2019年09月22日

エドワード・ゴーリー「ウィロウデイルのトロッコ」を少し訳してみた

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エドワード・ゴーリー「ウィロウデイルのトロッコ 〜黒人形の帰還〜」( 1962 )
"The Willowdale Handcar or the Return of the Black Doll " by Edward Gorey

(メインタイトルに続く "or" は副題を指す表記で、"あるいは" の意味ではないと思う)



しばし間があいてしまったけれど、前にちょっとだけ触れた、エドワード・ゴーリーの絵本「ウィロウデイルのトロッコ」の日本語訳(&エトセトラ)を少し書いてみたいと思う。僕の持っている「ウィロウデイルのトロッコ」は Bloomsbury Publishing のもので、ハードカバー。2004年11月刊、印刷はシンガポール(海外の写真集や画集はシンガポールや香港で製本されているのが多い)。サイズは6インチ(約15.4cm)正方、ちょうど手のひらサイズくらいの形態だ。全部で30ページ分あり、一枚の挿絵とそれに関した短いテキストがそれぞれ1ページ、見開いた右側ページに収まっている。表紙以外は全てモノクロ。現在もいくつかの出版社から出ていて、絶版にはなってないようだ。なお、この作品の日本版は絵本としては出てなかったので「おっと、もしやwebで初訳になるのか?」なんて思っていたんだけれど、あとで調べてみたところ、すでに「ミステリマガジン」で掲載されていた。2006年6月号の「ミステリマガジン 〜特集・鉄道ミステリの旅〜」がそう。ただ、13年以上も前の雑誌になるので当然取り寄せなどはもうできない。古書店巡りなどで入手するのもやや難しそうだが、いま時分、ネット・オークションで検索すればさほど苦労せずに探し出せるとは思う。
試し読みを兼ねたゴーリーの作品紹介みたいな感じで、全体の約1/4にあたる8ページ分の訳を下に貼ってみる。まず話がはじまる冒頭の4ページ、そして適当にピックアップした4ページを。最後の方は結末に繋がるので選べなかった。なるべくシンプルな日本語になるようにした。これをきっかけに、ゴーリーの絵本に興味を持つひとが一人でも増えてくれたら嬉しい。


今回は、画像とテキストで長くなりそうなので、はじめに簡単な目次を書いておく。
1)ゴーリー「ウィロウデイルのトロッコ」の訳(抜粋8ページ分)。
2)「ウィロウデイルのトロッコ」について
3)エドワード・ゴーリーが絵本作家になる前、出版社のイラストレータ時代の作品いくつかと、同時代にいたアンディ・ウォーホールとの関係。


■ 「ウィロウデイルのトロッコ」(抜粋8ページ分の訳)
Japanese translated by Tagong-Boy / Original text & Illustration by Edward Gorey

「ウィロウデイルのトロッコ」は30ページという短い物語にもかかわらず、登場人物と地名がやたらと多く出てくる。ほぼ毎ページごとに場面が大きく変わり、その度に新しい登場人物と新しい地名が現われ、ストーリが進んでゆく。特に舞台となる街の名や地名は、ダブルミーニング的な洒落や、意味ありげな名称になっており、物語の展開を何か暗示しているような素振りを見せるのだが、通して読んでみると何も関連はなかったりもする。話の伏線と思わせるものが単なる言葉遊びにすぎなかったりする(もしかすると日本人にはわかりずらいニュアンスなのかもしれない)。ページをめくたびに、登場人物と地名の数が膨らみ、読み手の中で話がどんどん広がってゆく、そうして最後には何か全部が繋がっていくんじゃないだろうか? なんていう期待が芽生えると同時に、登場人物の多さと話の展開が速すぎるせいで頭の中がこんがらがってしまうところもある。一度読んだだけでは、とっ散らかっている印象の方が強いかもしれないが、全体を貫くどこかとぼけたようなユーモアと、人間のもつ何か暗い一面をほのかに感じさせるゴーリーのちょっと不気味な絵が、散らばった断片をつなぐ有能な接着剤になっているようにも思う。読んでいると想像力が駆り立てられ、本に描かれた以外の世界へと誘ってくれる不思議な物語。

以下、登場人物を挙げてみた。全部で14人いる。

・主人公三人のエドナ、ハリー、サム。
・最初に遭遇する女の子、グレイス・スプロケット。
・ボガス・コーナーズで喫茶店を営むクイーヴィル氏。
・ターニップ・ヴァレー急行の特等車に乗っていたネリー・フリム。彼女はミス・アンダーフット神学校でエドナと親友だった。
・続いて、電信技師をしているディック・ハマークロウ。彼はネリーの恋人で行方知れずになっているネリーを探している。
・金融業を営むティタス・W・ブロッター氏。彼はグリッスルバーグ近くの断崖絶壁に建つ屋敷に住んでいる。
・車に乗った男。ネリーの恋人ディックに関することをわめいて走り去る。
・エドナのいとこ、ゼフ・クラッグス氏は犬耳ジャンクションに住む電柱絶縁体のコレクター。
・郵便鞄用のフックに吊り下げられた赤ん坊。この女の子はネリーにそっくりで、主人公三人によってストーブ・パイプシティの孤児院に引き渡される。
・ヴァイオレット・スプリングのレジーラ・ダウディ夫人。詩を書くのが趣味らしい。
・ソグマッシュ川でカヌーを漕いでいる男。
・サムの同郷人、ウムラウト氏。


P1-2
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 とある夏の午後、ウィロウデイルにて。エドナ、ハリーそしてサムの三人は何かありやしないだろうかと、鉄道駅へぶらりでかけた。
One summer afternoon in Willowdale Edna, Harry, and Sam wandered down to the railroad station to see if anything was doing.

