2015年08月03日

ポメラニアン


このBLOGをはじめたのは、Htmlのさっぱりわからない僕でも、HPに近いサイト、写真のギャラリーができるぞという単純な理由からだった。なので最初のころは写真の説明としての短い文があればいいやと思う程度で、キャプションくらいのものを写真に添えていたが、そのうちにああこれではダメだと気付きはじめる。よく「言葉にならないものを撮っているんだ」なんてことをいうカメラマンがいたりするが、そういう言い訳は空しく響くだけで、写真には「言葉の裏づけ」が必要なのだと思う。「言葉の裏づけ」のない写真はただただ薄っぺらなもの、色素の集合にしかすぎない。写真に対し多くの言葉がついてくるほどに、その写真は奥行きと意味を持つようになるのだろうと考える。できれば感性を絞り出した上で年相応の文章が書けるようになればいいのだけれど、書いた文章というのは無情なもので、自身の浅さを見事に浮き彫りにしてしまう。まぁ、それでも、それが今の自分のありのまま、自分の能力なのだから仕方がない。文章に小細工はきかないし偽れない。今書けるときに書いておかないと、いつか書けるだろうなんて楽観視できるほどの才能を僕は持ち合わせていないし、ただ精一杯に文字を打つだけだ。それでも、実行しないだろう立派な計画を立てることよりも、いま目の前にあることをやっていればいいんだと、ずいぶん気楽な気分でいたりする。これぐらいでいる方が意外と歩みが早い。

以前は、少し長めの文章でもPCのキーボードを使って書いていたが、たいてい2,000文字を超えたあたりで目がちかちかと痛くなってくるので、文章が少し長くなりそうな場合はポメラに変えるようにした。すぐに起動できるし持ち運びも楽なので、移動の途中でも使えるのが嬉しい。気楽に文字が打てるようになって、いや、これ最高に便利なツールだなと思う。一度使ってしまうともう手放せなくなってしまった。So i'm ポメラニアン. 僕の使っているのはDM20という機種。ハイスペックな機能はいらないのでこれで十分(すぎるくらいに)間に合う。あとはネットのつながるスマホとかがあれば、調べモノができるし完璧になるのかな。いまは固形水彩のコンパクトなものを探しているところ。できるだけ、機材やソフトに頼らず、自分の頭をつかい、手の延長になるもので何かをつくりたいなと思っている。少し前のものだけど下記リンクの記事をみて、少しこんなことを書いてみました。今夏はトーマス・マン「魔の山」を読もう。岩波版が古風でいい。


■ ガジェット通信
参考価格2万円 → 実売4730円なう 『ポメラ DM5』アマゾンで激安販売中!
http://getnews.jp/archives/1050946
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2015年07月19日

アマゾン制作の「高い城の男」


The Man in the High Castle - Official Comic-Con Trailer

フィリップ.K.ディックの小説「高い城の男」がドラマ化! だそうでこれ早く見てみたい。なにより、びっくりなのがアマゾンの映像部門が制作していること(2010年にはじまったようで、2013年頃から作品が制作されている)。まず自前でコンテンツ制作して、関連本やソフトなんかを放映後に本家で受注、みたいな流れに? うまく考えたな、と思いつつ、やっぱり小売り業だけをやっているとメーカーの生産に左右されるし、飽きてもくるのかもしれない。販路は確立しているのだから、自社で何か製品開発やコンテンツ制作をすれば、すぐに客がつくというのは強みだろうな。流通小売り業で、アマゾンのようになにか映像なりの製作部門を構えたところって、あまり聞いたことないけれど他にあるんだろうか? ま、売り方のあれこれはともかく、日本も似たような家族・学園モノや人気の出た海外ドラマシリーズの劣化コピーみたいなのじゃなくて、こういうスケール感もった原作などを取り上げて映像作品を作ればいいのに(wowowでやってたMOZUは面白かった)。ここ最近なんとなく時代の空気が村上龍の「愛と幻想のファシズム」にも似てきたようなところもあり、現実が小説化しはじめたのかな? というよりも、60-70年代あたりに戻りつつあるような感じか。

