けの仕様なのか単に限定盤だったのか、ジャケット・デザインがフィリップス盤のものと全く違って、洗練されたデザインに変更されている。青地に記号化した道路を白く描き、まるで道路標識そのもの。サヴィルが以下「ザ・ガーディアン」のインタビューで語っているのはこの「ヴァーティゴ盤」のことのようだ。
*)上リンク先ではヴァーティゴ盤のレコジャケ表裏、レーベル面などの高画質な画像が見れる。


9/22、ザ・ガーディアンに「(英国の)グラフィック・デザイナーが選ぶとっておきのレコジャケ」という記事が載っていた。主にイギリスの音楽系デザイナーたちがインタビューに応え、自分たちが影響を受けたレコードをそれぞれ一枚づつ挙げながら、それにまつわるエピソードを語っている。'80 - 90年代に活躍していた、ピーター・サヴィルをはじめヴォーン・オリヴァーやマルコム・ギャレットの名前もありどこか懐かしいものがあった。このテーマを受け、ピーター・サヴィルがチョイスしたレコードはクラフトワークの「アウトバーン」だった。サヴィルが(レコード・レーベルの)ファクトリーで最初に手がけたデザインは、同レーベルが主催する「ファクトリー・ナイト」のポスターで、これは彼が記事のなかでも語っている「アウトバーン」のレコジャケに影響を受けて制作したのだということらしい(上画像右の黄色いポスターがそう)。


「ザ・ガーディアン」の記事(サヴィルの部分を一部和訳)
Japanese translated by Tagong-Boy / original text from The Guardian

Kraftwerk – Autobahn (1974)
Chosen by Peter Saville, famed for his work with New Order, Joy Division and Factory Records

* 元記事のアドレスは最後に載せてます。


ラジオから流れたシングルを聴いたあと、僕が初めて買ったアルバムが「アウトバーン」だった。1974年、一度も外国へ行ったことのない十代の頃、ジャケットにあるアウトバーンのシンボルをじっと見つめながら、22分丸々あるタイトル曲を聴き、旅に出たような気分になったものだ。
Autobahn was the first album I ever bought, after I heard the single on the radio. In 1974, as a teenager who had never been abroad, listening to the full 22-minute title track while staring at the autobahn symbol on the sleeve felt like being taken on a journey.

* the single on the radio :
"Autobahan"の7インチ・シングルは、アルバムでは22分ある曲を約3分半に短く編集している。サヴィルがラジオで聴いたシングル曲というのは、おそらくこれのことだと思う。



僕はヨーロッパの幹線道路を走っていた。古典的な熟練ミュージシャンたちの作り出した音風景に入りこむ。大聖堂に発電所、村や高層ビル群、距離的だけでなく時間的にも古いもの、近代的なものを見ながら。
それは疾走する車のパルスビートを伴う大陸的な旅行だった(ゴシックからポストモダンへ、そして暗黒時代からブリジッド・バルドーの時代へと)。
I was on a European highway, in a soundscape crafted by classically trained musicians, seeing cathedrals and power stations, villages and skyscrapers, ancient and modern, in time as well as distance. It was a continental tour – from gothic to postmodern, from the dark ages to Brigitte Bardot – with the pulsebeat of a speeding vehicle.


簡潔なシンボルの中に全てが定義してあった。駆け出しのビジュアル・アーティストとして、これは僕にとって最初の記号学の授業だった。僕は気づいたんだ。視覚的に表された記号は、見る人たちの中にある潜在意識の大きな領域を開く鍵として作用することに。
四年後、僕は「ファクトリー・クラブ」最初の夜を告知するポスターを作ってみないかと頼まれたとき、美術大学のワークショップの扉に、工業用の注意書きがあったことに着目したんだ。「聴覚保護を使用のこと」っていうやつだった。僕は思考を巡らせた。「ファクトリー … 新しい音楽 … 工業の町」と。で、ピン! とひらめいたんだ。「これだ!」って。僕のアウトバーンな瞬間だね。
All defined in a simple symbol. As a fledgling visual artist, this was my first lesson in semiotics. I realised that visual codes acted as keys to unlock the huge range of potential awareness in an audience. Four years later, when I was asked to do the poster for the first night of the Factory club, I noticed an industrial warning sign on a workshop door at art college: “Use hearing protection.” I’d been thinking “Factory ... new music ... industrial city” and realised: “That’s it!” My Autobahn moment.

* the Factory club :
マンチェスター、ハルム地区(Hulme)のロイス通りにある「ラッセル・クラブ」で開催されていたクラブ・パーティ。800人くらい収容できるクラブだった。「ハシエンダ」が出来るのはもう少し後になってから。



The greatest record sleeves – as chosen by the designers
Interviews by Dave Simpson (Thu. 22 September 2016)
https://www.theguardian.com/artanddesign/2016/sep/22/the-greatest-record-sleeves-as-chosen-by-the-designers


Factory At The Russel Club (Sabotage Times)
http://sabotagetimes.com/music/the-factory-records-story-part-iii

ラッセル・クラブ周辺でのファクトリー・レコーズの面々にまつわる記事。


2016年09月27日

ビル・スミスのデザイン(2)Genesisのレコード・1981-83年

Genesis-Abacab-4ColourJackets.jpg
"Abacab" Genesis, 11th album (Sep. 1981)
* 以下、レコード・ジャケットの画像等は「Discog.com」「wiki」、記載リンク先から


ビル・スミスによるジェネシスのアルバム「アバカブ」のデザイン。レコード・ジャケットは、デザインが同じだけれど4種類の色違いバージョンがある。UK盤カリスマ・プレス、初回盤は色のついた部分にエンボス(凸)加工が施されていた。まだインターネットがなかった頃はこのカラーリングの違いに関する情報がさほどなく、発売国(のレコード会社)によって色が違っていたり、そうでなかったり色別にした理由がよくわからないまま流通していた(色違いのデザインだという認識よりも、印刷の質が悪いものだと思われてたフシがある)。輸入中古レコード屋の海外買い付け盤の中に、時折違った色のジャケットがまぎれていたけれども、ポップ路線に転向したこの時期のジェネシスのレコードを熱心に集めるコレクターはほとんどおらずで、プレミアが付くことはなかった。色違い盤は、たいていレコード棚の片隅にさびしく収まっていて、どこかの誰かが気まぐれで手に取り買われるのを待っているような感じだった。色違いにしてパッケージングする場合は、収録曲を変えてみたり、ヴァージョン違いにしたりしないとダメなんだよな、とやっぱり中身あっての外見なのだと皆感じていたような気もする。青色の面積が大きいが英国盤で、グリーン&オレンジの配色のものがアメリカ盤、というのが情報不足の中での大まかな見分け方だった。


ビル・スミスのデザイン (Nov. 2014)
http://tavola-world.seesaa.net/article/409145004.html
のつづきです。前回はThe Cureの「Three Imaginary Boys」を取り上げたので、今回はGenesisの「Abacab」。

メディアとの直接的な繋がりがあるために、それらの仕上げを担うグラフィック・デザインは一見目立ってみえるが、一般的に思われるイメージとはやや異なり、実際のところは裏方の仕事で地道な作業がほとんどだ。ArtistとArtisanの区別もあるように、一種の職人的な素養が必要でやはりその部分が仕事の過程でも大きく占める。日本では特に広告業界のアート・コンプレックスが強いせいで(自分たちの浅さを隠すために、馴染みのいい言葉で取り繕う)、デザイン業種は何かにつけ「クリエイティヴ」なものだとする押し付けや美化する傾向があり、どうもこのあたりは馴染めないところ。デザイナー自身も、パッケージ化された自分のデザインが並んでいたりすると、どこか勘違いをしてしまうが、それはただ単にメディアの持つ販路・流通にのっただけにすぎない。そして、ごく一般的な、日常的な目線でみると、商品のパッケージや広告などを目にしたとき、おそらくほとんどの人は「誰がデザインをしたのか?」なんてことに関心を持つことはあまりないだろうと思う。絵画を鑑賞するときのように、これは誰それが描いた絵だよ、というふうにはまずならない。絵画作品もデザイン・マテリアルも同じ視覚からイメージを受け取るものだから、僕らはどこか無意識のうちにこうした二つを混同しがちになる。デザインについて何かを言う場合には、過剰な言い回しや表現をなるべく避けるようにしたいし、背後にあるメディアや媒体の持つ力を差し引いて、要素のみを見るべきだろうとも思う。
商品が含んでいる(潜在的な)情報を視覚的に上手く伝えるか、ということに良いデザインの本質があるのだと思うし、本来の目的はそうであるはずなのだが、デザイナーの自己主張(個々大小はあると思うが)がどうしても混ざってしまい、それが一人歩きしてちぐはぐな仕上がりになったり何か噛み合わないものが出来上がったりする場合も数多い。(真っ先に)デザインに強い関心を寄せるのは、ほぼ同業者かその周囲の人くらいで、消費者の目は移り気なものだから新しいものが出回ればすぐに忘れられてしまう。ビル・スミスは職人的なデザイナーとして本当に徹していたためか、これまで特に脚光を浴びるということもなく、彼に関する情報はほとんど見たことがない。専門誌などのインタビューでも、サヴィルやヒプノシスなどのよく知られたデザイナーのように取り上げられることもなかった。自分のするべき仕事を本当にわかっていたから、へたに持ち上げられ注目されるのを望まず(好まず)、あまり表には出てこなかったのだろうと思う。そして、この姿勢はとても好感がもてる。なので彼の手がけたデザインは、レコード・ジャケットの中に小さく記された彼のクレジットを手がかりに見ていくしかない。そうして、彼の仕事をひとつひとつを見ていくとビル・スミスのデザインには Artisan 的な気配りがあり、自分の受けた依頼に適切なデザインを提案しそれにしっかり応えているのが見えてくる。自身のエゴを全くといって見せない彼のデザインは、ミュージシャンの作る音とそれを楽しみにするファンの間に立つ「見えない媒介者」として見事になっている。仕事の依頼に応じ、それに合ったデザインをするため、出来上がったものには「ビル・スミスらしさ」という突出した特徴があまりなく、没個性的な部分はあるかもしれない。しかし、匿名性を持ったクオリティの高さがあれば、本来それで十分なんじゃないかとも思えたり。デザイナーの性分として不必要な自己主張というものをついやってしまいがちだが、ビル・スミスに限ってはこうした仕事ぶりはほとんど見られない。一見地味に見えるが、とても角の取れた良いデザインを常に見せてくれていた、と僕は思う。

そまた、ひとつ大事なのは、このレコード・ジャケットをデザインするときにマックはなかったということ。もちろん、今ではすっかり普及しお馴染みになったソフト、イラストレーターやフォトショップも当然なく、そうした機材の性能に頼ることなく、彼は頭の中のイメージを形にしている。この点は、今いるマック(&各種ソフト)に頼りきったのデザイナーと比較すると大きな差がある。モニター画面を逐一確認しながら、デザインをしていくとどうしても目の前の(モニター上だけの)ものに引きづられてしまう。結果頭の中での想像力がなくなり、ただの「パズル・ゲーム的な作業」に陥りがちだ。マックとレイアウト・ソフトの普及でDTPデザインが簡単になり、平均的なデザインの底上げにはなったと思うが、それはいいデザインをする人が多くなったわけでもなく、機材とソフトのクオリティが飛躍的に向上しただけなのだと、どこかで認識していなければいけないとも思う。



3人になったジェネシスの1980年代

ジェネシス、11枚目のアルバム「アバカブ」は1981年のリリース。メンバーがトリオになってからは3枚目になる。このあたりからプログレ色(組曲風の長い曲)が消え、華やかなブラスを入れたりヒット曲を意識した曲作りになって、ポップ・バンドとして耳馴染みのいい音楽に変わっていった。1980年代に入るとMTVが全盛になって、楽曲とプロモーション・ビデオとをリンクさせた売り方が幅をきかせるようになる。楽曲そのものの良さよりも、プロモーション・ビデオの出来不出来の方がリスナーには面白がられ、それがより凝った映像、より予算をかけた派手な映像をつくる流れにもなっていった。レコードをたくさん売るためには、当時一番新しい媒体だったミュージック・ビデオに予算をかけなければならなくなっていた。お金をかけた分だけ、比例して売れたのかどうかはわからないが、みな競いあうようにしてPV作りに励んでいた。
それまではややマイナーなバンドだったジェネシスだったが、今のように誰もが知るビッグ・バンドになったのは、「アバカブ」の次の次、13枚目のアルバム「Invisible Touch (1986)」からで、このアルバムでの音はこれまでのジェネシスとは全く違うバンドといってもいいほど、ポップで誰にとってもわかりいいアルバムだった。レコードやCDはうんざりするほど店に並んでいたし、よく売れていた。このアルバムを期にジェネシスといえば「Invisible Touch」というイメージも付いてしまって、売れ線のポップバンドというレッテルを貼られるようになった印象がする。リスナー・ファンの層ががらっと変わったのも「Invisible Touch」からだった。

ちょっと話はそれるが、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス(1988)」では、執筆当時、1980年中頃のポップ・ミュージック・シーンの描写がたくさん出ていて、村上春樹の音楽趣味・傾向(多分)も想像できて面白い。ヒューマン・リーグやスティクス、デュラン・デュランなど80年代を象徴するバンドの名前が並ぶ中に、"ジェネシス" もあり、商業路線をひた走る悪しきロックバンドのやり玉として名が挙がっている。たしかにこの頃は、ラジオやテレビをつけると、どの局もどの番組も全米・全英トップ100の上位曲ばかりを(ただ右から左へと機械的に)取り上げるだけで、創意工夫のないメディアの横柄さを存分に放っていた。媒体からは、いつも同じバンドの同じ曲しか流れていなかったので、相当腹立たしかったんだろうな。音楽に精通している人や個性的な音楽を好む人ほど、こうした均質的な音に対しアレルギーがあるように思う。



彼女はブルージーンズに白いコンヴァースのスニーカーを履き、「GENESIS」というレタリングの入ったトレーナー・シャツを着ていた。

 ジェネシス――また下らない名前のバンドだ。
 でも彼女がそのネーム入りのシャツを着ていると、それはひどく象徴的な言葉であるように思えてきた。起源
 でも、と僕は思った、どうしてたかがロック・バンドにそんな大層な名前をつけなくてはならないのだ?