 プラットフォームには、空っぽの木箱がある以外何もなかった。「おい、見ろよ!」引込み線に乗ったトロッコを指さし、ハリーが言った。「なぁ、あれに乗って出かけようぜ」
There was nothing on the platform but some empty crates. 'Look!' said Harry, pointing to a handcar on the siding. ' Let's take it and go for a ride. '

* "One summer afternoon" : 小説や童話なんかでは、きっとありふれた冒頭の文になるのだろうけれどこの書き出しはとてもいい。すっと物語に入っていけるし、何かわくわくする感じがある。トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び(The Crying of Lot 49)」の冒頭も同じ書きだしだ。"One summer afternoon Mrs. Oedipa Maas came home from a Tupperware party..." というふうに続く。


P3-4
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 すぐに、彼らの乗ったトロッコは猛スピードを上げ、線路を滑走した。泥水の池を掘って遊んでいた幼いグレイス・スプロケットは、そのトロッコが走ってゆくのをうらやましげに見つめていた。
Soon they were flying along the tracks at a great rate. Little Grace Sprocket, playing in a homemade mud puddle, watched them go by with longing.

 線路の先にある隣町“ボガス・コーナーズ”でトロッコを停め、三人はクイーヴィル氏の店でソーダ水とジンジャー・ビスケットを注文した。「ウィロウデイルはどんな様子だい?」クイーヴィルさんがたずねた。「退屈だねぇ」と彼らは口を揃えた。
At Bogus Corners, the next town down the line, they stopped to buy soda pop and gingersnaps at Mr Queevil's store. ' How are thing over in Willowdale? ' he asked. ' Dull ' they said.


P11-12
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 グリッスルバーグに近づくと、断崖絶壁の上に宮殿風のお屋敷が見えた。「あれはだな、金融業を営むティタス・W・ブロッター氏 の家で“高度ゼロ邸”って呼ばれてるんだ。雑誌の写真で見たことがある」とサムは言った。
Near Gristleburg they saw a palatial mansion on a bluff. 'That's O Altitudo,' said Sam 'the home of Titus W. Blotter, the financier. I saw a picture in a magazine.'

 数日後、一台の車が近寄ってきて彼らの横に付けた。運転手は走り去る前に、ディックに関する何か意味不明なことを大声でわめいた。
Several days later a touring car drew up alongside them. The driver called out something unintelligible concerning Dick before he shot away out of sight.

*HOLIDAY誌掲載時の「The Imprudent Excursion」との違い
絵本「ウィロウデイルのトロッコ」と「The Imprudent Excursion」では、一部違っている箇所がある。
以下最初に発表された「The Imprudent Excursion」のもの。
Near Gristleburg they saw a mansion on a bluff. 'That's' 0 Altitudo, said Edna, 'the home ofTitus W. Blotter, the financier. Come to think of it, Nellie is his upstairs maid.'
「ウィロウデイルのトロッコ」と「The Imprudent Excursion」では、セリフ箇所で若干の違いがあり修正があったようだ。「ウィロウデイルのトロッコ」でのサムのセリフ部分は、「The Imprudent Excursion」ではエドナが喋っていることになっている。また、「The Imprudent Excursion」では、ネリーはブロッター氏の家政婦であることになっている。



P17-18
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 数ヶ月が過ぎ去った。だが、彼らはまだウィロウデイルには戻っていなかった。
Some months went by, and still they had not returned to Willowdale.

 三人は廃墟と化したクランプトン造酢所を訪れた。ここは、去年の秋、不可解な爆発によって破壊されていた。
They visited the ruins of the Crampton vinegar works, which had been destroyed by a mysterious explosion the preceding fall.



■ 「ウィローデイルのトロッコ」と著者エドワード・ゴーリーについて

● エドワード・ゴーリー(1925〜2000)
 アメリカの絵本作家。1953年、出版社ダブルデイの専属イラストレーターとして挿絵やイラストレーションの仕事を始める。仕事を終えたあとも社に一人残り、自分の創作活動である絵本の原稿を描きためていた。1960年、別の出版社に移籍したのち、絵本作家として独立する。ゴーリーの作風は、ティム・バートン作の映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」にも大きな影響を与えていたりする。

 「ウィロウデイルのトロッコ」は1946年から1977年まで刊行されていたアメリカのヴィジュアル旅行雑誌「HOLIDAY」の1962年5月号が初出だ。掲載時は現在の「The Willowdale Handcar」ではなく「The Imprudent Excursion(思いつきの遠足)」というタイトルだった。同年Bobbs Merrill社よりソフトカバーの形態で出版され、その際に「The Willowdale Handcar」と改題した模様。ゴーリー初期の作品になり、ここに登場する地名や場所、ボガス・コーナーズ(Bogus Corners)、チャツネ滝(Chutney Falls)、不機嫌峡(Peevish Gorge)やペネトレイリア(Penetralia)等々は、のちの作品にも度々現われ、ファンにとっては意味深い一作になっている。

 当時の「HOLIDAY」マガジンにはカポーティやジャック・ケルアック、スタインベック、フォークナー、ヘミングウェイ、A.C.クラークなどの有名作家が原稿を寄せ、また他にも写真家H.C =ブレッソン等の人気アーティストが参加している。ゴーリーもこの時代、注目を浴びていた一人だったことがうかがい知れる。なお、一度廃刊(休刊?)したはずのこの「HOLIDAY」マガジンは、2014年4月にフランス人アートディレクターのフランク・ デュラン(Franck Duran)によって37年ぶりに復刊する。ヴィジュアル面を強く押した体裁は変わってないみたいだ。新しくなった現「HOLIDAY」マガジンは年2回の季刊発行。

雑誌掲載時の「The Imprudent Excursion」は、いくつかのwebサイト・BLOGで見る(読む)ことができる。しかも全ページ。画質を気にしなければ、どんな物語と作風だったのか、だいたいの雰囲気はつかめるだろう。下に2つほどリンクを貼っておく。


