2016年10月11日

長い谷の川と、高い石の山の物語


「ビロビジャンの月」編集部では、ヴィニ・オライリーが記事を書く合間、ある一冊の本に目を通していた。頑丈に綴じられた分厚い全集もの。航海地図帳のように大きな体裁で、彼の手狭な机をほぼ占拠する。赤銅色に染められた総革張りの表紙は、金糸を混ぜ込んだ緑色糸でしっかりと縫い込まれている。背表紙には、幾何学に目覚めたウィリアム・モリスが描いた風の奇妙な意匠文字で「デレク・ハートフィールド全集<最終巻>」と刻印されていた。何も知らない人がそれを見たのなら、古代宗教の聖典写本だと思うに違いない。二度漉きによって漉かれた紙は極上の滑らかさ、花すら摘んだことのない色白王女の手の甲のように無垢で、肌理の整ったやさしい触感。ページを繰る度に思わずためらいの口づけをしてしまいたくなるほどだった。ヴィニは読み進みながら、指腹で紙の張りのある腰を感じながら、乾いた紙音をはじき、淡いクリーム色の紙に打ちつけられた活版文字の陰影と濃淡を目で味わっていた。この全集最終巻は、デレク・ハートフィールドが民間に伝わる逸話や伝承を丹念に聞き集め、まとめたものを収録している。物語の内容にあわせ、分類され、さらにおおよその時代と地域が目次にも記されているため、読みたい項目にすぐにでもページを飛ばせるようになっている。ちょうどヴィニが読んでいたのは「長い谷の川と、高い石の山の物語」というタイトルの話だった。


「長い谷の川と、高い石の山の物語」
トルデシリャスからの移民に聞き取り調査を行い、彼らのコミュニティ内で伝わっていた逸話を整理したもの。

この世界は大きな地殻変動のあと、二つに割れてしまった。大地には大きな亀裂が走り、それにより生じた果てしなく続く長い谷が、住む世界を分け、互いに行き来できないようになっている。長い谷の底にはやがて川が流れるようになったが、地表からその川をのぞき見ることはできない。谷は光が届かないほどの深さがある。何かを放り投げたとしても、川面に落ちた音は決して跳ね返ってこないのだ。長い谷の川を隔てた、向こうとこちら側には、まだ言葉の発達していない民族がそれぞれ住んでいた。彼らが行うコミュニケーションには鳴き声や口笛を使っていたが、風の強い日や、谷から逆流する気流のせいで、それらの音は届かないことも頻繁にあった。この方法では、聞き違いによって間違った解釈をされてしまうと、それを訂正するのにもまた多くの時間をかけなければならなかった。彼らは考え、試行錯誤の末、やがて、新しい方法でお互いにコミュニケーションすることを覚えた。拾った石を相手側に投げ、その大きさや頻度を信号化したもので、それまでに行っていた音声でのやりとりを、石に置き換えただけの実にシンプルなものだった。が、しかしこの方法は、以前のやり方よりも、ほぼ確実に相手の元に届く上、また相手側に石という実物の印が残ることで、彼らの中に「記録する」という新しい概念が生まれた。相手から届いた石を保管しておくことで、過去の記録をさかのぼれるようにもなり、新参のものにも古い内容がより正確に伝わるようになった。記憶だけに頼っていた口頭伝承のあやふやさが徐々になくなると、その集団の共通認識はより強固なのとなっていった。こうして互いの民族は、石を介し、意志を交わすことを覚え、互いのメッセージを伝える手段が日毎、格段に進化していったのだ。

コミュにケートが進む度に、石の形や大きさ、色合いなどを細かく取り決めれるようにもなり、より複雑な伝達も可能になってきた。そしてさらに、腕力によって石を相手方に投げるという方法から、またひとつ進化することになる。
ある一方が、てこの原理を応用した石を投げる機械「人工投石機」を考えだしたのだ。堅い木と伸縮性に富む植物のツルを使い、石をより正確に相手方に届けれるようになった。これにより、石の飛距離も延び、投石の頻度も早くなって、コミュニケーションのスピードは格段に上がった。人力で投げていたときは、交代制でこれを行わなければならなかったが、この機械を使えば、より少ない労力で手早に目的が達せられる。発見した方は、人工投石機の作り方を、作ったばかりの人工投石機を使い、相手方にさっそく伝えた。やや遅れてもう一方の民族も、作り方を学び同じ仕組みの投石機械を作り出すことに成功した。