本当にいいものは少ない。ロック・ミュージックだってそうだ。いいものは一時間ラジオを聴いて一曲くらいしかない。あとは大量生産の屑みたいなもんだ。でも昔はそんなこと真剣に考えなかった。

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹、より(講談社文庫 / 上巻・P79 & 81, 233)


 すごく不思議なことだけれど、小説が十万部売れているときには、僕は多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。


「遠い太鼓」村上春樹、より(講談社文庫 / P402)


脱線ついでにひとつ(と言ってもそう関係ないものでもない)。「ダンス・ダンス・ダンス」での80'sヒット曲批判にもとれる描写は、自身の小説「ノルウェイの森」が日本で爆発的なベストセラーになっていたことを(なるだろうことを)、遠いヨーロッパの地から予兆として受け取っていて、それに対するある種の予感的戸惑いが現れたものなんじゃないかと思った(「ダンス・ダンス・ダンス」は1987年の12月17日、ローマで執筆が始まり、翌1988年の3月ロンドンで書き上げている)。村上春樹は、1988年4月に滞在先のロンドンから日本へと戻り社会現象化した「ノルウェイの森」ブームを目の当たりにし唖然とする。「ダンス・ダンス・ダンス」を書いていたときには、日本の状況はほとんど得ていなかっただろうから、まさか自分がマスマーケットの中心(大量生産され、消費されるコンテンツの一つ)になるだなんて、思いもよらなかったのだろうと。
「ノルウェイの森」が爆発的に売れる前までの村上春樹は、固定ファンはいるがまだ今のように日本中の誰しもが知るほどの有名な作家ではなく、自分のファンたちへ向けた物語を誠実に書いていた(ジェネシスの長い活動歴に置き換えると、ピーター・ゲイブリエル在籍時の頃に相当するものではないか、と)。読者もその辺りをよくわかっていて、作家とファンの繋がりから生まれる特殊な輪(部外者は入りこみづらい)を自然な形で形成していたようなところがあったように思う。その需要と供給のバランスがとれ形の整った輪が、「ノルウェイの森」が売れたことでぱっきりと割れてしまい、ファンの層も一気に広くはなったが、それまでとは確実に違ったものに変わってしまったのだろう。おそらくその直後しばらくは誰に向かって書いたらいいのかわからない状況になっていたんじゃないかと、上の文章からは想像できる。芸術作品とポピュラリティの関係、そして作品性とセールスとのジレンマが拮抗し、何かのきっかけで反転する瞬間、そのときに見せる・現れる象徴的な作品っていうのは流れに沿ってみていくと面白いものがあるなと思う。



「Abacab」の7インチ・シングルのジャケット(表裏)

Genesis-Abacab-7inchEP.jpg
http://www.progarchives.com/album.asp?id=22394

この曲がシングル盤でリリースされていたのを今回初めて知る。その昔、日本の中古レコード屋を巡っていたときは一度もみたことがなかったレコードだ。今は、e-bayなどを見ると各国でリリースされていたレコードが沢山出品されていて、財布との妥協点があればすぐに買えてしまう。今買い逃したら二度と巡りあうことがないかもしれない、なんていう切迫した気持ちで、レコードを吟味することもなくなってきている。


ビル・スミスはカラー・ペーパーを手でちぎり、形のバランスを見ながら組み合わせ(&コラージュ)画面構成をし、そこに手描きの文字や飾り罫を加え、アルバム「アバカブ」のカバー・デザインを完成させた(おそらくこういう手順だろうと思う)。僕が想像するに、彼はマティスの切り絵シリーズ(Cut-outs)をイメージの源泉としているように思う。

Matisse-Cutouts.jpg
*上画像は下記リンク先より

Henri Matisse: The Cut-Outs (MoMA)
http://www.moma.org/calendar/exhibitions/1429

ブリヂストン美術館:アンリ・マティス特集
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/special/matisse/stencil/index.html



時期別、ジェネシスのレコジャケ
Genesis-Foxtrot-Wuthering-Duke.jpg
"Foxtrot" (1972) / "Wind & Wuthering" (1976) / "Duke" (1980)
ピーター・ゲイブリエル在籍時の「フォックストロット」はポール・ホワイトヘッド(Paul Whitehead)の絵を使ったカバー・デザイン。この時期は1曲の長さが10分〜15分ほどもあり、ヴォーカルの存在以上に楽器の演奏が重要視されていた。組曲風の複雑な構成の楽曲が多く、レコードの片面に2、3曲しか収録されてなかった。ゲイブリエル脱退後、残った4人で活動していたときにリリースされた「静寂の嵐」では、コリン・エルジー(colin elgie)の淡い絵を用いヒプノシスがデザイン。この時期になると、曲の長さは7〜8分ほどになり、それまでのような重厚なものではなく幾分聴きやすくはなっている。そして、今度はギタリストのスティーヴ・ハケットが脱退しメンバーが3人になってしまう。その時に発表された「Duke」では、絵本作家で知られるリオネル・コクラン(Lionel Koechlin)のイラストを起用しビル・スミスがアート・ディレクションをしている。この頃になると5分前後の曲が大半を占め、イントロ、サビ、コーラスと典型的なポップソングの作り方になる。ふんわりとした印象がある「Duke」のレコジャケを見て、感性に刺激を受けることはないかもしれないが「悪い気」になる人はいないだろう。ジェネシスの音楽は、ヴィジュアルを伴ってよりライトに変化してゆく。
初期の英国寓話世界を連想させるジャケットは個性的で、きっとリスナーを選び、好き嫌いが大きく分かれるものだと思うが、メンバーが抜け、音楽も徐々にポップ志向になっていくと、ジャケットもそれに比例してわかりやすいものに変化していっている。曲も、それを包むレコジャケもアクが抜けると、広い層にアピールできるが、同時にそれまでの特異だった「個性」が消えてゆくのは、どこか寂しい気もする。


ビル・スミスが手がけたジェネシスのレコジャケ
GenesisRecordCover-BillSmith.jpg
"Three Sides Live"(1982):2枚組みライブ・アルバム
"Genesis"(1983):12枚目のスタジオ・アルバム
"Mama"(1983):アルバム"Genesis"からのシングルカット

ビル・スミスは、1981年から1983年にかけてのジェネシスのレコード・ジャケットを手がけている(うち一部は別デザイナーによる)。アルバム「Genesis」のフロント・カバーはアルファベット型のパズルボックスのブロックを撮影したもので、12インチ「Mama」のカバーは、そのアイデアと関連して、曲名である「MAMA」のアルファベット文字がくり抜き加工されている。中のインナー・スリーヴが表から見えるギミックある仕様。


1970年代初頭のライブ・アルバムのレコジャケ
LiveLP-ZappaWhoCrimson-70s.jpg
Zappa & The Mothers "Fillmore East – June 1971" (1971)
The Who "Live at Leeds" (1970)
King Crimson "Earthbound" (1972)
ライブ・アルバムは、活動時期のひとつの締めくくりとして、その時点でのベスト盤的な選曲やまとめられることが多いので、一枚の単独したタイトルというよりも、コンピレーション編集盤に近い受け止め方をされるように思える。そのため、ライブ・アルバムのジャケットデザインはリスナーのターゲット層を少し広げたヴィジュアルの展開があり、わりとシンプルな傾向になりがちだ(ライブ風景をあしらったものが一番多いだろうけれど)。ロック・リスナーの間でも評判高く、シンプルなレコジャケのライブ盤を3枚選んでみた(無地の紙にミュージシャン名とタイトルだけが印刷されたもの)。上にあるジェネシスのライブ盤「Three Sides Live」も、そうしたベスト・コレクション的選曲とコンパイルのされ方をしていて、レコード・ジャケットもまた、そのセオリーに沿ったものだと思う。白地にチョークで書いたようなかすれた文字がただあるだけでとてもシンプルでいい。



カラーペーパーをちぎったグラフィック・デザイン

JohnMassey-hermanMiller-6Posters.jpg
Herman Miller 1981's Posters: Designed by John Massey
https://collection.cooperhewitt.org/people/18042349/objects/designer/
http://tagong-boy.tumblr.com/post/148571034586/poster-herman-miller-designed-by-john


1981年ごろのハーマン・ミラーのポスター(同じデザインのパンフレットもある)。その昔、企業が成長し社会性を帯びてくる中で、CI(コーポレート・アイデンティティ)デザインの重要性が提唱され、流行っていた頃のデザイン本や雑誌に、この一連のポスターが載っていたのを見た記憶がある。デザイン思想&評論家のラルフ・キャプラン(Ralph Caplan)がコンサルトする中で方向性を出し(おそらく)、ジョン・マッセイ(John Massey / Container Corporation of America)がデザインをしている。
手でちぎった風のカラーペーパーによるコンポジション・デザインは、上にあるジェネシスの「アバカブ」のレコード・ジャケットと重なるところがあって、これどっちが先だったのかが気になるところ。二つとも偶然にも1981年に制作され世に出回っていたので、同時多発的な可能性もあって興味深い。


Arrels-Barcelona.jpg
Arrels Barcelona
http://heystudio.es/projects/arrels/

バルセロナを拠点に展開している履物メーカー「アレルズ」のカラフルなスニーカー。2016年のモデル。同じくバルセロナで活動している「Hey」というデザイン・スタジオとのコラボレーションで出来たもの。時代ごとに、同じ手法のものが違ったパターンで出されると新鮮に見えてくるのだろうし、人の発想・創造性の根幹にそう大きな違いはないんだなとも思ったり。「アバカブ・シューズ」なんてニックネームが付いていたりして。

2016年08月09日

絵画をモチーフにしたレコジャケ(3)



「絵画をモチーフにしたレコジャケ(2)」からずいぶんと間が開いてしまった。飽きたり、やる気がなくなったわけじゃなく、ただ今の音楽DL時代にレコードやCDなどのパッケージ・ヴィジュアルはもう必要とされなくなってるし、以前のような意味合いをも持ってはいないなぁというのを強く感じていてストップしてしまった。かつてはとても重要だったレコジャケの存在感というか、記号的なあり方や読み解き方の楽しみがもうほとんどない、と痛切に思ったり。もしかすると、この二三十年くらいの間が少し特別だっただけで、元々そんなものだったのかもしれない。コンテンツ(ここでは音楽・そしてDLはまさにそれだけのもの)がきちんとあれば、パッケージなんて不要だ、とまではいわないが、さほど必要なものでもない。それはよくわかる。ただ、ぼくはまだグラフィック・アイコンが機能していた時代を過ごし育っていたから、やっぱりどこかでそれを求めるところがあって、まだ完全には何もかもがいらないよ、という気にもならないし、もし中身が全く同じで、それを包むパッケージが好みのものとそうでないものがあれば、間違いなく自分の好みの方を選んでいるだろうと思う。もう何でもありになってしまった、今・これからのコンテンツのパッケージングって、本当に難しいだろうな。こうして何気なく書いているうちに、自分のデザイン観や見方なんかがポロッと出てくるんじゃないかといったことを、少し期待しながらまた続きます。
*クリムトの絵にはほとんど触れずになってしまった。



■ 3 ■ クリムトとスージー&ザ・バンシーズ
Banshees-Klimt.jpg
"Fireworks" Siouxsie & The Banshees (May 1982)
"A Kiss in The Dreamhouse" Siouxsie & The Banshees (Nov. 1982)
*レコード・ジャケットの画像は「Discog.com」から
"Ritter, 1905 (Stoclet Fries Series)" Gustav Klimt
http://www.klimt.com/

"Fireworks"
スージー&ザ・バンシーズの「Fireworks」は、アルバム「Juju」と「A Kiss in The Dreamhouse」の間にリリースされたシングル曲。この曲はベスト盤などにもあまり入っておらず、彼女らのシングル曲の中ではわりと地味な存在。この頃は、彼女たちのキャリアの中でも最も充実した時期でもあって、バンシーズの音楽イメージを決めたようなところもある。音楽的にも、関連ヴィジュアルを見てもとてもクオリティが高いと思う。

Sleeve Design
「Fireworks」の 7inch 初回盤のジャケットは特色の金色を使って印刷され、またゲートフォールド仕様になっていて凝ったデザインになっている。一見クリムトの絵を使ったものかと思い違いをしそうになるが、そうではなくクリムトの絵の中にある装飾的なモチーフを模しデザイン的に再構成したものだ。もちろんこれは「こっそりと真似て」みたものではなく、意図的にクリムト特有の意匠を取り込んだもので、それを示しているのがジャケットに置かれた「Siouxsie and The Banshees」のロゴ。クリムトの活動していたアール・ヌーボーの時代に、よく使われていたようななタイポグラフィをバンド・ロゴとして用い、デザインの中へと組み込むことで、その意図をリスナーたちに伝えている。このアール・ヌーボー調のバンド名ロゴは「Fireworks」以降、「Slowdive」「Melt!」そして「Dear Prudence(ザ・ビートルズのカバー)」と4枚のシングルで使用される。1982-1983年の間。

strange-alphabets-TypodermicFontsInc.png
Strange Alphabets (by Typodermic Fonts Inc.)
http://typodermicfonts.com/strange-alphabets/
バンシーズのロゴを元にフォントを作っている人がいた。19ドル。(FONT画像は上リンクより)