「HOLIDAY」マガジンに掲載されたゴーリーの「The Imprudent Excursion」(現「The Willowdale Handcar」)
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GARAGE SALE FINDS - "A Gorey Holiday" (May 29, 2015)、より
http://garagesalin.blogspot.com/2015/05/a-gorey-holiday.html

HOLIDAY - “THE IMPRUDENT EXCURSION” by Edward Gorey – May 1962
https://holidaymag.wordpress.com/2012/06/16/the-imprudent-excursion-by-edward-gorey-may-1962/


■ エドワード・ゴーリーが出版社時代に手がけたイラスト、そしてアンディ・ウォーホールとの関係
ゴーリーは、1953年から1960年まで「ダブルデイ・アンカー社の美術部門(Art Department of Doubleday Anchor)」で勤務していた。ほぼ同じ時期、1950年の後半には若かりし頃のアンディ・ウォーホールもダブルデイのフリーランス部署におり、リビング・デザインの本や味気ないビジネス書のイラストを描いていた。下にゴーリーとウォーホールのイラストをいくつか貼ったので参照を。二人とも線画という共通点はあるものの、絵のタッチがまったく対照的なのが面白い。ゴーリーは細かく描きこみ黒インクで紙を埋めていくタイプ。一方ウォーホールは線の数をなるべく少なくし極力シンプルに、紙の余白を生かした上でページ全体のバランスをとるスタイルだ。絵の世界に入りこんでゆくゴーリーと、描く空間を俯瞰しながら余計なものを排除してゆくウォーホール。同じ出版社の中で、二人の交流、あるいは接点がどれほどあったのかはわからないが、1950年代の約10年間をイラストレーターとして過ごし、1960年になるとそれぞれ作家の道へと進んでいったという共通点があるのが興味深い。ゴーリーは絵本作家として身をたてるようになり、ウォーホールは現代美術(ポップ・アート)の作家として華々しく世に出ていくことになる。同じ時代、同じ場所の空気の中で、歴史に残る作家性が育まれたことに、当時のアメリカに渦巻いていた大衆文化の中心点がどこにあったのかが振り返ってみえる感じだ。

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* 画像は右リンク先より:http://www.lib.luc.edu/specialcollections/exhibits/show/gorey/looking-glass-library/war-of-the-worlds
H.G.ウェルズ「宇宙戦争」(H. G. Wells "The War of the Worlds", 1960 / Looking Glass Library)
ゴーリーがイラストを担当した新装「宇宙戦争」は、ルッキング・グラス・ライブラリー・シリーズのVol.21として刊行。このタイトルは、現在もほぼ同じデザインで「New York Review of Books Classics」から出ている。

Looking Glass Library

https://seriesofseries.owu.edu/looking-glass-library/


EdwardGorey-Illustration-BookCover-1953-55.jpg
* 画像は右リンク先より:https://tagong-boy.tumblr.com/post/186332601386/

カフカ「アメリカ」(Franz Kafka "Amerika", 1955 / A Doubleday Anchor Book)
ジョセフ・コンラッド「密偵」
(Joseph Conrad "The Secret Agent", 1953 / A Doubleday Anchor Book)
ディケンズ「荒涼館」(Charles Dickens "Bleak House", 1953 / Doubleday & Company)


Loyola University Chicago Digital Special Collections
http://www.lib.luc.edu/specialcollections/exhibits/show/gorey/
ロヨラ大学のデジタル・アーカイヴの中に、ゴーリーのページがあって、幼少時代、学生時代の絵や、イラストレータとして勤務していた出版社時代に手がけた挿絵の数々が見れる。



■ 1950代にアンディ・ウォーホールが描いた商業イラスト
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* 画像は右リンク先より:https://tagong-boy.tumblr.com/post/187849648341/
1959年出版の「Best In Children's Books」より

AndyWarhol-Illustrations-1950s.jpg
* 画像は右リンク先より:https://tagong-boy.tumblr.com/post/187848927036/
ヴォーグやハーパス・バザーなどのファッション誌より

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2019年07月17日

アナログ派なもんで

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「響け!ユーフォニアム」の熱気もちょっと落ち着いてきたところで、近く、とある絵本の紹介と合わせて簡単なあらすじの訳をしてみようかなと(ユーフォの新情報が出なければ多分)。上の絵をみてピン! とくる人もいるだろうと思う。ここ数年人気のエドワード・ゴーリー。わりと初期の作品から。
PC上で文字の直しとか手直しすると、どうもうまくいかないので、ちょっと長めの文章書いたりするときは、一度紙に出力してから書き直ししたりしている。なので、少しタイムラグができてしまうし面倒なんだけど、モニタ上でみる文字と紙に落とした文字では、読み方が全然ちがうような感じがする。断然、一度紙上の文字を見ながら校正したほうが、いい風にできるような、まぁ錯覚なのかもしれないんだけれど。



展覧会『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』が練馬区立美術館で開催
原画などの資料約350点を展示
https://spice.eplus.jp/articles/241128
今年の9月29日から展覧会があるのか。
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2018年12月10日

リスペクトール生誕98周年

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わ。グーグルのトップ画面、クラリッセ・リスペクトールだ。



才能は見えない香りで引き寄せ合う。(2017年07月21日)
http://tavola-world.seesaa.net/article/perfumegenius-clariceLispector.html
以前書いたダイジェスト。グーグルのトップになると、やっぱり調べる人多いのか飛んでくる人多かった。

リスペクトールは、カエターノ・ヴェローゾの妹、マリア・ベターニアの歌詞も書いている。


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2018年11月03日

100年前のSF

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http://tagong-boy.tumblr.com/post/179623601366/

「眺めのいい部屋」や「インドへの道」で知られているE. M. フォースターだけど、このところはすっかり忘れられた存在になっている感がある。フォースターの書いた短篇でSF小説があるのを知って、今夏読んでいた。英文はパブリックドメインになってるのかなってないのか、よくわからないがネットでは全文みれる。近く、訳したのを上げてみようかなと。画像は冒頭の一文。詩的ですごく美しい英語。
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2018年06月16日

