2018年02月18日

これは


JC + The Mechanics - Night Breeze

かわいい
あんまし詳しくしらないけど、シューゲイザーサウンドやっぱいいな。
Some Candy Talking + mbv なイメージなのかな。
アメ村周辺にいっぱいあったクラブとか、あの頃を思い出す。

マイブラが来日したとき、友だちのバンドが前座をしてたんで、ぼくも(撮影で)ちょっくらバックステージお邪魔したりして、でもカタコト英語しか喋れなかったから、会話がぜんぜんできなかった。





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2018年02月12日

to the Fungi Museum

toFungiMuseum-Feb.2018.png
to the Fungi Museum
(Feb. 2018 / 210 x 297mm) Ink and Digital Effects

画像大きめ版: (PNG - 1.1MB) http://tagong-boy.tumblr.com/post/170753377786/

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2018年02月08日

「ろっ骨レコード」と「ファウスト」


いや、書くのにずいぶんと長くかかってしまった。はじめはカルヴァート・ジャーナルに載っていた「ボーン・ミュージック(ろっ骨レコード)」についての記事訳に、少しファウストのことを絡めて書こうかといった程度だったけど、ろっ骨レコードの存在にすごく歴史や政治的な意味があるせいで、調べていくほどに深みにはまってしまい、また訳すのも難しいところがあったりして、そうこうしてるうちに文字量もけっこう増えてきて、ちょっと一度書いたものを、冷静に読み返してみないといけないように思え、しばらく放置したままになっていた。英文を含めると18,000字ほど。ブログでは、ちょっと長めの部類に入るだろうと思うので、最初に簡単な目次を書いておこう。「ろっ骨レコード」の記事訳に興味がある方は、最初半分をすっ飛ばしてください。

前半:
 ろっ骨レコードからファウストにつながる話。
中盤: ファウストの音楽とアートワークについて。
後半: The Calvert Journal に載っていた「Bone Music」についての記事を日本語に訳したもの。




「ろっ骨レコード」と「ファウスト」

「謎」と言ってしまうにはちょっと大げさなんだけど、なぜなんだろう? といった程度の「小さな不思議」、そういったものが記憶のなかにいくつかある。普段そうしたものを思い出すこともないし、思い出すようなきっかけだってほとんどないが、急に脳裏に浮かび上がってくることがある。こういう時、何がその発火点になったのか、何が誘発したのか、理由なんてわかるわけがない。衣替えの時期に、クローゼットの片隅ですっかり気化して形の無くなったナフタリンの包み紙を発見し、いつ誰がこんなものをおいたんだろう? と記憶のタンスをとっちらかすようなものだ。こんな風に思い出してはまた忘れ、忘れてはまた思い出し、といった単純なサイクルを繰り返しつつ、いつになっても解決する見込みもないような事柄。そういったものほど、記憶の片隅からは、完全に消えてくれなかったりする。もちろんそうしたもののほとんどが、僕にとっての「クエスチョンマーク」であるから、誰か他の人にしてみれば他愛のない些細なことにすぎないし、それがあるからといって、何も手がつかず、日常生活に支障をきたすようなことだってもちろんなわけだが、あまり増えてしまうと普段の思考に多少ちぐはぐな感じが残ってしまう。
こうした小さな謎っていうのは、大抵、何でもないようなとき、特に考えていたこと自体を完全に忘れているような瞬間に、ふとその答えが現れるものだから、無理に、あるいは性急にその答えを求めこじ開けようと躍起にならない方がかえっていい。むしろ全く忘れてしまった時にこそ、頼んでもいないのに、突然何の苦労もせず答えが勝手に現れてくれる。まるで、記憶の奥底に押し込められた「小さなナゾ」たちに、意識や自覚、もっといえば人格みたいなものが備わっていて、主の記憶から抹消されるんじゃないかと危険感を募らせたその瞬間に、最後の力をふりしぼり、見えない力をつかって自分の存在をアピールするため、思い出の回路を開いてくるような、そういう作用を働かせているような気もする。

