2007年03月07日

ヒヴァ -2006-

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太陽の花。ヒヴァにて。

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無言の空に突き刺す槍は、イスラム・ホジャの鋭利なミナレット。夕暮れ時、夜空に溶け込む瞬間が最も雄大に映る。

イスラム・ホジャ(イスラム・フッジャ/ISLOMXO'JA MINORASI)のミナレット:
イスフェンディヤル・ハーンの大臣を務めたイスラム・ホジャによって、1910年に建てられた。高さが44.8メートルもあり、ヒヴァで最も高いミナレット。ホジャは革新派の大臣であり、ロシアを度々訪れ、イスラムに拠らない学校を開いたり、欧州式の文化や生活インフラを整えヒヴァの近代化を図ろうとしたが、保守派の反感を買い1913年に暗殺されてしまう。

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■ カルタ・ミナル(Kalta Minor)
基礎部の段階で建設が中断されたままに終わった未完成のミナレット(光塔)。
完成していれば、70mほどの高さになってたそうだ。
人の手で太陽に近づくのは容易ではない。

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共同墓地へと続く道。
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2006年11月20日

Sketches of Urgench・ウルゲンチ素描 -2006-

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水たまりの似合う空き地。懐かしい記憶。この場所が気に入ってしまった。

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運河のそばにある公園に咲いていた小さな花。しばらくの間、砂漠の渇いた景色を見続けてきたせいか、花壇、アスファルト、住宅、歩道、並木、何てことはない町並みを見て安らぐ。目が「緑」を欲している。

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街中に迷い込んだハチになった気分だ。ついつい、花壇の花に見入ってしまう。

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大きな太陽は空に、のっぽで小さな太陽は庭に咲く。

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「GAZLI SUV」と呼ばれる、果糖シロップを炭酸ソーダで割る人力飲料販売機。人の集まる場所にはこれがある。渇いた体に、「喉」発の爽快感が一瞬だけ駆け抜ける。


烏茲別克斯坦 | 烏爾根奇
ウズベキスタン、ウルゲンチ
Urgench, Uzbekistan
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2006年10月24日

アラル海・船の墓場 -Uzbekistan, 2006-

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アラル海沿岸にある小さな街、ムイナック。干上がったこの元海には、船がそのままま取り残され朽ちるのを静かに待っている。かつてはここは漁業で栄えた村だった。もともとアラル海は、北海道ほどの広さがあり、世界第4位の湖水面を誇っていたが、1960年代から縮小し始め、現在の大きさは、四国ほどの大きさになってしまった。(1日に海岸線が200mも後退したという。)その最もたる原因は、旧ソ連時代のソビエト連邦共産党中央委員会が打ち出した「自然大改造計画」にあると言われている。広大な砂漠と豊富な水資源を利用して、綿花や小麦の栽培しようというもので、大規模な開拓と灌漑がこれによって開始された。そしてこの巨大な灌漑農地が生まれた結果、中央アジア地域での農業生産は飛躍的に向上した。そしてソ連邦時代、綿花栽培はこの大国の全生産量の90%を占めるまでになる。しかし、得られるものばかりではない。アラル海の縮小に合わせて、水中の塩分濃度は上昇し、プランクトン類の減少、そして魚介類の死滅、かつての生態系は崩壊し、今では大型魚類とカレイの一種がかろうじて生息してるだけだという。他、周囲の湿地帯ではフラミンゴやペリカンの姿も見られていたそうだが、今のこの姿をみて想像するのは難しい。このはてしなく広い空と海の下でフラミンゴの群れがいたのかと思うとどれほど美しい光景だったんだろうと想像してしまう。そして、1991年にソビエト連邦は崩壊した。そして連邦を構成していた共和国は独立する、ウズベキスタンもその国のひとつ。負の自然環境を相続してしまった。(参考文献:「中央アジアを知るための60章」)

