2016年06月12日

sometimes it Snowden in April...not June


Nine Inch Nails - Ghosts I - 2


自分たちの秘密の世界は、切りはなされたべつの世界で、あたしは半人間たち(ハーフ・ピープル)の島に永久追放されたものだと思っていました。けれども、トマス、そこは切りはなされてはいないのです。神は教えてくれました ―― それはあたしたちを取り巻く現実世界のまんなかにあって、ただドアをひらいて外に出れば、自由になれることを。

「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」ジョン・ル・カレ(村上博基訳)、より
(ハヤカワ文庫NV・p101)




エドワード・スノーデンを追ったドキュメンタリー映画「Citizenfour」を観る。海外サイトには監督ローラ・ポイトラスがどうやってこの極秘取材を進めたのか等、時系列をふまえた記事やインタビューが数多くあって、またそれぞれにボリュームもあり関心度の高さがわかる。興味ある記事もいくつかあったので、僕は辞書をひきながらのんびり読んでいこう。ようやく日本でも公開。この映画は、時事性の強い映像作品でもあるから発表時に渦巻いていた期待熱はやや冷めたところはあるが、その間にもスノーデンの告発&亡命が導火線となっているだろう「パナマ・ペーパーズ」の問題が起こったりもして、少しは追い風にはなっているんじゃないかと思う。少し経てば、きっと専門的な人などが詳しい情報を交え、webやblogなどでアップしてくれるだろうから、そういったのにも少し期待。僕は普段から、さほど映画を観ているわけではないし映像に関しても疎く、そういった能力はないので勢い感想くらいしかかけないや。まぁ、でもそれについて考え、少し書くことで理解の度合いは増えるだろうから、何もしないよりかはいいかなと思ったり。そのときに観たり聴いたりしたものについて、自分がどう感じたか等々を書くのは、やっぱりその瞬間にしかできないもので、あとからでは、当時の新鮮な感情(や考え)を思い出すのはなかなか難しい。ちゃんと見れてないこともあるだろうし、思考が至らないことばかりだけれど、それもそのときの自分なのだから、と、最近はあまり気にすることもなくなってきた。ということで以下、映画「Citizenfour」についてのあれこれ。こうして、映画や映像にinfluenceされ、何でもいいからちょっと書いてみたくなる、ってのはやっぱりいい作品だという証拠なんだろうな。何か素敵なものに触れると自然と言葉が湧いてくる、例えたどたどしくっても、それが自分の受け取った「何か」なのだろう、と。

「Citizenfour(2014)」は、ポイトラスの "9/11 Trilogy(9.11三部作)" の3作目、締めくくりにあたるのだそう。「My Country, My Country(2006)」「The Oath(2010)」と合わせた、彼女の映像3作品がDVD-BOX SETとしてパッケージングされている。


3 years ago in June
そうか、スノーデンがアメリカの情報収集・監視機関NSAの内部告発をし香港に逃亡、このスクープをすっぱ抜いたガーディアンのグレン・グリーンウォルドによる報道がちょうど三年前の今ぐらいの時期だった(途中、各国の街の電光スクリーンにそのときの報道シーンが映る)。スノーデンの滞在していた香港のミラ・ホテル、10階で秘密裏に行われていた取材の様子を中心に構成された映画(ここはデザイナーズ・ホテルとして改装したらしくインテリアなど、わりとお洒落。取材映像の仕上がりを意識して選んだのかな? なんて後で思う)。スノーデンはお互いの連絡には、PGP(Pretty Good Privacy)という暗号ソフトを使うように提案し、簡単な仕組みをレクチャーする。自分のいた諜報世界のことをよく知っているだけにとにかく慎重だ。このくだりは暗号と戦争の歴史にもつながってくるので、興味深いものがある。どんな重要な情報を持っていても、それをプロテクトし目的地へ放り投げる術を持っていなければ、たしかに諜報活動の場合仕事をしたことにはならない(サイモン・シン「暗号解読」は暗号技術のテクニカルな話もふまえつつ、歴史や思想的な話も盛り込んでいて読みやすく面白い)。暗号史という切り口で、この映画を観てみるとまた違った発見があるのかも。

1分でわかるPGP(村川研究室)
http://www.wakayama-u.ac.jp/~takehiko/pgp.html

緊張感の漂うなか取材は進む。スノーデンの飄々とした口ぶりと反比例するように、アメリカのスパイ組織(CIA)による地球規模で行われている監視体制の全容が見えてくる。それとともに、彼らは事の重大さと自分たち(ジャーナリスト)が抱えられるような問題でもないことがわかってくる。世界中の誰もが知らない大きな秘密を共有してしまった(スノーデンをのぞく)三人は、後悔しようにももう後にはひけない。映像を通し、観ている側にもそれが伝わり手に汗握る。スノーデンはくつろぐベッドから手を伸ばし、電話機を持ち上げてみせる。そして片手でつかみ直すと真剣な表情に変わる。次いで「通信回線一本あれば、ホテル内の盗聴も接続機器の遠隔操作も(地球の裏側からでも)可能なんだ」と冷静に言う。その事実を知っているものだけが口にし言葉にできるリアリティ。多くのユーザーが使っているパソコンにも勝手にメモリーチップや隠しコードなどが組み込まれ、僕たちはおそらく気づかないまま使い、また買い替えているのだとも。こうしてグレンが普段使っているノートブックの小さなからくりをいとも簡単に見破る。全世界での一斉に報道された後、スノーデンはアメリカ政府から追い込まれ(恋人や家族も)、とても切羽詰った逃亡劇へと場面は展開する。ほんと映画以上に映画的だし、ドラマティックで非現実の世界。こんな世界が実際にあるんだな。そして今もごく一部の人間が、多くの人たちを常に見張っているというのも変わらない。きっとアメリカのトップ、オバマですら知らない事実もあるだろうし、一体誰がこの国をコントロールしているんだろう? なんてことを観ながらぼんやりと考える。