「Fireworks」、アルバム「A Kiss in The Dreamhouse」のデザインは共にRocking Russianという名称の、おそらくはデザイン・ユニットが手がけている。あまり聞きなれない名前だが、調べるとThe Teardrop Explodesの "Kilimanjaro" などで彼らのクレジットを見かけた程度で、ただまぁやっぱり、あまり詳しいことは分からない(わりと1980年代のものって、ネットのアーカイヴになっていることがけっこう少なく、あったとしても画質他でクオリティがやや劣っていたり良いデジタル化がされてない)。Rocking Russian の手がけたグラフィック・デザインをいくつか見てはみたけれども、バンシーズ以外のデザインはいまひとつパッとしないものが多く(おこられるかな?)、さほど強いヴィジュアル・センスを持ったグループではなかったんだろうなと思える。もう少し言えば、彼らの手がけたバンシーズのジャケット・デザインは、バンド側からのリクエスト(コンセプト・イメージ)がしっかりしていたから、いい風に成立したのだろうな、というようにも思えてくる。少なくとも彼らとバンシーズの組み合わせは悪くないようにみえる。デザイン・イメージのイニシアティヴをクライアント側が持つのか、それとも請け負ったデザイナー側が持つのか等、パッケージングの中身に対し、包む外側のグラフィック・イメージをどう表すのかという、駆け引きのようなものは商業デザインの場合のちのちのデザインの仕上がりに影響してくる。クライアントとデザイナーが同じ方向を向いていてスムーズにヴィジョンが出てくるときもあれば、ノルマに終われただ模範的な提案だけのデザインもあったり。関わる人の数が多くなるほどに、それぞれの歯車の噛みあわせを円滑にするのは難しくなるものだ。商業(グラフィック)デザインの場合は依頼ありきで制作が進むため、いわゆる純粋な表現とは異なってくる。そのため美術絵画の作品群のように見て取り扱うのは少し難しいし、制作の動機が自身の中にないものをそういった表現作品と同じように見てゆくのもまた難しいものがある。バンシーズのレコード・ジャケットの場合は、おそらく中心人物のスージー・スーの意向が強すぎてなのか、あるいはあまり世にあるデザインの動向に関心がなかったせいかで、さほどデザイナー側とのマッチングがうまくいってないような印象を僕は持っていて、そこがもったいないような気がしていた。バンシーズは、ほぼアルバムをリリースするごとにデザイナーは変わっているし、その影響はファンにとってイメージの散漫さにつながったり、ヴィジュアルに関して一貫性のない部分はややマイナス面があったんじゃないかと思う(こういった例をみると、ヒプノシスやピーター・サヴィルのデザインがいかにヴィジョンを先導・確立していたかが、くっきりとわかる気がする)。グラフィック・アイコンがちゃんと機能していたと仮定しての話になるけれども。



2015年11月28日

Wire "I am The Fly" ep

Wire-IamTheFly-ep-Nov-2015.jpg
"Wire / I am The Fly - ep" (Nov. 2015 / 210 x 297mm)
Ink, Watercolours and Coloured Pencil on paper

ワイヤー、1978年リリースのシングル「アイ・アム・ザ・フライ」。2ndアルバム「Chairs Missing」からのシングル・カット曲。ワイヤーの7インチは、後追いで探してはいたけれど、なかなか(コンディションのいいものが)見つからず、僕は手にすることができなかった。値段は2,000円前後であり、そう高いものでもなく、またこれといってレア盤でもなかったが、あまり中古屋で見なかった記憶がする。
(上の絵はアルバム・サイズになるので、実際のレコジャケ・サイズとは比率が異なっている)

WireIamTheFly-TheCureTheWalk.jpg
*画像はdiscogより

タイトルからは、カフカ「変身」のザムザを彷彿させるものがあるが、歌詞の内容は(多分実験室かどこか、器具の中に)閉じ込められ、もがいているハエの様子をただ歌っただけのもので、近視眼的で冷たい眼差しからくる内面描写なんじゃないかと思う。メタファーによる不可思議さが出ている点ではカフカと通じるところがあるのかも。ワイヤーの歌詞はどれもシュールレアリズム、ダダイズム的なイメージを喚起させる抽象性を含んでいるんで、よくわからないのが多い。
まぁでも僕は、「I am The Fly」なんて聞くと、アメリカのくだらないジョークを思い出してついニヤニヤしてしまう(以下引用)。同じニューウェーヴ・ジャンルに入るバンド、ザ・キュアーのシングルに「The Walk (1983)」というのがあり、そのジャケットはハエの写真が使われている。長い間、何でハエなんだろう? と思っていたのだけれど、このジョークを聞いたときに、ようやくその意味が分かった。U2にも「The Fly」という曲があるし、題材としては面白いのかな? そういえば、森高千里「ハエ男」なんてのもあった。

Q: What do you call a fly without wings?
A: A walk!
http://learnenglishkids.britishcouncil.org/en/jokes/fly-without-wings
http://www.taxi1010.com/blackpool/fly-jokes.htm



絵の元写真はこちら。
http://tagong-boy.tumblr.com/post/133523564946/celeritious-the-rolling-stones-by-elsa-katr%C3%ADn
ストーンズの" Between the Buttons "のジャケットを持った青年(女性?)の画像。コレクターズ目線の細かい話をすると、この子が持っているのはLondon Recordsから出ているUS盤(カタログ番号:PS 499)。オリジナル盤はUK-Decca盤で、レーベルのロゴや位置が違っている。またこのレコード、イギリス盤とアメリカ盤では選曲編集が違うため、ファンの間では好みが分かれていた。アメリカ盤にはヒット曲 "Let's Spend the Night Together" や "Ruby Tuesday" が収録されているが、UK盤にはなかったりと、アルバムを通して聴くと印象が異なるので、同じタイトル、同じジャケット・デザインではあるが異なるアルバムと考えてもいいのかも(日本盤はイギリス盤と同じ選曲仕様でリリース)。" Between the Buttons "のリリースは1967年1月、この年の6月にビートルズの「サージェント・ペパーズ」が出て、10月にはストーンズの「Their Satanic Majesties Request」のリリースがある。コンセプト・アルバムの走りになったこの有名な二枚までは、各国のリスナーの傾向によって選曲がフレキシブルだったり、シングル曲+アルファで編集したりして、以降70年代のプログレなど、アルバム一枚を通して作品と成す流れとは別の作り方・売り方をしていたのかなと、ふと思った。今は好きな曲を自分でセレクトし、そのときの気分でシャッフルしながら聴くことが主流だから、アルバムの順番に沿って聴かなければいけないっていうことはなくなってきている。いろんな曲をたくさん聴いて、自分なりに曲をつなげていくのってけっこう楽しいもんね。

ジャケット写真は、イギリスのフォトグラファー、Gered Mankowitz(ジェレッド・マンコヴィッツ)によるもので、アルバム・ジャケットに使われたこのストーンズのメンバー・フォトがこの人の写真では一番知られたものだと思う。フィルターワークで周囲をうまく滲みぼかしたポートレートは、構図、ブルーの色合いやさびしげな背景が、どうにも雰囲気があって、けっこう真似されたりしていた(日本のネオアコ系バンド、Venus Peterの"Star parade"とかはわかりやすい)。他、キング・クリムゾンの「RED」やデュラン・デュランの「Girls On Film(邦題:グラビアの美少女)」のジャケットにもマンコヴィッツの写真が使われている。彼が1960年代に撮ったものにはわりと個性を感じるが、1970年代以降になると、商業カメラマンの宿命というか、求められるものに対応していかなければならなかったのだろう、特にコレといった特徴はなくなってしまう。世代交代や年齢を重ねるごとに若い感性を維持できなくなってしまったことも要因の一つとしてあるのかもしれない。多くは「素材としての写真」で終わっているような印象を受ける。クライアントやデザイナーの技量にもよる部分は大きいが、写真に"魅せる力"が備わっていれば、多少トリミングする程度、あとは文字をそっと配置するだけで十分に良いジャケットにはなる。しかし、写真にいまひとつ魅力がないと、デザイン・レイアウト処理、色の加工等を施さないと、一枚の画としてレコード・ジャケットの大きさで持たないところがあり、見る側にとってもいまひとつなデザインとして受け入れられてしまうものだ。

GeredMankowitz-Photos-Sleeve.jpg
*画像はwiki, discogより
"Between The Buttons" The Rolling Stones (Jan. 1967)
"Red" King Crimson (Oct. 1974)
"Girls on Film" Duran Duran (July 1981)

2015年09月07日

絵画をモチーフにしたレコジャケ(2)


前回は画家マグリットの描いた「光の帝国」をほぼそのまま実写化したジャクソン・ブラウンのレコジャケを取り上げた。誰もが知る有名な絵をモチーフにしつつも、ユーモアに溢れたクレジットを明記することで、" 真似・パクリ "ではなく" 引用 "なんだと示している良い一例だと思う。インテリジェンスと誠実さは何をする上でも心強い盾になるのだと、ジャクソン・ブラウンはそっと僕たちに教えてくれているようだ。そして、このレコジャケのアイデア発案が、ホントのところはジャクソン・ブラウンではなく現代美術コレクターであるレーベル・オーナーの趣味が多少影響してるんじゃないか? というあたりに触れたのが目新しい視点だった、と個人的に思っている。今回はミレーの絵に潜む記号を用いて、オリジナリティある写真を使ったデペッシュ・モードのレコジャケについてです。さて今回はどの辺に注目が。

前回同様、以下転載するレコード・ジャケットの画像はほぼ「Discog.com」からで、絵画の図版はなるべく所蔵美術館のHPから、もしくは作家のサイト、wikiという順番で使っている。


■ 2 ■ ミレーとデペッシュ・モード、ダリ

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"A Broken Frame" Depeche Mode (Sep. 1982)
"Des glaneuses" Jean-François Millet (1857)
「落穂拾い」ミレー(オルセー美術館所蔵)


一面に広がる麦畑。その中に立ち、鎌を振り上げ、実った麦穂を刈る恰幅のいい女性農夫の後ろ姿。躍動感に満ちた瞬間を見事とらえている。覆う空はどんよりと重く、きっとこの先続くだろう穂刈りの果てしない労働、それをせざるをえないこの女性の心内をどこか表しているようにも見える。デペッシュ・モード「ブロークン・フレイム」のレコードジャケットを見ると、まず思い浮かぶのはミレーの絵画を下敷きにし、製作したイメージなのだろうということ。けれども、実際にミレーの絵を見てみると、同じようなものは見あたらない。構図といい、色調といい、デペッシュのジャケットから連想するものとはどうもほど遠い。ミレーの絵にはもっと清々さと落ち着きがあり、静けさに満ちている。農具の小さな金具が鳴る音や家畜につけた鈴の音がかすかに聞こえてきそうなほどの澄んだ空気が、彼の絵の中にはある。しかし、このアルバム・ジャケットがミレーの絵画を彷彿させるのは、彼の絵の中にある二つの記号、収穫とそれに従事する農夫の姿があることがきっと大きいのだろう。音楽はシンセを使った(当時の)新しいサウンドだったけれど、ジャケット・デザインは全くの逆で古典的な雰囲気がありギャップがあった。そのせいか、聴く前から想像力が膨らみ、期待する何かを感じとったりもした。そういう意味で、このジャケット・デザインはとても素晴らしく、ヴィジュアルから音楽を喚起させることに成功したいい例のひとつだと思う。ところで、ミレーの絵に描かれている「落穂拾い」って何してるんだろう? わざわざ絵を描くテーマとして取り上げるくらいだから、きっと何かしらの意味合いがあるのかもしれない。これまであまり気にもとめず、フランスの農村の一風景だというくらいの漠然とした思いで観ていたが、当時の小作農のおかれていた状況や社会的慣習が根底にあるようだ。


 落ち穂拾いの行為そのものは、『ルツ記』にあるとおり古代からのユダヤ=ヨーロッパ農村社会の互助的風習であった。地主の麦畑の収穫を手伝う零細農民は、手間賃のほかに一割ほど残された落ち穂を拾う権利があったのだ。ところが第二帝政期に入った一八五四年、これに物言いをつけたのが、貴族階級を中心とする地主たちである。

"「農民画家」ミレーの真実" / 井出洋一郎、より
第二章 ミレーの生涯と画業の変遷(p 108 / NHK出版新書 427)



DepecheMode-Discography1.jpg
"New Life" (June 1981)
"Speak & Spell" (Oct. 1981)
"A Broken Frame" - Inner sleeve (1982)
"Construction Time Again" (Aug. 1983)

DepecheMode-Discography2.jpg
"Some Great Reward" (Sep. 1984)
"Black Celebration" (Mar. 1986)

今一度、「ブロークン・フレイム」のヴィジュアル・イメージを見直してみる。改めて気づいたのは、やたらと鎌の印象が強く残ること。ふと、このアルバムの次にリリースされた「コンストラクション・タイム・アゲイン(1983年)」のレコード・ジャケットを並べてみる。すると、どうだろう。山の頂でハンマーを振りおろす屈強な男の姿があり、ここでは鎚のイメージが頭の中に残る。鎌と鎚、この二つは共産主義を象徴する記号として、僕たちの意識にある。デペッシュのレコジャケが暗にそういった意味合いを込めて、制作されているのかはわからない。特にこれまで、彼らがそういうメッセージを発していたわけでもないので勝手な想像にすぎないが、かといって偶然だとも思えない。きっと、何かしらの意味合いがあるのでは? と思いながら、彼らのレコジャケをひととおり見てみると、ちょっとしたストーリー仕立てになっているように解釈することもできる。まずは初期のシングル曲「New Life」。ジャケットにあるのは、卵を割って現れた一人の男。これはまさに誕生の瞬間だ。暗黒の闇(無)の中に浮かぶ白い卵からの登場が、誕生ということをより強調させている。続いてリリースされたファースト・アルバム「Speak & Spell」のジャケットは、手前に巣のようなものがあり、奥には(おそらく)親鳥が羽根を休めている。これは生育と成長を表しているようにも見える。アルバム・タイトルが意味するように「言葉の学習」、これは個人が社会集団の中に溶け込むために不可欠な要素で、レコジャケはそのアイコンなのだろう。そして、セカンド・アルバム「ブロークン・フレイム」は鎌を持つ女性。成長し社会の中で自分の場所を形成する。農業のイメージは、母性・自然資源による第一次産業と人の原初的な社会生活なんだろうか。3枚目「コンストラクション・タイム・アゲイン」はハンマーを振りおろす男性。労働者と第二次産業の工業的なイメージ。タイトルは再構築の意で、一度何かを壊している。険しい山はまた男性の象徴でもある。4枚目「サム・グレート・リウォード」のレコジャケは、二人の男女の婚姻。きっと、先の二枚のレコジャケに登場した女性と男性だと見てみる。しかしその挙式の場は、殺風景な工場の中。資本家が所有するシステムの中で、生きざるをえない若き者たちという風に見るのは考えすぎだろうか。5枚目「ブラック・セレブレーション」のレコジャケは、資本の発展の末に訪れた社会の暗示にもみえる。全体的に黒の占める割合が多く、そのイメージが残ることでどこか死を連想させるものがあり決して明るい社会ではなさそうだ。高層ビルの下群で咲く今にも消えそうな花はわずかな希望を表しているのか、それとも亡霊のように存在感のないものなのかは受け取る側の見方によって変わってくるのだろう。