ジョイス三冊

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wordsworth classics 版のジョイス三冊。「ダブリナーズ」「若い芸術家の肖像」「ユリシーズ」


今日はジョイスを祝すブルームスデイ。それにちなんで、ジョイスの本の話を。
ペーパーバックは安いとはいえ、やっぱり輸入しているからその分ちょっと高かったりする。何冊か買おうとすると、それなりの値段になってしまう。ジョイスの本に関していえば、ワーズワース・クラシックスというのがあって、そこから出ている彼の代表的な3冊は一冊500円以下のワンコインで買える値段で売られている。為替変動とか、季節によって値段がコロコロ変わるんだけれども、とには300円台のときもあって、こんな値段で利益出るの? という不思議な価格設定。ジョイスの作品に広く親しんでもらうために、利益度外視の普及活動的な意味合いがあるのかもしれない。まぁ理由はともかく、読者にとっては嬉しいものだ。タイミングよければ、上の3冊が1,000円以内で買えるときだってある。なかなか原書はね、という人でも、これ位の値段なら、一冊くらい手元にあってもいいんじゃないかと思えるだろうし、そこからペーパーバックの世界に入るきっかけになるかもしれない。ユリシーズはさすがに読むのは難しいけれども、短篇集二つ、「ダブりナーズ」と「若い芸術家の肖像」は意外とページ半分くらいなら辞書なしでも読めたりする。値段は安いが、注釈もしっかりしていて「Two Gallants」にでてくる奇妙なセリフ"That takes the buiscuit!"は"that wins the prize"or"that's the best story yet"という意味だとかで、こういった独特の言い回しもニュアンスがわかるようになっている。


「もうすぐだな、6.16」(2018年06月02日)
http://tavola-world.seesaa.net/article/459727281.html
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2018年02月22日

カヴァン「氷」の記事を二つ



今年はアンナ・カヴァン没後50周年にあたる年。もう年も開け2ヶ月を過ぎた頃だから、そろそろ何かアニバーサリー的な動きがあってもいいような気もするけれど、そういった情報はまだみかけない。あまりの音沙汰なさぶりに、あれ、もしかして勘違いしてた? なんて自分の記憶に疑いをもってしまったりする。去年ペンギン・クラシックスから出たペーパーバック「Ice」に関する記事が海外サイトでちらほらと見かける程度でちょっと寂しいけれど、まだあと10ヶ月はあるから今何か準備をしているところなのかも。それまでは下の記事でも読んで、今一度復習しておこおう。

ジョナサン・レセムがペンギン版に寄せた序文がなかなか良さそうなので、ちゃんと読んでみたい気もする。下記ザ・ニューヨーカーの記事で少し触れているが、彼は「氷」をポーやカズオ・イシグロ、安部公房と同じ扱いで見ているようだ(そしてバラードの「クラッシュ」を近い部類に)。レセムが序文を書いていた時点では(2017年の5月ごろに出版のインフォがあったので、それ以前に原稿は上がっていたと思う)、カズオ・イシグロがノーベル文学賞受賞を受賞するとは思ってもいなかっただろうから、なにかタイムリーなところがある。

僕も2年前「氷」について書いたとき、安部公房と通じるように感じていた。ひさしぶりに思い出したんでちょっとそれをリンクしておこう。あとの2つのリンクはニュー・ヨーカーと、ザ・ミリオンズという本やアートに関するオンライン・マガジンのもの。


アンナ・カヴァン「氷」(2016年03月27日)
http://tavola-world.seesaa.net/article/431718176.html



A Haunting Story of Sexual Assault and Climate Catastrophe,
Decades Ahead of Its Time

by Jon Michaud (November 30, 2017)
https://www.newyorker.com/books/second-read/a-haunting-story-of-sexual-assault-and-climate-catastrophe-decades-ahead-of-its-time


Anna Kavan’s Ice Age Dreams
by Gregory Ariail (November 21, 2017 )
https://themillions.com/2017/11/anna-kavans-ice-age-dreams.html

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2017年07月16日

アンナ・カヴァンの短篇「The Old Address」を英語で読む

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現在出ている、アンナ・カヴァンの短篇集「ジュリアとバズーカ」の英国版ペーパーバック。

この短篇集には全部で13の物語が収録されている。まだ収録作の全部を読んではいないので、読み終わったものから、少しづつ各ストーリーについて、日本語訳を交えつつ書いてみたいと思う。そして、僕はまだカヴァンの小説を多く読んでいるわけでもないし、何か書評を書けるほどの詳しい知識を持っているわけでもないんで、ただストーリーを追って、あらすじのようなものを書くかまとめるぐらいの事しか出来ないが、この短篇集を読み終える頃には、多少カヴァンについてのことを言えるくらいにはなっているかも。


about KAVAN
アンナ・カヴァンは1968年に亡くなり、2年後の1970年に「ジュリアとバズーカ」という短篇集が Peter Owen Publishers から出版された。日本では1981年にサンリオSF文庫から刊行されたが、この文庫シリーズそのものがなくなってしまった為に長らく廃刊状態になっていた。根強いファンがいたことと、多分、人気ラノベ・シリーズ「ビブリア古書堂の事件手帖」の中で取り上げられていたことが復刊を後押しする一番のきっかになったんだろうと思う。そして、2013年に文遊社からソフトカバー本の形態で待望の復刊。表紙カバーは羽良多平吉さんによる洗練されたデザインになって、もちろん現在も入手できる。出来れば文庫化してほしい。
また、今年はカヴァンの遺作となった「氷(Ice)」の刊行50周年にあたり、来年2018年はカヴァン没後50周年の年でもある。きっと本国イギリスでは、ちょっとしたカヴァン・リバイバルが起きるんじゃないかと思う。その余波が届いて日本でも、少しは盛り上がりを見せるんじゃないかと、今から期待してみたり。


