2012年11月04日

Sand Bank of Padma River -Bangladesh / India-

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*Click for Large (p7-8) / 左項:越境する男たち

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以前に、当ブログで書いた「国境・ポッダ川の中洲 -Banladesh to India, 2011-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き12ページに再構成しました。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。
*jpegのほか、PDF、イラストレータai、フォトショップpsdでのデータも用意できます(詳細はメールにて)。

正確にいえば、この、ラジシャヒの西側を流れるポッダ川の中洲はインドとの国境ではなく、川を渡った数キロ先に本来の国境がある。ただ、この地点からほんのわずかな距離の川上、川下でポッダ川がバングラデシュとインドの国境になっているのは事実で、ここを国境といってもそう問題ないと思い、便宜的にそういう表記にした。

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ポッダ川の中洲
"Sand Bank of padma River" -Bangladesh / India-

■ ラジシャヒの冷たい朝
 白霧がうっすらと漂うラジシャヒの朝。前日までの晴天とは一転、どんよりと漂う灰色の雲が空に蓋をし、街に冷気を送っていた。そのせいで身体の深くまでが冷え切っていた。まるで冷蔵庫の中にいるかのようだ。僕は上空から降り注ぐこの冷気を止める術を全く知らない。足元のアスファルトは身を縮め、いつもよりも黒々と硬直しているように見えた。床を拭いた雑巾でも投げつけたくなるような陰鬱な空だった。

 宿を出たあと、目抜き通りであるシヤヘブ・バザール通りへと向かった。ゼロポイントと呼ばれる交差点の角にある屋台で熱々のチャーを一杯やる。ミルキーブラウン色のチャーが注がれた分厚いグラスを両手で包み込み、その温もりを確かめるように口元へと持っていく。ミルクが凍えた血管に染み入り、ざらざらに溶けた砂糖が脳に向かって流れるも、まだ身体を暖めるにはいたらない。ベンガル・パターンのマフラーをぐるぐる巻きに被った男たちと、屋台の小さなテーブルを囲み談笑する。普段は声のデカいベンガルの男たちも、寒さを前にするといくぶん大人しくなる。横にある鍋でふつふつと煮立つミルクを眺めながら、もう一杯を頼み、再度喉に流しこんだ。

 二杯目のチャーで身体が灯り胸の中から熱くなる。指先にまで心臓のぬくもりが届くようになった。冷えた身体にようやく、体温が戻ってきたところで、ゼロポイントを背にし、ポッダ川のある方角に向かって歩きはじめた。改修中の古びたモスクを右に折れ、静かな住宅街の中を進む。川に近づくほどに霧が濃くなっていく。街から外れていないはずなのだけれど、どこか森の深くに迷い込んだかのようだ。白く透きとおった大きな壁が目の前にあり、その中をくぐり抜けていくような感覚がある。視界の先にあるのは闇ではなく、白い世界なのでいくぶん不安はやわらぐ。ひっそりとした住宅地を抜けると視界が開け、霧の下をポッダ川が流れているのが見えてくる。乾季のため水量はあまりないが、ベージュの川底が浜辺のようになっていて、本来の水量と川幅がを示している。その中を、コールタールのような重苦しい黒藍色の水が流れている。清流のせせらぎのような音が聞こえるわけではないが、大きな川の流れを感じる。河川敷では近くにあるラジシャヒ大学の女子学生グループが談笑していた。たっぷりのマスカラにアイシャドウ、彼女らは皆濃いメイクをしている。男子学生らが遠目からその様子を眺め、目当ての子に声をかけるタイミングを見計らっていた。

■ ポッダ川
 ポッダ川に覆う厚い霧のカーテンを眺めていると、「向こうはインドだよ」と、近くにいた男が川の彼方を指さし話かけてきた。「あっちはインドになるの?」と少し驚いてたずね返すと、「ああ、そこの中洲を越えて、さらに川を渡ったらね」と返事がある。続けて「あの舟で渡っていけばいい」と、少し川下に見えた小さな船影を示し、そのまま去っていった。この川にやって来たのも特に何があるわけでもない。もう少し歩いてみようかと、男の言うインドとの境へ行ってみようと決めた。そして舟のある川岸へと足を向け斜面を下りる。湿り気を帯びた川砂の上を歩くのは、足をとられる上に凹凸がありなかなか思うように歩けない。三百メートルばかしを進むのにもずいぶん手間取ってしまった。

 川岸には、一艘の小舟が接岸してあった。対岸の中州へと渡るものだ。眼前の川幅は、ひと泳ぎほどのわずかな距離だが、泳いで渡るような奇特な人間は誰もいない。二十人が乗れるほどの大きさだ。まるで、沼底の泥を塗ったかのような重いねずみ色をしたこの舟は、見るからに浮力のないパッとしない姿をしている。一見、川の溜りに、朽ちた木の集合体が転がっているように見えた。こんなものが、はたして浮くのだろうか。今にも沈んでしまいそうなこの舟に乗り込むには少し躊躇する。しかし、中洲へと渡るには、これに乗るしかなく、ためらっている間にも二人三人と客が集まり始めていた。客が幾人か揃うと、船頭は櫂を水面に下ろし出発の準備を整えはじめた。僕を見て「乗らないの?」と、首をひねって舟を指し示す。僕は「沈まないよね?」と、自分に念を押すように言い返し、舟に乗り込む。どうも、棺おけに足を突っ込むようで気が進まない。一人分、舟が水面に沈んだが、まだ大丈夫なようだった。最後に僕が乗ったのを確認すると、船頭は櫂を静かにひねり船首を中州側へと向け、舟を漕ぎはじめた。船賃は十タカ。

■ ポッダの中洲
 ポッダ川の中洲へと向けて漕ぎ出した舟は、土中のもぐらが鳴くような悲しげなきしみ音をキィキィと立てながら対岸へとたどり着いた。接岸し舟を降りる。不思議なもので、それほど幅のない川を渡っただけなのに、俗世とのつながりががぷつんと切り離されるような感覚があった。どこに飛ばされていくのやら、と思いにふける間はなかった。舟に乗っていた客たちは、何かの競争をしているかのようにせわしなく、中州の奥へと消えていく。踏みしめられて道らしくなった道が足元にあったが、それもどこまではっきりしているのかわからない。彼らを見失わないように後を追った。振り返ると、街のシルエットがパノラマ的に広がっていた。淀みのない川の水面に映り込んだ街景が、上下に瓜二つ描かれていた。

 舟に乗り合わせていた乗客たちの足取りは想像以上に速かった。「待って!」と叫ぶ僕の声はまったく届きはしない。気がつくと、彼らはもう霧と交わる彼方の水平線の中へと消えていった。道しるべがなくなってしまう。マッシュポテトのように粘り気のある土は、踏みしめるほどに足が重くなっていく。慣れない足にとってはただの苦痛でしかない。霧から細かな雨に変わった。産毛にうっすらと付着していたミストが、滴となり肌へと流れる。中州を進むほどに、水平を切る土と霧空の二色しかない単調なものとなる。霧と地面が交わる水平線には、蜃気楼のような揺らぎが見える。代わり映えのしない景色と終わりの見えない道がさらにうんざりとさせる。

 インド側に向かって中洲をただひたすらと歩き続ける。越境者たちに踏みしめられて道らしくなった道から外れてしまわないよう、足元を常に確認しながらたどっていく。四方を見渡せば砂地が続くだけの荒涼とした世界が広がっている。目印になるようなものは何もない。深い霧が視界の全てを消し去っている。方向感がまったくつかめない。指標になる人影はとっくになくなっていた。ただこのまま前に進むしかない。歩いても、歩いても、あたりの景色は何も変わらず、この中州は一体どれほどの幅があるのだとつくづく思った。もしかすると横ではなく、縦の方向に歩いているのではという不安にもかられる。時おり、咳き込むようにして強く吹きつける風は、空に漂う霧を小さな雫に変え、着ているシャツに付着する。布地に付いたまだらな斑点模様は輪郭をなくすように、繊維の奥へ奥へと浸透し、いつのまにか全身の服を、冷たく湿ったものへと変えていった。