「高い城の男 (1962)」は、もしも、第二次世界大戦で枢軸国側(日本・ドイツ・イタリア)が勝利し、アメリカ大陸を分割統治したなら、という設定で書かれた歴史改変SF小説で、ディックの小説では人気のある作品、というくらいは知っているけれどまだ読んだことはなく、こりゃ早く読まないと(ディックの小説って何か読みにくく、中長篇は途中でくじけてしまう)。その前に一つ、歴史改変モノで読みたいのがあるので、やっぱりも少し先かな。キース・ロバーツの「パヴァーヌ」を、本屋にいくと探すんだけどいつも棚にはなく、なかなか手にできずにいる。今は、SFとは真逆にある小説パヴェーゼの「故郷」を読んでいるところ。いいイタリア映画を彷彿させる映像的な文章。


■ 高い城の男 - wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E3%81%84%E5%9F%8E%E3%81%AE%E7%94%B7
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2015年05月12日

村上さんのところ、より(『Inherent Vice』の邦題)

GWに入ったあたりからか、いつのまにか映画「インヒアレント・ヴァイス」がじわりじわりと盛り上がってきている感じでひと安心(4月後半週に公開というのは、そういうことか)。雑誌「ユリイカ」の最新号(2015年5月号)が、ポール・トーマス・アンダーソンを特集していたり、ちょっとうれしい後押しもあり(アマゾンで部門ベストセラー1位!)。この映画、ピンチョンの小説と同じで、一回目はいまひとつつかめないところが沢山あったけれど、また観たくなる(読みたくなる)吸引力がある。
ピンチョンの次はボラーニョの「2666」だ!




僕が好きなピンチョンはなんといっても『V.』です。

村上春樹拝


■ 村上さんのところ、より
〜『Inherent Vice』の邦題 〜(2015-01-26)
http://www.welluneednt.com/entry/2015/01/26/073000


村上春樹のおもしろさ、魅力は何だろう? そう考えたときに僕がまず思い浮かぶのは、村上さんの言葉に対する真摯で誠実な態度、あるいは、どうしたら自分の頭の中に渦巻く色々なことを、言葉を使ってうまく他人に伝えれるのか、それを小説という形で表してきた、そのことなのだと感じる。ギリシャやイタリア、アメリカなど言葉と文化の全く違う海外の国に滞在し、その地で生活したことが、元来持ち合わせていたのだろう資質をうまく蒸留し、村上さん自身の書く文章にフィードバックされている。
これまでに書かれた村上さんの小説やエッセイなどを読むと、ストーリーや取り上げる話題とは別に、"言葉"と真剣に向かい合う姿がはっきりとあって、これらテキストを通して読者との間接的な関係を築いて(築こうとして)いるようにみえる。メディアへの露出を必要以外に控えるのは、自分の書いた言葉に対する責任、そして自信を持っているからこそなのだろう。それだけできっと十分なのだ(ねぇ聞いて聞いてと、ただ喋るのはとても楽だし、思いつきだけをまくし立てれば済んでしまうが、何かを書くというのは、自分自身と対峙しなければならず、また論理性も必要になる。そして、自分の書いた文字がまるで自身を映す鏡のようになって現れ、直視できないことも多い)。そのあたりのストイックな姿勢は、ピンチョンとけっこう通じるところがある。

とはいっても、時代の流れには逆らえないところが少し出てきたのか、いままで村上さんはwebサイトやblogのようなものには一切手をつけてこなかったけれども、少しネットとの関わりがこの期間限定特設サイト「村上さんのところ」でみれるようになった。ファンからの質問をワンクッション置きながら、それぞれに答えていくこの方法は、コンテンツとしての要素とコミュニケーションの側面、二つがあってなかなかいいなと思った。膨大な情報が次々と更新され、何もかもが渾然となりどんどんと流されていく新陳代謝の激しい今の時代には、昔懐かしい時差みたいなところもあり、自分自身の裁量で適度にブレーキを踏みながら、無理せず(メディアとつき合い)のんびりいこうよ、と言っているようにも感じる。

これまで村上さんはエッセイや本の中で、カポーティやフィッツジェラルド、サリンジャー、アーヴィングなどについてはたびたび触れてはいるけれど、そういえばピンチョンについては、なかったような記憶がする。そして僕はピンチョンに対してどういう風に思っているのかがやっぱり気になっていて、上記リンクのQ&Aはとても興味深かった。
また、村上さんの影響力は相変わらず健在で、この「V.」好き発言のあとも、過去の例と同じように、ハルキニストたちがピンチョンの小説を手に取るようになっていた。


 いつまでも自分の心を打ち続ける一冊の本を持っている人は幸福である。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」村上春樹・安西水丸、より
"旅行のお供、人生の伴侶" / 新潮文庫(p250)