ジュリアン・アサンジもちょこっと登場する。モスクワの空港で身動きの取れなくなったスノーデンに対し、チャーター機を飛ばして、エクアドルかベネズエラ(だったかな?)に亡命させるよう電話でウィキリークスの編集長の女性に語っていたのがかっこよかった(まるで、タクシーを呼び寄せるかのような、ごく自然な振る舞いをみると、やっぱり彼はエリート中のエリートなんだろうな。それとも欧州は、そういう需要がさほど珍しくないのか)。「アメリカCIAの秘密を暴露した青年が、どこか亡命先と命の保障を希望してるんだけど、手助けしてやれないかな…」と、いつもの、あの抑揚のない冷静な口調で受話器に向かって話す。アサンジもこの突然の逃亡劇ニュースには驚きを隠せない様子だったが、スノーデンには何かシンパシーを感じている風でもあり、いつかめぐり合うだろう同胞を待ちわびていたような感じもした。このときアサンジ自身も、在ロンドンのエクアドル大使館から一歩も出れない状況だったから、彼の申し出はより意味を持つ(この映画のなかでのアサンジは、ミステリアスな雰囲気をかもし出していてガンダムのシャアっぽい)。それにしても、ロシア域内に入った瞬間にスノーデンのパスポートを失効させたり、当然なのかもしれないがありとあらゆる妨害工作を働く国家と、それから守ろうとする人たちの攻防というか頭脳ゲームがあるのもこの映画の見所のひとつだった。
他観ていて思ったのは、ほんと西洋の社会って論理というか理論で動いているんだな、ということ。アメリカのもつ巨大な権力だったなら、組織を裏切った人間一人二人くらいなら、秘密裏に殺害することも出来ただろう。けれども、スノーデンを取り囲むジャーナリストや法律家たちは、メディアの持つ裏の刀、大衆の関心を引き寄せるという部分をうまく利用し、頭脳と知恵を駆使して命のセーフネットを張る。このあたりはけっこうシビレるものがある。異端児対世界最大級の国家、という構図で後半は進んでゆく。高層ビルや近代的な建物、モバイルやモニタールームなど最新の機器が写りこむが、やってることはほとんど中世の世界だ。

911以降、アメリカ政府の監視体制が、一般市民に対しより広くやりやすくなったと映画の中では何度も繰り返されている。いまだに、いろんな説が飛び交う911だけど、一番の目的は、この暴露で知ることになった〜世界中の名もなき市民を一人残らず(合法的に)監視する法律〜を成立させる為だったんじゃないだろうかと思えたり。

Citizenfour - Soundtrack
エンドロールが流れ、そういや印象的なシーンで頻繁に流れていた音楽って誰の演奏なんだろう? とふと気づきクレジットを目で追っていくとナイン・インチ・ネイルズだった。映像のトーンに良く合っていたせいか、既存の音源だとは思わず、てっきりこの映画のためのオリジナル音源だと思っていた。それだけに意外な選曲だった。(イタリアのノイズ音楽家)マウリッツォ・ビアンキの「 FIRST DAY - LAST DAY 」を彷彿させるアンビエントな感じや、This Heatの1st、ソニック・ユースの「 Providence("Daydream Nation" に収録)」あたりの音響(音像?)感もある。都市と人、あるいは人と都市、存在としての有機体が巨大な無機物に囲まれ磨耗してゆき、なにかポロポロと心が壊れ・剥がれていくような空虚さ。荒廃的な雰囲気が漂いつつも、その中にわずかな再生の芽を感じさせる、そんな触感のあるいい曲だな。この曲を収録したナイン・インチ・ネイルズのアルバム「 Ghosts I-IV 」は全編インストゥルメンタルらしく、いくつかを聴いてみると、現代音楽にも近いアプローチがあったりして、彼らに抱いていた -ノイジー&ゴス- という印象ががらっと変わった。ノイズ・インダストリアルとアンビエント・ミュージック、街の雑音コラージュ、そしてサティ(風のピアノ)の組み合わせって、1990年前後には出尽くしたところがあり、もうそれほど斬新なところはないけれど、まだモダンというか知的な音作りの可能性が残っているところがある、とも感じたり。



From Inside the Snowden Saga:
How Laura Poitras Covertly Shot Her New Film, Citizenfour

(by Matt Patches / Vanity Fair - Hollywood / Oct. 23, 2014)
http://www.vanityfair.com/hollywood/2014/10/laura-poitras-citizen-four


How Laura Poitras Helped Snowden Spill His Secrets
(By PETER MAASS / NY Times / Apr. 13, 2013)
http://www.nytimes.com/2013/08/18/magazine/laura-poitras-snowden.html



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2016年05月14日

毛皮のコートを着たニシン


Японцы пробуют российские роллы, суши и
≪селедку под шубой≫

スプートニクの人気記事にロシアの寿司紹介があったので、つられて見る。海外の寿司文化って素材も違うし目にも楽しく興味あるけど、日本ではああいうのは本来のスタイルじゃない、といった風潮がまだやっぱり残っていて、どこか敬遠されがちだったり少し残念。味覚の違いもあるんだろうけど、そろそろ、逆輸入で取り入れた新しい日本の寿司っていうのを食べてみたいなと思ったり。
で、上動画で知った「毛皮のコートを着たニシン(セリョートカ・ポド・シュボイ)」という不思議なネーミングの料理が気になった(コートの下のニシンとも)。ロシアの名物料理みたいで有名だとか。塩漬けにしんに、ビーツとサワークリーム、じゃがいも&マヨネーズなどを重ねたものらしい。おいしそう。動画の女の子もカワイイ。一番いいのは、毛皮のコートを着た美人かな。

Herring under a Fur Coat (Russia Today)
http://russiapedia.rt.com/of-russian-origin/herring-under-fur-coat/

