2014年07月07日

Carry Back, Carrying Backpack

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Phuket Town to Koh Phi Phi, Thailand (Contact Sheet)

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どこへ旅したときだったか、もうすっかり忘れてしまったけれども、どこかの宿で聞いた、とあるイギリスの青年の旅話が印象的で、ふとしたときに思い出す。

その青年は、世界一周をするために大きな荷物を抱えて母国イギリスを旅立った。まずはフランスに入り、スペイン、イタリアとヨーロッパをまわったあと、トルコ、イラン、そしてインドへと渡り彼の旅は順調に進んでいった。彼は訪れる予定だった国の「ロンリー・プラネット」、数十カ国分をすべて荷物の中に入れ共にしていた。それは旅をするにはとても膨大な量で、持っていったロンプラだけで大きな一つの荷物になっていた。紙の本を何十冊もバックパックに詰め込んでいるのだから、相当な重さにもなっていたはずだ。特にインドやスペイン版はエディションを重ねるごとに厚みが増え、一冊だけでもずしりとくる。本というよりも紙の塊と言った方が近いシロモノだったりする。それらを背負い、彼は一カ国、一カ国、ロンプラを片手にその国をまわった。そしてひとつの旅を終えるごとに、使い終わったロンプラを自分の家へと送り返していった。旅が進むごとに、彼はどんどんと身軽になっていく、ということだ。彼の帰りを待つ家族は、旅先から一冊ずつ送り返されてくる本を受け取ることで、彼が今滞在しているだろう場所と安否を確認することができる。本を開けば、現地での彼の足取りも記されていることだろう。

それにしても、なんて非効率的で面倒くさいことを考えるんだろうと思った反面、彼のこの発想にはすごく創造的な面があるような感じがした。時間と重量、そして距離との三角関係。今の時代なら、モバイル機器が一台あれば、その中に何十冊分の情報をつめることが可能だし、インターネットのつながる環境があれば、そもそもデータを落とし込む必要もない。だいたい、そんなに荷物になるのならガイドブックなんていらないよ、という人もいるだろう(事実、ある程度慣れてくるとそう必要でもなくなる)。僕もきっとその意見に賛同する側だ。身軽で快適な方をきっと選ぶだろう。ガイドブックというのは、知らない土地を前にしたときに抱く不安を、少し和らげてくれるお守りのようなものだったりする。一緒に旅をしていると、どこか心強い頼れる友になってくる。彼は一つの国を制するたびに、抱えていた不安が消え、代わりに自信が少しづつ芽生えてきただろう。旅とともに、知識は経験に変わり、青年を幾回りか大きくさせる。

彼のアイデアは、発想としてはすごく面白いんだけれども、まるで現実的じゃない。しかし、若さ故なのか、それを一人実行していたところに、なにかハッとさせられるものがあった。インターネットのおかげで、世界中のあらゆる情報が瞬時にして手に入る時代。たとえ、どんなに遠く離れた場所だったとしても、その場所の情報がこと細かに分かり、さほど距離感を感じることもなくなった。アフリカの砂漠にいても、南米の密林の中、遥かチベットの雪山だったり、あるいは広東の群衆の中に紛れ込んでいたとしても、自宅から近所のコンビニへ行くのと大して変わらない、お散歩的な感覚で終わってしまう。今や旅に秘境感やスリルを求めること自体が、ナンセンスになってきているのかもしれない。日々、世界がどんどんと小さくなってきていると感じるようになったからこそ、この青年のとった少しユニークな旅のスタイルがとても印象深く、とても素敵なことだなと思えた。汗と思い出の染みこんだ本は、役目を終えると彼の故郷へ一足お先に帰宅する、海を越え、空を飛んで。そしていつの日か主と再び対面できるように、ひっそりと机の上で彼が無事であることを願っているのだ。

ひとつ僕は知りたかった。彼が最後の本を自分の家に送ったとき、これまで背負っていた荷から開放されたとき、どんな場所に立ち、どんな風に世界が見えたのだろうかと。長い旅の終わり、その瞬間が旅の中で最も身軽になるという不思議なゴール。そのとき、彼の目の前にあった風景が何だったのか、たずねてみたい。
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Echo & the Bunnymen - Seven Seas

2012年12月08日

モンスーンは向かい風「ニャウンウー村の噛みタバコ屋」

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仕事の合間にマ・タンタを撮らしてもらう。

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マ・タンタとマ・ウィンの二人は作業を分担し、手際よく噛みタバコを作っている。
コォンは3つで50チャット。(1ドル=約950チャット / Apr. 2005)

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以前にアップした「バガンの噛みタバコ屋」という記事を見返していると、いろいろ気になるところがあり、少し書き直し(というほど大げさなものでもないけれど)ました。ちょっとは読みやすくマシになったと思います。

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■ ニャウンウー村の噛みタバコ屋( Paan Stall in Nyaung U )

 ビルマの北部、カチン州の州都ミッチーナから北へ約四十キロメートルほど行った所で、ンマイ川とマリ川という二つの川が交わり、ビルマを南北に縦断する大きな川、エーヤワディ(イラワジ)川が誕生する。エーヤワディ川がはじめて姿を見せるこの場所は、ビルマ語で合流地点という意味のある「ミッソン」と呼ばれている。川はビルマを東と西の二つに分け、2,170キロメートルもの軌跡を描いて河口のデルタ地帯へと流れ着き、その先に広がるアンダマン海へと注ぎ込む。「エーヤワディ」はサンスクリット語で「象の川」を意味するairavatiが語源になっているそうだ。きっと、象の群れが水場を求め憩う場所だったのだろう。と、由来になった象たちのたたずむ川べりの情景が思い浮かんだ。川は内陸の中流域あたりで大きく蛇行し、その東岸には見渡すかぎりの大平原が広がっている。地平線が、起伏のない大地と雲のないまっさらな空とをすっぱりと切り分ける。乾いた赤土の大地には草木の緑が覆い、美しいコントラストをなしている。この一帯には、パガン王朝の栄えた11世紀から13世紀に建てられたパゴダや寺院が現在も数多く残っていて、その数は新しいものも含めると三千近くにのぼるという。この地に点在する、これらの仏教遺跡を総じてバガン遺跡と呼ぶ。遺跡への玄関口となるのが、ニャウンウーという、かわいらしい名をした村だ。遺跡の広大さとは正反対に、わずか数本の線でおおよその地図が描けてしまうほど村は小さい。