カヴァンの物語・作風は、きっと好きな人と嫌いな人が大きく分かれるだろうと思う。小説は、ところどころ、しかも唐突に意味のわからない場面が現れたりし、はじめは戸惑い困惑する。その部分をすんなりと受け入れられれば、あとは彼女の描く内面と空想、そして現実の入り混じったカヴァンの世界にすっかり引きずり込まれてしまうだろう。読んでいる間は、カヴァンの物語の中に自分も身を置けるせいか、その世界に馴染めるのだけれども、しかし本を閉じ、少し離れてしまうとやっぱりどこか何かが変なのだ。奇妙な物語の残像、破片、残骸、そうしたものが記憶の隅に無造作に散らばる。そうして、しばらく経ってから急にふと「ん、そういえば?!」みたいな感じで、物語の断片が頭の中をよぎり、そのシーンをまた確認するために読み直してみたりと、読み手の頭の中に入ってしまったストーリーや言葉たちが、何かをきっかけにして(あるいは気まぐれで)時限装置が作動したみたいに、ときどき誘発することがある。そのときに、頭の中に浮かぶイメージが不思議につながり、読むたびに、読むほどに新鮮な発見を生んで、少し中毒がかったようになる。短篇ではその密度が高いように思う。カヴァンの魅力をうまく評している山形さんの文章があったので、以下紹介。評自体は「アサイラム・ピース」という短篇集のもので、「ジュリアとバズーカ」についてではないが、カヴァンの(説明しずらい)作風そのものについてを書いている感じがあるし、すごく的確にカヴァンのことを言っているので、僕はすごく納得いった。




 アンナ・カヴァンの作品は、しばしばカフカ的だと評される。抽象的で正体不明な人々。意味不明の裁判。強大な権力を持ち、自分を抑圧する謎めいた組織。理由すらわからない収容施設。その中で主人公「私」はなすすべもなく翻弄(ほんろう)され……。
 その不安、悲しみ、絶望をカヴァンは描く。だが、一方でカヴァンの作品は奇妙な感傷に満ちている。不当な抑圧に怒り悲しむ自分は、単に無力なだけではない。憎み、軽蔑しているはずの抑圧者に、自分は依存している。それどころか、むしろ積極的に協力して自主的にかれらにとらわれているのが自分自身なのだ。


書評:「アサイラム・ピース」アンナ・カヴァン by 山形浩生(book.asahi.com)、より
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013030400005.html
予備: http://archive.is/E0OTq




Old edition's cover design
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画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/161508664326/
画像左は、Peter Owenから出た「ジュリアとバズーカ」のハードカバー初版本の表紙。これは表題作「ジュリアとバズーカ」に登場する長髪の女の子ジュリアをイメージしたものだと思う。 そして、右側はアメリカの出版社「W.W. Norton」から1985年に出た同タイトルの表紙。こちらは「Fog」という短篇のイメージ画を表紙にもってきたように思える。



about "The Old Address"
「The Old Address」はこの短篇集、冒頭の物語で、全13話ある中で最も短いストーリー。わずか6ページしかない。Peter Owen のペーパーバック版は、一般的なサイズよりひと回りサイズが小さい。組版をみると、1ページが最大33行、一行あたり平均約 9単語並んでいるので、1ページに約300語ある計算だ。これにページ数を掛け(1ページ丸まるない場合は行数でカウント)、この短篇の総語数をざっくりと数えてみると、おおよそ 1,600語だった。
この短篇「Old Address」はちょうど去年の今ごろ、僕が初めて英文で読むのに挑戦した小説で、とても思い入れある作品だ。以下、原文の一部を少し引用しつつ、僕の訳と合わせ、この物語の粗筋を書いてみようと思う。以前やった J.G. バラード「The Atrocity Exhibition」のときのように、一度訳したものを母に見てもらって、分からなかった箇所などを直した。なお、現在出ている文遊社の「ジュリアとバズーカ」の邦訳はまだ読んでないため、どんなふうに訳されているのかは知らない。自力でこの英語版短篇をひと通り全部読み終えてから、どれくらい違っているのか、あるいは共通する部分があるのかを見てみたいし、楽しみにしている。ではどうぞ。



■「昔の住所」アンナ・カヴァン (“The Old Address”)
Japanese translated by Tagong-Boy / Original text by Anna Kavan
* Summarizing part:要約


- p13 / first line -

 その日、私が部屋を出るための荷造りをしていると看護師が入ってくる。彼女は背が10フィート(約3メートル)ほどあり、その事実を隠すかのように、いつも前かがみの姿勢で糊のきいたエプロンの下にあるポケットに手を入れている。彼女は「患者の持ち物」と記した大きな封筒を片手に持っていて、私に手渡す。
 「これは必要ないだろうけれど、もうあなたは退院するのだから返さなければいけない」
 私は受けとる。なんだかとても変な気分だ。
The day Sister comes in while I'm packing to leave. She's about ten feet tall, and, as if to disguise the fact, usually adopts a slouch and keeps her hands in her pockets under the starched apron. Now, however, she has a big envelope marked Patient's Property in one hand, which she holds out to me.
 'You won't need this, but we have to return it to you now you're being discharged.'
 I take it. How very odd.



