2016年06月25日

-Tax- Britannica



品位に欠ける、不意打ちを食らわせるようなやり方で王室を非難することは避けたかった。だけど気づいたんだ、時とともに人々が共有していた幸福感が少しずつ消失していって、すっかり陰鬱な、まったく悲痛な何ものかに取って代わられていたっていうことに。
―Morrissey―


ザ・スミス、『ザ・クイーン・イズ・デッド』30周年:
メンバーが語る知られざる名作エピソード

http://nme-jp.com/blogs/21837/

先々週ぐらいかな、ときどき見ている音楽サイトをサーフしていると、やたらザ・スミスのアルバム「The Queen is Dead」のジャケット・アイコンが目に付いて、何で突然に? と不思議に思い飛んでみる。すると、今年の6/16が、このアルバム発売から30年目にあたっていたようで、それを記念した特集がいろいろ組まれていた。このアルバムは、楽曲の完成度が高いのはもちろんだけど、王室を批判した過激なタイトル含め、当時のイギリスの抱えていた問題をうまく表現したレコードでもあったせいか、彼らの他のアルバムよりも一つ、二つ抜けて評価が高かったりする。また、リリースされた1986年という年はチェルノブイリ原発事故もあり、ヨーロッパ大陸に渦巻く得体の知れない未知の恐怖に、世界中が疑心暗鬼の目を向けていた。イギリスではテロや暴動が頻発していたし、冷たく暗いどんよりとしたイメージは、サッチャー政権の80年代には特に顕著だったように思う。つい先日イギリスで行われたEU残留/離脱を巡っての国民投票と、この「The Queen is Dead」30thアニバーサリーの時期がほぼ重なっていて、何か時代が逆回しになったかのような感もあり、ちょっと面白かった。上リンク先にあるNMEの記事は、今まで知らなかった曲作りの際のエピソードが収録曲ごとにあったり、意味不明だった歌詞の意図がわかったりと、ファンにとってはたまらないものがある。


Jon Savage on song:
The Smiths' The Queen Is Dead is an anthem for our times

https://www.theguardian.com/music/musicblog/2010/dec/15/smiths-queen-is-dead


●最近はこういう感じ(下リンク)でアルバムや楽曲レビューするのが流行ってるのかな。

The Queen Is Dead:
An Annotated look at the Classic Album | Liner Notes
(Pitchfork)
https://www.youtube.com/watch?v=qf6Fx8TXuRc

The Smiths | The Queen is Dead | 30th Anniversary Review Post-Punk.com
https://www.youtube.com/watch?v=AnXn2MS-qHw

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2016年03月05日

"Singularity" by New Order & バンド名の由来について


New Order - Singularity (Official Video)
*最後にこの曲の歌詞と和訳を載せてます。


アルバム「 Music Complete 」からのシングルカット "Singularity"。アルバム・リリース当時、ニュー・オーダーの10年ぶりの新譜がようやく! と話題にはなったものの、ピーター・サヴィルのジャケット・デザインにがっかりして聴く気にならなかった一枚だったが(Web上で見るグラフィック・アイコンとしてなら、今回のカバー・デザインはうまく成立してると改めて思い直した。サヴィルは CD が店頭に並ぶことよりも、Web配信での楽曲流通を意識して、小さくなっても目立つように、デザインしたのかもしれない。サヴィルはいち早くフロッピーディスクのシルエットをレコード・ジャケットに取り入れ、曲とのリンクを成功させたこともあり、時代の先読みに関しては信頼できる)、この曲はニュー・オーダー全盛の頃「Low-Life」あたりに戻ったかのようで、出だしの不穏なベース・ラインなんてまるでジョイ・ディヴィジョンそのもの、聴いた瞬間にぞくっとした。オワ! カッコイイ、やれば出来るじゃないかバーニー、なんて言いたくなるほど素晴らしい。なんとなくケミカル・ブラザーズの「 Out of Control(この曲ではバーニーが歌っている。1999年リリース)」を連想し、クレジットを見てみると「 Singularity 」はケミカルのトム・ローランズがプロデュースをしていた。ああやっぱりそうか、この二曲は姉妹ソング的なつながりがあるのだなと。


GILLIAN: “Singularity”: It’s quite dark and mysterious; it sounds like classic New Order.

IDOLATOR - New Order Interview: page 2 (Sep. 2015)
Bernard Sumner, Stephen Morris & Gillian Gilbert Discuss New Album 'Music Complete'

http://www.idolator.com/7609274/new-order-interview-bernard-sumner-stephen-morris-gillian-gilbert-music-complete
上リンクは、メンバーが語る「Music Complete」のインタビュー記事。このアルバムで何から最初に聴いたらいい? と聞かれ、ジリアンは、昔のニュー・オーダーの面影ある「Singularity」を挙げている。



で、曲もいいんだけど、PVもまた素晴らしくて、こういう風に音と映像がいい方向に絡まるときってたまにあるんだよなぁ、としばらく浸ってしまった。PVは1980年代、ベルリンの壁が崩壊までのおおよそ十年間、ドイツの若者たちを追ったドキュメント映画「B-Movie: Lust & Sound in West-Berlin 1979-1989」の映像を編集したものだそう。おそらく歌詞のメッセージと当時の映像がぴたりと合ったからかもしれない、最初見たときに、あれ、この映画のために書いた曲か? なんて思ってしまったくらい。
そして、ベルリンの壁で隔たれたこの当時の東西ドイツの状況ってこんなにも激しかったんだなと、映像を見ながら改めて思ったりもし、今現在移民問題で大きく揺れるヨーロッパの現状と重ねてみたりする。個人的にはこのおおよそ10年前、1970年代のドイツで活動していた若者たち「バーダー・マインホフ・グルッペ(RAF / ドイツ赤軍)」に興味があって、純粋な若い感性が、真実とそれに反するダーティな政治との埋まらない溝の中で葛藤しながらテロリズムに走り、悲惨な結末(刑務所内での不審な自殺・他殺説あり)を迎えたというエピソードは憤りが混じりながらも「社会と人」の関係やあり方を強く意識させる。ドイツ現代美術の巨匠、ゲルハルト・リヒターが彼らについての(政治的なメッセージある)作品「October 18, 1977」を描いている。過去には、ブーヘンヴァルトの魔女がいたり、ドイツってヨーロッパの闇の部分が深く染みこんでいて、時折表面化し、なにか得体のしれないものがあるんだな。
話それたが、この映画のサントラにはジョイ・ディヴィジョンの「Komakino」が収録されている。そのつながりでこの新曲 "Singularity" と映画の連動があったのかもしれない。
*ちなみに「Komakino」は「Coma Chinema」、"こん睡状態のシネマ" という意味のドイツ語。映画のサントラに使われるとよけいに意味深だ。
Q: What does the word "Komakino" mean?
https://answers.yahoo.com/question/index?qid=20080211125916AArjVfY


PVの中でさんざん流れる暴動シーンは、権力に向かう怒れる若者らの姿が映っているせいか胸打つものがあって、ちょっと目頭が熱くなった。その昔、テレビ番組のアーカイヴ集でみた日本でのテロ事件の数々や(三菱重工爆破事件やダッカ・日航機ハイジャック事件等)、天安門事件での無名の反逆者 "The Unknown Rebel"、数年前、アラブの春をきっかけに広がっていった民衆蜂起の報道とも通じる映像のタッチ。こうした記録映像が次々に頭の中をかけ巡る。何かしら旧体制が崩壊するときって、こういった現象が顕著になるのだなと、フィルムに記録された映像は教えているようだ。古く色あせ、粗い粒子が、人の荒れた心をうまく写しとっているようでもあり、胸騒ぎというか、見た人の気持ちの中に何かざらざらとしたものを残していくような感じもする。いまの最悪な状態がこの先も続くくらいなら、わずかでも良くなる可能性を信じて、今ある全部をぶちこわす、この何年かの日本の行き詰まりを見ていると、そういう風になっても別にいいんじゃないかとも思ったり。利権や保守・現状維持で満足している連中を引きずり落とすのは何も悪いことじゃない。日々の報道やニュースを見ていると、世界的にそういった機運が出てきているし、実際脆弱な政権下では若者たちの押さえきれない「うねり」が牙をむき、混沌の世界へと変わっている。

