2017年07月16日

アンナ・カヴァンの短篇「The Old Address」を英語で読む

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現在出ている、アンナ・カヴァンの短篇集「ジュリアとバズーカ」の英国版ペーパーバック。

この短篇集には全部で13の物語が収録されている。まだ収録作の全部を読んではいないので、読み終わったものから、少しづつ各ストーリーについて、日本語訳を交えつつ書いてみたいと思う。そして、僕はまだカヴァンの小説を多く読んでいるわけでもないし、何か書評を書けるほどの詳しい知識を持っているわけでもないんで、ただストーリーを追って、あらすじのようなものを書くかまとめるぐらいの事しか出来ないが、この短篇集を読み終える頃には、多少カヴァンについてのことを言えるくらいにはなっているかも。


about KAVAN
アンナ・カヴァンは1968年に亡くなり、2年後の1970年に「ジュリアとバズーカ」という短篇集が Peter Owen Publishers から出版された。日本では1981年にサンリオSF文庫から刊行されたが、この文庫シリーズそのものがなくなってしまった為に長らく廃刊状態になっていた。根強いファンがいたことと、多分、人気ラノベ・シリーズ「ビブリア古書堂の事件手帖」の中で取り上げられていたことが復刊を後押しする一番のきっかになったんだろうと思う。そして、2013年に文遊社からソフトカバー本の形態で待望の復刊。表紙カバーは羽良多平吉さんによる洗練されたデザインになって、もちろん現在も入手できる。出来れば文庫化してほしい。
また、今年はカヴァンの遺作となった「氷(Ice)」の刊行50周年にあたり、来年2018年はカヴァン没後50周年の年でもある。きっと本国イギリスでは、ちょっとしたカヴァン・リバイバルが起きるんじゃないかと思う。その余波が届いて日本でも、少しは盛り上がりを見せるんじゃないかと、今から期待してみたり。


カヴァンの物語・作風は、きっと好きな人と嫌いな人が大きく分かれるだろうと思う。小説は、ところどころ、しかも唐突に意味のわからない場面が現れたりし、はじめは戸惑い困惑する。その部分をすんなりと受け入れられれば、あとは彼女の描く内面と空想、そして現実の入り混じったカヴァンの世界にすっかり引きずり込まれてしまうだろう。読んでいる間は、カヴァンの物語の中に自分も身を置けるせいか、その世界に馴染めるのだけれども、しかし本を閉じ、少し離れてしまうとやっぱりどこか何かが変なのだ。奇妙な物語の残像、破片、残骸、そうしたものが記憶の隅に無造作に散らばる。そうして、しばらく経ってから急にふと「ん、そういえば?!」みたいな感じで、物語の断片が頭の中をよぎり、そのシーンをまた確認するために読み直してみたりと、読み手の頭の中に入ってしまったストーリーや言葉たちが、何かをきっかけにして(あるいは気まぐれで)時限装置が作動したみたいに、ときどき誘発することがある。そのときに、頭の中に浮かぶイメージが不思議につながり、読むたびに、読むほどに新鮮な発見を生んで、少し中毒がかったようになる。短篇ではその密度が高いように思う。カヴァンの魅力をうまく評している山形さんの文章があったので、以下紹介。評自体は「アサイラム・ピース」という短篇集のもので、「ジュリアとバズーカ」についてではないが、カヴァンの(説明しずらい)作風そのものについてを書いている感じがあるし、すごく的確にカヴァンのことを言っているので、僕はすごく納得いった。




 アンナ・カヴァンの作品は、しばしばカフカ的だと評される。抽象的で正体不明な人々。意味不明の裁判。強大な権力を持ち、自分を抑圧する謎めいた組織。理由すらわからない収容施設。その中で主人公「私」はなすすべもなく翻弄(ほんろう)され……。
 その不安、悲しみ、絶望をカヴァンは描く。だが、一方でカヴァンの作品は奇妙な感傷に満ちている。不当な抑圧に怒り悲しむ自分は、単に無力なだけではない。憎み、軽蔑しているはずの抑圧者に、自分は依存している。それどころか、むしろ積極的に協力して自主的にかれらにとらわれているのが自分自身なのだ。


書評:「アサイラム・ピース」アンナ・カヴァン by 山形浩生(book.asahi.com)、より
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013030400005.html
予備: http://archive.is/E0OTq




Old edition's cover design
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画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/161508664326/
画像左は、Peter Owenから出た「ジュリアとバズーカ」のハードカバー初版本の表紙。これは表題作「ジュリアとバズーカ」に登場する長髪の女の子ジュリアをイメージしたものだと思う。 そして、右側はアメリカの出版社「W.W. Norton」から1985年に出た同タイトルの表紙。こちらは「Fog」という短篇のイメージ画を表紙にもってきたように思える。



about "The Old Address"
「The Old Address」はこの短篇集、冒頭の物語で、全13話ある中で最も短いストーリー。わずか6ページしかない。Peter Owen のペーパーバック版は、一般的なサイズよりひと回りサイズが小さい。組版をみると、1ページが最大33行、一行あたり平均約 9単語並んでいるので、1ページに約300語ある計算だ。これにページ数を掛け(1ページ丸まるない場合は行数でカウント)、この短篇の総語数をざっくりと数えてみると、おおよそ 1,600語だった。
この短篇「Old Address」はちょうど去年の今ごろ、僕が初めて英文で読むのに挑戦した小説で、とても思い入れある作品だ。以下、原文の一部を少し引用しつつ、僕の訳と合わせ、この物語の粗筋を書いてみようと思う。以前やった J.G. バラード「The Atrocity Exhibition」のときのように、一度訳したものを母に見てもらって、分からなかった箇所などを直した。なお、現在出ている文遊社の「ジュリアとバズーカ」の邦訳はまだ読んでないため、どんなふうに訳されているのかは知らない。自力でこの英語版短篇をひと通り全部読み終えてから、どれくらい違っているのか、あるいは共通する部分があるのかを見てみたいし、楽しみにしている。ではどうぞ。



■「昔の住所」アンナ・カヴァン (“The Old Address”)
Japanese translated by Tagong-Boy / Original text by Anna Kavan
* Summarizing part:要約


- p13 / first line -

 その日、私が部屋を出るための荷造りをしていると看護師が入ってくる。彼女は背が10フィート(約3メートル)ほどあり、その事実を隠すかのように、いつも前かがみの姿勢で糊のきいたエプロンの下にあるポケットに手を入れている。彼女は「患者の持ち物」と記した大きな封筒を片手に持っていて、私に手渡す。
 「これは必要ないだろうけれど、もうあなたは退院するのだから返さなければいけない」
 私は受けとる。なんだかとても変な気分だ。
The day Sister comes in while I'm packing to leave. She's about ten feet tall, and, as if to disguise the fact, usually adopts a slouch and keeps her hands in her pockets under the starched apron. Now, however, she has a big envelope marked Patient's Property in one hand, which she holds out to me.
 'You won't need this, but we have to return it to you now you're being discharged.'
 I take it. How very odd.