 一年のうちで暑さが最も厳しさを増す四月の初頭。午後になると、凶器といってもいいほどの強い日差しが容赦なく降りそそぐ。ビルマは爽やかだった乾期が終わり、本格的な暑期に入っていた。ティンジャン(ビルマの新年を祝う祭り。誰かまわず水をかけあう)を数日後に控え、その飾り付けがいたるところで着々と進んでいた。ある日の昼下がり。ニャウンウー村の中心にあたる市場へ寄ったあと、そこから南へ伸びた裏道を散策していた。正午にかけての太陽は地面が焦げそうなほどに照りつけ、跳ね返った熱気が足元からも昇ってくる。直射日光の注ぐ道は煮沸されたかのように熱を帯び、サンダルのソールをも溶かしてしまいそうだ。静かな住宅地の中、僕は日差しを避けるべくわずかな影を求めて歩いていた。木陰から木陰へ、時には跳び移るようにしてジグザグに進む。村では名の知れたタンテ・ホテルが近づいたところで、どこからか甲高い騒ぎ声が聞こえてきた。何かの歓声だと思って立ち止まり、あたりを見渡すと、タンテ・ホテルをぐるりと囲むペパーミントグリーンの塀のすぐ横に、一軒の屋台がぽつんとあるのが目に留まった。その中から二人の女の子が全身を使い大きく手を振っているのが見えた。改めて目をこらす。彼女たちの身振りからすると、どうやら、さっき聞こえてきた黄色い声はそこから僕に向けられたものだったようだ。彼女たちは僕の視線に気づくと、大きな手振りから手招きへとえた。やはり人違いではなさそうだ。僕は進む先を変え、彼女らのいる屋台へと足を向けた。

 炎天下から逃れるように、二人がいる屋台の屋根下へと素早くかけこんだ。僕を迎えたのは、ピンクのTシャツを着た小柄な女の子、マ・ウィン・パパ・ティン。厚い唇でややカールっ毛、笑うと大きな白い歯が光る。もう一人の女の子は、上品な柄のロンジーとTシャツを上手く着こなしているマ・タンタ・スウェ。細身な身体と幼さの残る顔つきのギャップが魅力的で、全身からセンスの良さが感じられる。涼しげな目元からは、瞬くたびに小さな風が送られてくるようだ。彼女らは、木組みの机に幌屋根をつないだだけの簡素なこの屋台でコォンと呼ばれる噛みタバコを売っていた。コォンは、キンマという葉の裏に石灰のペーストを塗り、その上に砕いた檳榔(ビンロウ)の実やスパイスをまぶした後、下に敷いた葉を巻いて三角錐状に綴じたものだ。これを口の中で、ガムのようにして噛む。噛んでいる間は口の中がさっぱりとし、清涼感が広がる。そのため、この味わいを一度知ってしまうとヤミツキになってしまう。嗜好品の一種でもあり、地元の労働者には人気がある。難点をいえば、コォンを噛むにつれ口の中で唾液と何かの成分とが反応し、歯茎や唇がどす黒く染まってしまうので、まるで、生き血を吸い取ったばかりの魔物のような風貌になってしまうこと。ひと目でそれと分かってしまう。道路脇で血を吐いたような痕を沢山見かけるのは、コォンを嗜んだ男たちによるもので、景観にとってもあまりいいようには見えない。

 マ・タンタとマ・ウィンの二人に挟まれ質問攻めにあった。「何でビルマに来たの?」「友達と一緒じゃないの?」「彼女はいるの?」など、二人の口からは矢継ぎ早に質問が飛び出す。答える前にもう次の質問が重なって、誰が何をしゃべっているのか分からなくなる。彼女たちは口を開くたびに、僕の服の袖を自分の方へ引っ張るので、そのたびに身体が振り子のように揺れる。ひと言ひと言を返すたびに彼女たちはポップコーンがはじけ飛ぶようにキャーキャーと騒ぎ、なかなか話が途切れない。彼女たちは、一人で旅をすることがどうにも不思議らしい。家族や友達と一緒じゃなくて寂しくはないの?という点にけっこう関心があるようだった。ひと息ついた後、仲良くなったサイカー(ビルマ独特の乗り物で、自転車仕様のサイドカー)の兄ちゃんに教えてもらった「フラーデ」という言葉を思い出し、さっそく使ってみた。覚えたての呪文をはじめて使うかのようにたどたどしく、彼女たちにその言葉を投げかける。「フラーデ」は、ビルマ語で「綺麗、美人」という意味があるそうだ。僕の言葉のあと、マ・タンタとマ・ウィンは驚いて目を大きくし、互いに顔を見合わせる。マ・タンタはほおを少し紅潮させた。二人は両手を取り合ってさらに声のキーを上げてはしゃいだ。通りの隅にまで届きそうなほどの大きな声が響いた。ひと盛り上がりしたところで、ふと、マ・タンタが思い出すように「ねぇ、お昼ごはんはもう食べたの?」と言って、机の下に置いてあった円柱形の弁当箱をひっぱり出した。東南アジアで良く見かけるステンレス製の三段式になったものだ。両端の止め金をカチャリと外し、蓋を開け、一段づつゆっくりとずらしながら中を広げてみせる。上段には何にも入っておらず空っぽだった。中段には細長いインディカ米、下段には汁気の少ないカレーが入っていた。ごはんの量は女の子の腹に合わせているからか、二段ともに容器の三分の一程もなかった。おまけに米は容器のはじに片寄り、申し訳なさそうにして固まっている。彼女は「これ、食べてよ」と自分の昼食分を僕に勧めた。「有難う。でも、僕が食べたらきっとマ・タンタの分がなくなってしまうよ」と言うと、「そんなの気にしないで。さぁさぁ、遠慮しないで」と、かえってはやすので断るわけにもいかない。もうすでに僕がこのカレーを全部を食べてしまう前提になっているような言いっぷりだ。ごはんをひとつまみし、ソースに少しからめ、ひと口ふた口をいただいた。カレーは脂分がカーキ色のソースによく溶け込んでいて、口当たりはまろやかだが、あとで辛さが効いて口の中がじわじわと熱くなってくる。量が少ないと思ったのは、間違いだった。

 店は二人の若い女の子が切り盛りしていることもあり、コォンを求める男の客足が点々と続き適度に忙しい(コォンを口にするのはほとんどが男性で、女性が口にしている姿はほとんど見かけなかった。まれにおばあちゃんや年配の女性が噛んでいる程度)。サイカーの運転手をはじめ、村の若い連中がこの小さな屋台に集まってくる。ここは、あてのない午後のひとときを過ごす男たちのたまり場になっていた。彼らは通りを隔てた屋台とは反対側の壁に立ち、そこから彼女たちを遠巻きに囲んでいる。コォンをたしなみながら、マ・タンタとマ・ウィンの気を引くべく、会話の投げっこをしておしゃべりを楽しんでいる。