そんなことを考えつつ、そういやニュー・オーダーというバンド名って「新しい秩序」の意、まさにその通り、名は体を、いや彼らの音楽の根っこの部分を表しているようにも思える。バンド名の由来については、これまで映画のノベライズ本「24アワー・パーティ・ピープル」の中で、少し書いてあるだけだったが、2014年9月(日本版は2015年9月)に出版されたバーナード・サムナーの自伝の中で詳しく触れられている。名付け親(提案)はマネージャーのロブ・グレットン。


 ジョイ・ディヴィジョンから自分たちをうまく引き離そうとするなら、新しいバンド名が非常に重要なことはわかっていた。(中略)効果的な名前、全員が気に入る名前を思いつくのに私たちは大いに苦労していたが、ある日、ロブが新聞「ガーディアン」で、クメールルージュ没落後、カンボジアでいかに新体制(ニュー・オーダー)が樹立したかを追う記事を読んでいた。彼は新聞から顔を上げ、「なぁ、ニュー・オーダーはどうだ?」と言った。
 私たちは頭の中でそれを転がしてみた。悪くない。
 ロブは続けた。「一つ確かなのは、もうファシストの含みのある名前はだめだってことだ。ジョイ・ディヴィジョンでは散々だったからな。ニュー・オーダー。うん、完全にニュートラルだ」


*「Joy Division(直訳で:喜びの棟)」という名は、ナチスドイツの強制収容所にあった慰安所を意味する言葉だったため、ことあるごとにマスコミから批判を受けていた。


「ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく」バーナード・サムナー(萩原麻理・訳)、より
CHAPTER 12 復活(ele-king books / p171)
"Chapter and Verse - New Order, Joy Division and Me" by Bernard Sumner




ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリストだったイアン・カーティスが1980年5月18日に自殺し、残りのメンバーで音楽活動を続けていくことになる。彼らはバンド結成時にひとつの約束ごとをしていた。


(ジョイ・ディヴィジョンを)始めた時に、もし誰かひとりでもバンドを辞める時がきたら、バンド名を変えようってみんなで約束してたんだ」(バーナード・サムナー)


「24アワー・パーティ・ピープル(FAC424)」トニー・ウィルソン(江口研一・訳)、より
27.A New Name For The Khmer Rouge(ソニー・マガジンズ / p151)




彼らの所属していたファクトリー・レーベル周辺の人たちは、すでにファンのいた「ジョイ・ディジョン」の名を継続し使うだろうと思っていたようだったが、バンドのメンバーはバンド名を含め、何もかもを変えなければ、次の一歩を踏み出せない状態だった。バーニーの自伝からもわかるように、新しいバンドの名前を決めるのには、けっこう慎重に模索していた様子がある。


ポルポト政権後のカンボジア、新しい秩序への期待と "ニュー・オーダー"
ニュー・オーダーが結成に至るまでの時期、1980年後半から1981年にかけてのカンボジアも、バンドの置かれた状況とよく似ていた。自国民の大量虐殺をはかった独裁者ポルポトによる恐怖政治の時代が終わりを迎え、次の政権へ変わる時にあたる。政権末期、隣国ベトナムとの紛争を抱えていたポルポトは、ベトナムによる侵攻を許してしまった東部国境地域の幹部たちを粛正しはじめる。そのうちの一人だったヘン・サムリンは(ポルポト)政権から離脱、ベトナムへと逃げ込み、ベトナムの援助を受け反ポルポトの党を結成(すでにあったグループと合流する形で)。そして「打倒ポルポト」の名のもとに、ベトナム軍とともにカンボジアへ侵攻、1979年1月、首都プノンペンを制圧してしまう。これによりポルポト政権は崩壊した。こうしてカンボジアにヘン・サムリンを中心にした新しい体制( =親ベトナム・ソ連)ができあがった。カンボジアはポルポト政権時代に行われた悲しい惨事(虐殺)を忘れ、新しいリーダー、ヘン・サムリンの元で新しい秩序を作り上げ、これまで失ったものを取り戻そう、といった気運があり国際社会への復帰を願っていたように思う。イアン・カーティスの悲しい死を背負いつつ、それを乗り越えるためにふさわしいバンドの名前、「New Order」という言葉を彼らが直感的な響きから選んだのも、この時期の世界の動向ともつながりがあって、何か"時代"に選ばれたかのような出来事にも感じたり。

そして、1979年末には、ソ連のアフガン侵攻があり世界に激動が走ったときでもある。ソ連と中国の対立が激化、ユーラシア大陸に亀裂が走る。これは東南アジアの政情ともつながっていて、親ベトナム(背後にソ連)のヘン・サムリン政権と、中国の援助を受けていたポルポト一派(反共産化を懸念するアメリカは、失脚したポルポト一派を含む、ばらけた野党三政権:ポルポト派、シアヌーク派、ソン・サン派を強引に一本化し抵抗する。方針がそれぞれ全く違うのでペーパー・ガバメントと呼ばれた)の対立はカンボジアの内戦を長期化させることとなった。

参照:
講談社選書メチエ「ポル・ポト<革命>史」山田寛、中公新書「カンボジア戦記」冨山泰、岩波新書「中国とソ連」毛里和子




Joy Division/New Order manager Rob Gretton proposes the name after reading an article on "The people's New Order of Kampuchea" in The Guardian. But most crucially, Hook says, "we just thought it sounded pretty good."
(ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのマネージャーだった)ロブ・グレットンは "ザ・ガーデアン" 誌の記事「カンプチア人民の新体制」を読んだあと、その名前を(バンドに)提案する。が、しかし大事なところは、ピーター・フック(ベーシスト)曰く「皆、まぁそう悪くはないなと思っただけ」なんだという。

exclaim.ca "New Order Power, Corruption and Lies"
'1980' - By Andrew Steenberg (Apr. 30, 2005)
http://exclaim.ca/music/article/new_order-power_corruption_lies


ニュー・オーダーのマネージャー(ロブ)が読んでいた「ザ・ガーディアン」の記事をネットアーカイヴにないかと、探してみたが見つからず。しかし、記事のタイトルは上リンクのサイト「 exclaim.ca 」の記事に書かれたもので間違いはなさそうだ。「The People's New Order of Kampuchea(カンプチア人民の新体制)」というタイトルで、おそらくヘン・サムリン政権の付けた「カンプチア人民共和国( People's Republic of Kampuchea / 1979-1989 )」をもじったものだと思う。



こうして、苦心し名付けたはずの新しいバンド名「ニュー・オーダー」も、すぐにミソがついてしまう。ヒトラーの著書「マイン・カンフ(Mein Kampf / 我が闘争)」との繋がりがあることをテレビ番組内で指摘されたのだ。結局のところ、新しい旅立ちも、ナチスに絡んだ話題から逃れられなかった。なにかとファシズム時代のドイツと縁のあるバンドだなぁ。


"ニュー・オーダー"がよく知られた言葉で、それが『マイン・カンフ』に拠ることを知ったのは、その2カ月後だった。彼(レーベル・オーナーのトニー・ウィルソン)はそれを、チャンネル4の、30分から1時間枠のアマチュア・トークショーの『ルース・トーク』という午後11時頃の生放送で知った。

「24アワー・パーティ・ピープル(FAC424)」トニー・ウィルソン(江口研一・訳)、より
27.A New Name For The Khmer Rouge(ソニー・マガジンズ / p152)



ニュー・オーダー「シンギュラリティ」和訳

NewOrder-Singularity-PV-Capture.jpg

"Singularity" - New Order Lyrics (from "Music Complete", 2015)
http://genius.com/8273641
*コーラス・パート等で歌詞が重複する箇所は省いてます。
*下線部は韻を踏んでいる箇所。


Winter came so soon like summer never happened
We're players on a stage with roles already scripted
We're working for a wage
I'm living for today on a giant piece of dirt spinning in the universe

あっという間に冬がやってきた、まるで夏なんてなかったように。俺らは台本どおりに動く役者。給与のために働いている。
宇宙で回り続けるでかいゴミの上*で、今日をせいいっぱい生きているんだ。

*) 人が行う経済活動(ごく一部の人間だけが世界の富を独占し、その資本のもとで使い捨てにされる大衆。このピラミッド構図の中で循環し続ける日々の生活)の結果、自然破壊と汚染が深刻化し汚れてしまった宇宙空間に浮かぶ天体、地球のことを指しているように思える。