 約一時間ほどを歩いた頃だろうか、周囲の景色は相変わらず変化のないものだったが、自身の足に変調が現れた。湿り気のある砂の中を長く歩いているうちに、次の一歩を繰り出すことが苦しくなっていた。まるで知らない間に、足かせをはめられたかのようで、膝から下に耐え難い重みが増していく。一歩踏み出せば、重しがひとつ、次の一歩でまたひとつ重しが付けられていくような感覚だった。くりだす歩幅はみるみると短くなり、両足はどちらももう上がらず、ただ、砂中を擦るようにかき分けるだけ。足を上げれば足をとられ、砂中をただかき回しているだけになっている。ここまでの歩いた軌跡を振り返ってみても、自分の落とした足跡はすでになく、砂に二本の溝を引いているだけだった。

 足が止まり身体が崩れ、砂の中に半身が埋もれる。冷たく湿った砂を握りしめ、動かない足のもどかしさをまぎらわす。足を少し休ませたあと、起き上がりまた歩き始めた。いくぶん足が軽くなったような気がした。それでも砂をかき分ける前足と後ろ足はもつれ、ぶつかり、思うように進めない。まっ平らな地面をただ一方向に進めばいいだけなのに、それがうまくいかない。積み木の二段目を乗せれないでいる子供のように、何度も何度も同じ動作を繰り返しいらだちがつのっていた。すると、今度は腰の周りがぎしぎしときしみはじめる。乱暴に扱われたプラモデルのように、身体が内部から崩れていきそうだった。「もう、これ以上歩けない」と思った瞬間、視界の先に、にぶく光る鏡のような川面が何もない真っ白な空を映しているのが見えた。ようやくこの中洲の終わりが見えたのだ。

 足が棒になる寸前のところだった。もう、あと数百メートル先まで歩いていたのなら、本当に木の棒になった足を抱えて嘆いていただろう。ピノキオの気持ちが少しは分かったような気がした。そう思うと、足の骨に年輪が刻まれずに済んだことにほっとする。目的の場所が間近に迫ったのを見ると、急に力がわきあがる。残った力をふりしぼり、中洲の終わる地点へと向かった。ぜんまいの切れかかった人形のように、前にも後ろにも動かなくなった足を、ここが最後とばかりに無理やり持ち上げては、地面に押し込んで、という不恰好を見せながら川岸へと向かった。

 川岸に近づくと、えぐられてすり鉢状になった鍵型の断層が見えた。その上には小さな小屋が建っていて幾人かの姿が見える。小屋のすぐそばには黒い舟が停泊していた。すでに乗客が半分近く乗っていた。霧に深く覆われた川に浮かぶこの黒い舟を見て、ふと、これは三途の川の渡し舟なんじゃないかと思った。かすんで白く見える対岸は、インドではなく、あちらの世界なんじゃないだろうかと怖くなってしまった。渡ってしまえば、もう戻ってこれないような感覚がした。

 船頭は川岸の斜面にいた僕に目をやり、乗らないのか?と首をひねる。僕は首を振って、舟には乗らないことを伝えた。棒にならずにすんだ足だったが、この川岸にたどり着いた瞬間、地に根が生えてしまい、ぴくりとも動かなくなっていた。もうこの先へは進めない。舟を見下ろしている間にも、どこからやってくるのか、霧の中からぽつりぽつりと人影が現れる。一通りの乗客が揃ったところで、舟は川岸を離れ静かに動き始めた。「ぽしゃり」と櫂が水面をひねる音を立てた後は、音もなく川上の方角に進みだした。まるで、温めたフライパンの上でバターが滑るようになめらかに、スッと川面を流れてゆく。やがて、霧の中へと溶けていった。

真っ白に、真っ白に。

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「国境・ポッダ川の中洲 -Banladesh to India, 2011-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/246961084.html
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2012年11月02日

Index of "Border Mania" -South East Asia-

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「ボーダー・マニア」-東南アジア編- の目次ページです。
下記リンク先にそれぞれのページがあります。

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-Vietnam to Cambodia-
■ モックバイ、バベット(Moc Bai / Bavet)
・片頁A4サイズ、4p
http://tavola-world.seesaa.net/article/288093651.html

■ サーシア、プレック・チャック(Xa Xia / Prek Chak)
・片頁A4サイズ、16p
http://tavola-world.seesaa.net/article/296995151.html

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-Cambodia to Laos-
■ トラペン・クリル、ノーン・ノック・キャン(Trapeang Kreal / Nong Nok Khien)
・片頁A4サイズ、6p
http://tavola-world.seesaa.net/article/288901463.html

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-Cambodia to Thailand-
■ プラム、バンパッカード (Phrum / Ban Phakkard)
・片頁A4サイズ、8p、パイリンと国境の地図付
http://tavola-world.seesaa.net/article/288718248.html

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-Laos to Thailand-
■ ワンタオ、チョーンメック (Vang Tao / Chong Mek)
・片頁A4サイズ、8p、国境の地図付
http://tavola-world.seesaa.net/article/296472082.html

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-Thailand / Laos-
■ プーチーファー (Phu Chee Fah)
・片頁A4サイズ、6p、チェンラーイからのロードマップ付
http://tavola-world.seesaa.net/article/292570752.html

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-Thailand / Burma-
■ ダンシンコン(Dan Singkhorn)
・片頁A4サイズ、6p
http://tavola-world.seesaa.net/article/288085465.html

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-Thailand to Malaysia-
■ サダオ、ブキッ・カユ・ヒタム(Sadao / Bukit Kayu Hitam)
(近日アップ予定)

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-Bangladesh / Burma-
■ テクナフ、マウンドー(Teknaf / Maundaw)
(近日アップ予定)

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2012年10月15日

国境「サーシア、プレックチャック -Vietnam to Cambodia, 2010-」

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*Click for Large (p5-6) / ハティンの青空市場とCho Ca

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*Click for Large (p7-8) / トーチャウ橋からの眺め

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*Click for Large (p9-10) / サーシア国境

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*Click for Large (p11-12) / サーシアとプレックチャック国境の間。

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*Click for Large (p13-14) / プレックチャック国境。

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*Click for Large (p15-16) / プレックチャックからケップへ。

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以前に、当ブログで書いた「ハティンからケップへ(サーシア・プレックチャック国境) -Vietnam to Cambodia, 2010-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き16ページに再構成しました。ハティンとサーシアの間にある奇岩の山「タッダン」の項目を追加しています。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。
*jpegのほか、PDF、イラストレータai、フォトショップpsdでのデータも用意できます。
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The Border:
Xa Xia, Vietnam(ベトナム)
Prek Chak, Cambodia(カンボジア)
2007年5月に開いたベトナム・カンボジア間の国境。両国ともに、ここが最南端の国境になる。

■ ハティンからサーシアへ
 スクーターが絶え間なく道路に流れ込み、せかせかと慌ただしい他のベトナムの街とはどこか違い、のんびりと落ち着いた雰囲気があるハティンの街。ゆったりとしたカンボジアと近い事がその理由だろう。
 ハティンの中央市場「CHO CA」の向かいにある食堂横丁のカフェで、コーヒーを一杯注文する。5,000ドン。座った水色のテーブルと、今日の空が同じ色をしていた。間もなく、アルミのドリッパーとグリーンがかった小さなグラスがやってくる。気泡まじりのグラスの内側には、汗をかいた額のように大粒の露が貼り、甘黒色の液体が静かに溜まっていく。ベトナム式のコーヒーは一滴一滴と雫が落ちていくのをゆっくりと待つ、その時間がとてもいい。砂糖を多めに放り込んで三口でグラスを空けた。最後に、グラスの底で小さな山となっていた溶けそこねの砂糖を、小さなアルミのスプーンですくい取って舌に乗せ、カフェを後にした。今日でベトナムの滞在を終え、カンボジアへと向かう。このコーヒーともお別れだ。
 宿に戻り、正午前にチェックアウト。国境までの足を捜す。五分も経たないうちに、通りがかりのセーオム(バイクタクシー)の兄ちゃんが声をかけてきた。
 ケムという名の男。ケムはバイクにまたがったまま開口一番、「カンボジアへ行くのか?」と尋ねてきた。
「ああ、ケップまで行きたいんだけど。5ドルくらいかな?」相場を伺う為に、前日に聞いていた、おおよそ10ドル前後だろうと言う値段の半分で切り出した。
すると「うーん、5ドルじゃ厳しいよ。ケップまでなら7ドルだな」との返事。
だいたい予想していた通りだった。
「わかった、じゃ7ドルで頼むよ。ベトナムのドン支払いでいい?」と答えると、
「ああ、別にかまわないよ」と返ってきた。
ここがベトナム最後の場所になるので、なるべく手持ちのドルは残したままにしてドンを減らしたかった。「7ドルのベトナム・ドンは…」と計算し、13万ドンで話がついた。背負っていた荷物を乗せ、すぐに彼のバイクに乗った。
 ハティンからサーシアまでは、約7キロメートルほどの距離だ。右手にぬおんとそびえる奇妙な岩山「タッダン」が見えてくると、ちょうど半分ほどを通過した目印になる。タッダンを通り過ぎると道はYの字に枝分かれているが、そのまま本道の方を走る。のんびりとした田園風景が続き、遠景には緑の小山がぽつんぽつんと点在している。道沿いには、色褪せてペンキの剥げ落ちた大きな看板がちらほらと見える。左手に「CHO MY DOC」という市場が見えてくると国境まではもう一息。ハティンからバイクで約15分弱を走って、カンボジアとの国境サーシアへと到着した。