主人公である「私」は、とある病棟にいて退院の準備をしているところだった。そこに担当の看護師が現れ、持ち物一式の入った大きな封筒を渡される。その封筒に触れると、中には円筒形注射器が入っていた。「私」は紙越しにその形を確かめ、しばし夢心地になる。しかし、看護師のいる手前強がりを見せ、「いらない」と言い放ち、封筒ごとゴミ箱に捨ててしまう。しかし、看護師が無言で去ってゆき、もう戻ってこないことを確認するや否や、ゴミ箱に捨てたさっきの封筒を拾い自分の鞄の中に仕舞いこむ。そしてコートを着、病棟を抜け出そうと試みる。もし見つかったときのことを考え、廊下を歩く途中に色々な言い訳を考えるが、その心配をよそにあっさりと外へと出れた。そして玄関の階段を降り歩道に立ち、感慨深く叫んだ。



- p14 -

 再びの外、これで自由だ! もちろん、まだ後ろめたい気持ちがある。これからもそうなんだろう。何も感じない。自分の意志でここにいるという不思議さを除いては。数歩あるくと、不穏で奇妙な気配がする。これは私の知っている世界じゃない。私は周囲を見回す。人ごみ、高層ビル、車で溢れかえった道路を。全てが、錯乱し、不吉で、狂っている。
 歩道に沿って大群衆が押し寄せ、誰かとぶつからずには身動きできない。無駄に人間の顔を探す。仮面やマネキン、ゾンビの群れだけが、やみくもに走り過ぎ、突き進む。険しい顔の行政官らが街角の台座から私をにらみつける。冷酷で敵意あるまなざし、射抜くような目が、疑いの毒矢となって私を貫く。私がどこから来たかを知っているかのように。
 I'm outside again. Free. Also, of course, I'm still guilty, and always shall be. I don't feel anything much though, except that it's strange to be out here on my own. After a few steps strange equates with disturbing. This isn't the world I know. I look all round, at the crowds, the skyscrapers, the mass of traffic. It all looks delirious, ominous, mad.
 There's an absolute mob surging along the pavement, you can't move without bumping into someone. I search in vain for a human face. Only hordes of masks, dummies, zombies go charging past, blindly, heads down. Stern condemnatory faces of magistrates glare at me from their pedestals at street corners.
Cold enemy eyes, arrow-eyes, pierce me with poison-tipped suspicion, as if they know where I've come from.



道路を埋め尽くす車の轟音が響きわたる中、「私」はある変化が起こっていることに気づいた。



空は異常な光で満ち、その光は暗黒世界で全てのものを不気味に見せる。そして悪しき陰謀がその空の中に吊り下がっている。恐ろしい何かが起こっている、あるいは起きようとしているみたいだ。
 The sky is full of unnatural light, which is really a darkish murk and makes everything look sinister, a black conspiracy hanging up there in the air. Something frightful seems to be happening, or going to happen.


車と車は激突し合い原始獣のように暴れまわり、まるで戦場の中に放り込まれたみたいな状況と化す。そして、ぶつかってクラッシュした車からは、潰れた部品が動物の内臓さながらの様相で飛び出し、「私」は混沌とした状態の中に置かれる。そんなさなか、突然ある車が「私」をめがけ突進してくる。「私」はそれに立ち向かう。機関車ほどの大きさをした鋼鉄の暗殺者が全力でぶつかり、「私」は砕け散り、ずたずたに引き裂かれてしまった。「私」はその場所に倒れつつも、鯨のように血を吹き上げる。しかも、その血は途絶えることなく空高く噴出し、やがて周囲一帯を血の海に代え、大洪水となって流れでた。「私」に敵意を抱く歩行者たちは「私」の血を浴びると、なぜか咳き込み肺が詰まって窒息しはじめる。「私」の血は彼らにとって猛毒だったのだ。「私」はそれを見て歓喜し、いまこそ復讐のときなのだと悟った。血の海は深さを増し、背が立たないほどまでになっていた。「私」は悪態を放ちながらあらゆる手段を使って、この中でもがき溺れる敵たちにとどめを刺す。手当たり次第ぶん殴り、やつらを沈めてしまう。ここで大きく場面が展開する。



- p16 -

突然ショーは終わった。 不意に頭上で雷が撃つ。稲妻を放ち火をつけながら、二股に分かれたまぶしい閃光が空に燃え上がる。またたく間に空が一面の炎に覆われ、焼き尽くされ、煙と化した。テントの壁のような、すすけた帆布が大きく広がってる以外、空があった場所には何も残っていない。光が異常であっても、そこにあるものが奇妙に見えても不思議ではない。街、そしておそらく世界全体が、太陽や月、星の明かりから遮断され、 この巨大なテントの下に閉じ込められているときには。
 私はなぜ(自分が)自由になったと思っていたのだろう?
 Suddenly the show's over. Sudden lightning strikes over head. A forked tree of building brilliance flarers up the sky, setting fire to it as it goes. In a flash, the whole sky is a sheet of flame, consumed, gone up in smoke. Nothing is left where the sky used to be except an expanse of grimy canvas, like the walls of a tent. No wonder the light's unnatural and things look strange, when the city, and most likely the whole world, is imprisoned under this gigantic tent, cut off from the sun, moon and stars.
 Why did I ever imagine that I was free?



「私」は状況が一変したことに唖然とする。得体の知れない巨大な壁に取り囲まれ、一転絶望からくる無念さに支配される。そして冷静に脱出する手だてを思案するも、永遠に閉じ込められる恐怖には勝てず、無我夢中でその壁を壊そうと爪でレンガを引き剥がしモルタルをむしりとる。もがき、あがき、格闘する。



- p17 -

本当に恐ろしい。私は空を眺めずに生きていけるような人間ではない。それどころか、1日に何度も空を見ないと気がすまない。星がそうであるように、空の一部になりたいのだ。閉所恐怖症の冷たい指先が私に触れ、ぞくっとさせる。こんなふうに閉じ込められてたまるものか。何がなんでも、逃げ出さなければならない。
It's too ghastly. I'm not the sort of person who can live without seeing the sky. On the contrary, I have to look at it many times a day, I'm dying to be a part of it like the stars themselves. A cold finger of claustrophobia touches me icily. I can't be imprisoned like this. Somehow or other I must get out.



「私」は助けを求め、必死で周囲を見渡すが、人の姿は一切なく、誰も近くにはいない。また「私」は全人類に裏切られ、見捨てられてしまった。そう心の中で叫ぶ。そして、車の洪水と激突音が再び戻ってくる。ビルとビルに挟まれた薄暗い溝からは、子供たちのすすり泣きやジャンキーの悲鳴・叫び声、救急車、パトカーのサイレンがとめどなく湧き上がってくる。



なぜ私はこんな暴力と、孤独と残酷さの悪夢に閉じ込められるのだろう? 宇宙は私の心の中だけに存在するのだから、私がここにある忌まわしい、腐敗した場所を生み出したに違いない。私は心の中でひとりぼっちに生きている。そして、自らつくった壁に閉じ込められ、ただ一人、窒息するまで押しつぶされている。
 Why am I locked in this nightmare of violence, isolation and cruelty? Since the universe only exists in my mind, I must have created the place, loathsome, foul as it is. I live alone in my mind, and alone I'm being crushed to suffocation, immured by the walls I have made.


「私」は自問する。今まで、目の前に現われていた世界は、自分の心から生み出されたものだったんじゃないか、と。ひとり孤独でいる自分が周囲に壁を作って、勝手にその中で閉じ込められたと思いこんでいただけなんじゃないか? そして、その恐ろしい世界を見て恐怖が増幅し、ループする。「私」は絶望で頭が混乱し、錯乱状態になる。一生こんな世界の中で暮らしていかなければいけないのか? といった恐怖に蝕まれ全身に痛みを覚えるも、思考はある方向に集約してゆく。この状況を変えるには、好意的な見方で世界を受け入れるまでは何も起こらないだろう。そう結論付ける。

最後はこんなふうにして終わる。



- p18 / final line -

この幻覚と恐怖からなる地獄から抜け出さなければならない事だけはわかっている。私は、こんな残虐な牢獄には、もう一秒たりとも耐えれない。
私の見つけた脱出する術がたった一つだけある。言うまでもなく、忘れてはいなかった。
そうして今、私は無我夢中になって通り過ぎるタクシーに手を振り、中に転がり込む。そして昔の住所に急ぐよう運転手に告げるのだ。
I only know that I must escape from this hell of hallucination and horror. I can't endure my atrocious prison a moment longer.
 There's only one way of escape that ever discovered, and needless to say I haven't forgotten that.