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ヌクスから車を走らせ、約2時間半ほどしてムイナック村へと到着した。車は、ホテル・ヌクスのフロントでヒマをつぶしていたアタベックという青年の友人のもので前日に頼んでおいた。ヌクスからムイナックまでの往復で40ドル。車体はくすんだオレンジ色のボディで、低音の出ないやたらと高音が歪むカーステレオを積んでいる。片道2時間半のドライブで、耳の感度が低下してしまいそうだ。この様子だと帰り道は途中、耳鼻科に寄らなければいけないかもしれない。ムイナック村から、道になってないような道をガタゴトと少し走ると、
かつてのアラル海のあった場所へと到着した。と、言っても草のまばらに生えた土地が広がるだけ。地面には白い塩が吹いている。ここが海底だった事が伺える。

音のない静かな場所。草の葉のこすれる音が風に流され、くすくすとわらっているように聞こえる。ふと、青空をさえぎるものが現れた。見上げると一羽の鳥が頭上を大きく旋回している。ここの空を見て「空の青」にも色々あるのだなと思った。サマルカンドやブハラの空は、乾燥した青。でも、ここの空の青には湿り気がある。肌に刺さらないしっとりとした青。時折吹く風は海風のように粘り気がある。その風に乗って遠くからアタベックの呼ぶ声がかすかに届く。

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40年もの間、かつての海が戻ってくる事を信じて静かに待っている船たち。魚の跳ねる青々とした海が戻ってきたとしてももう浮かぶことはないだろう。

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1960年代から縮小が進みはじめたアラル海。ここに残されたのは、かつては魚を満載してたであろう漁船と塩分を含んだ大地。本来ならこの船の操縦室からは青い海が見えるはずなのに、地面にすっかり埋もれ、錆び付いてしまった船室から見えるのは草海原。今では船の墓場と呼ばれている。風の吹く音しかしない静かな場所だった。

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アラル海の歴史資料館にあった標本。

さびれたストリートだけが続くムイナック村。人影はほとんどない。「アラル海の歴史資料館」を探して少し通りを歩き回ってみるが、それらしき建物は見当たらない。砂埃だけが足元で舞っている。そのうちに村人が現れた。人の気配などまったく感じられなかったはずなのに、まるで空気の中から突然出てきたかのようだった。その男にアラル海の歴史資料館がどこなのかを尋ねてみるが、すっかり忘れられた存在なのか、「さぁ、知らないよ」と首をかしげ、期待はずれな返事しか返ってこなかった。仕方なくまた車を走らせる。村自体はとても小さいので、通りを道なりに回っていると、民家とはちがった公共施設のような建物の前に辿り着いた。おそらくここがそうだろうと踏んで、車を降りる。しかし、建物には鍵がかかっていた。すると、またどこからか人が現れ、僕らに何かを尋ねてくる。「アラル海の歴史資料館」を探しているんだというと、男は何かひらめいたようなうなずきを見せ、少し待っていろという仕草をし、建物の裏側へと消えて行った。間もなくして戻ってくると、片手には鍵を持っていた。男についていき入口の扉を開けてもらった。古びた扉には、しばらく誰も訪れていなかったのだろう、砂埃がかぶさっている。中へ一歩足を踏み入れる。なんとも言えない静かな部屋だ。理科室裏の倉庫を広くしたような雰囲気で、窓から差し込むやわらかな光の中で静かに埃が舞う。壁にはまだ漁業で栄えていた頃のアラル海の写真や、干上がり始めた頃の、無数のタンカーが地面に座礁している写真などが飾られている。見入っていると、これはアラル海だけの過去でなく、人類という生き物がかつてはいたんだ、と言ってるようにも思え、
自分がこことは別の世界にいるというか、同一線上の歴史の流れの中にいないような錯覚を覚える。この標本もかつてはこのアラル海でたくさん採れた魚のひとつなんだろう。ホルマリン漬けにされてまでも干上がってしまうというのは、この魚に与えられた避けられない運命なんだろうか。

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ヌクスからムイナックへの道。


烏茲別克斯坦 | 莫伊那格・鹹海
ウズベキスタン、ムイナック、アラル海
Aral Sea, Moynaq, Uzbekistan

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2006年10月20日

Sketches of "Nukus" -Uzbekistan, 2006-

■ ウルゲンチからヌクス(カラクルパクスタン共和国)へ
-Urgench to Nukus (Karakalpakstan)-
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ウルゲンチ、バザール横のバスターミナル。