■ サーシア国境・ベトナム出国
 バイクは緩やかにスピードを落とし、車止めのバー手前で停まった。のんびりとした田園が広がっていた景色の中に、突如ペパーミントグリーンの大きな建物が目の前に現れた。ここがサーシアの国境事務所だ。周囲の和やかな景色とは圧倒的に不釣合いな建造物が目の前にそびえている。右手には検問所があり、その前を通り過ぎてイミグレへと足を向けた。出国の手続きをしなければならない。ケムはイミグレを出たとこで待ってるよと言い残して、先に行ってしまった。建物に入るとすぐに、殺風景な窓口があった。カウンターには、ファイルや書類等が無造作に散らかっている。床隅には、どう見ても壊れているようにしか見えないベルトコンベア付X線装置が埃をかぶっていた。人の気配を察知して奥から面倒くさそうに係員が現れた。そして、僕の荷物をそのベルトコンベアに乗せろと形式的に指図をする。しかし当然、この古びたベルトコンベアがまともに稼動し、X線装置の中を荷物がくぐり抜けていくわけはない。係員は、機械の上に置いた荷物をちらりと一瞥し、「荷物はこれだけか?」と一言尋ねただけで、荷物検査はさっさと終わってしまった。役所仕事の典型的なお手本だった。あとは、出国書類に必要事項を記入し、パスポートと一緒に係員に手渡すと出国のスタンプが押され戻ってきた。
 これで無事、ベトナム出国だ。

■ カンボジア国境・プレックチャックへ
 イミグレを通り抜けると、一足先に国境事務所を抜けていたケムが待っていた。
「無事済んだのかい?さぁ乗って」と、バイクの後部席を横につけてきたので、再び後ろに乗った。ここからは砂利道になっている。少し走ると鳥居のような門が小さく見えてきた。ここがベトナムの最終ゲートとなるようだ。この門をくぐりり抜けロータリーを横目に過ぎると、その先にカンボジアの国境事務所が見えてきた。振り返り、ベトナムにさよならを告げた途端に、足元は赤土へと変わっていた。アスファルト舗装とはまた違う、尻腰が鍛えられそうな振動が響いてくる。道ひとつをとっても、国の財政力の違いが表れているようだった。
 国境事務所の前で、乗っていたバイクは停まった。
「さぁ、着いたよ」とケムは振り返り、僕はバイクを降りた。カンボジアの入国手続きの書類をもらおうと、すぐ目の前にあったトタン壁の詰め所に向ったのだが、ここでは健康診断書を一枚手渡されただけで、入国手続きは少し先の建物で行ってくれとの事。この時期は鳥インフルエンザの流行で入国の際にはこういった書類を余計に提出しなければならなかった。カンボジアのビザはすでに日本で取得していたので、あとは書類を書いて提出するだけだ。カンボジアのビザがなくても、ここでアライバル・ビザは取得できる様子だった。黄壁の建物のイミグレで入国の手続きを済ませ、カンボジアへの入国完了。イミグレのすぐ前にあった車止めバーの向こうに一台の白いワゴンが停まっていた。
 ワゴンの中から若い白人男性の運転手が現れ「これからどこへ行くんだい?カンポット?それともシアヌークビル?」と尋ねてきた。
「いや、ケップまでだよ」と答える。
「そうかい、ケップまでなら4ドルで行くよ」
「わぉ、4ドルかぁ、魅力的だね。でも、もうケップまでのバイクをチャーターしてしまったんだよ」と、少し後ろで待っていたケムのバイクを指差した。
「そうか残念だね。こっちだとエアコン効いて快適だし、砂埃かぶらなくてすむのにね」と男は、少々いやみっぽい口調で締めた。
 ケムのところに戻ると、いつの間にか、彼の横にはもう一人が立っていて、友人のスーさんだと紹介される。おっとりとしたカンボジア人のおっちゃんだ。ここからケップまでは、このスーさんのバイクに乗り換えて行くとの事だそう。そういえば、国境へ向かう途中に、ケムがケータイで誰かと何やら話していたのを思い出した。その時に呼んだのがこのスーさんだったようだ。念のために、目的地ケップまでの運賃が、当初話していた13万ドンの支払いでいいかを再確認してた。ベトナムでは、最初に料金交渉していても、着いた途端にいい加減な値段を要求される事が多々あるためだ。
「もちろん、OKだよ」との返事で、スーさんのバイクに乗り換えた。
「じゃ、ヘルメットをちょうだい」とスーさんに言うと、
「カンボジアはヘルメットいらないんだよ。」と笑顔で言う。
「あぁ、そうやったね」とカンボジアのスタイル思い出し、ここから先がベトナムではなく、カンボジアだって事を改めて確認した。

■ ケップへ
 プレックチャックの国境のゲートを越えると、まーっすぐに伸びた赤土の道が続く。未舗装だけれども道はならされているので凹凸なくけっこう平坦だ。小石をはじく感触が尻に伝わるのが、なんだか「生きた乗り物」に乗っているという感覚でいい。レンガ色の土煙をぶわっと後ろにまき散らしながら、バイクはスピードを上げカンボジアの沿岸リゾートでもあるケップへと向った。
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■ ハティンとサーシアの間にある奇岩山タッダン
 ベトナム最南の国境、サーシア(舎夏)はタイ湾に面したハティンという町の約7キロ北にある。サーシアとハティンのちょうど中間に「タッダン」と呼ばれている奇岩の山がある。ポルポト政権時代の1978年3月、クメール・ルージュはこの国境を越え、ベトナムに攻め込んで虐殺を行った。このとき近隣の住民たちは、このタッダンに逃げ込み隠れるが、クメール・ルージュの兵士たちに見つかってしまい約130人が犠牲になった。この事件は「ハティエンの虐殺」と呼ばれ、この惨劇を刻んだ碑がタッダンの入口に建てられている。現在の国境周辺は、広がる田園風景の中、楽しそうに通学する子供達の姿が見られ、当時の悲惨な面影は全くない。ハティンのクメール名は「ペアム」という。
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2012年10月11日

国境「ワンタオ、チョーンメック -Laos to Thailand-」

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*Click for Large (p1-2) / 右項:パクセ橋

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*Click for Large (p3-4) / ダオファン市場

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*Click for Large (p5-6) / ワンタオ国境(ラオス)

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*Click for Large (p7-8) / チョーンメック国境(タイ)

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以前に、当ブログで書いた「パクセからスリンへ -Laos to Thailand, 2010-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き8ページに再構成しました。ワンタオとチョーンメック国境の地図付。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。
*jpegのほか、PDF、イラストレータai、フォトショップpsdでのデータも用意できます。
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The Border :
Vang Tao, Laos(ワンタオ)
Chong Mek, Thailand(チョーンメック)

■ パクセからワンタオ国境へ
 朝の6時半、ラオチャルーン・ホテルの一室。しっくいの白壁から伝わるひんやりとした冷気に起こされる。外からは車やバイクの走る音が、細い廊下を伝わり聞こえいた。乾期のラオス、朝のうちは長袖を着ていないと肌寒い。羽織っていた重い綿布団が頼もしく思えた。朝の空気を吸いに同階にあるテラスへと出ると、ちょうど托鉢の時間だった。最後尾を歩く僧侶の後ろ姿が見え、朝日の中に消えていった。部屋へ戻り、荷物をまとめ10時45分にチェックアウト。これからタイとの国境へと向かう。ベトナムのホーチミンから始まり、カンボジア、ラオスと周った今旅の最後となる国境だ。