「インヒアレント・ヴァイス」の原作、ピンチョンの「LAヴァイス」の翻訳者、佐藤良明さんのブログにこの映画のわかりやすい解説があった。この映画は言葉(セリフ)の密度が高いので、やっぱりある程度予備知識を入れておかないと少し分かりづらい。


 わからない映画、にしてしまっては勿体ないので、『インヒアレント・ヴァイス』を観に行く前に、どうぞ、予習をしてください。この映画、筋を事前に知っても「ネタバレ」とはならない、そういう映画ですのでご安心を。


■ サトチョンの翻訳日記、より
〜『インヒアレント・ヴァイス』予習のページ〜
http://sgtsugar.seesaa.net/article/417698128.html



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2015年04月25日

映画「インヒアレント・ヴァイス」を観てのあれこれ


映画『インヒアレント・ヴァイス』予告編(2015年4月18日公開)日本語字幕付



めずらしく、公開中の映画を見に行った。「インヒアレント・ヴァイス」。トマス・ピンチョン原作、ポール・トーマス・アンダーソン監督のアメリカ映画。去年の冬、ユーチューブで見た予告編から約半年弱、ほんと日本での公開が楽しみだった。試写会などをのぞくと、映画館の大きな画面で鑑賞するのは、ずいぶんと久しぶり。前は何を観たっけ? と、思い出すのにも少し時間がかかる。そして最近の映画館は予約制になっていて、全席指定、立ち見なしのシステムになっているんだ、とかを知る。"手順通りに従えば"快適に鑑賞することができるのはいいんだけれども、慣れないものだからやや面倒くさかった。

子供の頃、人気のある映画は立ち見なんて当たり前だった。きっと客足が多く混むだろうと踏んだときは、ひとつ前の上映回に行って、次回の順番を待ち、終わった客が出てくるのと同時に、ホール内になだれ込んで、座席を奪いあう。とにかく座席を確保するまでは、列に並んでいる間も気が抜けなかった。こういう理由で皆、目がギラついている。運悪く座席を確保できなかったら、通路にしゃがんで見たり、映画を見るに至るまでがちょっとしたアトラクションだった。当時の映画館は完全な入れ換え制でもなく、ルーズなところがあったので、いったん出る振りをしてまたホールへと戻る二度見の客もけっこういたりもし、そういうのをめざとく見つけた客が「おまえ、さっき見てたやろ、そこ(席)どけ」なんて言いだし、喧嘩がはじまったり、まぁおもしろかった。開演を待つ長い列の中で(映画館のロビーを飛び出し二三階下の階段にまで続くこともめずらしくなかった)、これから同じ映画を見るだろう客をじっくり観察したり、その数の多さを見て、これから始まる映画への期待がいっそう広がったりした。そのときに何の映画を見たのかは、記憶の奥からひっぱり出さないと思い出せないけれど、上映前に起こった妙ないざこざだったりはわりとすぐに思い出せる。なにもかもがスムーズに行き、ことなく終わるよりもSomething Happenedがあった方が楽しいのに。そしてまた、上映中もうかうかはできなかった。座席の細い肘掛けをめぐって隣の人と腕のぶつかり合い。でも今は間合いのある座席になっていて、こういった攻防をする心配も必要ない。ゆったりとした座席に腰を下ろし、開演までの短い時間を落ち着いて過ごせる。まぁたしかに、映画館の中が街の雑踏よりもひどい、という状態よりかはマシか。

さて、「インヒアレント・ヴァイス」。ユーチューブの日本語字幕の予告編をみると、アクセス数があまり伸びてなくて、もしかして貸し切り状態でみれるか? なんて行く前は心配をしたりしたが、いざ映画館に足を運んでみると、平日夜の回だったのに7割ほど席が埋まっていて、予想以上。少し安心した。受付の人に活況具合をたずねると、この映画、都内では渋谷と豊洲の二カ所でしか上映してないこともあって、封切り最初の週末は満席だった模様。どんなマイナーものでも、それなりに人が集まるところは、ある意味東京(あるいは大都市圏)の良さだと思う。日本で、しかも字幕ありで、公開してくれただけでも感謝もの。観客の年齢層は三十代から五十代くらいにかけてが多く、なかには通りすがりに立ち寄ったのか?(渋谷にあるだけに)と思うような若い子もいた。年配の人はたぶんピンチョン・ファンなんだろうなと思って眺めていた。