ヒヴァでの宿「イスラマベック(ISLAMBEK)」で静かな朝食をとりチェックアウト。ここのアプリコットのジャムはおいしい。イチャン・カラの北門(バフチャ・ダルヴァザ)で乗合いのワゴンに乗り込んでウルゲンチへ向かう。500スム、約45分。乗合いの終着点ウルゲンチへ着くと、バスターミナルへと足を向ける。道路をはさんで5分ほど先にある。この通りは交通量の多い場所なので、緑服の警官がやたらと目を光らせている。旅行者には目もくれないが、ソ連崩壊以前はもっと厳しかったのだろうなと思いながら通り過ぎる。監理する事が目的の社会主義体制では人の心は閉ざしてしまう。生産性は落ち、労働意欲も低下、結果としてそれらの国は行き詰まり、縮小して崩壊してしまった。このウルゲンチの街並も旧共産圏の様式で作られているため、まるで巨大な模型の中にいるようだ。自分がプラスティックの部品になったような感覚になる。

バスターミナル横にはバザールがあり賑わっている。スパイスと羊肉の匂いが入り交じった白煙がたちこめる。競り市場のような喧噪、そしてバスの乗客とバザールから流れてくる人の押し合いへし合いで騒然としている。カラクルパクスタン共和国の首都「ヌクス」行きのバスは1日2本しかない。午前便はもう出てしまったので、午後の便を待つことにした。その午後便がすでに停車していた。さっそく乗り込み料金を尋ねる。しかし、バスの運転手は値段をふっかけてるようなので、乗合いタクシーを探す事にした。料金に差がなければ、故障が多く、トロトロ走るバスに乗る必要はない、かといってタクシーを使って早く着く必要もない。ただ、この騒がしい場所から早く出たかった。乗合いは、シェアする人数さえ集まればすぐに発車だ。

バスターミナル奥にある駐車場の一部が、シェア・タクシーの乗合い場になっていた。ヌクスまで、4人乗りダマスで5,000スム。約2時間。フロント・ガラスの右半分が見事に割れていて、大きなクモの巣が張ってあるようだ。これの前の助手席には乗りたくないなと思っていたら、結局そこへ座るはめになってしまった。同乗者が現れるまで1時間ほど待つ事となり、10:45にようやく発車。カラクルパクスタン共和国の首都ヌクスへと向けて。

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11時30分、「QORAQALPOGISTON」と書かれた入域ゲートをくぐり抜ける。

ウルゲンチのバザールの隣にあるバスターミナルのさらに横の駐車場は乗合いタクシーのたまり場になっている。運転手たちが、それぞれの行き先を大声で張り合っているので騒々しい。ここでヌクス行きの車を探す。
ヌクスはウズベキスタンの西部に位置するカラクルパクスタン共和国の首都になっている街だ。ウルゲンチからは北西に約166kmにある。カラクルパクスタン共和国と銘打っているものの国としての独立性や政治的な実権はなく、ウズベキスタンのいち地方都市といった扱いだ。ただ住人はカラクルパク族としてのアイデンティティが強い。ウズベキスタンの他の街にあるような人なつっこさはなく、どこかよそよそしく閉鎖的な印象を受けた。ヌクス行きの車は見つかったものの同乗者がなかなか見つからず、一時間ほど待ってようやく発車する事になった。韓国製の小型ワンボックスカー、ダマスに荷物を押し込める。座った助手席前のフロントガラスが大きく割れていてクモの巣状になっている。そして、10時45分車は発車、ウルゲンチをあとにし、いざ、カラクルパクスタン共和国へ!