 タラート・サオ横にある駐車場へと向かい、ダオファン市場行きのソンテウを探すが、あいにくその方面のはなかった。市場までの歩きを覚悟して、駐車場を出たところ、ちょうど流しのモーターサイが現われた。血の気が昇らない程度に運転手と交渉し、ダオファン市場まで3,000キップで話がついて、すぐに乗った。太陽の上昇とともに、アスファルトは柔らかな金色から銀色へと輝きはじめた。

 目的のダオファン市場へは、5分もかからないうちに到着した。時刻は11時。市場横にある大きな駐車場を見渡し、タイとの国境「ワンタオ」行きのソンテウを探した。駐車場には30台近くのソンテウが停まっていたけれども、ワンタオ行きソンテウはたった1台しかなかった。しかも、そのワンタオ行きソンテウに乗っていた乗客はたった1人で、僕が2番目の客だった。ソンテウはある程度の人数が集まらないと発車しないので、乗客が2人だけだと出るまでには結構な時間がかかるだろうな、という事は想像がつく。おまけに、運転手は積極的に客を集める様子はなく、いたってのんびりとしているのでなおさらだ。

 ソンテウの堅い長椅子にかがむように座り、すぐ隣にあるダオファン市場の活況ぶりを見ながら、ぽつりぽつりと現れる乗客を待つしかなかった。待つこと約1時間、乗客がひととおり揃い、12時15分、ソンテウはワンタオに向けて発車した。


■ タイとの国境、ワンタオ
 ダオファン市場を出るとすぐに、メコン川に架かる大きなパクセ橋を渡る。全長約1.4kmもある、この立派な橋は日本の援助で建設されたものだ。ソンテウの荷台に設置された木の長椅子は、解けないスライドパズルを動かすように枠内の同じ場所でカタカタと揺れている。車の振動がこの椅子に伝わって、やがて腰へと響いてきた。パクセからタイの国境までは約40km弱と、さほど距離があるわけではないが、クッションのない硬い長椅子の上に座っていると、なかなかこたえる。

 流れる景色は単調で、収穫の終わった畑ばかりが目に付いた。ダオファン市場ではあまり客が集まらなかったのだけれども、一旦道路へ出て走りはじめると、わりと頻繁に地元民の利用があり、良く停まっては、客を拾っていた。

 メコン川を渡ってからは小さな川か運河をいくつか越え、約1時間ほどを走り、ワンタオ国境へと到着した。ソンテウは、色旗のはためくゲート手前で右に折れ、その先にある空き地へと入っていった。空き地には屋根と古木の柱しかない吹きさらしの店が数軒並んだだけの小さな市場がある。乗客がやれやれと、皆降り散っていく。真昼の時間帯は、日差しが叩きつけるように降る。髪の毛が焼けるかのように熱くなっていた。地面に落ちた自分の黒影は、それに気付いてかスニーカーの裏に隠れるようにして、小さく小さくなっていた。


■ ワンタオ国境
 ワンタオ国境入口のゲートを越え、ゆるやかなカーブを道なりに進んでいくと、まっすぐに伸びた一本の幅広い道が目の前に現われる。400、500メートルはあるだろう、しっかりと舗装された道路だ。傾斜の低い登り坂になっているせいで、とても長い距離に感じられる。
 歩き進むと、左手にラオスの国境事務所が見えてくる。立派な建物だ。イミグレの裏はタンクローリーやトラック等が、税関手続きをしている間、待機できるようにスペースがとられている。大型車両が連なり砂埃が舞い上がり雑然としていた。

 イミグレで出国の手続きをする。パスポートと書類を係員に手渡すとまるで、郵便局で消印のスタンプを押すかのようなあっけなさで、出国のスタンプがポンと押された。カンボジアからラオスへ入国する時は、手こずったのに、と思い返すと幾分物足りなさを感じた。パスポートを受け取り、タイの国境「チョーンメック」へと足を向けた。ラオスのイミグレとタイとの国境の間には、免税の土産店がいくつか並んでいる。


■ チョーンメック国境
 タイ側の国境ゲートは車両用と歩行者用のレーンに分かれている。歩行者用のレーンは申し訳程度の通路で、車両用レーンの立派さと較べると可哀想なほど手がかけられてない。フェンスに囲まれた細い小道を通り抜けた先にイミグレがある。フェンスから飛び出す木の枝をくぐり抜けたその先に、薄平べったい三角錐や四角錐の屋根を組み合わせた近未来的な建物が目の前に現われる。ここがチョーンメックのイミグレーションだ。一見、国境にある事務所とは思えない斬新な建物は、まるで現代美術専門の美術館か宇宙観測の前線基地のように映った。外観こそ近未来的で斬新な建物だったけれども、中へと入ると、イミグレ特有の整然とした殺風景な内装で、少し期待もあった分がっかりした。改めてここが入出国の手続きを行う極めて事務的な場所なのだなと感じる。窓から差し込む柔らかな光が、退色した水色の壁や床に注いでいる。天井の高いロビーで入国手続きの順番待ちをしていると、過疎化の進んだ総合病院の窓口にでも立っているかのような錯覚を覚えた。荷物検査はX線を通したりと空港と同じ位、慎重に行われた。ろくに仕事もせず、荷物検査は目視で済ませていた、ベトナム〜カンボジアス間のいい加減な国境が懐かしく思えた。14時15分、無事タイに入国した。


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「パクセからスリンへ -Laos to Thailand, 2010-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/221054476.html
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老撾 - 泰国 | 巴色 - 倉咪口岸 - 素林
ラオス、パクセからタイ、チョーンメック国境、スリンへ
Pakse (Paxse) to Surin, Laos - Thailand
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2012年09月23日

Phu Chee Fah -Thailand/Laos-

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以前に、当ブログで書いた「プーチーファー (9 photos)」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き6ページに再構成しました。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。
*jpegのほか、PDF、イラストレータai、フォトショップpsdでのデータも用意できます。

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< Text >
プーチーファー
"Phu Chee Fah (Phu Chi Fah)" -Thailand / Laos-

 「プーチーファー」は、タイ北部の街チェーンラーイから直線距離で東へ約70キロ、ラオスとの国境にある断崖絶壁の山のことで、この山の頂から見る雲海とそこから浮かび上がる日の出の景色が美しいことで知られている。頂上にある尖がった岩が空を突き刺しているように見えることから「天空を指さす山」という意味の「プーチーファー」の名がつけられたのだそうだ。標高は1,628mあり、夜になると相当に冷え込む。また、空気がとても澄んでいるので、夜になると満天の星空が広がるので、夜空の観測も楽しい。

 プーチーファーへ行くには、チェンラーイから1020号線を下り、Thoeng(トーン/発音がものすごく難しい)という町を経由して車で約2時間。けっこう不便な場所にある。季節によってはチェンラーイのバスターミナルからプーチーファー行きのバスも出ている(1日1便程度)。山の中腹には宿泊施設のバンガローが何軒かあって、ここで一泊して朝日を見に行く人が多い。タイの人たちの間では知られた観光地になっているので、ここにやってくるほとんどがタイ人旅行客だ。

 「御来光」を見るために、早朝、日の出ないうちに起きて(朝日の出るとこを見るんだから、そりゃそうですね)頂上へと向かう。山頂を目指し登っている間は、寒いし、眠いし、お腹はすいているし、と文句ばかり言っていたのだけれど、頂上へたどり着き、そこからの景色を見るとそんなことは一気に吹き飛んでしまう。

 険しい岩場におそるおそる足を踏み入れ、限りなく崖の先へ陣取る。足元をしっかりと確認しておかないと、一歩間違えてしまえば真っ逆さまに転落してしまう。想像しただけでもぞっとする。転がり落ちた小さな岩が、音も無く吸い込まれていくのをみるだけで、この谷が相当な深さであるのがわかる。

 崖のてっぺんから見るラオスの眺めは、山の谷間にぶ厚い雲海が覆っていて、とても幻想的だった。僕の立っていた山の頂は荒海に削られた岩石のようで、まるでキメ細かなホイップクリームの海の中に自分自身が浮かんでいるようだった。雲海は、浜辺に寄せる波のように揺らぎある反復をくり返している。

 朝日が顔を出すと、谷間に漂っていた雲海がゆっくりと蒸発し、空気がきらきらと輝きはじめた。細かな霧が、朱に輝く太陽を漂泊するように空を磨いている。やがて、谷間に漂っていた雲たちはどこかへと消えてゆき、残った雲の隙間からラオスの集落が小さく見えはじめる。そして、村に明りが差し込み、静かな朝が始まった。