映画そのものは、楽しくみれた。とはいっても原作の「LAヴァイス(邦題)」は読んでないし、ポール・トーマス・アンダーソン監督の他の作品はこれまで観たことがない。普段頻繁に映画を観ているわけでもないから、映画のなんたるかを書くなんてことは、僕にはそうとう難度が高い。こういう悪夢みたいな状態でも、何か感想のひとつでも書いておきたいと思わせるのがピンチョンの魔力なのかも。

映画をみてまず思ったのは、これ、元の小説は相当密度の高いものなんだろう、ということ。映像を観ながら、小説ではきっとこういう、ああいう文体で描写をしてるんだろうとかを想像する。くせ者そろいの登場人物の描き方は個性が分かりやすく、また役者もぴったり。それがこの映画で一番の魅力にもなっている(そして、やたらと葉っぱ、ドラッグを吸うシーンが多く、1970年代当時のLAってこういう雰囲気だったんだろうなと思わせる。ゴールデン・トライアングル産の高級品”チャイナホワイト”が出てきたり、ヒッピー・カルチャー全盛のアメリカがここにある)。映画の場合、シーンの描写や人物の感情、心理状況は映像と音が補ってくれているから、観客はおおよそ、セリフを追いかけるだけでいい。その点が本を読むのとは大きく違うところ。それでも、ピンチョンの小説がベースになっているだけに、当然、セリフの一句一句にいろんな隠れた意味があって、それがまた幾層にも絡み合ってくる。これが後半にかけて、ちょっとやっかいになる。僕の場合、セリフに含まれる情報量の多さに、頭が追いつかないという状態になってしまった。映画の場合は、DVDのように停止ボタンもないし、本を閉じてひと休みというわけにもいかない。でも、ストーリーは次から次へと流れるわけで、いちいち立ち止まることはできない。取り残されないように懸命についていくんだけれども、それがある時点でぷつんと切れてしまった。おおよそ六割を過ぎたあたり。映画自体も後半に入ると、話の進み方が早くなって場面展開がうまくつながらない(ように感じた)。前半の編集具合がすばらしく良かっただけに、少しそこが目立つように思えた。はじめの方は期待がどんどん膨み、テンポもいいため、よけいに後半との差が感じられた。うまいたとえじゃないけれど、村上春樹の「1Q84」を読んだときのあの感じと少し似たところがある。第二巻の後半あたり(だったかな?)。集中力というか前半の勢いが急に衰える、妙な失速感。もう少し分かりやすくいえば、肺活量のある人が大きな風船をいい形に膨らませていって、しかし、途中で咳き込んでしまいしぼんでしまったという感じか。見ている間は、うまく物語を把握できずにいたけれども、帰り道の間にゆっくりと未消化だったシーンなどが、つながりをみせる。ピンチョンの小説と同じようも二度、三度みて面白さがわかったくるタイプの映画なのかもしれない。
おそらくこの映画は全十二話くらいのドラマ・シリーズにすると、この物語を、うまく映像で描けるんじゃないかと思う(きっと極一般的な映画の尺には収まりきらなさそう)。舞台になる場所もLA近郊の限られたエリア。とくに派手な場面があるわけでもなく、また「映像で魅せる」要素もそうない。この街で繰り広げられるシチュエーションが続いていく。きっと、映画つくりの場合、緻密で複雑なストーリーは向いてないのだろう。いい意味で"抜け"と"わかりやすさ"のある物語の方が、観る側も受け取りやすい。おおよそ、短編から中編くらいのボリュームで、粗筋から少し話を膨らませるようなものが、映画というメディアに向いた作品に仕上がるんじゃないかと思ったり。ピンチョンでなら、初期短篇集「スロー・ラーナー」に収録の「秘密のインテグレーション」を、「パリ、テキサス」のようなドライなタッチで撮ったものがしっくりとくるように思う。
小説と映画では、表現方法が根本的に違うから、それぞれに合った適切な物語というものが生まれてくるはずだ。小説には小説の、映画には映画に向いた物語。ピンチョンの描いた物語を映画にしようとするのは、やはり相当に難しいんだろう。いや、小説を映像化すること自体に、やはり難しいものがあるんじゃないか、と。途中から、なんでアンダーソン監督はこの小説を映画にしようとしたのか、なんてことを考え始めた。小説を原作にしたすばらしい映画も確かにたくさんある。ヒチコックやキューブリック、コッポラの代表作は元が小説だし、ロード・オブ・ザ・リングなんかの大作もある。これらは映画、原作ともに完成度の高い。一方で「映画化しないほうが…」というのも、それはそれは数多くあって、そういったものは皆の記憶からはいつの間にか消え去ってしまい、存在したのかすら誰も覚えてすらいない。結果的に小説と原作の素敵なマリアージュ的なものだけが、僕たちの知るところとなっている。