■ ヌクス
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通りを遮る列が続いていた。紙幣を握りしめ、鉄格子に手をかけその奥をじっと見つめる目がある。格子の隙間から中を覗く。薄暗い部屋の剥げた壁の前には長細い木机が置かれている。さらに奥への部屋から、焼き立てのナンがこの机に運び込まれてきた。香ばしく無垢な香りが漂いはじめると、つられるように背後から次々と手が伸びてくる。ナン職人は格子の隙間から、ナンをねじ出し、打ち粉の着いた手で現金を受け取る。あっという間に机の上に、山と置かれたナンはなくなってしまった。

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ヌクスのスーパーマーケット

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カラクルパクスタン共和国の首都、ヌクス。と言っても、大きさはウズベキスタンの一地方都市とさほど変わりない。ソ連時代に作られた方眼紙のような街並み。まっすぐに伸びた、だだっぴろい道に、箱に窓がついただけのようなマンション棟。恐ろしく単調な街だった。

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"чёртово колесо (Ferris Wheel)"
子供時代の記憶を蘇らせてくれる巨大な装置。古めかしいほど良い。

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けんけんぱのような子供の頃を思い出す懐かしい遊びをしていた女の子。


烏茲別克斯坦 | 努庫斯
ウズベキスタン、ヌクス
Nukus, Uzbekistan

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2006年10月10日

模様

モスクに描かれる幾何学模様は
この植物界を、そっくり見事に写しとめている。

タシケント、地下鉄「ハビブ・アブドゥラエフ駅」周辺。
Habib Abdullayev

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2006年09月22日

チャル・ミナル -2006-

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絵本の世界から飛び抜けたようななんともかわいらしいミナレット。
チャル・ミナル(Char Minar)は4本のミナレットの意。

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■ うた
鳥たちのさえずりを楽譜にするとこんな感じ。
チャルミナルの前で奏でていた。


烏茲別克斯坦 | 布哈拉
ウズベキスタン、ブハラ
Bukhara (Buxoro), Uzbekistan




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2006年09月20日

チルチックの少年たち

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運河にかかる赤黒く錆びた鉄橋から、地元サッカークラブの少年たちが次々と飛び込んで水浴びをしていた。僕に「自慢の飛込みを見せるよ」といって橋げたに足をかけた少年は、できるだけカッコよく、難易度の高いアクロバテックな飛び込みを披露する為に、意識を集中し、水面をじっと見つめながら、飛ぶイメージを描く。そして軽やかにジャンプ!くるりと一回転して見事着水。飛び込みの成功に、水面から嬉しそうに顔を出し戻ってきた。

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運河にかかる古い鉄橋は、チルチックの若鳥の「止まり木」と化していた。

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飛んだ!男の子は古い鉄橋のてっぺんから勢いよく運河へと飛び込んだ。

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運河の橋を渡るとゆるやかな山道となる。この一帯はチルチック・ヴァレーと呼ばれるだけあって歩くには少し起伏がある。山道の脇には野生のブルーベリーが暴れるように生えていた。少しづつ歩いては何度も何度も振り返る。


烏茲別克斯坦 | 奇爾奇克
ウズベキスタン、チルチック
Chirchik, Uzbekistan
(Chirchik Valley, Чирчик)
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2006年09月04日

Sketches of Samarkand・サマルカンド素描 -2006-

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青空のカクテル。

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Tilla-Kari(Gold Covered) Medressa, The Registan
レギスタン広場の正面に建つ神学校「ティラカリ・メドレセ」の大きく青いドーム。
レギスタン広場、西の広場から眺める。

■ レギスタン広場(The Registan)
ずっと憧れの地だったサマルカンド。そのサマルカンドの象徴とも言うべき場所がレギスタン広場。ぐるりと花壇に咲く鮮やかな花と緑に囲われた広場を3つのメドレセ(神学校)が顔を合わせるように東西北の位置に建っている。そのたたずまいは、真ん中の広場をテーブルに見立て建物どうしが何やらおしゃべりをしているかのように見える。

広場の正面には「ティラカリ・メドレセ(Tilla-Kari Medressa)」、そして向かって右、つまり東側に「シェルドル・メドレセ(Sher Dor Medressa)」、そして左、西側に「ウルグベク・メドレセ(Ulughbek Medressa)」が建つ。「ティラカリ」は黄金で覆われたという意味で、中にある礼拝所の天井・壁面には金色の美しい模様が描かれている。「シェルドル」はライオンの意。

西側の「ウルグベク・メドレセ」に立つミナレットのらせん階段を登り、「シェルドル・メドレセ」を望む。朝の太陽を背に、埋め込まれたモザイク模様の青いタイルが深い深呼吸をしている。イスラムの教えでは偶像崇拝を禁止しているけれども、この「シェルドル・メドレセ」にはライオン、人の顔、鹿が描かれている。シルクロードの要地、文明の十字路とも言われるこの地が根底に持つものをこの絵が言い表しているのかもしれない。