I can hear your cry out there, and I can feel you close to me
きみの叫び声が聞こえる。きみがすぐそばにいるのを感じるよ。

One day at a time
Inch by inch
For every kiss on lovers' lips
For all lost souls who can't come home
For friends not here, We shed our tears

その日その日を大切に。少しづつでいい。恋人らにキスを。
我が家に戻れない迷える魂のために。ここにはいない友のため、俺たちは涙する。

And all I wanna do is make the right impression
The instrument of truth, A soldier with no weapons
I care so much for you
I'd crawl a thousand miles through deserts full of sand
My love in every land
俺はよく見られたいんだ。真実の手先だったり。武器を手放した兵士だとか。きみを大事に思っているよ。
はるか彼方、砂漠を突っ切ってでも、はいつくばって行くさ。俺の愛はどんなとこにでもあるからね。


I can hear your cry out there, and I can feel you everywhere
I can feel your presence here
Tender softly through the air

きみの叫び声が聞こえる。どんな場所でも、きみを感じるんだ。
きみがここにいるのを感じるよ。そう、空気のなかにやさしく溶け込んでいる。






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2016年01月12日

Lost, Generation



冬空の下、コートをすっぽりと被り歩いていたら、ぷるっとポケットのケータイが震えた。音楽好きな友達からのメール。なんだろ? と思ってみてみると「ボウイ亡くなったね」という文字。え! と驚いて足を止める。このとき、風のひとつでも吹いてマフラーを大きくなびかせてくれればよかったのだけれど、あいにく枯葉も舞わないほど穏やかな空だった。頬を差し出し澄んだ空気を肌で確かめる。ふと見上げると夕やみに小さな星が瞬く。ついさっき、ボウイの新作がリリースだとかいうニュースを見たばかりだったような気がして、冗談なんじゃないかとも思えた。ミシュランガイドの評価マークにも似た、新譜「Blackstar」のグラフィック・アイコンがふっと浮かんだ。Y字路に差しかかり左を選ぶ。歩きなれた道が途端に、どこだかわからないような感覚になる。足を勇める。頭の中でいくつもの彼の曲が浮かんでは消え、浮かんでは消え。ほんとよく聴いていたなぁと。といっても、時代を遡った1970年代のバックカタログのものばかりで、リアルタイムで発表されたアルバムには、あまり興味はいかなかったが、それでも長く一線で活躍している姿には尊敬の目がいった。デヴィッド・ボウイほど時代とともに生み出す音楽が変化していったミュージシャンはいないだろうと思う。様式美をつくらず、常に新しいものを追求し、自分の過去のスタイルを壊していた。ストーンズとは正反対のアプローチ。才能が豊富だとはいえ、年を経るごとに感性が失われていく怖さを最も良くわかっていたのだろう。それゆえ常にビギナーでありたいという心持ちが一層強く表れていたようにもみえる。1980年代以降はもう壊すものがないだろうというくらいになっていたので、その後の彼の音楽作りは相当大変だったろうと思う。

年明けから訃報が少し続いていた。ヘミングウェーの翻訳で知られる佐伯彰一さん、そしてフォークナーの翻訳で知られる加島祥造さん。奇遇なことに、米文学界のロスト・ジェネレーションと呼ばれていた作家の翻訳を手がけ日本に紹介してくれたお二方。時代のサイクルがひとつ変わったんだなと思えて、いろいろ考えることもあった。ボウイの死もまた、ぐさりとくる。



The stars look very different today


from "Space Oddity" by David Bowie

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2015年06月28日

箱モノ VS ソフト の争い


彼女は、自身のTumblr上で「アップルへ、愛をこめて」というタイトルのポストをした。アップルのしみったれたポリシーへの攻めの一手だ。テイラーはそのポストで、アーティストへの支払いが不当なことを訴えるべく大ヒットアルバム『1989』をApple Musicから引き上げるつもりであること、そして、彼女にそうせざるをえないようにしたアップルは恥じるべきだと書いた。


■ テイラーと、彼女のネット帝国「スウィフトピア」より
http://news.livedoor.com/article/detail/10281957/
http://taylorswift.tumblr.com/post/122071902085/to-apple-love-taylor



肥大化し傲慢な態度のアップルとテイラー・スウィフト(彼女の後ろには多くのファンやその他大勢のミュージシャンたちがいる)の戦い。ネット時代の「1984」みたいな内容の記事で面白かった。ファン(や音楽好き)以外にはどうでもいいことかもしれないけれど、ハードとソフト(コンテンツ)の関係を考えさせられる出来事で、突き詰めていくと、結局は鶏と卵どちらが先か的な話に戻っていくことにもなる。自分の主張を信じ、たったひとりで組織や大きな企業に立ち向かっていく、彼女のAgainstな姿勢はなんか素敵だな。ジャンヌダルクみたい。



TaylorSwift&GregJames-SingBlankSpace.gif
TS「ねえ、グレッグ、ちょっと聞いてよ! アップルったらさぁ、もうほんとヒドイの。ピンハネってもんじゃないんだから。どうしたらいいのか、もうあたしお手上げ」
GJ「テイラー、きみってほんと…。いま君の歌を、そのアップルのサイトから流してるんだけどさ」
TS「ああ、グレッグ。今すぐ止めて。そこから集まってくるお金は私たちには還元されずに、研究開発費という名のPODに全部吸い込まれていくのよ。ケイマン諸島だかにある小さな金庫の中のね」


Taylor Swift & Greg James Sing Blank Space より
グレッグ・ジェイムズというBBCの(人気?)DJとテイラー・スウィフトのロンドン一周・寸劇ありのドライブ。運転してないだけあって、めっちゃノリノリで楽しそな動画。仕草がいちいちカワイイ。イギリスのファン向けに合わせたのか、落ち着いた色のスタイリング。
posted by J at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - ARTS & MUSIC - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

A half-life disappears today


"Late Night, Maudlin Street" by Morrissey
(from "Viva Hate" / Mar. 1988)

■ passions just like mine
http://www.passionsjustlikemine.com/lyrics/moz-lnms.htm
こちらのサイトでは、モリッシーの書いた歌詞に細かい注釈が付いていてファンにはたまらない。


今年の年明け以来、ムーチョと杏仲明日香がひさしぶりに顔を合わし、オープンカフェで雑談してます。話題はモリッシー、カセットテープからラジオのことなど。

ムーチョ(以下ム)
杏仲明日香(あんなか・あすか/以下杏)