 So now I wave my arm frantically at a passing taxi, fall inside, and tell the man to drive to the old address.


読後感想
この短篇は、一番最後のフレーズがタイトルになっている。読んでいる最中には、突拍子もない幻想世界が次から次へと展開し、何でタイトルが「the old address」なんだろう? と全く意味が分からないまま不思議でいたが、最後にそうした疑問が集約されてうまく繋がった。最後の箇所は、日本語訳も少し語順を変え「そして急いで行くよう運転手に告げるのだ、"昔の住所" へと。」とした方がより原文の雰囲気が出せるのかもしれない。
カヴァンは重度のヘロイン中毒だったらしく、この短篇の冒頭での退院するシーンは更正施設のような場所を描いているんじゃないかと思う。そして、一旦は退院し外の世界に出たものの、禁断症状から生まれた幻覚が現れ「私」を、もとの世界に戻るように誘惑する。それが突然、奇妙な世界の場面となって描写されている。「私」を取り囲むすべてのものが敵に見え、「私」はひたすら孤独になってゆく。そうした中、薬物中毒から更正した「私」を誘惑する悪いやつらは=憎むべき敵として描かれ、「私」は(麻薬による)幻覚の誘惑に魅了されつつも、そいつらを自分の血(更正しようとする意志)で溺れさせ、何とか本来の自分を取り戻そうと葛藤する。しかし、敵もそう甘くはない。より強固な手段で「私」を取り囲み、自分たちの側に引き込もうとする。がしかし、「私」はここで大事なことに気づくのだ。自分に襲い掛かってくる敵たちは、自分自身の心の中で生み出したものだということに。そして、その根本部分を変えなければ一生、その輪、循環の中からは脱出できない。「私」は自分を救う一つの方法があったことを思い出し、実行する。それが「昔の住所」へと急行することだった。この「昔の住所」がどこなのかは、読者の想像・解釈によって色々とらえられるようになっていて、余韻の続く終り方になっている。僕は、病棟に入る前、まだ中毒患者になっていない健康だった頃に「私」がいた場所なんじゃないかと思ったけど、どうだろう。





2017年06月24日

カポーティとアヴェドン

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"In Cold Blood" and "Breakfast at Tiffany' " (Penguin Modern Classics)
* 画像は出版社HPより


アマゾンを見てたときにちょっと気になるペーパーバックのカバー・デザインが目に入り瞬間手が止まった。白地にややハイキーなモノクロームの写真、そして淡いミントブルーの文字色が、すごくおしゃれ。著者はカポーティで、彼の小説いくつかが同じフォーマットで数タイトル並んでいて、見ているうちに欲しくなってくる。そこで使われていた文字の色が、モノクロの写真に良くあっていて一段と上品な印象を受けた。カポーティの「ティファニーで朝食を」に引っ掛けたわけじゃないはずだが、たまたま宝石ブランドの「Tiffany」のキー・カラーに近い色だったので、その高級なブランド・イメージと結びつき、きっと読者には、より洗練されたブック・カバーとして受け止められる感じもする。(昔のペンギン・ブックスは、例えばオレンジはフィクション、緑は推理小説、紫はエッセイ等と、ジャンルによってベース・カラーを変えていたようなので、最近ロゴ色がオレンジからライトブルーへと変わったのには何か理由があるんだろうと思う。)

特に「冷血」での、Mugshot風ポートレート写真(Perry Smith と Dick Hickock)の使い方は上手だと思えた。今まで出版されていたこの小説のブックカバーになっていたタイポグラフィやイメージ写真で構成されたものより、断然説得力がある。ペンギンのHPには、新しくモダン・クラシック・シリーズで刊行するカポーティの各タイトルは、リチャード・アヴェドンの写真を使用、との記事があって、ああ、どうりでどれもいい写真だったんだと、妙に納得いった。
アヴェドンの写真は構図が完璧すぎて、一枚の絵としての完成度、あるいは純度が高すぎるという面がある。それゆえ全くの隙がない為、写真の中に文字を入れたりトリミングするのが非常に難しい。はじめから商用目的で撮ったものには(レコジャケや広告など)、まだレイアウトできる余地は残しているが(アヴェドンは意識してやや緩く撮ってはいると思う)、自身の作品であるほどにそうした要素は消えてゆく。そのことが関係しているのか、今回の一連のタイトルではどれも、ネガのふちを入れたフル・フレーミングの写真をそのまま使っている(もしかすると、アヴェドンの写真を管理している財団が D.アーバス財団のようにトリミング等の不可というメッセージを出しているだけかもしれない。ただそうであったとしても、アヴェドンの写真は何かデザインの「素材」として加工することには向いてない)。

まぁ、このモダン・クラシックから新しく出ているものは、写真のセレクションがほんと絶妙で、ヘンリー・ミラーの「Rosy Crucifixion」三部作にはエリオット・アーウィットの写真を使っていたり、物語の世界を表した一枚をほんと的確に、そして今の時代に合わせたものを選び出している。
https://twitter.com/penguinpressart/status/652479205322682369


On Truman Capote and Richard Avedon (Cover story)
https://www.penguin.co.uk/articles/on-writing/cover-story/2017/jun/truman-capote-and-richard-avedon/

2017年06月20日

カヴァンの "Ice" とサージェント・ペパーズ

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Anna Kavan "Ice" (Penguin Modern Classics) / * 画像は出版社HPより
https://www.penguin.co.uk/books/305663/ice/

アンナ・カヴァンの「氷」が刊行50周年ということで、今年の11月14日、ペンギン・クラシックスから50th アニヴァーサリー版が出る、というのは先月に書いたんだけど、もうひとつ、表紙カバー違いでペンギン・モダン・クラシックスからも出るみたいだ。J. G. バラードのキャッチコピーが、どうにもカッコイイ! 今のところ、まだアマゾンでもこっち版は表示されてなく、出版社のHPのみでしか見れないので、ほんとつい最近出版が決まったばかりなのかも。HPにはペンギン・クラシックス版が208ページ、そしてモダン・クラシックス版は180ページとあり、30ページ弱少ない。文字組の大きな違いでなければ、ペンギン・クラシックス版に収録されている序文とかが割愛されているのかもしれない。それとも、それぞれに編集が違っていて、もし表紙の延長で、バラードの文章が載っているのならモダン・クラシックス版の方を読んでみたい気もするが、発売されるまでは分からないだろうな。ちなみに現在出ているピーター・オーウェン版は160ページだった。

そして、今年はザ・ビートルズ「サージェント・ペパーズ」のリリースからちょうど半世紀、まぁ、こちらも50周年ということで、その記念盤がけっこう話題になっているみたい(イギリスでは1967年の6/1に発売された)。この話、つい先日まで気づかなかった。さすがに1/2世紀という時間を経た、大きな括りの記念盤だけあって、アウト・テイクとか未発表ヴァージョンが沢山収録され、確かにこれはCDフォーマットでも欲しくなる。