 彼女たちは三十分ほどの交代制で店をまわしているようだった。どちらかが机前に立って注文のコォンを巻いている間に、片方は自分の用事を済ませたり、端から世間話をする。ただ、客の波が来て一人で注文をこなしきれなくなると、二人がかりになって一気に仕上げてしまう。マ・タンタがキンマの葉を数量分敷きつめると、すかさずマ・ウィンが葉の上に石灰を落としていく。それが終わるのを見計らう間もなく、マ・タンタがすかさず細かく砕いたビンロウの実やスパイスを降りかける。二人の四本の腕が、小さな机の上で複雑に交差するがぶつかったり絡まったりして、手が止まることはない。手際のいい二人のコンビネーションは、不思議なおまじないでも見ているかのようだ。瞬く間に、一枚の葉っぱを立体にしてしまう器用さは見ていてほれぼれする。最後は二人で手分けして葉を巻くと、きれいな緑色をしたコォンがたんと出来上がる。

 午後に注文のピークが二度ほど訪れた。客が引き、店が少しおちつくとマ・タンタが「噛んでみる?」と、コォンを一つ巻いてくれた。コォンを持つ彼女の細い指先は白い石灰にまみれていて、それがケーキ作りをした後の手のように見えた。マ・タンタの手の中にある緑の葉の小さな三角錐の中には、甘いスイーツが包まれているような気がした。僕はビルマに来て、まだ、この噛みタバコを試したことがなかった。コォンを噛んでいる男たちを見て興味を持っていたものの、彼らの口から吐き出される怪しげな紫色の汁を見ると、口内の皮膚がやられそうな気がしたので、自分から手を出そうとは思わなかった。だから、彼女に薦められたのはちょっとした後押しになった。コォンを受けとって口の中に放り込む。そして、皆がしていたのを思い出しながら、見よう見まねで噛んでみた。口の中でさっくりと葉が刻まれ、中からペタリとした液体が現れ、舌の上に広がった。ピリリとした軽いしびれが走る。奥歯のくぼみで硬いビンロウの粒が転がり、砕け、同時に鼻孔へとこのスパイスの放つ甘苦い匂いが抜けてゆく。噛めば噛むほどに歯磨き粉が口の中いっぱいに広がっていくようで、なかなかのな爽快感がある。次第に頬の裏からどっと唾液があふれ出て、木の実を頬張るリスのように頬が膨らんだ。吐き出したいのだけれども、彼女の見ている前ではなかなかやりにくい。マ・タンタは、その様子をおかしそうに見ている。そのうちに僕の口がはち切れそうになった。目を丸くして彼女に訴えた。マ・タンタは「吐き出して」と、つばを吐く仕草を見せた。僕は彼女に背を向け、壁の隅目がけて、口の中に溜まっていたものを一気に吐き出した。乾いた地面に赤紫色の液体がどばっと流れ落ち、音もなくそのまま染み込んでいった。悪霊が身体の中から出ていったようにも見えた。葉の残骸が張り付いている口をもぐもぐさせながら、「こんな感じでいいの?」とマ・タンタの顔を見る。彼女はそっと手を伸ばし、白い指先を僕の唇にそっと当て、軽く拭い「唇が真っ黒よ」と言って、にっこりと微笑んだ。彼女の指が触れた分、僕の唇はピンク色を取り戻す。彼女のひとさし指はインクが転写されたように紫色に染まった。本当はもう少し短い間隔で、口の中の液体を吐きすてるのだそうだ。マ・タンタは両方のほっぺを大きく膨らませて、さっきの僕の真似をした。

 頭上にあった太陽が少し傾き、光が少しやわらいだ。真っ白だった空の色はいく分青味を取り戻している。軒下から日差しの様子を確かめるように空を見上げた。マ・タンタに言ってコォンを三つ頼んだ。彼女は張り切って僕のオーダーに取り掛かった。手馴れた動きに見とれているうちに、ほぼ出来上がる。最後にキンマの葉を丁寧に綴じて、きれいな形のコォンが仕上がった。マ・タンタはそれを薄いビニールの小袋に入れ僕に手渡す。透けたビニール袋の中で転がる三つのコォンは、緑色の金魚が泳いでいるように見えた。「また、明日来るよ」と言うと、「待ってるわ」とマ・タンタ。屋台をあとに、表通りへと出たところで一度振り返る。二人はすでに、新しい客の注文をせっせとこなしていた。背後から馬車が追い抜いていった。大きな木の車輪を回し、乾いた蹄の音を立て過ぎ去っていく。砂ぼこりが、くすぶる残り火のように長く舞っていた。歩きながらビニール袋に入ったコォンを一つ取り出し、口に放り込んだ。口の中でとろりと広がる石灰のペーストは、マ・タンタのひんやりとした細い指先を思い出させた。


緬甸 | 蒲甘 (蒲干) / 袅乌
ビルマ (ミャンマー)、バガン(ニャウンウー)
Bagan (Nyaung U), Burma (Myanmar)
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2012年08月19日

コルカタの路地裏 -Back Street of Kolkata-

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上3画像は、紙面形式で構成したものです。見開きで6ページ分。片頁A4サイズ。
Jpeg fileなので、DLしてi-pad等で見ればweb書籍風に楽しめると思います。

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< Text >
「コルカタの路地裏」
-Back Street of Kolkata-
・コリン・ストリート界隈
(In The Neighbourhood of "Collin Street")

 ニューマーケットの東側にあるコリン・ストリートの界隈は、ただでさえ迷路のようなコルカタの中でも特に複雑に入りくんでいる。一度迷ってしまうと、再び元の場所に戻れなくなるので、子供たちがここでかくれんぼをするのは禁じられている、かどうかは知らないけれど、それほどに道がややこしく細くて狭い。きっと地元の人でも迷うことはあるんじゃないだろうか。まわりに高い建物がないくらいで、お隣バングラデシュのオールド(プロノ)・ダッカと少し似た雰囲気がある。コリン・ストリートの南側はイスラム地区になっていて家屋の密集度が高い。北側に行くとマーケット・ストリートと繋がり開けてくる。