と、これは僕の勝手な想像にすぎないが、デペッシュが活動をしていたこの時期、1980年代のイギリス(及び欧州)の状況を考えてみると、わりとすんなりくるかもしれない。資本主義と共産主義の色分けが、溶解に向け流れ始めた最後の十年。二つの大きな川はソ連が崩壊することで、最後には一つになるのだけれど、この頃は表面からは全くわからず、まだ川底の泥でしかその動きが見えなかった。もし仮に、デペッシュのレコジャケ一連が共産主義的なイメージを含んでいたとしても、それはおそらくファッションとしてのものだったのだろう。西側諸国、ヨーロッパからみて東の方角、ベルリンの壁の向こうにある閉ざされた世界は、当時の若い人たちの想像力と感覚を刺激する何かを持っていたように思う。新しいヴィジョンを求めるファッションの流れは、常に何かを探っている。同時期のイギリス音楽シーンの中で、ファクトリー・レコードのレコジャケ・デザインを手がけていたピーター・サヴィルなども、ロシア・アヴァンギャルドなどに影響を受けていたので、何かしらの世代的なブームがあったようにも思う。あるいは、20世紀に相次いで起きていた共産革命(ロシア革命や中国の文化大革命、クメールルージュ等)とそのシンボルマーク(鎌と鎚)、それらから連想する「変革」というイメージをヴィジュアルに取り入れることで、自分たちの音楽がこれまでのものとは違う「革新的なもの」だということを密かに込めて(重ねて)いたという風にもとらえることができる。

Hammer&Sickle.jpg
左から
1)"A Broken Frame"のインナー・スリーヴ。このロゴ・デザインは、麦穂を刈る女性のジャケット写真とイメージが繋がるように、鎌と麦束を抽象化しているのだと思う。やはり「鎌と槌」を連想させる。
2)共産主義のシンボルマーク「鎌と槌(Hammer & Sickle)」。鎌は農民を、槌は労働者を表している。
3)朝鮮労働党のシンボルマークは筆が加わり「鎌と槌と筆(Hammer, Sickle & Brush)」筆は知識人を表している。理念どおりにこの国の国家運営がなされているかは別として。
4)南部アフリカにあるアンゴラの国旗はちょっと変わっていて「歯車と鉈(Half-Gear & Machete)」


Sleeve Design of "A Broken Frame"
ジャケット・デザインはマーティン・アトキンス(Martyn Atkins / *カタカナ表記では、PILのドラマーだったマーティン・アトキンスと同じ名前になるが、この人は 'Martin Atkins' とつづりが違う)。ジョイ・ディヴィジョンの2nd Album「クローサー」でもピーター・サヴィルと共に彼の名前がクレジットされている。この人はエコー&ザ・バニーメン(以下:エコバニ)のレコジャケなども手がけていて、写真のディレクションや使い方がものすごく上手だ(特に風景の中に人物を置いたときなど)。写真に入るべき文字の位置や大きさ、フォントなどを見事に分かっている。デザイナーにも多少傾向があって、イラストを使うのに長けた人やそうでない人、せっかくのいい写真を殺してしまう人などなど、キャリアのある人でも得意不得意は確かにある。マーティンは写真の魅力を最大限に生かすようなデザインを得意としていて、きっとフォトグラファーからの信頼も大きいように思える。撮影はブライアン・グリフィン(Brian Griffin)。「A Broken Frame」のカバー写真にあるようなレンズのフォーカスを絞り、手前の被写体に光を当てて、背景の光量を落としドラマティックに見せる技法は、わりと90年代以降のファッション写真などで見るようになった。今振り返ると、ブライアンがこのときの撮影で使ったスタイルはその走りになっていたのかもしれない。また、この時代の大判フィルムはISO感度がそれほど高くはなく、撮影時の露出・光量の調節に関してはある程度の制約が付いていたと思う。そのためフォーカスを絞るとどうしても遠景にまで光が届かない。こういった技術的なことが、偶然というかいい意味で作画に働いたという可能性もあるように思える。タイトル文字のカリグラフィーはChing Ching Lee。
マーティン・アトキンスは、レコジャケ制作の際にブライアン・グリフィンと良くコンビを組んでいるので、わりとお気に入りのフォトグラファーだったのだと思う。ブライアンのHPを見てみると、彼はマーティン・アトキンスと組んだときには印象深い写真を撮っているのだけれども、ファッション雑誌や音楽雑誌などで自分のイメージで撮影する場合(おそらく)は、さほどいいものがなかったりする。これは少し以外だった。このことから、デペッシュ・モードやエコバニのヴィジュアル・イメージ&アイデアは、マーティンが主に担っていたんではないかと想像がつく(もちろんバンド側からの意向や提案を受けてはいただろう)。

WinslowHomer.jpg
"Eight Bells(八点鐘)" Winslow Homer (1887)
"The Veteran in a New Field" Winslow Homer (1865)
(ウィンスロー・ホーマー)
http://www.winslowhomer.org/


J.BastienLepage-Saison.dDctobre.jpg
"Saison d'octobre" Jules Bastien-Lepage (1878)
「10月、ジャガイモの収穫」ジュール・バスティアン・ルパージュ
(ヴィクトリア国立美術館所蔵 / National Gallery of Victoria)
http://www.ngv.vic.gov.au/explore/collection/work/3768/


 マーティン(=デザイン)とブライアン(=写真)のコンビによるデペッシュ・モードとエコバニのレコード・ジャケットは、ニューウェーブ世代の中でもひときわ印象深いものばかりだ。上に書いたように、おそらくこれらはマーティン主導のヴィジョンから制作されたもので、イメージのルーツはやはり絵画からきているんだろうと思う。特にミレー以降、19世紀末の写実主義(&ハーグ派)あたりに特徴的な「モメント」をとらえた絵画の影響があるようにみえる。19世紀初頭に写真の発明があり、中期あたりから肖像写真が人気を博し富裕層は自分たちの姿を銀板の中に残した。この流れは絵画の世界にも影響があり、それまでの精密に・忠実にものごとを描くことから、インプレッション・心象的なものが表現の主体となるきっかけにもなった。ミレーから印象派へと移っていく時代は、古い時代の手法と新しい絵画の潮流とが入り混じっていて表現のスタイルに幅が出て混沌としているのが面白い。(ミレーに影響と刺激を受けていただろう)J.L-ルパージュやウィンスロー・ホーマーの絵などは、写真で撮ったかのような躍動と瞬間を見事に描いているので、この時代の絵画作品群がマーティンの得意とするデザイン・イメージの中心になっているんじゃないだろうか。ヨーロッパは美術館も多く開放的だし、生活の中にアートがしっかりと根ざし、また身近にある。小さな頃からこれらを見て育っていたのなら、絵画作品をベースに自分のイメージを膨らませることは、特に意識せずともごく自然に出てくるものだと思う。美的な感覚と明確なコンセプト、二つの絶妙なバランスがレコジャケという正方形のデザインの中にも十分にとけ込んでいる。いいデザインが生まれる背景には、過去の素晴らしい作品を観ることはもちろん、観察力やまなざしの深さも必要なのだと思う。即席で仕入れたような情報からは薄っぺらなコピペ・デザインしか出来ない。

MAG-LIFE-Winter-1990.jpg
Brian Griffin
http://www.briangriffin.co.uk/
ブライアン・グリフィンのサイト。"A Broken Frame"他、ジャケットに使われなかったアウト・テイク写真なども多数アップされている。彼の撮った "A Broken Frame" のカバー写真は「LIFE」誌(1990年冬発行)の「世界のベスト写真・1980 - 1990年」特集の表紙にもなっている。
グラフ誌「ライフ」は写真を中心にしたジャーナリズム雑誌で、ロバート・キャパやユージン・スミスなどのクオリティの高い写真を掲載し人気があった。写真をうまく構成し編集することで、撮り手のメッセージがより明確になり、それが読者を惹きつけ信頼を得ることになる。ブライアンの写真が、この「ライフ」の特集(しかも写真の特集)で取り上げられたのだから、それはそれはとても意味のあることだ。フォトグラファーにとってほんと名誉なことだと思う。
利権や仲間内での利益循環の為に、おかしな審査基準の賞を設け喜んでいる日本の広告・エンタメ業界とはえらい違いなのだ。賞と名のつくものになら何でも喜ぶ日本人と、厳しい目で選び抜いた作品にだけ賞を与え、それすらもまた厳しい目で見、疑いをもかける欧米人。年月をおうごとに文化の洗練度と水準に雲泥の開きが出てきている。


ミレーとダリ
ダリもミレーの「晩鐘」を題材に何枚か絵を描いていた。なんでもある日突然、ミレーの「晩鐘」が頭の中を支配し取りつかれたようになったとか。また、ダリは自分の敬愛する古典絵画の構図や技法をよく研究していたので、わりと自分の絵の中に取り込んだりして作品を残している。特にフェルメールがお気に入りだった。ダリは奇行や奇抜な作品で話題になることが多いけれども、ピカソと同じで絵の技術はめちゃくちゃ上手い。

Millet-Dali333.jpg
"L'Angelus" Jean-François Millet (1859)
「晩鐘」ミレー(オルセー美術館所蔵)
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Angelus_%28painting%29


"Archeological Reminiscence of Millet's 'Angelus'" Salvador Dali (1933)
「ミレーの晩鐘の古代学的回想」サルバドール・ダリ
http://thedali.org/exhibit/archeological-reminiscence-millets-angelus/




次回、(3)に続く

2015年08月24日

絵画をモチーフにしたレコジャケ(1)

■ 序 ■ ヴェラスケス、ピカソ、ウィトキン

Velazquez-Picasso-LasMeninas.jpg
"Las Meninas, or The Family of Felipe IV" Velázquez (1656)
「女官たち(ラス・メニーナス) 」ヴェラスケス / プラド美術館所蔵(Museo Nacional del Prado)
https://www.museodelprado.es/


"Las Meninas" Pablo Picasso (1957) / バルセロナ・ピカソ美術館所蔵
http://www.pablopicasso.org/las-meninas.jsp


JPWitkin-LasMeninas-SelfPortrait-1987.jpg
"Las Meninas (Self-Portrait after Velázquez)" Joel-Peter Witkin (1987)
http://www.artnet.com/artists/joel-peter-witkin/

一応このブログは、旅&アート系ということでやっているので、たまには純粋なアートの事も少し書いておかないといけないなと、ふと思い、今回は古典(有名)絵画をモチーフにしたレコジャケをいくつかあげてみたい。並べてみると、何か発見があることを期待して。
僕は学生のときに美術学科にいて、油絵、日本画、版画、彫塑と一通りの実技授業を受け基礎的な技術は身に付いているし、美術史も学んでいるのである程度の流れは理解している、という自負は持っているのだけれど、普段日常生活の中でこれらは特に必要でないため、勉強はしたもののけっこう忘れていることも多く、ある種復習の意味を込め、という気持ちが多少ある。改めて調べてみると、記憶違いや思い違いなんかも少しあり、再確認するにいい機会だった。

美術絵画を使ったレコード・ジャケットはわりと多くあり、いくつかの種類に分けられる。絵画の図版をそのまま使う場合もあれば、絵を題材に新たなイメージを加えてみたり、あるいはそこに違ったメッセージを付けてみたり、他様々なパターンがある。図版をそのまま使っていたりトリミングして構成されたものは、それほど面白味がないんで、今回はやっぱり、少し元画から味付けされたものを中心に選んでみた。何回かに分けてアップします。

そして今、2020年東京オリンピックの盗作ロゴ問題が、まだ広がりを見せている中だから、モチーフの引用と盗作(パクリ)の違いも少し書いておきたい。もし引用をするのなら、まずデザインの元、モチーフとして使うだろう絵画は、誰もが知る有名なものである必要があって、やはりそこがはっきりと明示できているかが、盗作(模倣)との大きな分かれ道になるところなのだろう。そして、モチーフとして使うからには、制作物とオリジナル絵画のつながりが直接的でなくともある程度見えた方がいいように思う。その方が見る側にとっても理解されやすいし説得力が増す。ただインパクトが欲しいだけの理由や、見た目でかっこいいから、なんていう安易な考えだけで、(元絵を)使ったりするとやはりマズイ。まぁ、たいていの場合、このあたりがだいたいにおいてグレーになってくるため、ここをうまく説明ができないときは盗作の疑いがかかったまま、ずっと言われ続けることになる。広く大衆の中で共有されている題材、いわゆるパブリック・ドメイン化され、それが認識されているものを下敷きにし、取り扱いさえすれば、盗作だ! なんていわれることはまずないと思う。そしてなによりも、引用したのならそれを示すキーワードのようなものを作品やタイトルの中に埋め込むのが礼儀だったりする。