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■ シャーヒズィンダ廟群
サマルカンドにあるタシケント通りを北東の方角へ。左手にそびえるビビハニムモスクを横目に、そのまま歩き続けると東西に走る大きな幹線道路が見えてくる。道路をはさんだ右方向(東側)の先には、「アフラシャブ (Afrosiab)の丘」と呼ばれているなだらかな丘が、七福神の布袋さんのゆるんだお腹のようにのんびりと横たわっている。この幹線道路に沿って東へ歩き進むと左手に立派な門が見えてくる。道路を渡り門の前へ。奥にはいくつものドームが斜面に沿って建っている。ここが「シャーヒズィンダ廟群 (Shahr-i-Zindah)」と言われる霊廟の並ぶ場所。門をくぐり、門番に入場料の2,000スムとカメラの持ち込み料1,000スム、計3,000スムを支払う。

数段昇っては振り返りと、土レンガの階段をゆっくりと昇る。左脇に建つ建物の壁やドームに施された刺繍模様のような青タイルのモザイク装飾が美しい。トルコ石のような艶やかで「乗り」のある水色。古く歴史ある遺跡だけれども、改装した直後なのか新しくなった建物が多い。廟群の中腹にある工房では、紙に写し取った以前のタイル模様にサイズや、色を合わせるように新しいタイルを復元していた。ここでタイルなど装飾の改修の作業をしているようだ。職人らしきおっちゃんが古いタイルの破片を僕に見せ、一個どうだ?これは古いやつで価値があるぞと売買を持ちかけてくる。「いらない」と首を振ると、「じゃぁこっちはどうだ?」とまた別の破片を手にとり見せる。「ありがと、でも興味ないから」と工房を出た。

そのまま先を歩き、どこだか別の建物の前へ来たところで、ウズベク人の家族が現れ「あんたもちょっと来んしゃい」と手招きするので、ひっそりと静まりかえった建物の中をつられ入っていく。中は小迷宮のように入り組んでいて、奥には小さな部屋があった。かがまないと入れないような小さな入口。頭をぶつけないように部屋へと入る。中には4人がけの腰かけが一辺程になる正方形状の間取りの小さな空間が広がっていて、天井は高い。見上げると小さな窓から一条の光が射していて、ちょうど入口付近の壁を照らしている。壁の土がこぼれる音が響く程の静けさ。

やがて、その家族の兄(親戚?)だという男が入ってきて、何やら衣装を着替える。その間に皆、気持ちを正すかのように目を閉じたり、身だしなみを整える。咳払いがひとつ、事のはじまりの合図となった。アザーン、朝の礼拝が始まった。目の前で、しかもこんなにも狭い空間で聴くのは初めてだ。アザーンを唱えるこのお兄ちゃん、入って来た時はそこらへんのあんちゃんとどこも変わらないやんちゃな顔つきだったけれども、いざ唱い上げるとさっきまでの緩んだ表情は消え、全く別人の顔になった。

天井の高い小さな小さな礼拝所で唱えられる「声」は壁と壁の間を行き来し反響する。やがて残響が輪唱のようになって重なりはじめた。そして、目の前の男から発せられている「声」は、その出所がわからなくなり、天井にある小窓から射込む光からふりそそいでいるような感覚となる。まるで天から「神の声」が、しんしんと心の内へと届いているかのようだった。