しばらくの間、この人工投石機を使って互いの意志疎通をはかる方法はうまくいっていた。はじめは一台だったものが、二台、三台と増えてゆき、長い谷の川に沿ってずらりと列をなすようになった。それは遙か彼方まで続き、初代機からは最新機がどこにあるのかすら見えないまでになっていった。小さな区域ごとに対岸に面した同士でのコミュニケーションが活発化し、渡れない谷を隔てているとはいうものの、互いの民族間には大きな連帯感が形成されるようになっていった。そうした中、ある日ちょっとした事件が起こった。

機械操作にも慣れ、投石の照準・頻度にさほど注意を払わなくなった頃、ある一台の投石機から放たれた石が、相手の投石可能エリアから外れ、その近くにいた人に命中してしまったのだ。一命はとりとめたものの重傷を負い、その人はもう元の生活には戻れないほどだった。仲間たちは、怒りの抗議をするために激しい信号で、石をぶつけた側を非難した。一方、相手方からやってくる突然の石の集中砲火と激高する石の信号に戸惑った側は、ただ戸惑い混乱するばかり。謝罪の返事を返す間もなく、次から次へと投げ込まれる非難の投石にさすがに疲れはて、まずは相手に落ち着いてもらうようにと石を投げ込んだ。しかし、そのメッセージは正しく受け止められることはなかった。謝罪を求めていた相手方は、これで双方の関係は何もかもが終わったのだと解釈した。そして、返礼とばかりに、自分たちの石を相手側の投石機、そこにいる人たちに向け投げ放った。石は凶器に変わった。

このことは、横に連なるそれぞれのエリアに、瞬く間に伝播し、長い谷の川の両岸では憎しみの摩擦が激しく増していった。一人が二人に伝えると、その二人が四人に伝える、そうして四人が八人に、八人が十六人へと、加速度的に広がってゆく。人づてに流されてゆくほどに、もはや根拠のないものになってゆく。そういた怒りが共有され最高潮に達したとき、お互いの投石機からは石が人めがけて投げ込まれるようになる。おびただしい数の人がその犠牲になった。そして、犠牲者が増える度に投石の数も増え、投げ込む石はより大きくなっていった。もう誰も投石機が、お互いのコミュニケートをはかるための機械だったことを覚えてはいなかった。朝昼晩、互いの陣から競うように石は飛び交い、この争いは収束する気配を全くみせなかった。こうして、一年、また一年と続き、事の発端が何であったのかを誰もが皆忘れ、思い出すことも過去を振り返ることもしなくなった頃、ある日突然ぴたりと投石が止まった。一カ所のエリアだけでなく、ほぼ横一列すべての岸でそれが起こっていた。その瞬間、両陣営の民族が目にしていたのは、光のとどかない果てしない深さを持った谷が、石で埋め尽くされた光景だった。怒りで我を忘れ、ひたすら無我夢中で石を投げ込むあまり、双方陣内に届かなかった無数の石が、少しづつ積み重なり谷をびっしりと埋めたのだ。もう互いを隔てるものがなくなってしまった。そうした事実を目の当たりにし、誰もがそこではたと気づいた。俺たちは何をしていたのだろう? と。しかし一度火のついた怒りの炎はそう簡単には消えることはない。もう障壁のなくなった、平らな地。こちらが攻めれば、当然相手も攻めてくるだろう。これは両者にとって、恐怖でしかなかった。どちらかが、わずかに攻めよう素振りでも見せれば、もう雪崩を打ったようにぶつかり合い、両者全滅への道しかない。誰しもの脳裏にそうした本能的な防衛感情が芽吹き、それが軽率な行動を踏みとどまらせていた。三日三晩、そして一週間、もう谷とは呼べなくなった両陣の境で、にらみ合いが続いた。