ちょっと話はそれるけど、最近木綿豆腐にバルサミコ(熟成したやつ)をかけるとウマイことに気づいて、良く食べている。豆腐を、カッテージチーズのブロックだと考えてみれば、さほど変な組み合わせでもないように思えたり。


日本人、ロシア流の「スーシィ(寿司)」にトライ (スプートニク)
http://jp.sputniknews.com/videoclub/20160512/2124673.html

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2016年05月04日

ちくまのミステリー

BooksChikuma-Apr-2016.jpg

アンナ・カヴァンに気をとられていたので、マクロイの「あなたは誰?」を買いそびれ、本屋さんの平積みだったものがだんだんと減っていき、さらに買いそびれてしまう。ぼくは中古本だとマーキングや書き込みがあっても多少平気だけど、新品で買う場合はとにかくキレイじゃないと気がすまない、というところがある。考えてみればCDやDVDだって、誰かが封を開けたり視聴したものを、抵抗なく買う人はいないだろう、そう変でもない、か。で、新宿の書店ではもうきれいなものがなくて、気がついたら池袋へと足を伸ばしていた。

ミステリーはけっこう未ジャンルだった。ページの進み具合はいわゆる純文学ものよりは早いので、少し古典的なものから読みはじめてみようかと。最近は長らく絶版だったものが新訳になって出ていたり、コーナーに賑わいあってなんか嬉しい。にしても、マクロイはほんといいな。つい最近出たばかりの「二人のウィリング」は三、四日ほどで読み終えた。ベイジル・ウィリング博士のシリーズ。プロットに凝るというよりも、読者を物語の世界へと引きこむような文章に魅力を感じる。長編以外でもSF・ファンタジータッチの短編などもあって、短篇集「歌うダイアモンド」もすごくよかった。彼女の作品に通じるのは知識の豊富さが、ストーリーに深みを与えていて、あまり女性作家っぽくないところ(というと怒られそうだが、文章が論理的なのではじめは男性作家だと思った)。

チェスタトンは前から気になっていたもので、何から読んだらいいのかわからず、よく行く古書店に置いてあったものを手にした。イギリスの作家っぽいシニカルな言い回しが好みの分かれるところかも。ディケンズの「荒涼館」は、ミステリー小説の要素が強いことで有名らしく、一度読んでみようかなと思った(これ全4巻もあって、めちゃくちゃ長い!)。でも、集中力がいるから、たぶんしばらくは読まないだろう。


 アガサ・クリスティもディケンズの愛読者で、この『荒涼館』をとりわけ好み、脚本化しようと考えたこともあったが、登場人物が多すぎて、魅力的な人物を多数カットしなくてはいけないと気づいてあきらめたという。


海外クラシック・ミステリ探訪記 - チャールズ・ディケンズ『荒涼館』
http://fuhchin.blog27.fc2.com/blog-entry-409.html
海外ミステリに詳しい S.フチガミさんのブログ(ちくま・マクロイの翻訳者)。
未邦訳のタイトルの紹介もたくさんあって、めちゃくちゃマニアック!



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2016年04月26日

もう一人のプリンス


先日流れたプリンス死去のニュース、そして今年はじめに亡くなったデヴィッド・ボウイ。相次いで大物ミュージシャンが去っていった。二つの才能、プリンスとボウイは、音楽に対するアプローチが全くの正反対であるところなどは個人的に興味深いところがある。ボウイは楽曲に関する権利や、今のインターネット時代における音楽のあり方にも柔軟に考えていて、一方プリンスは、自身の許可なくネットの中で、著作権や肖像権が放棄されたような状態になっていることを危惧していた。プリンスは自分のPVを、ユーチューブにはオフィシャルでは上げていないし、レーベルなどでもそういったものはない(このあたりの厳格さはジャニーズ事務所と良く似ている)。音楽はすばらしいんだけれども、この何年かのプリンスのアプローチの仕方にはやや時代遅れな感も若干したり。両極端だけれどもボウイとプリンスのコンテンツに対する考え方は、少し意識して受け取る必要もあるなと思った。

で、プリンスと著作権についての記事がないものかと探していたら、あれ、ビックリ! もう一人のプリンス、現代美術作家のリチャード・プリンスの記事があったので、今度はそっちに興味がむく(ソニック・ユースの「Sonic Nurse (2004)」のジャケット絵を担当したことも話題になった)。この人は以前から広告の写真を加工したり(マルボロの広告を使った作品が有名)、雑誌の写真を複写して「自分の撮った写真」だと言ったり面白いことをしている。で最近のものは、人のインスタグラムに自分のコメントを付け、そのキャプチャー(?)画面をプリントアウトして作品にした「New Portraits」というシリーズだった。おそらく「全世界の人がアクセスできる、ネット上の情報はパブリックドメインになるのだから、そこに自分のコメントを書き込めば自分の著作として解釈できるんじゃないか? もしあなたが別なコメントをつければ、それはまた別なものになるわけで」ということを伝えたいのだろう。彼の作品は、いわゆるコンセプチュアル・アートにあたる。つまり「コンセプト」が作品になっているわけで、物質的な作品(ここではインスタグラムの出力写真)自体には、さほど価値はないはずだろうけれども、そこはアーティストのヴァリュー、これ一千万円の値段がついたとか。それだけあればパソコンとプリンターを何台も買えると思うんだけど。
シェア、共有って簡単にはいうけれど、はたしてどこからどこまでが自分の持つ領域なんだろう? と考えさせられる作品だな、と。

RichardPrince-NewPortraits_2014_976_Install_131.jpg
"New Portraits" by Richard Prince
http://www.richardprince.com/exhibitions/new-portraits/
(上画像は本人サイトより)

RichardPrince-instagram-NewPortraits.jpg
(上画像は下記サイトより、リチャード・プリンスのコメント箇所にピンクの下線つけてます)

インスタグラムの時代に生まれたアート(text : Keiko Hudson)2015.05.26
http://www.vogue.co.jp/blog/keiko-hudson/archives/2895