AZAAN Ahmadiyya Islam Pakistan
http://www.youtube.com/watch?v=k7I65QXTLEI

Azaan (audio)
http://www.islamweb.cz/audio/adhan/

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■ カモーリさん邸
朝食を取らずに朝の散歩へと出かける。ビビハニム・モスクを目指しタシケント通りを歩いていると路地へと迷い込んだ。白壁の民家が並び迷路のよう。2つカドを曲がってしまえばもうどこを歩いてるのか分からなくなるくらいだ。そんな中、一軒の家の扉が開き、子供達が掃除をするために出て来た。僕に気付くと、スッと家の中に戻っていった。恥ずかしがったんだろか?警戒したんだろうか?すると、今度はお父さんと一緒に現れた。そして、じっと僕を見つめている。朝早くから、家の周りをうろついている外国人がいてるんだから、何してる?あっちへ行けと言われるのかと思ったら、「チャイでも飲んでいくか?」とにっこり微笑んでくれた。朝食を食べずに出てきたのを少し後悔していたので、この一言にすっかりうれしくなってしまった。外からは何の装飾もない白い壁だけが並んでいるので、どこも同じ家にしか見えないが、扉をくぐってしまえば、まず中庭が真ん中にあり、その周りに杏の木が植わっていたり、すぐ横に井戸水があったりと、快適で心地よい空間が広がっている。僕が家の中に入ってきた事で、小さな子供たちはおおはしゃぎしている。お父さんは僕にテーブルにつくよう仕種をしてくれた。お互い少し自己紹介をする。お父さんの名はカモーリさん、内装の仕事をしているそうだ。食事の用意が出来るまで、僕の向いにこの猫が座っていた。

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ちっちゃな風が走ってきた。

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旧市街の一帯に騒がしい音楽が響き渡る。結婚を祝う生演奏と宴会だった。家の壁には絨毯が隙間なくかけられ、誰が主役だかわからないくらい鮮やかな衣装を身にまとった親類縁者に花嫁は囲まれていた。その花嫁は終始うつむいたままで、嬉しそうな表情を全く見せなかったのを不思議に思って、その事をたずねると、「恥ずかしいんだよ」という答が返ってきた。新郎新婦が車に乗り込んで会場を去り、式はお開き。見送る人と、おしゃべりに興じる人が道にあふれ出す。帰り道、何処からかまた演奏の音が聞こえてきた。

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井戸端会議。

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ビビハニム・モスク(Bibi-Khanym Mosque)へと向かって歩く。シヤブ・バザールの裏手へとつながる道。鳥たちが時間を告げにやってきた。


烏茲別克斯坦 | 撒馬爾罕
ウズベキスタン、サマルカンド
Samarkand, Uzbekistan




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2006年08月31日

Sketches of Bukhara・ブハラ素描 -2006-

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ブハラの「タシケント通り」を北に向かって進むと、片側の道を掘り起こして、ガス管か水道管の工事をしていた。そのまま道なりに歩いていくと、途中、「GAZLI SUV」という飲み物の販売機の前でおばさんが客を待っていた。「GAZLI SUV」はフレーバーシロップをグラスにそそぎ、そこへ炭酸水を混ぜ合わせて作る調合版「ファンタ」のような飲み物で、街のあちこちで見かける。注文すると、まずグラスを小さな噴水で洗浄した後、好みのフレーバーを選びあとは上記と同じ手順で調合してくれる。フレーバーは、オレンジやブルーベリー、ブドウなどがポピュラーで、たまにビールのような色をしたシロップがあってジンジャエールとアップルを混ぜたような味がして、これが一番おいしかった。旧ソ連時代にあったものらしく、少し前までは現ロシアの各都市にもあった様子。今では中央アジアでしか見かけられないそうだ。


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太陽もまだその威力を発揮する前。朝のアンバール通り(Anbar Street)。道の先に見える丸屋根のドームはタキ・サラファン(Taqi-Sarrafon)。

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子供の頃に読み聞かせてもらった絵本の世界をふと思い出させてくれた素敵な家。アンバール通りにて。

■ ブハラのマディナ邸
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マディナ邸の台所。

サマルカンドからブハラへ
サマルカンドの「Registanskaya(レギスタン通り?)」と「Dagbistskaya」の交わる場所にマルシュルトゥカ(Marshrutka)という乗合いバスの停留所があり、「17」番のマルシュルトゥカに乗ってブハラ行きのバス亭へと向かう。約20分ほどで到着した。150スム。

ちょうどブハラへ行くバスが停まっていたので、入口のドアに立っていた運転手にいくらか尋ねると5,000スムという答が帰って来た。人づてに聞いてた値段より高かったので、「いや、3,000のはずだ」と押し問答していると、バス前でナンを売っていた女性が助け舟を出してくれた。「あんた、いい加減な事言ったらダメよ、ブハラまでなら3,000でしょ」と。運転手はバツが悪そうな顔をしたすきに、ポケットから1,000スムを3枚取り出し、胸元に押し付けさっさとバスに乗り込んだ。