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チェンラーイからプーチーファーまでのロードマップ。
走行距離では約105kmほど。
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2012年09月21日

国境「トラペン・クリル、ノーン・ノック・キャン -Cambodia to Laos-」

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*Click for Large (p3-4) Morning Market, Stung Treng

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以前に、当ブログで書いた「ストゥン・トゥレンからパクセへ -Cambodia to Laos, 2010-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き6ページに再構成しました。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。
*jpegのほか、PDF、イラストレータai、フォトショップpsdでのデータも用意できます。

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カンボジアとラオスの国境
「トラペン・クリル」と「ノーン・ノック・キャン」編
Trapeang Kreal (Cambodia)
Nong Nok Khiene (Laos)

(intro)
この国境は、ラオス南部の名所「コーンパペンの滝」からカンボジア北東部を経由し、首都プノンペンへと移動する欧米バックパッカーに好んで利用されている。プノンペンへ向かう途中の町クラティエ周辺では、川イルカ(ピンクのイルカ)が見られる。


(text)
■ ストゥン・トゥレンからラオス国境へ
 ストゥン・トゥレンからラオス南部の街パクセまでの移動は、泊まっていたリバーサイド・ゲストハウスの女将さんに頼んで、手配してもらった。バンとバスのジョイント・チケット、13ドル。翌日の8時半に出発するので、それまでに宿の入口に集合しておいてくれとの事だった。
 出発の当日、8時半前に入口に行ったが、バンはまだ来てなかった。同じ宿に泊まっていた白人旅行者が一組、入口横で朝食をとっている。ほどなくして、もう一組の旅行者も現れ、僕を含めた5人がこの日の乗客だ。15分ほどして、GH前に白のミニバンが現われた。てっきり、砂埃にまみれたガタガタの車だろうと覚悟していたのだが、そうではなく、まだ新しい車で驚いた。快適な移動になりそうだ。5人が乗り込むと、すぐに発車した。
 車は通りには出ず、町中の住宅地を走っていき、町外れの、ある一軒家の前で停車した。どうやら運転手の家のようだ。当の運転手は家の中へと消えてしまった。そして、ここで30分ほど待たされる。やがて、運転手は弁当箱を引っさげてにこやかに戻ってきた。待っていた僕たちは、それを見て顔を見合わせるしかなかった。隣席に弁当をしっかりと置いた運転手は、ハンドルを握ると、鼻歌を交え上機嫌で車を走らせた。10分ほどを走るとセコン川に架かる大きな白い橋を渡った。まだ出来たばかりの新しい橋だ。そしてそのまま国道7号線を北上する。この区間の道路は、驚くほど綺麗に舗装されていて凸凹のない完璧な状態だ。しかし、整備されている割に交通量の全く無い寂しい道路で、ラオス国境に着くまでの間、対向車とすれ違う事が1度もなかった。 広がる荒野と、まだ黒光りするアスファルトの道がひたすらに続く単調な車窓。時折、ウイスキーの空き瓶に色の付いたガソリンを積めたものが並ぶ無人の販売所があるのが、唯一の変化なくらいだ。10時20分、僕らを乗せたバンが静かに停車した。運転手が後ろを振り向いて放った「ラオ・ボーダー!」の一言で、ラオスとの国境に着いたことを確認した。

■ ラオス国境
 車の中から外の様子を伺う。辺りは、切り開いた雑木林の真ん中に延びた1本のアスファルトの道路があるだけで、移動中の景色と何ら変わり映えしない。どこか違っているといえば、前方に車止めのバーが見えるくらいで、もしここが検問所だと言われても分からない位の簡素なものだった。のんびりとした国境だ。道路の左はじには白塗りの小さな小屋がちょこんと建っていて、受付らしき窓口の前に数人が並んでいる。ここがカンボジアのイミグレーションのようだ。ミニバンを降りると、運転手は「僕達はラオスには行けないのでここで終わりだ。この先はあのバスに乗ってくれ」と前方に停車しているバスを指差して、早々と自分の車へと戻り、来た道を引き返していった。
 イミグレの短い列の後ろに並び、出国の手続きをする。カンボジアの手続きは、パスポートの確認をするだけのあっけないものだった。パスポートに「Trapeang Kreal - Departed」のスタンプが押された。さて、いよいよ次はラオス入国だ。カンボジア側のバーの横を通り越しラオスのイミグレへと向かった。国境を区切るバーとバーの間はカンボジア、ラオス両国の空白地帯だ。この、わずかな「どこでもない区間」を歩いている時が、ドキドキ感の一番高まる瞬間だ。
 100m程を歩き、ラオスのイミグレに着くと、バンで一緒だったアメリカ人のカップルが係員と何やらもめていた。何事かと思い「どうしたの?」とたずねると、オリーブ肌の女性が険しい顔で僕の方を振り向き「このイミグレの男が賄賂をよこせ、って言っているの。おかしいでしょ?」と激高していた。
「私たちは、払うつもりはないから!」と、窓口の横で腕組み&ナナメ立ち。
僕が続いて入国の手続きをしようと、その男にパスポートを渡すと、男はパスポートをパラパラとめくり顔写真、旅券番号などのページを開いて、目の前にいる本人と見比べた後、カンボジアの出国スタンプを確認した。そして「2ドルよこせ」と言ってきた。なるほど、これがさっきのアメリカ人が言っていた賄賂のことか。
「ん?それは何の料金だ?」
「時間外料金だ」イミグレの男は言い返してきた。
「時間外料金は早朝か夜間の時間帯だろう。今は時間内だ。それに時間外料金だったとしても、2ドルではなく2,000キップ位なはずだ」と、以前にノーンカーイの国境を通過した時に徴収された時間外手当の事を思い出し反論した。男はこちらの言う事など全く聞きいれることもなく、ただ「2ドルよこせ」と言うのみだ。
「払う必要はない、ちゃんと仕事をしてくれ」と言うと、男はパスポートを放り返し「イヤならカンボジアに戻れ!」と怒鳴り、あごを横に振って、あっちへ行けという意味の仕草をした。そして、僕の次に待っていた旅行者を手招きで呼び寄せ、僕は窓口からはじかれてしまった。まさか、ラオス入国で手こずるとは思いもよらなかった。
 後に続いた旅行者も、同じように2ドルを要求されていた。彼は係員に向かって「僕らは大使館でラオスのビザを正式に取得し、その料金も払っている。なのに、ここでまた新たにお金を支払うのはおかしいのではないか?」と、もっともな事を言っていたので感心して、彼の言い分を続けて聞いた。
 ラオスへ向う、僕を含めた5人の考えは、要求されたこの2ドルが高いか、安いかではなく、不当なものにお金を払いたくないと言う事で一致していた。しかし、ここで男の要求する2ドルを払わなければ、ラオスへの入国が出来ないのも事実だった。もう、カンボジアの出国スタンプは押されているので、また戻るわけにもいかず、結局はこの男の要求を飲まなければいけないのは明らかだった。僕たちは話し合って、ささやかな抵抗として、この男に領収書を出させる事で、要求された2ドルを支払う事にした。
 男は2ドルを受け取ると、機嫌良くパスポートに「ARRIVAL - NONG NOK KHIENE」のスタンプを押し、部屋の奥から持ってきた青い紙に「項目:オーバータイム。料金:2ドル」と殴り書いてパスポートと共に手渡した。
 ひと悶着あったものの、無事ラオスへと入国出来た。時刻は11時。イミグレの先で停車していたバスが、僕たちを待っていてくれた。乗車口にいた助手の兄ちゃんが、「早く乗って!」と叫び、大きく手招きする。それを見て、皆があわててバスに駆け込んだ。5人が乗り込むのを確認すると、バスは静かに動きだした。この先154kmにあるパクセへ向けて。

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「ストゥン・トゥレンからパクセへ -Cambodia to Laos, 2010-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/211151268.html
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2012年08月31日

国境「プラム、バンパッカード -Cambodia to Thailand-」

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以前に、当ブログで書いた「パイリンからプラムへ -Cambodia & Thailand Border, 2009-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き8ページに再構成しました。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。