グラフィック・デザインではないけれど、本家アートの世界では有名な絵画をモチーフにした素晴らしい作品が多々あり、いい例としてひとつあげてみたい(上記3画像)。画家が自分の作風を確立するまでに、名画に習う場合もあれば、自身の表現や技法の幅を広げるために、新たな題材として過去の絵画を取り入れる場合がある。ヴェラスケスの「ラス・メニーナス」は、描かれた時代の背景や、絵の中に描かれた人物たちを巡って、いろいろな謎解きができ、また視線の交錯や記号化したモチーフが散りばめられたりと絵としての完成度も高い(この絵を鑑賞しているのは誰? 主役は誰? といったような入れ子的な謎かけもある)。そのため、時代を経ても色褪せることなく評価され続けている。このことは、後生のアーーティストたちにとっても創作の題材として取り組むに、まったく申し分なく、むしろヴェラスケスの才能に匹敵する作家こそが、大きな山に挑むような感じで自分の作風をぶつけ、新しい作品を生みだしている。例えがうまくないかもしれないけれども、名曲スタンダードをカバーして、自分流になるかならないかで、その人のおおよその才能がわかるといったらいいのか。

と、もう一点、絵画や小説、音楽などの作品たちとグラフィック・デザインが違うという理解も必要だろうと思う。レコジャケのようないわゆる商業グラフィック・デザインの場合は、デザイナーが自分の意志で何かをつくる、ということは極まれなことだ(というよりもそんなことはまず無い)。クライアントがあり、そこから依頼を受けて初めて作業に取りかかるものだから、「制作の意図」あるいは「テーマ」というものが自身から生まれたものでなかったりする。だからレコジャケを含め、商品パッケージのデザインを(絵画などと同じように)語ろうとすると、どこかにほころびというか、矛盾というか、合致しない何かが常に生じてくる。これは純粋なアート作品でもないのだから仕方ない部分だと僕たちは認識するしかない。(作る)動機が不在のものにいったい何を見出せるというのだろう? しかし、モノとしては存在しているのだ。そして、このあたりがよく言われるような盗作云々ともつながってくるので、より問題が複雑になったりする。しかし、本当はとてもシンプルで、グラフィック・デザインによる印刷物が商品のパッケージとして流通している、ただそれだけにすぎない。消費者に中身の情報を伝えるただの包み紙なんだ、と。こういう風に、アーティストによる純粋な制作物とグラフィック・デザインという流通アイコンとを分けて見る必要があるのだと、僕なんかは思うのだけれども、これだけモノがあふれかえっていると、なかなかそうはいかないのだろう。パソコンとソフトの普及で誰でも簡単にデザインができるようになり、支持層というかデザインに対する目が広がった分、デザインというものが必要以上に美化されるようになったという印象もある。決して僕はデザインが嫌いなわけではなく、むしろ好きな方だ。ただ、人が何かを伝えたいと思い、それを作品に込めて作り上げたものと、誰かに言われて手を動かし形にしたものとの違いは、明確に分けて見る必要があるのだと思う。言葉上での細かい話になるが、デザイナーのデザインしたものに関しては「作った」という表現はなるべく避けて、「手がけた」「担当した」という言い方で、僕は頭の中で区別しようとしている。と、レコジャケをはじめとしたグラフィック・デザインに対し、やや批判的な見方をしているかもしれないが、それでもやはりアイコンとしてのレコード・ジャケットというものには、数十年の歴史があるわけだから、量からみた系統的な面白さは見出せるとは思っている。


■ ヴェラスケス、ピカソ、ウィトキンのラス・メニーナス
ヴェラスケスの描いた「ラス・メニーナス」の背景、この絵とハプスブルク家にまつわるエピソードや当時の政争、権力をめぐっての逸話などは、中野京子「残酷な王と悲しみの王妃(集英社文庫)」"第二章 マルガリータ・テレサ"の中で詳しく、分かりやすく、そしてなによりも面白く書かれている。是非どうぞ。
まだ僕は、中世ヨーロッパ史に踏み込めていないので、ヴェラスケスの絵に関しての理解はほとんどないが、この絵に興味を持つきっかけになったのは、写真家、ジョエル=ピーター・ウィトキンが「ラス・メニーナス」を題材にしたセルフポートレート作品を発表し、それを見たことからだった。ウィトキンは、ヴェラスケスの「ラス・メニーナス」と、この絵を題材にピカソが描いた「ピカソ版/ラス・メニーナス」を自分の作風にしっかり取り込み、自身のセルフポートレート版「ラス・メニーナス」を制作した(左はじで絵筆とパレットを手にしたのがウィトキンになるのかな?)。ヴェラスケスの時代には写真というものは存在していないので、ウィトキンによる「ラス・メニーナス」の空間作りは、パースや遠近感というものを、リアルに感じれる。このあたりに元絵との違い、また人物の置き換えなど、面白いものがいくつもある(そういえば、ウィトキンの作り込みをみていると、いま人気あるフォトグラファー、ティム・ウォーカー / Tim Walker なんかにも影響与えているように思う)。ネガに傷を付けたり、焼いてみたり、さらには薬品処理で印画紙ににじみやシミを作ってみたりするウィトキンの作風は、写真黎明期のダゲレオタイプを思い起こさせるものだし、どこか中世の時代の香りを持っている。ヴェラスケスの絵と並べて、そう違和感がないのがまた不思議。ピカソの「ラス・メニーナス」もすっかり自分の画風になっているし、ウィトキンも先人二人の作品を意識しながらも、全く「ウィトキンだ」としか思えない作品に仕上がっている。自分の手で作風を築き上げた人は、やっぱり何をしても自分のカラーになるということなのかな。


■ ラス・メニーナス - wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9

以下転載するレコード・ジャケットの画像はほぼ「Discog.com」からで、絵画の図版はなるべく所蔵美術館のHPから、もしくは作家のサイト、wikiという順番で使っている。画像の出所はさほど気にしなくてもいいのかもしれないけれど、一応分かる範囲でアドレスのリンクをあわせて記載。

■ 1 ■ ルネ・マグリットとジャクソン・ブラウン

LateForTheSky-Magritte-EmpireOfLights.jpg
"Late For The Sky" Jackson Browne (1974)
"L'empire des lumières" René Magritte (1954) /
ベルギー王立美術館所蔵 (Royal Museums of Fine Arts of Belgium)
http://fine-arts-museum.be/fr/la-collection/artist/magritte-rene-1?letter=m

"L'empire des lumières" René Magritte (1953 - 54) / グッゲンハイム美術館所蔵
http://www.guggenheim.org/new-york/collections/collection-online/artwork/2594


ジャクソン・ブラウンの3rdアルバム「Late for The Sky」のジャケット写真は、マグリットの「光の帝国」を下敷きに、車を配置したりしアメリカ的なモチーフを加えながら、ほぼそのまま再現した、といってもいいくらいに、見事に実写化している。ジャケットのコンセプトはジャクソン・ブラウンによるもので、ボブ・セイドマン(Bob Seidemann)が写真とデザインを担当。この人は、ブラインド・フェイスの1stアルバム(女の子が飛行機の模型を持った有名なジャケット)の写真とデザインを手がけたことでよく知られ、1960 - 70年代にかけてのロック・ミュージシャン、ジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッドなどの写真を撮っている。サイケで幻想的なタイポグラフィはリック・グリフィン(Rick Griffin)によるもの。ロジャー・ディーンの絵にも似合いそう。
「光の帝国」はあまりにも知られた作品だから、見る側もマグリットの絵を引用したのだとは分かるだろうが、彼は律儀にも、レコード・ジャケットのクレジットの中で以下のような言葉を書いている。

"cover concept Jackson Browne if it's all reet with Magritte"
(カバーコンセプトはジャクソン・ブラウン、もしマグリットが問題ないっていうのなら)

■ Late for the Sky - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/Late_for_the_Sky

このアルバムをリリースしたとき、すでにマグリットは亡くなっているので、これに対する回答があるはずはないが、粋な表現でマグリットの絵がジャケット・イメージの源泉となったことをレコードを手にした人にも伝えているんだな、と感じる。こういった敬意の表し方は素敵に思う。
それにしても、このアルバムが出た1974年には、まだMacなどはなく、もちろんフォトショップやデジタルカメラもないので、写真の加工はけっこう難しかったんじゃないだろうか。昼の青空と夜の住宅を一発撮りで、撮影できるものなのか。ポジ・フィルムのラチチュードなどを考えてみるとよけいに、無理だろうなと思えてくる。きっと製版によるレタッチでうまく昼夜を合成しているのだろうが、木の枝葉などの複雑なシルエットを切り抜いたりするのはフォトショップでも難しいものだし、これをアナログ技法でどんな風にやったのかはさっぱりとわからない。

アルバムのタイトルにもなっている「Late for The Sky」は、映画「タクシー・ドライバー(1976)」の中で使われているので、映画ファンには馴染みある歌かもしれない。


ジャクソン・ブラウンのレコードは当時、新しくできたレーベル、アサイラム・レコーズからリリースされている。このアサイラムの実質的オーナーが、なんとデヴィッド・ゲフィン。自分の名を付けたゲフィン・レコーズやのちにスピルバーグらと共同設立したドリームワークスで知られるその人だ('DreamWorks SKG'が正式な会社名で、Sはスピルバーグ、Kはカッツェンバーグ、Gはゲフィンの頭文字をとったもの)。デヴィッド・ゲフィンは、後年、アメリカ現代美術のコレクターとしても知られるようになり、ウィレム・デ・クーニングやマーク・ロスコなどの作品を所有している。と、ここでふとジャクソン・ブラウンの「Late for The Sky」のジャケット・カバーが頭をよぎる。あれは、ジャクソン・ブラウンがコンセプトを出したものだが、アート好きのレーベル・オーナー、デヴィッド・ゲフィンが多少絡んでいるんじゃないかと、気になった。自分のレーベルのバック・カタログに、芸術的なレコード・ジャケットが並ぶのは、きっとオーナー冥利につきるだろうな、と想像するのだけれども、はたしてどうだろう。デヴィッド・ゲフィンの美術コレクションに関しては、次々回あたりでもう一度登場する予定。

ここで少し、デヴィッド・ゲフィンがアサイラム・レコーズを設立するあたりに触れたい。1970年から1990年にかけてのアメリカのロック(それもそれほど主流ではないもの)の橋渡し的な役割を、彼の創ったレーベルがしているように思えるためで、特に90年代にかけて人気を博したオルタナ・シーンでゲフィン・レコードの役目は大きかったように思う(アサイラムは1989年に幕を閉じる)。
デヴィッド・ゲフィンは、若い時から才能を発掘する目利きな人物だった。彼のキャリアをみているとほんと、すべてが上手くいっているように見える。彼の名が音楽業界で知られるようになったのは、クロスビー・スティルス&ナッシュのマネージメントをしていたときのこと、その手腕が評判となり徐々に自分のレーベル作りへと事業展開してゆく。1970年頃、イーグルスなどへ楽曲の提供をしていたものの、まだレコードを出したことのないジャクソン・ブラウンをデヴィッド・ゲフィンはアトランティック・レコードに紹介。そして契約を取り付けようと話を進めていた最中、新しいレーベルの設立を持ちかけられる。話は進みアトランティックが半分出資する形で、1971年にアサイラム・レコーズを創立した(場所はロサンジェルス)。まもなく、リンダ・ロンシュタットやジョニ・ミッチェルを自分のところに移籍させ、レーベルの名はさらに知名度を増す。ジャクソン・ブラウン、イーグルスとも契約し、一時的にボブ・ディランもアサイラムからレコードをリリースしていた。1973年にエレクトラ・レコーズ(場所はニューヨーク、ロスのアサイラムとは正反対にある)と合併し「エレクトラ/アサイラム」と会社名が変わるが、それまでの各レーベルは独立した部門として運営していたので、レーベル名が特に変わったということはなかった。一時、体調不良を理由に引退をしたが、再び音楽業界に戻ってくる。そのときに立ち上げたのが、ゲフィン・レコードとなった。


■ Empire of Light(光の帝国) - wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Empire_of_Lights
マグリット「光の帝国」にはいくつかのヴァリエーションがあって、絵の手前側に池があり外灯の写りこみのある、ベルギー王立美術館所蔵のものが一番馴染みの画だと思う。グッゲンハイム美術館の絵は手前側に大きな石が描かれている。グッゲンハイム美術館所蔵の方(195.4 x 131.2cm)が、ベルギー王立美術館所蔵のもの(146 x 114cm)より、サイズがひとまわりほど大きい。



次回、(2)に続く

2015年01月06日

ジョナサン・デミとパーフェクト・キス


"The Perfect Kiss" by New Order


今回、塔公少年はお休みです。代わりに音楽とデザイン好きのムーチョと杏仲明日香が登場します。二人のトークをどうぞ。干支の羊からレコード・ジャケットの話へ、デザインにまつわる話題になり、そしてジョナサン・デミが監督した「羊たちの沈黙」、ニュー・オーダー「Perfect Kiss」のPVへと飛びます。

ムーチョ(以下ム)
杏仲明日香(あんなか・あすか/以下杏)


ム: 久しぶり、元気?
杏: ああ、ムーチョは?
ム: 見ての通り(といって、チャキッとファイティング・ポーズをとる)
杏: 相変わらずやな。寒ないか。
ム: どういう意味やねん。ま、それはええとして、今年の干支は羊ゆうことらしいから、羊で思い浮かぶもの、みたなんでなんかある?
杏: お、いきなりなんやねん。唐突に干支とか言い出して。季節や暦の風物詩を言い出すとか、もうお前も終わりやな。発想力貧困、よっぽど話題のない証拠ちゃうか、このすっからかん。
ム: ほっとけや。じゃぁ、お前なんかあるんか?
杏: …
ム: ほらどうやねん。はよ言うてみろや。
杏: ラム肉うまいよなぁ。
ム: ごまかすな。
杏: お前、ラム肉とポヤックのワイン合わせたことあるか?
ム: ない。
杏: あれ、最高やで。ピンクの肉をな、噛みしめるとほのかにミルキーな香りが広がって、ワインにまた合うんや。
ム: で、干支以外で何か言うてみいや。
杏: ど、何で話戻すねん。あ、そや、おれの今年のテーマ教えたろか。ノックするんは一回だけにして、すぐに立ち去ろう、これやな。スマートに行こ。引きずったらあかん。
ム: アホか、ピンポンダッシュやんけ、それ。俺は出てくるまで叩き続けるでー。ドンドンドン。出てこーい。
杏: コワー!