Richard Prince "Nurse Paintings" series

RichardPrince-Nurse of Greenmeadow-2002.jpg
"Nurse of Greenmeadow", 2002
http://www.richardprince.com/publications/#/detail/37/
「ナース・ペインテイングス」は、街のキヨスクなどで売られている大衆小説、ナース・ロマンスもの(多分看護婦さんとの妄想あれこれ)のペーパーバック表紙の上にペイントを施したシリーズ。海外では小説のジャンルとして確立しているみたいで、けっこうタイトルがある。

Pulp Covers - Nurse
http://pulpcovers.com/tag/nurse/


上作品、クリスティーズでは、8,565,000ドル(10億円弱?)の値がついた。
http://www.christies.com/lotfinder/paintings/richard-prince-nurse-of-greenmeadow-5792582-details.aspx



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2016年04月02日

街に浮かぶ文字

eLseed-Zaraeeb-Egypt.jpg
@eL Seed – Perception – Zaraeeb – Egypt
http://elseed-art.com/

フランス生まれのチュニジア人アーティスト、eL Seedによるエジプトでのアート・プロジェクトの模様。アラビア文字のカリグラフィを現代っぽくアレンジしたストリート・アートになるのかな。イスラム圏のタイポグラフィは新鮮で、普段みなれない様式だからだろうか、「ケルズの書(Book of Kells)」なんかを彷彿させるところもあって、(写本の文化があった)古い時代の文字の持つ魔力や、呪術的なものや神秘性が文字の形に表れているようにも思える(プログレ好きな僕は、キング・クリムゾンのアルバム「Discipline」のジャケットを思い出したりもした。このレコジャケはケルトの結び目-Celtic Knot-をイメージしたイラストを元にデザインされている)。
上画像の写真は街のランドスケープが一瞬、空爆か何かを受けたあとの廃墟みたく見えたけど、多分途上国に多い「途中まで建てた」スタイルの建築方のためこういう外観になっているのだと。アートに寛容な、というか、生活そのものを楽しんでいる住人がいなければ、こういったことはできないだろうから、作品の良さ以上に地域コミュニティのあり方・成熟度にうらやましさを感じたり。

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2016年01月09日

ぱぱぱぱーん ぱーん ぱぱぱぱーん ぱん


Nausicaa: The Force Awakens Mashup/ Side by Side

いや、やっと観にいけた、スター・ウォーズ。
映画って予告編ではすごい期待させるんだけど、いざ観るとたいていその期待は外れ、観終わったあとのテンションはおおよそ6-7割くらいに減っていることがけっこう多いが、スター・ウォーズの最新作・エピソード7は予告編で期待させた以上のものがやっぱりあって、このあたりはさすがだなと思った。

行ったのは、平日の夜、新宿の大きな映画館。その日は映画のサービス・デーなんかの翌日だったらしく、こういうときは客足が少ないらしい、ちょっと覚えとこっと。いざ会場に入ると、400席以上あるシアターで僕を含めて観客はたったの5人。ほとんど貸切り状態。おかげでいい席でゆっくりと観れた(たぶんけっこうマイナーだったはずの、ピンチョン映画「インヒアレント・ヴァイス」より客が少ないのはどういうことなんだろ?)。しかし、公開から二週間と少し経った頃とはいえ、繁華街・新宿でスター・ウォーズの看板がありつつ、この状態ってあんまり盛り上がってないの? と若干心配もしたりしたが、たまたまだったのかな。

にしてもまぁ、デイジー・リドリー演じるレイのカワイイこと。二の腕がちょこっと見えるだけで、肌の露出が少ない衣装はかえって色気ありに見えたりもし、見とれてしまう(今回からディズニー制作になるのでいろいろ制約も多いのだろう)。それはいいとして、彼女が登場するシーンでこの映画は始まる(レイは墜落したスター・デストロイヤーの残骸からジャンク品をかき集め、それを売って生活している)。冒頭部分は映画を印象付けるけっこう重要な描写が必要だと思うが、このジャンクあさりのシーンは、風の谷のナウシカを彷彿させるものがあって、少しおどろいた(ナウシカがメーヴェでさっそうと現れ、腐海で朽ちた王蟲の遺骸から目のパーツを切り取る場面との共通点が多い)。と、考えてみれば、スター・ウォーズ・シリーズの最初の作品・エピソード4の冒頭シーンも、黒澤明の映画からの影響を受けていたのだからさほど意外性あるわけでもないか。旧三部作(Original trilogy)のときは、特撮映像の斬新さやメカのデザインなどで、最先端のSF映画というイメージを引っぱり、けっこう多大な影響を与えていたと思うが、もうそういう要素は感じられなかった。スター・ウォーズを観て育った世代がもっと時代の感覚にあったものを作ってきているし、現実的にもニュースや動画サイトにあるAmazings! やISILなどの映像の方が、より非現実的だったりと、なにかいっぺんするっと裏返ったような、そんな印象を持ちながらこのスター・ウォーズをやや冷静に観ている自分もいたりする。とはいいつつ、クオリティはやっぱり高いので、そのあたりは決して不満になることはないんだけれども、ただかつては時代の先をいっていたものが、時代と並走するか少し追い抜かれたようなところが見えたことに、ちょっと切ないものがあった(ストーリーもエピソード4の焼き直しやしね)。old school.

しかし、出てくるもの全てにメタファーがあるような、いろんな見方・想像・解釈の仕方ができるので、観ながらも観おえたあとも、いろいろと考える楽しみはあって、他の映画なんかではなかなかこうはいかないんだろうな。いくつか気になったところはあるので、またそれについて書いてみたい。で、やっぱり冒頭のシーンはナウシカを連想する人が多いようで、ネットで見ていくと記事や検証動画なんかもけっこうあった。ひとつ上に貼っておこ(この動画は後半ちょっと絡めすぎで強引だがわかりやすい)。


26 Unanswered Questions of‘Star Wars: The Force Awakens’
http://www.slashfilm.com/star-wars-the-force-awakens-questions/
このサイトけっこうためになった。観終えたあとに出てくるあれこれをフォローしている。






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2015年12月18日

ちくま文庫のアンナ・カヴァン


what kind of bags do you like?
like that!