ということは、もちろん、カヴァンの「氷」と「サージェント・ペパーズ」って同じ年に発表された作品となるわけだが、こうして違ったジャンルの二つを結びつけてみると(そしてどちらも英国生まれなのだ)、点と点が線になり、なるほど「氷」が出版された頃のイギリスの雰囲気や世界の状況が、もう少し良くわかる感じだ(といっても僕はまだ生まれてもないんで、追いかけ、そこから想像する世界になるんだけど)。単に年号の数字だけではその時代をイメージしにくいし、ただ漠然としか分からないようなものだったりするが、自分の知っているものと紐付けし辿っていくと、またちょっと違う側面が見える感じがする。しかし、「サージェント・ペパーズ」と同級生だったとは。



50年経っても溶けない氷 (23. May 2017)
http://tavola-world.seesaa.net/article/annakavan-ice-50th.html

2017年05月23日

50年経っても溶けない氷

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“Ice” Anna Kavan (50th Anniversary Edition) / * 画像は出版社HPより


いや、これビックリ! アンナ・カヴァンの「氷」が初刊行から50周年を記念して、今年の11月14日にペンギン・クラシックスから発売になるそう。つまりもう、古典として扱われるようになったってことになるのか。しかも、序文がジョナサン・レセム(Jonathan Lethem)という、僕的には偶然のタイミングが重なって何とも不思議なつながり(こないだ買ったばかりのペーパーバック、ヘッズの「33・1/3」シリーズ「Fear of Music」を書いた人だった)。表紙デザインがやっぱりちゃんと上品なペンギン・フォーマットになっていて、なんかいい。それにしても半年前に告知するのって早すぎるような気がするけど、こういうもん? 発売日がくる頃にはうっかり忘れてしまいそだ。
そして、来年2018年はカヴァン没後50年にあたるから、なにかちょっとしたリバイバルみたいな盛り上がりがあるといいな。


Anna Kavan now stands alongside Virginia Woolf as one of Britain’s great twentieth-century modernists.

https://www.peterowen.com/shop/anna-kavan/julia-and-the-bazooka
現在カヴァンのタイトルの多くを出しているPeter Owen Publishers(ピーター・オーウェン出版)のHPでは、20世紀を代表する英モダニズム作家のひとりとしてヴァージニア・ウルフと並ぶまでになっていると紹介されている。



Ice (50th Anniversary Edition) By Anna Kavan
http://www.penguinrandomhouse.com/books/557977/ice-by-anna-kavan/9780143131991/


2017年04月19日

33年目の「ニューロマンサー」は新しいカバー・デザインで

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Gollancz から、新しいカバー・デザインになって出たウィアリム・ギブスン「スプロール三部作」
表紙のアートワークは、ダニエル・ブラウンによるCG作品。記事中ほどで彼の他作品も紹介してます。
(* 画像は「GOLLANCZ BLOG」より。)


2016年12月8日に、イギリスのSF系出版社ゴランツから「ニューロマンサー」が新たなカバー・デザインとなって発売された。そしてこの続編となる「カウント・ゼロ」と「モナリザ・オーヴァードライヴ」が、今年2017年2月9日間髪を入れずに出たばかり。さらに短篇集「バーニング・クローム」もこの三部作と同じデザイン仕様で、2月23日に発売。計4冊が関連したヴィジュアル・デザインとしてまとめられた感じだ。これ、シリーズで揃えたくなるほどカッコイイ! 今のところ「ニューロマンサー」と「バーニング・クローム(邦題:クローム襲撃)」の2冊だけが日本語訳で読めるが、残り2作は絶版のまま。ハヤカワさん、新訳で復刊してくれないかな?
ゴランツは現在も "S.F. Masterworks" というシリーズで、フィリップ.K.ディックやアーサー.C.クラークの小説をけっこう出している(他、2006-07年にかけては「めぞん一刻」も英語コミックとしてカタログに入っていた。この漫画も同じ80年代に連載され 'The 80's' の代名詞的作品だ)。現社長で英SF界の名物編集者であるマルコム・エドワーズは、J. G. バラードの「太陽の帝国 / Empire of the Sun」を編集していたのでバラードとも接点がある。
P.K. Dick (Gollancz): http://tagong-boy.tumblr.com/post/159398559971/
A.C. Clarke (Gollancz): http://tagong-boy.tumblr.com/post/159377309441/


今回は33年ぶりに(元の出版社から)新たな装いとなって発売された「ニューロマンサー」のカバー・デザインと、それに使われているダニエル・ブラウンの作品について少し触れてみた。以下「ニューロマンサー」のストーリーについてではなく、カバー・イメージから見た「ニューロマンサー」といった感じで、ダニエル・ブラウンというCGアーティストの話が中心になっている。P.K. ディック風に言うならば「ブック・カバーは電脳譚の夢世界を具現化できるか」かな。
ギブスンの小説は、映像を喚起する要素は強いけれども、それらは頭の中で生まれ完結する非現実的なイメージのため、具体的に視覚化するのは難しいだろうとは思う。この彼が描く未来的な世界を、本の表紙パッケージとしてデザインするとなるとなおさらで、これまでに出版されたものをいくつか見てもどこか抽象的なものが多く、イメージの核心をつかみきれてないところがあったし、どれも皆、決定的なイメージになっているとも思えなかった。しかし、今回ゴランツから出た「スプロール三部作」のブック・デザインは、ダニエル・ブラウンという素晴らしいアーティストを起用し、これまでのものとは格段にレベルの違うイメージで、ギブスンの小説世界をたった一枚で表したように思うし、読者はきっとこの新しいブックカバーに何一つ文句いうことなく、納得するんじゃないかとも思う。少し後に引用した「ゴランツ・ブログ」にも書いてあるように、今回ギブスン自らダニエル・ブラウンにコンタクトをとり(もしかすると出版社から紹介されたのかもしれないが)、新しい「ニューロマンサー」の表紙デザインが出来上がった。33年経ってようやく小説にふさわしいイメージがヴィジュアル化されたのを目にし、ギブスンが言葉で綴っていた世界がいかに早かったのかと実感する。


SF小説『ニューロマンサー』が出版されたのは1984年のことだった。
それから実に、30年がすぎた。いま、われわれは、まだ世の中の大部分がアナログだった時代に書かれた“直観”のうち、何が未来を告げていたかを知ることができる。


『ニューロマンサー』からの30年。サイバーパンクは現実を先取りした(WIRED.jp、より)
http://wired.jp/2014/09/20/post-neuromancer/


アマゾン.jp & マーケット・プレイスで、新装ペーパーバックを頼んでみた。
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文字やデザイン・アクセントとして配置している色塗りチップ箇所は、(エンボスではない)箔押し加工になっていてメタリック感がある。アマゾンや出版社HPに載っている表紙デザインを見た限りでは、通常のCMYK・4色プロセスで印刷したもののように見えるが、実際本が届いて手に取ると、この華やかな金属光りが、マットPPコーティングされた表紙の中でよりくっきりと輝き、少し高級感が出てとてもいい。
日本語訳を読んだあと「ニューロマンサー」の原文がどんな英語なのかは、すごく興味あったのだけれども、以前に出ていたペーパーバック版の表紙デザインがどれもいま一つなところがあって、買うには二の足、三の足を踏むくらいだったりした。でも、Gollancz から新しく出たこのペーパーバックはひと目みた瞬間欲しくなった。
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「ゴランツ・ブログ」の記事の中で、「ニューロマンサー」の新しい表紙がどういった経緯によって出来上がったのかが書かれていたので、少し訳してみた。

"Cover Reveal: Neuromancer!" (GOLLANCZ BLOG)
http://www.gollancz.co.uk/2016/10/cover-reveal-neuromancer/
予備:http://archive.fo/4KBe6
Japanese translated by Tagong-Boy / Original text by Darren ( Oct. 2016 )