(intro)
カンボジア西部の小さな町「パイリン」から、宝石の街で知られるタイの「チャンタブリー」までの行程です。「パイリン」はルビーの産地だった為に、ポルポトのクメール・ルージュの残党がこれらの利権を握っていて活動の資金源になっていた。なので、カンボジア政府に追いつめられながらもしぶとく抵抗し、独自統治していた地域だった。その為に、少し前までこの一帯に入るのは困難だった。しかし、今ではそんな過去の暗い傷があったなんて、全く感じさせることのないのんびりとした町だった。「チャンタブリー」はカンボジアで採れたルビーの集積地として賑わいを見せていたが、カンボジアでルビーが採れなくなくなってしまったので、すっかりと寂れてしまい、今はかつての面影はないそうです。チャンタブリーの街には、まだ宝石商がいくつか残っているが、現在扱っているルビーはスリランカ産のものがほとんどとのことです。

パイリンの町とバンパッカード国境(チャンタブリまでの行き方)の地図付。

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(text)
■ パイリンからプラムへ
 パイリンの市場から目抜き通りの走る十字路へと向かい、タイとの国境、プラム行きの車を探す。十字路には乗合いやバイクタクシーの運転手たちがたむろしている。僕が通りかかると運転手たちが威勢よくアピールしてくるが、プラムの国境までは未舗装の道。砂ぼこりにまみれて走るのは、考えただけでもゾっとするので彼らの相手はせず、乗合いタクシーの運転手に声をかけてまわり、中から人のよさそうなおっちゃんをつかまえた。プラム国境までは、車1台貸し切りだと5ドルで、他に乗客がいれば2ドルになる。車に乗って、同乗客が現われるのを待つ事にした。車が停まっていたのは、市場の入口にある交差点なので、この小さな町で一番人通りのある場所だ。それでも新規の客は一向にやって来ない。10分、20分と経っていくが、まるで時間がピタリと止まっているかのように感じられる。このままのんびりと待っていても、時間を食うだけだ。同乗客が現われたとしても、シェアした場合との差額は3ドルと、そう大差もないので一台を借り切ってプラムへと向かう事に決めた。
「(客が)来ないね」運転手に声をかけた。
「ああ」と、抜け殻のような声が返って来る。
「あと、10分待って誰も来なかったら行こう。僕一人だと5ドルだったよね」
「ああそうだ。それがいい」運転手は、客を待つのにはすっかりと飽きている様子で、促すように相槌を打つ。
10分はあっという間に過ぎた。
「おっちゃん、行こうか。もう9時半だ」
「あいよ」この言葉を待ってましたとばかりに、今まで脱力気味だったおっちゃんの仕草が急に機敏になった。エンジンをかけ、運転席から同業仲間に挨拶をし車を走らせる。砂ぼこりが舞い車は速度を上げた。
 緩やかな坂道を昇ると、ネクタイをした役所の所長、陸軍上官、海軍一等兵、僧侶、頭に篭を乗せた緑服の女性と、変てこな組み合わせの5体の像が並ぶロータリーへと差しかかった。さらに走り続けると少し坂道の起伏が激しくなり、なだらかな丘陵と低層の木々が広がる一帯にさしかかる。艶やかな木々の葉の緑が目にまぶしい。
 未舗装の乾いた道は、車やバイクとすれ違う度に、前方が見えなくなる程の激しい砂ぼこりが舞い上がる。前方におんぼろのサイドカーが飛び跳ねながら走っているのが見え、やがて追い抜いた。赤土の砂煙が、車の後ろに舞い上がっている。もうもうと立ち篭める砂煙の中を、このバイクは速度を落とす事なくくぐり抜け走り続けていた。窓越しから良く見るとバイクを運転していたのは、まだあどけなさの残る男の子で、バイク横のサイドカーの中には赤い服を着た女の子が座っているのが見えた。舞い上がる砂煙の中、サイドカーにいる女の子は、慣れた仕草で、手で顔を押さえ髪に降りかかる砂をぬぐっている。男の子は首の角度を変えながら懸命に前を見ようとハンドルを手放さない。僕たちの吐き出した砂煙の中をくぐり抜けた男の子と女の子は、「やったね」と目を見合わせそのまま走り続ける。やがて、僕の乗った車はぐんぐんとバイクとの差を広げ、この男の子と女の子の姿は小さくなり見えなくなってしまった。車の後部窓から目を凝らし、過ぎ去って行く2人を見続けた。少し間を置いて、運転手に車を停めてもらうように頼んだ。あの子供らをどうしても撮りたくなったのだ。
 車を降り、道端に寄ってさっきの2人が現れるのを待つ。ずいぶんと距離が開いてしまったけれども、ここまでの道は一本しかないから、途中の畑道に入らないかぎりここを通るはずだ。しかし、車を降り5分ほど経っても、まだあの子たちの姿は見えない。もしかするとどこかの枝道にでも入ってしまったのかな、と思ったその時、坂の下から煙を立てて何かが勢いよく走って来るのが見えた。
「あっ!あの少年たちだ!!」
僕は道の真ん中に飛び出て、二人の乗ったバイクを停めた。立ちはだかる僕に気付いた2人は一旦バイクのエンジンを切り、互いに顔を見合わせ、くすくすと笑いだした。バイクを運転していたのは、まだ本当に子供の顔だちだった。ソフトモヒカンの髪型をした男の子と、綺麗な顔だちのお転婆そうな女の子。サイドカーの中でさらさらの髪をかきあげ、照れ笑いする仕草が大人びている。バイクを良く見てみると外カバーは取れむき出しのフロント。ランプはテーププでぐるぐる巻きにして止められている。サイドカーは荷車を改造して横に取り付けただけの簡単なものだった。何もかもがプリミティヴなんだけどすごくカッコイイ。まるで「未来少年コナン」の世界に迷いこんだように思った。
 男の子はこの先を急ぎたい素振りで、そわそわとしだしたので、写真の礼を言って2人にバイバイをした。今度は女の子がハンドルを握り、エンジンをかけた。男の子はあわててサイドカーに乗り込むと、砂埃を立て跳ねるように走り去っていった。僕も車へと戻り、再びプラムへと車を出してもらう。少し走ると、前方にさっきの2人の姿が見えてきた。後を追っかけるようにして砂利道の上を走る。やがて2人を追い抜き、ひと坂を越え、坂を下るとそこはプラムの国境だった。
時刻は10時、パイリンから約30分でプラムへと到着した。

■ プラム国境
 坂下には小さな国境事務所が見えた。右側にはカジノのある「ダイヤモンド・ロイヤル・ホテル」という立派なホテルがそびえている。緑繁る木々が続くだけの何もないこの周辺ではとても目立つ建物だ。人影はまばら。僕の他にここへ立ち寄っている人は見あたらず、往来のない国境だ。受付の窓越しにでパスポートを渡す。係員はパスポートの写真と僕の顔とを交互に見ながら本人確認をする。続いて何やら書類を取り出し、名前を照合し始めた。書類には名前がびっしりと並んでいた。おそらく問題ある人物の名前が記されたリストなのだろう。このリストにある名前を最後まで丹念に照合していたので、短いながらも、待っている間はわずかに緊張した。当然、該当するはずもないので、カンボジアの出国スタンプがパスポートに押された。ほっとひと息つく。何も悪い事はしてないとはいえ、スタンプが無事に押されるまでは少しヒヤヒヤするものだ。係員は、それがつまらなさそうに、パスポートをぽんと投げ返した。パスポートを受けとり、カンボジアを背にする。そして、検問のバーを通り抜けると200メートルほど先にタイ側のイミグレが見えてきた。わずか2日でカンボジアを通過しただけだった。


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「パイリンからプラムへ -Cambodia & Thailand Border, 2009-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/142299157.html
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2012年08月27日

国境「ダンシンコン -Thailand / Burma-」

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以前に、当ブログで書いた「ダン・シンコン国境 -Dan Singkhorn Border, Thailand / Burma-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き6ページに再構成しました。片頁A4サイズ。Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。

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ダンシンコン(タイ・ビルマ)/ 国境の蘭市場
Dan Singkhorn
- Border's Orchid Market -
Thailand / Burma (Myanmar)

(Text)
■ intro
  現在のところ、ダンシンコンは第三国人(外国人)の通れないローカルな国境であるけれども、ひとつだけ見所がある。それは、毎週金曜日から日曜日にかけて「蘭の市場(オーキッド・マーケット)」が開かれていることだ。蘭市場は朝から昼の2時まで催されている。賑わうのは午前のうちだ。隣国、ビルマから持ち込まれた多彩な蘭が、この国境市場で取引されている。値段は花の種類によって異なり、珍しいものは当然高い。安いものは10バーツからある。日本では蘭というと、大事に大事に育てられているが、ここでは珍しい種を除けば、いくらでも生息しているせいなのか、けっこう雑に扱われている。市場の周辺にはビルマ製の雑貨や食材を売る店が並んでいる。