というわけで、あんな鞄じゃなくアンナ・カヴァン「 氷 (1967)」をストーブにあたりながらじっくり読んでいた。天板に乗せたヤカンの湧く音がしんと冷えた夜の部屋に小さく響く。その音が物語にまた良く似合う。夏に読むとホラー、冬に読むとさらにコワーで、(訳文だけど)この人の文章はとてもいい。閉ざされた世界、男と女(少女)、迫りくる得体のしれない自然の物質が中心になって描かれているあたり、安部公房「 砂の女(1962)」と通じる感触がある。どちらも書かれたのは1960年代と、第二次世界大戦後の米ソ冷戦下のときで、西側諸国に漂う緊迫感など、同時代・同時多発性的な流れが小説にも影響しあっていたんじゃないかとふと思った。ちくま文庫のは川上弘美さんの解説付で若いファン層にもアピールできていそう。出た当初からすごく売れていたみたいで、みんなこういうのを待ち望んでいたんだろうな。







【2階文庫】ちくま文庫新刊アンナ・カヴァン/山田和子訳『氷』発売3日目、とにかくものすごい勢いで売れています!アンナ・カヴァンを読んだことがない方も、現在カヴァン唯一の文庫なのでお手に取ってみてください。解説は川上弘美。ice!!um

■ 紀伊國屋書店新宿本店@KinoShinjuku (2015年3月12日)
https://twitter.com/KinoShinjuku/status/575951458224381952



アンナ・カヴァン『氷』(ちくま文庫)重版決定しました。(発売6日目!)

■ 藤原編集室
https://twitter.com/fujiwara_ed/status/577426283321126912

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2015年11月23日

白系本(お気に入り本シリーズ)

Books-マンスフィールド.jpg

最近読んでいた「“少女神”第9号」という本と、読み始めたばかりの伊藤計劃さん「ハーモニー」、この二つが、すごく透明感ある文章で通じるところがあり、「透明感」をキーワードにしていいのを四冊揃えた。


「幸福・園遊会―他十七篇」 マンスフィールド短篇集(岩波文庫)
キャサリン・マンスフィールド(1888 - 1923 / 34歳没)
マンスフィールドの代表作で、現在、文庫で気軽に入手できるのはこの「園遊会」のものだけだと思う。といっても、岩波文庫版はもう絶版なので新潮文庫の短篇集が代わりのものになる(新潮版は持ってないので、収録作は不明だが、いくつかは岩波のと重複していると思う)。さわやかな木漏れ日のあたる丘の中で、緑いっぱいを吸い込んでいるような、瑞々しい文章が特徴的で、読んでいてさわやかな気持ちになれる。病弱な人が書いたからか、自分の命を測っていたのかもしれない、どこかもろい世界をも同時に感じてしまう。若くして亡くなった。新訳で出してほしい作家。


「“少女神”第9号」 フランチェスカ・リア・ブロック (ちくま文庫)
一見サブカル系ライトノベルのような邦題、でもちくま文庫。本を開いてまたびっくり。文字がカラーで、しかもえんじ色から紫、紺へと徐々に変わるグラデーションになっている。十代の女の子の頭の中をぶちまけたら、きっと溢れ出てくるだろう沢山のポップで甘いキーワードがページを埋め尽くしている。マイノリティな子供たちが登場する話だけれども、響きの良い言葉が並ぶせいかどこか軽い。自我の芽生えた世代が大人社会とぶつかり、にじんだり反発したり、モラトリアムとも違う、なにかあっけらかんとした感情がうまく表れているなと感じる。この短篇集、全部で9篇の物語が収められていることから、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」が引き合いに出されるそうだが、僕はそっちを読んだことないので比較できない。こういうときにベーシックなこと(教養)を身につけていないといけないな、とは思うが、まぁ、そういうのを知らなくても十分に楽しめた。感想は誰でも書けるが、批評となるとやっぱり相当な知識と違った視点を持ってないと難しい。


「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」 桜庭一樹(角川文庫)
一樹という名前からして、てっきり男性作家だとばかり思い込んでいた。(でも男にしては)えらく繊細な文章を書くんだなと関心していたら、去年ぐらいに女性だったこと知って、ようやく納得いった。これは最初に読んだ桜庭さんの本で、やっぱりみんな、このタイトルで手にとる人が多いように思う。駆け抜けるような文章が素敵。ときどき読み返したくなる一冊。この小説の一番は、もうひとりの主人公、「海野藻屑」、このネーミングこれしかないと思う。物語に出てくる人物の名前って、読みすすめるか、そこで終わるか、というくらい僕の場合わりと重要で、ミステリー系に多いやたらおどろおどろしい名前とか、妙に力がこもった凝った名前とかだと、ああ、もうその時点で恥ずかしくなり本を閉じてしまう。やっぱりこの名付けセンスは大事だ。そういう意味では桜庭さんのこの本でのネーミングは、肩の力を抜いて楽しみながら書いているんだろうなということが伝わってくるようでばっちりだと思う。他、伊坂幸太郎の小説に出てくる名前にも趣味のよさを感じる。