 このコリン・ストリートの一角に、とても美味しいバターサンドの店がある。店の名前や看板があるわけではないけれど、大きな鍋でミルクをくつくつと煮つめているので、それが目印になる。はじめは、チャイをつくっているのかと思っていたのだが、よく見ると鍋の中は白いミルク色のままで、茶葉を煮出している様子ではなかった。なので、一体何をしているんだろうと思っていた。でも、ここでバターサンドを頼んだときにその正体がわかった。鍋で煮詰めていたのは、ミルクジャムだった。この店では朝から夕方まで、丸一日(あるいはもっと?)かけてミルクを煮詰め、ジャムをつくっていた。じっくり丁寧に火をかけつくっているからか、味はとても濃厚で、かつ香ばしく、シルキーな舌触り。大鍋いっぱいものミルクを、焦がさないようにペースト状になるまで煮るのは、すごく根気のいる作業だと思う。手間と暇をかけてつくられた、というのを皆知っているからか、このミルクジャムがあるのはたいてい午前中のみだ。たまにない日もあるので、常時つくっているわけではなさそうだ。この店のバターサンドには、この特製ミルクジャムがたっぷりと塗られているので、他の店で食べるよりも格段に味わいが違う。

 コルカタではバターサンドは「ダブリー」という名で呼ばれていて、街角でこの露店を良くみかける。作り方はすごく簡単で、まず厚切りのトーストにバターをたっぷりと塗り、そのあとバターの付いた面を天ぷらの衣をつけるような具合で、粗砂糖の中に押し付ける。そして、両面を合わせたあとに、軽い焦げ目が付くぐらいまで炭火でカリッと焼き上げ出来上がり。表面がサクッとしたトーストの中はふんわりと柔らかく、まろやかなバターが染み込んでいる。そのバターの中に、まぶされた粗砂糖が半分ほど溶けていて、ジャリジャリとした触感が歯をつたい、口の中で良いアクセントになってる。他に具材があるわけではないが、朝の寝ぼけた胃に挨拶するには、丁度いい軽食だ。しかも安価で、カロリーと糖分が歩きながらでも手軽に補えるので、けっこううまいこと考えたもんだなと思った。


印度 | 加爾各答(加尓各答)- 西孟加拉邦
インド、西ベンガル州・コルカタ (カルカッタ)
Kolkata (Calcutta), West Bengal State, India
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2011年12月20日

モンスーンは向かい風「プーケット・タウンからピピ島へ」

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右項写真)海はひたすらと青く。空は限りなく広がっている。浮かぶ白雲はとってもおいしそうだ。ふいにソフトクリームが食べたくなった。
左項写真上)船のデッキへと登る。吹き付ける風と降りそそぐ太陽の視線が心地いい。
左項写真下)船内の様子。乗客が少ないと思ったら、皆上のデッキでくつろいでいた。

当ブログで以前書いた、「プーケット・タウンからピピ島へ」を、紙面形式、見開き4ページで再構成しまとめたものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。

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●モンスーンは向い風・タイ編
「プーケット・タウンからピピ島へ」
- Phuket Town to Koh Phi Phi -

 大きな落雷の音と共に、昨夜から降りはじめた雨はすっかりと止み、朝には抜けるような青空が広がっていた。強い日射しが降り注ぎ、木々に茂った葉がつやつやの緑に輝いている。ベッド上に散らかしていた荷物をまとめ部屋を出た。フロントに降り、チェックアウトを済ませる。そして、フロントマンにピピ島までの行き方を尋ねた。曰く、そこいらにある代理店で、ピピ島へのチケットを買うよりも、船着場に行って直接購入した方がいいよとの事だった。礼を言ってホテルを出ると、エントランスから中の様子をちらちらと伺っていた男が、すかさずかけ寄って来た。宿泊客を狙った、いわゆる白タクの呼び込みだ。男は「希望の場所に安く行くよ、どこだってかまわないから」と、さかんにアピールしてくる。彼の名は「ジョー」という。体格はほっそりしていて、一見、学生のように見えたが、人に接する態度はしなやかで、かつ堂々としていて紳士的だ。断るつもりで、この後のプーケット・タウンで済ませたい僕の予定をいくつか挙げると、その寄り道も全部含めて、ピピ島行きの船着き場までを、40Bで行ってくれるという。申し分なく、そのまま彼の車に乗った。

 ジョーは近くにある×××ホテルのフロントマンとして働いているのだけれども、月給はそれほど高くはなく、彼女とのデート代を稼ぐ為に休日はこうして、白タクの運転をして働いているのだそうだ。彼のふるまいに品があったのは、職業柄出てきたものだったようだ。ホテル周辺にあった郵便局、カメラ屋に寄ってもらい僕の用事をひと通り済ませた後、ピピ島行きの船着き場へと向かった。

 プーケット・タウンの中心から船着き場へは、15分もかからない内に到着した。窓口でピピ島行きのボートの出発時刻を確認する。次の船は14時半に出るとの事で、まだ1時間以上もある。船着き場の周辺には何もない。ここであと1時間も過ごすのも退屈だなと思った。しかし、今さらどこへ行くというものでもないだろうし、それなら、もう少しホテルでゆっくりしていれば良かったと少し後悔した。ジョーの車に荷物を取りに戻り、ボートの出発時刻を伝えた。本来はここで彼の役目は終わりなのだけれども、何故かジョーは「お腹空いてない?近くに美味しい食堂あるんだけど」とひと言放った。そういえば朝から何も食べてなかった事に気付いた。船着き場の周囲には、めぼしい店がありそうにもなかったので「じゃあ、案内してよ」と喜んで返事をした。

 車は、プーケット・タウンに再び引き返し、ジョーお薦めの食堂へ連れていってもらった。店はL字型の間取りで、小さなカウンターとテーブルが数席あるだけのこじんまりとした空間だった。ここで昼食を取る。彼の言うとおり、ハーブの効いたひき肉のカレーは確かに美味かった。食後、少し一服し、再び船着場へと車を走らせる。その途中、ジョーがどうしても土産物屋に寄ってほしいんだけれども、とせがんできた。車を運転しながら「ミルダケ〜」と、愛嬌のある彼の日本語に負けて仕方なく店に立ち寄った。そして、店内を「見るだけ〜」でさっさと素通りし車へと戻る。後で聞くと、客をこの店に連れてくるとポイントが付き、それがいくらか溜ると車のガソリンが貰えるようだ。車のガス代を少しでも浮かす為の彼の工夫がかわいらしく思えた。少し寄り道をしたけれども、船着き場はここからはわずかなの距離だった。