バスはすでに満席でこの一部始終を聞かれてしまった。一同の視線が一気に僕に集まっている。でも、皆ニコやかな顔で迎えてくれた。大きな荷物をしょってるので、席を譲ってくれる親切な人もいたけれど、通路に荷物を置いていた方が楽なので、立ったままバスの発車を待つ。11時50分、バスはブハラへと向け走り出した。

ブハラ着、ラビハウズへ
11時50分にサマルカンドを発ったブハラ行きのバスは、16時すぎ、ブハラのバスターミナルへと到着した。バスターミナルの看板などの目立つ目印などがあるわけでもない、殺風景な何にもない空き地だった。標識の支柱に自転車が寄り掛かっているのが唯一目に止まったくらいだった。乗客は皆ここで降りて、おのおの去って行く。乗合いのタクシーをつかまえラビハウズへと向かう。300スム。途中、らくだの看板のある「カラヴァン・バザール(Karavaon Bazor)」を通過し15分ほどでラビハウズ少し手前で停まった。街に着いて最初にする事といえば、宿探しだ。ラビハウズへと足を向けた。

宿を探すためラビハウズ周辺を行ったり来たりしていると、ひとりの女の人が声をかけてきた。女性は少し疲れた表情に見える。彼女はラミネート・パックされた名刺を僕に差し出し、「宿はもう決まった?まだならうちでホーム・ステイはどう?」と話す。名刺には"Madina & Ilyos"と大きく書かれてある。はじめは相手にしないでおこうと思ったけれども、慣れてない話ぶりと素朴そうな人柄もあって詳しく聞いてみる事にした。部屋は8ドルで、朝夕の食事が2ドルの計10ドル。シャワーも使えるし、トイレも別だという。条件はとてもいい。ただ、彼女のやや切羽詰まったような表情がどうも不安にさせる。少し、半信半疑な状態。すぐに信用出来ないのには理由があった。ここ、ウズベキスタンで、これまでにあった良い事と良くなかった事を分母と分子に振り分けると、そこから導きだされた数字は明らかに良くない方に片寄っていたので、どんな人であれ、疑う事なく素直に話を聞く事は出来なかった。彼女も僕のそんな気持ちを察してか、懸命な口調になる。結局、一度部屋を見てみることになり彼女の後ろをついて行く。交差点の中心に建つタキをくぐり抜け、アンバール通りを西へ200mほど歩いたところで、左側の路地を入っていくとマディナの足は止まった。どうやら、ここが彼女の家らしい。大きな門を開けると中から主人が現れた。今日のお客さんだよと、主人に紹介し部屋を案内する。泊まる部屋、シャワーの場所、はなれのトイレ。玄関を入ったすぐの所にキッチンがあり、カーテンで仕切ったその奥にシャワーがある。このキッチンで朝夕の食事を作るので、出かける時以外はなるべく開けておいてという事だった。荷物を置くと、一服するかい?と庭にあるテーブルについた後、お茶(コク・チャイ)を煎れてくれた。一緒にキャンディも出てくる。さっきまで一面真っ青だった空が、くすんだオレンジ色に変わりはじめた。

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タキ・テルパクフルシャンの交差点からアンバール通りを西へ300mほど歩いたところにあるホームスティ先のマディナ邸。小鳥の鳴き声とともに、カーテンがほんのりと色付いて朝を知らせてくれる。部屋の中はまだうす暗く、寝ぼけ気味の目に映る部屋の輪郭はぼんやりと曖昧だ。壁一面に飾られた大きな一枚の絨毯が異国情緒にあふれている。角には人がすっぽり入れる程の赤鉄色の円柱ストーブと天井まで伸びる太い煙突があり、ここの冬の厳しさを物語っている。外は一面の真っ青な空。