「ハーモニー」 伊藤計劃(ハヤカワ文庫JA)
(1974 - 2009 / 34歳没)
若くして亡くなった作家。マンスフィールドと同じ34歳、病にてという共通点もなにか不思議。芥川龍之介は病死ではなく自殺だけど35歳没と、なにか三十代中盤にひとつ生死に関する磁力が働くのか、たまたまなのか。
ほんと最近急に興味持ったので、いまさら、だけど作品に触れることができてほんとよかった。いわゆる名作といわれている小説などは、すでに近くはない過去のものだったりするだけに、書かれた時代の状況などを多少は想像したりし、幾分その背景を補完しなければいけなかったりするが、同時代の中で生まれた物語を、ほぼ同じ時代の中で読むことができるるってのは、また違ったプラスアルファなことが味わえていいもんだな、と。
まだ1/3ほどしか進んでないが、何よりも文章の透明感が素敵で、なかなかこういう繊細なものには出会えない。表紙カバーのデザインを含め、ダムタイプの池田亮司さんの作品とも通じるものを感じたり。日本の小説はやっぱりどこか畳くささや醤油っぽい匂いが残っているものだけど、この小説にはそれがなくて、闘病生活の中で書かれたことが影響しているのか、無菌状態というか病院のもつ独特の清潔さが言葉にも表れているように思える。いい意味で重さのない文章に(軽い重いというのではなく質量がない)、今の世代を象徴する何かがあるよう。



Ryoji Ikeda data.path installation - Madrid



Past Logs / お気に入り本・シリーズ /

■ 晩秋のリケ本 (2015-11-04 13:00)
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「ユークリッドの窓」レナード・ムロディナウ(青木 薫・訳)
翻訳が「フェルマーの最終定理」と同じ青木さんだったことで気になった本。数学や物理、哲学、科学、歴史や神話等、著者の幅広い知識から繰り出される文章がけっこう文学的というか、引き込む魅力があって面白い。「スタートレック」の脚本家だったということで納得。ちなみにこの本、横書きになっている。「、」が「,」、「。」が「.」の表記で見開いたページの印象もどこか理論的なニオイがある。理系の人って日本語でも「、や。」を使わず、「,と.」に置き換えるあたりに僕はホワイ? だったりするが、父もこの例にもれず、メールでも必ず「,と.」を使っている。昔、一度その理由をたずねたら、「そのほうが理にかなってる」という返事がかえってきて、ますますわからなくなった。論文などはほぼ英語で発表するから、文字を打つときもそういうクセがついてる感じなのかな。あんまりみかけないけれど、女の子でこういう記号の使い方をしていたら、けっこうゾクっとする。日本語には日本語の記号を使い表記するのがあっているように思うが、こういうハイブリッド(←猪と豚から生まれた子を意味するラテン語の"hybrida"が語源)の仕方が、新しい言葉や文法を生むきっかけになるんだな、と言葉の面白さを感じるところもある。数学者が言語を開発したら、はたして使いやすくなるのかな? とか。英語のeleven, twelveが十二進法の名残り、フランス語のそれが20進法からきていると知って(ゲルマン語系のアングロサクソン語とラテン語系言語を使う民族の違い)、なにかいろんなものが脳の中でまざってゆく。

「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」ピーター.D. ウォード (垂水雄二・訳)
生命の進化が地球の酸素濃度と関係していたんじゃないかという説。うかつに、-息の長い-生物なんて表現はこの本では禁物だったり。

「破壊する創造者」フランク・ライアン(夏目 大・訳)
論理的な文章に加え、シェイクスピアやラテン語の語源を引用してきたり等々は西洋人の得意とするところで、こういった教養の広さが発想を膨らませ着眼点の面白さを生んでいるんだなと、妙に納得してしまう。最先端の研究をしている生物学者たちには、「人」という生物がどんな風に見えているんだろう? と読んでいて気になった。

「ネオフィリア」ライアル・ワトソン(内田美恵・訳)
80年代後半に書かれた少し古いものだけど、今読んでも十分面白い。雑誌「ブルータス」に連載されていたものだそう。この頃は、教養のある読者がついていたいい時代だったのかな? ブランドのスペック比較と記事広告に成り下がった現状の紙面と比べると、読者層の変遷というか、消費社会の残骸というか悲しいものがあったり。文化人類学と科学を混ぜ合わせたような知的なエッセイという感じで、著者はライフサイエンティストという肩書き。


「本」のいいところは、読むことによって、普段まったく接点のないような(専門分野の)世界に少し触れられるということだと思う。僕は理系の知識をさっぱり持ってないけれども、初心者にもわかりやすく書かれているこういった本は、読んでいてたのしい。美術や文学のいわゆる主観の強いアーティスティックな想像力にも惹かれるが、事実や客観的な証拠・データをもとに、過去や未来、あるいは世界の不思議を推測したり、考古学的な想像をする能力というのはとても説得力があり、芸術とはまた違った面白さを感じる。


■ 世界の言語の数体系
http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/numberj.html




■ 読書の秋・2015 (2015-10-08 13:00)
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読みたい本はどんどん増えていくのに、読むスピードが全然おいつかない。ちょこちょこ古本屋さんなんかを覗いてはいい本を見つけ、また欲しいものリストが増えてゆく。これまであまり本を読んでこなかったせいもあって、知っていて当然というごく一般的な知識が思いっきり欠けているので、少しくらいは追いつかないといけないのに、読むべきものがただ増えるばかりで減っていくということがなかったりする。怠けていた自分がいけないとはいえ、なんかくやしい。

友達に教えてもらったザミャーチンの「われら」という小説が気になっていて、しばらくのあいだ探していたのだけれど、どういうわけか絶版になっていてなかなか見つからず、早く読みたいなと思っていたらある日偶然棚に並んでいた。思わずWOW。こういう瞬間ってけっこう嬉しい。普段の話中で僕の好みや傾向から、今どんなものを求めているんだろうと推察し、いくつかの本や作品をさらりとサジェストしてくれる友人がいるというのは幸せなことだと思う。年を追うごとに知っていることは増え何に関しても目新しさを感じることもなくなり、またあらゆる面で若いときに持っていた好奇心も弱まってくる。嗜好性も無意識のうちに固定化してくるし、幅を広げにくくはなる。でもやっぱり知らないことはまだまだ沢山あるんだよな。このザミャーチン「われら」もディストピア小説の元祖的になっている有名な一冊なんだと教えてくれたものだった。