 船着場へと再び戻って来た。船着場の入口向いに、果物屋台が軒を連ねていた。船内で食べる用にと、ドリアンとシャカトウ(ノーイナー)を買う。ジョーが綺麗に並べられた果物の中から、鼻で匂いをかいだり、実を叩いてみて食べごろだというものを選んでくれた。そうしている内に、いよいよ、船の出発時刻が近づいてきた。そしてジョーとはここでお別れをした。

 窓口でチケットを買い船へと乗り込んだ。各席にはオレンジ色の救命具がひっかけられていて、殺風景な船内のアクセントとなっていた。特に座席の指定はなかったので窓際の席に座った。それ以前に、座席を埋めるほど乗客が集まっていなかったが。紙袋からジョーに選んでもらったシャカトウを取り出す。袋の中に甘い匂いが満ちていて、開いた口からその香りが溢れ出る。初めて食べる果物だ。こぶしよりも一回りほど大きく、恐竜の皮膚のようなごつごつした皮をしている。かさぶたを取るようにして皮を剥くと、中からクリーム色の実が現れた。うまく実が剥げなかったが、一口サイズにちぎって口の中に放り込んだ。果肉は蜂蜜の中にスポンジケーキを浸したような食感と味だった。歯のうすの中で、じゃりじゃりとする感覚もたまらなく良い。この一口ですっかりとこの果物の虜になってしまった。あとは、ただ夢中になってひたすら頬張るだけだった。あっという間に平らげてしまう。口の周りに残った果肉を惜しむように唇なめし食べ終わった。

 間もなく出発の時刻になり、ボートは桟橋を静かに離れた。そして、ゆっくりと小さな湾を旋回し大きな海へと飛び出す。船尾でうなりを上げるエンジン音が、船の快調さを伝えている。スクリューは激しく海面を叩き付け、噴水のように波しぶきが舞い上がる。真っ青な海海に乗り出した船は、海を真っぷたつに切り裂きそうなほどスピードを上げて突き進む。いざピピ島へ!

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2011年11月12日

モンスーンは向かい風「プノンペンからクラティエへ」

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右項写真)コンポンチャムを過ぎ、メコン川に架かる絆橋を渡る。
左項写真上)国道7号線からの車窓には、赤錆びた大地が広がっている。
左項写真下)車が停まると、物売りがいっせいに集まってくる。コンポンチャムにて。


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右項写真)武装解除を呼びかけるポスター。クラティエ近く。
左項写真)食堂の離れにある果物屋台で、遠くの空を眺めていたミゾー。


当ブログで以前に書いた「ミゾー」、「プノンペンからクラティエへ (1)-(3)」の記事を、「プノンペンからクラティエへ」として、紙面形式、見開き4ページで再構成したものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
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●モンスーンは向い風・カンボジア編
「プノンペンからクラティエへ」
- Phom Penh to Kratie -

■クラティエ行きのバス
 プノンペンのキューバ大使館裏からまっすぐに伸びた、St.141にある「CHAN TREA GH」で、SORYA TRANSPORTのクラティエ行きバスのブッキングを頼んだ。プノンペンからクラティエまでは6ドル。カンボジア通貨のリエル払いにしてもらい、2万5千リエルを支払う。この場所は僕の泊まっていた「グッドラック・ゲストハウス」からはとても近い。本来、プノンペン発の長距離バスに乗るには、ここから少し離れた場所にあるプサー・タマイ前のSORYAのバスターミナルまで行かなければならないが、ここで予約をすれば、そのバスターミナルまでの送迎が付いているので、自分で行く手間が省け便利だ。宿泊客でなくてもバスの予約は可能だ。クラティエ行きのバスは朝8時にバスターミナルを発車するので、明日、7時45分にここに来てくれとの事だった。

■プノンペンからクラティエへ
 出発の当日は6時半に起き、身支度をして7時半にチェックアウト。部屋の窓から見えたプノンペンの空は、水彩絵の具を溶いたような柔らかな水色をしていた。砂利道を踏みしめ、CHAN TREA GHへ行くと、ちょうど送迎のバンが到着していた。すぐに車に乗り込んで、プサー・タマイへと向った。途中、別のホテルで中国人客を拾った後、目的のバスターミナルへ到着した。予定時刻の8時から15分遅れての到着だった。クラティエ行きのバスはすでに動き出しており、あわてて飛び乗った。
 バスは国道7号線を北上する。11時半、コンポンチャムで短い停車。再び発車し、街の東を流れるメコン川に架かる絆橋を渡る。車窓の左手、対岸の橋のふもとに、くすんだピンク色に白のふちどりをした見張り塔が見えた。
 メコン川を越えると、車窓からは平らな大地が果てしなく広がっているのが見える。彼方まで赤錆色をした地面にブッシュがまだらに茂っているだけの単調な景色。走っている国道7号線は、舗装されたばかりで、まだ新しく、非常に快適だ。13時半、「Kratie Privince」の標識が見え、クラティエ地区へと入った。ここからは、ゴムのプランテーションが続くようになる。
 13時45分、バスは国道沿いにある広場の前で停まった。広場の反対側には、一軒の食堂がぽつんと建っている。ここで昼食の休憩となる。バスを降りると、食堂前の道には、ハーレなどの大型バイクが10台ほど一列になって停車していた。映画「イージーライダー」に出てくる男たちのような、黒レザー姿にサングラスをした体格のいい大柄な男らが、食堂のテーブル席を占拠していた。彼らはバイクでプノンペンへ南下する途中で、この食堂で腹ごしらえをしている最中だった。小さな食堂はバスの乗客も加わって、ほぼ満席となりにぎやかになる。
 テーブルにつき、ごはんと野菜の汁物を注文した。5、000リエル。ここはプノンペンとクラティエ間の、ちょうど良い休憩地点になっているようで、それが食堂の繁盛ぶりにつながっている。食堂の向かいにあるだだっぴろい空き地には、色とりどりのビニールのゴミや空きペットボトルが散乱していて、風に吹かれバサバサとまたたいている。この一帯は内陸特有の強い風が吹き荒れ、大地にネジを巻かんとばかりに、小さなつむじ風がくるくると舞っている。砂埃が肌に当り痛い。