主人公である「私」は、とある病棟にいて退院の準備をしているところだった。そこに担当の看護師が現れ、持ち物一式の入った大きな封筒を渡される。その封筒に触れると、中には円筒形注射器が入っていた。「私」は紙越しにその形を確かめ、しばし夢心地になる。しかし、看護師のいる手前強がりを見せ、「いらない」と言い放ち、封筒ごとゴミ箱に捨ててしまう。しかし、看護師が無言で去ってゆき、もう戻ってこないことを確認するや否や、ゴミ箱に捨てたさっきの封筒を拾い自分の鞄の中に仕舞いこむ。そしてコートを着、病棟を抜け出そうと試みる。もし見つかったときのことを考え、廊下を歩く途中に色々な言い訳を考えるが、その心配をよそにあっさりと外へと出れた。そして玄関の階段を降り歩道に立ち、感慨深く叫んだ。



- p14 -

 再びの外、これで自由だ! もちろん、まだ後ろめたい気持ちがある。これからもそうなんだろう。何も感じない。自分の意志でここにいるという不思議さを除いては。数歩あるくと、不穏で奇妙な気配がする。これは私の知っている世界じゃない。私は周囲を見回す。人ごみ、高層ビル、車で溢れかえった道路を。全てが、錯乱し、不吉で、狂っている。
 歩道に沿って大群衆が押し寄せ、誰かとぶつからずには身動きできない。無駄に人間の顔を探す。仮面やマネキン、ゾンビの群れだけが、やみくもに走り過ぎ、突き進む。険しい顔の行政官らが街角の台座から私をにらみつける。冷酷で敵意あるまなざし、射抜くような目が、疑いの毒矢となって私を貫く。私がどこから来たかを知っているかのように。
 I'm outside again. Free. Also, of course, I'm still guilty, and always shall be. I don't feel anything much though, except that it's strange to be out here on my own. After a few steps strange equates with disturbing. This isn't the world I know. I look all round, at the crowds, the skyscrapers, the mass of traffic. It all looks delirious, ominous, mad.
 There's an absolute mob surging along the pavement, you can't move without bumping into someone. I search in vain for a human face. Only hordes of masks, dummies, zombies go charging past, blindly, heads down. Stern condemnatory faces of magistrates glare at me from their pedestals at street corners.
Cold enemy eyes, arrow-eyes, pierce me with poison-tipped suspicion, as if they know where I've come from.



道路を埋め尽くす車の轟音が響きわたる中、「私」はある変化が起こっていることに気づいた。



空は異常な光で満ち、その光は暗黒世界で全てのものを不気味に見せる。そして悪しき陰謀がその空の中に吊り下がっている。恐ろしい何かが起こっている、あるいは起きようとしているみたいだ。
 The sky is full of unnatural light, which is really a darkish murk and makes everything look sinister, a black conspiracy hanging up there in the air. Something frightful seems to be happening, or going to happen.


車と車は激突し合い原始獣のように暴れまわり、まるで戦場の中に放り込まれたみたいな状況と化す。そして、ぶつかってクラッシュした車からは、潰れた部品が動物の内臓さながらの様相で飛び出し、「私」は混沌とした状態の中に置かれる。そんなさなか、突然ある車が「私」をめがけ突進してくる。「私」はそれに立ち向かう。機関車ほどの大きさをした鋼鉄の暗殺者が全力でぶつかり、「私」は砕け散り、ずたずたに引き裂かれてしまった。「私」はその場所に倒れつつも、鯨のように血を吹き上げる。しかも、その血は途絶えることなく空高く噴出し、やがて周囲一帯を血の海に代え、大洪水となって流れでた。「私」に敵意を抱く歩行者たちは「私」の血を浴びると、なぜか咳き込み肺が詰まって窒息しはじめる。「私」の血は彼らにとって猛毒だったのだ。「私」はそれを見て歓喜し、いまこそ復讐のときなのだと悟った。血の海は深さを増し、背が立たないほどまでになっていた。「私」は悪態を放ちながらあらゆる手段を使って、この中でもがき溺れる敵たちにとどめを刺す。手当たり次第ぶん殴り、やつらを沈めてしまう。ここで大きく場面が展開する。



- p16 -

突然ショーは終わった。 不意に頭上で雷が撃つ。稲妻を放ち火をつけながら、二股に分かれたまぶしい閃光が空に燃え上がる。またたく間に空が一面の炎に覆われ、焼き尽くされ、煙と化した。テントの壁のような、すすけた帆布が大きく広がってる以外、空があった場所には何も残っていない。光が異常であっても、そこにあるものが奇妙に見えても不思議ではない。街、そしておそらく世界全体が、太陽や月、星の明かりから遮断され、 この巨大なテントの下に閉じ込められているときには。
 私はなぜ(自分が)自由になったと思っていたのだろう?
 Suddenly the show's over. Sudden lightning strikes over head. A forked tree of building brilliance flarers up the sky, setting fire to it as it goes. In a flash, the whole sky is a sheet of flame, consumed, gone up in smoke. Nothing is left where the sky used to be except an expanse of grimy canvas, like the walls of a tent. No wonder the light's unnatural and things look strange, when the city, and most likely the whole world, is imprisoned under this gigantic tent, cut off from the sun, moon and stars.
 Why did I ever imagine that I was free?



「私」は状況が一変したことに唖然とする。得体の知れない巨大な壁に取り囲まれ、一転絶望からくる無念さに支配される。そして冷静に脱出する手だてを思案するも、永遠に閉じ込められる恐怖には勝てず、無我夢中でその壁を壊そうと爪でレンガを引き剥がしモルタルをむしりとる。もがき、あがき、格闘する。



- p17 -

本当に恐ろしい。私は空を眺めずに生きていけるような人間ではない。それどころか、1日に何度も空を見ないと気がすまない。星がそうであるように、空の一部になりたいのだ。閉所恐怖症の冷たい指先が私に触れ、ぞくっとさせる。こんなふうに閉じ込められてたまるものか。何がなんでも、逃げ出さなければならない。
It's too ghastly. I'm not the sort of person who can live without seeing the sky. On the contrary, I have to look at it many times a day, I'm dying to be a part of it like the stars themselves. A cold finger of claustrophobia touches me icily. I can't be imprisoned like this. Somehow or other I must get out.