で、結局この「インヒアレント・ヴァイス」良かったの? と言われると、すごく満足している。けっこう笑い・ユーモアのセンスが各シーンそれぞれに散らばっていて、くすくすとくる。やっぱりそこはアメリカ映画。ただ、ピンチョンに興味ある人以外は、いまひとつわからないんじゃないかという感じは多分にある。観終わってひとつわかったことは、予告編でもう映画のほぼだいたいが伝わっている、というスゴさ。そういえば、ホアキン・フェニックス演じる主人公(探偵ドック)の天敵刑事ビッグフットがパンケーキをむしゃむしゃ食べているときに(予告編の中で"チョット、キニキロー、モット・ペニケーク!"と叫んでいる店)、坂本九の「上を向いて歩こう」がラジオから流れてくるシーンがあり、これが原作小説にあるものなのかが少し気になった(ピンチョンはわりと日本贔屓)。音楽はレディオヘッド(のメンバー、Johnny Greenwood)が担当で、カンの「vitamin C」をかっこよく流している。


映画の中では、印象的なセリフがたくさんあって、なかでもひとつこれは! というのがあり記憶に残っている。

質問をする人は、すでにその答えを知っているものが多い。
ただ、他人の口からその言葉を聞きたいだけなんだ。

(メモってないので確かこんな感じだった)

このセリフ、映画のタイトル「Inherent Vice」(海上保険の業界用語で"内在する欠陥"の意)と通じるところもあり、けっこう響くものがあった。自分の口からは言えないんだけれども、他の人から聞くことによって、その意味を受け入れる。自分で自身のかかえている核心にふれられない心の弱さ、って誰しも持っているんだなと。


映画が終り、エンドロールが流れ、最後に短い言葉がスクリーンに映る。

Sous les paves, la plage
(アスファルトの下は砂浜)

字幕には「パリ五月革命の落書き」とのキャプションがつく。このときは、その言葉の背景がわからなかったが、改めて調べると、ああピンチョンだ。と思った。1968年「五月革命」の最中に誰かが、壁に書き残した言葉。デモに参加した学生たちが、足元の舗石をはがし警官に投げつけ抵抗した。そのあとに残った街の光景と、この運動を象徴する意味があったのだと。今年(2015年)一月に起きたシャルリー・エブド襲撃事件後のデモなんかともリンクする。



■ 壁の言葉を眺めに街へ出よう『壁は語る 学生はこう考える』(恵文社一乗寺店・店長ブログ)
http://keibunsha.jpn.org/?p=8361
「Sous les paves, la plage」について、いい記事があった。
こんな風に出来事を掘り下げつつ、本(商品)を紹介されると、愛情感じられ興味がわいてくる。


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2015年01月20日

めずらしく、おすすめ番組・トマ・ピケティ

21世紀の資本.jpg
『21世紀の資本』トマ・ピケティ  

こないだ、本屋さんに行ったら(ピンチョンのLAヴァイスが、渋谷〜新宿どこも売り切れで買えない!)、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の本がレジの前にどかんと山積みになっていて、すごく盛り上がってるんだと、おどろいた(番組がすごく良かった)。本をぱらぱらっとめくってみると、詳細な統計データと、それに裏づけされた新しい時代の経済理論の展開が、どっしりとしたヴォリュームで書かれていて、思わずこっちが欲しくなってしまう。

で、このピケティ教授のかっこよさは、こういったところに表れている。
ピンチョンもそうだけど、超異端な才能を持った人って、スタンスがすごいクールなんだよな。
人間の器って、こういった態度・姿勢に現れるのだと。 雑魚との決定的な違い。
シャアの台詞にもある「ザコとは違うのだよ、ザコとは」


著書「21世紀の資本」が世界的なベストセラーとなった同国の経済学者トマ・ピケティ氏が、フランス政府によるレジオン・ドヌール勲章の受章を拒否する考えを示したと報じた。