:ひさしぶりやな。こないだからどれぐらい経つ?
:そやな、ひさしぶり、か。あんまそんな感じせーへんけど。あれ、いつやった? たしか年明け早々やったかな。
:じゃ、ほぼ半年ぶりか。早いな。
:おー、そう言われるとずいぶん経ったような感じするわ。モリッシーの「モードリン・ストリート」みたいや。"A Half-year disappears today 〜"(と歌詞の一部を替え歌い出す。元は"A Half-life disappears today")
:STOP! ストーップ! おい! やめろ。耳が壊れる!
:くそ、ええ調子やったのに。
:しかし、この曲はほんまええ歌詞や。なんかショート・ムービーを見ているような物語性のある描写で、すごく映像的。数あるモリッシーの歌詞の中でも一二を争うくらいやと思うわ。だいたい「今日で、人生の半分が消えてしまう」なんて普通歌の中で言えるか? あ、歌やから言えるんか。にしても、このフレーズはなんかこうぐさっと突き刺さるもんな。人生の半分が過ぎた日を知る、ってのはなんかもう一人の自分があの世の世界から、現世にいる自分を見ているようで、いやほんま泣けてくる。しかし、この歌詞は詩というよりも、短い小説のような感じがする。やっぱし聞いた人は、みんな同じような受け取り方するんやろうか。イギリスの労働者階級を題材にした「キッチン・シンク・ムービー」みたいっていう人もいたし。オレとかはレイモンド・カーヴァーの詩集を読んだときと近い印象がしたわ。詩と小説のちょうど中間くらいの最小短篇といえばええんか。詩にしてはリアリステックで、小説にしては断片的というか。
:折り返し地点か。自分の人生の終わりを見据えてる、ってことやもんな。詩といえば、モリッシーってT.S.エリオットとかの影響は受けてるんかな? あんまそういう話題はなかったよな。モリッシーは古きよきヴィクトリア朝時代を連想させる作家が好みな感じやから、現代の、アメリカの作家はあんまり興味なさそう。この歌詞みると、モリッシーがもし小説を書いたらどうなるんやろ? って想像するよな。
:T.S.エリオットに影響受けたんはイアン・カーティスちゃうか。カフカとかゴーゴリの小説を題材に歌詞書いてたし。まぁ、でも人生が残り半分あるってことは、明日あさってに死ぬわけやないから、その点は安心というか。オレはもう半分を過ぎたんかどうか。でも、どの時点で半分なんかは、やっぱ誰にもわからんところはあるよな。100歳まで生きて50歳で半分やし、30歳の人生なら15歳のときになる。もしかしたら、気付かんうちに折り返し地点はとっくに過ぎてて…とか。"Viva Hate"のリリースが1988年やったから、モリッシーがこの歌詞を書いたのは29歳の頃なんやな。今モリッシーは56歳で、当時、自分の人生を予期してこの歌詞を書いてたとしたら、あと二年後にその答えが出るってことになる。まぁ、ファンにとっては望ましくないことなんやろうけど。
:なんで最初からしんみりやねん。
:いろいろ考えたいんやって、今のご時世。
:そういうやつほど、しぶといんや。お前200歳くらいまで生きるんちゃうか。
:俺はドラキュラか。
:そういや、こないだ血吸うてたな。ニンニク苦手やろ?
:すいませーん、ザクロジュースひとつ! って何で余計なもん頼ませんねん。あほ、ニンニクめっちゃ好き。あーこれで長生きできひんのか、残念。
:その方が世の中のためや。
:お前、ひどいこと言うな。
(と、ここでウェイトレスがザクロジュースを持ってくる)
ウェイトレス:お待たせしました。ザクロジュースの方は…
:はい、オレ! (といって中条あやみに似たルックスとペイルブルーの制服に釘付けになっている)おねえさん、オレと一緒に200歳まで生きません?
ウェイトレス:はい?
:あ、気にせんといてください。コイツすぐに目がハートになるんで。
:やば、MEGA HEART!
:あの娘からすりゃ、めちゃ HURTやけどな。
:…お前の人生、今日で消し去ったろか。
:Wow こわ、MEGA 本気や。

Morrissey-VivaHate.jpg
Viva Hate - wiki (ジャケット画像はwikiより)
http://en.wikipedia.org/wiki/Viva_Hate
1987年9月、The Smithsは"Strangeways, Here We Come"をリリースするが直後にバンドは解散、これがThe Smiths最後のアルバムになった。ヴォーカリストのモリッシーは、地元マンチェスターで活動するヴィニ・ライリー(ドゥルッティ・コラム)を相棒のギタリストとして迎え、すぐさまソロ活動を開始。1988年2月にソロ・デビュー・シングル「Suedehead」を、続けて3月にはアルバム「Viva Hate」をリリース。"Late Night, Maudlin Street" はこのアルバムのA面最後に収録。



 見た目はほとんどポータブルオーディオプレーヤーである「MP3ファイル変換機能搭載 ポータブル カセットテープ プレーヤー」。その名の通り、カセットテープの音源をMP3ファイルに変換してくれる機器だ。

■ 温故知新? 「ナウい」カセットテープ型ガジェットに注目!
Asahi パソコン online
http://dot.asahi.com/apc/2015060100001.html


■ カセットテープの話
:そういや、最近カセットテープが密かに人気らしいな。USBに落とせる小型プレーヤーも新発売になったとかで。
:密かに、か。なんか印象だけで語ってるリサーチっぽい感じがせんでもないけど。
:ま、そういうなよ。こういうのはアバウトでいいんや。日銀の経済統計でもないんやから。頭も、いろんなとこがユルい方が世の中スムーズにいくやろ? マタイの言葉にもあるやん。汝、心とともに今その地に付けている二つも同時に開きなさい。
:勝手につくるな!
:それはそうと、お前んちにカセットテープってまだ残ってる?
:ん、ああ、あるで多分。昔はレコードからよく録音したな。
:レンタル・レコード屋で借りてきてな。
:そうそう、懐かしい。しかし、今考えたらレンタル・レコードってすごい商売やな。CDと違って取り扱うのがけっこう難しいし。
:確かに。人気の盤はキズ付いてノイズ入りまくりのもけっこうあったし。あれ、お店側の管理がすごく難しそう。回転率がいいと痛みやすい。
:レコードやけど、RPMじゃない方の回転か。レンタル需要があって、回転が早いほどに盤の音質が悪くなる。本来とは逆のベクトルか。
:うまいこと言うやん。
:まぁ、でも、マイナー系のは誰も借りてへんかったから、けっこうキレイなのが多かった記憶がある。店によるんやろうけど。
:図書館の本みたいに、レンタルされた回数がスタンプとかでインデックスカードに押されてへんかった?
:え、そうやった? そこまで覚えてへんわ。
:違うか。俺もなんかうろ覚えで。あ、そうそう。あと俺、借りてすぐに木工ボンドでパックして、乾くまで半日待ってな、返す翌日にカセットに録音してたわ。クリーナーとかより、めっちゃ音がキレイになるねん。
:芸が細かいな。
:チリチリパチパチのひどいやつだけな。おもしろいくらいにノイズ取れるんやで。
:そのままくっつくってことないんか?
:あー、不思議とくっつかへんもんやで。そういやあれ何でなんやろ。
:相性悪いだけやろ。
:そういうもんか。
:そういうもんや。カセットテープもいろんな種類あって楽しかったよな。
:あったあった。ほんま次から次へと新商品が出てきて、デザインもおしゃれになって、音質もどんどん良くなってな。
:オレ、パッケージ裏にあった音域の波形グラフ見るの好きやったわ。旧製品と比較してあって、こんだけ性能アップしましたよー、ってのがおもしろくて。
:お前へんなとこ見てるなぁ。
:いや、あれけっこう好きなヤツ多いはずやで。
:んーオレにはようわからんけど。まぁ、確かにテープそれぞれ、ほんま音が違って個性的やったもんな。ノーマルとクロームとメタル・テープ。この三つでも全然音の個性が違う。ノーマル・テープは音がざらざらしてて乾いた感じやし、クローム・テープはしっとり艶やかなところがあって、メタル・テープは高い音から低い音、それからすごい繊細な音まで粒があって、ちゃんと聞こえる。
:値段もやっぱり比例してたけどな。メタル・テープは高くて、滅多なことでないと使えんかった。まぁ普段ロックを聴くのにメタル・テープは必要なかったけど。
:そやな。使い分けしてたかも。オレとかは、ネオアコとかをよく聴いてたからクローム・テープがちょうどよかった。値段もそう高くなかったし、音もわりと透明感があってな。
:90分とか120分とか長尺のは、すぐに伸びてプレーヤーの中でテープがぐちゃぐちゃになったり、あれ、記録メディアとしては決定的な欠陥やったよな。
:機械の機嫌損ねると、けっこう大変なことになった。あとオートリバース機能の調子が悪くなって、延々と(磁気読みとり)ヘッドがガシャガシャ回ってるだけとか、肝心なときに限ってそういうアクシデントが起こって困ったもんや。
:あー、なんかいろいろ思い出してきたわ。今、カセット・テープ談義集めたらけっこう面白いかも。あと、そう! 自分のオリジナル・テープ作るんが一番楽しかった。
:ああ、作ったな。自分選曲で編集したやつな。タイトルも自分で考えて付けて、インデックス作ったりした。テープの時間に合わせて曲選んだり、曲と曲の間に効果音的な間奏入れたり、だんだん凝ってくるねんな。イーノの「Music for Films」とかけっこう重宝したわ。あれ、そういう目的のために出たんちゃうか、とか思ったり。
:ちゃんとアルバム通して聴けや。
:あほ、あれ通して聴くのけっこうツライぞ。だいたいあのアルバムは、サントラやCMとかで使ってた未発表曲を集めただけやろ。
:そうやった? ま、イーノはいろんなとこから作曲の依頼あるもんな。まだまだ未発表曲のストック沢山ありそう。Music for Filmsもいまのところ、"III"までしか出てへんやろ、たしか。で、"II"はめっちゃレアなんよな。
:うん、"III"までやな。テープに話戻って、友達とオリジナル・テープの交換とかしながら、ジャンルの幅広げていって、そのうちだんだん繋がってくるんよな。あと、ちょっと気になる子に渡したりして。何気なく曲調で選んだ歌が、実はすごい意味深な歌詞やと後で知って、えらい冷や汗でてきたり。そういう楽しみ方は、ちょっと今のデジタル・メディアには少ないのが残念な気がする。シャッフル機能とかは便利やけど、やっぱり人が何らかの意図を持って組んでいく面白さとは違う。
:カセットはA面、B面があるってのも大きいのかもな。あの、なんて言うんやろ、表と裏をひっくり返して切り替わる感じは、想像力を刺激する何かがあるようなところがするんやけど。
:言えてるな。選曲するだけやったら、CD-Rとかでも出来るわけやし。でも、同じ曲順やったとしてもやっぱカセット・テープの方に魅力を感じてしまう不思議。あのリールがくるくる回ってるとこがいいんかな。
:テープが回るといえば、スケルトンで中身が見えるヤツもあったよな。
:あった、あった。スケルトンのカセットはi-mac発売に匹敵するくらい新鮮やった。待ってましたー、って感じで妙に喜んだ記憶。
:あと、めっちゃファンシーなパステル・カラーのやつ。人間不思議なもんで、ピンクとか水色のテープって、めっちゃ音が悪いような感じにみえる。黒とか白とか、シンプルな色の方が音に対する信頼性が持てた。中身は同じやったとしてもな。
:たしかにな。なんか本体の色で軽い音に聴こえたりしたわ。そういえば、あれ知ってる?
:あれって何や。
:えーっと、テープに鉄の入ったやつ。
:鉄? あ! わかった。あれやろ。たしかTDKから出てた高級メタル・テープ。骨組みがダイカスト製で、ずっしりと重たいねんな。
:そうそう、それ。すんごい音がいいねん。重厚感というか、シャキッとしてるというか。音像に締まりがある。キング・クリムゾンの「RED」とかこれで聴いたら、めっちゃ迫力あるで。でも不思議なんよな、音を記録するテープの磁性体の性能なんかを向上させるよりも、ただボディの方にダイカストを入れただけの方が、明らかに音が違ってくるんが。
:その辺は、オーディオ・マニアの長岡鉄男さんとかがよく言ってたところやな。要はテープにしろ、ステレオにしろ、関わる微振動が音に影響あるってことなんやろ?
スピーカーの下にコンクリートブロックを敷け、ってな。
:あれ、みんな真似したよな。あれ? やらんかった?機械で計測する数値には表れへん感覚的なところあったけど。一歩間違えたらオカルトの世界に踏み入れるようなもんやで。ただ、やっぱり説明つかへん音の違いが確かにある。
:あと、ソニーも負けじと、高級なやつ出してたやん。全部セラミック製で真っ白なやつ(Sony Metal Masterのこと)。めっちゃめちゃかっこよかった。
:それ、あった! のぞき窓も細くて、デザインかっこよかった。あんま記憶が定かじゃないんやけど、あれはそう音に大きな差がなかったような感じやった。
:見かけが、ちょっと洗練されすぎてたか。振動は押さえられたんやろうけど、重さが足りんかったんかも。あと未来っぽいというか、NASAの宇宙的イメージが強かったからカセット・テープとは思えへんかった。あの時代はTDKのやつみたいに、「メカ」感があった方がよかったんかな。