2015年の冬、世界がより穏やかで複雑でもなかった頃、私たちは英国での最初の出版社から、ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」が戻ってくるぞ、と発表した。それもなんと、当時の編集者によって! オリオン出版社グループのインプリントであるゴランツは、ウィリアム・ギブスンのスプロール三部作(「ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」「モナリザ・オーヴァードライヴ」を含む)と短篇集「バーニング・クローム」の版権獲得を発表し歓喜している。ウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」は「1984(ジョージ・オーウェル著)」や「すばらしい新世界(オルダス・ハクスリー著)」と並び、未来社会を示した20世紀で最も影響力を持つヴィジョンの一つとして称されている。
Back in the winter of 2015, when the world was a gentler, simpler place, we announced the return of William Gibson’s Neuromancer to its original UK publisher – indeed, to its original UK editor!
Gollancz, an imprint of the Orion Publishing Group, is delighted to announce their acquisition of William Gibson’s Sprawl Trilogy, comprising Neuromancer, Count Zero and Mona Lisa Overdrive and a collection of short fiction, Burning Chrome. William Gibson's Neuromancer ranks with 1984 and Brave New World as one of the 20th century's most potent visions of the future.



ゴランツの社長、マルコム・エドワーズ曰く:
 「ニューロマンサー」とギブスンの他初期作品を獲得したことは、私が1980年代にゴランツで過ごした最高な出来事の一つだった。そして、それらが本来あるべき場所で復活できることがとても嬉しい。彼の作品は20世紀後期のSF小説の中でも重要なタイトルのままでいる。
Malcolm Edwards, Chairman of Gollancz, said: 'Acquiring Neuromancer and Gibson's other early works was one of the high points of my years at Gollancz in the 1980s, and I'm delighted to bring them back where they belong. They remain absolutely key titles in any account of late 20th century SF.'


ウィリアム・ギブスン曰く: 「ニューロマンサー」とその続編2作、および「(短篇集)バーニング・クローム」が、私にとって英国での最初の出版社、ヴィクター・ゴランツに戻るのを知り嬉しく思う。ましてや、版権を取った当時の編集者であるマルコム・エドワーズの素晴らしい援助の元でなんだから。
William Gibson said: ‘I'm delighted to see Neuromancer and its two sequels, plus Burning Chrome, return to Victor Gollancz, my first UK publisher, and still more so under the excellent auspices of Malcolm Edwards, their original acquiring editor'


私たちは、この独創的なSF作品とその続編の表紙をお披露目でき誇りに思うし、またワクワクしている。
We are now proud and excited to reveal the covers to this seminal work of science fiction and its follow-up volumes.


表紙のイメージは、受賞暦あるアーティスト、ダニエル・ブラウンによるデザインで、コンピューター・グラフィックによって描かれたものだ。そのプログラムは、彼が面白い形を探しながらそのとき追い求めていたユニークな3Dの形状を創るために、フラクタル数学を用いている。彼が自分の好む形を作り出すため分離やひねりを加えた後、プログラムは、エッシャー風「ありえない建築群」の素晴らしいイメージを作成するために、彼のポートフォリオにある建築写真から選んだ素材を重ねていく。
The cover images were generated by a computer program, designed by award-winning artist, Daniel Brown, which uses fractal mathematics to create unique 3-D shapes that he then explores, looking for interesting forms. After he has isolated and tweaked the shapes to produce something he likes, the program overlays elements from his portfolio of architectural photos, to produce amazing Escheresque images of 'impossible buildings'.

* award-winning: 直訳では賞を勝ち取ったという意味の「アワード・ウィニング」だけど、これってどう訳したらいいんだろうと調べてみたら、けっこう難儀な言い回しらしく、訳しづらい言葉みたいだった。ダニエル・ブラウンも特に何か大きな賞をとったというわけでもなさそうだったので、何かぴったりとくる言葉を考えてはみたが思い当たらず、下記ブログ記事にあるように「受賞歴ある」という風にした。意味合い的には(目の肥えた)多くの人から評価されている、という位の感じがした。
http://studio-rain.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/award-winning-2.html


ダニエル・ブラウン曰く: 私はコンピューターのコードを通して建築物を描く実験をしていた。プロジェクトとして、それはまだ初期段階だったし真の目的があるわけでもなかった。そうしたときに、ウィリアム・ギブスンが私に接触してきたんだ。そして、これぞまさに「スプロール三部作」を構想していたものだと言った。神秘的な方法で、そのコードは自身の意図するものを見出したんだ。デザインのためにウィリアム・ギブスンからコンタクトをもらったことは、私が想像しうる限り最高の賛美だよ。それを越える精励賞なんて思いつかないね。
Daniel Brown said: 'I had been experimenting with generating architecture via computer code. As a project it was still in its infancy and without real purpose. Then William Gibson contacted me, and stated it was exactly how he had envisaged The Sprawl. In an uncanny way the code found its own purpose.'
'To be contacted by William Gibson for the designs was about the highest praise I could imagine. There’s no industry Award that can top that.'


* industry Award: industryは「勤勉な」という意味合いのある文語で訳してみたけれど、単純に業界的なという意味合いで、企業が設けた有名な賞のことを言っているのかもしれない。ここは、どんな激励にも勝るくらいのニュアンスでいいのかな。


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ダニエル・ブラウンが「Neuromancer: The Sprawl」シリーズのブック・カバー用に制作した原画。
この作品、ディティールが細かい上、迫力と完成度がありすぎるので、タイトルや著者名等の必要な文字要素を乗せ、パッケージ・デザインとして成立させるのはけっこう難しいと思う。もし僕がデザインをするなら、画面の角部分に細い帯を入れ、サンセリフ系の書体を乗っけるだけにして、極力作品の存在感を損なわないようにするかな。(* 画像はダニエル・ブラウンのHPより:http://danielbrowns.com/


ダニエル・ブラウンのその他作品「 Dantilon:ザ・ブルータル・デラックス」シリーズ
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Daniel Brown - " Dantilon: The Brutal Deluxe " (Flickr)
https://www.flickr.com/photos/play-create/albums

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写真上:ラルンガル・ゴンパ(色達 / 東チベット・カム)、写真下:ガルダイア(ムザブの谷 / アルジェリア)
* 画像は右リンクより:http://tagong-boy.tumblr.com/post/159674492311/
ダニエル・ブラウンがCGで描いた未来都市作品を彷彿とさせるチベットの僧房群とマグレブの中世都市。
二つを同時に並べてみると、どちらが現実世界のものでどちらが想像上のものか区別がつかなくなってくる。そして、現実にあるこうした一見無秩序に見える街並みを遠目で見ていると、人間が無計画に作り上げた建築群が、実は、誰が決めたわけでもないだろうある法則によって、非常な規則性を帯びて建てられているんじゃないか、といった不思議な事実があることに気づく。人が無意識のうちに、何かのプログラムの一部になり(居住区を造り上げるという)行動をしているかのようで、人間一人一人がまるで誰かが描いた設計情報の一端子にすぎないんじゃないかという奇妙な感覚にもなったりした。これって、ギブスンの描く小説世界ともリンクしているような気がしたり。
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新しくなった W.ギブソン「スプロール三部作」の表紙カバーに使われていた写真から興味をもって、その名を知ったダニエル・ブラウンというアーティスト。彼の作品を最初に見たときは、脳の中で感嘆符が無数に爆発するような衝撃があった。SWに出てくる巨大な宇宙船、スターデストロイヤーを彷彿とさせるようなスケール感あるディティール。この地球上に存在する何かで言うならば、東チベット・カム地方の奥地にある「ラルンガル・ゴンパ(Larung Gar Gompa)」やアルジェリア中部、ムザブの谷にあるイスラム都市「ガルダイア」、あるいはブラジルのスラム街ファヴェーラなんかが真っ先に思い浮んだ。
彼の作品。はじめは実際ある建築写真のテクスチャーをデジタル処理で切り貼りし、ひとつの画像にしているのかと思ったが、フルCGのようなのっぺりとした質感もあったし、でもどこかリアルな陰影もあり、一体彼はどうやってこうした画像をつくり上げているんだろうと不思議だった(もし手作業によるデジタル・コラージュだったとしたら、途方も無い工程になるだろうとは想像つくのでさすがにそうは思えない)。いくつかのWEB記事を読んでいくうちに、彼の制作プロセスがわかってきた。ダニエル・ブラウンはフラクタル幾何学を演算できる・コンピューター・プログラムを自分で作製し、それを使い奇妙な擬似建築構造の形を作り上げ、仕上げにストックしてある古い建築写真のテクスチャーを張り込こんで作品を完成させている。ワイヤードの日本版に、ダニエル・ブラウンについての翻訳記事が載っていたので以下一部引用。