ルルフォを知ったきっかけは忘れてしまったけれど(たぶん彼の撮ったメキシコの風景写真から興味をもったような)、「ペドロ・パラモ」はいつのまにか自分の中のWANTリストに入っていてようやく手にした。文章が陽の光を浴びた雨露のようにキラキラしててすごくいい。ルルフォは小説家と写真家、二つの顔があり、写真もまたほんと素晴らしい。どちらも超一流ときて、これぞ本当の才能の持ち主。

ホイジンガというガイジンが書いた「遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)」は著者の名前でまず気になった本で、数行読んだ瞬間に即買い。頭の回路がピキーンピキーンと刺激される。サピアとボルヘスが左右両耳、同時に語っているようで、これはおもしろい。焼き鳥屋さんみたいな名前に親近感がわく。「へい、お待ち!」「おっちゃん、これ何?」「ホルモンでーす」

「ルネサンスの魔術思想」これはゆっくりじっくりコトコト読み込もうと思う。




■ 今年のお気に入り本(2013-12-27 07:00)
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今年読んだ本の中でも、特によかったものいくつか。上の写真には入ってないけれども、ブローティガンやコルタサル、三浦哲郎さんなど、初めて知る作家の作品も読めたので充実だった。特に久生十蘭にはハマってしまった。十蘭の小説は文章の密度と硬度が素晴らしく、こんなすごい人が日本にいたなんて! と思わず絶叫したくなる作家だった。どうやら自分はロシア文学が肌に合うんだなということにも気付いた。下北のiさんからはポール・オースター、kobaさんからはカルヴィーノなどを教えてもらい読む幅が広がった。ありがとうございます。来年は柴田さん新訳の「ガラスの街」、「柔らかい月」を読んでみよ。

今年はわりと文学ものの本を良く読んだ。これまでは、経済本だったりドキュメンタリーものを読むことが多かったけれども、随分とその割合は減った。その代わりに、新旧含めての小説がぐんと増えた。文学の世界は奥深く、今まで本当に何も知らなかったのだなぁと改めて実感した。ひとりの作家を知れば、派生して複数の作家とつながり、またさらにという具合に広がってゆく。扉から垣間見る未知の世界は、とてもわくわくするもので、子供の頃のまっさらな脳に戻ったような感覚がある。中学の受験時代、高校生の頃からあまり本を読まなくなり、それは大人になっても変わらず続き、いつの間にか文字が沢山あるとめまいがするような体質になっていた。でも、そういえば小学生の頃は大変な読書家だったんだよな、ということを今頃になって思い出す。

学校の図書館が大好きで、ファーブル昆虫記や、ルブランのルパン・シリーズ、ドリトル先生にジュール・ヴェルヌの海底二万海里なんかを夢中になって読んでいた。読書の量が減っていったのは、わりとはっきりと分かっていて、ロックなどの音楽を聴くようになったのが一番の原因だった(そのうちにバンドなんかも組んだりもし)。そのときから、おそらく何事も「感覚(Feeling)」だけで済ませてしまう悪い癖がついたように思う。おまけに、学校の成績も目に見えるほど下がってしまった。もう少しことばを組み立てていく論理的な側面と、バランスよく吸収できなかったのだろうかと後悔しつつ、この大きな反動が今すんごい波になって表れている。旅と読書は若いときにするべきなんだなと。

僕のうちではわりと厳しい決まりがあって、子供のときはそれがすごく嫌いだった。コーラなどの炭酸飲料やスナック菓子は、口にしないようにきつく言われていたし、テレビも一週間に(確か)二時間しか見てはいけない(とはいえ親がいないときは隠れて見ていたけど)、といったようなルールが沢山あった。学校帰りの駄菓子屋では、友達は皆ファンタ・オレンジやグレープなどを飲んでいたのに僕だけはオレンジジュースだったりして、ちょっとした疎外感を感じたりしていた。テレビ番組に関しても、たとえば朝ごはんのときに新聞のテレビ欄を見て、見たい番組を選んだ上で母に申告する。もしその週に見たい番組があって、運悪く決められた二時間という枠を越えていた場合は、次週分の時間をカットしなければならない等。こんな風だから、友達の家に遊びに行くと、自分の家とは違ってわりとなんでも自由にしていたように見え、とてもうらやましかった。そんな中でも、ただ、ひとつだけ自由にしていいことがあって、それは今思い返すと本当に有難いものだった。何が自由だったかというと、僕が読みたい本はたいてい何でも買ってくれたことだった。両親ともに本が好きなため、面白そうな本があると、ぼくが欲しいと言わなくとも勝手に買ってくるようなところもあった。きっとこのことも、今の今になって読書熱に火をつけた遠因になっているのだと、本を手に取るたび、感謝の思いを抱かずにはいられない。




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2015年11月20日

山形浩生の「経済のトリセツ、より



ベストセラーのリストだけ見ていると、あるいは流行ばかり見ていると、腐ったタレント本やら扇情本、柳の下のドジョウ狙いの追随本、返品増加に倒産騒ぎ、そしてこんな有益なメルマガさえなくなる劣悪な財務状況、さらにはiPadだのなんだのと、本を取り巻く環境は悪化しているように見えるし、出版界のレベルは落ちているようにも見えるし、そしてその通りだという部分も多い。でも一方で、読める本のストックとして見ると、実は状況はそんなに悪くないのかも、とぼくは思っている。そしてちょっとそのためのガイドがあれば、みんなずっと有効にそうした本やら情報やらを使えるのに、とも思う。こんなコラムが、少しでもその役にたてたことを祈りたいけれど、どうだろうね。ではまたどこかで。


山形浩生の「経済のトリセツ、より
"伊藤『虐殺器官』他:ソフトバンク書評コラム"
http://cruel.hatenablog.com/entry/20100601/1396109534