CassetteTape-TDK-MA-R.jpg
TDK MA-R C90
コンパクトカセット - wiki (画像はwikiより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88


■ ラジオ番組の話
:ふと思い出したんやけど、あの頃FMラジオの雑誌いっぱいあって、各雑誌ごとにカセット・テープのインデックス付録がそれぞれ趣向凝らしてへんかった? FM fanとか。
:FM STATION、週刊FMってのもあったよな。最後のページにインデックスが付いててな。毎号、人気のイラストレーターの絵が印刷されてて、それ欲しさに雑誌を買ったりもしたわ。FM STATIONがわりとポピュラーでみんな読んでたような感じがあって、音にこだわる少しマニアックな人はFM fan愛読って印象がある。鈴木英人さんの描くさわやかなイラストが表紙になってたんはFM STATIONやったか? インデックスのイラストでいえば、描いた人の名前は知らんけど、村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」の表紙画と同じ、果てしなくビルで埋め尽くされた絵のやつがあったん覚えてるわ。たしかトーキング・ヘッズのイーノ・プロデュースのアルバムをそのカセット・インデックスにしてた。「Fear of Music」の音のイメージにぴったり合うねんな、あの絵。アナログはレコードにしろカセットにしろ、音とグラフィカルなアイコンとが結びつくよな。
:「Fear of Music」は醒めた熱気というか、都会的でクールなんやけど、生命力の強さみたいなんがすごいある。あの時代にあったニューヨークの街の混沌をうまい具合に音の中に閉じこめてるよな。行ったことないから実際のとこはわからんけど。

CoinLockerBabies-FearOf Music.jpg
「コインロッカー・ベイビーズ」村上龍(表紙画:小山佐敏) / 1980

"Fear of Music" Talking Heads (1979)
現代アートの作品みたいなアルバム・ジャケット。街中でよくみかける滑り止め加工された鉄板をただ摸しただけのデザイン。ジャケットでもちゃんとエンボス加工になっている。コンセプトはギタリストのジェリー・ハリスン。
(*画像はamazon、wikiから)


:そういや、FMラジオの盛り上がりとカセット・テープの人気がリンクしてたんは偶然? みんなエアチェックとかしてたから、カセットは必需品やったもんな。あとマスメディアとしてはテレビが全盛やったけど、あの頃はラジオの力もけっこうあったような気がする。きのうのあの番組聞いた? とか学校で話題になってたし。さすがにFM雑誌はもう全部なくなってしまったけど(1990年代末〜2000年はじめにかけて次々と廃刊になっていった)、テレビ番組の雑誌も、存在感が薄れて最近あんまり見かけへんような気がする。これも時代なんかな。
:雑誌自体が少なくなってるもんな。インターネットにほとんど持っていかれてる。たまにパラパラっと雑誌も見たりするけど、内容がずいぶん薄くなってて寂しいな。読むところないやん。その分ネットが面白くなってきてるし。
:FMラジオの番組も今みたいに、トークと曲が被さるBGM的なんが主流じゃなくて、ちゃんと一曲まるまるかけてくれたりしたもんな。しかも、リミックス・ヴァージョンとかで。おこずかいでひと月をやりくりしてた学生にとっては、あれはすごい助かった。
:ピーター・バラカンの番組とかよく聞いてたわ。
:オレも。
:「ロンドン発ピーター・バラカン」とか、ほんまいい曲ばっかりかかってて、けっこう影響受けたわ。ミーターズとかニューオリンズ・ファンクとかこの番組で知ったりして。でもピーターさん、ザ・スミス、というかモリッシーの声が嫌いやってんな。リクエストけっこうあったのに、番組でかけるのイヤがってたもん。めっちゃ言い訳してて笑った。
:好き嫌い激しいもんな。ピーターさんの流暢なんやけど、すごい言い方に気を配った日本語トークが独特で、魅力やったよな。もちろん選曲のセンスや音楽にまつわるいろんな知識、外国人視点の広い世界観も楽しかった。こないだ読んだピーターさんの本の中に、当時のラジオ番組制作のエピソードとかがいろいろ書いてあって面白かったわ。来日間もない頃は、母国イギリスと日本の文化との違いに悩み、いざDJになると放送の規制、リスナーやスポンサーからくる要望の間で、自分のアイデンティをどうやって出していくのか、みたいなことが沢山あって、本人はすぐに本音を口にしてしまう性格みたいやから、番組内の発言ひと言ひと言、慎重に言葉を選んでたんやなぁと。それがああいった語り口になってたんやと納得したり。
:ふうん、おもしろそうやな。なんてタイトル?
:岩波新書の「ラジオのこちら側で」って本。そういや、BBCの名物プログラムになった「ジョン・ピール・セッション」の誕生秘話なんかも書いてあったで。ラジオ番組内でかけれるレコードの時間制限があったから、じゃ、替わりにライヴで演奏しましょう、ということが、そもそもの始まりやったらしい。タナボタというか、規制をかいくぐった企画が、偶然の産物的にいいアーカイヴ、コンテンツになったというか。その本、今度持ってこようか?
:おー頼むわ。
:ちゃんと返せよ。お前、借りパチーノやからな。
:っと。…そ、そろそろ帰ろかな。
ウェイトレス:お会計はあちら側で
ム・杏:お、あ、え〜!
:もしかしてさっきコイツと話してたの聞こえてた?
ウェイトレス:ふふ