ロンドン在住のデザイナーであり、プログラマーでもあるブラウンは、写真を加工するために新しいデザイン手法「ジェネラティヴデザイン」(コンピューテーショナルデザイン、アルゴリズムデザインとも呼ばれる)の自作ソフトウェアを使用している。彼はそれを使い巨大で複雑な3Dパターンをつくり出し、そこから何かおもしろいものを見つけるまで、ただひたすら探し続ける。

2003年に事故に遭ったブラウンの手には、障害が残ってしまった。そこで彼は、筆や鉛筆を握る必要がないツールを探し求めた。

「架空の街をつくるために、アルゴリズムをプログラミングしていくのです。自ら描くわけでもなく、3Dモデルでつくってもいないような建物や構造物が、この街には存在します」とブラウンは語る。



「アルゴリズム」という名の建築家が街をつくってみたら(WIRED.jp、より)
WIRED.jp (2016.08.05) :http://wired.jp/2016/08/05/monstrous-alien-cities/
英語元記事:https://www.wired.com/2016/06/monstrous-alien-cities-built-computer-algorithm/


ニューロマンサーの初版本(イギリス版 & アメリカ版)とカバーイラスト

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* 上画像は右リンクより: http://tagong-boy.tumblr.com/post/158299818446/
英国「ヴィクター・ゴランツ社」の初版本ハードカバー(left)
米国「エース・ブックス社」のペーパーバック初版(centre)
ジェイムス・ウォーホーラによる、米・ペーパーバック版の表紙絵(right)

ニューロマンサーは1984年に出版。この初版本がどんな表紙だったのかと、今いったいどれくらいの値段になっているのかが興味あって「abebooks.com」やオークション・サイトなどを見てみたところ、おおよその相場がわかった。イギリスのSF系出版社「ヴィクター・ゴランツ」の黄色いハードカバー本が希少度高いようで、平均 2,000 - 3,000ドル(1USD=115円換算で23〜35万円)の値が付いている。けっこうビックリした。サイン本でなければ2,000ドル以下でもあるが、買う人いるのかな?
アメリカでは「エース・ブックス」から出版されていて、こっちはけっこう安い(といってもそれなりに高いんだけど)。エース・ブックス版のハード・カバーはおおよそ200ドル程度(2万円ちょい)で、サインが付いていても同じ位、ゴランツ社のと比較するとなぜか人気が無い。そして、ペーパーバックは100ドル未満であり、ペーパーバックにサインが付くと急に高くなって800ドル位になる不思議。米のハード・カバー版はデザインがいまひとつだったので今回は画像アップしなかった。エース・ブックス版のペーパーバックはいかにも80's風のダサダサ・デザインで、なかなか味わい深い。ちなみにのヒューマノイド風の表紙絵は、アンディ・ウォーホールの甥(兄の息子)ジェイムス・ウォーホーラ(James Warhola)が描いている(漫画「コブラ」に出てきそうなキャラクターだ)。
またこのエース・ブックス社はウィリアム・バロウズの処女作「ジャンキー(1953年)」を出した出版社でもあって、こうしてみると何かひと時代築いた人や時代の流れを変えた人たちが間接的につながっているんだなと。「ジャンキー」を出版した時、バロウズは「ウィリアム・リー(William Lee)」というペンネームを使っていた。


日本版「ニューロマンサー」の表紙デザイン
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* 上画像は右リンクより: http://tagong-boy.tumblr.com/post/159598306186/
奥村靫正デザインによる「ニューロマンサー」ウィリアム・ギブスン(訳:黒丸尚)の表紙カバー
と「S・F・X」細野晴臣 with フレンズ・オブ・アース(1984年末リリース)のジャケット。
上二つのカバーは、ほぼ同時期に制作されたデジタル・コラージュだが、短い期間にも変化が見られる。この頃は、今ではお馴染みとなったMacやイラストレーター等を使っての DTP デザインがまだ普及してなかった為、デジタル・コラージュといっても、手で写真を切り貼りしたものを複写したり、印刷の製版フィルムで仕上げたりと、アナログな手法でデザインするしかなかった。そうした状況の中で、そのとき一番新しかっただろう手法をもって視覚化しようと工夫した跡は、今見ても何か味わいがある(上リンク先に「ニューロマンサー」の版下原画についてのBLOG記事あり)。初代 Macintosh は1984年の発売。DTPとして実際に使えるようになったのは1990年以降だった。'90年代は写植文字をトレスコという機械で目測調整しながら拡大縮小し、それらを版下台紙の上にレイアウトしデザインしていた。


ニューロマンサーの日本語訳は1986年(文庫は同年7月)、早川書房から出ている。表紙カバーのデザインはYMOのジャケット・デザインで知られている奥村靫正が担当している。彼は立花ハジメと並んで、海外のニューウェーヴの動きに敏感に反応し、わりと早い段階からデジタル技法を取り入れたグラフィック・デザインをしていたように思う。そして、フォーマットから構築してかっちりと仕上げるタイプのデザインではなく、感覚的に文字やオブジェクトを配置していくデザインが特徴で、けっこうまとまり感のない緩いところがあり、このあたりは多分好みが分かれそう。1980年代はメディアとしてのヴィデオ映像が新しく、何か未来的・電脳的な印象があった。テレビモニターの走査線とヴィデオの(デジタル風味な)かくかくしたドットは、ヴィヴィッドでぺったりとした色が加わることで、よりいっそう人工的、かつ現実の世界を超えたイメージを作るのに役立っていたんじゃないかと。日本版ニューロマンサーのブック・デザインは、そうしたデジタル・イメージをうまく取り入れて、当時としては、けっこう新しいところを行っていたように見える。この頃は(ヴィデオ・アートの父)ナム・ジュン・パイクの映像&インスタレーション作品が現代美術の世界では話題だった(ブライアン・イーノも1980年代はヴィデオ・アートに熱を上げて、いくつかインスタレーション作品を制作していた)。奥村靫正をはじめ、日本のデジタル系グラフィックも当然、その影響は多少受けていたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。


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"Global Groove" (1973) / "Good Morning Mr. Orwell" (1984)
Nam June Paik (MoMA): https://www.moma.org/artists/4469
* 上画像は、ナム・ジュン・パイクの映像作品から。