「私」は助けを求め、必死で周囲を見渡すが、人の姿は一切なく、誰も近くにはいない。また「私」は全人類に裏切られ、見捨てられてしまった。そう心の中で叫ぶ。そして、車の洪水と激突音が再び戻ってくる。ビルとビルに挟まれた薄暗い溝からは、子供たちのすすり泣きやジャンキーの悲鳴・叫び声、救急車、パトカーのサイレンがとめどなく湧き上がってくる。



なぜ私はこんな暴力と、孤独と残酷さの悪夢に閉じ込められるのだろう? 宇宙は私の心の中だけに存在するのだから、私がここにある忌まわしい、腐敗した場所を生み出したに違いない。私は心の中でひとりぼっちに生きている。そして、自らつくった壁に閉じ込められ、ただ一人、窒息するまで押しつぶされている。
 Why am I locked in this nightmare of violence, isolation and cruelty? Since the universe only exists in my mind, I must have created the place, loathsome, foul as it is. I live alone in my mind, and alone I'm being crushed to suffocation, immured by the walls I have made.


「私」は自問する。今まで、目の前に現われていた世界は、自分の心から生み出されたものだったんじゃないか、と。ひとり孤独でいる自分が周囲に壁を作って、勝手にその中で閉じ込められたと思いこんでいただけなんじゃないか? そして、その恐ろしい世界を見て恐怖が増幅し、ループする。「私」は絶望で頭が混乱し、錯乱状態になる。一生こんな世界の中で暮らしていかなければいけないのか? といった恐怖に蝕まれ全身に痛みを覚えるも、思考はある方向に集約してゆく。この状況を変えるには、好意的な見方で世界を受け入れるまでは何も起こらないだろう。そう結論付ける。

最後はこんなふうにして終わる。



- p18 / final line -

この幻覚と恐怖からなる地獄から抜け出さなければならない事だけはわかっている。私は、こんな残虐な牢獄には、もう一秒たりとも耐えれない。
私の見つけた脱出する術がたった一つだけある。言うまでもなく、忘れてはいなかった。
そうして今、私は無我夢中になって通り過ぎるタクシーに手を振り、中に転がり込む。そして昔の住所に急ぐよう運転手に告げるのだ。
I only know that I must escape from this hell of hallucination and horror. I can't endure my atrocious prison a moment longer.
 There's only one way of escape that ever discovered, and needless to say I haven't forgotten that.

 So now I wave my arm frantically at a passing taxi, fall inside, and tell the man to drive to the old address.


読後感想
この短篇は、一番最後のフレーズがタイトルになっている。読んでいる最中には、突拍子もない幻想世界が次から次へと展開し、何でタイトルが「the old address」なんだろう? と全く意味が分からないまま不思議でいたが、最後にそうした疑問が集約されてうまく繋がった。最後の箇所は、日本語訳も少し語順を変え「そして急いで行くよう運転手に告げるのだ、"昔の住所" へと。」とした方がより原文の雰囲気が出せるのかもしれない。
カヴァンは重度のヘロイン中毒だったらしく、この短篇の冒頭での退院するシーンは更正施設のような場所を描いているんじゃないかと思う。そして、一旦は退院し外の世界に出たものの、禁断症状から生まれた幻覚が現れ「私」を、もとの世界に戻るように誘惑する。それが突然、奇妙な世界の場面となって描写されている。「私」を取り囲むすべてのものが敵に見え、「私」はひたすら孤独になってゆく。そうした中、薬物中毒から更正した「私」を誘惑する悪いやつらは=憎むべき敵として描かれ、「私」は(麻薬による)幻覚の誘惑に魅了されつつも、そいつらを自分の血(更正しようとする意志)で溺れさせ、何とか本来の自分を取り戻そうと葛藤する。しかし、敵もそう甘くはない。より強固な手段で「私」を取り囲み、自分たちの側に引き込もうとする。がしかし、「私」はここで大事なことに気づくのだ。自分に襲い掛かってくる敵たちは、自分自身の心の中で生み出したものだということに。そして、その根本部分を変えなければ一生、その輪、循環の中からは脱出できない。「私」は自分を救う一つの方法があったことを思い出し、実行する。それが「昔の住所」へと急行することだった。この「昔の住所」がどこなのかは、読者の想像・解釈によって色々とらえられるようになっていて、余韻の続く終り方になっている。僕は、病棟に入る前、まだ中毒患者になっていない健康だった頃に「私」がいた場所なんじゃないかと思ったけど、どうだろう。





2017年06月24日

カポーティとアヴェドン

Penguin-Capote-Avedon.jpg
"In Cold Blood" and "Breakfast at Tiffany' " (Penguin Modern Classics)
* 画像は出版社HPより


アマゾンを見てたときにちょっと気になるペーパーバックのカバー・デザインが目に入り瞬間手が止まった。白地にややハイキーなモノクロームの写真、そして淡いミントブルーの文字色が、すごくおしゃれ。著者はカポーティで、彼の小説いくつかが同じフォーマットで数タイトル並んでいて、見ているうちに欲しくなってくる。そこで使われていた文字の色が、モノクロの写真に良くあっていて一段と上品な印象を受けた。カポーティの「ティファニーで朝食を」に引っ掛けたわけじゃないはずだが、たまたま宝石ブランドの「Tiffany」のキー・カラーに近い色だったので、その高級なブランド・イメージと結びつき、きっと読者には、より洗練されたブック・カバーとして受け止められる感じもする。(昔のペンギン・ブックスは、例えばオレンジはフィクション、緑は推理小説、紫はエッセイ等と、ジャンルによってベース・カラーを変えていたようなので、最近ロゴ色がオレンジからライトブルーへと変わったのには何か理由があるんだろうと思う。)