「ピール・セッションズ」というライヴ記録が沢山残されたことには、時代的な背景があります。当時のBBCとミュージシャン組合との力関係から、ラジオでレコードをかける時間の長さが協定で制限されていたため、レコードをかけるかわりに局のスタジオでライヴ・セッションをしてもらい、それを放送していたわけです。結果としてそのライヴ演奏は、貴重な音源記録となったのでした。


「ラジオのこちら側で」ピーター・バラカン、より
(岩波新書 / p113 - 114)
Book-PeterBarakan.jpg

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2015年05月18日

Joy Division - Substance

JoyDivision-Substance-May-2015.jpg
"Joy Division - Substance" (May. 2015 / 257 x 364mm)
Ink and Coloured Pencil on paper
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2015年02月03日

2015のマンチェ


R.ニューボールド 2015年春夏シーズンのテーマは、 80年代後半から 90年代前半にUK全土を席巻したミュージックムーブメントMADCHESTER。当時を代表するバンドのアルバムジャケットを手掛けたデザインスタジオCentral Stationとのコラボレーションが実現し渋谷店、京都店で、POP UP SHOPが開催される。

■ R.ニューボールドがデザインスタジオCentral Stationのコラボ限定店展開
http://www.fashionsnap.com/the-posts/2015-01-24/enewbold-centralstation/

学生のときは、大のポール・スミスファンだった。カラフルなカラープリントのシャツや、イタリア製の変わった生地を使ったジャケットは今でも大事に持っている。遊び心に溢れたデザインや、服の作りが大好きだった。
Paul Smithブランドでは、その昔、The Smithsや80'sのニューウェーブ・バンドのイメージを使ったコレクションを展開していたような記憶がある。今回はカジュアル・ラインのR.ニューボールドのシーズン・テーマとして使われた感じ。Central Stationのデザインはちょっとユルイところがあるから、本家Paul Smithとは合わないんだろうな。そのあたり、ちゃんと棲み分けしているようで、少し笑える。改めて、Happy Mondaysのレコードとか見ると、やっぱり、うーん、もたっとしててダサいよな。かといって、同じファクトリーのデザインを手がけていたサヴィル・デザインは切れ味が鋭すぎて、Paul Smithとは少しイメージが合わない。期間中は、ハシエンダをイメージした店内になるようだから、ちょっと気になった。これまでも特に爆発的な盛り上がりをみせたことのないマッドチェスター・ムーヴメント。いつも忘れそうになったときに、こうやって取り上げられたりして、嬉しいような悲しいような。
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2014年11月11日

Houseful of Vinyl


"Does the body rule the mind
or does the mind rule the body ?
I don´t know..."

(身体が精神を支配するのか、それとも精神が身体を支配するのか?
僕にはわからない)

Lyrics from "Still Ill" (The Smiths - Hatful of Hollow, 1984)



コレクターというのは変わった人が多い。変わった人がコレクターとしての素養を持っているからか、それともコレクターの持つ資質が、一風変わった人格を形成するせいか。あるいは、すべての人には何かしら変わったところがあって、普段はそれを表に出すことはないが、ひょんなことで隠し持った何かが現れる。そういったモノのひとつに「コレクション」というものがあるのかもしれない。人が持つ何かしらのコンプレックス、見ることのできないその複雑な形=凸型に符合するように形成される形=凹型が、「コレクション」というモノになっているようにも思う。

一見普通に見える人でも、話を聞いているうちに何か変わった収集をしていたりする。本人の見た目とのギャップがあると、よりいっそう興味をひきたてられる。そういうコレクションの話になった瞬間に、スイッチが入ってしまうのだろう、どうも皆そこで人格が変わってしまう。その手の話は新鮮でとてもおもしろく、ついつい聞きいってしまう。しかし、深く聞いていけばいくほどに、不可解さも増し、理解不能な溝がどんどん大きく開いていったりもする。全部を聞き終えるまでもなく、途中でゾッとなって話がしぼんでいくことも少なくない。そう滅多にはいないけれども、極度のコレクター癖というものに遭遇すると、心のどこかが破綻しているようにも感じて、ある種の怖さを抱いてしまう。少し時間が経つと、そういった怖さもある程度薄れ、それもまたありなんだなと、受け入れられるようになる。相手に対する理解が深まったというよりも、自分の記憶に傷が刻まれたような感じだけれど。そしてまた、別な人のコレクション話が聞きたくなって、また同じように話の途中でゾッとしたり。自分でも少しづつ感覚が麻痺していって、しまいには、ほんと世の中変な人ばかりだ、という風になる。

僕も昔はレコードを集めていた時期はあったが、コレクション癖としては特に奇異なものでもなく、いたって普通だった。中古レコードといっても値段はピンキリで、高価なものもあれば安いものもある。買うにあたっては、自分なりのルールをある程度決め、それを守らないと金銭感覚が少しずつずれてきて、歯止めがきかなくなる。お金のない学生の僕にとって、掘り出し物のレコードにめぐり合う秘訣は、足しげく通うことと、おおよその相場を頭の隅に入れておくことだった。
自分で決めたルールをいくつかを挙げると、まずかけ離れたプレミア価格のものは買わない、ということ。当時のレコード(アルバム)の値段は、新品で2,800円。だから、この値段を基準にして、中古でも3,000円以上するものには、よっぽどのことがない限り手を出さなかった。一枚のレコードに多額のお金を使うくらいなら、もっと沢山のレコードを聴く方が有意義だと思っていた。うん、まさに健全な心がけだ。
そして、買うものはやはりアルバムが中心になる。ただ、シングルや12インチ盤でアルバム未収録曲やテイク違いなどの別バージョンが入っていると、それはWANTリストの対象になり、それにはかなり労を費やした。なるべく漏れのないように、かつ予算の限度は超えないように。要は、曲として正式にリリースされた音源を集めていたということだ。
コレクター心をくすぐるブートレッグ(海賊盤)というものも多々出回っていたが、これはなるべく買わないようにしていた。ブートの中には音質もよく魅力的なタイトルもいくつかはあったりはしたが、不思議なことに今ひとつこれらに手を出すことはなかった。ファンからすると、未発表のライブ音源などは、ものすごく興味が沸くのだけれど、なぜか買うほどの強い気持ちにはならなかった。海賊盤は、知らない誰かが違法に作っていて、当のミュージシャンにお金が入らないから、といったきれいごとを言うつもりはない。海賊盤には、デモ・テイクや未発表曲などもふんだんにあるし、コレクターとしては手に入れておくべきだろうと言われると、うーん確かにそうなんだけれども、という風になるが、やっぱりどうも二の足を踏む感じになる。こういうわけで、僕はレコードをわりと数多く持っていたとは思うが、コレクションとしては模範的なものばかっりで、ディープなコレクターにはなれなかった。もし、コレクターに分類法があるとすれば、僕はきっとコンプリート・タイプというカテゴリに入るのだろう。コンプリートを目指す場合は、必ずテロメアに行き着き、そこでたいてい燃え尽きてしまう。また、コレクターの多くはこのコンプリート型の亜系になると思うが、中にはやっぱり突然変異というか、違う文脈のタイプも確かにいる。