この均衡は、一人の男によってあっさりと消え去った。ふいに一方の側から石で埋まった谷を渡る姿が現れた。不思議なことに、その歩き方には何か見るものの心を鎮める作用があった。男の後に続くものもなく、また迎える側もその男めがけて突進するまでには至らず、前陣と後陣から男を取り囲み、じっとその動静を見守るだけだった。男は谷の中腹まで歩み進んだあたりで一端立ち止まり、自分の視界の先に見える対岸の民族を横流しで追った。そして以前は岸だった淵までたどり着く。向こう岸からやってきた男は、待ち受ける側の代表者が出てくるのを待った。そして、二人の男が顔を合わす。男は口を開き、ゆっくりと話した。すでにこのときには鳴き声による信号的な言葉からは進化した、複雑な文法を持つ言葉に変わっていた。男は長い争いの原因になった出来事に始まり、どうして我々が互いを憎しみ合うようになったのかを振り返り話す。最後にそのことを詫び、相手方の反応を待った。向こう岸からの代表であるこの男の話を、一通り聞き受けた側の男は、自分たちも同じ意見だと答え、同じように詫びた。二人の男は互いに手を取り合い、もうこの争いは、いまこの瞬間にでも終わりにしようと誓い合った。二人の男はこれからの双方の交流をはかり、仲良くしてゆくことで合意した。向こう岸の男は、そのことを自陣に伝えるため戻っていった。すべてがうまく収まった。男が自陣の岸にたどり着くわずかな間までは。

男が、謝罪をしたあとに向こう岸の合意を取り付けたことを仲間に伝えようと、自分の陣に足を踏み入れたその瞬間、背後から猛スピードで石が飛んできた。男はその場で崩れ落ち、そのまま倒れた。後頭部を貫く一撃で命を落とした。あっという間の出来事だった。あっけにとられたその男の陣営は、笑顔と安堵の表情から一変し怒りと憎悪に満ちた顔に変わった。合意に納得のいかなかった、どこかの誰かがメッセンジャーの男めがけて石を放ったのだ。短い和平の期間だった。互いの民族はまた争いに明け暮れる。石を投げ相手方を攻撃する。わずかな隙間もないほどに、石は乱れ飛ぶ。地続きになり、一つにつながった谷はまた憎しみの境界線と化した。飛び交う石はかつての比ではないほどに、投げ込まれ、今度はそれが積もっていった。一週間、一ヶ月、一年、五年十年と月日が経った。もう互いの陣営は見えないほどにまで石は積み上がり、高くそびえるようになっていた。それでも両陣営からの投石は続いた。今度は、お互いに姿が見えなくなることで、怒りの次に恐怖が加わった。投石をやめれば、相手方が石壁を登り攻めてくるという恐怖。相手の姿が見えないことで、それは得体の知れない恐ろしさとして各々の記憶に刻まれるようになった。石の壁はだんだんと高くなる。木の高さを超え、そして山の高さを凌ぐようになり、ついには人の登ってゆけないほどの高さになった。互いの陣営はもう投げる石がなくなっていた。手に入るだけの石がかき集められ使われたのだ。こうしてお互いの民族は、この巨大な石の山を隔て分かれて暮らすようになった。 ―終―


ヴィニ・オライリーは、この話を読み終えたところで、ページをめくる手を止めた。脳裏には、直感的なひらめきが走っていた。そしてしばし考え込む。はて、これはもしかしてあの山のことを伝える伝説だったんじゃないかと、見開いた本を見つめながらぼんやりと頭の中を巡らせる。そして、机の上に積みあがった資料の山から一冊の雑誌を引っぱり出した。近隣のコロニー、ウンベル都から取り寄せた雑誌「ナショナル・トポグラフィー」の最新号。そこには、針針山についての短い特集が組まれていた。わかりうる限りの地形や地質についての記事だった。その中には針針山の不気味なシルエットを写した写真も数枚あった。どの写真も山頂には雲がかかり、輪郭のないぼんやりとした山影が背景にとけ込んでいるものだった。また彩度を失った色がより、この山の存在を孤独にさせているようにも見えた。ウェスタランドとイースタランドを二つの世界に分ける針針山、未だこの山を越えたものはないとされている。針針山を中心に伸びる山脈もまた同じように、東と西とを隔てる巨大な壁となって果てしなく続いているのだ。ヴィニは地図を開き、全集の目次ページに記された時代と地域の名前を書き出した。さらに雑誌の特集ページに付箋をし、赤いペンでメモを書き添える。「高い石の山の伝説、針針山、二つの関係…(?)」と。そして、一度読み返したあとアンダーラインを二度引いた。


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ 太陽の都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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