■ プラチュアプ・キリカーンにて
 プラチュアプ・キリカーンで、シンコン国境行きの交通を探していた。市場などで聞き回ったところ、町からはバスやソンテウなどの、公共の交通機関はない様子で、バイクタクシーに乗るか、バイクか自転車のどちらかを借りて行くしかない事が分かった。
 タイのおおまかな地図を見ると、シンコン国境はプラチュアプ市内の西方約12キロの場所にある。町から国境まで、そう遠い距離ではない。ただ、そこまでの詳しい道が分からない。なので、地元に精通しているだろうバイクタクシーの運転手に頼むのが手っ取り早いだろう。バイクならおおよそ20分ほどの距離だ。そこで、暇そうにしている運転手たちに「国境まで行きたいんだけれど」を挨拶代わりに、相場の聞き込みをはじめた。
 通りでたむろしているサイドカー・バイクの運転手たちは、皆揃って300から400バーツと、相当にいい値段を言ってくる。しかもこれは片道の値段だ。距離のわりに高く感じた。中には「国境は遠いから俺は行かないよ」と、行き先を聞いた途端に、さっさと立ち去ってしまう商売気のない野郎までいた。こちらも、当初は冷やかし半分で彼らに尋ね歩いていたのだけれども、なかなか条件が合わず、しだいに真剣になりはじめた。
 そんな中、海を背にし、国境のある山の方向へ歩いていると、よれよれのじいちゃんがサイドカーバイクに乗って、これまた、よたりよたりと走ってきた。バイクを遮るように腕を伸ばして、おっちゃんのバイクを停めた。
「ねえ、今からどこに向うの?ダンシンコンまで行きたいんだけど」と言うと、おっちゃんはバイクを降り「はぁん、国境かい?ちょっと待ってな」と、ポケットから小さな手帳を取り出しパラパラとめくりはじめた。そしてそこに記されていたケータイの番号に電話をかける。何かを尋ねているような会話が続き、電話を終えると「ちょいと、も少し待ってな。今、ひとり呼んだから」と言って、バイクを下りた。間もなくして、ひとりの男が現れた。バイクタクシーの運転手だった。

■ シンコン国境へ
 サイドカーのおっちゃんは到着したばかりのバイクタクシーの運転手に向かって「この兄ちゃんが、ダンシンコンまで行きたいらしいんだけど、どうだい?」と言って、こちらへと視線を流す。
男は、「そうだな、シンコンまでなら400バーツで行くよ」と答えた。
「400バーツはずいぶんと高くない?200バーツならOKだよ」と、僕はすぐに返した。しかし、バイクタク運転手もそう簡単には引かない。しばらくの間、同じようなやりとりが続き、値段の折り合わないまま時間が過ぎていった。どうにも話がまとまらないので、「200バーツ以上は出せないよ。それ以上なら、シンコン行きはあきらめるよ」と、最後に僕が切り出すと、ずっと膠着状態だったものが、あっさりと決着した。しかし、運転手はうなずいたものの、じっと僕を見つめながら口を尖らせ、相当に渋い表情をしていた。
 少し強引だったかなと若干感じてはいた。しかし、実際にどれほどの距離なのかは分かっていなかったので、場合によっては追加分を払うつもりでいた。バイクに乗る前に、運転手からひとつの質問が飛んだ。
「ところで、あんた、IDは持ってるのかい?」
「ID?パスポートなら持ってるけれど」
「ああ、パスポートでいい。じゃぁ、ちょっとそれを見せてくれ」と言って手を差し出す。なんで、そんなものが今必要なのかわからなかったので、「国境へは行くけど、越えないよ。ビルマには入らない」と念を押し、返事した。どうやら国境へ行く途中に、チェックポイントがあるようだ。パスポートを見せると運転手はひと安心し、「これで、問題ない。さぁ、乗りな」と、バイクを僕の横につけた。バイクにまたがり、「乗ったよ」と合図をすると、エンジンに熱がこもり勢い良く走り出した。いざ、シンコン国境へ!
 バイクは大きなペッチャカセム通り(国道4号線)へ出ると、中央分離帯を横切り、西に伸びた道路へと入っていった。行く先にの上空には、重い雲が広がりはじめていた。今にも雨が降りそうな気配だ。バイクは、空の様子などかまいもせずにぐんぐんと速度を上げていく。ひんやりと湿った風が肌にあたる。次第に雨粒がぱちぱちと腕に当たりはじめた。
 「本降りになる前にどうか着いてくれ」と願いながらS字カーブ、坂道を縫ってバイクは山道を走り続ける。車の往来はほとんどなく閑散としていた。道幅もあり立派に整備されているだけに、余計に寂しさを感じる道路だった。ペッチャカセム通りから15分ほど走ったところで、警官らしき男が3人立っていてバイクに停まるよう指示していた。速度を緩め彼らの前で停まった。
「どこへ行くんだ?」と警官たちが尋ねる。
「シンコン国境へ行きます」と運転手。やや落ち着きのない素振り。
「後ろに乗ってるのは?」
「日本人です。パスポートも持っていますし、問題はありません」と運転手。
「蘭のマーケットに行くんです」と、僕が付け加えた。
「ふうん、そうか。確認のため、パスポートを見せてくれ」と、警官は国境にも、蘭の市場にも興味を示す事なく、決められた仕事をこなす。
 ポケットからパスポートを取り出して警官に手渡す。警官は、身分証のページをパラパラとめくり、すぐに返してきた。「じゃぁ行ってよし」と、警官は首を道先に向け傾けた。全く形式だけの検問だった。
 運転手は再びエンジンをかけた。そして走りざまに振り向き、「国境はもうすぐだ」と言って、ぐいっと体を縮めバイクの速度を目いっぱいに上げた。検問を越えると、後は緩やかな下り坂を走る。すぐ目の前に小さな集落があるのが見えた。ここが、ダンシンコン国境のようだ。バイクは坂道を降りきったところで停車した。プラチュアプからは約25分程の距離だった。周囲には小屋が並んでいて市場になっている。進行方向の先に昇り坂があり、その上に、無機質なコンクリートの門が素っ気無く建っていた。国境へ着いた途端に、それまで涙をこらえていた重い灰色の空が一気に泣き出した。大きな雨粒が落ちてくる。雨をしのぐ為、坂道の先に構える国境門へと急いだ。

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■ ダンシンコン国境について
 ダンシンコンは、プラチュアプ・キリカーンの西方わずか約12キロの場所に位置していて、マレー半島でタイが最も狭まった地にある。現在、タイとビルマの間には大きく4つの国境があるが、両国間で時折起こる政治的な問題が表面化する度に、これら国境が閉じたり開いたりを繰り返し安定していない。
 以下4つの国境は、タイとビルマ間のインターナショナル・ボーダーとして、第3国人(外人)も通行可能であり、比較的知られた場所となっている。
・メーサイ/タチレク
・メソット/ミャワディ
・スリー・パゴダズ・パス/パヤートンズー
・ラノーン/コートーン
(北から順に。タイ/ビルマ)

 タイとビルマにはこの4つの国境以外にも、第三国人の通行は出来ないが、ローカルな国境がいくつかあり、ダンシンコン国境もその内の1つだ。現在、ダンシンコン国境は、現地の人しか通れないので旅行者からすれば大した魅力はない。その為にあまり知られていない国境だ。しかし、この国境が現在開いている他の4つの国境のどこよりも、首都バンコクへ最も近い場所に位置している点、そして国境から港(タイ湾)に最も近い点が地の利としてあり、タイ、ビルマ間の第5のインターナショナル・ボーダーとして注目を集めようとしている。
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「ダン・シンコン国境 -Dan Singkhorn Border, Thailand / Burma-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/193308598.html

2012年08月25日

国境「モックバイ、バベット -Vietnam to Cambodia-」

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ホーチミンの北西、約65キロにあるカンボジアとの国境モックバイへ向け、国道22号線を走る。ホーチミン市内はどんよりとした曇り空だったがカンボジアに近づくにつれ青空が見えるようになった。

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以前に、当ブログで書いた「ホーチミンからモックバイ、バベットへ -2009-」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き4ページに再構成しました。片頁A4サイズ。
Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。