 〜で、結局今年の干支、羊に絡んだ話を進めることに。
ム: 干支って日本以外でも、あるらしいで。
杏: そういや、中国とかベトナムにもあったような。
ム: そうそう。国によって若干当てはまる動物が違うんやけど。元々、大陸から来たものらしいからな。タイやインドとか、ロシア、東欧あたりにまで浸透してるみたい。アジア文化をくくる思想なんかもな。
杏: あれやろ。七福神かて、ヒンドゥの神様からきてるっていうし。
ム: お前よう知ってんな。大黒さまが確か破壊の神シヴァ神で、弁天さまがえーっと…
杏: サラスヴァティ。
ム: そうそう。芸能の女神か。
杏: そや、前に一回調べたことあってな、そん時にへぇーって思ったんや。
ム: お前も以外と凝り性やな。
杏: ルーツを遡るてのはけっこうおもろいしな。
ム: で、お前のルーツはなんかわかったんかい?
杏: 自分の調べてへんわ。
ム: なんやそれ。ちょい、話それたけど、干支に絡めて、羊がモチーフになったレコジャケとか思い浮かぶ?

MccartneyRam-GenesisLamb-StonesGoats.jpg
(画像は Discogs / wiki / amazonから・以下同)
Paul McCartney "Ram" (1971)
Genesis "The Lamb Lies Down on Broadway" (1974 / 邦題:眩惑のブロードウェイ)
Rolling Stones "Goats Head Soup" (1973 / 邦題:山羊の頭のスープ) / ジャケット・デザインと写真は英国の写真家David Baileyによるもの。



杏: 羊かぁ。羊といえば、ポール・マッカートニーの「ラム(Ram)」とかちゃうか。
(カタカナ表記だとRamもLambも「ラム」になるが、Ramは雄羊でLambは子羊)
ム: えらい古いの出してきたな。まぁ、確かにあのジャケット、パッと思い浮かぶよな。他には?
杏: 羊、ラム、シープ…。あ! ジェネシスの「Lamb Lies Down on Broadway(1974)」。どや。
ム: あれ、羊のジャケットやったか?
杏: あ、タイトルだけか。
ム: そうそう。ヒプノシスのデザインやな、得意のフォトコラージュで。コンセプチュアル・アルバムとか、二枚組の大作って言われてて、それだけでもう聴きたくなってたもんな。
杏: 邦題が「眩惑のブロードウェイ」ってなってて、これがまた想像力をかきたてる。いや、よぉ聴いたわ。ブロードウェイを舞台にした、よくわからん物語が展開されてるらしいけど。そういえばこれ、イーノが参加してるんやな、記憶になかったからけっこうびっくり。ゲイブリエルとイーノって、わりと近い場所にいたはずやのにあんま共演してへんから不思議。
ム: どっちも我が強そうやもんな。あれが(ピーター・)ゲイブリエル在籍最後のアルバムになって、それまでのとちょっと雰囲気が違う。
杏: そうそう。前作「月影の騎士(1973)」までは幻想的な世界を歌ってたのに、一気にNYブロードウェイという現実の世界が歌の中に登場したりして。わりと自由な創作活動でいれたのに、現実の音楽ビジネスに直面したゲイブリエルのとまどいみたいなのが感じられたり。
ム: 直後にジェネシス脱退やから、なんか色々あったんやろうな。
杏: ああ、そうかも。あのアルバム、ゲイブリエルのヴォーカルだけがやたらと耳に残るんよな。それまでは、ゲイブリエルという男に衣装を着せる感じで、メンバーの演奏が歌声を包んでいたのに、この「眩惑の〜」では自分で着ろよ、といってちょっとヴォーカルと演奏の間に距離がある。
ム: 裸の王様的な? そういや、ストーンズも「羊のスープ」とかいうのなかったっけ?
杏: 「山羊の頭のスープ」や。羊ちゃうで。
ム: ああ、そっか。でも出たの同じ頃とちゃう?(といって調べ始める)
杏: そうかも。俺、アルバム・タイトルとジャケットが怖かったから、このアルバム聴いてへんわ。今見てもなんか怖い。
ム: うそー、もったいない。あ、やっぱし「山羊の頭」は1973年リリースや。
杏: へぇ、なんかおもろいな。偶然というか、イギリスを代表するようなバンドが同じ時期に、動物の名前がついたアルバム・タイトルを付けてたって。ピンク・フロイドの「アニマルズ(豚の風船を浮かべたアルバム・ジャケットで有名)」とかは何年?
ム: ちょ、待って(で、また調べる)。残念! フロイドの「アニマルズ」は1977年。さっきのマッカートニーの「ラム」は惜しい! 1971年や。ちょっと時期はバラけてもうたな。ま、1970年代というくくりにしたら、範疇には入るけど。

PinkFloyd-TheKLF.jpg
Pink Floyd "Atom Heart Mother" (1970 / 邦題:原子心母)
The KLF "Chill Out" (1990)
Pink Floyd "Animals" (1977)



杏: そっか。じゃあ動物つながりで「原子心母(Atom Heart Mother)」は?
ム: 牛のレコジャケのやつな。あれは1970年や。これもヒプノシスやな。牛やから一応、干支の中に入ってるやん。この調子でいったら、ロックのレコジャケで干支、すぐに出来るんちゃうか? そういや、The KLFがあの牛ジャケのパロディやってたな。
杏: そうそう「Chill Out」。しかも羊に変えてな。フロイドのようなインパクトはないけど、過去のジャケット・デザインをうまく引用しつつ、新しい時代への記号化が出来てててカッコよかった。あとあれ、ミスチルの「アトミック・ハート」も「Atom Heart Mother」からもじったんやろ? 小林武史、ビートルズ周辺フリークやもんな。
ム: 音の作り方とか、もろ。というか、けっこうなぞらえてると…。
杏: 洋楽ファンはけっこうニヤッとするとこがある。
ム: リスナーにもその辺、ちゃんと分かるようにしてるから、上手いなぁと思う。「アトミック・ハート(1994)」はイントロの効果音とか、インスト曲のつなぎ方含め、プログレ系コンセプト・アルバムの影響受けてる感じもするし。
杏: 愛情というか、やっぱ好きなんやろなぁってのがわかる。「アトミック・ハート」「深海」「ボレロ」あたりが一番ミスチルのピークちゃう? 「雨のち晴れ」とかいいもんな。
ム: お前の下手な歌よう聞かされたわ、かわいそうな俺。1DKの古アパートで調子はずれに歌いやがって、あれ隣から苦情こんかったか?
杏: そういや、下階のヤツがよう床ドンしてきたわ、って、うるさいわほっとけ。なんやったら今耳元で聞かしたろか。
ム: すまん、俺が悪かった。お前確信犯か。俺の初々しい繊細な鼓膜を、お前のドスい歌声で突き破らんでくれ、日本のバーナード・サムナー。あの頃は、B'zとかZardが全盛やったやろ。その中で、あの正当派な音が支持されて売れたってのはスゴイなと思うわ。あと「アトミック・ハート」でいうと、あの青いシンプルなジャケットは、デレク・ジャーマンの「ブルー(1993)」のサントラ盤が元になってる。ま、これは憶測やけど。

DerekJarman&ChristopherBucklow.jpg
Derek Jarman "Blue" O.S.T. (1993)
Christopher Bucklow "Guest"(作品集)


杏: あ! そういえば。両方とも全面ブルーのパッケージで似てるな。あーそっかぁ。ジャーマン、業界の一部で盛り上がってたもんな。時期的にもジャーマンの方が早かったしありうるかも。でまた、「アトミック・ハート」のデザインって信藤さんやろ、うんそやわ。
ム: 「アトミック・ハート」は、まだ偶然の一致なんかなって思えるところあるけど、「光の射す方へ(1999)」(のジャケット・デザイン)なんてもろパクってるからな。クリストファー・バックロウの「ゲスト」ってシリーズが元になってる…という言い方でいいんかどうか。最初見たときは、バックロウの作品使ってるんやと思った。あれは、さすがにやりすぎかな。
杏: ああ、俺「BLIND SPOT(新手の写真家を紹介していた雑誌で印刷のクオリティが高く評判がよかった)」で最初に見たん覚えてる。あの頃は、アダム・フスとかボルタンスキー、ポルケにフィッシュリ&ヴァイス(PETER FISCHLI & DAVID WEISS)とか写真を使った現代美術の作家がたくさんおった。
ム: そう、一種のムーヴメントみたいな流れがあった。ま、それはともかく初回限定盤の「アトミック・ハート」はクリアブルーの透明ケース付でかっこよかった。限定とはいえそこはJ-POP、プレス数多いんやけど、それでもプレミア価格付いてたからファン層の広さがわかる。
杏: そういやあれの初回盤、あんまし中古屋でも見んかったな。たまに出てきても、3,000円くらいしてたような。J-POPの中古盤で定価以上の値段が付くんって珍しい。リリースして一年経ったら、100円セールのワゴンに山積みになってるんがほとんどから、どんだけ消耗品やねんって。にしても、ああいうギミックあるパッケージは、ピチカートやフリッパーズ(のジャケット)とかで培った技が生かされてるよな。
ム: 印刷会社の売り込みが、いろいろあったんかもしれんで。うちでは、こんな特殊印刷出来ますよ、新曲のCDとか店頭で目立ってなんぼでしょ、みたいに。
杏: 話題にもなるし、ファンも喜ぶ。売れるから、受注のかかる印刷会社も儲かる、か。CD出したらすぐミリオン・ヒットになってた時代やもんな。しかしあの頃は、ほんま特殊仕様のCDジャケットが多かった。特殊なんが当たり前になってたりして、特別な一枚になるには、さらなる特別さがないとあかんかった。
ム: あの派手なCDパッケージ戦争の黒幕は印刷会社やった、ってオチでな。銀行の融資課みたいなとこあるよな。ある程度安定した売り上げ見込めたら、必要以上にじゃんじゃんつぎ込んでくる。だいたい、途中からCDのパッケージやなくて、パッケージのオマケでCDが付いている、みたいになってしもうたもん。
杏: まぁ、レコードやCDも記録媒体にすぎひんから、広い意味でのパッケージに入るんかもやで。たしかに、記録媒体の過剰なパッケージングは、歌を再生するという本来の目的が隠れてしまう要素が強いけど。
ム: あとちょうど、印刷のデジタル化が日々進んでた頃やろ。「iMac(初代スケルトン・1998年)」が発売されてデザイン人口も爆発的に増えた。古い印刷機や製版機材からDTP対応の新しい機械に変わっていって、印刷会社はわりと大がかりな設備投資をしてたとか。で、その経費を早く回収する為に、機械をフル稼働せなあかんかったと。それがあの頃のJ-POPのブームと上手く重なって、ああいうパッケージ合戦が加速していったんちゃうかな。
杏: 90年代後半か。失われた十年っていわれてた時代やん。バブルの後始末でどんどん景気が悪くなっていって、山一證券の破綻(1997年)が一つの象徴になってな。で、ミレニアム、2000年という節目の前年にゼロ金利政策(1999年)が実行されたことで、銀行は融資先を求め、企業にとっては金借りるためのいい後押しになってたってことやろか。なんかヴェーバーみたになってきたな。
ム: 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」か。「ポップ・ミュージック界の産業構造と資本主義の関係」とかブってみるか。

MaxWeber-Die Protestantische Ethik.jpg
岩波文庫「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」マックス ヴェーバー(大塚久雄/訳)


杏: 確かに掘り下げてみたらおもしろそうなテーマやな。まぁ、直接的な要因ではないやろうけど、間接的に経済や金融政策とかが環境を整えるってことはあるやろうと思ったり。
ム: CDやレコードって歌に込めたメッセージを布教するためのマテリアルなわけやから、あながち外れてへん気はする。ミュージシャンとファンとの関係って、神と信者の関係と同じで信仰の一種やもん。日本人は特に絶対的な信仰心があるわけでもないから、何かすがるものを潜在的に欲している感じはする。ティーンエイジャーの頃なんて特にそう。
杏: キリスト教の布教が一気に広まったんも、グーテンベルクが印刷機を発明して、聖書の量産ができるようになったからやろ。それまで一般大衆は教会へ行くことでしか、聖書の内容に接する機会がなかった。そう考えるとネットですぐに情報やデータをアップロードして、それが読めたり聞けたりする時代ってスゴイよな。
ム: 岩に図像を刻んでいたものが、動物の皮に文字を刻むようになり、やがてそれが紙に変わって、新聞、ラジオ、テレビに移る、で、今はインターネットか。
杏: ソフトとハードの関係が技術の進歩を追うごとに、複雑に絡んでくるよな。
ム: ソフトを見るために新しいハードができて、新しいハードができて、それに合ったソフトが作られて。
杏:まぁ、でも基本は人間の五感で感じ、そこから出てくるもんやから、そう根本がくつがえるような劇的変化はないと思うんやけど。
ム: で、なんでポール・マッカートニーのレコジャケからメディア観に話変わってんねん。
杏: じゃ締めくくりに「名もなき詩」歌いまーす!
ム: やーめーろー!!