 ピケティ氏は「誰が名誉に値するか決めることは政府の役目とは思わない。政府は経済成長を回復させることに専心すべきだ」と述べたという。


仏経済学者、国家勲章受章を拒否 著書が世界的ベストセラー
http://www.47news.jp/CN/201501/CN2015010101001137.html


■ NHK パリ白熱教室(毎週金曜夜放映)
http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/paris/about.html
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2014年08月16日

2014年のKAZANTIPは、グルジアで


Drone's eye view of Burning Man 2013

やっぱり今年は、クリミア半島の緊迫化でフェスをやるどころじゃない状況で、KAZANTIPの開催そのものが危ぶまれていたけれど、場所と日程を変えて行われる様子。新会場はグルジアの「アナクリア(Anaklia)」という黒海東部に位置する町。ここはグルジア有数の港のひとつ「ポチ」の少し北側にあたる。カザンティップからは南東に700kmも離れた場所だが一応、黒海沿岸にはある(この手のフェスは、開放感ある海沿いでないと盛り上がらないんだろう)。期間は8/20-30までの11日間と、例年よりもやや短い。でも、なんでまたグルジアなんだろう? と不思議に思ったりするけれど、地名の字面で選んだようなフシが感じられたり。日本人にとっては、ウクライナもなかなか行きづらい場所だったと思うが、グルジアだなんて、さらに馴染みがなくなってしまった(個人的にはすごく興味ある地域)。アナクリアのすぐ上、グルジア北部にはアブハジア紛争地域があるため、この会場もまたそうそう浮かれて踊ってられないかもしれない。もし行くとすれば、トルコ経由(トラブソンから黒海沿いに)が一番簡単だと思う。他、ブルガリアのブルガスとポチとの間に船が就航しているみたいだが運賃が高い! マレーシア航空機墜落の原因も未だ不明なままだし、ヨーロッパ側からだとこの地域を飛行機で飛んでゆくにはやや勇気がいるような。はたして今年は、どれだけの人が集まるのか予想つかない。グルジアは、90日以内の観光であればビザは不要。

カザンティップの開催がずれこんだことで、アメリカ西部・ネバダ州にある砂漠のど真ん中で開かれるパーティ「バーニング・マン(Burning Man)」と、ちょうど時期が重なってしまった(バーニング・マンの開催期間は8/25-9/1)。強引に言ってしまえば、陸のカザンティップのような感じだろうか(歴史はBurning Manの方が古い)。カザンティップとバーニング・マン、この二つのビッグ・フェスを制覇するフリーキーな人はそうそういないだろうけれど、それぞれ別の大陸で同じようなイベントが、同じ日時に行われる縁というかつながりのようなものは、きっと体験した人だけが共有できる、一種の醍醐味になるのだろう。去年の映像を見ると、とても非現実的で、未知なる惑星にでもトリップしたような感覚になる。ここって同じ地球? なんて風に。奇妙なオブジェやデコレートされた巨大トラック、その中でうごめく人たち、まるで映画「マッドマックス」の世界が目の前に現れたという感じだ。宿泊テントやトレーラーハウスの集まって出来た街が、乾いた砂漠の中に忽然とあると、思わず難民キャンプを連想してしまったりもして、何かの自治区的な様にも見える。「スターウォーズ」のタトゥイーンなども思い浮かんだ。
会期中の土曜日深夜に、人の形をしたでっかいオブジェに火を放ち、燃やしつくすという慣わしがあって、そこから"バーニング・マン"という名がついた。この瞬間は、パーティのハイライトといっていいのだろう。その様子はスイスの伝統的な炎祭り「キエンベーゼ(Chienbäse)」と少し重なるところがあり、どこかヨーロッパ的な匂いがする。しかし、こういったスケールのでかいイベントと、そこに集まる人たちをみていると、欧米にはまだまだヒッピー崩れというかそういった人種が沢山いるんだなと実感する。

Burning Man
http://www.burningman.com/
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2014年03月02日

今年のKAZANTIPはどうなるの?