モックバイ、バベットの国境はベトナム、カンボジア間の国境の中で最もメジャーな場所で、ホーチミン〜プノンペンの直行バスに乗れば特に問題なく通れます。
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(text)
■ ホーチミンからモックバイへ
 ホーチミン発プノンペン行きのバスは、ファングーラオ通りにあるシンカフェ前から、1日に数本が出ている。シンカフェの店頭で翌日発のブッキングを頼んだ。時間帯の良い、昼の便は満席だったので、朝の6時半発の始発の便を選んだ。
 翌朝、シンカフェ前へ行き、当のバスに乗り込んだ。バスは定刻通り6時半になると、プノンペンへ向けて出発した。ホーチミンの空はどんよりと曇っており、くすんだ雲が街全体を覆っている。バスは朝の渋滞に巻き込まれ、スピードを出す事が出来ずのろのろとしか進まない。信号で停止しようものならば、あっという間におびただしい数のバイクにとり囲まれてしまう。車窓から外を眺めていると、これらバイクにバスが護衛されてるようで面白い。ちょうど、通学の時間帯とも重なって、真っ白なアオザイ姿の女子学生が自転車に乗り走っていた。ひらひらと舞うアオザイが灰色の街に華を添えていた。
 国道22号線を北西に約1時間程を走り続ける。7時半を過ぎた頃になると渋滞もすっかりとなくなって道路も開けてくる。バスが市内を抜けると、ようやく陽が射すようになった。空に濁りがなくなり、車窓からの景色にくっきりとした色彩が付いてくる。8時10分、GO DAUを通過。8時半、カンボジアとの国境、モックバイへと到着した。空が広い!

■ バベット国境、そしてプノンペンへ
 出国手続きの為、乗客は一端バスを降り、ベトナム側の税関とイミグレで、荷物検査や書類の手続きなどを済ませた後、カンボジア側へと渡る。乗って来たバスは先にカンボジア側で待機しており、入国が済んだ者から順次乗り込んでくれとの事だった。カンボジアのアライバル・ビザは国境ですぐに取れる。料金は20ドル。顔写真は持っていなても特に問題はなかった。入国審査の際、係員の机の上に、ゴルフボールよりひと回り大きいカメラの付いた機械が設置されていて、その前に立つと顔写真が撮られデータ化される。これで、入国手続きのいっさいが完了する。ずいぶんと進化したものだ。この国境はベトナムとカンボジア間で最もポピュラーかつ大きな国境になるので、利用者も多く、手続きの簡素化と時間の短縮が図られているようだ。バスは、一端イミグレのはじにある空地へと移動し、乗客の入国手続きが終わるまで停車する。乗客全員の手続きが終わるのに約30分程かかった。
 9時20分、全員が揃ったところで、バスは再びプノンペンへと向けて発車した。バベットからカンボジアの首都プノンペンまでは、国道1号線を北西に走り約170km。途中、Neak Leoungでフェリーに乗りメコン川を渡る。
 バベットを発ってから約3時間、バスは無事プノンペンへと到着した。

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「ホーチミンからモックバイ、バベットへ -2009-」
http://tavola-world.seesaa.net/article/129657271.html
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2012年08月11日

国境「ウルゲンチ、ヌクス -Uzbekistan to Kalakalpakstan-」

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当ブログで、以前に書いた「ウルゲンチからカラクルパクスタン共和国・ヌクスへ」の記事(下記リンク参照)を紙面形式で、見開き4ページに再構成しました。片頁A4サイズ。
Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。

■ カラクルパクスタン共和国は、ウズベキスタン西部のほとんどを占め、ウズベキスタン内にある自治州のような扱いで存在する自治共和国です。国家として政治的な独立はしていないが、民族・文化的にウズベキスタンとは違うぞ!という主張はしっかりとあるようです。

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(Text)
「ウルゲンチからヌクスへ」
 ヒヴァのバフチャ・ダルヴァザ(イチャン・カラの北門)で、乗合いのワゴンに乗ってウルゲンチへと向かった。500スム。ウルゲンチからヌクスへ行くバスに乗る為だ。約45分程でウルゲンチへ到着した。ワゴンを降りると、大きな通りが走っていて、その前に旧共産圏独特の様式で建てられたマンションがぽつんと建っている。街に人の姿があまりなく、まるで巨大な模型の中にまぎれたかのような錯覚を覚える。空以外の、地面から突き出ているものは全てがくすんでいて、無機的で表情のない街並だ。

 大通りを道にそって進み、その先にあるバスターミナルへと向かった。この通りは比較的に交通量がある。そのせいか、緑服の警官がやたらと目につき、彼らは車や荷物の取り締まりに目を光らせていた。旅行者に対して、彼らは全く関心を示さないが、職業柄身についているのだろう、人を探るような視線を条件反射的に投げかける。もちろん、いい気がするわけなく足早に連中の前を通りすぎる。間もなく、バスターミナルが見えてきた。バスターミナルのすぐ隣にはバザールがあり賑わいを見せている。市場から放たれる、スパイスと羊肉の焼ける香ばしい匂いと白煙がバスターミナルにまでたちこめている。

 カラクルパクスタン共和国の首都、ヌクス行きのバスは1日2本。午前の便はもう出てしまったので、午後の便を待つしかなかった。ターミナルには、その午後便がすでに停車していた。バスに乗り込み、料金を尋ねる。バスの運転手は僕が外国人だと見ると値段をふっかけてきて、運賃は4,000スムだと言い放った。彼のしたたかな笑みが、正規料金でないことを示していた。僕は一度バスから離れ、他の車はないものかとあたりを見渡した。バスの発車まではまだ時間に余裕があったので、他の移動手段を探してみる事にした。もしも、料金に差がなければ故障が多く、トロトロと走るバスにわざわざ乗る必要もない

 バスターミナルの奥には別の駐車場があり、乗用車がびっしりと連なって停車しているのが見えた。そこへ足を向けた。この駐車場は乗合いタクシーの溜まり場になっていた。車の隙間を歩きながら、運転手たちがそれぞれの行き先を大声で張り合っていて非常に騒々しい。これほどまでに皆が皆、好き勝手に叫んでいると何を言っているのか全く聞き取れないので、叫ぶほどに逆効果なんじゃないだろうかと思う。出合い頭に運転手たちに聞き回り、ヌクス行きの車を探すと、目的の車はすぐに見つかった。ダマスと呼ばれる、韓国製の4人乗り小型ワンボックスカー。運賃は1人、5,000スムだ。この値段ならバスに乗っていくよりもずいぶんと早いし気が楽だ。しかし、乗客が定員の4人になるまでは、発車しないので少し時間を要した。

 車は助手席側のフロントガラスが大きく割れていて、クモの巣状になっている。ここへは座りたくないな、と思っていたら、母子の家族が乗り込んできて後部席を占拠されてしまった。結局、このひび割れたフロントガラス前の席に座るはめになってしまう。乗客が揃うまでに約1時間近くかかった。車は、10時45分にヌクスへ向けて発車した。待っている間は、はたして乗客が無事に揃うのだろうかという不安が強く、時間が長く感じたが、いざ車が動き出すと安堵感からか、1時間の待ち時間で済んだのは悪くないように思えた。ヌクスはウズベキスタン西部に位置し、カラクルパクスタン共和国の首都になっている街だ。ヌクスはウルゲンチから北西に約170kmの場所にある。カラクルパクスタン共和国と銘打っているものの、国としての独立性や政治的な実権はなく、ウズベキスタンのいち地方都市といった扱いだ。

 11時30分、「QORAQALPOGISTON」と書かれた入域ゲートをくぐり抜けた。正午すぎ、アム川を渡る。ここに架かる橋がユニークだ。川幅いっぱいにボートや船を浮かべてしっかりとくくり付け固定し、その上に板を敷いて浮橋にしている。橋は凸凹と揺れが激しいので、一度車を降りて徒歩で橋を渡った。再び車に乗ってヌクスへと向う。

 12時45分、車は砂礫の中に出来た街を走り、やがて停車。終点ヌクスに到着した。きっちりと碁盤目状に敷かれた道路と、垂直水平だけが取り柄のような面白味のない建物が整然と建っている。さらに、ここにある何もかもが、脱色されたかのように色褪せ無彩だった。

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「ウルゲンチからカラクルパクスタン共和国・ヌクスへ」
http://tavola-world.seesaa.net/article/25800145.html
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