今でも印象に残っているコレクターの人がいる。名前はすっかり忘れてしまったのでA君と呼ぶことにする。どこで出会ったのかも、はっきりとは思い出せない。頼りない記憶をたどれば、おそらく、大阪梅田のソレイユという中古レコード店か、その近くにあったリバーサイドというレコード・ショップだったと思う。多分、ソレイユの店主に紹介されて話したのが最初だったと思うが、レコード棚を見ているときに、どちらかが話かけたのがきっかけだったような記憶も少しあって、やっぱり曖昧だ。まぁ、どっちにせよ知り合ったきっかけはレコード店だった。
そのA君と話しているうちに、彼は僕のザ・スミスのコレクションにえらく興味を引いていた。というよりも、ある一枚のレコードに関心を持っていた。それはザ・スミスのセカンド・アルバムの「Hatful of Hollow」というレコードだった。初期スミスのベスト盤といった選曲で編集されたコンピレーション・アルバムで、見開き仕様の凝ったジャケット・デザイン、そして値段が安いわりにたくさんのいい曲が入っていることで、人気のある一枚だった。シングルやラジオ・セッションなど、既発表曲ばかりを集めていたためだろう、リリース当初(1984年11月)は「3.99ポンド以上で売らないように」というラフトレードからのお達しステッカーがジャケットに貼られていた(当時のポンド/円のレートを見ると、1ポンド=約300円だったので、1,200円くらいになる。日本での輸入盤価格は2,000円前後だった)。彼はこの「Hatful of Hollow」というレコードを集めているのだという。はじめは、世界各国でリリースされた国別の「Hatful of Hollow」を集めているのかと思っていたが、話を聞いていくうちにそうではないのがわかった。なんでも、このアルバムが大好きで、店で見かけるとついつい買って帰ってしまうのだと、少し照れながら語っていた。どこの国の盤であれ、無条件で買ってしまうのだという。なぜそんなに「Hatful of Hollow」が好きなのかと、理由を聞いたはずだけれども、その肝心な部分はもう僕の記憶にはない。イギリス盤はもちろんのこと、アメリカ盤、ドイツ、イタリア、ポルトガル、ブラジル盤も持っているとか言っていたような気がする。一番数多く持っているのはやはりイギリス盤だった。イギリス盤には再発を含めた2種類のジャケットが存在するが、初回プレスに貼られていた廉価盤を示す丸いシールのあるものを、特に探し買い集めているのだという。再発盤にはまったく興味がないようだった。「Hatful of Hollow」の再発盤は(おそらく)コスト削減のため見開き仕様からシングル・スリーブになり、ジャケットのデザインもやっつけ仕事的な冴えないものに変わっていたから、その点はうなずけた。やはり、再発盤のジャケット変更は、スミス・ファンの中では評判が悪いのだ。廉価盤なのに豪華なダブル・ジャケット仕様の「Hatful of Hollow」は、買う側にとってはとても嬉しいものだが、レコード会社にとってはきっと利幅の薄い問題盤だったのだと想像できる。
その時点でA君の「Hatful of Hollow」コレクションは、五、六十枚はあると言っていたから、僕はえらくびっくりした。それにしても、同じレコードをこれほど集めるというのは、どういう心理なんだろう? コレクターの典型的な例では、保存用、飾る用、そして普段聴く用と、3枚を買う人はそう珍しくはないが、A君の場合は少し度が過ぎているように感じた。彼の意気込みとしては、世界中の「Hatful of Hollow」を買い占めることなのだと、その夢(?)を熱く語っていた。まるでハント兄弟みたいじゃないか。ここまで聞いて、僕はその熱意は感じたものの、ひとりでそんなに同じモノばかり買っていたら、他の人の聴く機会が減るじゃないか、と内心違和感を覚えたりもした。しかし、これがコレクターの性というものなのだ。僕は部屋の中に同じレコードが五十枚、百枚と並ぶ光景を思い浮かべてみるが、やはりどうも理解の範囲を超えてしまう。もしA君が今も「Hatful of Hollow」を買い続けていたら、きっと相当な数になっているだろう。Houseful of "Hatful of Hollow"になってなければいいのだけれど。



"A blue circular sticker on the front of the sleeve advertises that the album includes 1983 and 1984 radio sessions and should not be retailed at more than 」3.99"
ザ・スミス&モリッシーのファンサイト「パッションズ・ジャスト・ライク・マイン」より
・UKラフトレード「Hatful of Hollow」の初回盤のステッカーについて
廉価盤につき不当な価格で売らないよう文面で表示するあたりに、消費者の立場を考える小売のあり方、ヨーロッパの良心のようなものを感じてしまう。

■ Passions Just like Mine - "Hatful Of Hollow" collectors appendix
http://www.passionsjustlikemine.com/disc/hatfulofhollow-c.htm



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2014年09月11日

Jeane


サンディ・ショー(Sandie Shaw)による「Jeane」のカバー。ザ・スミスのモータウン調の明るいバージョンもいいが、このサンディ・ショーのアコースティックなカバーは歌詞とも合っていて、響くものがある。ザ・スミスのメンバーが演奏で参加している(モリッシーもコーラスで)。
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I'm not sure what happiness means
But I look in your eyes and I know
That it isn't there

幸せっていうものが何かはよくわからないけど、君の眼をのぞきこむと、
そこには(それが)ないんだな、って。

(この曲は、破綻したカップル(同棲生活)の様子を歌ったもので、男性側の目線による詩。関係をなんとか維持しようと努めるも、現実の問題と互いの気持ちの差を知り、葛藤する姿が見える。この当時のイギリスの若者は仕事がなく、失業手当をもらって生活している者が多かった。雑誌などで見るミュージシャンのインタビューを読むと、そういったことをけっこう口にしていたので、イギリスって本当に景気が悪いんだなと、思ったりした。あまり喜べるものではないが、ロックを好んで聴いている層の人たちが、特にそうだったのかもしれない)

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あまりにも簡単に手に入ってしまうと、まったくつまらないし、かといって手に入れるために、とんでもない苦労をしなければならない、というのだとなかなか長続きはしない。コレクターの心理は、つきあい始めたカップルの持つ初々しいジレンマと少し似ているんじゃないか、と少し思った。電話して、もうすぐにで会えたりすると、ドキドキ感がそう高まらないし、でも会うために何度も電話しなければならなかったり、どちらかが忙しすぎたりして一向に会う機会が巡ってこなかったりすると、そのうちに気持ちが冷めてしまう。急な仕事が入って、夕食の約束がふいになったり、休日のデートもどちらかが風邪などをひいてダウンしてしまったり。不意な用件で、予定が流れたり、反対に急に時間がうまくあったりして。いい意味で互いの気持ちに緩急をつける、いたずらのような巡り合わせが起こる。そういった波長の合う合わないというのは、けっこう大事だったりする。会えそうで会えない、そんなときのやきもき感が、次に会ったときの嬉しさを倍増させる膨張剤のような役割になったりする。こういったことを繰り返しながら二人の関係がちょっとづつ固まってきて、次第に相手への信頼につながってくる。柔らかな板金を互いに叩き合うようにして、二人の愛情の形がなんとなく形成され、おぼろげにできあがっていく。そういう過程のときが一番楽しいんだよな、と。会うまでにその子のことで頭がいっぱいになって、何も手がつかないとか。こういう気持ちを保ったままでいることは本当に難しい。
一枚のレコードと出会うのにだって、多少同じようなことがある(もちろん、レコードは紙とヴィニールでできたものだから、しゃべりもしないし、感情も持ってはいなけれど)。ザ・スミスの「This Charming Man」というシングルは、そういうレコードだった。このシングルのB面には「Jeane」という曲が収録されているのだけれども、B面にしておくにはもったいないくらいのいい曲だという前評判がすでにあった。そして、この曲はアルバムにも、同名タイトルの12インチ盤にも入っておらず、ファンの間ではレア曲として認知されていた(通常7インチシングルと12インチの収録曲はダブることが多いので、このシングルのような配曲は珍しい。ザ・スミスが活動期に残したシングルは17枚あるが、この「This Charming Man」だけが、7インチと12インチの収録曲が異なっている)。僕も「Jeane」が聴きたくて、ずっとずっとこのレコードを探し求めていた。しかし、なかなか手にいれることができなかった。僕がザ・スミスを聴き始めた頃にはもうこの曲のシングル盤は、すでに廃盤になっていたため、中古市場で出てくるのをただ待つしかなかった。また、タイトル曲の「This Charming Man」は、ザ・スミスの中でも一二を争う人気があるので、店頭にこのシングルが並んだ途端、即行で売れてしまう。だから、このレコードは、そうしょっちゅう、お目にかかるものではなかった。では全く見ないかというと、そうでもなく、ふとしたときに店に並んでいたりして、何かその気まぐれなタイミングが妙にコレクター心をくすぐるところがあった。店に入り、このレコードが目に飛び込んできたときといったら、本当瞬間に気持ちが沸騰する。心の中であげた驚きの声が、思わず口から出てしまう。「Jeane!」やっと会えたよ! なんて。
そして、いざ手にとってゆっくり眺めてみると、思ったほどコンディションがよくなかったり、あるいは、そういったときに限ってお金を持っていなかったりして、何かちょっとした茶々が入ってくる。持ち合わせがなかったときなどは、次の日に勇んで買いにゆくのだけれど、そんな時に限って、もうすでに誰かに買われていたりする。レコード一枚分、棚のところがぽっかりと開いているあたりをなぞってみたり、そしてやっぱりないことを二度目で受け入れて、その場で力つきてしまったり。補充してないところを見ると、ほんのわずかの差だったんじゃないかと、よけいに悔しくなりする。そんなときは、来るまでに寄り道なんかをした自分に怒りをぶつけるしかない。ああ、こんなことなら昨日のうちに取り置きしてもらえばよかったと、後悔しながら帰りの電車に乗ると、着いた駅で切符をなくしていたりして。もしかすると、僕がこのレコードを買うのを誰かが阻んでいるんじゃないかと猜疑心のようなものが芽生えたり。そういったときには、きっと、まだ聴くべき時じゃないんだろうと、自分自身に言い聞かせる。
それでも、いつのまにかに「This Charming Man」を手に入れることができた。その日は嬉しくて、何度も何度もB面の「Jeane」を聴いていた。このときは、もうザ・スミスのレコードのほとんどを持っていたので、この一枚は、難しいパズルを仕上げる最後の一ピースのような感じだった。こうしてレコード店を随分駆け回った末、えらく苦労して手に入れた一枚のはずなのに、この後すぐに、CDの再発盤であっけなく「This Charming Man」の全収録曲とリミックスがリリースされることになった。しかもプレミア価格なしの通常価格で。やっぱり、何かタイミングが悪いんだ。どうせなら、もうちょっとだけ、出会った余韻に浸りたかったのに、と思いながらも、またレコードに針を乗っける。