特に「冷血」での、Mugshot風ポートレート写真(Perry Smith と Dick Hickock)の使い方は上手だと思えた。今まで出版されていたこの小説のブックカバーになっていたタイポグラフィやイメージ写真で構成されたものより、断然説得力がある。ペンギンのHPには、新しくモダン・クラシック・シリーズで刊行するカポーティの各タイトルは、リチャード・アヴェドンの写真を使用、との記事があって、ああ、どうりでどれもいい写真だったんだと、妙に納得いった。
アヴェドンの写真は構図が完璧すぎて、一枚の絵としての完成度、あるいは純度が高すぎるという面がある。それゆえ全くの隙がない為、写真の中に文字を入れたりトリミングするのが非常に難しい。はじめから商用目的で撮ったものには(レコジャケや広告など)、まだレイアウトできる余地は残しているが(アヴェドンは意識してやや緩く撮ってはいると思う)、自身の作品であるほどにそうした要素は消えてゆく。そのことが関係しているのか、今回の一連のタイトルではどれも、ネガのふちを入れたフル・フレーミングの写真をそのまま使っている(もしかすると、アヴェドンの写真を管理している財団が D.アーバス財団のようにトリミング等の不可というメッセージを出しているだけかもしれない。ただそうであったとしても、アヴェドンの写真は何かデザインの「素材」として加工することには向いてない)。

まぁ、このモダン・クラシックから新しく出ているものは、写真のセレクションがほんと絶妙で、ヘンリー・ミラーの「Rosy Crucifixion」三部作にはエリオット・アーウィットの写真を使っていたり、物語の世界を表した一枚をほんと的確に、そして今の時代に合わせたものを選び出している。
https://twitter.com/penguinpressart/status/652479205322682369


On Truman Capote and Richard Avedon (Cover story)
https://www.penguin.co.uk/articles/on-writing/cover-story/2017/jun/truman-capote-and-richard-avedon/

2017年06月20日

カヴァンの "Ice" とサージェント・ペパーズ

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Anna Kavan "Ice" (Penguin Modern Classics) / * 画像は出版社HPより
https://www.penguin.co.uk/books/305663/ice/

アンナ・カヴァンの「氷」が刊行50周年ということで、今年の11月14日、ペンギン・クラシックスから50th アニヴァーサリー版が出る、というのは先月に書いたんだけど、もうひとつ、表紙カバー違いでペンギン・モダン・クラシックスからも出るみたいだ。J. G. バラードのキャッチコピーが、どうにもカッコイイ! 今のところ、まだアマゾンでもこっち版は表示されてなく、出版社のHPのみでしか見れないので、ほんとつい最近出版が決まったばかりなのかも。HPにはペンギン・クラシックス版が208ページ、そしてモダン・クラシックス版は180ページとあり、30ページ弱少ない。文字組の大きな違いでなければ、ペンギン・クラシックス版に収録されている序文とかが割愛されているのかもしれない。それとも、それぞれに編集が違っていて、もし表紙の延長で、バラードの文章が載っているのならモダン・クラシックス版の方を読んでみたい気もするが、発売されるまでは分からないだろうな。ちなみに現在出ているピーター・オーウェン版は160ページだった。

そして、今年はザ・ビートルズ「サージェント・ペパーズ」のリリースからちょうど半世紀、まぁ、こちらも50周年ということで、その記念盤がけっこう話題になっているみたい(イギリスでは1967年の6/1に発売された)。この話、つい先日まで気づかなかった。さすがに1/2世紀という時間を経た、大きな括りの記念盤だけあって、アウト・テイクとか未発表ヴァージョンが沢山収録され、確かにこれはCDフォーマットでも欲しくなる。

ということは、もちろん、カヴァンの「氷」と「サージェント・ペパーズ」って同じ年に発表された作品となるわけだが、こうして違ったジャンルの二つを結びつけてみると(そしてどちらも英国生まれなのだ)、点と点が線になり、なるほど「氷」が出版された頃のイギリスの雰囲気や世界の状況が、もう少し良くわかる感じだ(といっても僕はまだ生まれてもないんで、追いかけ、そこから想像する世界になるんだけど)。単に年号の数字だけではその時代をイメージしにくいし、ただ漠然としか分からないようなものだったりするが、自分の知っているものと紐付けし辿っていくと、またちょっと違う側面が見える感じがする。しかし、「サージェント・ペパーズ」と同級生だったとは。



50年経っても溶けない氷 (23. May 2017)
http://tavola-world.seesaa.net/article/annakavan-ice-50th.html

2017年05月23日

50年経っても溶けない氷

AnnaKavan-Ice-PenguinBooks50th.jpg
“Ice” Anna Kavan (50th Anniversary Edition) / * 画像は出版社HPより


いや、これビックリ! アンナ・カヴァンの「氷」が初刊行から50周年を記念して、今年の11月14日にペンギン・クラシックスから発売になるそう。つまりもう、古典として扱われるようになったってことになるのか。しかも、序文がジョナサン・レセム(Jonathan Lethem)という、僕的には偶然のタイミングが重なって何とも不思議なつながり(こないだ買ったばかりのペーパーバック、ヘッズの「33・1/3」シリーズ「Fear of Music」を書いた人だった)。表紙デザインがやっぱりちゃんと上品なペンギン・フォーマットになっていて、なんかいい。それにしても半年前に告知するのって早すぎるような気がするけど、こういうもん? 発売日がくる頃にはうっかり忘れてしまいそだ。
そして、来年2018年はカヴァン没後50年にあたるから、なにかちょっとしたリバイバルみたいな盛り上がりがあるといいな。


Anna Kavan now stands alongside Virginia Woolf as one of Britain’s great twentieth-century modernists.

https://www.peterowen.com/shop/anna-kavan/julia-and-the-bazooka
現在カヴァンのタイトルの多くを出しているPeter Owen Publishers(ピーター・オーウェン出版)のHPでは、20世紀を代表する英モダニズム作家のひとりとしてヴァージニア・ウルフと並ぶまでになっていると紹介されている。



Ice (50th Anniversary Edition) By Anna Kavan
http://www.penguinrandomhouse.com/books/557977/ice-by-anna-kavan/9780143131991/