■ミゾー
 この食堂で働く「ミゾー」という名の少女がいた。昼食をとった後に、食堂裏手の空地で一息ついていると、僕の目の前をすっと彼女が横切っていった。着古した厚手のカーキ色のジャケットは、彼女の野性味ある目つき、風になびく長い黒髪と良く似合っている。ミゾーは、客でにぎわいを見せる食堂から少し離れた小屋の中に入って行き、ひとりぼんやりと空を眺めていた。そこに、一人でいる寂し気な表情は見えなかった。むしろ、周囲から構われるのを避けるような様子で、どこか、自身の姿を俯瞰で眺め、じっと見つめるようなたたずまいをしていている。年齢のわりに一種の貫禄が漂っている。小屋の棚には、果物がいくつか並んでいた。秤も置いてあるのでここで果物を売っているようだが、食堂と違って、ここへは客はやって来ない。この離れ小屋は、物思いにふけるにはもってこいの隠れ場所だった。彼女はここでの静かな店番を好んでおり、人手の足りてない食堂のあわただしさを全く気にとめている様子もなかった。鳥かごの中から鳥が空を羨むように、ミゾーはただ遠くの空を一点に見つめている。
 ひとり旅の道中では、日本語を話せない状況が長く続く。なので、旅先では、自分の母国語に対する飢餓感から孤独感、疎外感というものが生まれ、常について回る。それが面白く楽しめる時もあるけれども、ふとしたときに、どこか自分ひとりが置き去りにされてしまったような感覚になる時もけっこうある。ミゾーが一緒に働いている食堂の仲間たちの輪の中に入らずに、やや距離を置いた場所にぽつんといる様子を見て、どこか自分の今の心境と重なる部分があるように見え、彼女のたたずむ姿に共感を覚えた。
 14時10分、昼食休憩が終わり、バスはクラティエに向けて再び走り出す。強く吹く風が、細かな砂埃を窓ガラスに吹き付け、外の景色をにごらせる。バスは西に傾きはじめた太陽を追うように走る。太陽の軌道下に伸びた一筋の道が銀色に輝きだした。少しづつ荒野から町並みへと景色が変わっていく。町の玄関口にあたるロータリーにある地球のモニュメントを通りすぎると、メコン川が横たわっているのが見えてきた。バスはそのまま川沿いに走りやがて停車。
 15時半、クラティエへと到着した。メコン川は、青銅のように輝いていた。

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東埔寨 | 金邉 - 枯井
カンボジア、プノンペンからクラティエへ
Phnom Penh to Kratie, Cambodia
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2011年11月08日

モンスーンは向かい風「奇妙な世界」

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右項写真)グリスタン・バスターミナルにて。

左項写真上)入れ歯屋?抜かれた歯が店先に並んでいる。これをどう使うのかは全く
想像つかない。オールド・ダッカにて。
左項写真下・右)ベルの絞り果汁のジュース。ダッカ、グリスタンにて。
左項写真下・中)歯医者の看板の絵は無気味。クシュティアにて。
左項写真下・左)巣蜜売り。ダッカの金融街、モティジール地区にて。


当ブログで、以前に書いたバングラデシュの面白い露店商の記事いくつかを、「奇妙な世界」として、紙面形式、見開き4ページで再構成したものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
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●モンスーンは向い風・バングラデシュ編
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「奇妙な世界」
- What A Strange World -

 バングラデシュでは、ゴミとして捨てられたビニール袋も、掻き集められ、色別に仕分けられた後、立派な素材として早変わりする。道路に散乱している紙屑も、しっかりと集めて再利用する人たちがいる。この国のリサイクル率は100%に限りなく近く、世界一なんじゃないだろうかと思う。モノでなくとも、変わった事が商売として成立していて、それらを見ていると、いかなる状況の中でも、生きていこうとする人間のたくましさが驚くほどに感じられる。

 ダッカ、グリスタン・バスターミナルの周辺には「新札屋」と呼ばれる男たちがずらりと並んでいる。木箱をひっくり返したテーブルの上が彼らの店舗だ。狭いテーブルの上には、まっさらな新札の分厚い束がきれいに積み上げられている。彼らは、破れてボロボロになった紙幣を、アイロンがけされたような真新しい紙幣に交換するという商売をしている。一種の両替商だ。しかし、いくら新札が商品とはいえ、流通している紙幣に変わりはない。机に積まれた札束は、雑踏の中に放り出しているようなもので、さぁ、取ってくれよと言わんばかりだ。初めて見た時は、この不用心さに驚いた。

 交換レートは、古い紙幣の額面に、30%ほどを上乗せし真新しいお札に交換する。バングラデシュではタカという通貨が使われている。もし、100タカの新札が欲しければ、ポケットの中のしわくちゃになった130タカ分の紙幣を渡すという事だ。どうして、こんな商売が生まれたのかに興味が湧く。

 バングラデシュで受け取る紙幣(特に高額紙幣)の多くは、真ん中に穴が空いていたり、ホッテキスで止めた跡が残っている。これは、この国の人がお金を財布に入れて持ち歩くという事があまりなく、ルンギと呼ばれるスカート状の腰巻きの間に無造作に突っ込んでいるだけなので、大金を持つ時は取られないようにと、キリなどで穴を開け、そこにヒモを通してくくってみたり、ホチキスで止めたりするからだ。その為、紙幣はすぐに雑巾のようにボロボロになってしまう。そんなくたびれきった紙幣を決して快いと思わないのは、どの国の人も同じだろう。お金を乱雑に扱うこの国の風習が、こんな変わった「新札屋」なる商売が生まれたのだと思えた。


「ベルと言う名の果物」
 バングラデシュの街角の果物屋でよく見かけた「ベル」という名前の果物。発音が難しく「べェル」や、「ベウ」と言った方が近い。アルファベットでの綴りは「Bael」と書く。英名はaegle marmelos。皮の色はのココナッツようなくすんだ緑をしているが、褐色に近い橙黄色のものもあった。橙黄色の方が緑のものより甘いそうだ。中の実は、一見オレンジのように見えるが、けっこうカスカスしている。干からびたざぼんみたいだ。絞った果汁は、みかんから甘みと酸味を抜き取ったような、抜け殻みたいな味だった。ろ過はせず、果肉がけっこう入っているのでドロッとしている。
実は一個、35タカ。絞り果汁は一杯、10タカ。


「巣蜜屋」
 往来の激しい雑踏の中、青年がミツバチの群がる大きな巣を丸ごと地べたに置いて、巣蜜を売っていた。ミツバチを取り払わず、巣ごとごっそりと持ってきているのは新鮮さを見せる為なのだろうか?
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2011年11月04日

モンスーンは向かい風「ルアンナムターの市場」

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左項写真)大きなホーローの器に入れられた豆腐が並ぶ。
右項写真)一日の終わりを迎え、涼やかに夕日を浴びる市場。


当ブログで、以前に書いた「ルナンナムター」の記事を「ルアンナムターの市場」と
して、紙面形式、見開き2ページで再構成しました。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
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< Text >
「ルアンナムターの市場」
- Market of Luang Nam Tha -