 〜なんとか歌い終わり話はまた戻る。
ム: おわー、なんか俺の耳ん中でISISとボコハラムが暴れまわってたぞ(といって耳を押さえる)。
杏: 何失礼なこと言うてんねん。
ム: お前の音痴度、相変わらずの破壊力。
杏: 俺の歌ったあとはぺんぺん草も生えません。おい、何いわせんねん。
ム: 歌う世界三大"テロール"に入れるんちゃうか。
杏: えへ、ペヘテロー。
ム: アホか。まぁでも「羊」といえばやっぱ「沈黙」なんやけどな「羊たちの沈黙」。
杏: ジョディ・フォスター、クラリス。
ム: レクター博士、かっこいい。
杏: ジョナサン・デミ監督な。あれいつ頃?
ム: 1991年公開。トマス・ハリスの原作は1988年。
杏: えーそんな前になるんや。全然そんな感じせえへんわ。いい作品てのは古くならへんってことか。
ム: いや、ほんまそう。俺が思うに、純度の高い本物はいつまで経っても劣化せず、粗悪な流行りモノはすぐに朽ちてしまう。さっきの100円ワゴンのJ-POPソングにも通じるところがあるけど。で、知ってた? 最初ジョディ・フォスターがトマス・ハリス(原作者)のあの小説の権利を買おうとしてたって話。
杏: え、どういうこと?
ム: ジョディ・フォスターが、小説で描かれているクラリス像を気に入って、自分で映画を作ろうとしたみたい。で、いざ版権を買い取ろうとしたら、すでに誰かの手に渡ってて、それを突き止めていくとジョナサン・デミが監督することで映画化の話が進んでたと。クラリス役もミシェル・ファイファーにほぼ決まりかけやったんが、ギャラでもめたらしくミシェルは降板。ちょうどそのタイミングで、ジョナサン・デミ監督に直談判して、クラリスの役を勝ち取ったとか。けっこう制作前の段階で波乱があったみたい。撮影中もジョディのクラリス役への思い入れが強すぎて、ジョナサン・デミとえらい揉めてたって本に書いてあった(「妹ジョディ・フォスターの秘密」より)。
杏: へーそうなんや。でも、監督はジョナサン・デミでよかったと思う。あの映画は、ジョナサン・デミ独特の映像タッチでないと成り立たんような感じはする。
ム: 妙な雰囲気つくって、うまいこと心理描写をするもんな。見てる側がカメラ・ワークと同化して、なんかドキドキしてまうもん。
杏: ジョナサン・デミといえば、もう一つ。
ム: トーキングヘッズの「Stop Making Sense(1984)」!

StopMakingSense-Poster-wiki.jpg
"Stop Making Sense" Talking Heads


杏: いや、もうこれやろ。
ム: おう、これの影響は絶大や。ビデオ・テープの画像が溶けるくらい見たわ(VHSテープは再生を繰り返し過ぎるとノイズが増え画質が粗くなって、ムニャムニャした映像になる。映像作品の売り物はあまり質のいいテープでなかった為、すぐに画質が劣化していた)。この時のデヴィッド・バーンのかっこよさといったら。
杏: ダブダブのスーツでな。たしか、この映画を見てニュー・オーダーが自分たちの曲のPV(パーフェクト・キス)をジョナサン・デミに依頼してんな?
ム: そのへんよう知らん。でも「パーフェクト・キス」って短編映画見てるようないい映像やと思う。「羊たちの沈黙」とも通じる緊張感があって。
杏: 9分半もあるんよな。一応この時代って、MTV全盛の頃なんやで。a-haの「テイク・オン・ミー」やマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」、ワムの「ケアレス・ウィスパー」とかと同じ頃。
ム: うそー。そっか、お茶の間ではそういうのがよう流れてたもんな。
杏: バンド・エイドとかUSAフォー・アフリカとかな。
ム: うわ、懐かしい。
杏: あれ、1985年やからちょうど30年前になる。バンド・エイドは去年末、またアフリカの為になんかやってたやん。エボラのチャリティか。
ム: 30年前は飢餓で、今は疫病か。じゃあ、USAフォー・アフリカも30周年という締めくくりになるから、なんか準備してるんかな。
杏: アメリカ国内が荒れてきてるから、USAフォー・アメリカになるんちゃうか。
ム: 共食いしてどーすんねん。
杏: 自作自演の極みや。
ム: そういや、「パーフェクト・キス」のPVってMTVとかで流れてた?
杏: 二三回なら見たで。
ム: ほんま? 一応流れてたんやな。俺は「サブスタンス」のビデオ版で見てたから、テレビの番組で見た記憶があんまないんよな。

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New Order ‎– Substance 1989 (Video)
http://www.discogs.com/New-Order-Substance-1989/release/1227026
監督やプロデューサー等、製作陣のクレジットが詳しい。


杏: 今やったらユーチューブですぐに見れるから、あのころの苦労というか、情報の集め方ってもう考えられへん。でも、なんか知らんけどいつの間にか知ってるみたいなとこあって不思議よな。
ム:なんやろな、口コミ? でも、あれやで「サブスタンス」のビデオもヨーロッパ版はPAL方式やったから、日本のビデオ機材(NTSC方式)では再生出来ひんかって、ブート・コピーかアメリカ版のヴィデオを買わなあかんかった。確かアメリカ製のビデオってあんま画質が良くなかってんな。ま、どちみちPAL対応の機材もってへんかったから、俺の買ったんはアメリカ版やってんけど。
杏: あったなぁ、PAL。見たいのに限って「PAL方式、日本で再生できません」って注意書きしてあって、レコード屋でえらい悔しい思いした。
ム: それは良心的な店やぞ。何も書いてへんで、買ってうち帰ってみたら何も映りませんとか、そういう売り方してる店もあったし。まぁでもだいぶクレームきてたんやろな、そのうちちゃんと表示するようになってたけど。
杏: じゃ、このへんで「Perfect Kiss」見るか。
ム: ユーチューブで、どうぞ。

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New Order "The Perfect Kiss" Fac 123 (May 1985)


■ Christopher Bucklow "Guest" series
http://www.chrisbucklow.com/guests.html
クリストファー・バックローはピンホール・カメラの原理を利用し、カメラを使わずに写真作品を制作している。代表作「ゲスト」シリーズは、友人たちを光で描いたポートレート作品。1994年ごろに制作開始。

■ Christopher Bucklow "GUEST" / EMON PHOTO Gallery
http://www.art-index.net/art_exhibitions/2009/11/christopher_bucklow_guest.html
*日本での展示は2009年に行われた。


2014年11月20日

ビル・スミスのデザイン

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Genesis "Abacab"
Acrylic on paper (corrugated cardboard) Nov. 2013 / 220 x 273mm

アバカブ - wiki
ジャケット・デザインは4種類のカラー・バリエーションがあり、初回盤はエンボス加工になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%96


長らく(商業的なグラフィック)デザインの仕事をやってきてつくづく感じたこと(と書くと少し苦労の痕跡が見えるので、"しみじみ"と言った方がしっくりとくるか)がいくつかある。そのうちの一つは、グラフィック・デザインは決して何かを作り上げるものではない、ということだった。早い話、デザインは「Oから1にする」といったことではなく、すでにある「1(以上の数字)」に対してどういったアプローチをしていくか、そう考えが行き着いた。ものわかりのいい人なら、すぐに分かるようなことだろうけど、こんなシンプルな答えがわかるまでに、十年以上もかかってしまった。ただこれは、先に言ったグラフィック・デザインに限ったことで、プロダクトやファッション・デザインはまた異なる。自分の意志で図案を作り出すプロダクトやファッション・デザインと、他者から動機を与えられ、はじめて自分の手を動かすグラフィック・デザイン、どちらもデザインという大きなくくりの中にはあるが、二つの違いは大きい。0と1、1と2。数字の差だけを見ると両方とも同じ1なのだが、二つには途方もない隔たりがある。

見渡せばいたるところに、グラフィック・デザインが溢れている。意識して改めて見ると、氾濫といってもいいくらいに。中身をうまく伝えているものもあれば、ただ目立ちさえすればいい、それだけのものもある。もちろん、見た目とは逆に何も伝わってこないものだって沢山ある。一目見ただけで、それらをすぐには区別できなかったりもする。デザインの質を計る尺度は一定ではないので、見分けるのは簡単ではない。確かに、工夫あるデザインは目に留まりやすいし、印象にも残るのだが、見かけや仕掛けに惑わされることなく、何を表すためにデザインしたのだろう? とじっくり素直に見てやれば、案外、優劣はわかるものだ。しかし、グラフィック・デザインを突き詰めてみると、それは誰かの生み出したコンテンツから派生したものにすぎない。先に言った「他者から動機を与えられ、そこではじめて自分の手を動かすということ」。ここに決定的な弱さがある。グラフィック・デザインについて考えていくと、最終的にはどうしてもここにたどり着いてしまう。ひとつの壁、この根本に触れずには何も進まないし、またこの部分を越えたとしても、その先には何もない。皆うすうす気づいているんだろうけど、誰もあまり触れようとはしない。きっと、自分たちの行為に対する否定になるからなのだろう。しょせん飾りとして、作り出されたイメージというのは、陽炎にすぎないのだ。言葉の並び方からグラフィック・デザインに対し、少し悲観的な見方をしているように思われるとやや僕の主旨とは反する。グラフィック・デザインというものを、必要以上に美化する必要もないし、またその反対でもない。(商業にまつわる)デザインなんて、そんなものだという風に、ありのままに見ていればきっと、正しいあり方が見えてくるように思う。それでも時代の雰囲気や特徴はきっと表れているだろうから、決して無意味なことではないとは思う。
また媒体・メディアの持つ力による後押しがあれば、たいていのものが良く見えてしまうものだ。デザインをしていると、そういったことをついつい忘れがちになって、自分が何か特別なものを作ったような錯覚に陥ってしまう。同化現象、あるいは玉の輿症候群とでもいうのだろうか。張りぼての表面に色を塗っているうちに、それを本物の物体だと自分自身が最初にだまされてしまう。誰かが頭をひねり生み出したさまざまなコンテンツ、それらを抜きにして(グラフィック)デザインは存在はしない。デザイナーはそこを勘違いせず、謙虚であるべきだと思う。はじめのうちは、自分のデザインしたものが店頭に並んだり、街のどこかにポスターなどで貼られたりしているのを見て喜んでいたりしたが、どれほどいい仕上がりのものだったとしても、常に何か虚しいものが残ってしまう。取り替えのきくものと、単体で存在するオリジンとの違い、二つが逆転することはない。
自分自身、随分とこういった思い違いをしてきたけれども、グラフィック・デザインは翻訳に非常に近い技術職のひとつなのだなと、思うようになった。もう少し踏みこんで言うと、カウンセリングの要素も混じってくるところがある。クライアントの頭の中にある未結像のイメージを、視覚的な形で翻訳していく、といった図式がしっくりとくるのだけれども、さてどうだろう。

さらに今は"イラストレーター"をはじめとしたデザイン・ソフトの機能が多彩になった。ハウトゥー本も沢山出ているので、それを読みながらソフトを使えば、誰もが手軽にデザインできてしまう。そして、そのクォリティも非常に高くなってきている。ある一定のルールさえ覚えてしまえば、パズルを組むような感覚で、プロと同等のセンスあるものができる。ツールの恩恵。ウォーホールの言葉が思い出される。テレビに出れば誰でスーパースターになれる、と、彼はメディアの本質と虚をよくわかっていた。置き換えると、"イラストレーター"を持っていれば、誰でもデザイナーになれるのだ。ずいぶんとデザインの敷居が低くなったようにも思うのだけど、本来、デザインってその程度のものだったのかもしれない。消費のサイクルに連動した寿命の短いグラフィックデザインなら、メッキでも十分に事足りるということを証明しているようだ。これまであった、デザインに対する"特別感"や何かの"難しさ"は、ソフトの性能が向上したことで、いとも簡単に崩れてしまった。また、メディア・媒体の力の低下も、いくぶん寄与しているように思う。おかげで、特に頭をひねらなくても、なんだかカッコイイものが出来上がってしまう。パッと見た限り、長年その道でやってきたプロのデザイン物と、三日でソフトをマスターしたビギナーのデザインとを、区別するのはけっこう難しくなってきているようにも感じる。技術的な部分がソフトの性能でカバーできるようになってしまったのなら、いったいどこで違いが現れるのだろうか。最終的には頭の中、アイデアになるのだろう。クライアントの望むイメージを汲み取り、そしてそれを見るであろう人たちの求めるものを、平面の中に組み上げる。そういった力を持っていなければならない。デザインをやっていると、つい技術的なことや細かな事にこだわりがちになってしまう。しかし、デザイナーの誇りたい技術的なこだわりなんていうのは、見る側の立場になってみると、正直どうでもいいものだったりする。デザイナーが一番腐心しなければならないのは、自分のセンスや技術を、与えられたデザイン仕事に盛り込むことではなく、クライアントのメッセージをいかにシンプルに、目的の人たちに伝わるようにするか、そこにつきるのだと。

と、前置きが少し長くなってしまったが、ビル・スミスの仕事(Design Works)を見ていると、デザインすることについての多くを学べ、またそれについて考えさせられる。
「いいデザインっていったい何だろう?」と。
彼の手がけるデザインは、目立ちこそしないものの、注意深く見ると職人的な丁寧さがあり、勉強になる。ビル・スミスのデザインは、ピーター・サヴィルやヒプノシスとは対極の存在だが、もっともデザイナーらしいデザイナーではないかと、個人的には思っている。
サヴィルやヒプノシスのデザインには「自分たちの作品」を作っているのだという意識が強く感じられ、一般的なデザイン世界のルールから見ると、彼らはかなり特殊な部類に入るものだ。だから、彼らを手本にしデザインを考えてしまうと、とんでもない方向にいってしまうだろう。あくまで例外中の例外、そういう目で見ておかないと、うまく落とすところがなくなってしまう。彼らの手がけるレコード・ジャケットのデザインは、中身の音楽を見事に視覚化し、音のイメージを僕たちに伝えてくれる。それでいて、自分たちの美的な感覚をしっかりと折りこんでいるのだから、本当にたいしたものだ。一方、ビル・スミスの手がけるデザインには、これといった特徴がない。レコード・ジャケットの隅に印刷された制作者クレジットを見て、そこではじめて彼が手がけたデザインだったと気づくことも多い。それは、彼のデザインは、その時々であらゆる変化を見せるからだ。どんな景色の中にでも姿を隠せる忍者のように、気配を消し溶け込んでしまう。しかし、誰がデザインしたのだろう? と気になってレコード・ジャケットを開け、クレジットを見てしまうわけだから、質の高いデザインをしていることに変わりはない。少し逆説的な言い方だが、彼のデザインは個性を消すことで、個性を出す、という特徴があるんじゃないだろうか。