「ニューロマンサー」の冒頭文について流れたある噂


"The sky above the port was the color of television, tuned to a dead channel."港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。



「ニューロマンサー」は上のようにカッコイイ一文で始まる。日本語訳も絶妙で、何かこれだけでもう、未来的なこの物語の世界にすっと入り込める感がある。ちょっと前に、アメリカのテレビの「空きチャンネル」が、実は日本と同じモノトーンの砂嵐じゃない、という情報がツイッターで流れ、ああ確かにこの小説はアメリカ人作家の書いたものだから、日本で見るイメージをそのまま当てはめてもいけないなと思ったり。そこから少し調べては見たけれど、アメリカのテレビの砂嵐が一体どんなものなのか? 本当に目の覚めるような真っ青な色なのか? はよくわからなかった。ましてや出版当時、1980年代初頭のテレビの空きチャンネルがどうだったかなんて見当もつかない(けっこう1980年代の映像・資料等はネットアーカイヴに無かったりする)。そのツイートに対する色々な考察・反論なんかが寄せられたりしてはいるものの、(画像や映像がないもんだから)結局のところ決定的な結論には至らずに終わっている。'dead channel' と呼ばれるくらいだから、彩度ある色じゃなく、何か死を連想させる色、黒、もしくはグレーであるだろうと、多くの人は想像するだろう。まぁただ、古い本の場合、その当時、その時代の状況を考え想像しながら、書かれていることを(先入観なく)読み取っていくのは大事なことだなと改めて思う。


ニューロマンサーの「港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。」って冒頭、長いこと砂嵐の灰色をイメージしてたけど、アメリカのテレビの空きチャンネルは真っ青つまり快晴のイメージだったらしいと聞いてカルチャーショックを受けたのは結構最近のことだった。


■ 九岡望さんのツイート、より(2014年11月27日)
https://twitter.com/kuokanozomu/status/537998003810758657
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2017年04月09日

近々、アンナ・カヴァンを

けっこう書きたいことが沢山あって、下書きも二、三十溜まっていたり、さらに英訳もそれ以上に平行してたりするうち、多々追いつかないものが増えすぎて、かえって全部が止まってしまったりする。アンナ・カヴァンの短篇も少しづつ訳せてきたので、全部とはいかないけど、部分部分でその訳もアップできればいいな。
カヴァンの人気ある短篇集「ジュリアとバズーカ」に収録の「A Visit(訪問)」から冒頭の部分を少し。


ある暑い夜、一匹のヒョウが私の部屋へと入ってきた。そしてベッドに乗るや、私のそばで横たわった。私はうとうとしていて、はじめのうち、それがヒョウだとはわからなかった。あまりにも暑かったせいで、家の扉を開けっ放しにしていた為、大きく、柔らかな足をもった生き物が家の中を音もたてずにそっと歩きまわる物音を夢の中で聞いているようだった。
One hot night a leopard came into my room and lay down on the bed beside me. I was half asleep, and did not realize at first that it was a leopard. I seemed to be dreaming the sound of some large, soft-footed creature padding quietly through the house, the doors of which were wide open because of the intense heat.



2017年03月21日

イギリスから本が届いた、の巻(3)

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アマゾン、マーケットプレイスにあるRarewavesから届いた封筒。内側はエアパッキン。
今回は発送メールのあと11日目に到着。中身はアンナ・カヴァン。


去年、J. G. バラードの短篇集を買ったのをきっかけに、ときどき、アマゾンのマーケットプレイスで洋書小説も買うようになってきた。ペーパーバックって、印刷はラフだし紙質もそう良くないのに、なんでだろう、どうも魅力的だ。

以前アマゾンでは、写真集や現代美術家の作品集、旅ガイドのロンプラを買うことが多かった。が、それもこの何年かは買ってはいない。写真に関してはフォトグラファーのHPや Tumblr、Flickr、500px 等ネットにあるギャラリーの方がボリュームもあるし(画質もいい)、取材情報のテキストなども適時に更新されたりするので、写真集という形態で写真を見ることがほとんどなくなってしまい、また求めなくもなった。「本としての写真集」に面白さや魅力がなくなってしまったとは決して思わないが、ネットが普及した今の時代に求められる写真集の存在意義が、これまでとはまったく違ってきているとは思う。もし写真集でなければ表現できない、あるいは写真集でなければならない、という必然性がないかぎり、画像の載った紙の束としか見れなくなていたり、どうしても欲しい! という気持ちにはならなくなってしまった。写真で表現し、なにか形にする難しさは、誰でも撮れるようになった今、以前より増している感じはする。

旅のガイドブックに関してもきっと同じようなものがある。こっちは情報の新しさがより重要になってくるから、写真よりももっとネット情報の方が有効的に思えたりする。旅行者のBLOGをサーフしていく方が、好みの情報を得やすいし、鮮度はきっといい。ただもちろん、そういうものはネット(スマホ)環境のある場所でしか見れなかったりするので(辺鄙な場所では当然見れないし、そもそも事前情報なんていらないという人もいるだろうが)、完全にいらないということもないけれど、観光地に行く位の短い旅程なら、地図や翻訳機能の入ったスマホが一台あればやっぱりそれで十分だなと思ってしまう。でも紙の地図の大事さが分かる人は、きっといい旅人だろうな。


ちょっと脱線。

出だしのところで写真集はもう興味ないので見ない、なんて書いてしまったけれども、それでも情報として多少見聞きはしている。最近見た写真集の中ではクリストファー・ハーウィグさんの「ソヴィエト・バス・ストップス」というのがよかった(といってもwebで、彼の写真や記事を見ただけだが)。これはタイトル通り、ソヴィエト時代に作られたユニークなバス停を撮ったもの。アブハジア、シベリア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、エストニアなど旧ソ連邦を構成していた国にあった奇妙なバス停が集められた写真集。モニュメント風の小さな建造物だけれども、その土地の特色がそれぞれに表れていて面白い。そのまま単に建築物としてみることもできるだろうし、ここにやってくるバスや人(きっと派手なスカーフをかぶった恰幅いいロシアのおばちゃんたちが近くのルイノクに行くために、ペットボトルに入れた自家製のケフィアを抱えながら談笑しているだろう姿)を想像しながら、これら地域のコミュニティなんかも思い浮かべてみたり。バス停はどれも皆、野ざらしなので朽ちかけ一歩手前だけれども、廃墟のような死の香りはせず、どこか生活のニオイがにじみでている。それにしてもこれらのバス亭、一帯誰が音頭をとって建てたんだろう? 構造の安全性や、重力バランスを完全に無視した見た目重視のものがけっこうあって、写真で見る分には楽しいが、実際この場所で落ち着いてバスを待つにはちょっと勇気いるかも。
この写真集は日本の amazon.jp でも買える、2,900円。それにしても、こんな値段でアマゾンにあったら、写真集専門店で買えなくなってしまう。本屋のディスプレーや棚の中から、知らない本を偶然見つける喜びがなくなるのはさみしいけれど、ネットはネットでまた知らないリンクが目に入って、そこに飛んでいき、また違った意味での偶然の発見もあったりするので、似たようなものか。

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"Soviet Bus Stops" Christopher Herwig (画像は下記リンクより)
http://tagong-boy.tumblr.com/post/158584414201/