 ルアンナムターのバスターミナルの隣の広場にこの町の市場がある。入口近くのコンクリートの水槽は魚のいけすになっていて、鯉やフナたちが市場を訪れるものをじっと凝視するように泳いでいる。市場の中心に建つ長屋には、野菜、肉、川海苔、豆腐などが並べられている。ここでは川海苔が豊富なのか、売り子が見えないほど山盛りになって置かれていた。肉売り場では、血に染まった人の腕ほどもある大きな骨と肉塊が、安っぽい絵柄のビニール・シートの上に無造作に並んでいる。その横には解体後に出たのだろう鮮やかな血が、ステンレスのたらいに溜められていた。これらを見ているうちに、「食す」という行為は、ただ単に食べ物を口に運び胃袋に流し込むという事ではなく、命と格闘する事なのだ。と教わるようだった。長屋の北側にある別棟に煙草や乾物、雑貨品等の店が連なっている。ルアンナムターは中国・雲南省に近い為、市場では中国の通貨「元」の私設両替もちらほらと見かけた。
 1ドル=10、351キープ。1元=1、250キープ。タイ・バーツも流通している、1バーツ=266キープ。(2006年2月時点のレート)

 地面に落ちた影が長く伸びはじめると、朝から開かれていた市は終りを迎える。がらんどうになった長屋の建物は、卓上の売り物が全て片付けられたおかげで風通しが良くなったと喜んでいる。そのまま、夕日のシャワーをたっぷりと浴びて今日一日の疲れを洗い流す。そして、明日も朝は早いのでと、またたく間に寝床についた。市場が眠りにつくと、次は町が一日の終わりを迎える番だ。ただでさえ静かな町がさらに静かになる。町の真ん中にある広場には、早々と長屋の寝息が響きわたる。それを知っているここの住人たちは、寝ているのを起こさないようにと、市場の前を通る時は小声になり足音を潜めそっと歩く。
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老撾 | 琅南塔
ラオス、ルアンナムター
Luang Nam Tha, Laos
LAOS - Lao People's Democratic Republic (LPDR)
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2011年11月02日

モンスーンは向かい風「まばゆいルアンプラバン」

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右項写真)夕日を浴び輝くブーゲンビリア。
左項写真)夕刻のルアンプラバン。


当ブログで以前に書いた早朝のルアンプラバンの記事(下記リンク)を、「まばゆいルアンプラバン」として、紙面形式、見開き2ページで再構成したものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
*右項の写真はポストカードで販売しており、非常に人気のある一枚です。
http://tavola-world.seesaa.net/article/116439333.html
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「まばゆいルアンプラバン」
- Gold Flows, Luang Prabang -

 ルアンプラバンの街を囲うようにメコン川が流れている。川沿いに並んだカフェ・テラスから、沈みゆく夕日をぼんやりと眺めていた。水面をオレンジに染める暖かな太陽を見ていると、一日の疲れが、眼の前でゆったりと流れるメコン川に溶けていくかのようだ。ビアラオをグラスにそそぎ、喉に流す。こちらの流れはまるで滝、驚くほどに早い。

 ひとつ向いの席で同じように夕日に浸っていた男と目が合った。
「一緒にどうだい?」と、男はグラスを軽く持ち上げ、ニヤニヤとしながらこちらのテーブルへとやってきた。男はボンフォイと言う名のフランス人で、ヒッピーがそのまま成長したような風貌をしている。タバコくささが身体の芯にまで染み付いており、笑った歯がヤニまみれでスカスカだ。さぞ、風通しがいいだろう。すでに酔っているのか、口は非常に滑らかだ。

 「ここ、ルアンプラバーンは静かでいい、安らぐね。それに較べるとバンコクはノイジーだし、何だ、そう、安っぽいアメリカの音楽がどこへ行っても聞こえてきて、ああ、ネオンにいる女たちもだ、どうも誘惑が多すぎる。居心地は良くない、な。その点、インドは全てがクレイジーで最高だ。特に南に行くほどね。この後、フランスにいる息子を呼んで、インドを一ヶ月ほどかけて一緒に回ろうと思っているよ」と、フランス語訛りの聞き取りにくい英語で話しはじめた。しゃがれたその声は煙草の吸い過ぎで喉が燻されてしまったせいだろう。彼の吐くの煙っぽい声からは、何を食べても燻製の味しかしないんじゃないかと思えた。

 ボンフォイは、鞄から「eーbay」のオークションで手に入れたというアンティークのカメラを取り出し、得意げに見せてくれた。どこのメーカーが造ったカメラか良く分からないが、蛇腹式レンズが折り畳めるようになった小型のカメラだった。半世紀ほど前の代物だそうだ。裏蓋の留め金が外れていて、ガムテープを貼って補強してあった。それを僕に見せて、自分が直したのだと、まるで自身が名外科医であるかのように誇らしげに語る。

 「出品していたのはアメリカ人でね、コイツはいい買い物だったよ。外観は、まぁ、この通りで悪いけれど、写りには全然影響ない。だからきっと、安く落札出来たんだ。俺みたいだろ?」と言って、ひとり空笑いした。男が、自分の見た目と中身が違う事を言っているのか、それとも、もう俺はガタがきてあまり価値はないんだ、という事を言っているのかは分からなかった。

 夕日を写した川がより黄金色に近づき、直視出来ないほどの輝きを放ちはじめた。空いたグラスに、まばゆく光るこの川の水を注げないものかと、グラスを目線にまで持ち上げ、川に透かしてみた。フランス男もそれを見て真似る。黄昏色の光がグラスの中に満ちた。そして、どちらともなく「ビア・メコン」と言って、互いのグラスを鳴らした。それは喉を緩やかに、染みるように流れた。

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「メコン川」
http://tavola-world.seesaa.net/article/34484808.html


「ルアンプラバーン(2)」
http://tavola-world.seesaa.net/article/22276654.html

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老撾 | 琅勃拉邦
ラオス、ルアンプラバーン(ルアンパバーン)
Luang Prabang (Louangphrabang), Laos
LAOS - Lao People's Democratic Republic (LPDR)
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2011年10月26日

モンスーンは向かい風「ポートレート・コルカタ編」

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ハウラー駅前のバス・ターミナルの隅にある小さな井戸に水を汲みにきていた女の子、ルナ。目が合うと少し恥ずかしそうな仕草をする。ワンピースのはじを顔に当てて照れ隠し。