1975年「オクトパス・ブックス」のアート・ディレクターだったビル・スミスは、1976年から1978年までポリドール・レコーズのアート・ディレクターとして働くことになる。そこで、ニュー・ウェーブのミュージシャンのジャケット・デザインを手がけるようになり、1978年ポリドールを退職しビル・スミス・スタジオ(BSS)を設立する。そこから本格的にレコード・ジャケット・デザインの仕事をするようになった。ビル・スミスはこれまでに3,000枚近いレコードのジャケット・デザインを手がけているが、その中で僕が一番好きなものはザ・キュアーの初期の何枚かとジェネシスの「アバカブ」だ(キュアーの三枚目「Faith (1981)」のヘルベティカの使い方なんて、ほんとゾクっとする)。この何枚かは、このときのビル・スミスでなければ思いつかないだろうヴィジュアル・デザインで、極めてまれなことだが、音楽とジャケット・デザインの必然性が明確にあるように思う。ピンク・フロイドの「原子心母」、ニュー・オーダーの「ブルーマンデー」のヴィジュアルにも匹敵するデザインだと言ってもいいくらいだ。特にザ・キュアーのファースト・アルバム「Three Imaginary Boys」のアートワークは、彼の手がけた中でも特にアーティスティックで印象深い。このレコードには曲名の表記が一切なく、ジャケット、レーベル面には曲を表す何か記号のようなもの(イラスト&写真)が印刷されているだけだった。付属のインナー・シートが密室トリックの見取り図ようでとても遊び心があり、さらにミステリアスなイメージを膨らませてくれる。このレコードを手に取ったファンたちは、まるで、ミステリー小説の謎解きをするかのようにして、レコードを聴く格好になる。曲名がわからないままアルバムを聴き続けるというのは、何か不安な気持ちと、未知なるものに触れているという期待感が混じり合い、拮抗する緊張感のようなものが漂う。そしてこのアルバムの音、がらんとした廃墟感のようなものが、よりいっそう聴く側の「戸惑い」を増長した。僕はこのレコードを輸入盤で買っていたため、本当に「ザ・キュアー」のレコードなのか? と疑ってしまったものだ。(品質管理のルーズな)輸入盤だから、間違って別のミュージシャンのレコードと入れ違いになっているんじゃないだろうかと、疑心暗鬼なまま耳を傾けていた。さらにいうと、初回盤は確か、バンド名の「The Cure」という文字も入ってなかったということだから、もし、これを買った人たちは誰のレコードなのかすらわからずに、聴いていた可能性がある。アメリカでリリースされた際には、ジャケットのイメージが(アメリカ人には)分かりにくいと懸念されたのだろう、アルバム・タイトルが「Boys Don't Cry」と変わり、ピラミッドの描かれたイラストがジャケットに使用され、収録曲も少し編集されている。

謎解きアルバム「Three Imaginary Boys」はジャケット・デザインからして、謎めいていた。電気掃除機、冷蔵庫、フロアスタンドの三つのアイテムがピンクの背景の中で並んでいる。おそらくイギリスのどの一般家庭にもある家電製品なのだろう。当時は三人だったThe Cureのメンバーをそれぞれ比喩的に置き換えたものなのか、それともまた別の意味があるのかよくわからないが、ザ・キュアーの音楽を一枚の写真でうまく表している。そして、僕は、ジャケットに写っている家電製品の中で、どうしても電気掃除機に目がいってしまう。芝刈り機みたいで、日本の掃除機とはえらく形が違うのだなと、ずいぶん気になって眺めていたものだ。このアルバムのジャケットにもある電気掃除機については、ひとつ興味深いことがある。「Three Imaginary Boys」のリリースは1979年。ほぼ同じ時期にアメリカの現代美術作家ジェフ・クーンズが「The New」というシリーズで、同じ電気掃除機を使った作品を発表している(1979-1980年中頃)。これは、吊したりアクリルケースの中に入れた掃除機を蛍光灯で照らし展示したもの。お店のディスプレーを展覧会会場にそのまま持ち込んだような、人をバカにしたような作品だが、現代の消費社会を表現したコンセプチュアル・アートとして話題を呼んだ。日常幾度となく見ているお店のディスプレーには、消費者の願望に訴求する何かが潜んでいるはずだ。それをひとつの美術作品として展示し、日常の中から切り離してやると、同じ物でもまた違った見え方がするんじゃないかという、批評的な意図がある(だいたい、こんな感じの解釈だと思う)。
「Three Imaginary Boys」のジャケットとジェフ・クーンズの「The New」の二作品。コンセプトや意図は全く違うだろうけれど、どうも僕には何か繋がりがあるように思えてしまう。ただ電気掃除機が同じモチーフになっているだけで、そう決めつけるなんて少し強引だと思われるかもしれないが、新しいヴィジョンを探し求める人たちのアンテナは意外と同じものを嗅ぎ分けて受信しているものなのだ。そこでふと想像する。ジェフが「Three Imaginary Boys」を見て作品のヒントとしたのか、それともビル・スミスがジェフ・クーンズの作品を見て「Three Imaginary Boys」のアイデアにしたのか。いや、同時代の感覚が違った場所で同じような物を生み出す例も数多くあるから、まったくの偶然かもしれない。むしろイギリスとアメリカ、海を挟み遠く離れた二つの場所で、掃除機という同じモチーフが同時多発的にアイコンとして使われたという話の方が興味が増す。僕が一つ面白いと感じたのは、掃除機のそばにある明かりがイギリスではシェードのかかった白熱ランプで、アメリカでは無味白色の蛍光灯だったということ。ヨーロッパの伝統と、そこから離脱した新大陸の文化の違いが、こういうところに現れているんじゃないだろうかと見た。



● ビル・スミスの手がけた代表的なレコード・ジャケット(画像は"Discogs.com"から)
モッズ・バンドのザ・ジャムから歌姫ケイト・ブッシュ、さらにキワモノ・バンドのジグ・ジグ・スパトニックまでと幅が広い。彼は、これまでに3,000近いレコード・ジャケットをデザインしてきた。
BillSmith-Works.jpg
The Jam "In The City" (1977)
The Cure "Three Imaginary Boys" (1979)
Kate Bush "The Sensual World" (1989)
Sigue Sigue Sputnik "Flaunt It" (1986)


● The Cure "Three Imaginary Boys" のインナーシート、レーベル、裏ジャケット。この当時は印刷原稿を、版下・写植文字で作成していたため、良く見ると切り貼りしたあとが見える。
このアルバムには、曲名クレジットが一切なく、曲をイメージしたイラストや写真、またそれをアイコン化したものが、ジャケット、レーベル面に記されているだけだった。イメージ化された図版と実際の曲名を下に記してみた。曲(歌詞等)と図版(イラスト&写真)がちゃんと合っているのがわかる。ワトソン君、君には簡単すぎたかな?
TheCure-ThreeImaginaryBoys-Inner.jpg
01) 10.15 Saturday Night(黒電話)
02) Accuracy(左目に重なった標的マーク)
03) Grinding Halt(信号機の止まれマーク)
04) Another Day(ベッドとシーツ)
05) Object(三角錐のイラスト)
06) Subway Song(地下道に引かれた人型白線)
07) Foxy Lady / *ジミヘンのカバー(歩く女の人を撮ったポラロイド)
08) Meathook(肉を吊るすフック)
09) So What(銀色の塩のパッケージ)
10) Fire in Cairo(ピラミッドとヤシの木のイラスト)
11) It's Not You(ごったがえする海水浴場の写真)
12) Three Imaginary Boys(表ジャケットの写真)

JeffKoons-TheNew-newhooverconvertible-1980.jpg
Jeff Koons - New Hoover Convertible, "The New"
ジェフ・クーンズの「ザ・ニュー」シリーズの一作品。他の作品は下記リンク先で見れる。
http://www.jeffkoons.com/artwork/the-new


■ arkade
Interview with Bill Smith - Album Cover Designer Extraordinaire!
http://www.arkade.com/content/Content/Recent+Articles/Bill+Smith+Album+Cover+Design
ビル・スミスのインタビュー記事

2014年10月15日

レコジャケについてのあれこれ


 長年にわたって中古レコード屋に通っていると、ジャケットに手を触れて匂いを嗅いだだけで、どの時期に発売されたものかおおむねわかるようになる。重さとか紙の手触りなんかで、「これはオリジナルだ」とか「これは再発だな」とか瞬時に見分けがつくのだ。

「村上ラヂオ」村上春樹・文、大橋歩・画、より
新潮文庫(p85)"世界は中古レコード店だ"


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人間の指先の感覚がすごいのか、それとも長年の経験から得たものがそう思わせるのだろうか、村上さんがこのエッセイの中で言っていることは、そう大袈裟なことじゃない。これを読んで、中古レコードを探している人って同じような感覚があるのだなと思ったりした。

僕もその昔、中古レコード屋によく通っていたころは、店の箱棚にあるレコードを手にした瞬間に、それがどの国で製造されたモノかがだいたいわかるようになっていた。特徴のあるものだと、レコジャケの厚みや質感、そして重さから何かピン! とくるものがあって、「クリムゾンだ」「これ、マザーズのファーストか」といった風になったりした。ジャケットのまさぐり方もこなれてくると、熟練マジシャンがトランプのカードをきるように、指先でレコードを一枚一枚素早くはじくようにして見ることが可能になってくる。なんというか、レコード・ジャケットを指の先でホイップするような感覚で、扱うようになっているのだ。右手で最初のレコードを持ち上げた瞬間、左手でその手前のレコードをつまみ、それとほぼ同時に右手に持っていたレコードを手離し、また手前のレコードを持ち上げる。これを棚の奥から手前へと目にもとまらぬ早業で一気に行う。おおよそひと呼吸の間に。調子がいいときは、レコードが曲線を描きながら空中に浮いているように見えて、自分の技に自分自身で見とれてしまったり、なかなか壮快だったりする(レコード店主は、きっとこの"因幡の白兎状態"になるこのレコードの扱い方を快くは思っていなかっただろう)。もちろんそのときは、目の速度がレコードに追いついていかないので、ジャケットの残像しか残らない。指先の感覚だけが、それが誰の何のレコードなのかを感知する唯一の頼りになっている。よく通っている店だと、不思議なことにそこにストックされてる何百枚というレコードを、なくなんとなく手の感覚だけで覚えていたりする。「これは、ずっと売れ残っているやつだ」「あれ? これは新入りか?」「ああ、誰かが検盤して、(付属の)ブックレットを逆に入れているぞ(綴じ側にわずかな厚みがあるため、入れ方によっては片方がぼってりとする)」なんていう風に、目をつぶっていても店の在庫状況や盤の状態をだいたい把握していたりして。そして、どういうわけか目当ての一枚をつかんだ瞬間、(ジャケットを見なくても)自然に手がぴたりと止まるのだ。

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Re-issue! Re-package! Re-package!
Re-evaluate the songs
Double-pack with a photograph
Extra Track (and a tacky badge)

Lyrics from "Paint A Vulgar Picture" by The Smiths

"再発だ! 新装パッケージで! 曲を再評価して。
写真を付けて豪華仕様に。追加曲も加えて(あと安っぽいバッジも)"
ザ・スミス「ペイント・ア・ヴァルガー・ピクチャー」より

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各国でリリースされたレコード・ジャケット(もちろん同じタイトルのもので比較)をパッと見たかぎりでは、色やデザインの違いというものに、そう大きな違いはないのだけれど、手にとってみると、その差はけっこう明白だ。その国の印刷技術の精度やレコードに対する考え方が如実に現れているようで、非常に些細な違いなのかもしれないが、比較してみるとなかなか面白い。
例えば、日本盤はとにかく印刷がきれいだ。ジャケットの土台になる厚紙に、非常にしっかりとしたボール紙を使用しているため、繊維の密度が高い。つまり手にしたときに、みっちりとした感触があり、また印刷面には発色がよくなるようにと、非常になめらかな化粧紙が貼られているので手触りがいい。当然ジャケットの色合いも彩度が良い。その為、くすんだ色合いや、濁りというものがなくなるので、ジャケット・デザインによってはなんとなく深みがないというか、少し安っぽい印象になる。まぁ、このあたりは好みによる差が大きいので、気になる場合とそうでない場合がある。
イギリス盤になると、がたんと紙の質が落ちる。紙に腰がないというか、三回目のアレのような感じで、一応堅さはあるんだけれども、どこかフニャフニャした感じが否めないというか、そういった類の柔らかさがある。紳士の国のしなやかさと解釈しておこう。ただ、紙質はあまり良くないのだけれども、救いは風合いというか手にしたときの感触がわりと心地よいこと。
アメリカ盤は大柄。そして紙がぶ厚い。繊維が多分荒いのだろう、厚みがあってごついわりにどこかスカスカしていて、見た目の印象よりも軽い。そして、紙表面のならしがわりと雑なため、やや凸凹していて、手にしたときにざらりとした感覚がある。また、アメリカの廉価盤や良く売れているものはシールド(ヴィニール・パック)しているものがけっこうあるため、四隅や角っこがクニャっとひん曲がっているものが多い。シールド・パッキングはアメリカ盤にある特徴のひとつで、これはきっと広大な国のハードな輸送に耐えうるように採られたひとつの策なのだと思う。
匂いに関しては、日本盤はおおむね無臭、アメリカ盤にはほこりっぽさがあり、英国・ヨーロッパ盤はよくわからない匂いがする。

これらのことがあてはまるのは1960年代から1990年はじめの頃までで(*1960年代以前のものはあまり見たことがないので知らない)、それ以降はCDの普及でプレス工場などの閉鎖が続いた為に、その数はずいぶんと減った。また印刷データのデジタル化が普及しはじめ、設備を一新したりする流れもあったのだろう。最近のものはレコード全盛期にあったような、ジャケットの特徴は少なくなってきているように思う。

それにしても、レコード・ジャケットというのは面白い存在だなと思う。本来は、音を記録したヴィニールの円盤を保護するための包装材にすぎないのに、いつのまにか中の音楽を視覚的に伝えるアイコンになっていたり、またジャケット自体が独自の作品になり、音楽とリンクすることで、「レコード」そのものが表現媒体になっていたりする。