2015年11月09日

「十八世紀パリ生活誌」メルシエ



 パリの泥は、絶え間なく振動する無数の車から絶えず剥落してくる鉄の分子を含んでいるので、当然のことながら黒い色をしている。それに台所から水が流れ込むので、臭くなっている。パリの泥は、外国人には我慢できないほどの悪臭がするが、それは泥にしみこんでいる多量の硫黄や硝石塩が原因であり、泥のしみがつくと、布地は腐蝕してしまう。
(街灯 / p124)


 ほとんどすべての教会の中で、死体の臭気がする。そのため多くの人々が遠ざかって、もはや教会に足を踏み入れようとしない。

 さらにもっと信じがたいことだが、若い外科医たちが、解剖の練習のために死体を盗み出したり、買い取ったりするが、その死体がずたずたに切り刻まれて、便所の穴に投げ捨てられることもよくあることだ。

(腐った空気 / p128 - 129)


 パリでは人々は貧乏であればあるほど、ますますたくさんの犬、猫、鳥等々を飼って、狭い部屋の中でいっしょに暮している。そういう動物の臭いが、入る前から臭ってくる。大部分の人々は、警察の禁令にもかかわらず、むさ苦しい住居の中でたくさんの兎を育て、道端で拾い集めてきたキャベツの葉っぱで養っている。あとでその兎を食べるのだが、この食物のために彼は顔色が青ざめ、黄ばんでしまう。彼らは悪臭を放つ種族と暮し、それを食卓にのせようと、わざわざ増やしている。
(閉じこめられた動物 / p140)


 畜殺場は、市外や町はずれにあるのではなく、中心部にある。血が街路を流れ、君の足元で固まり、君の靴は朱(あけ)に染まる。通りがかりにとつぜん、憐れみを乞うような牛の鳴き声にどきりとする。
(畜殺場 / p142)


 ぶどう酒とおなじように、牛乳も混ぜ物をされる。水で薄めるのである。村の女も、公衆の信頼を裏切ることにかけては、都会の女と変りがないようだ。
 税金と混ぜ物のために、民衆が何を飲んだらいいのか分らなくなり、コーヒーが異常に好まれるようになってからというもの、この牛乳の消費は厖大なものになった。

(牛乳売りの女 / p236 - 237)



「十八世紀パリ生活誌 ―タブロー・ド・パリ―(上)」メルシエ著(原宏・編訳)、より
岩波文庫
"Le Tableau de Paris" by Louis-Sébastien Mercier
https://fr.wikipedia.org/wiki/Tableau_de_Paris




十八世紀後半のパリの様子を描いた本ですごくおもしろかった。フランス人ならではのユーモアや皮肉を織り交ぜつつも、きわめて冷静な観察眼で書かれていているせいか、ふっと当時の街角にまぎれこんでいるような錯覚にもなる。
この本は1781年に刊行されると瞬く間に大人気となって、すぐに続編が出され1788年までに全12巻が刊行されたのだそう。当時でいうベストセラー・シリーズだった模様。フランス革命が起こる直前の時期だけに、この時代のフランスや大衆がどんな雰囲気だったのかがわかる資料としてもとてもいい。全12巻1,052章ある中から219章を抜粋した約1/5が、この岩波文庫の上下巻に収められている。どの章も、いいことはほとんど書いておらず、ただひたすらネガティヴな眼差しの記述ばかりなのに人気があったというのはどういうことなんだろう? よっぽどパリジャンは自虐的なことに喜びを感じるんだろうか。きっとこの本に書かれていることが事実であり、真を突いていたからこそ支持を得て、一種のガス抜きになっていたんだろうな。革命が沸きおこる素地はすでに(批評精神を持つ)民衆の中に潜んでいた、という証明になっているようにも思える。

下巻のコンディションが悪かったので、今度新品で買おうと、状態がましだった上巻だけを買ったのだけど、うちに戻ってから調べてみると今は上下巻とも絶版になっていた。地味に売れてそうな感じがしたのに残念、Wantリストがまた増えてしまった。本の読み方は人それぞれだけど、扱い方って性格出るよな、と思う。ビブリア古書堂の栞子さんじゃないが、目の前にある古本をみて前所有者を漠然とだけど想像してみたり。人の手をいくつか経たものにはやっぱり小さな歴史がほんのちょこっとだけ刻まれるんだな。

それにしても、この時代のパリの劣悪さは尋常じゃないと思わせるエピソードばかり、現在の中国ともそう変わらないなと、まぁ人間の生活なんてそう違いはないのかもしれない。経済や技術の発展ともに順繰りに文明化していってるということになるんだろうか。日本では江戸時代の中期から後期にかけての時期にあたり、元号では天明、第十代将軍の徳川家治が治めていた。といっても、歴代将軍の中でもさほど有名ではないからあまりピンとこないが、田沼意次が実質幕府を主導していたあたりと聞けば、なんとなくこの時代の日本がどうだったのかも思い出せそう。たしか江戸の街は世界的にみても清潔で、進んでいたんだったかな。三浦哲郎が「おろおろ草紙」の中で、天明の大飢饉の東北地方の悲惨な様子を描いていたのを思い出した。
現代に少し飛ぶと、日本は1980年代以降から、国営企業が民営化していく過程で、サービスがどんどんよくなっていった(過剰なほどに)。必要なものはほぼ全ての家庭に行き渡り、製品を作れば売れるという時代ではなくなってきた。消費者の声が少しづつ反映され力を持つようになる。基本的な機能・性能のほかにデザインやサービスといった付加価値が求められるようになった。それもあってか鉄道会社はじめ大企業の姿勢に気持ち悪いほどの"媚び"が目立ち、昔あった横柄な面影がまったく影を薄め、こういった傾向がしばらくの間続くと、わりとその時代を経た大人も皆すっかり、そういった過去を忘れている風でもある。子供のときは国鉄(JR)とか乗るのがほんと怖かった。駅員も乗客も、駅や建物なんかも鈍重でどこかくすんでいて、心に迫る圧迫感のようなものが漂っていた。不快さやイヤだなと子供ながらに感じていたことが多かったけれども、時間を経ると以外とそういったものの方を良く覚えていたり、懐かしさを覚えたり、人の記憶って不思議なものだ。


posted by J at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | - 書籍 - | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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