■ マディナ邸での食事
食事処のあまりなかったブハラでは、マディナの作ってくれる朝夕の食事はとても有り難かった。出かける前にだいたいの夕食の時間を告げ、夕食後に明日の朝食の時間を言っておやすみの挨拶をし部屋へと戻るのがきまりだった。朝食はだいたい7時半くらいから始まる。庭先に置かれた6人がけほどのテーブルに真っ白なシーツが敷かれ、緑茶(コク・チャイ)か紅茶(コク・チャイ)のどちらかを飲んでいる間に用意してくれる。真っ青な空の下で食べる食事は格別だった。大盛のプロフに、トマトと胡瓜のサラダ、そしてベーコンエッグが並べられる。いつも食べきれない程の量で、食後はお腹がはちきれそうでしばらく動けなくなる。必ず最後に特産のメロンが出てくるのだけれども、これが甘くてついつい食べ過ぎてしまう。ここには僕の他にもう2人の旅行者が泊まっていた。ひとりは日本人。もう1人はアラブ人だという。食卓は3人で囲む。日本人の男の子は香港からチベットを抜け中央アジアへとやって来た。すっかりと旅慣れた風貌で坊主頭にしていた。このあとアゼルバイジャン、イラン、トルコへ向かって最終的にはアフリカに行くのだそう。そして、もう1人のアラブ人が遅れてテーブルにつく。ゆっくりとした身のこなしと物応じしない態度に心の余裕を感じる。食事をしながら、この男の話を聞いて2人で驚いた。自転車で世界を回ってもう8年になるという。しかもリビアからやって来たのだそうだ。一体、リビアで何をしてるんだろうか?と不思議に思った。朝食を食べ終え、お腹も一息ついた頃には太陽が頭上から照りつけるようになり、気温が一気に上昇しはじめる。その前には、皆おのおの自分の部屋へと戻って行く。もう今日の夕食の献立が気になっていた。

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アーク城。星の王子さまが住んでそうなお城。

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迷路のような旧市街への入り口。

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「どうだ、男前になっただろう?なにせブハラ一の腕前だからな。ん、何笑ってるんだ。もう少しで出来るからじっとしててくれ」床屋にて。

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信号機

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遺跡のある旧市街から南西に10分ほど歩くと、もう旧ソ連圏の無機的な町並みへと変わる。この新市街も数百年後には趣のある遺跡へと変化するんだろうか?

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サマルカンド通りを北へと歩く。

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カラヴァン・バザールを北へ少し歩いたところにあった看板。気になる。。

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烏茲別克斯坦 | 布哈拉
ウズベキスタン、ブハラ
Bukhara (Buxoro), Uzbekistan
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2006年08月26日

Sketches of Tashkent・タシケント素描 -2006-

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ガラスごしに見る世界は、眩しくて、壊れやすくて、荒々しく、穏やかで、不完全なんだけど、どんな風に見えているのだろう。

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車は夕日に向かって消えてゆくようだった。

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西の方角に、今は廃虚となった巨大な「チョルスーホテル」が見える。

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地下鉄「ハビブ・アブドゥラエフ駅 (Habib Abdullayev)」周辺。

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つぎはぎアスファルト。その上で焼けたゴムの匂い。排ガスの風。太陽に服従した電柱の影。この道には色彩がなかった。

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タシケントには中央アジアで唯一の地下鉄が走っている。外の真っ青な空とは正反対に、駅構内は点々と明かりが灯るくらいで薄暗く、その暗さに慣れるまでは、本当にここに列車が走ってるんだろうかと思ったほど。車両は10分ほどの間隔でやってくるので、そんな心配はいらなかった。東京の地下鉄と違って各駅ごとに内装が異なり、それぞれテーマを持った装飾がなされている。宇宙飛行士(おそらくガガーリン)のレリーフが飾られていたり、近未来的な斬新なオブジェの駅があったりと駅めぐりをしたくなる程楽しい。この通路は「ウズベキスタン線」と「ユーヌサバット線」の連絡通路で透明感のあるタイルにライトが艶やかに写りこんで、
とても幻想的だった。

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タシケントの電視塔(テレビ塔)。

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メトロ「オイベック(OYBEK)」駅近くを走る路面バス。

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烏茲別克斯坦共和国 | 塔什干
ウズベキスタン、タシケント
Tashkent, Uzbekistan
posted by J at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Uzbekistan - 2006 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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