ウクライナ情勢の混乱で、クリミア半島がきな臭くなってきているけれど、今年のカザンティップはどうなるんだろう? スペインのイビザにとってかわり、この数年、盛り上がってきたウクライナの野外パーティ「カザンティップ共和国」。毎年夏の短い間だけクリミア半島のビーチで開催されている。年を重ねるごとに段々とステージの規模が大きく、派手になり、またアホっぽくなってきている(のがちょっと気になる)。日本ではウクライナ自体の知名度があまりないのに加え、直行便がないために、日本人の観光先としてはそれほどメジャーではなく、このイヴェントもさほど知られていない感じもあるが、ヨーロッパの若いひとたちの間ではけっこう人気がある様子。ネットにある写真や映像を見ていると、めちゃくちゃ楽しそうで(美女も多いし何といっても、そう目玉のアレ…)、ああ、やっぱし行ってみたい。以前ほどの過激さは少しなくなってきている感じはさびしい。いっそのこと本当に「カザンティップ共和国」として独立してしまえば、ロシア、EUの両方から案外認められたりして。
最近の世界情勢はほんといつ、どこで何が起こり、一変してしまうか分からないから、行きたいところは行けるときに行っておくべきだなと改めて思った。

*ウクライナはネオナチ(スキンヘッズ)の活動がけっこう盛んなので、東洋人は標的にされやすく注意が必要(鉄パイプを見ても平静でいられるツワモノにはあまり関係ない話かもしれないけれど)。
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2013年03月31日

"歴史 de DANCE" by 杏窪彌(アンアミン)



「杏窪彌(アンアミン)」さんの新曲「歴史 de DANCE」がすごい良かった(「10,000 Track Professional(旧・路地裏音楽戦争)」さんで紹介していてはじめて知った)。ヴォーカルのMINさんは台北生まれの東京育ちだそうで、日本語と台湾語をうまくブレンドした歌詞は全く違和感なく新鮮に聞こえる。ゆったりした無国籍なサウンドに乗せられた歌詞の語感がすごく面白くて、パフィーの「アジアの純真(井上陽水は、この曲の作詞をする際に言葉の響きを一番大事にしたと言っていた)」を思い出した。THE JACKSON 5の「ABC」が下敷きになっているのかもしれない。ギターの音が80年代のイギリスのギターポップ・バンドの出していたものと重なって、すごく懐かしい感じ。レトロチープなPV、振り付けもすごくかわいくて、クレヨンと落書き帳を手に駄菓子屋に入り浸っているような楽しい気分になる。「夏天 (シャーテン)」という曲もすごく良くて、東洋一のネオ歌謡(本人曰く)というだけの怪しさ満開。


杏窪彌(アンアミン)|un amin
http://www.un-amin.com/
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2012年12月24日

"Whoa Oh Oh Oh Oh" by The Ascetic Junkies



ちょうど、去年の今ぐらいの時期だったと思いますが、フローレッタがYou Tubeにアップした「重いビデオ」の動画で、この曲をBGMに使っていた。ザ・アセティック・ジャンキーズというバンド(Kali Giaritta と Matt Harmonの二人を中心にしたユニット、E.B.T.G.のような感じ?)の「Whoa Oh Oh Oh Oh」。彼女のつくった動画も衝撃的だったけど、何よりこの曲がすごい気に入ってしまった。当時は、このバンドはまだそれほど知られているわけでもなかったので、どうやってこの曲をフローレッタが知っていたのかというのも不思議だった。個人的には、この曲のPVを作るのなら彼女の動画「重いビデオ」しかありえない、と思うくらいに歌とマッチしていたと思う。イントロを聴いただけで、ベッドに服をたくさん並べて、お出かけ服を選んでいる映像が思い浮かんでくる。

イギリスの女の子(すごいキレイ)が、この曲をカバーしている動画も、初々しさがあって素敵(特に後半ノッてきたあたり最高)。
http://www.youtube.com/watch?v=TVy54OsQZSA

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そういえば、「Whoa Oh Oh Oh Oh」のように感嘆詞が曲名になった歌っていくつかあったなと、パッと思いつくのをいくつか。

Frank Zappa "Oh No" / フランク・ザッパ「オー・ノー」
"Weasels Ripped My Flesh(邦題:いたち野郎)" (1970) に収録

Roxy Music "Oh Yeah" / ロキシー・ミュージック「オー・イエー」
"Flesh and Blood" (1980) に収録

Kate Bush "Wow" / ケイト・ブッシュ「ワゥ」
2nd Album "Lionheart" (1978)に収録

808 State "Ooops" featuring Bjork / 808 ステイト・フューチャリング・ビョーク「ウープス」
"ex:el" (1991) に収録

曲名ではないけれど、a-ha(ノルウェーの三人組バンド)も意表をつく名前だった。
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