We tried, we failed
We tried, and we failed
We tried and we failed
We tried and we failed
We tried


Lyrics from "Jeane"
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2014年09月02日

菊地成孔さんのインタヴュー、より


■SNSがむしばむ若者の創造力
「物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。好きでやっていると思っていたら、いつのまにかドラッグのようにコメントを強要されている。そのうえ素人なのに『こんなこと書いたら嫌われる、たたかれる』とか、まるで玄人のように自己規制をしている。『キジも鳴かずば撃たれまい』ということわざがあるが、『鳴きたい(書きたい)けど、撃たれ(たたかれ)たくない』という感じになっていて、結局いらいらして鳴いて(書いて)しまって、撃たれる。つまり、ネット上でたたかれて炎上する。こんな繰り返しの中でクリエーティビティーなんて生まれるわけがない。SNSにもいいところはあるが、若者は発信することに疲れ果て、発信して批判されることにも疲れている」



ジャズの異才・菊地成孔が語る表現、若者、SNS
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK26H2F_W4A820C1000000/



菊地さんの本業はミュージシャンだけれども、本も幾冊か出されていて、それらを読むと、菊地さんの視点が時代とすごくリンクしているのがわかって、とても面白い。個人的には、菊地さんの音楽よりも、言葉や文章の方に興味があったりする。とくに「東京大学のアルバート・アイラー」という本は、フリージャズを中心にしたジャズの理論がわかりやすく書かれていて、すごく面白かった。
彼は、自分の奏でた音をいったん世に放ち、それがその中でどういった意味をなし、また時代や歴史のなかでどんな位置づけにあるのかを俯瞰する目を持っていて、それを次の自分の表現へとフィードッバックしているところがある。そのときに考えたりしたことを、音でなくいったん言葉に置き換え、伝えることで、頭の中が再構築され、次の作品の深さへとつながっているんじゃないだろうかと。感覚的なものと理論とを上手くスイッチすることで、作品づくりの好循環が生まれているように見える。感性と論理性、両極にある二つの才能をあわせ持った、日本のミュージシャンの中では珍しい存在だと思う。サッカーでいうと、選手としての才能と監督としての力量を持ち合わせた人、という感じだろうか。菊地さんのインタビュー(上記リンク)を読んで少し思うところがあった。

Twitterが出たときは、これが新しい! みたいな感じで一気に人が流れ、今度はFBが出るとそっちに移行して、他にも新しいサービスができる度にアカウントを取っては「はじめました。ヨロシクー」な人がけっこう多かった。きっと、その人たちの中ではやっていることの整合性が取れているかもしれないが、端からみていると、数年おきに新手のサービスに移動しているだけで、主体性がどこかにいっていてるように見える。僕からすると「そのサービスを使って何をしたいの?」と、まったく理解できなかった。ツールは目的があってはじめて使うもので、それってただまわりの雰囲気に流されて使われてるだけなんじゃないの? と冷ややかに見ていた。それぞれのサービスに登録した数のアカウントだけが増えて、やっていることが、どれも中途半端なまま終わっているよなぁとも。よっぽどの人でないかぎり、一度にたくさんのことはできないはずだ。何かひとつのことを、地道だろうがじっくりやっている人(何かの研究だったり)の方が、僕は信頼できる。

さて。
デジタル化とネット普及のいい点は、ソフトなり道具・機材等の扱いが簡単になったことがひとつあると思う。これまで技術収得にかかっていた時間が大幅に省かれ、すぐにある程度の形(クオリティ)にまで仕上がるようになった。特に、それがよくわかるのが、デジカメ&画像処理ツール(フォトショップ、インスタグラム等)という組み合わせだろう。多くの人が、何かしらの形で一度はこれらを使ったことがあるだろうから、そんなには意識すらしてないのかもしれない。そのおかげというべきか、伝える側が特にテーマや意図を持ってなかったとしても、形だけ、体裁の整った「何か」が出来上がってしまう。見渡せば、街中でもネットの中でも、きれいな画像やかっこいい写真が、たくさんあふれている。そういったものをパッと見ると、思わず目がとまり「オッ!」と反応することものもあるが、よくよく見ていくうちに、粗というか綻びが現れてくる。しまいには、見せかけの張りぼてのように薄っぺらく思えてきて、結局、最初の驚きはきれいになくなって、がっかりしてしまう。悪くいってしまえば、道具やツールさえ持っていれば、誰でも「クリエイター(←個人的にはこれはとても恥ずかしい言葉だと思っていて、いったい何をCreate-創造-したんだ! と言いたくなるが、世間一般ではこれが通っているので)」と名乗ることができるようになってきた。才能というのは、人生経験の中から絞り出し、生み出されるのではなく、キャッシュカードとオンライン回線を使い、ソフト会社から購入する、という時代にきているのか、なんて思ってしまう。アクセサリーか何かのように。最新の機材と最新バージョンのソフトがあれば、まぁお綺麗なものが指先ひとつで出来上がる。それって素晴らしい? いや素晴らしくなんかはない? どっちだろう。
改めて考えてみると、ひとつの技術を習得するということは、単に「技」を磨くだけでなく、それを身につける間に、「これを使って、何を自分は伝えるべきなんだろう」と、自問することも含んでいたんじゃないかと思う。それがその人の「表現」というに磨きをかけるものだったりし、見るものを納得させる力になっていたんじゃないだろうか。しかし今や、インストールさえしてしまえば簡単にツールが使えるようにった。そのおかげで、あれこれと試行錯誤を繰り返しながら「伝えたいメッセージ」を削りだし、生み出していくことが少なくなってしまった。その結果「安易な自己主張」のようなものばかり増えてしまったのかなと感じたりもする。さらに「自己主張」と「表現」の境目が、どこにあるのかも見えにくくなっているようにも思う。今ここに書いていることもその「安易な自己主張」にすぎないが、単に思いつきで書いているわけではなく、一度自分の中でゆっくりと、そしゃくしているつもりなので、多少はマシなところはあるかと思う。伝える手段やツールが増え、選択肢の幅が広がるほどに、伝える側の意識がよりしっかりしたものでないと、いけないなぁと切に感じるようになった。もし本当に伝えたいことがあるのなら、安易な道具なんかに頼らずに、自分の手で何かをつくってみると、何かもどかしくも、見栄えがわるくとも、何か心を動かせるゴツリとしたモノが出来るんじゃないだろうかと。



posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - ARTS & MUSIC - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする