2016年07月19日

ネロ・ウルフの皿 -後編(1)- (太陽の都シリーズ)


しばらく開いてしまったけれども、「ネロ・ウルフの皿」後編です。
寝る前にポメラで書いていたら、うとうとしてデリートボタンを押したみたい。
翌日眼がさめたら全部消えていた。なので書き直すことになった。
これが終わったら、ピジンとフランボワーズの続きを。

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「ネロ・ウルフの皿 -中編- 」からのつづき


A conversation about yellow stone

鍋からのぼる湯気が音符色に変わり、厨房に漂う香りが軽快なリズムを奏ではじめると、奥の部屋から大きなあくびが聞こえてくる。ルー・リー・ルーの妻、カー・レー・ルーのお目覚めだ。胃袋が五感すべてよりも敏感な、いや、胃袋が正常なだけで他の五感がとんでもなく鈍感な、といった方が彼女の場合は正しいのかもしれない。夫ルー・リー・ルーの作る料理をすべてその胃袋で受け止めているよき理解者、あるいは、調味料のわずかなさじ加減をも見逃さず、いつもの味に違いを感じるやいなや作り直しを命じる非情な裁判官。ルー・リー・ルーが最も恐れ、そして愛しやまない女性。彼女の前では、猫に直立不動の敬礼をするネズミのようになってしまう、ああ可哀想なルー・リー・ルー。一日で最初に訪れる審判の時刻が、まもなくやってくるのだった。

ルー・リー・ルーはしばし窓の外に目をやっていた。朝の光は、一層輝きを増していた。一晩のうちにガラスの屈折率でも変わってしまったのだろうか、いつもとはどこか違ってみえる外の光景に、彼はしばし見とれていた。視線の先にあるのはピサロが空の上で絵の具を振りまいているかのような、輪郭のないぼやけた色。それも練り混みの足りない、まだ粗さの残る顔料に似たざらざらとしたものだった。砂塵とミストが大気中で混ざりあい、光の繭を形作っている。上空に漂う暖かい空気の層と地表の冷たい空気に挟まれ、半ば真空状態となった空気のレンズ。
視覚から受ける情報は直接脳に伝わる場合と、途中分岐し、その他感覚神経に流れ込む場合がある。色を味覚として感じたり、香りが聴覚となって聞こえたりする一連の現象。もちろん、ルー・リー・ルーはそんなことを知る由はなく、ただ彼の皮膚感覚として感じ取っているだけだった。窓外に広がるえも言えぬ光の現象をぼんやり見ているうちに、彼の舌には裏ごしを怠ったポテト・スープの触感が現れ、思わず人差し指を口につっこんで舌を拭ってしまった。彼が舌先に感じたのは指の腹に残ったガーリックの青い苦みだった。料理人としての感覚は、鍋や包丁を手にしている時でなくともたえず持っているものだ。「リキッドとペースト、その間に位置するもの、それが最高のスープなのだ」ルー・リー・ルーは父ノー・レー・ルーがよく口にしていた言葉を思い出した。窓枠に何か小さく動くものがあり目を下ろすと、小さなミツバチが一匹、羽を休め止まっていた。

背後でかしゃんと軽い金属音が響いた。ルー・リー・ルーは振り返り視線を向ける。カー・レー・ルーが鍋のふたをとり、レードルを静かに回していたのだった。鼈甲のピン留めで髪を軽く結い、一枚もののモスリン布を緩く体に巻き付けている。胴回りの径はルー・リー・ルーの約二倍はある彼女。ルー・リー・ルーは自分の食した栄養はみなカー・レー・ルーのお腹にテレポートしてるんじゃないかと疑ってやまない。しかしそれを口にする度、いつも彼女に説き伏せられ、連れ添ってからの長い月日をやり過ごしてきたのだ。「あんたの料理がまずければ、あたしは骨と皮だけになるんだから。あたしの姿はあなたの料理そのもの。身をもって現しているのよ」ああ、真実を歪曲され続けたルー・リー・ルー。思い出してごらん、二人が出会った頃のカー・レー・ルーの美しさを。そう、青い瞳と褐色の華奢な身体。陽に焼けてない肌のラインを果敢にたどると急にうつむくのが初々しかった。強く抱きしめられると折れそうだからって、上に乗っかるのはいつも彼女だった。髪の毛を伝って滴り落ちる、甘い香りの汗を何度味わったことだろう。しかし今ではどうだ、女王蟻の身繕いを任された働き蟻みたいになっている。信じていいのは自分の目だったのだろうか、それとも冷静なる時間の経過なのだろうか。振り返ってみれば、はじまりのときから彼女のルールの中にいただけなのかもしれない。

彼女はスープを小皿によそい味見をした。どちらかが先に口を開くまでは、お互い目を合わせない。短い沈黙。ルー・リー・ルーはカー・レー・ルーの唇に視線を注ぎ、じっと見つめた。この日のスープには自信があったのだ。彼女の反応はおおよそ見当がついているといった風に、ほのかな笑みを浮かべる。
「いいわね」
カー・レー・ルーは微笑み、空いた小皿にもう一杯をすくいルー・リー・ルーに差し出した。彼は皿を取り口をつけた。
「うん。今日のはばっちりだ。難をひとつ言えば、スパイスを使いきってしまったので、もうストックがなくなってしまったことかな」
ルー・リー・ルーは舌の上でスープを転がし、変化を見せるその味をしっかりと噛みしめた。
「じゃぁ、市場で買ってこなくちゃね。無くなったスパイスのリストを書いておいてちょうだい。あと、他に足りないものがあればそれも一緒にね。早いうちに買い出しいかなくっちゃ」カー・レー・ルーはそう言ってまた奥の部屋へと向かった。そして途中で何かを思い出し、くるりと反転した。
「ああ、そうだ。今日はタ・クァンと会うことになっているの。大市の日だから、ターメリクォイズ(Turmeriquoise)の品評会があるのよ。だから市場に行くのはそれが終わってからになるわ」
「ああ、スープストックは二日持つだろうから、今日でなくてもいいよ。俺はオルガニスタの野営をあたらないと。キャメル・トゥの予約が入ったんだよ。奴らはコロコロと居場所を変えるから聞き込みするのも楽じゃない」
「あら、そうなの。あれ、ほんと手間暇かかるものね。でもあたしはあまり好きじゃないの、調理に時間かかるわりに、食べるところなんてちょっとしかないじゃない」
「あれは、そういう料理なんだよ。特別なときのための」
「まぁ、この都ではあなたしか作れないし、そのおかげでこうしてこの店も続けられるんだから感謝しなくちゃね」
「まぁ親父もあの複雑なレシピ、よく考えたもんだよ」
「じゃぁ、あたしちょっと支度するから」
カー・レー・ルーはピン留めを抜き取り髪をはらりと落とした。
「タ・クァンにつられて、へんなの買ってくるなよ。いったい何がいいんだよ、ターメリクォイズの。ただの石じゃないか」
「ちょっと、そんなこと言わないの。ただの石じゃないんだから。あのうっとりする美しさ、あなたにはわからないかもしれないけれど」
「まぁ、確かにキレイはキレイだよ、あの石。それはわかるさ。透明で琥珀色の輝き、そして手にしたときの意外な重厚感。それでいて肌に吸いついてくるひんやりとした岩質。で、内側から何かが放射されてるような神秘的な光の屈折。でも、一個二個あれば十分だろうに」
「あなた、もう。ほんと、わかってない」
カー・レー・ルーはため息と同時に、目を大きくして首を振る。
「ひとつひとつが違っていて、同じものがないのよ。それに二つを並べるとそれぞれ共鳴しあうの。波動というか波長というか、何か揺らぐものが石と石の間に生まれるのよ」
「また、はじまった。それはもう何回も聞いてるよ。そこまでいくとオカルトだな。俺には何も聞こえないし何かそういうものが発生してるふうには見えないけどね」
「あなたとターメリクォイズの話をしても、平行線、仕方ないものね。でも、石になにか魅力があるからみんな欲しがるわけだし。それにこの都の名産にもなってるわけだから持っていても損はしないと思うの」

ターメリクォイズは、透明感をまったく失うことなくターメリック色(あるいは深い山吹色)のついた石のことをいう。太陽の都でしか産出せず、良い石ほど艶やかでかつ吸着性があり、肌にピタリと吸いつく。そのなめらかな石肌は皮膚の老廃物を取り除き、女性の肌をケアするとの評判が高く宝飾以外の目的でもたいへん人気がある。太陽の都の貿易額に占める割合も大きく、外貨獲得のための重要な輸出品目として、鉱石採掘場は政府の厳重な管理下におかれている。

「まぁ、いいさ。あんまり深みにはまらないでくれよな。タ・クァンなんて指輪やブローチ、ネックレスにボタンだので全身真っ黄色じゃないか、何かの漬物じゃあるまいし。あそこまでいくともう理解できないよ」
タ・クァンはカー・レー・ルーの幼なじみで彼女の一番の親友。彼女に感化されカー・レー・ルーがターメリクォイズの収集に傾倒していったのを、ルー・リー・ルーは内心よく思っていない。気がつくといつの間にか、カー・レー・ルーとタ・クァンの間には黄色い宝石、ターメリクォイズでつながった深い絆ができていたのだった。
「彼女のコレクションはほんとすごいのよ」うらやましそうな声でカー・レー・ルーは言う。今の自分では遠く手の届かない世界をみて、もうひとつ後押しがほしいかのような目で、ルー・リー・ルーを見つめるのだった。

ルー・リー・ルーは何かを思い出したようだった。すでに彼の頭の中は今日の仕込みの段取りのことで一杯だった。
「あ、そうだ。あのスパイス。あれも必要だ」
「あれ、じゃわかんないわよ」
「ほら、きみの故郷でしか採れないあれだよ。寒い国から来たスパイスって呼ばれてる、あれ名前なんだっけ?」
「ああ、わかったわ。スノウ・デーンのことね」
「そうだ、それそれ。あれがないと美味いキャメル・トゥが作れないからね。忘れずに頼むよ」
「わたし、はやく準備しなきゃ」カー・レー・ルーは少し真顔になって時計をみた。


後編(2)へつづく




記事トップにあるグラフィック・アイコンのフォントは
「バーボン・フォント」(下記リンク先)を使った。

■ Bourbon font
http://fontpro.com/bourbon-font-1567

posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ■ 太陽の都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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