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カーリー寺院の横の広場にある井戸で、ばあやと一緒に水汲みをしていた女の子。ひときわ目立つ深い緑のワンピースと、りりしい顔つきに惹かれた。

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右項写真)太陽で暖まった黄塗りのプリペイドタクシーに身体を寄せ遊ぶ少年。
左項写真)「St. Saviour's Church」の東に広がる下町の一画。「シャップ」という名の少年。シルバーのピアスをしてお洒落さんだけど、笑うとすきっ歯で、ギャップがおかしかった。


当ブログで、以前に書いたコルカタでのポートレートの記事(下記リンク)を、「Portraits in Kolkata」として、紙面形式、見開き6ページで構成したものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
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「路地裏の子供たち」

 コルカタのメトロ「ギリッシュ・パーク」駅の西側、トラムの路線のあるラビンドラ・サラニ通りを南に向って歩いていると、路地の奥から誘いの声が響いてくる。森の中で小人たちが戯れているような小さな声に、耳をくすぐられた。

 表通りにそびえる褐色のコロニアル調の建物から一歩足を踏み入れると、パステル調のピンクやクリーム色をした華やかな建物が続いている。それは、浅黒く日焼けた肌のような表通りの表情とは違って、ひび割れた傷口から見える内肉のようで、妙に生気がある。ふと足を止めた後、曲がりくねった小道を進み入る。夕日の柔らかな光が、ジグザグと折れ曲がるように路地に射し込んでいる。光に先導されるように、その先をたどっていった。

 表通りから伸びた路地、そこからまたさらに細い道が枝分かれしている。整然とした、洞くつの中に入り込んでしまったような感覚だ。行き当たった通りの角には、必ず青年らがいて談笑している。彼らは、目が合うと照れくさそうに下を向き、見られるのがまずかったような仕草でこちらをちらりと伺う。僕も何か気まずさを感じて、角を曲がる時はつい足早になった。

 建物の隙間から子供たちが歓声を上げながら現れては、また建物のどこかへと消えていく。子供たちだけにしかわからない特別なルールのかくれんぼ。逃げ回る度に、頬や腕を壁に擦って生傷が絶えないが、そんな事はかまいもせず、また飽きもせずに遊び続けている。子供らが、建物のあちこちに残したかん高い笑い声は、周囲にこだまし、表通りまで伝うと、夕空に溶けていった。

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「Portrait - 木洩れ日黄壁前のLuna」
http://tavola-world.seesaa.net/article/195192834.html


「Portraits - コルカタ、路地裏の子供たち」
http://tavola-world.seesaa.net/article/193799497.html


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印度 | 加爾各答(加尓各答)- 西孟加拉邦
インド、西ベンガル州・コルカタ (カルカッタ)
Kolkata (Calcutta), West Bengal State, India
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2011年10月23日

モンスーンは向かい風「ゴライ川・霧の影絵」

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右項写真)ゴライ・ガットを行き交う人たち。
左項写真)干上がったゴライ川に架かる竹橋の通行料は2タカ。

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ゴライ川から対岸へ渡ると水田景が広がっていた。菜の花が咲き、稲の植えつけが始
まる季節だった。

当ブログで以前に書いたゴライ川の記事を、「霧の影絵(乾季のゴライ)」として、紙面形式、見開き4ページで構成したものです。片頁A4サイズ。画像をクリックすれば大きいサイズで表示されます。
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「霧の影絵」
- Shadowplay in The Mist -

 どこか不安を誘うブルーグレーの空の下には、魚の腸をほじくり出し、垂らしたような、今にも途切れてしまいそうな細々とした川が流れている。ゴライ川である。この川岸に降り立つと、地平には、白銀の世界が一面に広がっていた。ポッダ川から枝分かれしたゴライ川は、乾期になると本流からは見放され、みるみると川幅を縮める。この川の持つポッダ直系の派川であるという誇りだけが、川の流れをひとたりとも絶やす事なく、乾いた地表にかろうじてその川筋を刻んでいる。膝下までもない浅い川ではあるが、竹で組んだ簡単な橋が架けられている。その必要があるようには見えないが、きっと、川としての面目を傷つけないように、との配慮からなのだろう。この橋のある場所は、ゴライ・ガットと呼ばれている。

 川岸だと思って立った場所、そこはすっかりと干上がってしまった川底だった。地表に露出している川底のヒビ割れた破片は、風に鞣され、白い砂へと姿を変える。川上から吹く乾いた風が、新たな破片を静かにめくり上げ、また鞣す。これがくり返されている。この川砂の白さは、世俗的な欲望が一切抜けたような色をしている。かつての川の流れが砂の周りに付着した何もかもを洗い流し、全くの無垢な砂粒にしてしまったかのようだ。清らかで無欲な白砂。

 大地というものは、欲望の堆積である。地に生える草花からは、こぼれ種を催促するような卑しさがまま残っている。その欲が、強ければ強いほどに、土の色は濃く、黒くなり、肥沃さが増し、恰幅のいい土地となる。我々が見なれている大地の色というのは、俗っぽさの度合を示している。

 所々に取り残されたわずかな水たまりは、水銀の鏡のように、鈍く輝き、空の憂いを写す。川岸のはるか遠くでは、犬たちがじゃれ合い、水辺を駆けまわっている。まばたき二つほどの間を置いて、犬たちが砂を蹴り、跳ねる足音が耳を叩く。

 太陽の浮かぶ東南の方角には、川砂よりもはるかに細かな霧が上空を漂っている。朝日が霧の背後から射すと、空は白く輝き、半透明な真珠色のカーテンがうすぼんやりと現れる。太陽は映写機のような役割になって、川を渡ろうとやって来た人達を霧のスクリーンに投影する。

 一人、二人、三人、とゴライ・ガットへ人が続き、その数は増え続ける。ブルカを被った女性、大きなずた袋を頭にかつぐ男、アルミ製の水かめを抱えた少年、車輪の大きな自転車、荷台の付いたガリ。対岸へ向うもの、街へと戻るもの。友人を見つけ、立ち話をしまた去ってゆく。不思議と、白砂を踏みしめ、川底を行き交う人たちの足音は聞こえてこない。映し出された人影の静かな行進は、遠い世界の幻を見ているかのようだ。地表に近いほど空気は硬く、乾いている。霧の漂う空と川底の境界に揺らぎが生まれる。空気の層が分離し、地表付近はろうそくの炎のようにたえずゆらめいている。シルエットは揺れ、より実体がないように見える。

 川上から、影を鞣す風が吹く。影が白くなり、霧が晴れた。
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