最近の日本の(わりとメジャーな)小説を読んでいると、ストーリーを追うための「状況説明描写 + セリフ」に、詩的な言いまわしが付き多少アクセントになっているものが多く、文の構造というかもっとその奥に何か面白みのあるものが少なくて、つまんないなと思っていた。言葉と言葉の間から、読み手の想像力広がっていくようなものって、あまりないなと。読みやすいものは沢山あるんだけど、噛み応えなく単調すぎるんだよな、どれもこれも。僕は当たり障りのない解説書モドキを読みたいわけじゃない。「読む」という行為は自分の意志で行っているものだから、読む読まない取捨選択の自由は確かに自分自身にある。しかし、-返ってはこない-時間を削っているという面もある。読書に費やせる時間が無限にあるわけでもなく、手に取る一冊一冊はけっこう吟味していかなければいけなかったりする。リーダブルで読者にやさしい、のが本当にいいものなのかは常に疑問だ。調理不要ですよ、といって小骨を全て抜き取った魚を手渡されているようなものだし。
そういったなかでも、伊藤計劃さん、円城塔さんの本が面白そうで、少し興味をもって調べていたら山形浩生さんのサイトにぶちあたって、あれ? たしかこの人、バロウズ本の翻訳者だったよな、なんてサイトを見ていると、思いっきり口が悪いというか、すごい切り口で言いまくっていてえらく面白かった(僕の抱いていた翻訳者のイメージと思いっきりかけ離れていて)。リズム感ある文章は、けっこうクセになる。はじめは、どうしてこんなに毒舌なんだろう? と不思議に思えたけれど、よくよく読んでいると、ああ、この人の言葉の組み立て方ってきっと英語がベースになっているんだと思った。一見、口悪く書いている文章も、コレ英語圏の会話だと思って、日本語→英語に翻訳(想像)してみるとけっこう向こうの人の会話に近いものがあるんじゃないかと思ったり。「21世紀の資本」の翻訳もそうだった。と、これ原著はフランス語だから重訳になるのか。まぁ、文学作品ではないからさほど気にしなくていいのかも。


「わたしの名は赤」オルハン・パムク、読み始めた。これすごくいい。


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2015年10月18日

なかなか、面白そうなイベントじゃないか


 若者の海外旅行離れがすすんでいると言われる。20代の出国者数をみると第2次ベビーブーム世代が20代だった1996年をピークに人口減少以上のペースで減り続けているが、一方で印象的な日本人の若者に旅先で出会うことが増えたという声も最近は多い。この落差についてゲストハウスジャーナリストで『Japan Backpackers Link』代表の向井通浩さんは、本屋B&Bイベント『そろそろ、歴代の旅本について語ろうじゃないか?』の壇上で「若者たちの旅する姿勢が変化したから」と語った。

旅というのはもともと“ちゃんとしていない”人がしていました。そして、今も本質はそのままだと思います。



■ 若者旅行は意識高い系にシフト ラオスで象使い体験等が人気
http://news.livedoor.com/article/detail/10718555/

■ 向井通浩×神田桂一 「そろそろ、歴代の旅本について語ろうじゃないか?」(本屋B&B)
http://bookandbeer.com/event/2015101202_bt/


旅の目的は人によって異なるだろうけれど、旅先での非日常的世界から、自分が普段生活をしている日常を俯瞰して見れる、そういう瞬間がわりと大事だなと僕は思ったりする。移動中のバスの車窓景を眺めながらだったり、ゲストハウスのベッドの上だったり、ふとした瞬間に自分が暮らし過ごしている日々がぷつんと途切れ、何か頭の中でいろんなものが整理されていく感じ。それまでのうだうだした旅先での出来事や葛藤、ハプニングなんかが、ぐいっと自身の中でエネルギーに変換されていくときってのが、旅の途中どこかで一回くらいは訪れる。それが現れるまでを楽しめるようになってくると、けっこう気持ちに余裕が出るというか、たいていのことがどうでもよくなったりもし、それまで見ていた景色が急に違ってみえてくるようになる。異国の地での旅も長く続けば、そこは日常と化してしまう。日常にならない非日常でいられるぎりぎりの期間をできるだけ長く、そして緊張感を保って過ごしていくのは、けっこう難しくもある。求め願っていた収穫のようなものがないときもあるけれども、それはまだ自分がうまく受け入れられてないものだと考え次の機会への課題になったり。結論を出すために旅立ったはずが課題がうんと増えてしまったり。なんにせよ、なにか自分と向き合えるのが旅の一番の魅力なのかもしれない(友達や大勢で行くレジャー的な旅行だと、ちょっとわからないけれど)。スマホ片手に今いる場所の実況中継&報告をする旅行者はやっぱり時代を反映しているのか、ずいぶんと増えたように思う。こういった普段、日常の延長上で終わってしまう(抜けきれない)ようなスタイルは、きっと僕には合わないだろうな。

上記リンクは、旅本をテーマにした下北の本屋「B&B」さんのイベントのもの。ここは下北によったときに時々のぞくお店で、いつも面白くマニアックなテーマで開催されている。こんなことしてる人がいるんだなと、初めて名前などを知ることも多い。けっこうな頻度でイベントをやっているけど企画がマンネリ化してないのがスゴイ。旅の本も今の時代は、1960-70年代ごろにかけて盛んだった頃と比較すると、すっかり違ってきているように思う。サイトのリンク先にある「旅本・旅行記・冒険記一覧年表〜2011完全版」のタイトル&ひと言紹介をみていると、十年、二十年経っても色褪せない旅行記がけっこうあった。
http://backpackers-link.com/books.html

僕が好きな旅本は木村肥佐生さんの「チベット潜行十年」という本(上の「旅本・旅行記・冒険記一覧年表」には載ってなかった)。チベット関連の日本人旅行記では一番スリリングで面白いと思う。中国が内戦でゴタゴタし、日中戦争へと発展する政変期の中国・チベットの様子を克明に記録している。わりと近い時期の中国を描いた「紫禁城の黄昏」も面白い。外国人の目からみた異国の地ということで、旅行記の範疇には入っていいとは思う。



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