今回はRarewavesで

さて、いつもイギリスからロイヤル・メールで送ってもらっているのはUK BOOKS & MUSICというお店なんだけど、今回はちょっと浮気をしてしまい、Rarewavesというお店での注文だった。価格の差がさほどなければ、最安値でなかったとしても、同じところで頼んだほうが多分いいだろうと思うので、僕の場合あまり値段重視というわけでもない。まぁ、今回はたまたま欲しい本がいつもの店になかったことと、他の店での到着日数なんかも気になったし、何か違いがあるのか、なんてのも少し興味あった。
これまでの注文した経験からすると、(英国→日本は)日曜から週明けの月曜に注文すると早く届くことが多かった。金曜日に注文すると(多分営業・発送業務をしてない)土日をはさんでしまうため、2日分待つ時間が長くなる。日本とイギリスは9時間の時差があるから、そのあたりも考え、向こうの営業時間の早いうちに注文をしたり、いろいろ試していた。もちろん在庫状況や輸送事情なんかも絡んでくるので確実ではないが、少なくとも週前半までに注文したときがスムーズだった。忘れかけた頃に、突然ポストに見慣れない封筒がコツンと入っていてけっこう楽しい。おおよそ平均、10日から12日で届く。
Rarewavesさんから届いた封筒はエアパッキンの入った白い紙封筒だった。本はきれい。そして本と一緒に、落丁本や注文とは違ったものが届いた場合用の(納品書を兼ねた)返信宛名シールが同封されていて、これは便利だなと思った。

2016年11月11日

イギリスから本が届いた、の巻(2)

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J.G. Ballard "Super-Cannes"
このペーパーバックの表紙は、もろレディオヘッドのレコジャケを思わせる。"Hail to the Thief" を "OK Computer" の色合いで重ねた感じ。両方、スタンリー・ダンウッドが手がけているから似たテイストになるのは当たり前だけど、何かバラードの本という印象がしない。


今年の6月、J.G. Ballardの「The Atrocity Exhibition」をきっかけに、アマゾンのマーケット・プレイスに出店している海外の本屋から、ペーパーバックを買うようになった。イギリスからは早くて8日、だいたい10日程で到着する(一回だけ一ヶ月近くかかった)。日本では未訳のものや、すでに絶版になっているものが洋書とはいえ、気軽に手に入るのはやっぱり嬉しいもので、欲しいものリストも増えてきている。
10月からは、封筒の梱包が少し変わり、以前のエアパッキン形態のものから厚手の紙に封入するという方法になった。厚みは薄くなるが、天地の圧着幅と左右の断裁に幅が出るので、ひと回り大きいサイズになる。防水加工になっている感じ。

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封筒内側は弱粘着性で、手で触れると少しべとついた感触がする。

2016年10月21日

J.G.バラード "The Atrocity Exhibition" を英語で読む(3)

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上画像は、下記リンク先のフリーフォント" Bourbon " を使った。
Bourbon Font by Bayley Design : http://fontpro.com/bourbon-font-1567


バラードの短篇小説「The Atrocity Exhibition」の和訳、第3弾。「黙示録」「 精神崩壊にいたるまでの覚書き」と続き、今回は「内的世界」というタイトル。トラヴィスの前に正体不明の男が現れる話。前二タイトルは、この短篇のイントロダクション・導入的な要素だったけれども、この「内的世界」から物語として広がってゆく感じだ。話中に出てくる言葉が、次のタイトルやその中の内容と重なっていたり、後半のストーリーに出てくるシーンが前のタイトルに絡んでいたりして、一見ばらばらに書いているように思えるエピソードが読み進むにつれ、つながっていくのがわかる。

前2回は僕の日本語訳と原文とを一緒にしたけれど、今回は特に書くこともなかった為、日本語訳だけにした。次回からは、訳を要約し解説的なものでいこうと思う(といっても元の英文が短く、要約的なものなので短くしようにないところはある)。バラードは修飾する言葉を幾重にもかけ、言葉のイメージを膨らませる書き方をするので、そのあたりで日本語にどう上手く置き換えたらいいのかが、僕にはまだ難しいところがある。

Apocalypse / Notes Towards a Mental Breakdown / Internal Landscapes


■ Chapter one : The Atrocity Exhibition(和訳したもの)
Japanese translated by Tagong-Boy / original text by J.G. Ballard

内的世界:
Internal Landscapes.

トラヴィスは、左手の震えを押さえながら、向かい側に座る肩のやせた男をじっと見た。誰もいないがらんとした廊下から、まぐさ(明かり取り窓)ごしに入る光は暗いオフィスの中を照らした。男の顔は飛行帽のひさしで部分的に隠れていたが、トラヴィスはアールズ・コートにあるみすぼらしいホテルの寝室にまき散らかっていたニューズウィークとパリマッチの破りとられたページに載っていた爆撃機のパイロットの顔を思い出した。トラヴィスをじっと見つめる男のまなざしは、絶え間ない努力だけで維持していた。

どういうわけか、男の顔の各面は交差しそこなっていた。それらの正しくあるべき分割が、まだ目には見えない特性として一部生じたかのようだった。つまり、男の性格や筋肉組織によって形成された必要要素以外の不可欠要素によって。

なぜこの男は病院へやってきたのか? 30人の内科医のなかに混じったトラヴィスを見つけだすために? トラヴィスは男に話しかけようとした。しかし、その背の高い男は、器具用キャビネットのそばでボロ服をまとったマネキンのように立ったまま何も応えなかった。男の未熟ではあるが同時に年を重ねた顔は、石膏マスクと同じようにこわばった風にも見えた。

数ヶ月が経ち、トラヴィスは数多くの短編ドキュメンタリー映像の中で、肩をフライング・ジャケットにねじこみ独り寂しくたたずむ男の姿を目にしていた。男の姿は、戦争映画のエキストラとして、あるいは眼震について見事に仕上げた眼科用フィルムに映る一人の患者としてだった。抽象的な風景の断片にも似た巨大な幾何学モデルの連なりは、彼らの先延ばしにしていた衝突が、まもなく起こるだろう事をトラヴィスに気づかせ不安にさせた。


「The Atrocity Exhibition」一部・日本語訳PDF

Blog 形式だと続けて読めないぞ、と思ったので、「黙示録」「 精神崩壊にいたるまでの覚書き」「内的世界」の三つを見やすように、A4サイズ内で構成しPDFにしてみた。

● PDF版(0.2MB):A4-TheAtrocityExhibition.1-3-JPN-Translate-2016.pdf


2016年10月17日

Ballard trivia



七十三歳になる二〇〇三年「霧散した帝国の勲章なんて馬鹿げている」と大英帝国勲章を辞退するなど、バラードの反骨精神が失われることは生涯なかった



「海外SFハンドブック」早川書房編集部・編、より("J.G.バラード"・岡本俊弥 / ハヤカワSF文庫・p92)
*CBE(Commander of the Order of the British Empire): 大英帝国勲章司令官




おー、バラードかっこいい! と思ったエピソード。断る理由が、またキマっている。
こういう姿勢って、作品の中に溶け込んでいて文章や表現として、やっぱり出てくるんだな、と。
そして、知らず知らずでも読む人、見る人に伝わっている。

バラードの「The Atrocty Exhibition」の3弾、今週中にアップ予定。
その前にサヴィルの記事をひとつアップ。
他にも「茶園プランテーションの実情」や「インドネシアの希少コーヒー、コピ・ルアク」、「タリバンのけし畑」や「沿ドニエストル共和国の若者」についてだったり、海外サイトのクオリティが高くて面白い記事がたくさんあるから、訳のスピードを上げれるようにならないといけない。SNSで相互監視しあう時間なんて、あとあと何かになるわけでもなく、もったいない。


デヴィッド・ボウイも断っていた。
http://www.elle.co.jp/culture/celebgossip/david-bowie_16_0113


J.G. Ballard (British Library)
https://www.bl.uk/people/j-g-ballard