ファウストというドイツの前衛的なプログレ・バンドがあって、彼らのレコード(1st album)を初めて手にし(僕が買ったのは、レコメンデッドから再発された中古盤だったけど、仕様はポリドール・オリジナル盤に極めて近くなるよう再現されていた)、その音楽を聴いたときから疑問に思っていたことがあった。ただそれは音楽に対してではなく、そのパッケージ、つまりレコジャケについてだった。そしてこのレコードから飛び出すファウストの実験的なサウンドは、レコジャケが放つ不思議なイメージをより増長させていたのも事実だ(レコジャケが、摩訶不思議なファウストの楽曲をより奇妙なイメージに誘導していたといった方が適切かもしれない)。どんなレコジャケだったのか? というと、紙に印刷した一般的なスリーヴとは全く異なるものだった。手のレントゲン写真をモノトーンでプリントした透明なヴィニール・カヴァーがまずあって、その内側に赤い文字で歌詞を印刷した透明シートが封入されていた。中に入っているレコードはこれまた透明なものだった。真ん中のレーベル面だけがメタリックなシルバーで、レコード・ジャケットというよりも、医師の机の上にあるカルテ一式といった風のたたずまいをしていた。レコードを取り出す度に、また歌詞カードを取り出すときもそう、まるで今から患者に病状を説明しなければならないような雰囲気になって、これを聴くときは白衣を用意し聴診器を首から下げなければいけないのかも、なんて思ったりしたもんだ。
「なんで手のレントゲン写真なんだろう?」という素朴な疑問。音楽との関連は全くないものだったし、曲名や歌詞のなかにも、そのヒントが潜んでいるようには感じなかった。かといって何の意図もなく、それが生まれたようにも思えない。音楽好きの友達にたずねても、返ってくる答えは「わからない」か「なんでだろうね」という、そこにあまり関心のない短い言葉しかなかった。僕自身もさほど掘り下げるほどでもないか、と思ってはいたので、そうした話はあっと言う間に流れてゆくも、インパクトの強いグラフィック・アイコンなだけに、これがどこか頭の中で小さな置き石みたいになって脳の深くに沈みこんでいた。こうして長年、漠然とだけど、微々たる思いのあったこの「ナゼ?」が記憶の片隅に置き去りになってはいたが、まぁ多分このまま、分からないままでいるんだろうなぁと思っていた。ところが、ある日突然、それが簡単に解けてしまった。

きっかけは「ろっ骨レコード」だった、というよりもそれが答えだったのだ。そう確信めいたものがあった。たまたま手に取ったフリー冊子、紀ノ国屋書店で配布している「scripta」の2016年春号。それに連載されている都築響一さんの「ROADSIDE PARADISE」という日記の中にとりわけ気になる記述があった。モスクワの外れで行われている巨大蚤の市にて、都築さんが念願の「ろっ骨レコード」を買ったという文章とその小さなモノクロ写真があり、それを読んだ瞬間に、「あ、これファウストのあれだ!」と閃いて、これまでずっとわからずにいた点と点がつながった。その部分を以下引用(しかし都築さん、一文が長いね。でもそう感じさせないところがすごい)。




 文化統制の厳しかったソビエト時代に、ご禁制の音楽をひそかに、レントゲンのフィルムに刻んだ「手づくりソノシート」というべきろっ骨レコードは、所持しているのが見つかっただけで大変、作ったり売ったりしたら数年間の収容所送りという重罪で、そこまでして聴きたい、聴かせたい音楽があったという事実に感動する。しかもそれが、人間の骨が写っているフィルムに刻まれているのがまた、からだのいちばん深い場所から湧き出る音の象徴のようで、僕にとってはどんなにハイクオリティのデジタル音源よりも愛おしい。

「ROADSIDE DIARIES・移動締切日」都築響一、より
第5回・1月9日 モスクワ - サンクトペテルブルク
(紀伊国屋書店 "scripta" Spring 2016 / p31)



e-Bayに出品されている「ろっ骨レコード」とその値段
X-RayRecord-eBay.jpg
*上画像は右リンク先より: http://tagong-boy.tumblr.com/post/163492017606/
安いものだと約50ドル前後からあり、高くても200ドル以内。平均的な出品価格は100ドル前後。
(価格は2017年7月頃に調べていたときのもの)





「ろっ骨レコード」なるものの存在を初めて知ったのが、この記事だった。追って調べていくうちに、半世紀以上も前に密造されていたこの音楽マテリアルのもつ奇妙さと、その時代の社会情勢を反映した記号的なおもしろさにすっかり魅了されてしまう。

(話戻って)僕がファウストのファースト・アルバムで疑問に思ってった箇所は二つあった。まず、なぜジャケット・ヴィジュアルが手のレントゲン写真だったのか? という点。そしてもう一つが、一曲目「Why don'tyoueatcarrot?」の出だし部分。レコードに針を乗せると、電気的なノイズが流れたあとにザ・ローリング・ストーンズの「サティスファクション」とザ・ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」のサビ・パートの短いサウンド・コラージュが立て続けに流れてくるが、何で世界で最も有名なバンドの、最も有名な二曲を選んだんだろうという点だった。この謎が、ろっ骨レコードと、それにまつわるエピソードでうまく解決したのだ。二つの「?」だったものがつながったことで、つまり、ファウストというバンドが、単にヴィジュアル的な面白さやインパクト、あるいは音楽的な面白さだけで、このアルバムの曲とそれを視覚化したヴィジュアル・アートワークを作っていたわけじゃないことがはっきりしたことにもなった。そのことは、(最後に書いている)今回のカルヴァート・ジャーナルの記事訳を参照してほしい。

僕が思うにきっと、彼ら(ファウスト)は自分たちのレコード(&ジャケット)を、ソ連で禁じられていた「ろっ骨レコード」になぞらえ、音楽に対し何の規制も制約もかけられていない西側世界のリスナーたちに向け、あるメッセージを込めていたんじゃないだろうか。「音楽を聴くのに、命がけにならなければならない世界もあるんだよ」と(あるいは検閲に対する批判的な意味合いなのかもしれない)。そして自分たちの音楽も命がけで聴いてくれ、みたいな気負いをも同じように込めていたんじゃないかとも思える。
ジャケットにあるレントゲン写真は、「ろっ骨レコード」そのものを示しているし、ストーンズとビートルズのサウンド・コラージュは、当時出回っていた数多くのろっ骨レコードに刻まれ、ソ連の人たちが皆それを密かに聴き求めていただろう、西側世界のヒット曲を象徴している。そう考えると、イントロの電気ノイズ、そして浮かびあがってはすぐに消えてゆくこの二曲が、音質の悪いろっ骨レコードの音を擬似的に再現しているようにもとれる。

「ろっ骨レコード」と「ファウスト(バンド)」のレコードが結びつくのかは、指摘している人がまだほとんどいてないために、正直合ってるのかはわからない。彼らはプログレというジャンルの中では知られた存在ではあるが、さほどメディアに取り上げられていたバンドではないが故に、またあまりそういたところに露出しようとしなかった故、メンバーのインタビューなども少なく、あったとしてもレコジャケのヴィジュアルについて触れていることはないだろうから(少なくとも過去のインタビューや記事では読んだことがない)、真相はきっと語られないままなんだろうと思う。ただ時代的なことも考えると、ロシアで起こった内戦の後、多くのロシア人がドイツに逃げ込み、そこでロシア人コミュニティが形成され、そうした中でその後のソ連での検閲社会の様子が伝わって、あるいは密かに亡命して流れ着いたロシア人たちが、「ろっ骨レコード」のことを話していたり実物をこっそりと持ち込んでいたのかもしれない。おそらく、ファウストのメンバーらの親たちの世代にあたるのだろう。今回ひょんな事で知った「ろっ骨レコード」が起点になり、示唆するものが色々と閃き、そのひとつが「ファウスト」のファースト・アルバムだった。



ファウストの1st album、ドイツ・ポリドール盤。
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画像は右リンク先より:http://tagong-boy.tumblr.com/post/165087453926/
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このアルバムにはタイトルがなく、ただバンドの名前があるだけ。手のレントゲン写真がプリントされた透明ヴィニールのジャケットの中に、赤い文字で歌詞が印刷された透明シートと透明クリア・ヴィニールのレコード(レーベル面がシルバーでカッコイイ)が封入されている。まるで、病院の診察室でライトボックス越しに見るレントゲン写真とカルテを連想させるような、どこか無機的で恐怖のイメージ。ジャケットからレコードと歌詞シートを引き出し手にとると、身体の中で進行している自分の知らない重大な秘密の記録レポートを突きつけらているかのような錯覚に陥りそうだ。このポリドール盤はすごくレアで、まずほとんど店に置いてることはなかったし、あったとしても買える値段じゃなかった。当時、僕は再発のレコメンデッド盤を買うのが精一杯だったが、初回オリジナル盤とほぼ同じ仕様だったのでオリジナルが持つ雰囲気と感触を少しは味わえていたと思う。ポリドール盤にこだわるならイギリス盤もあったが、これは透明ヴィニールの特殊仕様ではなく、普通の紙ジャケ(白地に手のレントゲン写真が印刷されている)だった。


" Why Don't You Eat Carrots " - Faust

アルバム「Faust」の一曲目。イントロの電子ノイズからストーンズの「サティスファクション」、ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」のサビメロディのコラージュが続き、ピアノの伴奏に乗ってマーチのリズム、間延びしたコーラスへと次々と音が変わってゆく。まるで夢の世界で流れているような不思議なサウンド・コラージュ。聴いていると、断片的な映像がめまぐるしく展開する、ダリの制作したシュールレアリズム映画「アンダルシアの犬(1929)」のイメージと重なってくる。


ダリとルイス・ブニュエルの制作した実験的な映画「アンダルシアの犬」のワン・シーン
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上画像は右リンク先より: http://tagong-boy.tumblr.com/post/165364521701/

この映画、美大で映像論の授業をとると必ずといっていいほど取り上げられ、授業で見せられる有名なもの。今の時代、特撮技術やCGも進化してるし、過激な映像にも見慣れているだろうから、これを観たとしてもさほど映像としての衝撃はないかもしれないが、ほぼ一世紀前に観たひとは相当ビックリしただろうと思う。現在この映像はパブリック・ドメイン扱いになっているみたいだ。アメリカのオルタナ・バンド、ピクシーズの「Debaser」の歌詞は、この映画にインスパイアされたもので「I am un chien andalusia」と、コーラス部分に映画原題のフランス語と英語のミックスされたフレーズが出てくる。




「ボーン・ミュージック」〜 ブートレッガーたちはソ連にロックンロールをもたらすため、どんな風にX線フィルムを使ったか 〜
"Bone music: how bootleggers used X-rays to bring rock and roll to the USSR"

Japanese translated by Tagong-Boy
Original text by Samuel Goff (The Calvert Journal / July 2017)
(元記事はこちら) http://archive.is/EhyqC
・直リンクでなく「archive.is」で保存したアドレス。元ページは上リンク先に表示されています。



戦後のソ連で、音楽愛好家たちは検閲官の裏をかくユニークな方法を見つけ出した。古いレントゲンフィルムの上に禁止された音楽を録音することで。モスクワで行われる大きく新しい展覧会に先立ち、カルヴァート・ジャーナルは「レントゲニズダート」の不思議な世界を探ってみる。
In the post-war Soviet Union, music lovers found a remarkable way to outwit the censors: recording banned music onto old X-ray film. Ahead of a major new exhibition in Moscow, The Calvert Journal explores the strange world of roentgenizdat


*) モスクワで行われていた「ボーン・ミュージック」展については、この BLOG の過去記事で少し触れている。
Do ya know Bone Record? (30 Sep. 2017)
http://tavola-world.seesaa.net/article/453834552.html


*) рентгениздат (roentgenizdat): レントゲニズダート。
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=roentgenizdat
ロシア語でレントゲン・パブリッシングの意味を持った造語で、
「roentgen + izdatel'stvo ( =publisher)」の二つを組み合わせた言葉。





ソ連で、アウトサイダーたちが文化的な生活についてを語るとき、彼らはしばしば、下層からの反応よりも上からの抑圧(禁止されたものや、与えられる罰)に焦点を合わせる。一般の人々は、芸術の楽しみにかけられた抑圧をいくつもの方法で回避した。実際、そうした生活が単調で辛い仕事ではないということがレントゲニズダート(レントゲンフィルムによる音楽)によって鋭く証明される。それらがモスクワで行われる大きく新しい展覧会に先立ち、来週ロンドンのプーシキンハウスにやってくる。
When outsiders talk about cultural life in the Soviet Union, they often focus more on the repression from above - what was banned, the punishments meted out - than on the response from below: the myriad ways in which ordinary people circumvented the constraints placed on aesthetic enjoyment. That life was not in fact a monotonous grind is demonstrated with particular poignancy by the story of roentgenizdat, or X-ray music, which is coming to London’s Pushkin House next week ahead of a major new exhibition in Moscow.



「X線出版(ロシア語で "X線" は発明者であるヴィルヘルム・レントゲンの名をとり命名された)」という意味のレントゲニズダートは一般的なレコードのように再生が可能な、使用済みX線フィルムに録音された音楽のことをいう。この現実離れした独創的な試みは、1940年代後期から1960年代初頭まで、ソ連国内で禁止された音楽を複製し流通させる主要な手段だった。ミュージシャンのステフェン・コーツとフォトグラファーのポール・ハートフィールドは、レントゲニズダートとその風変わりなブートレッガーたちを支援することに全霊を注いだマルチメディアの壇上に立つ「X線オーディオ・プロジェクト」の黒幕的な人物だ。足かけ3年、このプロジェクトが、本やドキュメンタリー、ライブショー、そして巡回展示へと発展していくのをみてきたコーツにとって、レントゲニズダートがもつ本質的なメッセージはシンプルなものだ。
「音楽がどれほど重要なのか、また人々がどこまで創意に富むことができるのか、それについての物語なんだ」
Meaning simply “X-ray publishing” - in Russian the X-ray is named after its inventor, Wilhelm Rontgen - roentgenizdat refers to music recorded onto used X-ray film that could then be played like a gramophone record. This surreally inventive practice was the primary means of reproducing and distributing banned music in the Soviet Union from the late 1940s until the early 1960s. Musician Stephen Coates and photographer Paul Heartfield are the men behind the X-Ray Audio Project, a multimedia platform dedicated to roentgenizdat and its eccentric, entrepreneurial bootleggers. For Coates, who over the past three years has seen the Project expand into a book, documentary, live shows and a travelling exhibition, the essential message of roentgenizdat is a simple one: “It’s a story about how much music matters and how ingenious people can be.”


製造工程の簡単な説明をコーツに頼む。「(彼らは)ディスク上に音楽を書き込むのに、録音旋盤と呼ぶ蓄音機とは正反対のような機械を使っていた。表面の異なるさまざまなものに音楽を書き込むことができて、偶然にもエックス線フィルムは溝を保持するのにちょうどいい。また当時のソ連でそれを入手するのはとても簡単だった。彼らは通常の生産手段を手にする方法をもたなかった(もちろんそれは違法行為だった)。だから、彼らは即席で製造しなければならなかった。彼らは自分たちの録音機械を組み立て、夜、あるいは人目につかない場所で作業にとりかかった。これらのレコードはどれもみなリアルタイムで一つずつ作られた。大量生産ではない、好きだからこそできる手仕事だった。こうして出来たものは、ほとんどソフトドラッグ、あるいはマリファナの路上取引きのように配られ売られた。もし顔見知りなら手渡しされるし、外に出て路上で買うこともできる」
I ask him to explain the production process in layman’s terms. "They used machine which we would call recording lathes, like a gramophone in reverse for writing music onto a disc. You can write music onto various different surfaces and it just so happens that X-ray film is quite good at holding the grooves, and in the Soviet Union at that time it was very easy to get hold of. They didn’t have access to the usual means of production - and it was illegal, of course - so they had to improvise. They built their own recording machines, they worked at night or in out of the way places. Each one of these records was made one by one in real time. This was a labour of love, not mass production. They were distributed and sold pretty much like soft drugs, something like the street trade in weed.
If you knew somebody they were passed hand to hand, or you could go and buy some on the street."


コーツが「ボーン・ミュージック」と出会ったのは、何年か前にサンクトペテルブルクの蚤の市で不思議なレコードに出くわしたときだった。それはビル・ヘイリーによる1955年のヒット曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のX線録音だとわかった。これが最初の発見を代表するものだった:1950年代、西側のロックンロールとジャズは、X線レコードのブートレッガーたちにとって最もポピュラーなジャンルの一つだった。もちろん、禁止されたどんなものでも「ザ・ボーンズ」や、ロシアの亡命者音楽、監獄の歌、そしていわゆるジプシー・フォークソングになりえた。最初に発見したこの場所も幸運だった。サンクトペテルブルク(当時のレニングラード)がおそらく、この現象の誕生した場所だったから。
Coates discovered “bone music” several years ago when he came across a strange disc at a St Petersburg flea market - it turned out to be an X-ray recording of Bill Haley’s 1955 hit Rock Around the Clock. This was in fact a pretty representative first find: in the 1950s, Western rock and roll and jazz were among the most popular genres for X-ray bootleggers. Of course, anything that was banned could make its way onto “the bones”, and Russian emigre music, prison songs and so-called “gypsy” folk tunes. The location of this initial discovery was also auspicious, as Petersburg - then Leningrad - was most likely the birthplace of the phenomenon.


* Bill Haley & His Comets - Rock Around The Clock (1955)
https://www.youtube.com/watch?v=ZgdufzXvjqw
1955年の映画「暴力教室」のテーマ曲として使用され有名になった楽曲。ジョージ・ルーカスが監督した映画「アメリカン・グラフィティ」の中でも流れていたロックン・ロール黎明期の代表的な曲。




もちろん、あらゆるアンダーグラウンドの文化がそうであるように、歴史的なディテイールをはっきりとさせるのは難しい。「レニングラードで始まったことは、ほぼ確実にわかっているんだ。」とコーツは言う。 「で、モスクワとその他の大都市、そしていくつかのソ連の国で広まったんだ。これらのレコードがどれくらい造られたのかは知るすべがない。レコード自体は傷みやすく、もう聴かなくなると捨ててしまったんだ。 一枚一枚個別に作られなければならなかったという単純な理由から、そんな沢山あったはずがない。僕は、100万枚未満ではないかと見ている。まぁ、確かなことはいえないが」
As with any underground culture, of course, the historical details are hard to pin down. “We know that it almost certainly started in Leningrad,” Coates says. “It spread to Moscow and other big cities, and some other Soviet countries. There’s no way of knowing how many of these records were made - the records themselves were quite fragile and when they no longer played people would throw them away. There can’t have been that many for the simple reason that each one had to be made individually. I suspect less than a million, but it’s impossible to say.”


今日(こんにち)、レントゲニズダートは70年の歳月を経た。そして始まり頃にいた育て親の多くは亡くなっている。だが、コーツとハートフィールドのフィルムの中で、私たちは1950年代のこの奇妙な西側世界の音楽にかかわった多彩な人物の何人かを知る。1970年代にオフィシャル・レコード・レーベルを所有し続けたペテルブルクのプロデューサー、ルディ・フーシス。そしてオリンピックの水泳選手になるために音楽に別れを告げたモスクワのブートレッガー、ミハイル・ヴァラファノフ。がそうだ。 コーツにとって、こうした人物たちの意欲を駆り立てるはとても簡単だった。「みんな音楽好きだったからね」 たしかに、ほんのわずかなやるべき仕事や、それに伴うちょっとした責任のある事情は存在した。しかし、彼らはジャズやR&Rが好きだったし、それを他の人に聴いてほしかったのだ。
Roentgenizdat is about 70 years old now, and many of the early adopters are dead. In Coates’ and Heartfield’s film, though, we are introduced to some of the colourful figures who took to these strange, Western sounds in the 50s with such vigour: Rudy Fuchs, a Petersburg producer who went on to have an official record label in the 70s; Mikhail Varafanov, a Moscow bootlegger who left music behind to become an Olympic swimmer. For Coates, the motivation driving these “characters” was simple enough: “They were music lovers. For sure there was a little bit of business to be done, and a little bit of status attached to it. But they loved jazz and rock and roll and they wanted other people to hear it.”


単に若さからくる純粋さの一つが背景だったと言うわけではなかった。「終いには、レコードを扱うのが本当に危険になっていたんだ。脅され、他の競合するディーラーたちにかなり気を使わなければならなかった、とミハイル(ヴァラファノフ)は僕に語った。ドラッグ取引きみたいな何かになっていたんだ。以前は自分のレコードコレクションを人に貸していたんだ、とルディは僕に言った。自分でレコードを売るよりもレコードの時間貸しをしていた。
Not that the scene was solely one of youthful innocence. “Towards the end, it got quite dangerous dealing records. Mikhail [Varafanov] told me that he got threatened and that he had to be quite careful of other rival dealers. It became something like a drugs trade. Rudy told me that he used to rent out his record collection to people: rather than sell stuff himself, he’d hire records out for a hour.”


曲は中毒的であるが故に、どんなことでもやらかしてしまう人たちが持つ音楽の純粋な楽しみ方は、「”良い”非公式な文化」対「”悪い”公式な文化」といった対立する二つの政治問題を、ボーンミュージックが いとも簡単に分裂させるのだと証明している。 「公認のものと非公認のもの、非公認のものと厳禁されているもの、これらの間の線引きは曖昧だった」とコーツは同意する。 「 こうしたブートレッガーが、どれほどの政治的な意図を持っていたのかは分からない。ルディのような人間は、皆、自分の聴きたい音楽を聴く権利を持っていると、熱心に信じていた。彼は、自身が言う ”足元から沸きあがる文化” というものを信じていた。そして文化のトレーダーとして自分を見ていた。 しかし彼は、制度を廃止させたり、それを批判をしようとしているのではなかった。もし、彼との口論なくそれをさせたのなら、彼は確かにそれをやっただろう。」
The notion of pure musical pleasure, of people going to these remarkable lengths simply because the tunes were so addictive, also speaks to the way in which bone music disrupts simplistic, binary politicisations of “good” unofficial versus “bad” official cultures. “There was a blurred line between what was official and what was unofficial, and between what was unofficial and what was actively forbidden,” Coates concurs. “I’m not sure how much these bootleggers were politically motivated. Someone like Rudy passionately believed that you had the right to listen to the music you wanted to; he believed in “culture from the ground”, as he put it, he saw himself as a cultural trader. But he wasn’t trying to bring the system down or offering a critique of it. If they’d let him do it without hassling him he would have just done it.”


これで話は、レントゲニズダートとソ連で広まっていたアンダーグラウンドな自費出版の動き、つまりサミズダートとの関係に移る。 数十年間、アーティストや活動家たちは、気心の知れた仲間の間で配られた政治的なパンフレットや禁止された小説、宗教的なテキスト(or 聖書の一節)、やポルノグラフィーなどの非合法な資料を複製するのにタイプライターを使用していた。サミズダートはある意味で、ボーンミュージックが聴く楽しみだけであることに業を煮やす、反体制的な現象だとしばしば思われていた。この二つの間にある結びつきをコーツがどう理解しているのか、彼にたずねてみる。
「ボーンミュージックがアンダーグラウンドかつ違法なもので、検閲を否定し、即席の材料を用いた製造工程であるという意味では、二つはつながっているのだ」とコーツは言う。
「”ロック・アラウンド・ザ・クロック”のレコードに何があるかと言えば、反共産主義的で、反体制的、さらに政治的であることなんだ、そう言っていい。歌詞にははっきりとしたメッセージがあった。”1時、2時、3時、ロックだ!” この歌のメッセージは「他のことは全部くそくらえ、さあ踊ろうぜ!」なんだ。ある意味、それはソ連の中ではイデオロギーあるメッセージだった」
This brings the conversation onto the relationship between roentgenizdat and the broader underground self-publishing movement in the Soviet Union, or samizdat. For decades, artists and activists used typewriters to copy illicit material - political pamphlets, banned fiction, religious texts, pornography - which was then distributed amongst confidantes. Samizdat has often been considered a fundamentally dissident phenomenon in a way that chafes with bone music’s dedication to aural pleasure. I ask Coates how he understands the link between the two.
“It’s linked in the sense that [bone music] was underground, illegal, anti-censor, an improvised production process,” he says.
“You could say: what is there that’s anti-communist, subversive or even political about a record of Rock Around the Clock? The lyrics did have a message. ‘One o’clock, two o’clock, three o’clock rock’: the message in that song is, ‘fuck everything else, let’s dance.’ In some way, in the Soviet Union that was an ideological message.”



* Samizdat(サミズダート)
1960-80年代、禁止されていた(主に西側諸国の)書物を読むために、手描きやカーボン複写、タイピングにゼロックスコピー等々、さまざまな方法で複製を作り、ソ連の厳しい国家検閲の目をかいくぐって流通していた手製・自費出版物のこと。「サミズダート」については、下記サイトの記事に詳しく書いてあり写真資料も豊富に載っている。画像を一枚転載した。

ソ連市民の検閲のくぐり抜け方 (エカテリーナ・アレエワ / RUSSIA BEYOND)
https://jp.rbth.com/arts/2017/07/20/806855

russian-samizdat-ussr.jpg



ボーンミュージックは、テクノロジーや文化、そして独創性の交わる場所から生まれた。次の革新がやってくるとすぐに姿を消したのはおそらく自然なことだった。 1964年から、ソ連ではオープンリール式のカセットテープ・レコーダーがおおっぴらに手に入るようになった。これで海賊盤制作の新しい形が誕生した。マグニティズダート、そう、テープ・パブリッシングのことだ。これで音楽好きたちは、録音旋盤機やX線フィルムという道具がなくても、カセットからカセットへ音楽をコピーできるようになった。またライブ録音も可能になったのだ。
「マグニティズダートはボーンミュージックを永遠に葬り去ってしまったんだ」と、コーツは結論づける。人々は無意識のうちに、次に現れたより良い技術を使ったのだろう。「オープンリール式のテープ・マシンは操作がより簡単で、音質がすごく、はるかにいい。X線音楽は複雑で何が起こるかわからない。ブートレッガーはきっと、迷うことなくテープに鞍替えしたんだよ」
もっとも、ボーンミュージックを永く魅力的なものにするのは、複雑さと何が起こるのか分からない点にある。パチパチと鳴り、数値化や合理化できないひどく痛んだアナログ盤の起伏なんかね。「禁じられた楽しみの音が刻まれた"痛み"や"傷"のイメージなんだ。ソ連市民が、彼らの体内を写し撮ったもろい写真を、密かに愛聴した聞き取りにくい音楽に重ねたもので、日曜大工的パンク精神の抗議がこもった薄っぺらいカケラなんだ」と、コーツは別の場所でこうした骸骨の印影が付いた痛みやすいディスクのことを言っている。どれほど科学技術が進化しても、ああいう魔法は解けないんだよ。
Bone music arose out of the intersection of technology, culture and ingenuity; perhaps fittingly, it disappeared as soon as the next innovation came around. From 1964, reel-to-reel cassette tape recorders became publicly available in the Soviet Union, and a new form of bootlegging was born: magnitizdat, or tape publishing. Now fans could copy music from cassette to cassette without the paraphernalia of recording lathes or X-ray film. Live recordings also became possible.
“Magnitizdat totally killed bone music for good,” Coates concludes. People would have automatically used the next, better technology. “Reel-to-reel tape machines are easier to use and the sound quality is much, much better. X-ray music is complicated and unpredictable I’m sure the bootleggers went straight over to tape.”
It’s the complication and unpredictability, though, that makes bone music so enduringly fascinating: a crackling, flawed analogue wave that cannot be quantified or rationalised. Elsewhere, Coates has described these perishable discs with their skeletal imprints as “images of pain and damage inscribed with the sound of forbidden pleasure; fragile photographs of the interiors of Soviet citizens layered with the ghostly music they secretly loved, they are skin-thin slivers of DIY punk protest.” No amount of technological progress can quite break that spell.


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